2025/04/12 - 2025/04/12
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pedaruさん
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当旅行記①の冒頭で、新宿駅での乗り換えの困難さを書いたが、新宿といえば特別の思いがある。
私は18歳の時に肺結核という病魔に取り付かれた。当時ようやくストレプトマイシンという結核の特効薬が出回り、結核は死の病ではなくなっていた。
しかし肺結核は肺病などと呼ばれ、幾多の前途ある有能な青年の将来を奪った恐ろしい病気だった。一葉も啄木も数えれば枚挙にいとまが無いほどの人々を死に追いやっていた。
自宅の一部屋が私の療養のために充てられた。知人友人が見舞いに訪れた。
その中で、中学時代の担任の先生も来てくださった。
どういう訳か先生は特別に私を理解してくれて、在校中も親しくさせて頂いた。この人はまだ独身の若い先生だった。美文の小説などを熱っぽく語る作家志望の人だった。
この人が、同僚の家庭ある女性教師と怪しい関係だ、という噂が療養中の私の耳にも伝わってきた。麦畑で会っていた、とか街角で目撃した、などの話が面白おかしく広がっていた。病気で寝ている私には断片的にしか話は伝わってこなかったので、先生が学校を辞めたという事も後日知ったくらいだった。
極太のペンで書かれた手紙をもらったのはずっと後のころだったが、そこには文学を志すために勉強している、仕事は出版社の校正の仕事をやっている、などの内容だった。その後何度か手紙のやりとりがあったが、徐々に疎遠になってしまった。
手紙には、いいものが書けたら、ぜひ君にも読んでもらいたい、などと書かれていて、君も書いたらどうですか?ユーモア小説など向いていると思うけど」などと言っていた。
私はおおくの同級生のように、今でいう不倫という事を、声高に非難する気もなく、むしろ職業を捨てても人を好きになってしまう人間の悲しさを体験してしまった人への温かいものを感じていたので、それが原因で先生と疎遠になったとは思えなかったが、なにか手紙を出す気にもなれず、自分の生活にかまけていた。
先生は新宿区の下落合というところに下宿しているらしかった。○○方と言う宛名だし、電話もいまどき呼び出し電話だったので、どんな暮らしをしているか想像に難くはなかった。
最近林芙美子の随筆を読む機会があり、芙美子自身も、そして良く知られた作家たちがこの地に住んでいたことを知った。
先生がどんな気持ちで下落合に住み、毎日を過ごしていたかを想像すると、たまらなく寂しく、同情の気持ちが働いて、お会いしなくて正解だったのか、あるいは懐かしく再会を喜んでもらえたのか迷うのだ。
今私の年齢を考えるとまだ先生が存命とは考えられず、逡巡の年月だったなぁと思うのである。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車 JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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高橋是清邸
昔、東京新聞に連載されていて、断片的に知っていた高橋是清その家に遭遇するとは
ラッキーです。 -
まず正式に玄関から入ります。といっても他に出入り口はありません。
総栂普請だそうです。
栂(ツガ)は、大径木で、端正な柾目、適度の油分、そして蟹杢(かにもく)と呼ばれる模様など、美しい特徴を持つ木材です。これらの特徴から、床柱、建具、内装材として、特に数寄屋建築や高級邸宅で好まれてきました。 -
彼の生涯は若い頃から波乱に満ちています。 1867(慶応3)年、英語の力を伸ばすことを志し、14歳でアメリカ・サンフランシスコへ渡航、アメリカ人夫妻のもとで暮らすことになった。 しかし、その家庭から、奴隷の身分で他の家庭に身売りされてしまいました。学校に通うどころか、契約書には奴隷として働くことになっていたそうです。14歳の子供は簡単に騙されてしまったのです。
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さすが名政治家の住まい、ここが母家です。
日露戦争時の外債募集:
日本銀行副総裁として、日露戦争の戦費調達のために英米での外債募集に奔走し、手腕を発揮しました。
弱小国の日本が大国ロシアと戦争するというので、世界は驚き、敗戦は確実視されていました。こんな中で、戦争をするから日本にお金を貸してください、とお願いする高橋是清、日本の国債を引き受ける国なんてありません。
いかにこの戦争が正当なものかを誠意をもって各国で交渉し、ついにユダヤ人実業家が投資することになったそうです。それが口火となって資金が集まり始めました。
日露戦争に勝てたのは高橋さんの力によるものが大きいのです。 -
日本銀行総裁:
1911年に日本銀行総裁に就任し、金本位制の確立や金融政策の立案に携わりました。
日本橋にある日本銀行本店を建てたときのエピソードが小説にあります。
2階部分に自然石を使うと、その重量に耐えることが出来ない、そこで高橋総裁は石材を薄くカットしてレンガを挟むよう提案したらしい。
設計は辰野金吾です。 -
縁側からは庭が見えます。
港区赤坂にあった高橋邸の庭園を復元した庭です。 -
右側にある牢獄の檻のような木製のものは、地震にそなえて家を補強するための近年の造作です。
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2階は是清の書斎や寝室として使われ1936年(昭和11年)の2・26事件の現場になりました。青年将校によるテロは高橋是清という日本経済を救う人物を失うことになりました。
