2022/10/14 - 2022/10/15
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FUKUJIROさん
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かつて男鹿半島の付け根部分には八郎潟という大きな湖がありました。
昔々この湖には八郎太郎という龍が棲んでいましたが、八郎潟は冬に凍ってしまうため、冬でも凍らない棲家を求めていました。
ある時、渡り鳥から山奥の田沢湖に辰子という美しい娘(龍)が棲んでいると聞き、会いに行きました。八郎太郎は辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れました。
それ以来八郎太郎は冬になると辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったと云われています。
八郎潟は、かつては面積220km2と琵琶湖に次いで2番目に大きな湖でしたが、大東亜戦争後の食糧難の時を経て、食糧増産および働き口のない農家の次男・三男の移住先として、日本最大の干拓事業が進められました。
この干拓事業はオランダから技術協力を受けて実施され、十数年の歳月と約900億円の費用が投じられました。ただし、サンフランシスコ講和条約をオランダに批准させるため、賠償金の代わりにオランダへ技術協力費を支払うための事業だったとも言われており、本当に必要だったのか疑問が残ります。
この干拓事業により、八郎潟の大部分は陸地化され、陸地部分には新たに大潟村という地方自治体が設置されました。昭和39年(1963年)10月1日に発足した大潟村は、合併や分割によらない日本最後の新設自治体です。
1日目
秋田へ移動、千秋公園(久保田城址)を散策、午後は仕事。
2日目
大平山三吉神社に参拝し、男鹿半島の「なまはげ」国を探検。
3日目
旧八郎潟を探検し、土崎みなと歴史伝承館に立ち寄りしてから帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 徒歩
-
入道埼灯台から男鹿半島の北側を東進していると寒風山が見えました。頂上に展望台らしき構造物が見えています。
寒風山から眺望は素晴らしいとのことですが、道路を走っていると森や丘が多くてなかなか見えません。 -
砂丘温泉ゆめろん。
海近くののどかな田園地帯に建つ庶民的で気さくな日帰り温泉ですが、宿泊施設も完備しています。 -
塩化物泉の温泉は、炭酸浴、露天風呂、貸切風呂と、流行りのロウリュウサウナ室もあります。
源泉名は八竜砂丘温泉で、ナトリウム塩化物強塩泉です。神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・疲労回復・健康増進・痔疾に効くようです。 -
チェックインして部屋に向かう途中にサンセット見学タイムの看板が出ていたので、期待しました。
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部屋に荷物を置いて、急いで展望場所にきましたが、これじゃ夕日は無理だよな。
そう思いながらも日没時間まで20分位待ちました。 -
これがベストの状況でした。ギリギリ水平線は見えていますが、雲が出ていて残念でした。
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宿泊したシングルルーム。
一般的なビジネスホテルとほぼ同じです。 -
トイレと洗面所はありますが、風呂はありません。
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夕食です。蓋付きの焼き物は何だったか、忘れました。
全部美味しくいただきました。 -
今宵も秋田の地酒をいただきました。
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館内にもなまはげ様。
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朝食です。美味しくいただきました。
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部屋からの眺めは、林でした。
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泊まった砂丘温泉ゆめろんですが、地図を見ると、かつての八郎潟の北端付近にありました。
そこで最終日は八郎潟を探検することにして、まずは北端を探しました。
特に標識などはありませんが、この小さな水路が流れ込んでいるここが八郎潟北端です。 -
八郎潟は干拓に際して、干拓地を縁取るように東側と西側に水路を残しました。
こちらは西側の水路です。水路に沿って南へ移動しました。 -
八郎潟の周りを走るだけでは面白くないので再び地図を見ると、八郎潟(大潟村)の真ん中あたりに「日本一低い富士山」の文字があるので見に来ました。
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日本一低い富士山ではなくて、日本一低い山でした。
日本一低い山として国が公認しているのは、仙台市宮城野区の比和山(標高3.00m)のはず、見たところ3m以上の高さがありそうだし、謎が深まります。 -
八郎潟干拓記念碑。高さ3.776mです。
この碑のてっぺんが、八郎潟の水位(海抜0m)でした。いつも忘れることがないように建てられています。 -
この説明板を見ると謎は解明しました。
湖を干拓してできた土地の海抜はマイナスなんですね。そこに盛り土したから標高が海抜0mの「日本一低い富士山」ができました。 -
日本一の富士山の千分の一、3.776mの大潟富士登山に挑戦します。
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大潟富士の頂上です。ここが海抜ゼロメートル。
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大潟富士の頂上、海抜ゼロメートルから南方向の眺め。稲を刈り取った後の田圃が広がっています。
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東側と西側は樹木に遮られて眺望はありません。
北側には八郎潟干拓記念碑と中央幹線排水路に架かる御幸橋。 -
もう一つの変わり種スポットが、大潟村ができたから、発生した日本唯一の場所です。
この看板が目印です。 -
田圃と水路に挟まれたダート道をしばらく走りました。
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大潟村の中央付近に北緯40度線と東経140度線の交会点があります。
10度単位での交会点が陸地にあるのは、日本ではここだけです。 -
奥に見えるモニュメントが貴重なポイントです。
