2021/06/03 - 2021/06/03
70位(同エリア399件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1781冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,495,337アクセス
- フォロワー171人
生田緑地の日本民藝館の見学が終るとすでに午後3時でした。少々疲れていましたが奥門からメタセコイアの林を通り抜けました。まっすぐ伸びた幹を通り抜ける風が気持ちよかったです。さらにまっすぐ進むとせせらぎの音が聞こえてきました。たったそれだけのことなのですがこの1年半で外出したのは仕事以外ではたった6日だけだったので心が洗われる気がしました。人工的な段々を流れる水にこんなに感動するとは思いませんでした。それだけストレスがたまっていたのだと気が付きました。階段を登りきるとそこが岡本太郎美術館でした。学生の頃から青山に岡本太郎のアトリエがあることは知っていましたし、記念館になってからでも20年経っていますが一度も行ったことがありませんでした。昨年発売されたクレアトラベラーの東京や最近発売されたカーサブルータスの特集で改めて作品を見ていいなと思えるようになりました。岡本太郎との出会いは1970年の大阪万博で、太陽の塔の裏側でフィンランド民謡の「レットキス」 (Letkiss) を踊った時でした。日本では坂本九が永六輔の作詞で「レット・キス (ジェンカ)」の曲名でカバーした曲がまだ頭の中に残っています。初めて外国人の方とコミュニケーションしたのもこの時でした。もちろん太陽の塔の内部は小学生には物凄いインパクトを与えました。建築やインテリアの職業に就いたのもこれがきっかけだったかもしれません。今年の秋には大阪を旅しようと考えているので、万博公園にも行きたいと考えていて、その前に美術館は見ておかなければと思いました。20年位前までは岡本太郎の絵画はあまり好きではなかったのですが、同じように好きでは無かったエル・グレコの絵画が好きになったように、数年前に竹橋の国立近代美術館の常設展で久し振りに観たら心にスッと届くように思えました。サルバトール・ダリについても同じことが言え、30年前は行こうと思わなかったフィゲラスの劇場美術館に行きたくなって数年前に夢を叶えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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日本民藝館の見学を終えてメタセコイアの林を抜けると日差しも遮られ手風も通るので気持ちよい気分になりました。
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そして美術館の階段の脇に流れる人口のせせらぎの音に感動すら覚えました。それくらいこの1年3か月はどこにも行かず家に閉じこもったストレスがあったのだと感じました。
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階段を上がった右手にはカフェが見たので、美術館を見学した後に立ち寄ることにしました。
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カフェの前の池には大阪万博の地下に展示されていた「樹霊1」が展示されています。この地下には世界各地から集められた仮面や神像が展示してあったのを覚えています。
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残念ながらこの像には全く記憶がありませんでしたが、ちょっと近鉄バッファローズのマークに似ていると思いました。
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階段を使わずにエレベーターで上がってきた妻と合流して博物館の見学に移ります。
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今日この美術館を見学して、来週は青山の記念館を見学して11月に大阪の万博公園に行って太陽の塔を再訪する予定です。50年前の3月と8月の2回、父に連れられて見学に行きました。人気のあるパビリオンは2時間から3時間並ぶ状態でしたが、アメリカ館もソヴィエト館も通用口から入って並ぶことはありませんでした。50年経ったので時効だと思いますが、父は勤めていた共同通信社のプレスの腕章を持っていました。
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エントランスにはいきなり作品が展示してあります。これは「若い太陽の塔」の模型で、愛知県の犬山遊園にある日本モンキーパークにある1969年に完成した作品です。設置1年後の1970年に大阪で開催された万国博覧会のシンボルとなった全長70メートルの「太陽の塔」のプロトモデルといわれており、「顔」の部分の類似などを比較して楽しむこともできます。2003年から老朽化のため一般公開を中止していましたが、寄付などを元に改修を進め2011年から再公開しています。
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今月の下旬に緊急事態宣言が解除されたら名古屋に行こうと考えています。犬山城と明治村と木曽川の鵜飼には行く予定ですが、ここでこの模型を見てしまうと諦めたモンキーパークに行かなければと思ってしまいます。
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日本民藝館のチケットを提示すると美術館の見学は2割引きになりますが、2500円分のチケットを2,000円で購入した方が少しお得です。