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欄間の透かしが美しい。
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是清は7回も大蔵大臣を務め、日本経済の安定に尽くしました。
総理大臣にも就任していますが半年で辞任しています。 -
庭に面した廊下にはこのような木製のガラス戸、もともとあったものとは思えないほどのモダンさです。
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仏間でしょうか?
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床の間、都会の家らしくシンプルな床柱です。
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透かし彫りの欄間です。見どころがありますね。
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2階の縁側から見える庭、東京赤坂にあった庭とは思えません。
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人の手をかけ過ぎない優しい自然を感じさせる庭ですね。
実は大変手のかかった庭です。 -
明かりが十分入る廊下の角。
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是清とお孫さんでしょうか?凶弾に倒れる前の写真です。
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会水庵
宗偏流(そうへんりゅう)の茶人、山岸宗住が建てた茶室です。
1957年劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。
本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳目小間の茶室です。????何を言っているのか分からない、rinnmamaさん 教えて。
台目畳(だいめだたみ)とは、茶室で使用される畳の一種で、通常の一畳の畳より短い畳のことです。具体的には、一畳の長手の約4分の3の長さの畳と定義されることがあります。
台目畳は、茶室の侘び寂びの雰囲気を際立たせる要素の一つとして、小間(こま)の茶室などでよく使用されます。小間とは四畳半より狭い茶室を言います。ですって。 -
客人はここに腰掛けて待ちます。
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躙り口(にじりぐち)
この小さな出入口を使います。詳しいことはrinnmamaさんまで。 -
見事なつつじの花です。花を撮影している人を、撮影しました。
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「あっ 公園前派出所だ」 小さな子が言いました。
万世橋交番です。
デザインや建築様式から明治時代のものと思われます。
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、レンガ造のため移築の時
にはトレーラーでまるごと運んだそうです。 -
皇居正門石橋飾電燈
石橋の欄干にある柱石に計6基設置されていたものの一つです。
飾電燈の台座にあたる石の部分は、展示にあたり復元したものだそうです。
明治20年代 旧所在地 千代田区千代田 -
上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
望楼は近代の火の見やぐらです。三脚四層式外廊型で、旧所在地では役23・6mの高さがありました。1970年まで使用されました。
建築年1925年(大正14) 旧所在地 台東区東上野五丁目 -
都電7,500形
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・神田須田町まで走っていた車両です。
交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて廃止されました。
1962年製造 -
村上精華堂(化粧品屋)
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品屋です。
昭和前期には、化粧用クリーム、椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを
やっていました。
建物は正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を表現するなど、当時としてはモダンな造りとなっています。
・・・洗い出しって、小粒の石をセメントに混ぜ、そのまま表面を塗装し、ほどほどのところで、水をかけ表面のセメントを洗い流すというものだと思います。たぶん。 -
店内は奥に階段があり、その後ろにはお勝手らしくご飯を炊くつば窯が見えます。
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店内は外観と異なり、雰囲気が違います。木の棚、机の上には黒電話と五玉の算盤、
紙縒りでとじた帳面が置かれています。 -
壁にかかっているのは金文字の看板
「精華香油 村上精華堂」と書いてあります。
