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pedaruさんへのコメント一覧(6ページ)全3,466件

pedaruさんの掲示板にコメントを書く

  • 取材記者pedaru

    pedaruさん、こんばんは

    4編にわたる『江戸東京たてもの園』のご紹介、遂に完成しましたね。
    おめでとうございます^^
    pedaru師匠の着眼点や解説になるほど~と思いながら
    味わいある建築や懐かしい風物に目を楽しませていただきました。
    昭和レトロの世界に迷い込んだかのような街並みは
    さながら京都太秦ならぬ小金井の映画村のようでしたね。
    彫刻ガラスの制作や竹工芸の実演には特に興味を引かれました。
    「庭月野 紀子」さんという作家さんはお美しい方ですね。
    お名前も美しく、そしてもちろん作品も素晴らしい☆彡
    pedaru師匠が見入ってらしたのは、はたして作品の方だったのか
    それとも制作をされている美しい横顔だったのか、はてさて
    どちらだったのでしょう?(´艸`*)
    斎藤敏氏による竹工芸もまさに匠の仕事で見事ですね!
    手仕事が大好きですので、こういうものを見ると自分でも
    作ってみたくなります。

    「さて、ちょいと一杯ひっかけて行こうか。
     いや、仕事中なので見学だけにします。 どこが仕事中?」
     自己ツッコミに笑ってしまいましたが 
     立派に取材のお仕事中でしたよ(^_-)



    2025年06月14日23時56分返信する 関連旅行記

    Re: 取材記者pedaru

    あ~、今勝手に送信されてしまいました。
    タイトルに(pedaru)さんを付けようと思ったのに~~
    決して呼び捨てにしたわけではありませんので、
    どうかお許しを~_(._.)_
    それでは、これにて失礼つかまつりまする~

    sanabo
    2025年06月14日23時59分 返信する

    RE: 取材記者pedaru


    sanaboさん おはようございます。

     4編にわたる旅行記といっても、sanaboさんなら1篇で済ませるところですね。
     4編に分けた理由は ①1篇にしたら読者が付いて来ない ② 4編に分けなければ執筆の根気がない ③4編にして旅行記の冊数を多く見せる ④ 読者からのコメントが4倍になるので人気者に見える ⑤ 1篇で済むものを4倍にしていかにも努力家であるかのような錯覚を読者に与えられると思い込んでいる ⑥ なによりも真実は一遍ずつ小分けにして、どうしたら受けを狙えるか研究しながら書くため、長い文は不向きである。

     以上長々と自己分析してみましたが、これも受けを狙った行為であると認めざるをえませんだみつを。

     庭月野 紀子さんの作品に興味をもちましたが、私の最も関心のあるのは美しい女性ではありません。むしろ美しい女性を見ると不快感を覚えます。美しい女性を見ただけで私の思考能力はストップして自分が誰なのか、なんのために生きているのか(アンパンマンかっ)
    今日は何日か、11引く2はいくつか?(認知症かっ)何もわからなくなるのです。

     庭月野さんの横顔、判別できてしまいましたか?私には分からないので隠しませんでした。越後湯沢の駅にある芸者駒子の人形の顔を写真で隠したのを笑われたのを気にして、なるべく隠さない癖がついているのです。

     私も職人として60年以上も仕事をしていますが、実演などを見学すると、つい理解しあって、話が盛り上がってしまいます。迷惑にならないよう配慮はしているのですが。


     pedaru
    2025年06月15日07時02分 返信する

    RE: Re: 取材記者pedaru



    「取材記者pedaruさん」ではさまになりません。
     「取材記者pedaru」だと立派に見えます。
    2025年06月15日07時11分 返信する
  • 江戸東京たてもの園4編

    pedaruさん

    こんばんは。ご無沙汰しております。

    小金井公園内の江戸東京たてもの園4編、完結お疲れ様でした。ここはyouの近場で、遠方からの客人が来ると必ず訪れる場所なんです。pedaruさんも一声かけてくれれば、子宝湯の前左側にあるたべもの処「藏」2階で、「むさしのうどん」をご馳走したのにねぇ。