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オーバルのキャノピーの先に赤い壁が見えてきました。もうこの辺りからドキドキです。
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ロケーションは違いますが、スペインのフィゲラスのダリの劇場美術館へ行った時の雰囲気を感じました。
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若い頃は全く岡本太郎に興味が無く、テレビのCMで見た「芸術は爆発だ!」とか「グラスの底に顔があってもいいじゃないか。」くらいの印象しかありません。その当時は日本画や仏教美術が好きでしたから。海外の美術でも18世紀くらいまでの古典絵画や彫刻までで、それ以降の美術に興味はありませんでした。
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数年前に安田靫彦展を観に行った竹橋の国立近代美術館で岡本太郎の作品を見てから気になりだしました。ここの常設展示には作品が4点展示されていました。
「コントルポアン(Counterpoint)」1935/1954
コントルポアンとはフランス語で音楽理論の用語で、旋律同士を同時に組み合わせる作曲技法を意味しているそうです。 -
「夜明け(Dawn)」1948
様々な矛盾を矛盾のままに対決させる「対極主義」という制作理念を唱えて戦後の美術界に旋風を巻き起こしたそうです。 -
「反世界(Anti-World)」1964
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「燃える人(Men Aflame)」1955
第五福竜丸の被爆事件を着想して描いたそうです。
この4点を見て岡本太郎の印象が全く変わりました。そしていつか美術館に行きたいと思いながら5年の月日が流れてしまいました。 -
「サカナ(Fish)」1973
赤い魚を何かが捕まえた瞬間でしょうか。赤い魚の諦めにも見える感情の無い眼と捕食者の眼の力強さの違いを感じます。そしてその眼をじっと見ていると不安な気持ちになってきます。 -
「挑み(Challenge)」1975
右上から何かが襲い掛かっているのでしょうか?輪郭のはっきりした黒色とその周りの白色と群青は躍動感を感じますが、赤い色と黄色は見ているものを不安にさせます。 -
「にらめっこ(Staring at Each Other)」1978
「にらめっこ」は1975年に出版された岡本太郎のユーモアエッセイ集のタイトルで、青春の孤独をかみしめていたパリ時代に陰鬱な気分で植物園に出掛けて、その片隅の小さな動物園に訪れた際の出来事が「にらめっこ」として収められています。 -
檻の前でヒョウと対峙する若き日の岡本の姿が描かれています。「その暗くやきつく眼に、私の全身の孤独感が、青い炎のように燃えあがった。言いようのない共感と憎悪が、天地でたったひとりの相手として集中する。私はにらみつけた。険悪な、異様な対峙。…生命の瞬間のぶつかりあい。その濃い交歓に全身がひらいた。」とあります。
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「二人(Two)」1948
「女の見る世界と男の見る世界は違う」と岡本太郎は言ったそうです。まったく異ったポイントから世界を見ている。違うからこそ惹かれあい、一体になるのだ。 -
右側の男性が左側の赤いリボンの女性に花をプレゼントしているのでしょう。岡本太郎の描く眼の形はほとんどが円形ですが、この三角形の眼は好きになれません。
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モナミは最初は芝の洋菓子店である白十字堂として開店しましたが、1929年には銀座にモナミとして開店します。以後、新宿と東中野に支店を出しますが、主人である幸田文輔の夫人が岡本かの子(岡本太郎の母)の秘書を務めていた男性と親戚だったという縁で岡本かの子が命名したそうです。モナミの1軒の支店が東中野で文芸評論家の花田清輝と芸術家の岡本太郎が「夜の会」という会を発足させ、安部公房、野間宏、埴谷雄高らの当時一流の作家、評論家などがメンバーとなります。第1回の集まりは上野毛の岡本のアトリエで開かれますが、その後東中野のモナミが会場となって芸術運動の常設的な公開の場所となったそうです。
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「クリマ(Climate)」1951
フランス語で気候や気象といった意味の「クリマ」は目の付いた物体がうねるように描かれており、強烈なエネルギーが満ちているようです。 -
「まひるの顔(Face in Midday)」1948
踊るように戯れるカップルは視点を変えると読書する大きな顔にも見えます。戦前からピカソに衝撃を受けていた岡本太郎は彼を乗り越えなければならないと説いていたそうです。ただ、この絵を見た瞬間にピカソの「アヴィニョンの娘たち」を連想してしまいました。 -
「夢の鳥(Dream Bird)」1951
磁器製のティーセットのタイトルも「夢の鳥」ですが、鳥を食べている男の顔なのでしょうか?個人的にはこの作品もピカソやシャガールの影響を感じました。 -
「犬の植木鉢(Flowerpot in the Shaped Dog)」1955
