のまどさんへのコメント一覧(7ページ)全140件
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ポーランド孤児救済について
のまどさん、
こんばんは。少々遅いコメントとなりました。ご容赦ください。
学校で習ったショパンをドイツに駐在した当初ショピンと呼んだ、音楽については門外漢の私ですが、歴史好きもあって、旅行記の中で「ポーランド孤児救済について」書かれたこと、更に元ポーランド大使の文章をリファーされていたので。そちらも読んでみました。
これに関して、手元にある「聖女の道標 萩原 タケ・・・夢酔 藤山 」の本から一部抜粋して、書き込みました。長くなりますが、是非ご参考にしてください。
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大正七年(一九一八)九月、ウラジオストック在住のポーランド人たちによって設立された、ひとつの組織がある。ポーランド救済委員会。
この会は、極東に逃れている十数万人のポーランド人のうち、せめて孤児たちだけでも人道的支援を世界に願う、自主運営組織である。
すべてはロシア革命の結果だった。
かつてポーランドは、帝政ロシアの支配下にあった。そして、第一次大戦とロシア革命の末に、独立を果たしたのである。しかしこの当時、シベリアにはロシア統治下時代に独立運動を続けていた幾多のポーランド人政治犯とその家族、政治的混乱を逃れて東へ避難した難民など、十数万人に及ぶポーランド人が生活していたのである。
極東における彼らの生活は、飢餓と疫病の蔓延のため、悲惨な境遇にあった。そのなかでも、親を失った子供たちの生活に至っては、言語を絶する有様である。
大正九年(一九二〇)、ロシアのあとに樹立したソビエト連邦共和国とポーランドとの間で戦争が始まり、戦火が広がっていた。
極東の身寄りのない幼い子供たちを、このような戦時下にある祖国に帰したところで、満足な保護を受けられる筈などない。そこでポーランド救済委員会は、アメリカ在住のポーランド系移民社会に保護を求めるとともに欧米諸国へ輸送の援助を強く要請したのである。
しかし、欧米諸国はこれを黙殺した。
大正九年年六月、ポーランド救済委員会会長・ビエルキエヴィッチ女史は日本を訪れ、必死の想いで、外務省にその援助を懇請したのである。そして日本政府もまた、人道的観点を重視し、これに応じる姿勢を示した。
日本赤十字社では萩原タケにより、極東戦地での現状報告が為されていた。そのための検討も為されている。外務省通達の一七日後、日赤はポーランド孤児の救済を決定した。
この迅速な対応は、まさに奇蹟であった。
日赤の救済活動が決すると、シベリアに駐留する帝国陸軍もまた、これを支援するため国内受容れの活動を開始した。七月下旬、陸軍の迅速な措置により、決定僅か二週間後、五六名のポーランド孤児第一陣がウラジオストックを発った。船は敦賀へ入港し、彼らは東京渋谷の孤児養育を事業とする慈善団体の宿舎に収容された。
以後、翌年七月まで全五回にわたり、総員三七五名のポーランド孤児が日本に運ばれてきた。
萩原タケはこれら救済活動の陣頭指揮を執り、日赤も全力を挙げてこれに取り組んだ。
日本についた直後のポーランド孤児たちは、誰も顔面蒼白で痩せ衰え、目だけが怯えたようにギラギラしていた。言葉も人種も異なる極東の島国への、例えようもない不安で、彼らは胸が張り裂けそうになっていたことだろう。
また、ロシア革命のあおりで極東へ逃げ込んできたのは、孤児たちだけではない。セミヨーノフ、チェコスロバキアの兵たちも、皆が国を追われて、ここまで逃げていた。
これらの人々を、日赤はウラジオストックの病院に収容していた。
さて、日本へかくまったポーランド孤児たちに対し、萩原タケは細心の気配りでこれに臨むよう、看護婦たちに指示した。
外国人に慣れていない島国ということもあるが、青い瞳の白い子供たちを、好奇で笑う日本人は決して少なくない。タケはまず、そんな輩の目に届かぬよう、孤児たちの環境に細心の注意を払った。
猜疑と恐怖に縛られていた子供たちは、容易に日本人へ心を開こうとはしない。
無理もない話である。
小さいその目で、父や母や兄弟や縁者が殺されていく様を見つめてきた子供の心は、頑なで強情なものだ。
しかし、日赤看護婦たちは、献身的に辛抱強く、孤児たちを励まし続けた。言葉の壁を考慮して日赤上層部は、子供一〇人に一人の割合でポーランドの成人も招いた。そうすることで看護婦たちの献身が、ようやく言葉となって、子供たちの心に届くようになったのである。
腸チフスに感染していた子供を必死に看病した末に、自ら感染し、殉職した看護婦もいた。しかし、こうした献身的な救援活動のおかげで、ポーランド孤児たちも、次第に笑顔を取り戻していったのである。
タケは子供たち一人一人に心を配った。
(彼らは異国にあって、頼れる者は私たちしかいないのだ。心細い想いだけは、決してさせてはならない……!)