創業者の村上直三郎氏はアメリカの文献を研究して化粧品を作ったと言われています。 -
片側はごく一般家庭の家の造作です。
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ここに看板建築のサンプルがありました。
木の板を柱状に作りその上から漆喰やセメントで形を作っていきます。
漆喰職人の名人芸です。 -
さて、隣は農家の天明家です。
門に至るまでかなりの道のりです。
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道は曲がって長屋門をくぐります。
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江戸時代、村の重職をつとめただけあって、門も立派です。
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門を挟んで住宅が並びます。
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右側の家
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縁側付き
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昔はガラスが無かったので、障子紙一枚で外と隔てられていたのですね。
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花が満開で来客を迎える天明家です。
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正面に千鳥破風を持つ母家です。
千鳥破風 (ちどり-はふ)とは、屋根の斜面に設けた小さな三角形の破風のことです。主に装飾や通気のために用いられます。 -
農家によくある玄関の土間。
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土間にある竃(かまど)
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座敷に切られた囲炉裏、家族団らんの場です。
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客の出入りが多かったとみえ、座敷数が多いですね。
農家は板の間が多く、畳数は少ないのが普通です。 -
庭に面した廊下、おや?ガラス戸の外側に濡れ縁があります。
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畳の部屋
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床の間のある部屋
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その横の精巧な細工
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男子用便器
青が美しい絵付けの便器です。戦前にはあったようです。
知り合いの三ノ輪の家にもありました。
大田区鵜木一丁目 18世紀後半 -
伊達家の門
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。
総欅造り(けやき)で、門柱の上に架けられた冠木には、宇和島藩伊達家の
家紋が施されています。
この門が大正時代に建てられたとはねぇ。 -
屋根は「起り屋根」むくりやねと呼ばれます。
屋根の中程が膨らみ、緩やかな弧を描いた形の屋根。 日本独自で作られた曲線と言われています。 代表的な起り屋根は桂離宮が挙げられます。 -
片番所を付けるなど大名屋敷の門を再現しています。
江戸時代の大名屋敷などに設けられた番所のことで、門の片側に設けられた詰所を指します。 -
大和屋本店(乾物屋)
港区白金台に1928年(昭和3年)に建てられた木造3階建の商店です。
三階の軒下を伝統的な出桁造りにする一方、間口に対して背が非常に高く、
看板建築のようなプロポーションのユニークな建物です。 -
出桁造り(だしげたづくり)とは、梁や腕木を柱から外に突出させ、その先端に出桁(軒桁)を乗せることで軒を深く張り出す日本独自の建築様式です。江戸時代から町屋で採用され、特に重厚な町家でよく見られます。
-
店の角に定番のタバコ売り場があります。たばこの表示が「こばた」でなくて
ざんねんです♪ -
乾物屋らしく石巻産のスルメ、北海道利尻昆布、日高昆布、羅臼昆布、北海道産
干し数の子、釜石特産干し鮑、焼津産煮干し、白色レグホン たまご、
栃木特産干瓢、房州産荒波ひじき、群馬特産干し椎茸、極上大粒丹波黒豆
それから海苔、有明産、伊勢産、仙台産、千葉産、品川産・・・・ -
特選函館産 鶴の子大豆、北海道特選 十勝産小豆、上州赤城産大福うすら豆
越後長岡産 金時豆、 極上大粒 丹波黒豆。
昔の名産品が分かりますね。 -
鰹節がたくさんありました。本物のようですよー。
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「手を触れないでください」という表示があります。
父娘とおぼしき大人の二人連れがレジスターのボタンを押していました。
触っているところで、私に見られてしまいました。目が合うと、私はニヤッと
笑いました。二人もバツが悪そうに笑い返しました。 -
店の必需品 黒電話、五玉そろばん、金庫など
-
二軒の裏側です。
第3部を終わります。いかがでしたか?ちょっと説明がしつこかったかな?
