2017/09/28 - 2017/09/28
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frau.himmelさん
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落葉を敷き詰めた静かなプロムナードを聖パウルス大聖堂に急いでいる時に、この像に出会いました。
その時はどなたの彫像だろう、帰国して調べてみようといつものように軽い気持ちで写真に収めただけでした。
このミュンスターの旅行記を書くにあたりいろいろ調べておりましたら、この銅像のお方のお名前は『クレメンス・アウグスト・フォン・ガレン司教』。
更に調べるとNHK特集で放映された『それはホロコーストのリハーサルだった ~障害者虐殺70年目の真実~』で、ナチスの安楽死計画に敢然と声を上げた、あの勇気あるミュンスターの司教様ではないか。
Eテレのこの番組は、人間としての尊厳を踏みにじるナチスの安楽死政策に、憤りを覚えながら見た記憶があります。
その後、2016年7月にあの忌まわしい相模原障害者施設殺傷事件が起きました。容疑者はヒトラーの思想に共感する発言をしていたと言います。
NHKで、相模原事件の問題提起として、2017年9月にも同番組が再放送されました。
身近に起きたこのおぞましい事件に、前回とはまた違った恐怖を感じながらこの番組を見ました。
皆様の中にもご覧になったかたがいらっしゃると思います。
引き寄せられるように二度も見た番組でしたので、内容はよく覚えておりましたが、司教のお名前はすっかり忘れていました。
こんなところでお会いしたのも何かの縁。
ここで改めて、NHKの番組を振り返り、安楽死計画、ホロコースト、そして相模原事件のことを考えてみるのも私にとってミュンスターに来た意義があったのではないか。
果敢にナチスを非難し「ミュンスターのライオン」と呼ばれたフォン・ガレン枢機卿(1946年2月に枢機卿に任命される)は、1946年3月に亡くなられ、聖パウルス大聖堂に埋葬されています。
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落葉を踏みしめて歩いていると、見えてきたのは聖パウルス大聖堂。
青い屋根の二つの塔を持つ大きな聖堂です。
9世紀初頭に創建され、13世紀に現在の姿になりました。 -
ドイツの代表的なゴシック様式の建築物。
第二次世界大戦で大きな被害を受けたため、戦後改築されました。 -
聖パウルス大聖堂の入り口。
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中央の彫像はこの教会の名前となっている聖パウルス(聖パウロ)の像。
アトリビュートの書物と剣を持っているのでそれとわかります。 -
聖パウロを取り囲んでいるのは12使徒たち。
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内陣は広い。正面祭壇があんなに遠く見えます。
素晴らしい調度品の数々を鑑賞しながら、正面祭壇に近づきます。 -
幼子キリストを抱きかかえる聖クリストフォロス
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ここで見逃してならないのは天文時計とのこと。
側廊の突き当り、人が集まっているところがそうですね。 -
1540年に製作されたもので、ヨーロッパでも貴重な天文時計だそうです。
暦は2071年まで表示されており、太陽、月、金星などが備わったとても精巧なものらしい。
さらにカラクリ時計も付いていて、メロディーを奏でることもできるようです。
写真がボケボケでよく判りませんね。 -
西側の祭壇。
第二次大戦まではここに西玄関がありました。
戦争で激しく損傷したため、大聖堂の大部分は元通りに忠実に修復されました。
しかし西側部分は、1959年修復当時の司教だったミヒャエル・ケラーの意向により、簡素化された壁になりました。
16個の小さな円状、4個の正方形を成す丸窓は「ケラーの窓」と呼ばれています。 -
バロック様式の祭壇
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(上)Laurentiusの小祭壇、(下)Stephanus小祭壇
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聖キリアン。
ヴュルツブルクの司教でしたね。 -
ステンドグラス
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Friedrich Christian von Plettenberg大司教の墓碑。
時計がついていて、現在も動いています -
三位一体礼拝堂の祭壇
この絵は幻想的に描かれていますが、「ピエタ」像らしいです。
南の塔 -
正面祭壇に近づきました。
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中央に置かれているのは黄金の使徒像が納められた祭壇。
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正面祭壇の裏側、Cherum gangです。
ここには4つの礼拝堂が並んでいます。
これはマキシムス礼拝堂。 -
中にはキリスト磔刑像がおかれています。
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その隣はルドガー礼拝堂。
この中にクレメンス・アウグスト・フォン・ガレン司教のお墓があったのだそうです。
見逃してしまって、本当に残念です。
さてそれでは、ここからヒトラーの安楽死計画を敢然と非難した勇気あるフォン・ガレン司教のことです。 -
皆様は、T4作戦ってご存じですか?
