pedaruさんへのコメント一覧(7ページ)全3,470件
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どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)
師匠、こんにちは。
今日は、寒い一日でしたね。
最近皆様へのコメントが、なかなかできずにいます。
(まぁ、単にズボラな性格も影響していますが)
最近白内障気味で、皆様の旅行記を拝読するだけで精いっぱいになるのです。
さて新宿駅ですが、今は亡き兄が小田急線の生田駅の近くに住んでいたので、学生時代は頻繁に利用しておりました。
その頃でも、新宿駅は苦手でした!
JRを下りたら、番線が高くなる方向(2番線とか3番線とかの意味です)に進んで行くと、小田急乗り場に出ると言われてそうしていましたが、それでも間違うことがありました。
多分今の新宿駅に行ったら、過去からやってきた人となって、全く何も分からないことになっていると思います。
今では池袋駅すら(学生時代はスイスイ通行していました!)、分からないお上りさんよりももっとヒドイ認知老人になってしまいました。
また花小金井駅は、娘たち二人が一時期2年間ほど住んでおりました。
今ではたどり着けないと思います。
旅行記の出だしの、師匠の本当ともウソともつかないお話が、いつも面白くて、それに対する反応だけのコメントになってしまいました。
建物については、詳しくないので、お写真を眺めて、わぁーっ、すごい!という感想にとどめさせていただきます。
あ、越後獅子の歌は、よく知っています。
まぁ、そういう年齢です( *´艸`)
前日光RE: どれにコメントしようかな?と悩みました(+o+)
前日光さん こんにちは
ご無沙汰しております。突然暑く成ったり、寒くなったり、今日はどんな服装がいいのか?迷うところですが、5月にこれでは恥ずかしい、などとおもうこともありますが、最近考えをかえました。
世間の人があの半そででも、寒く感じるなら長袖でいいじゃないか、
なにしろ、私は老人なのだ、この「老人なのだ」という言葉は、最も強い味方になりました。優先席を譲られても、躊躇なく行為を受けます。老人なのだから。以前は、背が高いせいもあって、なかなか譲ってもらえませんでしたが、最近は堂々たる老人です。(笑)。
旅行記の冒頭の話、本当とも嘘とも思えるのでコメントが難しいそうですが、話は全て本当です。ただ、記憶違いがあるのも事実です。
旅行記なのに、旅行と関係のない話が多くなって、迷惑なはなしですが、
一部の人には受け入れられているので、好き勝手に書いています。
個人情報も何もありません。肺結核だっただなんて、昔なら村八分です。
白内障は誰でもなる病気ですが、我慢が出来る限り手術はしない方がいいのではないでしょうか?私の場合、国立病院の眼科で白内障の手術をしましたが、より悪くなりました。手術をすれば必ず良くなるとは限りませんね。
どうも今思えば、あの若い医者、べらべら喋って手術をやりたがっていたなぁ。腕の悪いのを、口数で補おうとしていたに違いない。巧言令色鮮し仁と言う言葉を思い出しました。そういえば看護婦たちも私のガウンを素敵です、なんて褒めていたなぁ、どうも怪しい、・・・・というわけで、手術は慎重にしましょう。偏見に満ちていると感じる人もいるかもしれませんが、
素直な気持ちで申し上げました。
pedaru
2025年05月31日16時17分 返信する -
銭湯・・・
pedaruさん、こんにちは。
奄美の高倉に時折、散りかかる花びらが、
とても情緒がありますね。
三井八郎右衛門邸は、門構えからして、すごい豪邸ですね。
田舎のバスの歌は、田舎のバスはおんぼろ車と言う歌詞ですか?
その部分だけだけれど、幼い頃に聞いたことがあります。
0.2%ではなく、12%ぐらいではないでしょうか。
女の人は髪を洗ったら、染髪料を取られたんですね。
お湯をたくさん使っちゃうからと言う理由なんでしょうか。
測りの上にかごが載っているのは、
多分赤ちゃんの体重を量るものなんでしょうね。
各家庭に、赤ちゃんの体重計なんてなかった時代ですよね。
銭湯はある意味、社交場のような役割もあったんでしょうね。
現代もお風呂の王様のような娯楽施設があるけれど、
そこで、知らない人と喋る機会は全くないですよね。
もともとシャイだった日本人が、
もっとシャイになってしまったのか。
それとも、スマホが、
日本人の他人に対する興味を奪ってしまったのか?