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この旅行記へのコメント (16)
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- yamayuri2001さん 2025/07/06 15:48:45
- 結核・・・
- pedaruさん、こんにちは。
18歳の時に結核と闘病されたんですね。
さぞかし、御苦労がおありだったのではないかと思います。
それにしても、ストレプトマイシンが出来た後で、
良かったですね。
私も六歳までは虚弱児童だったのですが、
函館で、夏休みに一か月転地療養して、
その後、健康優良児になりました。
今思うと、六歳の頃のガリガリな体型で居たかったです。
でも、1週間に一度高熱を出すのは、
やはり辛かったですね。
高橋是清の家が保存されているなんて、凄いですね。
そして、素晴らしい建築物で驚きました。
そこに実際に入れるなんて、
これまた驚愕です。
やっぱり江戸東京たてもの園は、一度行ってみなくてはいけませんね。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2025/07/07 06:42:17
- Re: 結核・・・
- yamayuri2001さん おはようございます。
いつもありがとうございます。
yamayuriさんが転地療養で健康優良児に変身したのは、なんとすばらしいことでしょう。
アルプスの少女ハイジの中の、クララと重なります。子供は自然のなかで成長するのが理想なのですね。
ガリガリの体型でいたかった?なんという罰当たりな(笑)、ご両親の心配を考えてごらんなさい。とはいえ、私も自宅療養でしたので、母には大変な苦労をさせてしまいました。
たてもの園は訪れる価値があるかとは思いますが、横浜には敵いません。私も以前、横浜の外人住宅を何軒が見ましたが、どれもすばらしいですね。ひときわ素敵な家があったなら表札をみてみましょう、yamayuriと書いてあるかもしれませんね。
pedaru
-
- rinnmamaさん 2025/06/23 19:04:23
- 茶室・会水庵
- pedaruさん、こんばんは
遅掛けの訪問で、コメント失礼致します。
私も行った事が無い茶室でしたが、口コミ等で内部が拝見出来ましたので、わかる範囲でコメントを残させて頂きます。あくまでも素人から抜け出れない私ですので、その点はご容赦頂きたくお願い致します。
小間の茶室は数寄者の方が多いので、色々な工夫がされています。
ですから、見所満載なのが、この様な茶室です。
草庵という形の茶室で利休が目指した理想的な侘びの空間が、出発点になっていると
茶の湯の建物の大家・中村昌生氏は仰っています。
日本の芸術には、真・行・草という様式概念が有り、茶の湯においても手前が有るように、茶室にも様式の変化が有る。
ですから、利休が目指した小座敷の世界は草中の草ですが、その中で緩やかになった草もある。それで、茶室の場合は様式という言い方は適当では無く、作る人の個性・好みが自由に躍動する茶室こそが、良い茶室ということになる。
そんな茶室のさまざまな姿が出そろうのは、江戸時代の初期の終わりから中期と考えられ、その中で自分好みの草庵を作り上げているので、この三畳台目と呼ばれる茶室も、広さをどの様に工夫するか考えられたのでは?と、拙い私の知識で思いました。
(ここまでは中村先生の本の文中を、参考にさせて頂いています)
躙り口から腰を落として中を拝見後、入出するのですが、目の前に向こうに三畳の畳が横並びに並んでいて、向こうに床の間が有り、右手に踏み込み畳が有りますので、必然的に正客様が上座に座り、下座に詰めと言われる末客様が、並べる合理的な小間だと思いました。
お客様の向かいで御亭主様は点前が出来ますので、逆勝手と言われる所作では無いのも点前がし易いです。給仕口(上が丸い入り口)も使いやすい位置にありますので、会席料理も出しやすいですし、小間の茶室で狭い空間ですが、居心地の良い茶室に思います。広めの小間ですので、明かるのではないでしょうか?