    それにしても、pedaruさんのたてもの観察力とその表現力は流石ですねぇ。youは何度訪れても、10年以上前から新規に移築される建物が無くて、余り代り映えしないのでぼ~と通り過ぎてしまいます。今度は、pedaruさんの旅行記片手にしっかりと建物観察したいと思いました。

    you
    2025年06月14日23時50分返信する 関連旅行記

    RE: 江戸東京たてもの園4編


    youさん おはようございます。

     以前は4トラベルのタイムラインは必ず目を通し、フォローの方々の旅行記は必ず拝見しておりました。
     しかし、寄る年波か人生に疲れたというか、物事に対する興味が薄れたのか、見落とすことが常態化して、youさんがアフリカを旅しているらしいことを知りながらご無沙汰しておりました。
     ものすごく筆まめな方がいる反面、いい作品を作りながら筆不精な人がいることも事実です。長々と自己弁護という言い訳を申し述べました。

     小金井公園は初めて行きました。この方面は昔、武蔵境というところ付近の霊園にピクニックに行った覚えがあるくらいでした。兄が花小金井駅近くに住んでいるというので、初めて訪れました。兄の家をおとずれるのは昔大阪に住んでいた時以来です。

     youさんがあの辺の富豪だとは知りませんでした。何年か後にはyouさんの家も江戸東京たてもの園に移築されると予想しております。それまでは健康でいなくてはと思っております。
      pedaru
    2025年06月15日06時00分 返信する
  • 貴重な建物

    最近樋口一葉にこっています。
    一葉も結核で24才で亡くなりました。1896年(明治29年)7月に寝付いて11月には死んでいますから、奔馬性肺結核というやつですね。すごい貧乏だったので、栄養状態も悪かったみたいです。

    結核って、サポートしてくれる家族がいるかどうかで、運命が決まるみたいでした。
    一葉は一家が女手ばかりで貧乏だったし、青木繁は根性悪くてだれも助けてくれない。竹久夢二は女から女にほっつき歩いて自滅。
    逆に堀辰雄は多恵子夫人という献身的な女房がいました。友人にも恵まれて、頼まれないのによってたかって堀夫妻を助けました。

    ツガ(栂を)ツゲ(柘植)と間違えてビックリしました。あんな灌木で家なんかできませんよね。

    木造建築の移築って、よく聞きますが、そんなに簡単だとは思えないのですが。専門の職人さんがいるのでしょうか。
    木製のガラス戸なんて、運ぶのは大変だったはず。これ、ガラスそのものが現在のガラスとは違うんですよね。

    私の友人で、こういう古い建具をわざわざ探してきて、それに会わせて家を建てた人がいます。
    引き戸1枚がけっこうなお値段したそうです。
    こういう家は今はもう新築では作れないので、大事に保存してくれて有り難いことです。
    2025年06月11日16時15分返信する 関連旅行記

    RE: 貴重な建物


    しにあの旅人さん おはようございます。

     旅行記にも載せましたが、樋口一葉の住んだ菊坂付近や吉原近くを彷徨ったことがあります。ロールスロイスを複数台乗り回すほどの、現代の流行大衆作家がいるというのに、一葉の貧しさを想うと心が暗くなります。
     現代とはいえ、億単位の稼ぎは個人的には羨ましい気持ちもありますが、作家というのに
    あまり贅沢をしていると、こんな人が芸術家であるとはとても言えません。
     でも求めなくとも入ってくるお金はどうしたらいいのだ、と言うでしょう。
     答えは簡単です、pedaruのような名人と自分だけが思っている貧しい職人に貯金の一部を恵んであげるのです。その方に感謝するのはもちろん、仕事に身を入れなくなるでしょう。
     毎日いやいやながらせっせと働いている老人は、お金が入れば、勤勉なのをやめて
    悠々自適と言う憧れの世界に行けるでしょう。