いつしか子供たちは、目の前で走り回る看護婦が、故国の看護婦たちから
「スモール・ハギワラ」と慕われていることを知った。
みにくいアヒルの子というアンデルセン童話がある。日本語でそれを読んであげると、子供たちは言語を理解していない筈なのに、熱心にそれへと耳を傾けるのだ。その童話を読みながら、五日市(東京都西多摩郡)の山奥で育った自分が世界の人々と親しんでいられる不思議を、しみじみとタケは感じていた。
みにくいアヒルは、まるでタケそのものだった。
山奥で育った平民出の娘が、何の自覚もないまま無鉄砲に羽ばたいて、今に至る……そんなちぐはぐな心境さえ、このときタケは覚えていた。
子供たちの無垢な瞳は、タケに遠い昔のことを、つい思い出させてしまった。
五日市は、もはや遠い故郷である。
第一次世界大戦、とりわけシベリア出兵については、日本の酷評が広く流布されている。
これは日本がシベリアに勢力を伸ばすのではないかと、アメリカが疑念を抱き、かつ、強く警戒したためである。
日本陸軍はウラジオストックより先に進軍しないという規約を無視し、このとき北樺太・沿海州・満州を鉄道沿いに占領していた。各国よりも数倍多い兵士を派遣し、各国が撤退した後もシベリア駐留を続けた。そのため日本はロシアばかりでなく、イギリスやアメリカ、フランスなどの連合国からも、領土的野心を疑われる結果となった。
史上初の国際平和機構である〈国際連盟〉の設立などによる国際協調の流れのなか、日本政府は連合国からもシベリア政策を批判された。
それを払拭する宣伝として利用されたこの救援活動は、しかし、予想以上に諸外国で賞賛されたのである。
ポーランド孤児の救済活動中、赤十字中央委員会から、日赤に一通の内示が届いた。
新たに設けた〈フローレンス・ナイチンゲール記章〉の受賞者内示である。
これは、ナイチンゲール生誕一〇〇年を記念して設けられたもので、世界各国の功績顕著な看護婦に贈与されるものである。その第一回授与者のなかに日本人三名が選ばれたのだ。
日本赤十字病院婦長・山本ヤヲ。
奉天日赤病院監督・湯浅うめ。
そして、日本赤十字病院看護婦監督・萩原タケである。
(中略)
萩原タケは昭和一一年五月二七日、享年六三歳で死去した。
これまで萩原タケが育てたのは二七〇〇余に及ぶ優秀な看護婦たちである。
日本赤十字社では名監督の死を悼み、看護婦としては異例の病院葬を執り行い、萩原タケの霊を野辺に送ることが決定した。
日赤病院での看護婦病院葬は、これが初めてのことである。
萩原タケの遺骨は、故郷・五日市の広徳寺に埋葬された。
墓石の建立は昭和一二年五月、そこには〈慈萩院一誠妙恵大姉〉とだけ刻まれている。
萩原タケの葬儀のときは、果たしてどれほど偉い人が、遠路五日市まで参じたものか。
それほどの厳粛さと、緊張感に、山の懐に抱かれた広徳寺は包まれていた。
当時小学生だった石川清子は、タケの母・ちよ の実家筋の人間で、この日のことを忘れもしないという。病床のタケを一度だけ見舞い、この日を迎えたのだ。
これまで見たこともないほど、大勢の看護婦が参列したと、彼女は語ってくれた。
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(あきる野市デジタルアーカイブ;あきる野市ゆかりの人々より抜粋)
萩原タケ(ハギワラタケ) (明治6年・1873〜昭和11年・1936;享年63歳)
明治26年4月満20歳の春、日本赤十字社の看護婦生徒募集に応じ、第7回生として入学。
同36年30歳でタケは日赤看護婦副取締(副監督)となり、全看護婦を統括するとともに生徒の教育養成に当たる。昭和11年5月27 日、享年63歳で死去。