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4本足の体に人間のような顔が合体した不思議な彫刻は題名の通り彫刻でありながら植木鉢としての機能を持っています。その背中には3つの穴が開いており、そこに植えられた草花は彫刻を覆うかのように茂り、やがて植物と一体になるというのが岡本太郎の意図のようです。
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「歓喜(Rejoice)」1963
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「明日の神話」は1968年のメキシコオリンピックのためにメキシコシティ中心部に建築中だった、当時ラテンアメリカ一の規模の44階建てホテルのために製作されたもので、現地の建築家との打ち合わせの写真と、原画制作中の岡本太郎の写真パネルが展示されていました。
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「豊穣の神話(Myth of Fertility)」1971
「太陽の塔」と同時期に制作され、対の作品と言われている「明日の神話」の原画です。メキシコで製作された本作は長年行方不明となっていましたが、岡本敏子さんの尽力で2003年に発見され、修復を経て渋谷マークシティの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路に設置されています。 -
この作品は、1954年にアメリカの水素実験で被曝した「第五福竜丸」と、それから立ち上がろうとする人間の強さが描かれている作品として岡本太郎作品の中でも高く評価されています。
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作中では核兵器に焼かれる人間を描いています。岡本敏子によれば「焼かれる骸骨は口を大きく開けて笑っており、人間の誇りとしての怒りを爆発させている姿である」といいます。
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右に第五福竜丸、左に平安な世界で憩い合う人々が描かれています。ピカソの反戦壁画「ゲルニカ」を彷彿とさせると言われますが、個人的には高校の修学旅行で広島に行く前に行った丸木美術館の「原爆の図」を思い出しました。
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岡本太郎がデザインした「ゆったり」にゆったり座る妻は椅子とほぼ同い年です。
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平日の遅い午後に美術館を訪れる人も少なく、のんびり見学できたのは良かったです。
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「黒い生きもの(Black Beast)」1961
先ほど民藝館の近くで2メートルほどのアオダイショウを見たばかりなので蛇に見えてしまいます。 -
この椅子はイデーで復刻盤が販売されていると知りました。座りやすいので調べてみましたが、ちょっと予算オーバーなので諦めました。そういえば昔のイデーショップは岡本太郎邸の横にありました。
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「夢の鳥」のティーセットを制作する姿の写真。三郷陶器で作られていたと初めて知りました。
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実際に造られた製品も展示されていました。販売当時は値段が高くてあまり売れなかったと聞いたことがあります。岡本太郎の陶器を見ていてピカソのことを思い出しました。
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1946年の夏にピカソは恋人と南仏へ出掛け、ヴァローリスという陶器の町を訪れます。その町の工房で土をこねて陶器を2点3点製作します。ピカソはその作品を気に入って、本格的に陶芸を始めた翌年の1947年にはヴァローリスに移り住んで、1948年にかけて数百点もの陶器作品を造っています。
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ベルギーのブリュッセルの産官とネール美術館に収蔵されているペルーの陶器や白山陶器のG型しょうゆさしを思い出させます。これは男の子と女の子を表しています。
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一転してこちらは岡本太郎が制作した1点物の作品です。岡本太郎にとっての「食」は、自身の中の原始的な感動をよびさますものであり、生活と芸術は一体であるという岡本の理念を実現させる糸口の1つでもあたそうです。
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「味(Taste)」1988
この味の皿はどこかで見た記憶があるのですが思い出せませんでした。 -
驚いたのは茶湯の茶碗の数々です。自宅での実験的な茶会も今回の展示会で紹介されていました。
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ほとんど古代中国の三星堆遺跡から出土した仮面のようなデザインです。
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この蕎麦釉のような茶碗は売っているのであれば買いたいくらいです。
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沓茶碗に顔があってもいいじゃないか!