久しぶりにお茶会に行った気分で、茶室を拝見させて頂きました。
現在は大寄せの茶会(大広間に大勢いが座り、点て出しのお茶を頂く)ですので、この様な優雅な茶室で一服頂きとうございます^^なんってね!
有難うございました。
rinnmama
- pedaruさん からの返信 2025/06/24 05:52:30
- RE: 茶室・会水庵
rinnmamaさん おはようございます。
茶道といえばrinnmamaさんですので、気軽にお名前を出しましたが、大変なお手間をとらせてしまいました。
でもお茶の当事者からのコメントをいただいて感激しています。
興味深いことの一つに、お茶の世界でも本勝手、逆勝手があるのですね。
すこし華道をやっていましたので、逆勝手の花の生け方は文字通り副、体とも逆になります。日本の美の追求の姿は共通なんだといまさらながらおもいました。
4畳半でも狭いと思うのに,3畳のしかも畳を好みの小さくして、そこに自由な世界、いや宇宙を作って三昧にふける、というのか特異な思想なのですね。奥が深いのだろうと部外者ながら感心しております。
まったくの無知の物からの質問ですので、どこまで理解できたかは疑問ですが、その一端に触れた気分です。ほんとうにありがとうございました。
pedaru
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- しにあの旅人さん 2025/06/11 16:15:44
- 貴重な建物
- 最近樋口一葉にこっています。
一葉も結核で24才で亡くなりました。1896年(明治29年)7月に寝付いて11月には死んでいますから、奔馬性肺結核というやつですね。すごい貧乏だったので、栄養状態も悪かったみたいです。
結核って、サポートしてくれる家族がいるかどうかで、運命が決まるみたいでした。
一葉は一家が女手ばかりで貧乏だったし、青木繁は根性悪くてだれも助けてくれない。竹久夢二は女から女にほっつき歩いて自滅。
逆に堀辰雄は多恵子夫人という献身的な女房がいました。友人にも恵まれて、頼まれないのによってたかって堀夫妻を助けました。
ツガ(栂を)ツゲ(柘植)と間違えてビックリしました。あんな灌木で家なんかできませんよね。
木造建築の移築って、よく聞きますが、そんなに簡単だとは思えないのですが。専門の職人さんがいるのでしょうか。
木製のガラス戸なんて、運ぶのは大変だったはず。これ、ガラスそのものが現在のガラスとは違うんですよね。
私の友人で、こういう古い建具をわざわざ探してきて、それに会わせて家を建てた人がいます。
引き戸1枚がけっこうなお値段したそうです。
こういう家は今はもう新築では作れないので、大事に保存してくれて有り難いことです。
- pedaruさん からの返信 2025/06/13 05:45:47
- RE: 貴重な建物
しにあの旅人さん おはようございます。
旅行記にも載せましたが、樋口一葉の住んだ菊坂付近や吉原近くを彷徨ったことがあります。ロールスロイスを複数台乗り回すほどの、現代の流行大衆作家がいるというのに、一葉の貧しさを想うと心が暗くなります。
現代とはいえ、億単位の稼ぎは個人的には羨ましい気持ちもありますが、作家というのに
あまり贅沢をしていると、こんな人が芸術家であるとはとても言えません。
でも求めなくとも入ってくるお金はどうしたらいいのだ、と言うでしょう。
答えは簡単です、pedaruのような名人と自分だけが思っている貧しい職人に貯金の一部を恵んであげるのです。その方に感謝するのはもちろん、仕事に身を入れなくなるでしょう。
毎日いやいやながらせっせと働いている老人は、お金が入れば、勤勉なのをやめて
悠々自適と言う憧れの世界に行けるでしょう。
職人も芸術家も貧しすぎてはいけません、しかし裕福過ぎるのは堕落です。
清く貧しく生きるか、はたまた堕落への道を歩むか?