私はやっぱり直接喋る派なので、
スマホを見つめている人生には、寂しさを感じてしまいます。
yamayuri2001RE: 銭湯・・・
yamayuri2001さん こんにちは
先日テレビで中村メイコさんをお見掛けしました。
私でももう古い人間の部類に入るのに、メイコさんはまだお元気でおしゃべりをしていました。五月生まれなのでメイコと名付けたそうですね。
誰でもそうですが、小さい子は母親が銭湯に連れて行きましたから、男の子でも平気で女湯に入っておりました。恥ずかしさを知らないなんて、あんな時代なんですね。
永井荷風は市川市の菅野というところに住んでいましたから、お風呂も銭湯で菅野湯というところに通っていたようです。
時代は大分ずれますが、私の店も菅野にありましたので、菅野湯には入ったことがあります。荷風が最後に食事をした食堂の大黒屋も駅の近くにありました。一度はいって食事をしておくんだったなぁ、とおもっています。
私の次兄は出版関係の仕事をしていましたので、本が好きでしたが、電車の中で本を読んでいる人を見かけない、などと嘆いています。
スマホでも小説を読んだりできますが、若い人はほとんどゲームだという
情報もありますね。いいのか、わるいのか?youtubeを見過ぎると馬鹿になるという人がいますが、実際、私もyoutubeを見ていると、止められなくなり、このごろ馬鹿になった気がします(笑)。
pedaru2025年05月31日15時42分 返信する -
名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する
Pedaruさん、
今晩は。
私の方はだらだらと2008年の古いドイツの旅を書き出し、記憶が薄れた旅を思い出すのに時間がかかり四苦八苦したものですが、Pedaruさんは早々と4編の内3篇を投稿されてしまわれていました。
さて、江戸東京たてもの園の2、気になった建物だけについて、順に感想を述べます。
吉野家は江戸時代に野崎村の名主役を務めた家だとか、江戸後期の建物ながら、式台付きの玄関など、格式を感じました。
青梅の実家も元禄時代からの古文書も残り、村三役(名主、組頭、百姓代)を務めたとありましたからこのような建物だったのか?!ダルマ家も本家は衰退し、分家が力を付けて、その後村長や市長となっています。我が家の昔話に生糸相場で失敗し、農地解放で土地を無くしてしまったと聞き及びます。私が育った頃、父は貧乏な教師(父は師範学校出ですから、奉職と共に直ぐに管理職でしたけど)でした。同じ分家で力のあった家は長屋門を構えていたそうで、家内はその門前を歩いて中学に通ったと言います。
薄暗い部屋には日本人形が置かれていますが、同じ人形が実家の掛け軸をかけた座敷にヌシ然としてありましたね。
三井八郎右衛門邸はすごいですが、三井財閥の総帥の家にしては意外に地味な感じをうけました。
八郎右衛門はWikiによると、三井家総領家である北家の当主が代々名乗った名前だそうで、港区西麻布(旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郞右衞門高公邸(11代たかきみ・・1895~1992年、1952年築)を東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移築し、一般公開されているとあります。
妻の鋹子(としこ:1901年-1976年)は旧福井藩主・越前松平家第18代当主・松平康荘の長女だったので、嫁入り道具を長持に入れて運んだのでしょう。
三井家は三井十一家もあるそうで、うろ覚えの昔の記憶では三井高??さんと言う方が食糧部だった?かにおられた。
子宝湯は千住にあった銭湯の由、これは入りにくいような、立派な銭湯ですね。
新婚時代を青梅線の中神や中央線の小金井で過ごしましたが、借家の部屋に風呂が無くて、時に応じて銭湯通いをしました。だが銭湯がどのようなものだったか、全く覚えていない。
雨の日や寒い時期はお互いに外で一人待つのは嫌で、そそくさと風呂に入り、銭湯の雰囲気を楽しむ事も無く、出てきてしまった覚えがあります。
それもあって、短い期間を居住した後、横浜の社宅(風呂付)に引っ越してしまった。
だから銭湯文化が分からないのです。
写真を拝見すると、なんとも立派過ぎて!畏れ多い銭湯に見える。Pedaruさんは坪庭を見ながら、片手を腰に当て、コーヒー牛乳を飲んだ由、そんな優雅な事をしていたとは!!