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経緯度公会点表示塔。
ここが北緯40度線と東経140度線が交差している交会点です。私は東経140度線上に立ち、真南を見ています。曇っているので太陽は見えません。
ただし厳密には、平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって変動があったはずで、また、日本の日本経緯度原点も変動したので、わずかに位置がズレています。 -
今度は北緯40度線上に立っています。
真東を見ています。
以前は大きな湖の真ん中でしたが、干拓されて地面になったことで体験することができるようになりました。 -
モニュメントの脇には世界地図がありました。
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大潟村の田圃。
現在は米以外にもメロンやりんごの生産地になりました。 -
大潟村干拓博物館です。
大潟村ができた経緯や八郎潟の歴史などを展示した博物館で大人300円でした。 -
建物の前に大潟村の開発に関係した方々の胸像がいくつもありました。
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博物館の受付でモニュメントを写した写真を見せると、経緯度交会点到達証明書をもらいました。先にモニュメントを見ておいて良かった。
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埋め立てられる前の八郎潟。
巨大なパネルが展示されています。 -
そして、埋め立てられた後の八郎潟。
南端がどうなっているのか、とても気になります。 -
この展示で大潟村の歴史がわかります。
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巨大な青い円錐形が逆さまに吊るされています。
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海面より低い大潟村では、常に排水しなければなりません。
そのため村の南北に2つの排水機場が整備され、フル稼働すると1秒間に80トンの水を排出できるようになっています。これは80トンの水量を見せるための展示です。 -
北部排水機場で使われていたポンプの羽根車。直径は1.5mほど、ポンプ1台で1秒間に8トンの排水能力があります。
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歴史パネルの説明、オランダからの視察団が来ました。
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オランダ技術援助機関がまとめた予備報告書。
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ピーター フィリップス ヤンセン氏。
大学教授や世界銀行顧問を歴任し、八郎潟干拓の重要性を説いた人物。 -
ピーター フィリップス ヤンセン氏らの視察団一行が記した「八龍妙」。
ナマズのように見えますが、龍なんでしょうか。 -
干拓作業のジオラマ。
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入植者の生活の様子が展示されています。
当初の目的にあるよう、農家の二男・三男が入植し、共同生活してたのでしょうか。 -
干拓した土地はすぐにヘドロ状になり、農業機械を動かすことも困難でした。
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農家の二男・三男が多く入植したようなイメージの展示です。
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米を運ぶフレコン(米の袋)が積み上げられています。大潟村では、一戸当たり平均15ヘクタールの耕作を行っていて、この写真の量約85トンの収穫があります。
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木彫「大地の家族」。蒲田俊夫氏作。
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大潟村では、地面がほぼ平らな特性を活かして、省エネ車のレースが実施されています。
これは太陽電池を張り巡らせた車。 -
屋根に太陽電池を貼ったソーラーバイシクル・トンカチ号。
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水素をエネルギーとする燃料電池車。
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八郎太郎と辰子の伝説を元に製作された木彫の八郎太郎Iと八郎太郎Ⅱ。いずれも蒲田俊夫氏作。
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大潟村出身のアイドル・鈴木絢音(すずきあやね)さんのパネル。乃木坂46のメンバーです。
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館内では堤朗(つつみあきら)氏の写真展が開催されていました。
博物館に隣接して(建物は一体)、道の駅おおがたがありました。 -
大潟村唯一の神社、大潟神社に来ました。
入植者の心の支えとして神社創建が要望され、昭和53年(1978年)11月に実現しました。
なお、干拓地という制約のため大潟村にお寺はありません。 -
大潟神社の拝殿。
昭和48年(1973年)に行われた伊勢神宮の第60回式年遷宮により、翌年、伊勢神宮の瀧原竝宮の古材をすべて譲り受け、社殿が建てられました。
御祭神は、天照大神(あまてらすおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、八郎太郎大神(はちろうたろうのおおかみ)の三柱です。 -
大潟神社の扁額。
八郎潟の龍神である八郎太郎大神もしっかり祀られています。 -
境内に土俵がありました。
大潟神社の例大祭(村祭り)は毎年9月10日に行われ、村内をお神輿が行進するほか、奉納相撲も行われます。 -
八郎潟の最南端を見るため、博物館で得た情報を頼りに湖南交流センター( 潟上市昭和大久保後谷地4)にやって来ました。
話が聞ければと思っていましたが、土曜日のため閉館でした。 -
潟上市のマンホール蓋。
合併前の旧昭和町のもので、町章と町の花・バラがデザインされています。 -
土手の先には八郎潟残存湖(はちろうがたざんぞんこ)があります。
手前は雑地となっていますが、かつてはこの辺りまで湖が広がっていたようです。 -
八郎潟の名残の用水路。
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八郎潟の名残の用水路、蓮が繁殖しています。
