2025/04/12 - 2025/04/12
36位(同エリア525件中)
pedaruさん
- pedaruさんTOP
- 旅行記443冊
- クチコミ9件
- Q&A回答0件
- 699,531アクセス
- フォロワー162人
兄から自転車を借りて小金井公園に行ってきた。桜は辛うじて何本かは花を付けていた。
2時間くらいで帰ってくるといいながら、夢中になって写真を撮っていたので、5時過ぎになるまでたてもの園にいてしまった。
建物の中まで詳細にカメラを向けていたので、恥ずかしいくらい膨大な枚数の写真を撮ってしまった。
撮った写真を消化するには4編に分けて投稿するしかないと思い、恥ずかしながら同じような写真と説明をしてやっと完結した。
参考文献 たてもの園パンフレット ウィキペディア その他
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車 JRローカル 私鉄 徒歩
-
植村邸
建物の前面を銅板で覆ったその姿は、関東大震災の後に多く建てられた看板建築の特徴をよく現しています。
外観は洋風ですが2階部分は和風になっています。 -
1階は板の間になっていて家の説明板がありました。
-
なんと言っても驚いたの銅板張りの技術の高さです。
まず宮殿建築にあるような2階の手すりです。銅板ですっかりくるんでいるではありませんか。
これだけでも何日間もかかることでしょう。 -
窓の軒下部分の装飾はかなりの手の込んだ造りとなっております。
これらがすべて職人の技によるものであり、貴重な文化遺産ですね。 -
よく見ると銅板の表面に無数のへこみキズが見られます。
これは太平洋戦争の時に受けた爆弾の破片があたったり、ささったりした
跡だそうです。
軒の細工の綿密で正確なこと、恐れ入り谷の鬼子母神です。
1927年建築 中央区新富二丁目 寄贈者 長谷川浩一氏 -
丸二商店(荒物屋)
昭和初期に現在の千代田区神田神保町に建てられた店舗兼用住宅です。 -
この建物は関東大震災の後に多く建てられた看板建築と呼ばれる様式で前面部を銅板で覆われたその外観は、装飾的な屋根上端部の柱の形やパラペットなどにより特徴的なデザインとなっています。
-
銅板の意匠は青海波や一文字、網代などの紋様を用いるなど趣向を凝らしています。
ちなみに青海波(せいかいは)とは波の形をデフォルメしたもので写真左側中央の扇を寄せた形、一文字とは水平方向に銅板を並べる形、網代(あじろ)は写真上部の組み方です。その他数種の技法を駆使しています。 -
このように細かく銅板を切ったものを組み合わせ、要所要所にはんだごてを当てている物と思われます。
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昭和初期の板金職人の技術の高さを保存しているのはありがたいことです。
こういうのを見ていると、時の経つのを忘れてしまいます。 -
この建物では創建時から昭和20年中ごろまで荒物屋を営んでいました。
-
内部の展示は台所用品を中心とした日用雑貨が並ぶ、最も商売が盛んであった
昭和10年代の荒物屋を再現しています。
おおきなタワシ、座敷箒、竹製の高帚、木製のハンガー、おひつ、升、ざる、買い物籠など。 -
奥は外観に似合わず和室が続きます。
-
展示品をも少し見てみましょう♪
火鉢、七輪、甕、壺、鍔釜、木の蓋、右の木製の造作物、よく見たら櫓炬燵を
横にしています。 -
鉄鍋、藁でできた釜敷き、すり鉢、土鍋、鉄瓶、ホーローのやかん、消壺まであります。
しかし、実際の荒物屋は商品がこれらの50倍くらいはありますね。
今でも現役の荒物屋を地方などで見かけますが、店内に入ると、ジャングルを探検
するような気分になります。 -
商店が並んでいます。向こうから荒物屋の丸二商店、花市生花店、三省堂。
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花市生花店は1927年(昭和2)に、千代田区神田淡路町に建てられた花屋です。
この建物は前面を立て板状にし、銅板をはって防火対策を図った看板建築です。 -
花市生花店は、この建物で1991年(平成3年)まで営業していました。
建物は創建時の姿に復元し、店内は昭和30年代の情景を再現しています。
1927年(昭和2)
千代田区神田淡路町一丁目
寄贈者 青山総業株式会社 -
店の奥はこのような家庭的な部屋です。
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武居三省堂(文具店)
明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。
これも関東大震災後の看板建築で前面がタイル張りになっています。
千代田区神田須田町一丁目 1927年(昭和2年) -
書道用品の店らしく、筆、墨、硯などが展示されています。
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店の下は地下室になっており、そこで商品の荷解きや荷造りをおこなったそうです。
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店内には200本近い筆が入る桐箱が整然と納められています。
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筆や硯、墨がなつかしい。
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川野商店(和傘問屋)
傘づくりが盛んだった江戸川区小岩にあった和傘問屋の建物です。
私が少年だったころ故郷の町内にも、傘屋さんがありました。暇な子供は
良く店先で見ていましたね。
江戸川区南小岩八丁目 1926年(大正15) -