日本赤十字社は盛大な病院葬をもって永年の功績に報いた。
タケは、明治43年(1910年)の日本赤十字病院看護婦監督就任から、昭和11年(1936) 日赤病院にて死去するまで、あしかけ28年間を監督として2700人あまりの看護婦の養成・指導にあたった。
あきる野市役所五日市出張所玄関前には「萩原タケ女史 人道のために国家のために」と題した胸像が建てられている。
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元ポーランド大使が、文中に曰く「私がこの話を知ったのは、ポーランド大使としてワルシャワに住むようになってからのことです。」と、外務省のポーランド大使でもこの程度だという事にガッカリしますが、第二次大戦後の世情からみればこんなものなのでしょう。
何しろ"理想の看護婦”と称えられた萩原タケ女史のことすら、戦後の地元町長も知らなかったという話で、赤十字関係者と懇談した際に恥をかいたそうですから。
実は萩原タケ女史については、その葬儀の印象を当時小学生だった前述したように石川清子が語っていますが、彼女は私の母の一番下の妹にあたり、母の祖母(母はこの祖母の養女になった)がタケ女史の母ちよ の妹という関係で、母の母(祖母の長女なので)はタケ女史の従姉妹、母は養女となった為、戸籍上の従姉妹と言う関係になります。
退職後、叔父の葬儀で初めて聞くぐらい、私もタケ女史については知らず、『献身』萩原タケの生涯 森禮子 平成7年 白水社等も読み、今になっていろいろと知ったほどです。(母が39歳、私が4歳の時に亡くなった所為もある)
長くなりました。
「ベルギー帰国後にポーランド語のサイトを見つけて印刷して知人に配りましたが、よく考えると恩着せがましいですね。」・・・そんなことはありませんよ。
『海難1890』(トルコのエルトゥールル号遭難事件と和歌山県串本町)や、日本の外交官・杉原 千畝といった良き例もあります。
良い事・関係は忘れられがちです。
jijidarumaRE: ポーランド孤児救済について
jijidarumaさん
ご丁寧にコメントいただき、ありがとうございます。
ポーランド孤児の話は本当に美談だと思います。日本人であれば知っておくべきだと思います。
> 「ベルギー帰国後にポーランド語のサイトを見つけて印刷して知人に配りましたが、よく考えると恩着せがましいですね。」・・・そんなことはありませんよ。
紙を渡したポーランド人の知人というのは日本という国の存在もよく分かっていないので、この話を紹介したところでどれだけ理解してくれたのか分かりません。
ある程度の学歴のある人について日本に対して比較的良いイメージを持っているのは確かですが、日本のネットで騒がれているほどポーランドは「親日」であるとは言えないと思います。
> 『海難1890』(トルコのエルトゥールル号遭難事件と和歌山県串本町)や、日本の外交官・杉原 千畝といった良き例もあります。
一方、トルコではエルトゥールについて学校で習い、かなりの割合の人が日本に好感を持っていることは確かです。先人たちの献身を多くの人に知ってもらいたいですが、一方で私は無宗教ですが、見返りを求めずに人に施すというカトリックの精神も見習いたいと思います。ちなみに杉原千畝もカトリックだったようです。
インドから今朝帰ってきたばかりなので、手短なお返事ご容赦下さい。
疲れが取れたら旅行記を読ませていきただきます。2016年11月15日04時47分 返信する -