1939年ヒトラーによって承認された安楽死政策です。
知的障害、身体障害者、回復が望めない病人、あるいは優生学的に劣等とされる遺伝子を持つ者など、ナチスが「生きる価値のない生命」と位置づけた人々が秘密裏に殺されていったのです。
◆ベルリン ティーアガルテン4番地にあったT4作戦本部。
現在はベルリンフィルハーモニーが置かれているところだそうです。
パソコン画面から取ったので写真なので見難い写真で申し訳ありません。 -
その中には、奇形児、聾唖者、盲人、てんかん患者、結核患者、労働不能者、老人ホームの入居者なども含まれていましたから、一度に大量の虐殺ができる装置が必要となりました。
そこで思い浮かぶのが、数百万と言われるユダヤ人が虐殺されたガス室。
ところがこのガス室、ナチス政権の最初のガス室はユダヤ人を殺すためのものではなかった。
ホロコーストが始まる前からドイツの精神病院にはガス室が造られ、回復する見込みがないとされた病人や精神障害者が大量に虐殺されていたのです。
◆写真は、精神障碍者の安楽死計画の中心だった「ハダマー精神病院」、今も残されているガス室(シャワー室)写真、NHK特集のDVDより -
そんな中声を上げたのが、ミュンスター司教であったクレメンス・アウグスト・フォン・ガレン司教でした。
フォン・ガレン司教の耳にも障害者が大量に虐殺されているという噂は聞こえていました。
彼は、1933年ミュンスター司教任命以降から、ナチスの思想とカトリックの信仰は両立しないと唱え、ナチスの暴力的手法がいかに危険であるか毅然として非難していました。 -
1941年の夏、教会の説教の中で
「行われていることは障害者を救済する『恵みの死』ではなく、単なる殺害だ」と明言しました。
ゲシュタポはその説教の原稿を没収しようとしましたが、信者たちの心に響いたこの説教は、数多くの書き写しが作られ、信者たちの間で拡散していきました。
◆聖パウルス大聖堂内部 -
フォン・ガレン司教のナチスやゲシュタポを非難する説教は1941年7月8月で3回行われました。
そのうち2回はこの聖ランベルティ教会でありました。
3回目に行われた説教は1941年8月3日でした。
今もその言葉が残っているそうです。
◆聖ランベルティ教会 -
「貧しい人、病人、非生産的な人、いて当たり前だ。
わたし達は他者から生産的であると認められた時だけ、
生きる権利があるというのか。
非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ、実行されるならば、
我々が老いて弱った時、我々も殺されるだろう。
非生産的な市民を殺してよいとするならば、
今、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、
非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になった人すべて、
老いて弱った時のわたし達すべてを、
殺すことが許されるだろう」*NHK特集より -
当時は数多くのコピーを作る技術が無くすべて手書きで書き写しました。
書き写された言葉は郵便で、全国キリスト教の団体に発信されていきました。それがさらに複写され、教会信者だけでなく一般の市民にまで届けられました。
◆豪華な装飾の聖ランベルティ教会 -
フォン・ガレン司教の、ナチスをも恐れぬ勇気ある行動に、いつしか人々は彼のことを「ミュンスターのライオン」というニックネームで呼ぶようになりました。
彼の勇敢な行動もさることながら、190cm超の堂々たる体格もライオンの風格を醸しだしていたのでしょうね。