重厚な屋根の造りや江戸以来の正統的特質を継承する格子戸などの造作にこの建物の特徴を見ることが出来るでしょう。
道路に駐車中の自転車でひくリヤカーが懐かしい。 -
この建物では伝統工芸の実演をしていました。
今の時間は「庭月野 紀子」さんの彫刻ガラスの製作が見られました。
お名前にふさわしく美しい方で、作品も魅力的でした。 -
制作の過程が複数の素材を使って丁寧に説明されていました。
-
昔の型の自転車が停めてありました。魚やさんや、新聞屋さんなどで使われる働き者の自転車でした。
この建物は旧旅館です。 -
万徳旅館
青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館です。建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた1950年(昭和25)頃の様子を復元しています。
青梅市西分町 江戸時代末期~明治時代初期 -
旅館の内部の様子です。
今日はここで伝統工芸の竹工芸の実演がありました。 -
作家の斎藤 敏氏です。
謙虚で上品な方で、私の質問に丁寧にお答えしてくださいました。
長い竹が立てかけてありましたので、この竹がいい色に変色していたので
質問すると、油抜きといって火にかざすと竹本来の脂分がにじみ出て、
それをふき取り磨くのだそうです。何時までも変わらぬ色艶をたもつのだそうです。 -
竹製品が展示されていました。
-
小寺醤油店
大正期から、現在の港区白金で営業していた商店です。
味噌や醤油、酒類を売っていました。庇(ひさし)の下の腕木とその上の桁が特徴の(出桁造り)の建物です。
港区白金五丁目 1933年(昭和8) -
円形に並べられた月桂冠の酒 当時最新のデスプレイです。
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商売の繁盛を願って店先に神棚があります。そういえば実家にも神棚がありました。
そうか、店先にあった訳が今解りました。 -
金銭登録機 昔はレジスターをこう呼びましたね。
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酒瓶、火鉢、大型金庫などがあります。
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右側には蔵があります。蔵は隣の店とつなげてあり、こちらからも入れます。
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扉が凄い。ここから入ってみます。
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キッコーマンのロゴマークなど広告が展示されています。
小寺家は、前沢村(現・東久留米市)出身で、中野の醤油醸造元で10年ほど修行した後、独立して白金に開店したため、醤油店の看板がかかっているのです。 -
ヤマサ醤油の缶の容器、江戸時代からの陶磁器の容器、ガラスの一升瓶、右端にはプラスチックの入れ物があります。
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二階に続く階段がありました、扉の付いた階段は小さな子供のためには安全で
良いですね。 -
林をバックに建つ建物は
鍵屋(居酒屋)です。
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。震災、戦災をまぬがれた鍵屋は1856年(安政3)に建てられたと言われています。
建物と店内は1970年(昭和45年)頃の姿に復元しています。
台東区下谷二丁目 1856年(安政3) -
さて、ちょいと一杯ひっかけて行こうか。
いや、仕事中なので見学だけにします。 どこが仕事中? -
昔らしい板張り、換気口がありました。内側に換気扇を付けたいところですね。
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お品書きが壁にあります。
冷奴 60円
ゆどうふ 80円
とり皮やき 50円
だいこんおろし 50円
みそおでん 60円 -
キッコーマン醤油 のホーロー看板
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中央上部に日本髪のモデルのポスターが見えます。カブトビールのポスターです。
カブトビール は、 1898年 (明治 31年)から 1943年 (昭和 18年)まで製造されていた ビールだそうです。(ウィキペディア)
椅子は酒樽を利用したものです。 -
酒の小売店を経て、昭和24年から居酒屋の営業を始めました。
手ごろな値段で旨く静かに飲むことができると地域の人々に愛され、職人、サラリーマン、芸人などに人気が高かったそうです。
また、雰囲気と主人の人柄を愛して小説家の内田百閒などの著名人なども通っていました。 -
おっそろしく古い看板があります。
ほとんど読めませんが、右の看板 佛国○○葡萄酒とだけ読めました。
フランス製ぶどう酒という事ですね。 -
仕立屋
明治前期に現在の文京区に建てられた出桁造りの町家です。
内部は大正期の仕事場を再現しています。
また室内には一般家庭には珍しいガス灯の痕跡が残っています。 -
この時代の仕立屋は、とくに店構えなどせずに自宅を仕事場としていました。
親方の元に弟子が住み込みで働くのが普通でした。 -
これらの家の裏側 いまでも見かけますね。
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ポンプのついている井戸 モダンな方ですね
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当時の路地も再現されています。子供たちは日がな一日こういうところで遊んでいたのですね。あ、私の時代だけだったかな?