Smart lady's 粋なショパン。。。
☆心が疲れた時、のまどさんの旅ログを覗くと、ホッとします。しかもBGMにChopinのピアノ演奏が流れ、ゆったりした風景を眺められる。午後のコーヒーに合うわ〜〈未だ午前)
欧州を歩きたいと思えど、社会情勢や家族構成のシニアー化に押し流されて日々を暮らすのが現実です。早くドナウ川に沿ってクルーズしたいなあ〜2016年10月17日11時18分返信するRE: Smart lady's 粋なショパン。。。
salsaladyさん、こんにちは。
> ☆心が疲れた時、のまどさんの旅ログを覗くと、ホッとします。しかもBGMにChopinのピアノ演奏が流れ、ゆったりした風景を眺められる。午後のコーヒーに合うわ〜〈未だ午前)
すっかりと十八番になったYouTubeの引用、楽しんでいただけて何よりです。選曲に気合が入ります。ベタでないけど聴きやすいショパンの曲を紹介したいと思います。
>
> 欧州を歩きたいと思えど、社会情勢や家族構成のシニアー化に押し流されて日々を暮らすのが現実です。早くドナウ川に沿ってクルーズしたいなあ〜
念じれば花開く、願っていればいつかは叶いますよ。ご家族の事情は仕方ないけど、現地の情勢は心を決めて旅した者勝ちということが多いですし。2016年10月18日04時05分 返信する -
おお!ショパン
のまど様 こんにちは
音楽へ導いてくれたショパンの足跡を訪ねられたんですね
冒頭にルービンシュタインを持ってくるなんてさすが!
ルービンシュタイン、大好きです。
旋律が美しいだけでなく、顔に似合わず音が力強くてしかも豊穣
それよりも、ショパン…
ドイツでもそうでしたけど、ゆかりの場所は単に関連資料の展示だけでなく
演奏を聴かせてくれたり、様々な試みがなされており感心しました
しかも、とてもいいガイドさんに当たったようで良かったですね。
せっかく行くのですから、現地で色んな事を聞けるのも醍醐味だと思います。
さらにはショパンを通じて歴史的な背景にも言及されたレポート
本当にいい旅をされたのが伝わってきます
ワルシャワ編も楽しみです
アルデバランRE: おお!ショパン
アルデバラン様 こんにちは
クラシック通のアルデバランさんから素敵なコメントを頂けて嬉しいです。
> ルービンシュタイン、大好きです。
> 旋律が美しいだけでなく、顔に似合わず音が力強くてしかも豊穣
そうだったんですか。確かにルービンシュタインはスピードに流されずにしっかり弾くので一音一音に濃厚さがありますね。この旅行記では毎回違うピアニストの演奏で私の好きな曲を色々とご紹介できたらと思います。
> ドイツでもそうでしたけど、ゆかりの場所は単に関連資料の展示だけでなく
> 演奏を聴かせてくれたり、様々な試みがなされており感心しました
バッハ旅行記に感銘を受けて、今回マネさせてもらいました。ワルシャワにあるショパンゆかりの地はほとんどが戦争で破壊されてしまったので残念ですが、ショパンの集客力は大きいようで宣伝にすごい力を入れていました。あらゆる場所でピアノ曲を耳にします。
> せっかく行くのですから、現地で色んな事を聞けるのも醍醐味だと思います。
テーマがあって、かつ現地で人と話す機会があると旅の深みが増します。なるべく要領よく字数を抑えて旅行記を書いていきたいと思います。
ミャンマーはすっかりリピーターになりましたね。カレン州パアンは独特の色があって楽しく拝読しました。アジアが恋しくなったので、私も来月行くことになりました。
それではまた。2016年10月16日22時31分 返信する -
逞しい日本女性の御活躍を!
