羽黒・余目旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅のメインは羽黒山の三神合祭殿です。東北地方の日本海側においては最大のパワースポットです。<br />飛鳥時代の推古元年(593年)に崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ)が羽黒山を開山したと伝わります。<br />月山・湯殿山・羽黒山を合わせて出羽三山と呼びますが、地図を見ると、標高1,984mの月山の頂上を中心として、西側の尾根にあるピークが湯殿山(標高1,504m)であり、北側の尾根の連なりにあるピークの一つが羽黒山(標高414m)であることが分かります。<br />それぞれの山頂には神社が建てられていますが、月山と湯殿山は、雪のため冬季閉鎖となります。<br />標高の低い羽黒山には冬季も参拝可能であることから、月山・湯殿山・羽黒山の三神をお祀りした「三神合祭殿」が頂上に建てられており、荘厳な建物は日本一の大社殿と謂われています。<br />また、羽黒山の麓には国宝の五重塔が建ち、山頂の三神合祭殿までは2446段の石段が組まれています。<br />実のところ、当社の研修担当者は、一昨年の山寺(山形県、1015段余)、昨年の金刀比羅宮(香川県、1368段)に続いて、今年は羽黒山を計画していたらしいのですが、コロナ禍で研修そのものが中止となってしまい、一人だけ残念がっておりました。<br />1日目:東京から新幹線つばさで山形県新庄へ移動。<br />レンタカーで酒田市へ移動し、歴史の勉強。<br />2日目:羽黒山を参拝。鉾立展望台から鳥海山を観望。<br />3日目:象潟を観光、新庄駅から帰京。<br />コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過してから旅行記を公開しています。

国宝・羽黒山五重塔と三神合祭殿への参拝

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2020/10/09 - 2020/10/09

53位(同エリア198件中)

旅行記グループ 東北の旅

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

今回の旅のメインは羽黒山の三神合祭殿です。東北地方の日本海側においては最大のパワースポットです。
飛鳥時代の推古元年(593年)に崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ)が羽黒山を開山したと伝わります。
月山・湯殿山・羽黒山を合わせて出羽三山と呼びますが、地図を見ると、標高1,984mの月山の頂上を中心として、西側の尾根にあるピークが湯殿山(標高1,504m)であり、北側の尾根の連なりにあるピークの一つが羽黒山(標高414m)であることが分かります。
それぞれの山頂には神社が建てられていますが、月山と湯殿山は、雪のため冬季閉鎖となります。
標高の低い羽黒山には冬季も参拝可能であることから、月山・湯殿山・羽黒山の三神をお祀りした「三神合祭殿」が頂上に建てられており、荘厳な建物は日本一の大社殿と謂われています。
また、羽黒山の麓には国宝の五重塔が建ち、山頂の三神合祭殿までは2446段の石段が組まれています。
実のところ、当社の研修担当者は、一昨年の山寺(山形県、1015段余)、昨年の金刀比羅宮(香川県、1368段)に続いて、今年は羽黒山を計画していたらしいのですが、コロナ禍で研修そのものが中止となってしまい、一人だけ残念がっておりました。
1日目:東京から新幹線つばさで山形県新庄へ移動。
レンタカーで酒田市へ移動し、歴史の勉強。
2日目:羽黒山を参拝。鉾立展望台から鳥海山を観望。
3日目:象潟を観光、新庄駅から帰京。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過してから旅行記を公開しています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 酒田市から車で1時間弱、大きな鳥居が見えました。羽黒山の一の鳥居です。