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やっと見学を終わりました。咲き残る桜を見ながら公園を後にします。
迷子のお知らせの園内にひびくスピーカーの音を気にしながら・・・・ -
いつもの癖で路上を見ながら走ってしまいます。
小平市のマンホール蓋を発見 -
商店街の路上で発見。カラー版です。
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駅を降り、桜並木の真間川沿いを走ります。
人けのない道の桜には下がった提灯が寂しそうに灯っておりました。
江戸東京たてもの園 4部にわたりご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (18)
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- しにあの旅人さん 2025/08/07 19:31:15
- 現役看板建築発見
- 私たちの最新ブログ
歌舞伎、「君の名は」、ゴジラ (勝手にフェスティバル4)
https://4travel.jp/travelogue/11996247
で、看板建築の説明で、このブログを引用させていただきました。
新富座跡パネルの写真のあとです。
銀座に近い築地にも看板建築が残っていました。
この近くにもう一軒ありましたが、現在は個人のお家みたいで、写真を使いませんでした。
探せば現役の看板建築が、このあたりにまだあるかもしれません。
Pedaruさんのこのブログを読んでいなかったら、この建物も見過ごしてしまうところでした。
- pedaruさん からの返信 2025/08/09 06:43:25
- RE: 現役看板建築発見
しにあの旅人さん おはようございます。
私の旅行記がお役に立ったとは、信じられないことですが、たまにはそういうこともあるのですね。たいへん光栄に思っております。
時間がかかる割には内容の薄い旅行記だと自覚しております、歳の近い男性仲間(私は勝手に思い込んでいますが)の旅行記は。しにあさんを初めとして、jijidarumaさん、臨海公園さんなど、詳細、正確、綿密、な内容に圧倒されますが、しにあ妻さんのユーモアに救われております(笑)。
看板建築というのは西洋の石造りを真似して、木造の骨組みに漆喰などで芸術的に見た目も美しく建てられた店舗住宅のみを指すものと理解しておりました。御徒町の問屋街には大戦で焼けた跡、防火のために表面を銅板で囲った家がたくさんありましたが、老朽化したとはいえ、現在でもかなりの数残っているようです。
疑似洋風の看板建築はたしか石岡にたくさんありました。
https://4travel.jp/travelogue/11579858
銀座、築地の旅行記をじっくり見たいと思います。では
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2025/06/27 10:20:13
- 都会ですね。
- 銅板張りの家は見た記憶がありません。タイル張りはかすかに記憶あり。
山手線の内側に住んだことがないので、そのせいでしょう。
東京の西側の郊外をウロチョロしておりました。
郊外といったって、当時は田んぼや畑が広がっていた時代で、現在の基準ですとなんちゃって田舎かプチ田舎です。
そういう気の利いた建物はなかったのです。
傘屋さんの前の自転車でひくリアカー、ありましたね。これから発展したのが大村崑のミゼット。
旅館ですが、1950年代では、女一人旅だと泊めてくれなかったと聞いております。
女一人旅は失恋で自殺されると困るというのが理由とか。
神棚。
昨年6月になくなった伯父の神棚を我が家にもってきました。私以外に身寄りがなかったので、しかたがありません。
近所の神社に持って行って魂抜きのうえ、御炊き上げのよていです。
引っ越し屋さんに頼めば、家具と一緒にばらして持って行ってくれるそうですが、それはなんとなくできかねました。
田舎には
なんちゃって田舎