☆何のこと❓と思われたでしょう!≪salsaladyの掲示板で昨年の成田ーイスタンブールtrooubleを遅ればせながら拝読≫
自分の掲示板を改めて眺めて、今どうしてるのかしら?と思いつつ、横須賀が故郷だと判明したことに、なんだか親近感が〜
☆何故って、今月初旬の大雨の中で三浦半島にある霊園まで3時間〜亡き母のすぐ上の姉≪生涯を一人で胸の病気と闘いながら94歳まで生きてこられた≫の納骨にはせ参じたわけでした。
大学を横浜の山手で過ごした私には、ある意味懐かしい土地ですが、思い出の地へ足を延ばそう!なんて余裕はまるで考えられない秋雨前線の下、しめやかに手を合わせるだけ。。
☆田舎者の女学生が防衛大生にぼーっとなってダンスを踊ったり、New Grand Hotelで人生初めてのカクテルを味わったり≪我が母校主催の文化祭だから≫
夢の様な青春時代を送った土地横浜〜
国内でも、なかなか思い出の地を訪れることは少ないですよ。お元気で〜
RE: 逞しい日本女性の御活躍を!
salsaladyさん、こんにちは。
いや、逞しすぎるのも問題かと。近頃は当地在住の日本人から国籍を疑われるくらいで・・・。
> ☆何のこと❓と思われたでしょう!≪salsaladyの掲示板で昨年の成田ーイスタンブールtrooubleを遅ればせながら拝読≫
覚えていて下さってありがとうございます。掲示板に書き込みした時はまだ実家にいたので、フライトキャンセルなどつゆ知らず。でも、別の便に振り替えられて結果オーライでしたよ。
> ☆何故って、今月初旬の大雨の中で三浦半島にある霊園まで3時間〜亡き母のすぐ上の姉≪生涯を一人で胸の病気と闘いながら94歳まで生きてこられた≫の納骨にはせ参じたわけでした。
伯母様の納骨にいらしたのですか。一人での闘病生活はさぞ辛かったでしょう。94歳の大往生、ご冥福をお祈りします。
>
> ☆田舎者の女学生が防衛大生にぼーっとなってダンスを踊ったり、New Grand Hotelで人生初めてのカクテルを味わったり≪我が母校主催の文化祭だから≫
> 夢の様な青春時代を送った土地横浜〜
神奈川県に縁があるんですね。でも、横浜というので格の違いを感じます・・・。
フォローさせていただきます。
私はまた旅行記投稿が滞っておりますが、salsaladyさんのパンチの利いた旅行記を拝読するのを楽しみにしています。2016年09月21日06時10分 返信する -
残暑、お見舞い申し上げます。
のまどさん
もう残暑です。季節の移ろいは早いですね。
お元気でしょうか?
ご多用のなか、ご投票頂きありがとうございました。
もうお立ち寄りも100回を越えました。嬉しいことです。
北方2州の旅もリュウゲン島からデュッセルドルフに
向かう旅になります。
ノイブランデンブルクやメクレンブルク湖水地帯、
州都・シュヴェリーン一帯の湖水地方、ニーダーザクセン州
の州都・ハノーファー、そしてデュッセルドルフに至ります。
さて、12日に同人誌の29号が発刊され、目下は親族、友人
達にこの暑い中、送付を始めました。
どんな反応が返ってくるか?これも楽しみです。
今年のヨーロッパは天候は如何でしょう。
それではまた。お元気にお過ごしください。
jijidaruma2016年08月15日23時42分返信するRE: 残暑、お見舞い申し上げます。
jijidarumaさん、こんにちは。
> ご多用のなか、ご投票頂きありがとうございました。
> もうお立ち寄りも100回を越えました。嬉しいことです。
こちらこそご丁寧にメールいただき、ありがとうございます。何事も続けるのは大切だと思います。4トラはスマホでも見られるのですが、皆さんの投稿を小さな画面で見るのはもったいないので、たまに開く自宅のパソコンでのみ見ることにしています。
日本は酷暑のようですが、こちらはもう秋口です。気温が低くても太陽があるだけで気分がいいのですが。
>
> 北方2州の旅もリュウゲン島からデュッセルドルフに
> 向かう旅になります。
先週またデュッセルドルフに行きました。することはいつも決まっているのですが、今回お茶や茶道の道具を売るようなお店を多く見かけたので流行しているのだと思いました。デュッセルは他のアジア人に押されているような感じでしたが、確実に日本文化が根付いていることを実感しました。
> さて、12日に同人誌の29号が発刊され、目下は親族、友人
> 達にこの暑い中、送付を始めました。
色々と活躍されているようで何よりです。同人誌への反応、楽しみですね。
時節柄ご自愛下さい。2016年08月16日05時34分 返信する -
”ミスコルツ”?は中欧の”青の洞窟”ですね〜
☆久しぶりに拝見します。相変わらずヨーロッパの佇まいはどこを撮っても美しい静けさがありますね。
いい季節に旅行ができて羨ましい≪最近テロ頻発で多少控えているので≫!