    酒田市から車で1時間弱、大きな鳥居が見えました。羽黒山の一の鳥居です。

  • 2018年11月22日に建て替えられた特殊鋼板製の鳥居で、高さは約24m、笠木の幅は約32m、重量5トンです。奉賛金3億円で建てられました。

    2018年11月22日に建て替えられた特殊鋼板製の鳥居で、高さは約24m、笠木の幅は約32m、重量5トンです。奉賛金3億円で建てられました。

  • 色褪せて読めないガイドマップ。

    色褪せて読めないガイドマップ。

  • 出羽三山神社の社号標。<br />疫病退散の看板がタイムリーです。

    出羽三山神社の社号標。
    疫病退散の看板がタイムリーです。

  • 鳥居。奥の建物が随神門です。左側に社務所があります。

    鳥居。奥の建物が随神門です。左側に社務所があります。

  • 随神門から五重塔までの案内図がありました。

    随神門から五重塔までの案内図がありました。

  • 出羽三山神社 門前之宮 天地金神社。随神門の右手前にある朱塗りの神社です。

    出羽三山神社 門前之宮 天地金神社。随神門の右手前にある朱塗りの神社です。

  • 明治までは天台宗中興の祖慈恵大師(元三大師)をお祀りしていた元三太子堂でした。

    明治までは天台宗中興の祖慈恵大師(元三大師)をお祀りしていた元三太子堂でした。

  • 昭和39年にお堂を修復し、金神・須佐之男命をお祀りし、天地金神社となりました。

    昭和39年にお堂を修復し、金神・須佐之男命をお祀りし、天地金神社となりました。

  • 豆腐地蔵尊。天地金神社の手前にあります。

    豆腐地蔵尊。天地金神社の手前にあります。

  • 豆腐地蔵尊。羽黒山の繁昌と道中安全の守護仏としてお祀りされていましたが、廃仏毀釈のあおりで藪の中に倒されていたそうです。今は延命・子育ての地蔵尊として祀られています。

    豆腐地蔵尊。羽黒山の繁昌と道中安全の守護仏としてお祀りされていましたが、廃仏毀釈のあおりで藪の中に倒されていたそうです。今は延命・子育ての地蔵尊として祀られています。

  • 天拝石。その昔、修験者の行法を行った場所の石と云われています。

    天拝石。その昔、修験者の行法を行った場所の石と云われています。

  • 随神門。これより内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がっています。元々は元禄年間に仁王門として造られましたが、神仏分離の折りに随身像をお祀りして、随神門としました。

    随神門。これより内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がっています。元々は元禄年間に仁王門として造られましたが、神仏分離の折りに随身像をお祀りして、随神門としました。