プチ田舎
The田舎
King of 田舎
というグレードがあります。
房総は駅周辺以外は概ねプチ田舎、一部The田舎です。
King of 田舎は都会人が住むと地元のテレビ局が取材に来るレベルですから、このへんにはありません。
- pedaruさん からの返信 2025/06/28 15:57:00
- RE: 都会ですね。
しにあの旅人さん こんにちは
いつもありがとうございます。
田舎の定義をお伺いいたしました。市川のこの辺はthye田舎の部分となんちゃって田舎の混合です。引っ越してきたころは縄文人かと思われる老人が背中に籠を背負って意味不明の言葉を発していましたが、徐々に純粋の土人は絶えてきました。
私なら土地の100分の1でも売って資金にして、3か月くらいの小旅行に海外にでかけるのですが、縄文老人たちは、土で汚れた野良着で年中をくらし、贅沢と言うものをしません。
ある意味では崇高な精神でもありますが、多少は文明開化を味わってはいかがかとおもいます。
銅板張りの家をご存じありませんか?御徒町あたりの問屋街には、空襲をかいくぐった銅板張りの家が何軒も残っております。ここしばらく行っていないので、まさかなくなっては無いと思いますが、まだまだあるはずですよ。
看板建築として保存されることはないと思いますが、実用的な本物の銅板張り店舗です。
是非一度、御徒町で下車して歩いてみてください。面白くもなんともありませんが(笑)。
pedaru
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- pedaruさん 2025/06/21 05:26:58
- 自分の都合で4編に分けました
- ふわっくまさん おはようございます。
手慣れた方なら1編で充分な旅行記なのですが、どうしても写真が捨てられなくて
とうとう4編になってしまいました。
旅行がおおいふわっくまさんなら肝心な物以外は、思い切って処分してしまうでしょうが、優柔不断のpedaruはつまらない写真や、入場券などを取っておくのです。
なんでもない女性の年賀状などを、捨てないでいるものですから、妻に疑われて
責められることが多いのです。
たてもの園の銅板加工、いまでもこの技術は継承されているのでしょうかね、ブリキ職人というのがいて、炭火に乗せた巨大なはんだごてを駆使して、雨どいなどを
制作していたのを子供の頃見た記憶があります。既製品と違って、個性的な家の雨どいや、戸袋など、芸術的と言ってよいほどみごとな技ですね。
小平市のマンホール蓋の写真は2枚でした。最近のニュースでは大谷翔平を描いたマンホール蓋が出来たと伝えていました。マンホール蓋は今や、流行の先端に位置していますね。そのうちどこかの街でマンホール蓋の博物館がオープンする気がします。
そのときは、ふわっくまさんを館長として推薦します(笑)。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2025/06/20 17:59:29
- マンホール蓋
- pedaruさん、こんばんは。
江戸東京たてもの園4編目に、マンホール蓋が登場する予定ということで
小平市のものを2種類、拝見させていただきました(^_^)
カラー版は魚でしょうか、カラフルですね♪
さて植村邸や丸二商店の看板建築、銅板張りが見事で
その荒物屋さんの内部まで、時の経つのを忘れるって同感に思いました。
重厚な造りの蔵も、思わずクラッとしそうです。
ラスト=夜の桜並木の寂しげな提灯にまた風情を感じました、ありがとうございました
ふわっくま
-
- yamayuri2001さん 2025/06/19 15:46:30
- 江戸東京たてもの園
- pedaruさん、こんにちは。
銅板張りの植村邸の色が、なんとも魅力的ですね。
長い月日を経て、こんな素敵な色になったんですね。
太平洋戦争の爆弾の跡と一口に言いますが、貴重な文化遺産ですね。
荒物屋って、懐かしい表現です。
今の人には、何を売ってるか見当もつかないでしょうけど、
私はなんとなく分かります。