     職人も芸術家も貧しすぎてはいけません、しかし裕福過ぎるのは堕落です。
     清く貧しく生きるか、はたまた堕落への道を歩むか?
     私は迷います、正直、少ーし、堕落したいな。

     pedaru
    2025年06月13日05時45分 返信する
  • 西安で、相乗り50元 乗りました

    私も西安の華清池で「長恨歌」を見た後、時間も遅く、「50元で西安市内」というおっさんがいたので、頼みました。おっさんは、すぐに出発せず、あと3人探して、集まった段階で、相乗りで出発しました。途中、他の人をおろしたりして、自分は結局50元で目的地で降りました。
    こういうすきま仕事、多いみたいですよ。(交通事故の心配はありますが)
    2025年06月11日08時48分返信する 関連旅行記

    RE: 西安で、相乗り50元 乗りました


    かめさん おはようございます。

     旅先で同じような経験をすると、急に親近感を覚えますね。
    あの時は、正規のタクシーより、白タクのほうが多かった気がします。
     初めての上海、初めてといってよい個人の旅行でこんな目に遭い、焦りました。
    小心者の妻などは事件に巻き込まれた、命の保証はない、などと思ったようです。

     招待で無料の旅行とは言え、最終便が空港まで行かず、切符を売っておりながら途中で
    降ろされるとは夢にも思いませんでした。中国恐るべし・・・

     pedaru
    2025年06月13日05時12分 返信する
  • 肺結核

    pedaru師匠 こんにちは♪

    肺結核を患われたと。
    お薬でぶじ生還ですね。
    私の父も私の産まれる前に療養していたようで1日茹で卵を5.6個食べていたんですって。父の地元では
    茹で卵「にぬき」といいます。
    ワタシもにぬき大好きです。
    その当時、卵は高かったようです。
    関係ないですね。

    で、私 ツベルクリン
    初めて検査から陽転していて
    判子を打ったことないんです。
    双子の妹は毎年判子!
    同じ環境でも違います。

    な、こと思い出しました。

    もひとつ、学生の時 先輩が
    教育実習中、産休から復帰してきた
    (1番女性の美しい時期)
    先生とよいなかになり地元で有名になってしまい
    単位貰えず、違う職種に就職したようにききました。

    どこにでもある話しですね。
    失礼しました。

    是清さん、14歳の災難から
    どう開放されたか、ググっても
    わかりませんでした。

    フィーコ
    2025年06月06日13時37分返信する 関連旅行記

    RE: 肺結核


     フィーコさん おはようございます。

     お父様も療養されていたということですが、終戦直後でもまだ結核で死亡する人は多かったと聞きますが、まもなくストレプトマイシンが日本にも入って来て、治る病気となりました。でも、結核によって命を落とした有名人は、ショパン、高杉晋作、正岡子規、樋口一葉、石川啄木、新美南吉などがいるらしいので、これらの人を思うとき、死を身近に感じました。
     名も知られず、何もなさず、女も知らず、田舎の草に埋もれるように散っていく自分を想像し、宗教の本などを読んだり、病気が治ったなら、立派に生きていこうなどと思ったりしました。

     ところが病気が治ってからは、すっかりその殊勝な心掛けを忘れ,タバコは吸うは、おしるこは食べるは、女性に憧れるは、そして振られるは、念仏は忘れるは、アラビア語を習うが挫折するは、どうしようもない放蕩息子になりました。

     結核は養生第一というので、家族の中でも一番おいしいもの、例えば肉などを食べさせてもらいました。ゆで卵を5,6個も召し上がったお父様、当時は贅沢な食べ物でも、毎日では
    うんざりしたことでしょう。「にぬき」とは面白い名前ですね、たぬきの産んだ卵だからでしょうか?あっ たぬきは卵は産みませんね。(わざとらしいボケでした)

