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pedaruさんへのコメント一覧(5ページ)全3,466件

pedaruさんの掲示板にコメントを書く

  • 結核・・・

    pedaruさん、こんにちは。
    18歳の時に結核と闘病されたんですね。
    さぞかし、御苦労がおありだったのではないかと思います。
    それにしても、ストレプトマイシンが出来た後で、
    良かったですね。
    私も六歳までは虚弱児童だったのですが、
    函館で、夏休みに一か月転地療養して、
    その後、健康優良児になりました。
    今思うと、六歳の頃のガリガリな体型で居たかったです。
    でも、1週間に一度高熱を出すのは、
    やはり辛かったですね。

    高橋是清の家が保存されているなんて、凄いですね。
    そして、素晴らしい建築物で驚きました。
    そこに実際に入れるなんて、
    これまた驚愕です。
    やっぱり江戸東京たてもの園は、一度行ってみなくてはいけませんね。
    yamayuri2001
    2025年07月06日15時48分返信する 関連旅行記

    Re: 結核・・・

     yamayuri2001さん おはようございます。

     いつもありがとうございます。
     yamayuriさんが転地療養で健康優良児に変身したのは、なんとすばらしいことでしょう。
     アルプスの少女ハイジの中の、クララと重なります。子供は自然のなかで成長するのが理想なのですね。
     ガリガリの体型でいたかった?なんという罰当たりな(笑)、ご両親の心配を考えてごらんなさい。とはいえ、私も自宅療養でしたので、母には大変な苦労をさせてしまいました。

     たてもの園は訪れる価値があるかとは思いますが、横浜には敵いません。私も以前、横浜の外人住宅を何軒が見ましたが、どれもすばらしいですね。ひときわ素敵な家があったなら表札をみてみましょう、yamayuriと書いてあるかもしれませんね。

     pedaru
     
    2025年07月07日06時42分 返信する
  • 都会ですね。

    銅板張りの家は見た記憶がありません。タイル張りはかすかに記憶あり。
    山手線の内側に住んだことがないので、そのせいでしょう。
    東京の西側の郊外をウロチョロしておりました。
    郊外といったって、当時は田んぼや畑が広がっていた時代で、現在の基準ですとなんちゃって田舎かプチ田舎です。
    そういう気の利いた建物はなかったのです。

    傘屋さんの前の自転車でひくリアカー、ありましたね。これから発展したのが大村崑のミゼット。

    旅館ですが、1950年代では、女一人旅だと泊めてくれなかったと聞いております。
    女一人旅は失恋で自殺されると困るというのが理由とか。

    神棚。
    昨年6月になくなった伯父の神棚を我が家にもってきました。私以外に身寄りがなかったので、しかたがありません。
    近所の神社に持って行って魂抜きのうえ、御炊き上げのよていです。
    引っ越し屋さんに頼めば、家具と一緒にばらして持って行ってくれるそうですが、それはなんとなくできかねました。

    田舎には
    なんちゃって田舎
    プチ田舎
    The田舎
    King of 田舎

    というグレードがあります。
    房総は駅周辺以外は概ねプチ田舎、一部The田舎です。
    King of 田舎は都会人が住むと地元のテレビ局が取材に来るレベルですから、このへんにはありません。
    2025年06月27日10時20分返信する 関連旅行記

    RE: 都会ですね。


    しにあの旅人さん こんにちは

     いつもありがとうございます。

     田舎の定義をお伺いいたしました。市川のこの辺はthye田舎の部分となんちゃって田舎の混合です。引っ越してきたころは縄文人かと思われる老人が背中に籠を背負って意味不明の言葉を発していましたが、徐々に純粋の土人は絶えてきました。

     私なら土地の100分の1でも売って資金にして、3か月くらいの小旅行に海外にでかけるのですが、縄文老人たちは、土で汚れた野良着で年中をくらし、贅沢と言うものをしません。
    ある意味では崇高な精神でもありますが、多少は文明開化を味わってはいかがかとおもいます。

     銅板張りの家をご存じありませんか?御徒町あたりの問屋街には、空襲をかいくぐった銅板張りの家が何軒も残っております。ここしばらく行っていないので、まさかなくなっては無いと思いますが、まだまだあるはずですよ。
     看板建築として保存されることはないと思いますが、実用的な本物の銅板張り店舗です。
     是非一度、御徒町で下車して歩いてみてください。面白くもなんともありませんが(笑)。

     pedaru
    2025年06月28日15時57分 返信する
  • 下座床です。

    追記です。

    宗偏流の茶人、山岸宋住(会水)が施主で長岡に建てらてた茶室なんですね、
    江戸時代からの藩主の茶道が宗偏流だったそうです。
    色々、勉強になりました。