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「動物(Animal)」1959
コンクリートとは思えない柔らかさがあります。まるで紙粘土で造られたような手づくねの温かみを感じます。 -
気が付いたら妻は先に進んで椅子に座っていました。
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「手の椅子(Hand Shaped Chair)」は中国たタイの現代アート作家の作品と言われても違和感がないと思います。
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「駄々っ子(Terrible Child)」1969
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1973年に積水ハウスの宣伝活動用に西ドイツのWDL社から輸入され、定置場は埼玉県のホンダエアポートでした。 巨大な「目玉模様」とカラフルな原色のデザインなど、他の飛行船とは一線を期する塗装を施されレインボー号と命名されました。
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当初はスポンサー企業の積水ハウスの社名が船体に書かれていましたが、岡本太郎が「大空はみんなのものだ。 そこに広告を入れて飛ばすなんてけしからん!」と発言し、積水ハウス側もそれを受け入れたために宣伝用飛行船としては異例の会社名や商品名の入っていない機体として日本の空を飛ぶことになりました。
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中学校にあがるころに埼玉県の桶川の知人宅に遊びに行き、その翌日にセスナに乗ろうという話になってホンダエアポートに行ったことがありました。東京都内でも飛んでいるのを見たことがあった飛行船が真近に係留されているのに驚いた記憶があります。
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「坐ることを拒否する椅子(Chair Refusing to Seat Anyone)」1963
腰を掛ける座面にあたる部分に目や口がかたどられたユニークな生き物のような外観の作品です。一見して椅子には見えない姿で、本来は機能性を重視されるはずの家具という日常的なオブジェクトの合理性に問いを投げかけているようです。岡本太郎はパリ大学(ソルボンヌ大学)においてヴィクトール・バッシュ教授に美学を学んでいます。「何のために絵を描くのか」という疑問に対する答えを得るため、1938年頃からマルセル・モースの下で絵とは関係のない民族学を学んだといわれていますがその影響を感じる顔です。 -
岡本太郎の商業的な作品のコーナーです。
テーブルは「原色卓(Table in Primal Color)」1967
色の組み合わせはピエト・モンドリアンの「コンポジション」のようでもあります。 -
顔の描かれたガラスの水差しはキリンシーグラムのロバートブラウンのノベルティグッズでした。アイスペールの「まつげ」も同じシリーズです。
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そしてシリーズの初めにもらえたグラスです。「グラスの底に顔があってもいいじゃないか。」なんてTVコマーシャルは印象に残っています。
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これもよく覚えています。1985年のつくば万博の年に販売されたブランデーのシャトランとエンブレムです。つくば万博に合わせて筑波西武の新規開店で数か月出張していました。
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「若い時計塔(Young Clock Tower)」1966
これも懐かしいですね。銀座の数寄屋橋公園に実際の「若い時計台」が立っています。銀座8丁目の金春通りの東哉のお店に行くときに通りかかったのを思い出します。大船から汽車に乗った小津安二郎は新橋から東哉で待ち合わせして銀座で飲み歩いていたと叔母に聞いたことがあります。 -
立体作品のコーナーに差し掛かりました。
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おどろおどろしい雰囲気の部屋です。色合いが違いますが子供の頃に入った大阪万博の太陽の塔の中に入った感覚が蘇ります。
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「樹人(Tree Man)」1971
これは見た記憶があります。箱根の彫刻の森美術館にありました。アニメの新世紀エヴァンゲリオンを初めて見た時に使徒のガギエルとかはここからイメージしたのではないかと思ったものです。 -
「風鐸(Bell)」1966
「鐸」は古代中国において用いられた柄付きの青銅器の楽器で、鐸は柄を持ちもう一方の手にもった打器で鐸を打ち鳴らして音をだしていました。弥生時代に製造された釣鐘型の「銅鐸」は紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作されましたが、20世紀に進化したのだろうかと思いました。 -
「祭り(Festival)」1985
岡本太郎は「祭りは人生の歓び、生きがいだ。ふだん人は社会システムにまき込まれ、縛られて、真の自己存在を失っている。だが祭りのときにこそ宇宙的にひらき、すべてと溶けあって、歌い、踊り、無条件に飲み、食らい、全人間的なふくらみ、つまり本来の己をとりもどすのだ。」といいました。 -
何十年や何百年と受け継がれてきた祭りから道具や楽器や衣装や色を全てそぎ落としたらこうなるのだろうと感じました。オリンピックとパラリンピックのピクトの要素もこの中に潜んでいそうです。
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「縄文人(Man of the Jomon Period)」1982
岡本太郎はパリ大学(ソルボンヌ大学)でフランス民族学の父とも称されるマルセル・モース門下で民族学を修めた芸術家であり民族学者でした。火焔型土器の写真を載せた「縄文土器論」で提示したのは、考古学的な解釈ではなく縄文土器の造形美や四次元的な空間性や宇宙観の解釈だったそうです。 -
縄文文化というと今では日本文化の源流だと認識されていますが、つい50年前までは日本美術史に縄文は存在しませんでした。縄文の美を再発見して日本美術史を書き換えたのは岡本太郎でした。個人的には諸星大二郎の「暗黒神話」で縄文土器に心惹かれて上野の国立博物館に通ったことがありました。
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「躍動(Liveliness)」1981
姫路市にあるモニュメントには「大空に向かってそびえるモニュメントは、天に向かって伸びあがり、大地から身を躍らせる、自由感、生きる喜びを象徴してあります スポーツの喜びは、勝ち負けでなく、無条件に心身を躍動させ、天と地の間に命を開ききる事です。その意味で「躍動」と名付けられました」とあります。 -
「喜び(Joy)」1969
岡本が生まれ故郷の川崎市の小学校に「喜び」の像を残しました。子どもが丸いボールに乗り、天にむけてリボンを掲げています。こちらは昭和60年に川崎市立藤崎小学校創立30周年を祝って制作されたものです。 -
実際の岡本太郎は転校を繰り返し、慶應義塾幼稚舎ではクラスの人気者となるも、成績は52人中の52番だったそうです。51番は歌手の藤山一郎で、後年岡本は藤山に「増永(藤山の本名)はよく学校に出ていたくせにビリから二番、オレはほとんど出ないでビリ、実際はお前がビリだ」と語ったそうです。
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「若い時計塔(Young Clock Tower)」の裏側です。
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時計の針が裏と表で時間が違っています。これは何か作為的なものがあるのか単純に狂っているだけなのでしょうか?