     高橋是清のことを私も調べて見ましたが・・・・
    「サンフランシスコのホームステイ先にだまされて過酷な雇用契約を結んでしまい、学校にも通えず、奴隷のような扱いを受けながら複数の家庭に“転売”されます。しかしその間、かえって生きた英語をマスターするあたりが、高橋の強いところです。
     1年後にはなんとか契約を破棄して帰国。」
    という程度のことはネットに載っておりました。

     pedaru 
    2025年06月07日06時13分 返信する
  • 江戸東京たてもの園

    pedaruさま

    こんばんは。
    江戸後期や明治時代の住まいには、何か懐かしいものを感じますね。
    地方に行くと、こういうお宅に出会ったりします。
    (保存されているものかな)

    茨城県にある、母の実家が、農家ではないのですが、黒光りした
    土間と馬の住まい、人間の住まう家に馬もいたような記憶があります。
    はるか昔の記憶ですが・・・記憶違いかな・・・?

    三井八郎右衛門邸の玄関、和の玄関のようでもあり、洋風を取り入れている
    雰囲気も感じられますね。
    歴史が感じられる立派なお宅です。
    下駄箱・・・今でも下駄箱って言っているような、いないような・・・

    子供のころ、銭湯に行っていた記憶があります。
    当時は自宅にお風呂がある家は珍しかったような。
    お風呂上りはなぜかコーヒー牛乳!
    そういえば、市川の菅野に銭湯がありましたが、今でもあるのかな。

    hot choco
    2025年06月04日22時41分返信する 関連旅行記

    RE: 江戸東京たてもの園


    hot chocolateさん おはようございます。

     パソコンが壊れてから電源を切ったままに、パソコンなしでいましたが、今朝
    試しにコンセントを指してみると、なんと、治っていました。
    やはり、普段慣れたものがいいですね。
     そこでhoto chocoさんのコメントを見つけました。

     私の母の実家は栃木県にあります。子供のころは何度もいきました。行って家の人に
    ちやほやされるのが嬉しかったのです。やはり広い土間と黒光りする大黒柱がありました。

     結婚してから子供たちを連れて行くと、牛小屋から発生したハエが顔に止まったりして、子供たちは恐怖におののいていました。

     昔は田舎でも銭湯は賑わっていました。子供たちは銭湯に遊びに行っていましたね。
    2階が畳敷きになっていてよく遊んだものです。
     
     菅野には菅野湯というのがあり、私も入ったことがあります。永井荷風も入っていたと何かに書いてありました。菅野湯がやめてからもう10年近くたつかもしれません。

     銭湯も日本の文化ですが、外国人は嫌がりますね、裸を見られるのが恥ずかしいと言ってました。銭湯も知っているだけでも、何軒かは廃業しています。市川では、私が知っているのは国分の石の湯位なものです。ではこの辺で・・・

     pedaru
    2025年06月06日06時39分 返信する
  • どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)

    師匠、こんにちは。
    今日は、寒い一日でしたね。
    最近皆様へのコメントが、なかなかできずにいます。
    (まぁ、単にズボラな性格も影響していますが)
    最近白内障気味で、皆様の旅行記を拝読するだけで精いっぱいになるのです。

    さて新宿駅ですが、今は亡き兄が小田急線の生田駅の近くに住んでいたので、学生時代は頻繁に利用しておりました。
    その頃でも、新宿駅は苦手でした!
    JRを下りたら、番線が高くなる方向(2番線とか3番線とかの意味です)に進んで行くと、小田急乗り場に出ると言われてそうしていましたが、それでも間違うことがありました。
    多分今の新宿駅に行ったら、過去からやってきた人となって、全く何も分からないことになっていると思います。
    今では池袋駅すら(学生時代はスイスイ通行していました!)、分からないお上りさんよりももっとヒドイ認知老人になってしまいました。