オーストリー&ハンガリーは日本からは常にセットで組まれるのが普通ですが、それぞれ味わいが違うのでしょう?
やっぱりウィーンの生演奏を聞きたいな〜see you〜RE: ”ミスコルツ”?は中欧の”青の洞窟”ですね〜
salsaladyさん、こんにちは。
投稿後すぐにご覧いただき、コメントまでいただきありがとうございます。
> ☆久しぶりに拝見します。相変わらずヨーロッパの佇まいはどこを撮っても美しい静けさがありますね。
アール・ヌーヴォーの建物の名前探しが億劫になってなかなか投稿できずにいました。次の旅行記は日本なのですぐに投稿できそうです。
> ”ミスコルツ”?は中欧の”青の洞窟”ですね〜
写り映えしすぎている感も否めませんが、良かったですよ、このお風呂。浴場には団体客がいたものの、街中では外国人の個人旅行者をほとんど見ませんでした。
> いい季節に旅行ができて羨ましい≪最近テロ頻発で多少控えているので≫!
テロ発生地域に住んでしまったいるんで、いやはや。空港テロが起きたとき、私はわずか3キロ離れたところにいて、爆破音を聞いた人がたくさんいます。テロはいつ発生するか分かりませんが、注意を払いつつ色々と旅行に出かけていきたいと思います。
地震も予知できないですよね。熊本地震は本当に胸が痛いです。そんな中別府に法要に行かれたんですね。ご家族に会えて、おいしいものを食べられて、温泉を満喫できて、やはり思い切っていくべきですね。別府、私も行きたくなりました。
>
> オーストリー&ハンガリーは日本からは常にセットで組まれるのが普通ですが、それぞれ味わいが違うのでしょう?
> やっぱりウィーンの生演奏を聞きたいな〜see you〜
ハプスブルクの栄華といったテーマでツアーの宣伝が出ていることでしょう。私は大きく変化している東ヨーロッパに強く惹かれてしまいますが、オーストリアも好きですよ。オペラ見学に、舞踏会、宮殿見学とセレブに楽しまれては。
では、また。2016年06月04日00時20分 返信する -
ブタペストのアール・ヌーヴォー建築
のまどさん
久しぶりのご投稿ですね。
当方にもご投票ありがとうございました。
ブタペストにこれほどアール・ヌーヴォー建築があったとは
全く知りませんでした。
定年退職後、すぐに出かけた中欧の旅はツアーでしたから、
殆ど、建築様式に無関係な旅でした。
やはり個人旅行の探索でないと、こうはいきませんね。
天気も上々で良い写真を拝見できました。
私もまた行ってみたいですね。今度は個人旅行で^^。
ではまた。
jijidaruma
RE: ブタペストのアール・ヌーヴォー建築
jijidarumaさん、こんにちは。
> 久しぶりのご投稿ですね。
> 当方にもご投票ありがとうございました。
こちらこそ、ご投票の上コメントいただき、ありがとうございます。やっと少し時間が取れるようになりました。
> 定年退職後、すぐに出かけた中欧の旅はツアーでしたから、
> 殆ど、建築様式に無関係な旅でした。
なかなか日本からのツアーだと旅程には組みづらいかもしれませんね。
> やはり個人旅行の探索でないと、こうはいきませんね。
建築物を回る現地のツアーもあるのですが、ブダペストは物価が高騰しているので、どれも割が合わないと思い、自分の足で回りました。回ったはいいのですが、参考にした本を図書館に返してしまい、訪れた建物の前を失念してしまったので、なかなか旅行記が進みませんでした。
今後はラトヴィアのリガとスペインのバルセロナでアール・ヌーヴォー探索をしたいと思いっています。
> 天気も上々で良い写真を拝見できました。
> 私もまた行ってみたいですね。今度は個人旅行で^^。
この時期の東欧は日中30度になり、暑すぎるくらいですが天気は最高です。是非是非、個人旅行で。2016年06月01日19時55分 返信する -
のまどさんの旅行記を見ていれば良かったのに…。
のまど様
初めまして。
2014年の年末にブリュッセルとアントワープのアール・ヌーヴォー建築を見て周りました。
その前にのまどさんの旅行記を拝読していれば!と悔やまれます。
初めてのベルギーで、しかも要領の悪いおばさんなので、結構苦労して周ったんです。
今月20日から再びブリュッセルとアントワープ(とドイツ)に行きます。
21日のヴァン・エートヴェルド邸とマックス・アレ邸の特別公開に申し込んでいます。
アントワープもブリュッセルも短い滞在になりますが、前回の旅で見られなかったアール・ヌーヴォー建築も少しは見る予定です。
今度こそ、のまどさんの(地図とルートまで記入して下さっている♪)素敵な旅行記を参考にさせて頂き、右往左往せずに歩きたいと思います。
勝手に参考にさせて頂きます!!