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「青い手(Hand-Blue)」1981
相模原市が商店街を活性化して客を伸びこむために岡本太郎に依頼したた対の作品です。はっきりした色合いが目立つ作品で、赤い手のひらはパーの形に開いていて、青い手のひらは指が少しばかり曲がっています。共通点は両方ともユーモラスな顔が書いてあることです。手は岡本が好きだったモチーフでもあります。 -
「赤い手(Hand-Red)」1981
商店街のオブジェは「呼ぶ 赤い手・青い手」というタイトルで、1982年に設置されました。それぞれ横幅は3.6メートルで台座と合わせると高さは5.4メートルの大きさで、「宇宙をつかみ、客を呼ぶ」という意味が込められているそうです。 -
樹人に上から見据えられているような気分になってきます。
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少し横に回ると視線を感じなくなるので落ち着きます。
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他の見学者の方が来たので部屋を後にします。この部屋は絶対に1人で見学したほうが良いと思います。
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常設展示室はここまでで、この先は企画展示室になります。その途中の通路は岡本太郎のバイオグラフィー的な展示になります。
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壁一面にコラージュされた写真を見ていると同じ時代に生きたジェフリー・バワとベヴィス・バワに共通するものを感じました。
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実際は交流は無かったと思いますが、大阪万博では岡本太郎は「太陽の塔」を、ジェフリー・バワは「セイロン館」を担当しています。繊維館に展示されていたシュルレアリストのルネ・マグリットの代表作である山高帽に黒いフロックコ-トの男を四谷シモンが制作していたりすごい時代だったのだと改めて感じます。
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愛用のオリンパスペンFTが展示されていました。50年から60年代にかけて大量に写真を撮影していたそうで、日本を撮ったものだけに限っても1万3千カット以上、韓国、インド、メキシコ等の外国の写真を加えれば2万カットを超えるそうです。常設展示室にあったメキシコで撮った「死者の祭り」は対極主義を感じましたし、沖縄の弥勒信仰のミルクの面やなまはげの面にも同じものを感じました。
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親交のあったロバート・キャパの公私にわたる相方であった報道写真家ゲルタ・タローのタローは岡本太郎に由来したことを思い出しました。
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企画展示室にも立体造形が並びますが、先ほどの作品から感じた力強さはだいぶ弱まっているように思えました。左手に進むと岡本太郎と父の岡本一平と母のかの子についての展示が始まります。
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「誇り(Pride)」1962
岡本かの子文学碑のための作品です。揺らぐ炎のような、夢幻の白鳥が羽ばたくような姿です。 -
父の一平が朝日新聞の特派員としてロンドン海軍軍縮会議の取材に行くことになり、太郎も東京美術学校を休学後、親子3人にかの子の愛人の青年2人を加えた一行で渡欧します。一行を乗せた箱根丸は1929年(昭和4年)神戸港を出港し1930年1月にパリに到着し、以後約10年間をここで過ごすことになります。1932年に両親が先に帰国することになり、パリで見送りますが、母のかの子は1939年に帰国を待たずに逝去したため、これが今生の別れとなります。
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「空間(Space)」1934/1954
アブストラクシヨン・クレアシオン(抽象・創造協会)の最年少メンバーとして発表した初期の作品です。1932年にピカソの作品と出会い、これを乗り越えようとする中で描かれた作品です。色彩が炸裂するような後の作品に比べると非常にシンプルで、個人的には好きな作品です。 -
「痛ましき腕(Wounded Arm)」1936/1949
1932年にパリに滞在していた岡本太郎は自身の画家としての進むべき道に迷っていたそうです。ある時ピカソの抽象静物画「水差しと果物鉢」を目にし、これを機に抽象画を描きはじめるようになりました。ところが抽象・創造協会に参加するも自身の抽象表現に再度行き詰まってしまいます。 -
模索の末の1936年に「痛ましき腕」という作品を発表します。このリボンは自分を押さえ付けているモノでもあり、がんじがらめの周囲を意味するのかもしれません。強く握られた拳は戦争に向かおうとしていた時代に対する心情を表しているのでしょう。凍作品は1938年にシュールリアリズムの創始者アンドレ・ブルトン制作の「シュール・レアリスム簡易辞典」に掲載されました。
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ピカソの絵画というよりもダリの絵画を思い出させるような作品だと感じました。
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「作家(Author)」1948
眼鏡をかけた老齢の作家が机の上で集中して執筆しています。テーブルの上には帽子が置かれているので外出先で思いついたことを書き留めているようです。 -
「夜(Night)」1947
紺色の不気味な樹木に囲まれる中に背中にナイフを隠し1人立つ女性の姿。
その視線の先には稲妻のような真っ赤な火が燃えて、怒った顔のように見えます。
印象的な「夜」は花村誠輝などの前衛画家が集まる研究会「夜の会」の名前にも使われたことでも知られています。岡本太郎はこの「夜の会」のメンバーで、その後の生涯の伴侶となる平野敏子(岡本敏子)と出会っています。 -