あのレジスターも、なんとなく覚えています。
ものすごく懐かしいですね。
たてもの園の中に居ると、一日中
タイムスリップしたような不思議な気持ちになるんでしょうね。
または、映画のセットの中にいるような気持ちでしょうか。
それにしても、たてもの園の魅力を
ここまで表現出来るpedaruさんは、
素晴らしいなと思いました。
是非一度、行ってみなくては。
丁寧なご紹介、ありがとうございました。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2025/06/20 06:17:04
- Re: 江戸東京たてもの園
- yamayuri2001さん おはようございます。
いつもコメントくださいましてありがとうございます。
たてもの園にある家具や調度品は家と同じ年月を過ごしてきた歴史の証人です。こういうところを訪れると、懐かしく思えるものがたくさんあって、あれはこうだ、子供の頃使ったものだ、とかこれはこういう使い方をするのだ、などと蘊蓄がほとばしります(笑)。
孫がいる年代だとその歳でなければ知らないものがあり、仲間意識が芽生えて嬉しくなりますね。
我が家でも狭い庭の入り口の門に自然木の柱を立てましたが、その頭に職人さんが銅板で木に合わせ丸く帽子を作ってくれました。
30年くらい前のことですが、その間にすっかり風雨にさらされてきれいな緑色に変色しました。銅板は塗装をしなくても美しい色に変色するのですね。
江戸東京たてもの園ならyamayuriさんも楽しく過ごせると思います。
是非一度お出かけされることをお勧めします。
暑さに気を付けてお過ごしください。
pedaru
-
- jijidarumaさん 2025/06/17 00:51:36
- 江戸東京たてもの園4編はpedaruさんだから書けた!
- pedaruさん、
今晩は。
興味深い4編!実に面白かったです。(これぐらいに分けると読みやすい)
この4編は私の4Traのお仲間の中では、貴兄意外に書けないかと思料します。
荒物屋に見た火鉢と同じようなものを家内の実家から持ち帰り、メダカを
飼ってみたり、実家の台所にあって水甕(子供の頃、庭先の離れた井戸
から水をくみ上げて、水甕に飲み水を補給するのが私に役目でした)を
玄関先に置いて見たり、意外と重宝したものです。
さて、本編も読み進むうちに、何と我が故郷の旅館が出てきましたので、
ビックリ。
その「万徳旅館」(青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館)は
実は我が家の実家と書けば、お喜びになるかなと?(笑)。
冗談です。
1950年(昭和25)頃も営業中だったとありますから、私が7歳の頃です。
西分には父の妹が嫁に行った家(私の父と同じく小学校の校長を務め、古く
は地元西分村の名主)があり、親父に連れられて行き来した事があります。
叔母さんの家は歩いて数分の所でした。残念にも、子供の頃の記憶にこの
旅館はないですね。この旅館と似たような旅館がもう少し西の住吉神社
近くにあった記憶があります。
かつての青梅は夜具地(やぐじ)織物で繁盛し、ガチャマン(その頃、
青梅で言われる「ガチャ萬」という言葉は、機織りの機械が一度「ガチャ」
と音がしたら一万円儲かると言われ、これを称して「ガチャ萬」という
猛烈な時代でした)の話が残るほどで、それらの商人たちがこうした
旅館に宿泊したのだろうと思います。芸者さんの置屋もあり、そこそこの
人数が私の高校生時代にまだ残っていました。
因みに、1955年(昭和30年)頃、大女優 香川京子さんをモデルに起用
したのが青梅織物工業協同組合で、家内の実家も小さな工場を経営して
いたから、そのポスターが張られていたのを目にしています。
書き出したら長くなりました。いつもながら恐縮、恐縮です。
ではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2025/06/18 05:56:35
- RE: 江戸東京たてもの園4編はpedaruさんだから書けた!
