2018/10/26 - 2018/10/28
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FUKUJIROさん
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社員研修で立石寺に行くことになりました。おくのほそ道で、「閑さや 巌にしみ入る 蝉の声」と詠われた山寺です。
麓から奥之院まで、事前の調査では1,015段とか1,070段とか諸説ありましたが、いずれにしても還暦過ぎたオヤジには辛い修行です。
前夜から雨の予報、小雨が降ったり止んだりの中、山寺駅へ移動しました。
根本中堂には私よりも一回りも二回りも年長の方々が大勢いて驚きました。
奥之院へ向かう山道は、一段上るごとに煩悩を一つ消してくれる御利益があるそうです。
翌日の自由時間には、天気も良くなったので、出発までの僅かな時間でしたが、山形市内の霞城公園を散策しました。
どうにも写真が多すぎますがご容赦ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
都内での仕事を終えて、新幹線で山形駅に来ました。
今回のお宿は、ホテルルートイン山形駅前です。
駅から見えるので安心です。 -
部屋から見た山形駅西口。
143億円をかけて再開発工事が進められています。
音楽ホールを中心とした文化施設のようですが、負の遺産とならないことを祈ります。 -
山形駅から約20分で山寺駅に着きました。
-
山寺駅。駅舎の右側には見晴台。
ガスがかかっているので上りません。 -
駅前通りから正面に立石寺の開山堂が見えるはずですが、見えません。
突き当たりは旧山寺ホテル。 -
旧山寺ホテルを右折して登山口へ向かいます。
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立谷川にかかる宝珠橋を渡ります。
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登山口に来ました。
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いきなり石段が聳えています。
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石段を登ると手水があります。
ほとんどの方が素通りしますが、ここで身を清めましょう。 -
根本中堂。ここが立石寺の本堂です。
宝珠山立石寺は、貞観2年(860年)に清和天皇の勅願により、慈覚大師円仁によって開かれました。 -
比叡山延暦寺の分院であり、開山の際に比叡山延暦寺より「不滅の法灯」が分灯されています。
ご年配の方が多いです。観光バスで来たらしい団体も多いです。 -
招福布袋尊。その体を撫でて祈願します。
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橋殿。
古来、偉人のみが渡ることのできる石橋がかかっていたようで、お地蔵様の頭を撫でて長命祈願します。 -
山寺を勅願した清和天皇の供養塔。
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松尾芭蕉の句碑。
嘉永6年(1853年)に弟子達が建てた碑。 -
手水鉢は元禄12年(1699年)に宿坊の1つである「預り坊」から奉納されたもので、「預り坊」はその10年前に松尾芭蕉と曽良が宿泊した坊です。
-
山寺の大イチョウ。
慈覚大師円仁が手植えしたと伝えられる日枝神社の御神木です。
左端に何か写っていますが、気にしませんように。 -
日枝神社。御祭神は大山咋尊。
立石寺を開山した時に鎮守社として天台宗の比叡山延暦寺の守護神である日吉大社(滋賀県大津市)の分霊を勧請しています。 -
日枝神社の向かいにある亀の甲石。
自分の名前の書いた銭を甲に乗せると延命・長寿の霊験があるそうです。 -
亀の甲石。
小銭を置く場所により御利益が違うようで願い事図が掲示されてます。 -
こけし塚。
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松尾芭蕉は元禄2年5月27日(西暦1689年7月13日)の午後、立石寺の山麓、「預リ坊」に宿を取り、夕刻には奥之院に参拝しました。
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松尾芭蕉像。
逆光でお顔が見えません。 -
曾良像。
今年の5月、壱岐で曾良の墓参りをしたことが思い出されます。 -
宝物殿。
立石寺の仏像などの多くは兵乱や災害により失われました。
かろうじて残された寺宝が宝物館に安置されています。入観料 大人200円。 -
小さな池の向こうに真っ白い仏様がおられます。
私たちが生活するために自然の恵みや多くの食べ物が必要です。
これら全てのものの供養をしてくださっています。 -
万物供養阿弥陀如来。
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常行念仏堂。