構図も全く違うのですが、エル・グレコの絵画を連想させました。イエス・キリストがオリーブ山の麓にあるゲツセマネの園で十字架刑に処せられる前夜に祈った祈りを思い出しました。30年ほど前は好きでは無かったグレコの作品ですが、年月が経つにつれて好きになり、この数年の間にブダペストの国立美術館やスペイン中の美術館を見学して回りました。
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「森の掟(Law of the Jungle)」1950
岡本太郎が提唱した「対極主義」というのは「芸術家は対極する要素を1つの作品に共存させるべき」という考え方で、当時多くの画家が「無機質と有機質」「抽象と具象、静かと動」など、相反するものを同じキャンバスの上に表現した作品を発表しました。
すると作品は「不協和音を奏でながらも、一つの画面に共生する」(『アヴァンギャルド芸術』美術出版社 1954年)ようになります。
この対極主義は、岡本の芸術感にもなりました。「森の掟」には、画面の真ん中に現代技術が生み出したチャックを体に縫い込まれた怪物が、恐ろしい目をして、平和を襲っている様子が描かれています。 -
人間にかみつく恐怖を暗示する怪物はジッパーを開けてしまうと馬鹿げたものになってしまいます。価値観が安易にひっくり返ってしまう戦後日本の世相をコミカルに表現していますが、コロナ禍の日本にも通じるものを感じました。
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妻はどんどん先に進んでしまいます。
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「重工業(Heavy Industry)」1949
異なる要素が不協和音を発しながら同じ画面に共生し、そこから生まれる反発を芸術に昇華する「対極主義」はここでは赤い歯車と緑色の葱で表されています。 -
歯車の周りの黄色い人々は舞い踊っているのか歯車に組み込まれて飲み込まれていくのか…。
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「ドラマ(Drama)」1958
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「青空(Blue Sky)」1954
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「マスク(Musk)」1959
心の奥底に訴えかけるようないい作品だと思えました。どんなマスクなのだろうか想像してみるとヴェネツィアのカーニバルで見掛ける医者の被るペスト除けの仮面が浮かびました。 -
「駄々っ子(Terrible Child)」1951
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鋭角的表現の左は駄々っ子の岡本太郎自身で、曲線的な表現の右は桃色の犬のようです。大人になっても駄々っ子精神を失わなかった岡本太郎の好きなモチーフだったと言われています。犬は正面から見た姿とお尻の穴なのある後ろ側が同じ平面に描かれています。
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「大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ。」という岡本太郎の言葉が浮かんできます。
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子供の頃は毎日のように絵を描いていたけれど、いつの間にか止めてしまいました。仕事で描く必要の無くなったので、また自由に絵を描いてみたくなりました。
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「建設(Construction)」1956
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中央に描かれたのが建設中のビルでしょうか。右側の画面ではレンチを振り上げる人間の姿とツルハシが見えます。そして左側には巨大な紫色の眼とむき出しの歯がビルを飲み込もうとしているようです。
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「アドレッサン(Adolescent)」1961
アドレッサンは思春期という意味ですが、この画面で何を意味しているのか分かりません。墨蹟のような絵画は梵字の不動明王を表すカーンのようです。50年ほど前に京都中の寺社仏閣を訪ね、御朱印をいただくうちに梵字に惹かれて本を買ってもらったことが役に立ったかもしれません。 -
「装える戦士(Gladiator)」1962
装えるの意味はある事実をおおい隠すための、装いや行動。他人の目をごまかすために他の物事や状況を装うこと。周囲の風景や他の物とよく似た色や形にして、姿を見分けにくくすること。そう考えるとこの絵の意味が少し分かったような気がします。 -
「跳ぶ(Jump)」1963
右側からすごいスピードで紺色の壁にぶつかった人体は黄色い世界と紺色の世界を破壊して紺色と黄色の混ざった紫色の世界を新たに作り出しているようです。 -
「暴走(Violent Rush)」1963
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太い眉と巨大な目玉の怪物は赤い口から牙を出して人間に襲い掛かっています。背景の色遣いがエル・グレコの絵画を見る時の不安な気持ちとリンクしてしまいます。
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「海辺の肖像(Seaside Portrait)」1973
青い海と白い波から海辺だと分かります。カラフルなカニの甲羅に顔があってもいいじゃないか。 -
甲羅に顔というと鬼面蟹という別名でも呼ばれる「平家蟹」を想像してしまいます。壇ノ浦の戦いで無念の思いを抱きながら海へ沈んでいった安徳天皇を始めとする平氏たちの魂が壇ノ浦に沈み、鬼の形相を持つ平家蟹になった話しです。
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ようやく最後の部屋に到着しました。
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「顔VI(Face VI)」1970