ありがとうございます!
尚美RE: のまどさんの旅行記を見ていれば良かったのに…。
尚美様
初めまして。コメント、ありがとうございます。
> 2014年の年末にブリュッセルとアントワープのアール・ヌーヴォー建築を見て周りました。
> その前にのまどさんの旅行記を拝読していれば!と悔やまれます。
いやいや、そんなことはありませんよ。ブリュッセルのアール・ヌーヴォー旅行記を拝見しましたが、かなり調べていることが伺えます。私も一番好きな館はド・リューヌ邸です。ルーマニアの旅行記も面白かったです。建築がお好きなんですね。
> 今月20日から再びブリュッセルとアントワープ(とドイツ)に行きます。
> 21日のヴァン・エートヴェルド邸とマックス・アレ邸の特別公開に申し込んでいます。
楽しみですね。今年はまだ少し肌寒いですが、日も伸びていい季節になりました。交通機関が乱れることがあるのでお気を付けください。
> 今度こそ、のまどさんの(地図とルートまで記入して下さっている♪)素敵な旅行記を参考にさせて頂き、右往左往せずに歩きたいと思います。
参考にしていただいたらブロガー冥利に尽きます。ブリュッセルは色々な旅行記の投稿を考えているのですが、なかなか筆が進まないのが残念です。
私は同じ時期にポーランドに行くので、こちらこそ尚美さんのブログを参考にさせて下さい。
では、楽しい旅になりますように。2016年05月04日04時53分 返信する -
ジジダルマの近況
のまどさん
こんばんは。ご投票ありがとうございました。
お元気にお仕事頑張っていますか?!
身辺、テロのご影響もあって大変でしょうね。お気をつけてください。
私の方は漸く昨夏の旅の4Travel掲載も完了しました。
しかも、4月半ばになって“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”のアルバム4冊、旅行記(写真入り:262頁)が完成しました。
今は家内がそれを見て、読んで、誤りのチェックをしています。
二人とも改めてみるアルバムの写真に感慨も覚えています。
今年の旅は家内の歯のインプラント手術の為、予定が立っていません。
15回目のドイツ感傷旅行もさてどうなりますか?