jijidarumaさん おはようございます。
jijidarumaさんのような方からコメントを頂くと緊張します。
というのは、jijidarumaさんの知識は半端な量でなく、引き出しの数が多い上に、その一つ一つに沢山のトリビアなどが収まっておりますので、私の方もいい加減な根拠で書いているため、どこを指摘されるか薄氷を踏む思いです。(昨日の暑さでは、薄氷も得難いですが)
実は青梅街道沿いにあった万徳旅館のこと、これはjijidarumaさんを念頭にとりあげました。きっと反応があると確信してアップロードいたしました。
青梅市は古い物を大切にする余裕のある町だと思っております。たしか生活用品などを展示し、庶民の生活の歴史を知ってもらうために開設した展示館のようなものがあったと記憶しております。そこで私が使用して間もなく止めてしまった写真の焼き付け装置を保管しております。65年前のものですので、展示のかちがあるか、ないか疑問ですが、捨てるには惜しいと思い、ここでもらってもらえないか、などと思っております。その他8ミリフィルムの映写機なども眠っております。なかなか行動に移せないので、結局は粗大ごみになってしまうでしょうが・・・・・。
古い建物や、そこに展示された生活雑貨を見ると、過去が蘇るので楽しいですね。
また始まったと若い人に囁かれないように、同じことはなるべく語らないように気を使っておりますが、指摘されたときは気まずいですね。
若い人が知らなくて、我々だけが知っていることが沢山あり、これを言うと目を輝かして感心する、おりこうな孫などがいると嬉しいですね(笑)。
女優の香川京子さんのポスターなら私も欲しいところです。知的で上品、美しい、憧れの存在です。青梅市の織物工業組合も味なことをしますね。売り上げ倍増でしたでしょうね。
私こそ美人の話をしたら長くなります。ではこの辺で、お元気で。
pedaru
-
- norisaさん 2025/06/15 06:40:54
- 看板建築
- pedaruさん
おはようございます。
ここの建物は確かにスゴイものが多いですね!
いつもドラマを見て思うのですが、明治や大正時代の建物で演じているシーンが多々あります。
それこそ明治村や映画村などで撮影しているようですね。
しかし、この江戸東京たてもの園も絶好のロケ地。
小路などもいいカンジです。
さて、看板建築というのも楽しいですね。
銅板を使えば長年の風雨に耐えますし、メンテ不要に近いでしょう。
内部の手すりなどにも銅を使うというのも贅沢です。
文具店の内部も素晴らしいですね。
桐箱が壮観でした。
一度は行って見たいと再認識しましたーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2025/06/15 13:40:25
- RE: 看板建築
- norisaさん こんにちは
朝、他の人のコメントに返事を書いているうちにnorisaさんのコメントが入っていました。
朝のうちに返事を書こうとも思いましたが、おざなりになってはしつれいですので、
用事が 済んでから書こうと思いました。
などと言っても、私が姿勢を正しても、大した内容の文が書けるわけでもないですが、
せめて姿勢だけは正したいと思います・
ここ江戸東京たてもの園の特筆すべきところは、それぞれの建物が、ゆったりとした自然のなかに移築されて、むしろオリジナルの場所よりも素敵なロケーションに建っている感じです。小金井公園という広大な敷地を利用した良い例だと思います。
銅板でくるんだ看板建築は素晴らしいですね。大量生産、規格通りのサイズ、形が
現代の宿命ですが、当時はベテランの職人が、腕に撚りをかけ誇りをもって作られたものですね。模様を作るため、銅板を小さく切断し、正確に折り曲げ、組み立てると、溶接なしでもぴっちりと出来上がり、百年以上も持つのですね。
このような銅板でくるんだ住宅は(ほとんど店舗ですが)まだ御徒町あたりに現役として活躍しています。ほとんどは壊れそうな状態で見るに忍びないのですが。
ここたてもの園の住宅は運がいいと言いますか、現実は取り壊されるのが運命です。
諸行無常ですね。
pedaru
-
- sanaboさん 2025/06/14 23:56:11
- 取材記者pedaru
- pedaruさん、こんばんは
4編にわたる『江戸東京たてもの園』のご紹介、遂に完成しましたね。
おめでとうございます^^
pedaru師匠の着眼点や解説になるほど~と思いながら
味わいある建築や懐かしい風物に目を楽しませていただきました。
昭和レトロの世界に迷い込んだかのような街並みは
さながら京都太秦ならぬ小金井の映画村のようでしたね。
彫刻ガラスの制作や竹工芸の実演には特に興味を引かれました。
「庭月野 紀子」さんという作家さんはお美しい方ですね。
お名前も美しく、そしてもちろん作品も素晴らしい☆彡
pedaru師匠が見入ってらしたのは、はたして作品の方だったのか
それとも制作をされている美しい横顔だったのか、はてさて
どちらだったのでしょう?(´艸`*)
斎藤敏氏による竹工芸もまさに匠の仕事で見事ですね!