それではまた。
jijidaruma
RE: 名主の家、三井さん、銭湯文化を連想する
jijidarumaさん こんにちは
ご自分の旅行記の記憶をたどるのに四苦八苦していると仰せですが、記憶をたどるだけでなく、完全主義者のjijidarumaさんのことですから、資料なども完全でなければ気が済まない性格で、私とは真逆かと思われます。
私の場合メモや日記などはほとんどなく、写真の日付、時間などのデータのみを熟読して、あの時の状況を思い出します。フィルムのデータはすごいですね、かなりの情報を含んでいます。時系列も含んでいるのはもちろん、
ホテルで失敗した経験も手に取る様に思い出させてくれますね。
古い建物裏側にはその家の歴史が厳然として控えておりますね。私の実家でもどこにでもあるようなものを大切にして、良いように想像して家の歴史など語ります。家に家系図などないのに、仏壇のなかには元和元年の位牌などがあり、間違って紛れ込んだものかもしれないのに、先祖は大阪夏の陣で活躍したかもしれない、などと語っております。
お寺は榊田康政の墓のある由緒正しい寺らしいですが、長兄が最近亡くなってから、その長女が何を思ってか、墓じまいしたいなどと言ってきました。男子がいないこともあって、我が家はこれまでかと、思った次第です。
市内に住んでいることだし、墓じまいの必要が無いと思うのですが、流行の波に乗ろうとしているのかもしれません。
銭湯の思い出は子供の頃のことになりますが、群馬の平野部でも、冬は空風の吹く寒い夜など、濡れ手ぬぐいを広げて歩くと、ぱりぱりの板のように凍ってしまったものです。
風呂屋には二階があって、大人は湯上りに将棋をさしたり、昼寝をしたり、子供はかくれんぼをしたりしていました。安い湯銭で遊べました。
父などは自宅に内風呂が出来ても、おしゃべりしたくて、銭湯に毎日いっていましたね。のどかな時代でした。
pedaru
2025年05月31日14時55分 返信する館林藩10万石と榊原康政の菩提寺
pedaruさん、
今晩は。わざわざの御訂正了解です。
勿論、あの名前は徳川家康の4天王の将・榊原康政であるのは分かりました。
というより榊田を普通に榊原と読んでしまっていた。
その榊原康政の墓は館林の善導寺にあると、調べてみると城址にも近く、すごい墓石が残る名刹ですね。御実家の墓がこの寺にあるのも多分歴史と格式あるお家なのでしょう。家の歴史はどこの家でも語り部がいて、ずっと語り継がれてきています。御先祖が大阪夏の陣で活躍したといった事も存外真実かもしれませんよ。
我が家も父の実家を遡ると武田の武将が帰農したとの話も残ります。
ともあれ、名刹での墓じまいはpedaruさんも何やら残念に思われている様子、私もそれを感じます。
昔の人は養子制度をうまく利用して、家や墓も代々守ってきました。私の実家は母が曽祖母の家に養女に入り、父を婿に迎えています。過去帳や戸籍を見ると、そうしたケースが度々見受けられました。(こうした事を知ったのはなんと70代になって、母の日記や古文書を読み、戸籍を調べたからでした)
我が家(私は次男坊)は娘二人を嫁に出してしまったから、孫5人のうちの一人でも良いから養子にと思うのですよ。
さて、榊原家館林藩は10万石の町ゆえ、良い町ですね。
何故か、入社したての頃、彼女(今の家内)と2人で有名な、広大な「つつじが岡公園」のツツジ見物に行ったことがあります。
ここのツツジと、「証城寺の狸囃子」のモデルになったお寺として知られた茂林寺に加えて館林城跡を見た記憶があります。
その時の若い若い背広姿!の写真もアルバムにあるのですが・・・(笑)。
旧秋元別邸、足尾鉱毒事件田中正造記念館などもあったようですが、訪れていません。
先日、家内の母の17回忌で青梅に帰った際に、茨城の古河公方の町、平将門の遺跡など巡りました。考えてみれば、館林藩は古河藩にも近いではないですか!寄ってみればよかった。
それではまた。
ちょっとはずみで、また調べてしまいました。時間がかかるはずです。
jijidaruma2025年06月01日01時00分 返信するRE: 館林藩10万石と榊原康政の菩提寺
jijidarummaさん
ちょっとはずみを提供してしまいました(笑)。こんなに反応の良い人はまれです。館林も城下町ですので、多少は記念碑になるものもありましたが
文化の程度が高くないので、江戸時代の箱火の見櫓、三の丸をはじめとする堀、武家屋敷、その他は破却されました。私の青年期にはまだありました。
善導寺はもともと館林駅前にありましたが、寺の老朽化のため檀家に経済的負担をかけないよう、現在地、つまり東北道の舘林出口付近に移転しました。あまり話題にはなりませんが、墓を掘って移転するときに、ある豪商の家の墓に、その家の奥様が埋葬されていましたが、まだ若い女性だったためか、全身を和紙で包み漆を多用して埋めたため、発掘時には死んだときのままだったそうです。空気に触れた途端腐食がはじまり、埋葬許可をとって
焼却したそうです。