◆聖パウルス大聖堂に飾られているフォン・ガレンの胸像。
主祭壇の裏手あたりにあったそうだが気が付かなかった。WIKIより拝借 -
司教の告発にようやく目覚める国民。
ヨーロッパにおけるカトリック教会の影響力は大きいものがありました。
かのナチスと言えども、無碍にはできません。
ヒトラーはこの非人道的な残酷な計画を撤回さぜるを得なかった。
そして、彼の説教から20日ほど後の1941年8月24日、ついにヒトラーはT4作戦(安楽死計画)の中止命令を出します。 -
ナチスの党員の中には、毅然としてナチスに反対するフォン・ガレン司教を抹殺すべきとの意見もありました。
しかし時の宣伝相ゲッペルスは、戦争中はカトリック信者を敵に回すのは得策ではないと考え、その代わり司教の身代わりとして22人の教区司祭と7人の修道士を投獄しました。
そのうち11人が強制収容所で命を奪われました。
フォン・ガレン司教はそのことで大層心を痛めたそうです。
◆聖パウルス大聖堂の外にはキリスト磔刑像があります。キリストの足元の右側で説教録を広げているのはフォン・ガレン。 -
フォン・ガレン司教の手元を拡大したもの。
ネットより借用 -
終戦後、フォン・ガレン司教は、1946年2月18日、ローマ教皇により枢機卿に任命されました。
その後まもなく3月28日ミュンスターで亡くなり、聖パウルス大聖堂に埋葬されました。
◆聖パウルス大聖堂のフォン・ガレン枢機卿の墓。ネットより -
ここで終わってしまったら安楽死計画とホロコーストの関係がうやむやになってしまいますね。
NHK特集の受け売りになりますが、番組の内容と私が感じたことを少し補足させていただきたいと思います。 -
1941年8月24日、ついにヒトラーはT4作戦の中止命令を出しました。
しかしここで完全にガス室計画が終わったわけではありませんでした。
1941年、ドイツはソ連に侵攻し戦争は激しさを増して行きました。
それに加えて1942年ナチスは、迫害を続けてきたユダヤ人問題の最終問題解決を決定。ヨーロッパ中のユダヤ人を根絶するために収容所に送りこみます。
当然、ユダヤ人のゲットーや強制収容所は大量のユダヤ人や捕虜で溢れかえり、収拾が付かない事態に陥っていました。
ここで工業的に大量殺りくを行える装置が必要になりました。
そこで考えられたのが、T4作戦で使われたガス室。
障害者や病人など大量虐殺で培ったノウハウを、今度はユダヤ人殺害に使おうということです。
そのためにT4のガス室で働いていた医師やスタッフを強制収容所に送りこみ、殺害を実行しました。
◆2007年に訪れたアウシュヴィッツ強制収容所の写真 -
終戦後、ユダヤ人が移送されていた強制収容所は、その数600万人とも言われる遺体で溢れかえっていました。
医療用に使われていた殺害装置(ガス室)があったことが、取り返しの付かない結果を招いたことになりました。
まさにホロコーストのリハーサルだったのです。
◆2018年5月に訪れたブッヘンヴァルト強制収容所の焼却棟と焼却炉 -
T4中止命令が出されていた病院でも驚くべき事実が判りました。
ガス室こそ使われませんでしたが、中止命令後も薬の大量投与や餓死などの形で殺害は続いていたのです。
殺害の対象者は障害者だけでなく、戦場で精神的におかしくなった兵士たち、ユダヤ人との間に生まれた子供など範囲は広がっていました。
「野生化した殺害」と言われるこの行為は、各地の精神科病院で行われていました。
◆2014年5月訪れたザクセンハウゼン強制収容所 -
近年、さらに衝撃的な事実が判りました。