山門の手前にあり、案内板によると「江戸時代の初めに再建された。座禅や写経をおこなう立石寺の修行道場であるが、参詣者も自由に修行ができるように、準備されている」とあります。 -
なで仏・賓頭盧尊者。
お釈迦様の弟子で、 通称「おびんずる様」。常行念仏堂の入り口におられます。
病んでいる部位をなでると除病の功徳があるといわれています。 -
鐘楼。
山門の横にあります。除夜の招福の鐘として知られ、元旦にかけて数千人の参拝者が、幸福を願ってこの鐘をつきます。 -
山門 。
鎌倉時代の作と云わり、「開北霊窟」の扁額が掲げられています。
奥の院までの登山口。山門には料金所があります。拝観料 大人300円。 -
石段を一段登るごとに煩悩が消滅すると信仰されています。
修行の霊山です。 -
姥堂。
かつて修行者は姥堂横の湧き水で心身を清めて新しい着物に着替え、それまで着ていた着物をここに奉納する習わしでした。
ここより上は極楽浄土、下は地獄とされていました。 -
閻魔大王の妻である奪衣婆(だつえば)が祀られています。
三途の川を渡るための船賃である六文銭を持たずに来る死者から、着ていた衣服を剥ぎ取る役目です。 -
姥堂の正面の巨石は笠岩(笠投石)と呼ばれ、慈覚大師円仁がその岩陰で雨宿りしたという伝説があります。
-
このあたりは、まだ登り始めの石段です。
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お山の自然にそってつくられた参道は昔からの修行者の道。
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まだまだ続く石段。
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姥堂から、この上の四寸道まではたくさんのお墓があり、お墓の間を縫うように石段が続きます。
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見上げると、表面がでこぼこに風化した大きな岩が百丈岩。
この岩は海底火山の噴出物が堆積したものが隆起したらしいです。
この百丈岩の上に有名な五大堂が建てられています。 -
四寸道。登山口から360余段。
開祖・慈覚大師の足跡を踏んで、わたしたちの先祖も子孫も同じ道を歩くことから、親子道とも子孫道とも呼ばれています。 -
花なのか実なのか。この一輪だけしか見ませんでした。
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こんな岩の隙間にもお地蔵様。
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せみ塚。登山口から420余段。
芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑で、1751年、芭蕉の登頂から62年後に俳人壷中(こちゅう)らが建てました。 -
せみ塚の側にありました。
調べても何か分かりませんでした。 -
弥陀洞(みだほら)。
せみ塚の先にあります。
阿弥陀様のお姿が見えた人には幸福が訪れると云われています。
「丈六(4.6m)の阿弥陀如来」とも呼ばれています。 -
仁王門が見えてきました。
-
嘉永元年(1848年)に再建された、欅材でつくられた優美な門です。
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左右に安置された仁王尊像は運慶の弟子たちの作と伝わっています。
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邪心をもつ人は登ってはいけないと睨みつけています。
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後方の閻魔大王が、この門を通る人の過去の行いを記録しているという。
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石段右側の小堂は旧観明院です。
本尊は阿弥陀如来像ですが、現在は無住になっています。 -
観明院の奥にはトイレがあります。
-
石段は続きます。
石段の上に見えるのは、山内支院の一つ金乗院です。 -
開山堂、納経堂、五大堂の一部が見えています。
同時に見えるのはここだけかな。 -
性相院(せいしょういん)。登山口から740余段。
現在は4つの支院が残っていますが、元々12あった支院の一つです。
明治時代初頭に善行院、極楽院が吸収され義姫(伊達政宗の生母)の位牌所となっています。 -
御本尊は、慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来像です。
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説明書きには紀元前後につくられたガンダーラ仏とあります。
触れることができます。 -
マニ車。