手仕事が大好きですので、こういうものを見ると自分でも
作ってみたくなります。
「さて、ちょいと一杯ひっかけて行こうか。
いや、仕事中なので見学だけにします。 どこが仕事中?」
自己ツッコミに笑ってしまいましたが
立派に取材のお仕事中でしたよ(^_-)
- sanaboさん からの返信 2025/06/14 23:59:31
- Re: 取材記者pedaru
- あ~、今勝手に送信されてしまいました。
タイトルに(pedaru)さんを付けようと思ったのに~~
決して呼び捨てにしたわけではありませんので、
どうかお許しを~_(._.)_
それでは、これにて失礼つかまつりまする~
sanabo
- pedaruさん からの返信 2025/06/15 07:02:03
- RE: 取材記者pedaru
sanaboさん おはようございます。
4編にわたる旅行記といっても、sanaboさんなら1篇で済ませるところですね。
4編に分けた理由は ①1篇にしたら読者が付いて来ない ② 4編に分けなければ執筆の根気がない ③4編にして旅行記の冊数を多く見せる ④ 読者からのコメントが4倍になるので人気者に見える ⑤ 1篇で済むものを4倍にしていかにも努力家であるかのような錯覚を読者に与えられると思い込んでいる ⑥ なによりも真実は一遍ずつ小分けにして、どうしたら受けを狙えるか研究しながら書くため、長い文は不向きである。
以上長々と自己分析してみましたが、これも受けを狙った行為であると認めざるをえませんだみつを。
庭月野 紀子さんの作品に興味をもちましたが、私の最も関心のあるのは美しい女性ではありません。むしろ美しい女性を見ると不快感を覚えます。美しい女性を見ただけで私の思考能力はストップして自分が誰なのか、なんのために生きているのか(アンパンマンかっ)
今日は何日か、11引く2はいくつか?(認知症かっ)何もわからなくなるのです。
庭月野さんの横顔、判別できてしまいましたか?私には分からないので隠しませんでした。越後湯沢の駅にある芸者駒子の人形の顔を写真で隠したのを笑われたのを気にして、なるべく隠さない癖がついているのです。
私も職人として60年以上も仕事をしていますが、実演などを見学すると、つい理解しあって、話が盛り上がってしまいます。迷惑にならないよう配慮はしているのですが。
pedaru
- pedaruさん からの返信 2025/06/15 07:11:00
- RE: Re: 取材記者pedaru
「取材記者pedaruさん」ではさまになりません。
「取材記者pedaru」だと立派に見えます。
-
- youさん 2025/06/14 23:50:26
- 江戸東京たてもの園4編
- pedaruさん
こんばんは。ご無沙汰しております。
小金井公園内の江戸東京たてもの園4編、完結お疲れ様でした。ここはyouの近場で、遠方からの客人が来ると必ず訪れる場所なんです。pedaruさんも一声かけてくれれば、子宝湯の前左側にあるたべもの処「藏」2階で、「むさしのうどん」をご馳走したのにねぇ。
それにしても、pedaruさんのたてもの観察力とその表現力は流石ですねぇ。youは何度訪れても、10年以上前から新規に移築される建物が無くて、余り代り映えしないのでぼ~と通り過ぎてしまいます。今度は、pedaruさんの旅行記片手にしっかりと建物観察したいと思いました。
you
- pedaruさん からの返信 2025/06/15 06:00:22
- RE: 江戸東京たてもの園4編
youさん おはようございます。
以前は4トラベルのタイムラインは必ず目を通し、フォローの方々の旅行記は必ず拝見しておりました。
しかし、寄る年波か人生に疲れたというか、物事に対する興味が薄れたのか、見落とすことが常態化して、youさんがアフリカを旅しているらしいことを知りながらご無沙汰しておりました。
ものすごく筆まめな方がいる反面、いい作品を作りながら筆不精な人がいることも事実です。長々と自己弁護という言い訳を申し述べました。
小金井公園は初めて行きました。この方面は昔、武蔵境というところ付近の霊園にピクニックに行った覚えがあるくらいでした。兄が花小金井駅近くに住んでいるというので、初めて訪れました。兄の家をおとずれるのは昔大阪に住んでいた時以来です。
youさんがあの辺の富豪だとは知りませんでした。何年か後にはyouさんの家も江戸東京たてもの園に移築されると予想しております。それまでは健康でいなくてはと思っております。
pedaru
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