    また花小金井駅は、娘たち二人が一時期2年間ほど住んでおりました。
    今ではたどり着けないと思います。

    旅行記の出だしの、師匠の本当ともウソともつかないお話が、いつも面白くて、それに対する反応だけのコメントになってしまいました。
    建物については、詳しくないので、お写真を眺めて、わぁーっ、すごい!という感想にとどめさせていただきます。
    あ、越後獅子の歌は、よく知っています。
    まぁ、そういう年齢です( *´艸`)


    前日光
    2025年05月30日17時26分返信する 関連旅行記

    RE: どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)


    前日光さん こんにちは
     
     ご無沙汰しております。突然暑く成ったり、寒くなったり、今日はどんな服装がいいのか?迷うところですが、5月にこれでは恥ずかしい、などとおもうこともありますが、最近考えをかえました。
     世間の人があの半そででも、寒く感じるなら長袖でいいじゃないか、
    なにしろ、私は老人なのだ、この「老人なのだ」という言葉は、最も強い味方になりました。優先席を譲られても、躊躇なく行為を受けます。老人なのだから。以前は、背が高いせいもあって、なかなか譲ってもらえませんでしたが、最近は堂々たる老人です。(笑)。

     旅行記の冒頭の話、本当とも嘘とも思えるのでコメントが難しいそうですが、話は全て本当です。ただ、記憶違いがあるのも事実です。
     旅行記なのに、旅行と関係のない話が多くなって、迷惑なはなしですが、
    一部の人には受け入れられているので、好き勝手に書いています。
    個人情報も何もありません。肺結核だっただなんて、昔なら村八分です。

     白内障は誰でもなる病気ですが、我慢が出来る限り手術はしない方がいいのではないでしょうか?私の場合、国立病院の眼科で白内障の手術をしましたが、より悪くなりました。手術をすれば必ず良くなるとは限りませんね。

     どうも今思えば、あの若い医者、べらべら喋って手術をやりたがっていたなぁ。腕の悪いのを、口数で補おうとしていたに違いない。巧言令色鮮し仁と言う言葉を思い出しました。そういえば看護婦たちも私のガウンを素敵です、なんて褒めていたなぁ、どうも怪しい、・・・・というわけで、手術は慎重にしましょう。偏見に満ちていると感じる人もいるかもしれませんが、
    素直な気持ちで申し上げました。

     pedaru
    2025年05月31日16時17分 返信する
  • 銭湯・・・

    pedaruさん、こんにちは。
    奄美の高倉に時折、散りかかる花びらが、
    とても情緒がありますね。
    三井八郎右衛門邸は、門構えからして、すごい豪邸ですね。
    田舎のバスの歌は、田舎のバスはおんぼろ車と言う歌詞ですか?
    その部分だけだけれど、幼い頃に聞いたことがあります。
    0.2%ではなく、12%ぐらいではないでしょうか。

    女の人は髪を洗ったら、染髪料を取られたんですね。
    お湯をたくさん使っちゃうからと言う理由なんでしょうか。
    測りの上にかごが載っているのは、
    多分赤ちゃんの体重を量るものなんでしょうね。
    各家庭に、赤ちゃんの体重計なんてなかった時代ですよね。
    銭湯はある意味、社交場のような役割もあったんでしょうね。
    現代もお風呂の王様のような娯楽施設があるけれど、
    そこで、知らない人と喋る機会は全くないですよね。
    もともとシャイだった日本人が、
    もっとシャイになってしまったのか。
    それとも、スマホが、
    日本人の他人に対する興味を奪ってしまったのか?
    私はやっぱり直接喋る派なので、
    スマホを見つめている人生には、寂しさを感じてしまいます。
    yamayuri2001
    2025年05月30日13時58分返信する 関連旅行記

    RE: 銭湯・・・


    yamayuri2001さん こんにちは

     先日テレビで中村メイコさんをお見掛けしました。
    私でももう古い人間の部類に入るのに、メイコさんはまだお元気でおしゃべりをしていました。五月生まれなのでメイコと名付けたそうですね。