雑誌の取材のために日本各地をめぐり、その過程で書や梵字に似た作風に変化していきます。 そして赤い色彩はよりいっそう呪術的な形で現れてくるようです。 -
1970年に大阪で行われた万国博覧会の目玉といえば、岡本の製作した「太陽の塔」といっても過言ではないでしょう。塔の中は「生命の樹」という生物の進化に沿った展示になっていました。万博の期間は黄金の目がサーチライトのように光っていました。「太陽の塔」には3つの顔があり、金色に輝く未来を望む「黄金の顔」、現在を表す「太陽の顔」、過去を表現する「黒い太陽」と名前がつけられていました。
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小学3年生の春休みと夏休みの2回大阪万博に行くことが出来ました。あの時の情熱や熱中したことは今でも感覚が残っています。浦沢直樹の「20世紀少年」はあの時代を切り取った作品だと思います。今年の秋にマイレージの期限もあり、大阪へ行こうと思っています。今回の岡本太郎美術館の訪問もそのプロローグでもあります。
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「記念撮影(Memorial Photo)」1975
題名を見るとなるほどと思える理解しやすい作品です。 -
最初の立体作品の部屋に戻ってきました。
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「こどもの樹(Tree of Children)」1985
2015年に閉館してしまいましたが、青山はこどもの城にあった「子どもの樹」です。学生の頃に遊具の設計が課題にあって、模型を作らなければなりませんでした。そのために青山のこどもの城に行ったことを思い出しました。
他の作品と違い、さまざまな顔がそれぞれひょうきんに、まるで子どものような突拍子もない色をつけられているのが特徴です。 -
「挑む(To Challenge)」1980
この屏風は -
「動物(Animal)」
合間合間にこんな作品があると気が休まります。 -
「よろこび(Pleasure)」1982
ピエロのように見えたのはジグザクの衣装がコメディア・デラルテ中のキャラクターの1つでトリックスターであるアルルカンに見えたからかもしれません。 -
「遭遇(Encounter)」1981
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この作品も新世紀エヴァンゲリオンの使徒のルーツを感じてしまいます。「遭遇」というタイトルさえそう思わせます。
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「裂けた顔(Tom Face)」1980
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裂けた顔といいながら2つを合わせると正面から描かれた顔にも見えます。この描き方は「キュビズム」と呼ばれピカソが最初に始めました。そんな影響を感じました。またその顔は仁王像の阿形と吽形のようにも思えました。
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近鉄バッファローズのロゴマークも岡本太郎のデザインでした。
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最初の立体作品の部屋に戻ってきました。
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「こどもの樹(Tree of Children)」1985
2015年に閉館してしまいましたが、青山はこどもの城にあった「子どもの樹」です。学生の頃に遊具の設計が課題にあって、模型を作らなければなりませんでした。そのために青山のこどもの城に行ったことを思い出しました。
他の作品と違い、さまざまな顔がそれぞれひょうきんに、まるで子どものような突拍子もない色をつけられているのが特徴です。 -
「光る彫刻」以外のFRPのレリーフはあまり心の琴線に訴えかけるものがありませんでした。
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「玉を抱く女(Woman Holding a Ball)」1988
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女性の姿だと思ってもジム・キャリー主演の映画「マスク」を連想してしまいます。
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「マスク(Musk)」1985
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生き物を描いた絵画の眼には虹彩や力が漲るように描いていますが、仮面の場合は虚ろな穴を描いている気がしました。
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「疾走する眼(Dashing Eye)」1992
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特に横に並んでいた絵画が「疾走する眼」だったので比較することが出来ました。この顔も左右別の物にも見えるし1つの顔の左右にも見えます。ここにも対極を感じます。
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「火の接吻(Kiss of Fire)」1970
最後の作品を見てミュージアムショップに立ち寄りました。 -
そして歩き疲れたので併設のカフェで一休みです。生田緑地は犬の散歩をする方が多いようで、散歩途中にカフェに立ち寄られる方もたくさんいらっしゃいました。人間は飲み物を注文して犬も水を貰っていました。
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風が通って気持ちよい時間を楽しみました。
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「母の塔(Tower of Mother)」1971/1990