この為、目下の急務は同人誌の寄稿(教育者だった大叔父の事績を主にしたものです:2回目)したゲラのチェックです。
5月には第29号が刊行予定でこれも楽しみです。
そして、亡くなった母の日記・手紙類の読み込みをしようと思っています。
(読み込むと言っても、昔の達筆!な女文字で書かれたものですから、読みこなすのは至難の事ですが。以前にも読みだして、途中で断念した経緯もあります。)
というのも、3月半ばに亡母の親友の息子Yさんに私の姉夫婦と共にお会いして、当時の学校時代の写真や母から親友にあてた手紙を拝見できました。
75歳のYさんは母が差し上げた手紙の文意を、20年前に全てをワープロで記録したそうです。当時、この手紙を懇意にしていた大学教授に読んでもらい、記録したのだと言われていました。
郷里に帰ったYさんは偶々、その町の郷土館を訪ね、そこの学芸員の方に母や親友たちの話をしたところ、郷土に銅像の立つ女傑の係累にあたる母の事で以前から姉夫婦と面識のあった学芸員の方から姉に連絡があり、郷土館に一同資料をもって集まったのでした。
4月に入って、Yさんはご親切にもそれらをコピーしたものを私に送って下さったのです。
何が幸いするか分かりませんね。
近年、我が家の家族・親族史に興味を持ってきましたが、戸籍ではわからなかった父母の結婚式の日もそれで判明しました。
多分、残された母の手紙類にも親友の手紙が残されているはずで、是非それを見つけて、親友の息子Yさんに恩返しをしたいものと思っています。
長くなりました。それではまた、お元気で。
jijidaruma2016年04月21日18時25分返信するRE: ジジダルマの近況
jijidarumaさん、こんにちは。
せっかくコメントいただいたのに1週間もお返事できなくてごめんなさい。
昨今は平日は寝るためだけに帰宅し、週末は家事等に追われてみなさんの旅行記を読む時間がないという状況なもので。
テロ事件は本当に衝撃で、直接の被害に遭わなくても周囲ともども気分が塞ぎました。そんな中、近隣諸国に脱出するのがますますの心の支えになり、週末にフランスやドイツに旅行することを渇望するほどになっています。
> 私の方は漸く昨夏の旅の4Travel掲載も完了しました。
お疲れさまでした。奥様の体調不良とアブの被害で大変でしたね。でも、フランスまで足を伸ばして充実された時間を過ごされたようで何よりです。
> 今年の旅は家内の歯のインプラント手術の為、予定が立っていません。
> 15回目のドイツ感傷旅行もさてどうなりますか?
心配ですね。無理なさらず、お大事に。
> そして、亡くなった母の日記・手紙類の読み込みをしようと思っています。
> (読み込むと言っても、昔の達筆!な女文字で書かれたものですから、読みこなすのは至難の事ですが。以前にも読みだして、途中で断念した経緯もあります。)
同人誌の寄稿にご尊母の残した書物の読み込み、とても精力的ですね。何か打ち込めるものがあるということはとても大切だと思います。
> 近年、我が家の家族・親族史に興味を持ってきましたが、戸籍ではわからなかった父母の結婚式の日もそれで判明しました。
> 多分、残された母の手紙類にも親友の手紙が残されているはずで、是非それを見つけて、親友の息子Yさんに恩返しをしたいものと思っています。
まったく、人の縁とは大切ですね。どこで何があるか分かりませんから。異国に住んでいるとことさらそれを実感します。
次の旅行の予定も立てたので、近々去年の旅行記を投稿できればいいのですが。
健やかにお過ごし下さい。2016年04月29日03時06分 返信する -
アサ―さん
アイルランド国立美術館で我が家もアサーさんに
話しかけられました。日本のパスポート(実は手帳)
すっかり騙されました。親日家に会うのは嬉しいです。
アイルランド紛争、結局、北アイルランドの
自治権認めて、おさまったんですね。たまたまですが
アイルランド・イースター蜂起、独立宣言100年に
訪問し、ISのテロの後だけに、いろいろ考えさせられました。RE: アサ―さん
GuteReiseさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
> アイルランド紛争、結局、北アイルランドの
> 自治権認めて、おさまったんですね。たまたまですが
> アイルランド・イースター蜂起、独立宣言100年に
> 訪問し、ISのテロの後だけに、いろいろ考えさせられました。
国を挙げての一大イベントに遭遇したんですね。一昔前、アイルランドというとIRAがドンパチやっているイメージを抱く人が多くいましたが、今はもうそんなことはないでしょう。今住んでいる国の方がよっぽど危険になりました(苦笑)
> アイルランド国立美術館で我が家もアサーさんに
> 話しかけられました。日本のパスポート(実は手帳)
> すっかり騙されました。親日家に会うのは嬉しいです。
持ちネタなんですね・・・。次に会うことがあれば日本との関係をききたいものです。
アイルランド旅行記、拝見しました。行き先が拙旅行記とかぶりますね。続きを楽しみにしています。
2016年04月04日04時17分 返信する