私は迷います、正直、少ーし、堕落したいな。
pedaru
-
- フィーコさん 2025/06/06 13:37:02
- 肺結核
- pedaru師匠 こんにちは♪
肺結核を患われたと。
お薬でぶじ生還ですね。
私の父も私の産まれる前に療養していたようで1日茹で卵を5.6個食べていたんですって。父の地元では
茹で卵「にぬき」といいます。
ワタシもにぬき大好きです。
その当時、卵は高かったようです。
関係ないですね。
で、私 ツベルクリン
初めて検査から陽転していて
判子を打ったことないんです。
双子の妹は毎年判子!
同じ環境でも違います。
な、こと思い出しました。
もひとつ、学生の時 先輩が
教育実習中、産休から復帰してきた
(1番女性の美しい時期)
先生とよいなかになり地元で有名になってしまい
単位貰えず、違う職種に就職したようにききました。
どこにでもある話しですね。
失礼しました。
是清さん、14歳の災難から
どう開放されたか、ググっても
わかりませんでした。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2025/06/07 06:13:11
- RE: 肺結核
フィーコさん おはようございます。
お父様も療養されていたということですが、終戦直後でもまだ結核で死亡する人は多かったと聞きますが、まもなくストレプトマイシンが日本にも入って来て、治る病気となりました。でも、結核によって命を落とした有名人は、ショパン、高杉晋作、正岡子規、樋口一葉、石川啄木、新美南吉などがいるらしいので、これらの人を思うとき、死を身近に感じました。
名も知られず、何もなさず、女も知らず、田舎の草に埋もれるように散っていく自分を想像し、宗教の本などを読んだり、病気が治ったなら、立派に生きていこうなどと思ったりしました。
ところが病気が治ってからは、すっかりその殊勝な心掛けを忘れ,タバコは吸うは、おしるこは食べるは、女性に憧れるは、そして振られるは、念仏は忘れるは、アラビア語を習うが挫折するは、どうしようもない放蕩息子になりました。
結核は養生第一というので、家族の中でも一番おいしいもの、例えば肉などを食べさせてもらいました。ゆで卵を5,6個も召し上がったお父様、当時は贅沢な食べ物でも、毎日では
うんざりしたことでしょう。「にぬき」とは面白い名前ですね、たぬきの産んだ卵だからでしょうか?あっ たぬきは卵は産みませんね。(わざとらしいボケでした)
高橋是清のことを私も調べて見ましたが・・・・
「サンフランシスコのホームステイ先にだまされて過酷な雇用契約を結んでしまい、学校にも通えず、奴隷のような扱いを受けながら複数の家庭に“転売”されます。しかしその間、かえって生きた英語をマスターするあたりが、高橋の強いところです。
1年後にはなんとか契約を破棄して帰国。」
という程度のことはネットに載っておりました。
pedaru
-
- 前日光さん 2025/05/30 17:26:13
- どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)
- 師匠、こんにちは。
今日は、寒い一日でしたね。
最近皆様へのコメントが、なかなかできずにいます。
(まぁ、単にズボラな性格も影響していますが)
最近白内障気味で、皆様の旅行記を拝読するだけで精いっぱいになるのです。
さて新宿駅ですが、今は亡き兄が小田急線の生田駅の近くに住んでいたので、学生時代は頻繁に利用しておりました。
その頃でも、新宿駅は苦手でした!