  • 豊石窓神(とよいわまどのかみ)。

    豊石窓神(とよいわまどのかみ)。

  • 櫛石窓神(くしいわまどのかみ)。

    櫛石窓神(くしいわまどのかみ)。

  • 随神門をくぐると継子坂とよばれる長い下りの石段が続きます。

    随神門をくぐると継子坂とよばれる長い下りの石段が続きます。

  • 継子坂から杉並木が続きます。

    継子坂から杉並木が続きます。

  • 石段を下りて、祓川まで進みます。

    石段を下りて、祓川まで進みます。

  • この石段は、300段ぐらいありました。

    この石段は、300段ぐらいありました。

  • 石段を下りると摂社・末社が並んでいます。<br />正面は五十猛(いそたけ)神社です。御祭神の五十猛神は須佐之男命の御子神で、植林や樹木の神様です。

    石段を下りると摂社・末社が並んでいます。
    正面は五十猛(いそたけ)神社です。御祭神の五十猛神は須佐之男命の御子神で、植林や樹木の神様です。

  • 左は大年神社、右は天神社です。大年(大歳)神社の御祭神は、須佐之男命の御子神である大歳神(おおとしのかみ)、五穀豊穣の神様です。

    左は大年神社、右は天神社です。大年(大歳)神社の御祭神は、須佐之男命の御子神である大歳神(おおとしのかみ)、五穀豊穣の神様です。

  • 祓川と須賀の滝(はらいがわ・すがのたき)。<br />古人は必ず祓川の清き流れに身を沈める習わしでしたが、10月初旬でもとても冷たそうです。

    祓川と須賀の滝(はらいがわ・すがのたき)。
    古人は必ず祓川の清き流れに身を沈める習わしでしたが、10月初旬でもとても冷たそうです。

  • 祓川と神橋。

    祓川と神橋。

  • 神橋。工事の足場が架かっていました。

    神橋。工事の足場が架かっていました。

  • 祓川の清い流れ。

    祓川の清い流れ。

  • 須賀滝の碑。

    須賀滝の碑。

  • 須賀滝。左が岩戸分(多くは岩戸別と記して、いわとわけ)神社、右が祓川神社。岩戸別神社の御祭神は、武運開運の神様、手力男命(たじからおのみこと)です。

    須賀滝。左が岩戸分(多くは岩戸別と記して、いわとわけ)神社、右が祓川神社。岩戸別神社の御祭神は、武運開運の神様、手力男命(たじからおのみこと)です。

  • 祓川神社。御祭神は、瀬織津比売神(罪穢れを大海に放つ神)、速開都比売神(罪穢れを呑み込む神)、気吹戸主神(罪穢れを地底に吹き放つ神)、速佐須良比売神(罪穢れを払い捨てる神)の4柱です。<br />

    祓川神社。御祭神は、瀬織津比売神(罪穢れを大海に放つ神)、速開都比売神(罪穢れを呑み込む神)、気吹戸主神(罪穢れを地底に吹き放つ神)、速佐須良比売神(罪穢れを払い捨てる神)の4柱です。

  • 不動明王。

    不動明王。

  • 杉並木を進むと、羽黒山の爺スギが現れました。

    杉並木を進むと、羽黒山の爺スギが現れました。

  • 羽黒山の爺スギ。樹齢は千年以上で国の天然記念物です。

    羽黒山の爺スギ。樹齢は千年以上で国の天然記念物です。

  • 近くに立っていた婆スギは、明治35年の暴風で倒れてしまいました。

    近くに立っていた婆スギは、明治35年の暴風で倒れてしまいました。

  • そして爺スギの奥に国宝の五重塔が見えます。

    そして爺スギの奥に国宝の五重塔が見えます。

  • 五重塔(国宝)。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院がありましたが、現在は五重塔だけが残っています。

    五重塔(国宝)。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院がありましたが、現在は五重塔だけが残っています。

  • 現在の塔は600年ほど前に再建され、東北では最古のものです。<br />高さが29.0m、昭和41年に国宝指定されました。

    現在の塔は600年ほど前に再建され、東北では最古のものです。
    高さが29.0m、昭和41年に国宝指定されました。

  • 素木造り、柿葺、三間五層の塔です。<br />風雨にさらされて白茶けた姿は、まさに侘び寂びの世界です。<br />この先へ進むと、2446段の石段があるのですが、半分以上の方々は果敢に登っていきました。

    素木造り、柿葺、三間五層の塔です。
    風雨にさらされて白茶けた姿は、まさに侘び寂びの世界です。
    この先へ進むと、2446段の石段があるのですが、半分以上の方々は果敢に登っていきました。

  • 爺二人は、随神門まで戻り、車で移動することにしました。

    爺二人は、随神門まで戻り、車で移動することにしました。

  • 随神門まで戻るには、この石段を登らなければなりません。コロナで運動不足の身にはこれだけでも大変です。

    随神門まで戻るには、この石段を登らなければなりません。コロナで運動不足の身にはこれだけでも大変です。

  • 連れが年配者であることを口実にして、羽黒山有料道路を通り、頂上付近の駐車場に車を止めました。駐車場からはほぼ平らな道を歩きます。

    連れが年配者であることを口実にして、羽黒山有料道路を通り、頂上付近の駐車場に車を止めました。駐車場からはほぼ平らな道を歩きます。

  • 出羽三山歴史博物館です。コロナ禍のため、2020年は全期間閉館です。<br />神仏習合の修験道時代の品々が多数展示されているようで、拝観できずに残念でした。

    出羽三山歴史博物館です。コロナ禍のため、2020年は全期間閉館です。
    神仏習合の修験道時代の品々が多数展示されているようで、拝観できずに残念でした。

  • 参道を進むと、松尾芭蕉の像と句碑がありました。

    参道を進むと、松尾芭蕉の像と句碑がありました。

  • 「おくのほそ道」によれば、芭蕉と曽良は最上川を船で下り、清川で下船して六里半を歩いて麓の街・手向(とうげ)に入り、一の坂、二の坂を上った所の南谷別院に宿をとったというから、真に健脚だったようです。