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傳教大師童形御尊像。
-
修行の岩場。
案内板によると「正面の岩に巌をかさねた岩場は、釈迦ケ峰といい、危険な岩場を通って、お釈迦さまのみもとにいたる行場で、出世や欲望のための修行者が、岩場から転落死したことも多かったと伝えられており、今では修行者以外の登山を禁じている」とあります。 -
金乗院(きんじょういん)。
御本尊は延命地蔵菩薩。藤原秀衡の位牌所となっています。
天保11年(1840年)3月、澄明旭海によって再建されました。 -
中央にある数珠玉の連なりは、延命地蔵菩薩の持ち物である宝珠と錫杖を表しています。数珠玉を回すことでご真言をお称えしたのと同じ功徳がいただけます。
「ぴんころ車」と呼び、ぴんぴん元気でいて、いよいよの時はコトッと。 -
まだまだ石段は続くよ。
-
山頂売店。登山口から840余段。
右奥にトイレがあります。 -
長~い石段もあと少し。
-
中性院(ちゅうせいいん)。
御本尊は、阿弥陀如来座像です。
明治時代初頭に不動院、中之院、観明院を吸収しています。
山形城主、最上義光公並びに新庄藩、戸沢侯歴代の日牌所です。 -
おびんずる様。
像をなでると病気が治り、病気にかからないとされているぼけ封じの仏様です。 -
最上義光公御霊屋。
建築年不詳ながら、元和6年(1620年)~慶安4年(1651年)に建てられたと推定されています。華美な装飾が一切無い質実な建物です。 -
郵便ポスト。月曜~土曜まで毎日11時に集配されます。
「ご苦労様です」! -
この石段を登れば...という思いです。
-
最後の石段の上、右が如法堂(奥之院)、左が大仏殿です。
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金燈籠。
66世優田和尚の発願で、明治28年に山形市銅町で鋳造されました。
「日本三大灯籠」説は、鋳造関係者が恣意的に流布した俗説です。 -
如法堂(奥之院)。
慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とします。
この地方では人が死ぬと、その遺骨の一部、歯骨を一周忌前に山寺の奥の院へ納骨して供養してもらう風習があるそうです。
海抜417m。 -
大仏殿。
像高5mの金色の阿弥陀如来座像を安置し、毎日卒塔婆供養を行っています。 -
中性院まで戻り、華蔵院へ向かいます。
-
華蔵院が見えてきました。
こちらは悪縁切りや悪い運気を祓ってくれるご利益があります。
華蔵院の手前右側には、岩屋をお堂に見たてその中に三重小塔があります。 -
華蔵院。御本尊は観世音菩薩。
ここも十二支院の一つで、慈覚大師が開山の際にこの地に住まわれて、後に寺となったそうです。 -
三重の小塔。
境内の洞窟に設けられた三重塔は室町時代に製作されたもので、国指定重要文化財に指定されています。 -
永正16年(1519年)に造られたこの塔は柱間一尺五寸ほどの小さなものですが、他の塔と同様の工程で組み上げられ、日本一小さい三重塔の内部には御本尊である大日如来像が安置されています。
-
華蔵院からの帰り道。
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行在所(記念殿)。
案内によると、明治41年9月18日、当時皇太子であった大正天皇が山寺に行啓(参詣)された時に御休息された建物とのことです。
外観は極めて単純化し、山寺の景観や他の建物の中に溶け込むように計画されています。 -
行在所からの景色。
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行在所からは修行の岩場が見渡せます。
釈迦ケ峰の山頂直下には釈迦堂、その下には胎内堂がありますが、一般の人は参拝が禁止です。 -
開山堂と納経堂。
百丈岩の上に立つ開山堂は立石寺を開かれた慈覚大師の御堂で、御堂には大師の木造の尊像が安置されています。
向かって左の小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。 -
納経堂の真下は入定窟(にゅうじょうくつ)になっており、そこには慈覚大師の遺骨が眠っていると云わっています。
-
開山堂から見た山内支院。
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五大堂。
開山堂の右横を登った場所に建っています。
開山30年後に建立された五大明王を祀って天下泰平を祈る道場で、ここからの眺めは山寺随一の展望です。 -
五大堂の中は落書きだらけ。
日本人のモラルはどうなっているのでしょう。 -
もはや千社札も見苦しい。
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道場というよりも展望台となっています。
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この日は曇っていて、鮮やかな眺望ではありませんでした。
-
ずーっと続く石段を下りて行きます。