「生きる価値が無い」とされた障害者や回復が見込めない病人、あるいは遺伝的に劣勢と認められる人々への殺害には多くの医師たちが関わっていました。それらの医師たちは、決してナチスに強制されたわけではなかったのです。
「肉体的、精神的にも無価値なものは子孫にその苦悩を引き継がせてはならない」。
ヒトラーはむしろ医師たちのその考えを利用したのです。
◆ブッヘンヴァルト強制収容所、人体実験に使われていたテーブルと器具(2018年5月訪問) -
この事実は長い間闇に葬られていました。
しかしようやく2010年、ドイツの精神医学会は、障害者の殺害に加担した事を正式に認め、謝罪しました。
「この学会の歴史的に重要な部分が長い間闇に葬られいたのはとても恥ずべきことだ。
社会を障害者たちの世話や負担から解放することや、よい遺伝子だけを残すことを目指しました。
人類を苦しみから救うことを医学の進歩とし、多くの人を虐殺したり、その殺りくに加担していた。」と。
◆写真:NHK特集より -
相模原事件の容疑者は、
「障害者はいないほうがよい」
「重度・重複障害者を養うことは、莫大なお金と時間が奪われる」
「意思疎通ができない障害者は、生きていてもしかたがない」などと発言していたそうです。
また事件前には、衆議院議長公邸を訪れ、「障害者が安楽死できる世界を望む」と書いた手紙を渡したそうです。
なんて傲慢な考えだろう。
まさにヒトラーの「安楽死政策」、そして「価値のない生命」として多くの精神障害者を虐殺した精神病院の医師たちの考えそのものではありませんか。
◆2011年に訪れたダッハウ強制収容所の慰霊碑の前 -
最後にもう一度、フォン・ガレン司教の言葉に耳をかたむけましょう。
「貧しい人、病人、非生産的な人、いて当たり前だ。
わたし達は他者から生産的であると認められた時だけ、
生きる権利があるというのか。
非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ、実行されるならば、
我々が老いて弱った時、我々も殺されるだろう。
非生産的な市民を殺してよいとするならば、
今、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、
非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になった人すべて、
老いて弱った時のわたし達すべてを、
殺すことが許されるだろう」
◆写真:聖パウルス大聖堂のステンドグラス、パイプオルガン
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ベームさん 2018/08/27 12:45:01
- 恥ずかしい!
- hmmelさん、
予めですがこのコメントにけっしてお返事は御無用です。多くの方からコメントを寄せられて応対に大変でしょうから。
番外編がこのような内容だったとは思いもよりませんでした。街角でなにか面白いものを見つけた程度かな、と考えていた私が恥ずかしい。
フォン・ガレン司教像との出会いは、海外でいつもナチの痕跡を追及しているhimmelさんに見えざる力が御引き合わせになったのではないかと思います。
非生産的人間、の言葉は最近自民党の女性議員の口からも飛び出しました。その議員の根底にはヒトラーと同じ思想が流れているのでしょう。
私の時見られなかった大聖堂の内部、写真で拝見できました。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2018/08/30 20:51:45
- RE: 恥ずかしい!