    「おくのほそ道」によれば、芭蕉と曽良は最上川を船で下り、清川で下船して六里半を歩いて麓の街・手向(とうげ)に入り、一の坂、二の坂を上った所の南谷別院に宿をとったというから、真に健脚だったようです。

  • 天宥社。羽黒山中興の祖といわれる50世執行別当天宥法印を祀っています。羽黒山の杉並木も天宥法印の植林です。天宥法印は、後に島流しの刑に処せられ、東京都新島村で没しました。

    天宥社。羽黒山中興の祖といわれる50世執行別当天宥法印を祀っています。羽黒山の杉並木も天宥法印の植林です。天宥法印は、後に島流しの刑に処せられ、東京都新島村で没しました。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 柄杓は除けられ、流水で清めます。

    柄杓は除けられ、流水で清めます。

  • 境内図。

    境内図。

  • 鳥居。

    鳥居。

  • 鳥居の扁額。

    鳥居の扁額。

  • 出羽三山神社参集殿。地上2階、地下1階、総床面積2,179平方メートル。<br />参拝者の受入、神職養成所、儀式殿などの施設です。

    出羽三山神社参集殿。地上2階、地下1階、総床面積2,179平方メートル。
    参拝者の受入、神職養成所、儀式殿などの施設です。

  • 世界平和之塔。

    世界平和之塔。

  • 鐘楼と建治の大鐘。<br />見ての通り歴史を感じる建物で、羽黒山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物で国の重要文化財になっています。

    鐘楼と建治の大鐘。
    見ての通り歴史を感じる建物で、羽黒山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物で国の重要文化財になっています。

  • 鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きいものです。鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、総高2.86m(9尺4寸2分)です。<br />この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって、敵の艦船を全部海中に覆滅したと信じられ、羽黒山の霊威をいたく感じた鎌倉幕府は、鎌倉から鐘大工を送り、羽黒で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったとの謂われがあります。

    鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きいものです。鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、総高2.86m(9尺4寸2分)です。
    この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって、敵の艦船を全部海中に覆滅したと信じられ、羽黒山の霊威をいたく感じた鎌倉幕府は、鎌倉から鐘大工を送り、羽黒で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったとの謂われがあります。

  • 神社三神合祭殿(さんじんごうさいでん)。<br />羽黒派古修験道独自の造りで、高さ28m(9丈3尺)、主に杉材を使用し、内部は総朱塗りです。

    神社三神合祭殿(さんじんごうさいでん)。
    羽黒派古修験道独自の造りで、高さ28m(9丈3尺)、主に杉材を使用し、内部は総朱塗りです。

  • 鏡池。東西38m、南北28mの楕円形をしています。<br />年間を通しほとんど水位が変わらず、神秘な御池として信仰をあつめてきました。<br />古来より多くの銅鏡が埋納されていることから、鏡池と呼ばれています。<br />

    鏡池。東西38m、南北28mの楕円形をしています。
    年間を通しほとんど水位が変わらず、神秘な御池として信仰をあつめてきました。
    古来より多くの銅鏡が埋納されていることから、鏡池と呼ばれています。

  • 屋根は萱葺きで、その厚さは2.1m(7尺)に及びます。<br />大同2年(807年)の建立以来、度々造替を行ない、また、火災により焼失再建を繰り返してきました。現在の社殿は文政元年(1818年)に再建したものです。

    屋根は萱葺きで、その厚さは2.1m(7尺)に及びます。
    大同2年(807年)の建立以来、度々造替を行ない、また、火災により焼失再建を繰り返してきました。現在の社殿は文政元年(1818年)に再建したものです。