    因みに、この床の間は「下座床」と言います。
    座る位置の事は省きますが、お客様の人数などで変化しますし、親しい間柄などや数寄者の方の集まりでも変化して、本当に奥深いものが有ります。

    小間の茶室というのものに基本はあっても、変化球が出来るというのが憧れの一つですね。
    当日のご招待客の御顔ぶれを考えて、お道具組などを設える、御亭主様のワクワクする心根が羨ましい限りです。

    長々と失礼致しましたと、書き忘れました。
    rinnmama
    2025年06月23日19時40分返信する

    RE: 下座床です。


    rinnmamaさん 引き続きご丁寧にありがとうございます。

     市川市の北のほうに国府台(こうのだい)というところがあり、そこの樹木の中に、
    なんとも味のある草案と呼べるかどうかわかりませんが、時代のかかった家があります。
     説明によれば、古田織部が創設した織部流で、利休の弟子ですが、師の侘茶にたいし織部流は大名をも対象とした華やかな茶だったようです。

     後継者不在の流派のようで、さびれた茶室がそれを象徴しているような気になりました。
     日本の優れた文化を守って行ってほしいと切に思いました。

      pedaru
    2025年06月24日06時09分 返信する
  • 茶室・会水庵

    pedaruさん、こんばんは

    遅掛けの訪問で、コメント失礼致します。
    私も行った事が無い茶室でしたが、口コミ等で内部が拝見出来ましたので、わかる範囲でコメントを残させて頂きます。あくまでも素人から抜け出れない私ですので、その点はご容赦頂きたくお願い致します。
    小間の茶室は数寄者の方が多いので、色々な工夫がされています。
    ですから、見所満載なのが、この様な茶室です。

    草庵という形の茶室で利休が目指した理想的な侘びの空間が、出発点になっていると
    茶の湯の建物の大家・中村昌生氏は仰っています。

    日本の芸術には、真・行・草という様式概念が有り、茶の湯においても手前が有るように、茶室にも様式の変化が有る。

    ですから、利休が目指した小座敷の世界は草中の草ですが、その中で緩やかになった草もある。それで、茶室の場合は様式という言い方は適当では無く、作る人の個性・好みが自由に躍動する茶室こそが、良い茶室ということになる。

    そんな茶室のさまざまな姿が出そろうのは、江戸時代の初期の終わりから中期と考えられ、その中で自分好みの草庵を作り上げているので、この三畳台目と呼ばれる茶室も、広さをどの様に工夫するか考えられたのでは?と、拙い私の知識で思いました。
    (ここまでは中村先生の本の文中を、参考にさせて頂いています)

    躙り口から腰を落として中を拝見後、入出するのですが、目の前に向こうに三畳の畳が横並びに並んでいて、向こうに床の間が有り、右手に踏み込み畳が有りますので、必然的に正客様が上座に座り、下座に詰めと言われる末客様が、並べる合理的な小間だと思いました。

    お客様の向かいで御亭主様は点前が出来ますので、逆勝手と言われる所作では無いのも点前がし易いです。給仕口(上が丸い入り口)も使いやすい位置にありますので、会席料理も出しやすいですし、小間の茶室で狭い空間ですが、居心地の良い茶室に思います。広めの小間ですので、明かるのではないでしょうか?

    久しぶりにお茶会に行った気分で、茶室を拝見させて頂きました。
    現在は大寄せの茶会(大広間に大勢いが座り、点て出しのお茶を頂く)ですので、この様な優雅な茶室で一服頂きとうございます^^なんってね!
    有難うございました。

    rinnmama
    2025年06月23日19時04分返信する 関連旅行記

    RE: 茶室・会水庵


    rinnmamaさん おはようございます。

     茶道といえばrinnmamaさんですので、気軽にお名前を出しましたが、大変なお手間をとらせてしまいました。
     でもお茶の当事者からのコメントをいただいて感激しています。

     興味深いことの一つに、お茶の世界でも本勝手、逆勝手があるのですね。
     すこし華道をやっていましたので、逆勝手の花の生け方は文字通り副、体とも逆になります。日本の美の追求の姿は共通なんだといまさらながらおもいました。