- ベームさん、こんばんは。
何をおっしゃいますか、ベームさん。
ベームさんこそ、いろんな足跡を見つけて、これでもかと追跡していらっしゃるではありませんか。
ヨーロッパでもそうでしたが、最近の国内旅行記の歴史の足跡探し、あれ凄いですね。
いつもさすがベームさん!と思っております。
非生産的人間・・・、
あ〜〜あの女性議員ですね。
>その議員の根底にはヒトラーと同じ思想が流れているのでしょう。
まさにそうですね。そのものだと思います。
ベームさんはミュンスター大聖堂広場がお祭りか何かで中に入れなかったのでしたね。
ここは絶対に訪れたいと思っていても、ヨーロッパの教会はタイミングが悪いと中に入れないのでガッカリしますよね。
前回のコメントでパスを使う機会はないかも、なんておっしゃっていましたが、私も今年続けて2回の旅行で、そんな心境になりつつあります。やはり齢ですかね。
またベームさんの国内の歴史文学散策旅行記、楽しみにしています。
himmel
-
- ぶどう畑さん 2018/08/26 21:25:36
- むごい現実…
- himmelさん
ぶどう畑です。
フォン・ガレン司教の行動があったにもかかわらず、ユダヤ人の虐殺を止められなかったのは、悲しいですね…。
虐殺は、ドイツに限りません。
カンボジアでは多くの人が粛清され、「アプサラダンス」の後継者が途絶えそうになったことを知りました。
ジャカルタでもかつて、暴動を恐れた東インド会社によって、たくさんの中華系の人が虐殺されたそうです。
また、シンガポールでは、日本軍がたくさんの華僑の命を奪いました。
どうしてそういうことが起こるのか…。
勧善懲悪の映画を観ている時、「アイツをやっつけてしまえ!」思いますよね。
でもそれは、これらの事件と根底は同じなのかも…。
- frau.himmelさん からの返信 2018/08/28 21:14:15
- RE: むごい現実…
- ぶどう畑さん、こんばんは。
昨日ほどではなかったけど、今日も暑い日でしたね。
コメントありがとうございます。
>虐殺は、ドイツに限りません。・・・
カンボジア、ジャカルタ、シンガポール・・・、多くの地で虐殺が起きているのですね。
アジアにお詳しいぶどう畑さんならではの、深いお言葉です。
現在でもイスラム圏の紛争では爆撃で多くの人が死んでいます。無差別テロでは簡単に多くの人が殺されています。そんな状態が続くと感覚がマヒして虐殺なんか何でもないと思うのでしょうか。怖いですね。
私は、虐殺と言ったらナチスのホロコーストがすぐ思い浮かぶのですが、その前に医師たちが「社会のためにいいことをやっているんだ」と率先して精神障害者たちをガス室に送ったという事実には驚きました。
そうですね。
私も子供のころはハリウッドの戦争映画が大好きで、敵が蹴散らされると(この場合、敵はドイツ軍なんですが)ワーワーと喜んだものでした。
でも、あれとこれとは・・・、違うと思いたい。
もうすぐご出発ですね。楽しんできてください。
himmel
-
- norisaさん 2018/08/26 20:19:01
- 壮絶なーー
- frau himmelさん
こんばんわ。
今回はいつにも増して思いご旅行記ですね。
日本の事件は存じていましたが、ドイツにはもっと壮絶な過去があったのですね。
てっきりユダヤ人対象のホロコーストだけかと思っていました。
安楽死、これは本人の同意があれば(今は禁止されている日本でも)必要かもしれませんが、それを同意がないことはもちろん、人間の障害程度で他人が決めるとはーー。
日本のハンセン病事件が非人間的だと思っていましたが、このドイツの歴史はそれらをはるかに超える歴史の闇だったのですねーーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2018/08/27 22:16:30
- RE: 壮絶なーー
- norisaさん、こんばんは。
今日も関東地方は暑かったですね。
コメントいつもありがとうございます。
本当に書いていて重たい旅行記でした。
ホロコーストより以前に、それが人類のため、医学の進歩のためにと、医師たちが率先して、精神障害者、劣等な遺伝子を持つ人達をガス室に送りこんでいたとは・・・。
T4作戦以降は、ドイツ中の精神病院から「生きるに値しない生命」と烙印を押された精神障害者たちは、専用バスで連れてこられ、到着するなり、優しい看護婦に「さあ、シャワーを浴びてきれいにしましょうね}とガス室に送られたそうです。
事の善悪も判断できない障害者たち、嫌だ!と言うこともできない彼らのことを思うと、胸が詰まります。
また「安楽死作戦」だなんて、まるでゲームか遊びのような名前には、激しい憤りを感じます。その他に「断種法」とか「レーベンスボルン(赤ちゃん工場)」とか、やはりあの時代のドイツは狂っていましたね。
日本の事件のように、それを由としてマネする人間が出てくることに恐ろしさを感じます。
まだ暑さは続くようです。お身体大切に!
himmel
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