JRを下りたら、番線が高くなる方向(2番線とか3番線とかの意味です)に進んで行くと、小田急乗り場に出ると言われてそうしていましたが、それでも間違うことがありました。
多分今の新宿駅に行ったら、過去からやってきた人となって、全く何も分からないことになっていると思います。
今では池袋駅すら(学生時代はスイスイ通行していました!)、分からないお上りさんよりももっとヒドイ認知老人になってしまいました。
また花小金井駅は、娘たち二人が一時期2年間ほど住んでおりました。
今ではたどり着けないと思います。
旅行記の出だしの、師匠の本当ともウソともつかないお話が、いつも面白くて、それに対する反応だけのコメントになってしまいました。
建物については、詳しくないので、お写真を眺めて、わぁーっ、すごい!という感想にとどめさせていただきます。
あ、越後獅子の歌は、よく知っています。
まぁ、そういう年齢です( *´艸`)
前日光
- pedaruさん からの返信 2025/05/31 16:17:32
- RE: どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)
前日光さん こんにちは
ご無沙汰しております。突然暑く成ったり、寒くなったり、今日はどんな服装がいいのか?迷うところですが、5月にこれでは恥ずかしい、などとおもうこともありますが、最近考えをかえました。
世間の人があの半そででも、寒く感じるなら長袖でいいじゃないか、
なにしろ、私は老人なのだ、この「老人なのだ」という言葉は、最も強い味方になりました。優先席を譲られても、躊躇なく行為を受けます。老人なのだから。以前は、背が高いせいもあって、なかなか譲ってもらえませんでしたが、最近は堂々たる老人です。(笑)。
旅行記の冒頭の話、本当とも嘘とも思えるのでコメントが難しいそうですが、話は全て本当です。ただ、記憶違いがあるのも事実です。
旅行記なのに、旅行と関係のない話が多くなって、迷惑なはなしですが、
一部の人には受け入れられているので、好き勝手に書いています。
個人情報も何もありません。肺結核だっただなんて、昔なら村八分です。
白内障は誰でもなる病気ですが、我慢が出来る限り手術はしない方がいいのではないでしょうか?私の場合、国立病院の眼科で白内障の手術をしましたが、より悪くなりました。手術をすれば必ず良くなるとは限りませんね。
どうも今思えば、あの若い医者、べらべら喋って手術をやりたがっていたなぁ。腕の悪いのを、口数で補おうとしていたに違いない。巧言令色鮮し仁と言う言葉を思い出しました。そういえば看護婦たちも私のガウンを素敵です、なんて褒めていたなぁ、どうも怪しい、・・・・というわけで、手術は慎重にしましょう。偏見に満ちていると感じる人もいるかもしれませんが、
素直な気持ちで申し上げました。
pedaru
-
- 白い華さん 2025/05/29 14:27:59
- 『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
- 今日は。
もう、ずいぶん・・昔。に
『東京 たてもの園』に お邪魔しました。が
こうして、いろいろな・・建築物を 見ている。と
その 説明・・と 共に、「いいなぁ~」と 思いますね。
お金持ち!の『東京都』の 管理下・・なので、
しばらくは、「安泰!の『たてもの園』でしょう」が
全国各地!には「いろいろ・・似た、場所」が あります。が
今後・・の「建物の 維持管理費」が、大変!と 心配・・に なります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
そして『三井家』の ゴージャスさ!は、際立っていますね。
風呂屋。小さな・・お店。に、洋館。農家・・と、
見所を 集約した『たてもの園』は、
ーーー「ミニ 明治村」とも 思えますよね。(笑)
これからもよろしくお願いします。
- pedaruさん からの返信 2025/05/30 06:14:09
- RE: 『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
白い華さん おはようございます。
中国の旅行記を拝見して、まず第一にコメントしなきゃとおもっている
矢先にまず書き込みいただいてしまいました。
さすが華さん、すでにたてもの園はご存じだったのですね。なんにでも興味深い方ですから、とくに建築物がお好きなようですので、たてもの園は
印象的ですよね。
東京下町は江戸時代から内湯が禁じられていましたから、銭湯が発達したようです。鳥越あたりにも帝国湯などありましたね。いまでもあるでしょうか?