     4畳半でも狭いと思うのに,3畳のしかも畳を好みの小さくして、そこに自由な世界、いや宇宙を作って三昧にふける、というのか特異な思想なのですね。奥が深いのだろうと部外者ながら感心しております。

     まったくの無知の物からの質問ですので、どこまで理解できたかは疑問ですが、その一端に触れた気分です。ほんとうにありがとうございました。

      pedaru
    2025年06月24日05時52分 返信する
  • 自分の都合で4編に分けました

     ふわっくまさん おはようございます。

     手慣れた方なら1編で充分な旅行記なのですが、どうしても写真が捨てられなくて
    とうとう4編になってしまいました。
     旅行がおおいふわっくまさんなら肝心な物以外は、思い切って処分してしまうでしょうが、優柔不断のpedaruはつまらない写真や、入場券などを取っておくのです。
     なんでもない女性の年賀状などを、捨てないでいるものですから、妻に疑われて
    責められることが多いのです。

     たてもの園の銅板加工、いまでもこの技術は継承されているのでしょうかね、ブリキ職人というのがいて、炭火に乗せた巨大なはんだごてを駆使して、雨どいなどを
    制作していたのを子供の頃見た記憶があります。既製品と違って、個性的な家の雨どいや、戸袋など、芸術的と言ってよいほどみごとな技ですね。

     小平市のマンホール蓋の写真は2枚でした。最近のニュースでは大谷翔平を描いたマンホール蓋が出来たと伝えていました。マンホール蓋は今や、流行の先端に位置していますね。そのうちどこかの街でマンホール蓋の博物館がオープンする気がします。
    そのときは、ふわっくまさんを館長として推薦します(笑)。

     pedaru

     
    2025年06月21日05時26分返信する 関連旅行記
  • マンホール蓋

    pedaruさん、こんばんは。
    江戸東京たてもの園4編目に、マンホール蓋が登場する予定ということで
    小平市のものを2種類、拝見させていただきました(^_^)
    カラー版は魚でしょうか、カラフルですね♪

    さて植村邸や丸二商店の看板建築、銅板張りが見事で
    その荒物屋さんの内部まで、時の経つのを忘れるって同感に思いました。
    重厚な造りの蔵も、思わずクラッとしそうです。

    ラスト=夜の桜並木の寂しげな提灯にまた風情を感じました、ありがとうございました
                 ふわっくま
    2025年06月20日17時59分返信する 関連旅行記
  • 江戸東京たてもの園

    pedaruさん、こんにちは。
    銅板張りの植村邸の色が、なんとも魅力的ですね。
    長い月日を経て、こんな素敵な色になったんですね。
    太平洋戦争の爆弾の跡と一口に言いますが、貴重な文化遺産ですね。
    荒物屋って、懐かしい表現です。
    今の人には、何を売ってるか見当もつかないでしょうけど、
    私はなんとなく分かります。
    あのレジスターも、なんとなく覚えています。
    ものすごく懐かしいですね。
    たてもの園の中に居ると、一日中
    タイムスリップしたような不思議な気持ちになるんでしょうね。
    または、映画のセットの中にいるような気持ちでしょうか。
    それにしても、たてもの園の魅力を
    ここまで表現出来るpedaruさんは、
    素晴らしいなと思いました。
    是非一度、行ってみなくては。
    丁寧なご紹介、ありがとうございました。
    yamayuri2001
    2025年06月19日15時46分返信する 関連旅行記

    Re: 江戸東京たてもの園

    yamayuri2001さん おはようございます。

     いつもコメントくださいましてありがとうございます。
     たてもの園にある家具や調度品は家と同じ年月を過ごしてきた歴史の証人です。こういうところを訪れると、懐かしく思えるものがたくさんあって、あれはこうだ、子供の頃使ったものだ、とかこれはこういう使い方をするのだ、などと蘊蓄がほとばしります(笑)。
     孫がいる年代だとその歳でなければ知らないものがあり、仲間意識が芽生えて嬉しくなりますね。

     我が家でも狭い庭の入り口の門に自然木の柱を立てましたが、その頭に職人さんが銅板で木に合わせ丸く帽子を作ってくれました。
     30年くらい前のことですが、その間にすっかり風雨にさらされてきれいな緑色に変色しました。銅板は塗装をしなくても美しい色に変色するのですね。

