2022/06/10 - 2022/06/11
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会津の地は戦国大名の蘆名氏以降、伊達政宗公、蒲生氏郷公、上杉景勝公、蒲生秀行公、加藤嘉明公らが入れ代わり立ち代わり治めていましたが、寛永20年(1643年)に徳川秀忠公のご落胤である保科正之公が入り、明治維新まで200年以上にわたって会津松平家が治めることになりました。徳川家との因縁が強すぎたが故に、戊辰戦争で朝廷側についた会津藩には白虎隊の悲劇が起きました。
時は流れて明治32年(1899年)、福島県若松町は市制執行し、福島県で最初の市となり、昭和30年(1955年)に会津若松市と改称しました。
観光では、会津若松城(鶴ヶ城)と飯森山がとても有名ですが、私は3度登城しているので今回はパス、市内に一泊して奥会津のバスツアーに参加することにしました。
1日目
仕事。
2日目
朝、仙台駅周辺を散策してから仕事。
勤務終了後、塩釜市に移動。
3日目
塩竈神社、志波彦神社、御釜神社に参拝、周辺を散策し、利府駅に移動。
仙台駅前から高速バスで会津若松市へ移動。
4日目
会津若松市街を散策し、奥会津を巡るバスツアーに参加、帰路でアクシデント発生!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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仙台駅東口から会津若松駅へ高速バスで移動します。
一日4便、予約不要(不可)、3,100円。 -
仙台駅東口の72番乗り場から出発。
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車内はガラガラでした。
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宮城県から福島県に入り、国見町を走行中。
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伊達市を走行中。伊達一族は、陸奥国伊達郡が発祥とされており、たぶんこの辺りがそうだろうかと想像しました。
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吾妻パーキングエリア(上り線)で10分ほど休憩しました。
私はファミリーマートで夕食を調達しました。 -
私が乗った会津バス。
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田んぼの先にチラッと見えているのが猪苗代湖。日本で4番目に大きい湖で、103.24km2は東京都青梅市とほぼ同じ面積です。画面よりも外は暗くなっていました。
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バスが会津若松駅で停車すると、私以外の方は降車しました。
その後、バスは神明通りに停車、ここで降りました。2時間30分でした。
この提灯で近くに地蔵様がいることを知りました。 -
神明通りは会津若松市内で一番の中心街、ショッピングや娯楽も楽しめるらしいのですが、ほぼ閉まっていました。
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商店街ですが、お店はほぼ閉まっていました。
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会津つるやホテル。神明通りから一本西側の野口英世青春通りにあります。
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伝統の城下町、会津若松市、その中心部にあるホテルです。
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客室です。畳の部屋で熟睡しました。
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朝食です。朝食500円。
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休憩室。マッサージチェアが無料でした。
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休憩室。コーヒーも無料でした。
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廊下の額は、白虎隊の自決の様子を描いたものでした。
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廊下の額。厳しいです。
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野口英世青春通りです。
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野口英世青春通りは、ほぼ野口英世さんでした。
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野口英世青春通りは、ほぼ野口英世さんでした。
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野口英世青春広場に着きました。
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野口英世青春広場の奥に像が見えます。
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野口英世像です。明治9年猪苗代に生まれ、昭和3年アフリカ黄金海岸に没した細菌学者でした。一方で、借金王としても有名な彼の座右の銘が「忍耐」なんだとか。
人間だもの、いろんな顔がありますよ。 -
この銅像は昭和33年に市内中央公民館前に建立されましたが、平成17年に青春広場に移設されました。ただし、この位置では、午前中は逆光になってしまいます。
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像の台座には、昭和32年(私の生年)に刻まれた碑文がありました。
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野口英世博士が恩師・小林栄氏に宛てた手紙も刻まれていました。
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左手の建物は野口英世青春広場内にあるDr.野口館です。
情報発信スペースを始めとする複合施設ということらしいのですが、早朝のため閉じられており、寂しい感じがしました。 -
「自分への手紙~タイムカプセル郵便」を投函するための「青春ポスト」。
青春通りにある商店で売っている専用の封筒を使って投函すると5年後に手紙が届くようです。 -
幸せの鐘。コロナ禍だからか、紐が外されていました。
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門扉にも野口英世さん。
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花壇の石は、会津藩中屋敷の石垣の石を再利用しています。
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青春広場の隣に建つ旧黒河内胃腸病医院(昭和11年築)。
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神明神社(しんめいじんじゃ)。
応安2年(1369年)、神道流槍刀術の祖・飯篠山城守家直が勧請し、その後、蘆名氏、保科氏が篤く信奉しました。 -
手水舎。
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手水。
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拝殿。明治元年(1868年)8月兵火により社殿を焼失、翌年に仮殿を造営しました。明治4年に伊勢神宮の遙拝所とし、同年に神明神社と改称しました。