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せみ塚からは下山道を進みます。
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ところが、下山道は凸凹していてとても歩きにくいです。
ほとんどの方は下山道を通りません。 -
無事に下りました。
山門脇の鐘楼が見えて来ました。 -
出口にあるお土産屋さんです(裏側)。
-
抜苦門。
参拝者の全ての苦悩を抜けるとの理由から名付けられています。 -
十六羅漢那伽犀那尊者。
右手からは常に水が滴っており、この法水を自らの手にそそぐと知恵を授かり、長生きできると伝えられています。 -
本坊。
立石寺では一連の登山道を巡り参拝した最後にあります。
お坊さん達が生活している所です。 -
この石段を下りると、参拝は完了です。
ここまで回っている人はほとんどいませんでした。 -
対面石と対面堂。
宝珠橋の袂に大きな岩があります。
右側のお店はその名も「対面石」というお蕎麦屋さんです。ここで芋煮そばを食べました。 -
慈覚大師が開山する際に、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎とこの大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられています。
対面石に左手をあてて願うと、叶うと云われています。 -
宝珠橋から見た対面石。すごく大きな石です。
この石なら、その上で対面できますね。 -
13時半。折角なので芭蕉記念館に行ってみます。
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近道とありますが、またまた長~い石段がありました。
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この石段、端っこに一文字ずつ付いていて、芭蕉の俳句が書かれていました。
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さらに石段は続きます。
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石段を登り切ると、すばらしい眺めです。
お天気が悪いのですが、立石寺の様子をご覧ください。 -
芭蕉記念館の庭に植えられている「芭蕉」の木です。
バナナの仲間だそうです。 -
芭蕉堂。
抹茶とお菓子が頂けます。 -
芭蕉記念館から見る宝珠山立石寺の眺めは、やまがた景観物語のおすすめビューポイント33に選定されています。
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山寺芭蕉記念館。
芭蕉が「おくのほそ道」で山寺を訪れてから三百年目、同時に山形市が誕生してから百周年を記念して、平成元年に建てられました。入館料 大人400円。 -
駐車場にはEV充電器もありました。
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芭蕉記念館の向かいには何やら立入禁止の建物。
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こちらも立入禁止。
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こちらも立入禁止。
2016年9月30日で営業を休止した山寺風雅の国でした。
山寺風雅の国は、和風レストランやお土産物処、甘味処、ギャラリーなど古民家をイメージした建物が並ぶ観光スポットとして営業していたようですが、再開の目処はたっていません。 -
五大堂からみた山寺風雅の国。
また石段を下りて山寺駅に向かいます。 -
やまがたレトロ館 (旧山寺ホテル)。
老舗旅館・旧山寺ホテルは2007年に閉館しましたが、この建物は登録有形文化財となっています。
2012年より山形県内の歴史的建造物を描いたペン画120点を展示する結城泰作やまがたレトロ館原画展示館となっています。入場は無料。冬季休館。 -
山寺駅の見晴台。
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見晴台に上ってみました。朝方のガスも取れて、百丈岩が見えています。
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見晴台の高さは山寺駅のホームとほぼ同じです。大きな期待はしないで下さい。
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見晴台の入り口にはコインロッカーがありました。
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改札の内側にもコインロッカーがありました。
山形駅~山寺駅はSUICAが使えます。 -
山寺駅のホーム。
山形行きの電車が入線してきました。 -