  • 屋根の工事中でした。

    屋根の工事中でした。

  • 例年葺き替え工事を行っているようですが、今年は東日本大震災で影響のあったところも含めて大修理を行っていました。

    例年葺き替え工事を行っているようですが、今年は東日本大震災で影響のあったところも含めて大修理を行っていました。

  • 三神社号額。<br />三神合祭殿は、開祖蜂子皇子により山頂に羽黒山寂光寺を建立し、次いで月山神、湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現としてお祀りしていましたが、明治の神仏分離後は、出羽神社と称しています。

    三神社号額。
    三神合祭殿は、開祖蜂子皇子により山頂に羽黒山寂光寺を建立し、次いで月山神、湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現としてお祀りしていましたが、明治の神仏分離後は、出羽神社と称しています。

  • 内陣は三戸前の扉に分かれ、正面中央に月山神社の月読命をお祀りしています。

    内陣は三戸前の扉に分かれ、正面中央に月山神社の月読命をお祀りしています。

  • 三神合祭殿は一般神社建築とは異なり、一棟の内に拝殿と御本殿とが造られており、月山・羽黒山・湯殿山の三神が合祀されているところから、合祭殿造りとも称されます。内内陣は御深秘殿と称し、古来17年毎に式年の造営が斎行されています。

    三神合祭殿は一般神社建築とは異なり、一棟の内に拝殿と御本殿とが造られており、月山・羽黒山・湯殿山の三神が合祀されているところから、合祭殿造りとも称されます。内内陣は御深秘殿と称し、古来17年毎に式年の造営が斎行されています。

  • 右側に出羽神社の伊氏波神(稲倉魂命)をお祀りしています。

    右側に出羽神社の伊氏波神(稲倉魂命)をお祀りしています。

  • 出羽神社の内陣。

    出羽神社の内陣。

  • 左側に湯殿山神社の大山祇命,大己貴命,少彦名命をお祀りしています。

    左側に湯殿山神社の大山祇命,大己貴命,少彦名命をお祀りしています。

  • 湯殿山神社の内陣。

    湯殿山神社の内陣。

  • 出羽三山神社霊祭殿。出羽三山は古くから祖霊安鎮のお山とされてきました。

    出羽三山神社霊祭殿。出羽三山は古くから祖霊安鎮のお山とされてきました。

  • 昭和58年に再建された建物で、本殿に次ぐ荘厳な建物です。<br />ご先祖の御霊を供養する風習が現在も行われています。

    昭和58年に再建された建物で、本殿に次ぐ荘厳な建物です。
    ご先祖の御霊を供養する風習が現在も行われています。

  • 東照社。50世執行別当天宥法印は、寛永18年(1641)に天海大僧正(後に慈眼大師の諡号を賜う)の弟子となり、羽黒一山を天台宗に改宗しました。その際に、東照大権現を羽黒山に勧請することが条件だったそうです。

    東照社。50世執行別当天宥法印は、寛永18年(1641)に天海大僧正(後に慈眼大師の諡号を賜う)の弟子となり、羽黒一山を天台宗に改宗しました。その際に、東照大権現を羽黒山に勧請することが条件だったそうです。

  • 天海大僧正は鶴岡城主酒井忠勝に働きかけ、天保2年(1645年)に社殿を寄進しました。明治に入り東照宮は東照社と改められました。現在の建物は昭和55年に再建されたものです。

    天海大僧正は鶴岡城主酒井忠勝に働きかけ、天保2年(1645年)に社殿を寄進しました。明治に入り東照宮は東照社と改められました。現在の建物は昭和55年に再建されたものです。

  • 末社。左から大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社。<br />

    末社。左から大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社。

  • 放水銃がありました。三神合祭殿は過去に何度も焼け落ちています。皆さんも火災防止にご協力ください。<br />境内を回っていると、五重塔から登ってきたらしい人を何人も見かけました。お疲れ様でした。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

    放水銃がありました。三神合祭殿は過去に何度も焼け落ちています。皆さんも火災防止にご協力ください。
    境内を回っていると、五重塔から登ってきたらしい人を何人も見かけました。お疲れ様でした。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

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