     江戸東京たてもの園ならyamayuriさんも楽しく過ごせると思います。
    是非一度お出かけされることをお勧めします。
     暑さに気を付けてお過ごしください。

     pedaru
    2025年06月20日06時17分 返信する
  • 複雑化する新宿駅

    pedaruさん、こんにちは。

    新宿駅の乗り換えは複雑で、わかりづらい。
    同感です!
    中央線から京王線や小田急線などは、
    構内を歩けば繋がっているから、なんとか辿りつけますが、
    西武新宿線は、全く別の場所にありますから
    私も初めて行った時は苦労しました…。

    ここ数年は新宿駅の西口側で大規模工事をしているので、
    行くたびに、通行禁止の場所が変わるのも
    さらに新宿駅を迷宮化していました。
    ここを行けばホームへ上がれるのに~という通路が閉鎖され、
    ものすごく遠回りさせられたりして
    あれはイライラします。

    江戸東京たてもの園。
    何度か行ったことがあります。
    私は「前川国男邸」が好きです。

    「冬の日差しが飛び込んでくるような居間ですね」と
    コメントされているお写真、素敵ですね。
    ここで毎日、読書したりお茶を飲んだりできたら
    どんなにいいだろうなと憧れます(^^)
    kiyo
    2025年06月19日08時42分返信する 関連旅行記

    Re: 複雑化する新宿駅

    kiyoさん おはようございます。

     コロナをきっかけに海外旅行ができなくなり、これからは国内で旅行をしようと決心しました。
    国内なら鉄道に乗るにも、緊張することもないし、なんでも分かるし、言葉で苦労をしなくても済むし、などと気楽に考えていましたが、市川から
    僅かの距離の新宿、電車の乗り換えで苦労するとは、自分が急に歳をとってしまった気になりました。
     海外では物を訪ねると、皆さん親切に教えてくださいます。外国人に関心があっても機会がなければ話しかけられません、そこで、道を訊かれたりすると喜んでおしえてくれるのですね。
     
     江戸東京たてもの園の建物は、物によってはかなりの部分を改装しているらしく、ある年代に絞ってリフォームしたりしていますね。
     古い家とは言え、新築するよりお金がかかっているように見受けられます。お陰で充分楽しむことが出来ますね。

     4トラベルをやっているお陰で、いろんな土地に興味を持つようになりました。パソコンのお陰で、海外旅行も楽になり、こんな私でも気軽に
    海外に出かけることが出来ました。

     松本城をはじめとする松本の旅行記、2編も一度に公開されていましたね。城下町らしく気持ちが豊かになる町ですね。知らなかったことも多くて旅行記を楽しく拝見しました。またよろしくお願いします。

     pedaru
    2025年06月20日05時52分 返信する
  • 江戸東京たてもの園4編はpedaruさんだから書けた!

    pedaruさん、
    今晩は。

    興味深い4編!実に面白かったです。(これぐらいに分けると読みやすい)
    この4編は私の4Traのお仲間の中では、貴兄意外に書けないかと思料します。

    荒物屋に見た火鉢と同じようなものを家内の実家から持ち帰り、メダカを
    飼ってみたり、実家の台所にあって水甕(子供の頃、庭先の離れた井戸
    から水をくみ上げて、水甕に飲み水を補給するのが私に役目でした)を
    玄関先に置いて見たり、意外と重宝したものです。

    さて、本編も読み進むうちに、何と我が故郷の旅館が出てきましたので、
    ビックリ。
    その「万徳旅館」(青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館)は
    実は我が家の実家と書けば、お喜びになるかなと?(笑)。
    冗談です。

    1950年(昭和25)頃も営業中だったとありますから、私が7歳の頃です。
    西分には父の妹が嫁に行った家(私の父と同じく小学校の校長を務め、古く
    は地元西分村の名主)があり、親父に連れられて行き来した事があります。
    叔母さんの家は歩いて数分の所でした。残念にも、子供の頃の記憶にこの
    旅館はないですね。この旅館と似たような旅館がもう少し西の住吉神社
    近くにあった記憶があります。
    かつての青梅は夜具地(やぐじ)織物で繁盛し、ガチャマン(その頃、
    青梅で言われる「ガチャ萬」という言葉は、機織りの機械が一度「ガチャ」
    と音がしたら一万円儲かると言われ、これを称して「ガチャ萬」という
    猛烈な時代でした)の話が残るほどで、それらの商人たちがこうした
    旅館に宿泊したのだろうと思います。芸者さんの置屋もあり、そこそこの
    人数が私の高校生時代にまだ残っていました。
    因みに、1955年(昭和30年)頃、大女優 香川京子さんをモデルに起用
    したのが青梅織物工業協同組合で、家内の実家も小さな工場を経営して
    いたから、そのポスターが張られていたのを目にしています。