仙山線下り普通列車(電車)。
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山形駅西口の霞城セントラル(かじょうセントラル)。
2001年にオープンした官民複合型高層ビルです。
24階には無料展望台もあります。 -
山形県産業科学館。
霞城セントラルの2階にあります。入館無料。 -
ボールサーカス。
位置エネルギーと運動エネルギー(力学的エネルギー保存の法則)を体感できます。 -
手回し発電を体験。
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フーコーの振り子。
地球が自転していることの証明に使用される実験装置です。 -
縄文の女神。拡大模型。
1階やまがた観光情報センターの入り口にありました。
立石寺で煩悩が消えた私もこの艶めかしいラインには一目惚れです。
県立博物館に本物があるということなので、明日の朝見に行ってきます。 -
ホテルの朝食です。
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霞城公園。南大手門の石垣が見えてきました。
今日はすばらしい青空になりました。 -
南大手門の石垣。
-
ぐるっと回り込んで石垣の上に出ました。
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山形市郷土館。
明治11年9月に竣工した擬洋風の病院建築物「旧済生館本館」を移築しています。
昭和46年に山形市郷土館として公開し、郷土史・医学関係資料を展示しています。 -
全体の構造は、角面からなる円形の特異な形態で、明治初期における木造下見張りの擬洋風建築の傑作といわれています。
国指定重要文化財。入館無料。 -
アルブレヒト・フォン・ローレツ博士の碑。
オーストリアの医師、山形県では医師の育成に努められました。 -
最大の特徴は、背面に円形の廻廊を回していることで、大変ユニークな形状となっています。木造三重四階建て、高さ24mです。
-
首洗い石鉢。
山形市郷土館の庭にあるこの石鉢は、天正12年(1584年)、山形城主最上義光が谷地城主白鳥十郎長久を山形城内におびき出して殺し、その首をのせたと言われています。 -
公園内を中心部に進むと本丸一文字門がありました。
現在も復元工事が続いています。 -
高麗門。
-
枡形。
-
発掘された本丸御殿の井戸。
-
公園内をしばらく歩きます。
-
山形県立博物館。
10月27日(土)・28日(日)は東北文化の日とされ、無料で開館されていました。
通常は大人300円。 -
入り口に立つ縄文の女神(等身大模型)。
-
展示は2階から、南極海のクロミンククジラの骨格標本がありました。
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展示室の入口正面には、ヤマガタダイカイギュウの全身骨格模型、発掘の様子も展示されています。
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化石関係の展示が多いようです。
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森のジオラマ。
-
縄文人の生活ジオラマ。
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国宝に指定されている日本最大の土偶「縄文の女神」。
平成4年8月4日から6日にかけ、奥羽線舟形駅の西300mの小国川左岸の調査区内から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた土偶が相次ぎ出土し、復元を進めた結果、45cmと日本最大の土偶であることが分かりました。
縄文時代中期(約4,500年前)の作品、高さ45cm、肩幅16.8cm、腹厚約7cm、股下脚長約15cm、重さ3.155kg (復元重量)。 -
色調は、全体に淡い赤褐色で、半円形を呈し、複数の穿孔が見られる頭部には、顔面の表現はなく、両側には耳飾りを意識した孔があります。
腕を省略し、角ばった肩からW字に乳房が張り出し、腹部には妊産婦を表現し、突き出した個所にヘソをあらわす刺突が見られます。
均整のとれた八頭身の美しい容貌から、いつしか『縄文の女神』と呼ばれるようになりました。 -
う~ん、本物はフランスに出張していました。
-
最上義光公勇戦の像。
最上義光(もがみ よしあき)は、最上氏第11代当主、戦国時代から江戸時代前期にかけて出羽山形藩の初代藩主で、伊達政宗の伯父にあたる武将です。
東大手門の広場に建っています。 -
山形駅西口に戻ってきました。
駅前広場に置かれたこの石像は、縄文の女神を模したものでした。 -
つばさ。新幹線ホームに上がると、最後尾から見ることになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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