最後に階段を上った先にある塔の見学に向かいました。もっと小さいのかと思っていましたが、高さ30メートルあるそうです。上の部分から製作して、ジャッキアップして完成させたそうです。 -
母親かの子に対する愛憎念を抱き続けた岡本太郎は「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」と「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」と「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をイメージし、母親への思いを心のままに再現したそうです。
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曲面で覆われた塔の表面は割られた白いタイルで覆われています。これを見て思い出すのはバルセロナのアントニオ・ガウディです。グエル公園に使われているモザイクはカタルーニャ語で言うトレンカディス(破砕タイル)と呼ばれるもので、タイルを一旦細かく砕いた物を建造物の表面に再び装飾として貼り付けたものです。
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もう少し青空であれば写真もきれいに撮れたのに残念に思いましたが、また来る機会もあるでしょう。時間的にも逆光になってしまいました。
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今日のミッションはほぼ完全にこなせました。帰りの電車が通勤ラッシュに重ならないように帰路につきます。
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岡本太郎はパーキンソン病による急性呼吸不全により84年の生涯を閉じましたが、病名も無くなった年齢も父と同じなのを初めて知りました。
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来るときに気持ちよかったせせらぎの音をもう一度楽しんでおきます。
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このメタセコイアの林も気に入りました。
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地元に戻って伊豆大島出身の友人に生田緑地の民藝館と岡本太郎美術館とこの林の話をしたら面白い話を聞きました。1965年に開校した都立秋川高校は都立としては唯一の全寮制高校で、伊豆諸島など全日制高校のない地域の進学先だったそうです。
開校を記念し植樹されたのがメタセコイアで、日本で最初に出来た並木道でもあるそうです。残念ながら秋川高校は2001年に閉校になっています。 -
生田緑地を通り抜けると大きな泰山木の樹がありました。卒業した中学校に泰山木の樹があって、当時の校長先生が「念ずれば、花開く。」と言っていたことを思い出しました。
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直径20センチ以上の大きな花が満開でした。
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D51 408号機は昭和15年4月に日本車輌製造で製造され、昭和46年より川崎市多摩区の生田緑地で静態保存されているそうです。屋根も無いのにピカピカでした。
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疾走するD51を最後に見たのは新潟の笹川流れにキャンプに行った50年ほど前でしょうか。海岸線を走る羽越本線でのことでした。その後動態保存されている京都の梅小路機関区でも見たかもしれません。この秋に大阪の後に京都にも行くので久し振りに機関区をと思いましたが、妻に行ったら怒られそうなので諦めています。
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駅への戻り路に菖蒲園にも立ち寄りました。ここも花が満開でした。
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妻が「お母さんが生きてたら今日も一緒に来れたのに。」と言ってくれましたが、5年前に堀切菖蒲園と柴又へ一緒に行ったことを思い出しました。
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子供の頃は家族で明治神宮の菖蒲園にも毎年のようにいきましたが、2021年は緊急事態宣言中なので見ることが出来ないようです。ここで見ることが出来て良かったです。
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菖蒲は種類が多いので名前が分からないのが残念ですが、とてもきれいでした。
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生田緑地菖蒲園 2021年6月3日 そうそう今日は母の誕生日でもありました。
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生田緑地菖蒲園
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生田緑地菖蒲園
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生田緑地菖蒲園
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生田緑地菖蒲園
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生田緑地菖蒲園
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帰りは同じルートで小田急線で新宿に出て、中村屋でカレーでも食べようと思いましたが、ビルも飲めないのでカレーをテイクアウトしました。
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新宿駅の自由通路も今回初めて通過しました。来週は南青山の岡本太郎記念館と文化村ミュージアムでミイラとご対面です。
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