     誰でもそうですが、小さい子は母親が銭湯に連れて行きましたから、男の子でも平気で女湯に入っておりました。恥ずかしさを知らないなんて、あんな時代なんですね。
     永井荷風は市川市の菅野というところに住んでいましたから、お風呂も銭湯で菅野湯というところに通っていたようです。
     時代は大分ずれますが、私の店も菅野にありましたので、菅野湯には入ったことがあります。荷風が最後に食事をした食堂の大黒屋も駅の近くにありました。一度はいって食事をしておくんだったなぁ、とおもっています。

     私の次兄は出版関係の仕事をしていましたので、本が好きでしたが、電車の中で本を読んでいる人を見かけない、などと嘆いています。
     スマホでも小説を読んだりできますが、若い人はほとんどゲームだという
    情報もありますね。いいのか、わるいのか?youtubeを見過ぎると馬鹿になるという人がいますが、実際、私もyoutubeを見ていると、止められなくなり、このごろ馬鹿になった気がします(笑)。

    pedaru
    2025年05月31日15時42分 返信する
  • 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する

    Pedaruさん、
    今晩は。
    私の方はだらだらと2008年の古いドイツの旅を書き出し、記憶が薄れた旅を思い出すのに時間がかかり四苦八苦したものですが、Pedaruさんは早々と4編の内3篇を投稿されてしまわれていました。

    さて、江戸東京たてもの園の2、気になった建物だけについて、順に感想を述べます。

    吉野家は江戸時代に野崎村の名主役を務めた家だとか、江戸後期の建物ながら、式台付きの玄関など、格式を感じました。
    青梅の実家も元禄時代からの古文書も残り、村三役(名主、組頭、百姓代)を務めたとありましたからこのような建物だったのか?!ダルマ家も本家は衰退し、分家が力を付けて、その後村長や市長となっています。我が家の昔話に生糸相場で失敗し、農地解放で土地を無くしてしまったと聞き及びます。私が育った頃、父は貧乏な教師(父は師範学校出ですから、奉職と共に直ぐに管理職でしたけど)でした。同じ分家で力のあった家は長屋門を構えていたそうで、家内はその門前を歩いて中学に通ったと言います。
    薄暗い部屋には日本人形が置かれていますが、同じ人形が実家の掛け軸をかけた座敷にヌシ然としてありましたね。

    三井八郎右衛門邸はすごいですが、三井財閥の総帥の家にしては意外に地味な感じをうけました。
    八郎右衛門はWikiによると、三井家総領家である北家の当主が代々名乗った名前だそうで、港区西麻布(旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郞右衞門高公邸(11代たかきみ・・1895~1992年、1952年築)を東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移築し、一般公開されているとあります。 
    妻の鋹子(としこ:1901年-1976年)は旧福井藩主・越前松平家第18代当主・松平康荘の長女だったので、嫁入り道具を長持に入れて運んだのでしょう。
    三井家は三井十一家もあるそうで、うろ覚えの昔の記憶では三井高??さんと言う方が食糧部だった?かにおられた。

    子宝湯は千住にあった銭湯の由、これは入りにくいような、立派な銭湯ですね。
    新婚時代を青梅線の中神や中央線の小金井で過ごしましたが、借家の部屋に風呂が無くて、時に応じて銭湯通いをしました。だが銭湯がどのようなものだったか、全く覚えていない。
    雨の日や寒い時期はお互いに外で一人待つのは嫌で、そそくさと風呂に入り、銭湯の雰囲気を楽しむ事も無く、出てきてしまった覚えがあります。
    それもあって、短い期間を居住した後、横浜の社宅(風呂付)に引っ越してしまった。
    だから銭湯文化が分からないのです。
    写真を拝見すると、なんとも立派過ぎて!畏れ多い銭湯に見える。Pedaruさんは坪庭を見ながら、片手を腰に当て、コーヒー牛乳を飲んだ由、そんな優雅な事をしていたとは!!