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住吉丸。使える状態ですから、残存湖で使われているのでしょうか。
歩いている人もおらず、これ以上の情報収集を諦めて八郎潟の探検から撤退しました。 -
秋田駅へ戻る前に、土崎(つちざき)みなと歴史伝承館に立ち寄りました。
展示が充実しているにも関わらず、無料でした。 -
土崎神明社祭で使われた高さ11.5mの曳山が展示されています。
明治の中頃は高さを競い合い、最大21mの曳山もありました。
イザベラ・バードは「日本奥地紀行」で祭りを紹介しています。
「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。 -
土崎神明社祭で使われた曳山。
安倍貞任(あべ のさだとう)。奥州六郡の長。 -
清原武則(きよはらのたけのり)は、出羽の豪族。
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藤原経清(ふじわらのつねきよ)は、奥州亘理地方を支配、藤原清衡の父。
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源義家(みなもとのよしいえ)。
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曳山の頂上、この曳山は前九年の役を題材としているのかな。
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曳山の後側には、「見返し」のおとぼけ人形が乗せられています。
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土崎神明社祭で使われる曳山は、その飾り方に決まりがあります。
後側には、二つの大きな岩(男岩と女岩)を配し、その中央からは滝を流すデザインです。 -
曳山の模型、岩山は男岩と女岩の二つに割れています。
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曳山行事の映像コーナー。
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土崎港のマンホール蓋。
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北前船の模型。土崎港は江戸時代に久保田藩の藩港として、北前船の寄港地として栄えていました。
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北前船の模型。
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秋田周辺のにぎわいを描いた「秋田街道絵巻」を実物大のタッチパネルで展示しています。
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5枚分をつなげてみると、町の賑わいが良くわかります。
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日本最後の空襲のひとつである土崎空襲について、被爆した旧日本石油秋田製油所の倉庫の一部を移設再現したコーナー。
秋田市八橋地区などでは現在も原油が産出していますが、大東亜戦争の最中、今よりもずっと貴重な資源でした。 -
土崎空襲で被爆した旧日本石油秋田製油所の倉庫の一部を移設再現したコーナー。
その原油を精製していたのが、旧日本石油秋田製油所でした。 -
土崎空襲で被爆した旧日本石油秋田製油所の倉庫の一部を移設再現したコーナー。
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土崎空襲で被爆した旧日本石油秋田製油所の倉庫の一部を移設再現したコーナー。
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土崎空襲で被爆した旧日本石油秋田製油所の倉庫の一部を移設再現したコーナー。
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土崎空襲の様子。米軍の標的は、旧日本石油秋田製油所でした。
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土崎空襲の様子。「油の一滴は、血の一滴」と言われていました。
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土崎空襲で被爆した倉庫。製油所は木っ端みじんに破壊され、この倉庫だけが残りました。
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土崎空襲の様子。
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土崎空襲で投下された爆弾。
米軍が落とした爆弾は、100kg爆弾が7,360発、50kg爆弾が4,687発に達しました。 -
土崎空襲で投下された100ポンド不発弾。
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土崎空襲で投下された爆弾の破片。
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米軍の土崎空襲で殺された岩間久平君(小学6年生)が着ていた学童服。
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岩間久平君(小学6年生)が着ていた学童服には、右脇腹から破片が貫通した痕跡があります(修復後)。秋田県内で最も酷い空襲でした。
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2階の展示、倉田よしみ氏による土崎空襲デッサンの1枚。倉田氏は土崎出身、子供の頃に聞かされた空襲の話がベースになっています。
土崎空襲の死者は250人以上、負傷者は200人以上とされています。 -
大井錦亭氏の書、「自詠(ふるさと)」。
土崎生まれの大井氏は、国鉄勤務を経て書家に転身、数々の賞を受け、平成24年に旭日小綬章を受賞しました。 -
大井錦亭氏の書、「燦めく港魂ふるさとの人」土崎港祭りにて。
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2階から見た曳山。外はいつの間にか青空になってました。
レンタカーを返して、こまちで無事に帰りました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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