木造建築がおおい日本では古い建物の維持管理はたいへんです。それに引き換え、英国では、とくにスコットランドなどでは廃墟になった古城を
修復しないで崩れたままにして、それを売りに見物させている気がします。
木造家屋を保存するのは世界的にも難しいことなんだなぁ、と思います。
後日、華さんがおとずれた北京の素晴らしい建築物の感想を書こうと思っております。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2025/05/29 07:15:23
- 下落合
- pedaruさん、おはようございます。
乗り換えが難しい新宿駅、私も上京した時に感じたことがあります
とにかく人が多いのも一因では、とも思いました(^^;)
その新宿 下落合に、pedaruさんの中学時代の恩師が住んでいらっしゃったのですね
女教師と少々ミステリアスなお話の展開に思いましたが、拝見して心に残りました。
さて高橋是清邸、14歳で身売りされたという過酷な経験があったにもかかわらず
7回も大蔵大臣を務められ、豪邸に住まれたのですね。
伊達家の門や台東区の化粧品屋さんなど、色々観て廻られて
江戸東京たてもの園、見所満載だなぁと また感じました(^_^)
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2025/05/30 05:48:32
- RE: 下落合
ふわっくまさん おはようございます。
新宿下落合に自転車で行ったことがあり、高台の斜面に偶然林芙美子記念館を見つけたことがあります。
豪邸ではありませんが、昔ですから広い敷地で洒落た家でした。
当時目的もなく自転車でいろんなところをただ走るだけでしたから、今思えば、下調べをきちんとして目的をもって走ればよかったなどと思っております。
ふわっくまさんのようにマンホールカード収集などしていれば思い出も更に豊かなものとなっていたかと思います。
江戸東京たてもの園には、各種の家が移築されて一挙に、いろんな経験が出来ます。自動車の通る道路では3種類のマンホールを写真に収めました。
第4巻目に載せてあります。またよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- norisaさん 2025/05/25 10:31:30
- 高橋是清
- pedaruさん
おはようございます。
いつものように名文のイントロダクション。
おかげで本文がうわのそらです(苦笑)
肺結核とは大変でしたね。
まさにストレプトマイシンこそが当時唯一無二の特効薬!
たった一種の薬が何百万人もの命を救った好例ですね。
それにしてもご苦労されたことでしょうーー。
さて、高橋是清はまさに偉大な人物ですね。
もちろん多少は私利私欲もあったのでしょうが、それを割り引いても日本に貢献した寄与度は歴代の政治家でもトップクラスでしょう。
もっとも日清日露の両戦争での勝利が軍国日本を造ったと思うと切ないですが。
高橋是清さんのお宅はさもありなんという風情と格式ですね。
今の前農林水産大臣のような庶民の苦労も全く分かっていない農政族議員に爪の垢を差し上げたい偉人のお宅、さすがです!
それにしてもこの江戸東京たてもの園、ずいぶんと建物が多いのですね!
ビックリしましたーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2025/05/28 04:43:24
- RE: 高橋是清
norisaさん おはようございます。
実はパソコンが壊れまして、返信できずにおりました。遅れて申し訳ありません。酷使のせいか、安物のせいか、あるいは愛情が足りないせいか、
どうにもなりませんでした。
タブレットから返信しかけましたが、あまりにまどろっこしいのに閉口してやめました。
再起動も試みましたが、むなしく、そこでパソコンを開けて、掃除機で埃を取り除き、部品の刺しなおしをしたところ一時的には回復したようです。マシンといえども愛情は通じるのでしょうか?(笑)。
旅行記を書いていて、ためになることと言ったら、知らなかったことが理解できることもひとつにはありますね。
高橋是清の邸宅が総栂普請だと知り、高級な建築に用いられるということを知りました。総ヒノキ普請が最高と思っておりましたが、意外でした。
高橋是清のことは東京新聞の小説で知りましたが、アメリカ人に騙されて
奴隷の契約を知らぬ間にさせられてひどい目に遭ったなど、ジョン万次郎とは真逆の人格のアメリカ人に遭遇したのですね。
江戸東京たてもの園にはいろんな種類のたてものがありますが、その維持管理は大変だと思います。気軽に見学できるのがありがたいですね。
norisaさんも機会がありましたらどうぞお出かけください。
pedaru
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