    それではまた。
    jijidaruma
    2025年05月30日02時03分返信する 関連旅行記

    RE: 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する


     jijidarumaさん こんにちは

     ご自分の旅行記の記憶をたどるのに四苦八苦していると仰せですが、記憶をたどるだけでなく、完全主義者のjijidarumaさんのことですから、資料なども完全でなければ気が済まない性格で、私とは真逆かと思われます。

     私の場合メモや日記などはほとんどなく、写真の日付、時間などのデータのみを熟読して、あの時の状況を思い出します。フィルムのデータはすごいですね、かなりの情報を含んでいます。時系列も含んでいるのはもちろん、
    ホテルで失敗した経験も手に取る様に思い出させてくれますね。

     古い建物裏側にはその家の歴史が厳然として控えておりますね。私の実家でもどこにでもあるようなものを大切にして、良いように想像して家の歴史など語ります。家に家系図などないのに、仏壇のなかには元和元年の位牌などがあり、間違って紛れ込んだものかもしれないのに、先祖は大阪夏の陣で活躍したかもしれない、などと語っております。

     お寺は榊田康政の墓のある由緒正しい寺らしいですが、長兄が最近亡くなってから、その長女が何を思ってか、墓じまいしたいなどと言ってきました。男子がいないこともあって、我が家はこれまでかと、思った次第です。
     市内に住んでいることだし、墓じまいの必要が無いと思うのですが、流行の波に乗ろうとしているのかもしれません。

     銭湯の思い出は子供の頃のことになりますが、群馬の平野部でも、冬は空風の吹く寒い夜など、濡れ手ぬぐいを広げて歩くと、ぱりぱりの板のように凍ってしまったものです。
     風呂屋には二階があって、大人は湯上りに将棋をさしたり、昼寝をしたり、子供はかくれんぼをしたりしていました。安い湯銭で遊べました。
    父などは自宅に内風呂が出来ても、おしゃべりしたくて、銭湯に毎日いっていましたね。のどかな時代でした。

     pedaru

     
    2025年05月31日14時55分 返信する

    RE: RE: 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する

     榊原康政の間違いでした。お詫びして訂正いたします。
    2025年05月31日16時30分 返信する

    館林藩10万石と榊原康政の菩提寺

    pedaruさん、
    今晩は。わざわざの御訂正了解です。

    勿論、あの名前は徳川家康の4天王の将・榊原康政であるのは分かりました。
    というより榊田を普通に榊原と読んでしまっていた。

    その榊原康政の墓は館林の善導寺にあると、調べてみると城址にも近く、すごい墓石が残る名刹ですね。御実家の墓がこの寺にあるのも多分歴史と格式あるお家なのでしょう。家の歴史はどこの家でも語り部がいて、ずっと語り継がれてきています。御先祖が大阪夏の陣で活躍したといった事も存外真実かもしれませんよ。
    我が家も父の実家を遡ると武田の武将が帰農したとの話も残ります。

    ともあれ、名刹での墓じまいはpedaruさんも何やら残念に思われている様子、私もそれを感じます。
    昔の人は養子制度をうまく利用して、家や墓も代々守ってきました。私の実家は母が曽祖母の家に養女に入り、父を婿に迎えています。過去帳や戸籍を見ると、そうしたケースが度々見受けられました。(こうした事を知ったのはなんと70代になって、母の日記や古文書を読み、戸籍を調べたからでした)
    我が家(私は次男坊)は娘二人を嫁に出してしまったから、孫5人のうちの一人でも良いから養子にと思うのですよ。

    さて、榊原家館林藩は10万石の町ゆえ、良い町ですね。
    何故か、入社したての頃、彼女(今の家内)と2人で有名な、広大な「つつじが岡公園」のツツジ見物に行ったことがあります。
    ここのツツジと、「証城寺の狸囃子」のモデルになったお寺として知られた茂林寺に加えて館林城跡を見た記憶があります。
    その時の若い若い背広姿!の写真もアルバムにあるのですが・・・(笑)。