昭和19年道路新設工事の際に現在地に移転しました。 -
御祭神は、天照大御神、応神天皇、宇迦之御魂神、大国主命、秋葉大神の五柱です。
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神明神社の扁額。
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社殿よりも大きな神楽殿。昭和30年造。
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手水舎の奥に鎮座している伏見稲荷大神(宇迦之御魂神)。
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道路を渡り、瑞雲山興徳寺に向かいます。
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路地の奥に建物が見えてきました。
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瑞雲山興徳寺の真新しい仁王門が迎えてくれました。
弘安10年(1287年)、蘆名氏第5代蘆名盛宗公が鎌倉より大円禅師を招き開山したと伝えられています。 -
今年の4月、仁王像が建立されました。
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筋骨隆々の仁王様です。
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仁王像は建立されていますが、門としては工事の途中みたいです。
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筋骨隆々の仁王様、迫力があります。
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興徳寺の本堂。臨済宗妙心寺派のお寺です。会津に入った蒲生氏郷公は鶴ヶ城を大改築し、城下を整備した際に、興徳寺以外の寺院は郭外に移されました。
戊辰戦争の兵火により堂宇は消失、寺宝・什物は西軍に略奪されてしまいました。
現在の鉄筋コンクリートの本堂は、昭和39年(1964年)に再建されました。 -
会津若松の基礎を作った蒲生氏郷公の遺髪が埋められています。
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蒲生氏郷公の墓は、空風火水地の五文字が刻まれた五輪塔で、かつて司馬遼太郎先生が絶賛したと伝わります。
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蒲生氏郷公は40歳で病没。五輪塔の傍らに辞世の句があります。
限りあれば
吹かねど花は散るものを
心みじかき春の山風 -
供養顕彰の七層天守と撫で牛。
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少し道路を歩き、本堂の裏手に回ってみましょう。
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鉄筋コンクリート造りの本堂とは対照的な古風な建物がありました。
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福満虚空蔵堂 。
7月12日には「お日市」が開かれます。古くから伝わる一日限りの夏祭りです。 -
福満虚空蔵堂の内部。
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その隣の建物は、明治10年(1877年)に鶴ヶ城の古材を使用して建てられた仮本堂のようです。
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豊臣秀吉公當寺滞在中書刻碑。
天正18年(1590年)、奥州仕置で会津に来た豊臣秀吉公は興徳寺を御座所として使いました。この地は秀吉公が訪れた北限の地とされています。 -
会津二十一地蔵尊の「第八番 福分地蔵尊」が安置されています。
この地蔵尊は、戊辰戦争でも焼き打ちや略奪の難から逃れました。 -
開運撫牛。牛は、インドでは古来より聖なる使いとされ、虚空蔵菩薩は丑寅の守り本尊とされています。
「お日市」では、鉄牛は紅白の幕で囲まれ、角に紺の鉢巻きで飾られるそうで、商売繁盛の御利益があると謂われています。 -
おさすり地蔵様。
興徳寺には、身体の悪いところと同じ部分をさすると、その痛みを和らげてくれるという有難いおさすり地蔵があります。 -
おさすり地蔵様は、その有難いご利益ゆえに参拝者によって絶えずさすられ、最後には姿形がなくなったと言われています。
こちらの地蔵様は平成25年(2013年)9月23日に新たに建立されたお姿です。 -
おさすり地蔵様。
65歳ともなるとあちこち痛いです。特に左肩、左腕、腰、左脚、両足首を入念におさすりしました。 -
会津若松市のマンホール蓋。会津磐梯山と猪苗代湖、市の木の赤松がデザインされています。
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歩いて会津若松駅まで行くつもりでしたが、運良く通りかかったバスに乗れました。
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地下歩道の入り口。
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この入り口には玄武の絵が掲げられていました。
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別の入り口には白虎の絵がありました。
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会津若松駅をバックにC57「貴婦人」の動輪。
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磐越西線SL運行記念。
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会津若松駅。
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白虎隊士の像。
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白虎隊士の像。
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あいづっこ宣言。現代人がこれを守ったら、確実に心身症になります。無理は止めましょう。
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赤べこ。従来、柳津町が「赤べこ発祥の地」と思われてきましたが、最近は会津若松発祥説が出てきて、論争になっているそうです。
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会津バス駅前観光案内所。ちょっと地味な建物なので通り過ぎないように気を付けましょう。会津観光の「バスツアー 奥会津を巡る旅」はネットで予約して、こちらで乗車券を購入します。
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奥会津ツアーのバスを待っていたら、格好良いボンネットバスが来ました。これかと思って喜んだのですが、これは「まちなか周遊バス・ハイカラさん」でした。ハイカラさんは600円の一日フリー乗車券で利用できます。
ハイカラさんの写真を撮っていたら、いつの間にか乗車するバスが到着しました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。続いて奥会津の旅に出発です。
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