    書き出したら長くなりました。いつもながら恐縮、恐縮です。
    ではまた。
    jijidaruma
    2025年06月17日00時51分返信する 関連旅行記

    RE: 江戸東京たてもの園4編はpedaruさんだから書けた!


    jijidarumaさん おはようございます。

     jijidarumaさんのような方からコメントを頂くと緊張します。
    というのは、jijidarumaさんの知識は半端な量でなく、引き出しの数が多い上に、その一つ一つに沢山のトリビアなどが収まっておりますので、私の方もいい加減な根拠で書いているため、どこを指摘されるか薄氷を踏む思いです。(昨日の暑さでは、薄氷も得難いですが)

     実は青梅街道沿いにあった万徳旅館のこと、これはjijidarumaさんを念頭にとりあげました。きっと反応があると確信してアップロードいたしました。
     青梅市は古い物を大切にする余裕のある町だと思っております。たしか生活用品などを展示し、庶民の生活の歴史を知ってもらうために開設した展示館のようなものがあったと記憶しております。そこで私が使用して間もなく止めてしまった写真の焼き付け装置を保管しております。65年前のものですので、展示のかちがあるか、ないか疑問ですが、捨てるには惜しいと思い、ここでもらってもらえないか、などと思っております。その他8ミリフィルムの映写機なども眠っております。なかなか行動に移せないので、結局は粗大ごみになってしまうでしょうが・・・・・。

     古い建物や、そこに展示された生活雑貨を見ると、過去が蘇るので楽しいですね。
     また始まったと若い人に囁かれないように、同じことはなるべく語らないように気を使っておりますが、指摘されたときは気まずいですね。
     若い人が知らなくて、我々だけが知っていることが沢山あり、これを言うと目を輝かして感心する、おりこうな孫などがいると嬉しいですね(笑)。

     女優の香川京子さんのポスターなら私も欲しいところです。知的で上品、美しい、憧れの存在です。青梅市の織物工業組合も味なことをしますね。売り上げ倍増でしたでしょうね。

     私こそ美人の話をしたら長くなります。ではこの辺で、お元気で。

     pedaru
    2025年06月18日05時56分 返信する
  • 看板建築

    pedaruさん

    おはようございます。

    ここの建物は確かにスゴイものが多いですね!
    いつもドラマを見て思うのですが、明治や大正時代の建物で演じているシーンが多々あります。
    それこそ明治村や映画村などで撮影しているようですね。
    しかし、この江戸東京たてもの園も絶好のロケ地。
    小路などもいいカンジです。

    さて、看板建築というのも楽しいですね。
    銅板を使えば長年の風雨に耐えますし、メンテ不要に近いでしょう。
    内部の手すりなどにも銅を使うというのも贅沢です。

    文具店の内部も素晴らしいですね。
    桐箱が壮観でした。
    一度は行って見たいと再認識しましたーー。

    norisa

    2025年06月15日06時40分返信する 関連旅行記

    RE: 看板建築

     norisaさん こんにちは

     朝、他の人のコメントに返事を書いているうちにnorisaさんのコメントが入っていました。
    朝のうちに返事を書こうとも思いましたが、おざなりになってはしつれいですので、
    用事が 済んでから書こうと思いました。
     などと言っても、私が姿勢を正しても、大した内容の文が書けるわけでもないですが、
    せめて姿勢だけは正したいと思います・

     ここ江戸東京たてもの園の特筆すべきところは、それぞれの建物が、ゆったりとした自然のなかに移築されて、むしろオリジナルの場所よりも素敵なロケーションに建っている感じです。小金井公園という広大な敷地を利用した良い例だと思います。

     銅板でくるんだ看板建築は素晴らしいですね。大量生産、規格通りのサイズ、形が
    現代の宿命ですが、当時はベテランの職人が、腕に撚りをかけ誇りをもって作られたものですね。模様を作るため、銅板を小さく切断し、正確に折り曲げ、組み立てると、溶接なしでもぴっちりと出来上がり、百年以上も持つのですね。

     このような銅板でくるんだ住宅は(ほとんど店舗ですが)まだ御徒町あたりに現役として活躍しています。ほとんどは壊れそうな状態で見るに忍びないのですが。

     ここたてもの園の住宅は運がいいと言いますか、現実は取り壊されるのが運命です。
    諸行無常ですね。

     pedaru
    2025年06月15日13時40分 返信する

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