    旧秋元別邸、足尾鉱毒事件田中正造記念館などもあったようですが、訪れていません。

    先日、家内の母の17回忌で青梅に帰った際に、茨城の古河公方の町、平将門の遺跡など巡りました。考えてみれば、館林藩は古河藩にも近いではないですか!寄ってみればよかった。

    それではまた。
    ちょっとはずみで、また調べてしまいました。時間がかかるはずです。
    jijidaruma
    2025年06月01日01時00分 返信する

    RE: 館林藩10万石と榊原康政の菩提寺


    jijidarummaさん 

     ちょっとはずみを提供してしまいました(笑)。こんなに反応の良い人はまれです。館林も城下町ですので、多少は記念碑になるものもありましたが
    文化の程度が高くないので、江戸時代の箱火の見櫓、三の丸をはじめとする堀、武家屋敷、その他は破却されました。私の青年期にはまだありました。

     善導寺はもともと館林駅前にありましたが、寺の老朽化のため檀家に経済的負担をかけないよう、現在地、つまり東北道の舘林出口付近に移転しました。あまり話題にはなりませんが、墓を掘って移転するときに、ある豪商の家の墓に、その家の奥様が埋葬されていましたが、まだ若い女性だったためか、全身を和紙で包み漆を多用して埋めたため、発掘時には死んだときのままだったそうです。空気に触れた途端腐食がはじまり、埋葬許可をとって
    焼却したそうです。
     NHKスペシャルなどで放送して欲しかったですね。貴重な記録になりそうです。
     現在でも寺の土地は広大で街の一等地を所有しているため、檀家はあまり寄付などしないで済んでいるようです。できれば我が家など、経済的支援を
    希望していますが、さすがこれは叶いません。お布施を値切るくらいしか
    支援はありません(笑)。
     つでに余談ですが、寺が移転した時、葵の紋のついた巨大な瓦を無断で頂いております。今となっては単に邪魔になるだけですので、庭の石の後ろに置いてあります。住職は兄の同級生の子供ですから、叱られる恐れはありません。私もはずみで余計な話をしてしまいました。お邪魔しました。

     pedaru
    2025年06月01日13時24分 返信する
  • 『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。

    今日は。
    もう、ずいぶん・・昔。に
    『東京 たてもの園』に お邪魔しました。が

    こうして、いろいろな・・建築物を 見ている。と
    その 説明・・と 共に、「いいなぁ~」と 思いますね。

    お金持ち!の『東京都』の 管理下・・なので、
    しばらくは、「安泰!の『たてもの園』でしょう」が
    全国各地!には「いろいろ・・似た、場所」が あります。が

    今後・・の「建物の 維持管理費」が、大変!と 心配・・に なります。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。

    そして『三井家』の ゴージャスさ!は、際立っていますね。
    風呂屋。小さな・・お店。に、洋館。農家・・と、
    見所を 集約した『たてもの園』は、
    ーーー「ミニ 明治村」とも 思えますよね。(笑)
       これからもよろしくお願いします。 
    2025年05月29日14時27分返信する 関連旅行記

    RE: 『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。


    白い華さん おはようございます。

     中国の旅行記を拝見して、まず第一にコメントしなきゃとおもっている
    矢先にまず書き込みいただいてしまいました。
     さすが華さん、すでにたてもの園はご存じだったのですね。なんにでも興味深い方ですから、とくに建築物がお好きなようですので、たてもの園は
    印象的ですよね。
     東京下町は江戸時代から内湯が禁じられていましたから、銭湯が発達したようです。鳥越あたりにも帝国湯などありましたね。いまでもあるでしょうか?
     木造建築がおおい日本では古い建物の維持管理はたいへんです。それに引き換え、英国では、とくにスコットランドなどでは廃墟になった古城を
    修復しないで崩れたままにして、それを売りに見物させている気がします。
     木造家屋を保存するのは世界的にも難しいことなんだなぁ、と思います。
     
     後日、華さんがおとずれた北京の素晴らしい建築物の感想を書こうと思っております。 

     pedaru
    2025年05月30日06時14分 返信する

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