NHKスペシャルなどで放送して欲しかったですね。貴重な記録になりそうです。
現在でも寺の土地は広大で街の一等地を所有しているため、檀家はあまり寄付などしないで済んでいるようです。できれば我が家など、経済的支援を
希望していますが、さすがこれは叶いません。お布施を値切るくらいしか
支援はありません(笑)。
つでに余談ですが、寺が移転した時、葵の紋のついた巨大な瓦を無断で頂いております。今となっては単に邪魔になるだけですので、庭の石の後ろに置いてあります。住職は兄の同級生の子供ですから、叱られる恐れはありません。私もはずみで余計な話をしてしまいました。お邪魔しました。
pedaru2025年06月01日13時24分 返信する -
『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
今日は。
もう、ずいぶん・・昔。に
『東京 たてもの園』に お邪魔しました。が
こうして、いろいろな・・建築物を 見ている。と
その 説明・・と 共に、「いいなぁ~」と 思いますね。
お金持ち!の『東京都』の 管理下・・なので、
しばらくは、「安泰!の『たてもの園』でしょう」が
全国各地!には「いろいろ・・似た、場所」が あります。が
今後・・の「建物の 維持管理費」が、大変!と 心配・・に なります。
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『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
そして『三井家』の ゴージャスさ!は、際立っていますね。
風呂屋。小さな・・お店。に、洋館。農家・・と、
見所を 集約した『たてもの園』は、
ーーー「ミニ 明治村」とも 思えますよね。(笑)
これからもよろしくお願いします。RE: 『東京 たてもの園』・・やっぱり、いいですね。
白い華さん おはようございます。
中国の旅行記を拝見して、まず第一にコメントしなきゃとおもっている
矢先にまず書き込みいただいてしまいました。
さすが華さん、すでにたてもの園はご存じだったのですね。なんにでも興味深い方ですから、とくに建築物がお好きなようですので、たてもの園は
印象的ですよね。
東京下町は江戸時代から内湯が禁じられていましたから、銭湯が発達したようです。鳥越あたりにも帝国湯などありましたね。いまでもあるでしょうか?
木造建築がおおい日本では古い建物の維持管理はたいへんです。それに引き換え、英国では、とくにスコットランドなどでは廃墟になった古城を
修復しないで崩れたままにして、それを売りに見物させている気がします。
木造家屋を保存するのは世界的にも難しいことなんだなぁ、と思います。
後日、華さんがおとずれた北京の素晴らしい建築物の感想を書こうと思っております。
pedaru2025年05月30日06時14分 返信する -
下落合
pedaruさん、おはようございます。
乗り換えが難しい新宿駅、私も上京した時に感じたことがあります
とにかく人が多いのも一因では、とも思いました(^^;)
その新宿 下落合に、pedaruさんの中学時代の恩師が住んでいらっしゃったのですね
女教師と少々ミステリアスなお話の展開に思いましたが、拝見して心に残りました。
さて高橋是清邸、14歳で身売りされたという過酷な経験があったにもかかわらず
7回も大蔵大臣を務められ、豪邸に住まれたのですね。
伊達家の門や台東区の化粧品屋さんなど、色々観て廻られて
江戸東京たてもの園、見所満載だなぁと また感じました(^_^)
ふわっくまRE: 下落合
ふわっくまさん おはようございます。
新宿下落合に自転車で行ったことがあり、高台の斜面に偶然林芙美子記念館を見つけたことがあります。
豪邸ではありませんが、昔ですから広い敷地で洒落た家でした。
当時目的もなく自転車でいろんなところをただ走るだけでしたから、今思えば、下調べをきちんとして目的をもって走ればよかったなどと思っております。
ふわっくまさんのようにマンホールカード収集などしていれば思い出も更に豊かなものとなっていたかと思います。
江戸東京たてもの園には、各種の家が移築されて一挙に、いろんな経験が出来ます。自動車の通る道路では3種類のマンホールを写真に収めました。
第4巻目に載せてあります。またよろしくお願いいたします。
pedaru2025年05月30日05時48分 返信する -
高橋是清
pedaruさん
おはようございます。
いつものように名文のイントロダクション。
おかげで本文がうわのそらです(苦笑)
肺結核とは大変でしたね。
まさにストレプトマイシンこそが当時唯一無二の特効薬!
たった一種の薬が何百万人もの命を救った好例ですね。
それにしてもご苦労されたことでしょうーー。
さて、高橋是清はまさに偉大な人物ですね。
もちろん多少は私利私欲もあったのでしょうが、それを割り引いても日本に貢献した寄与度は歴代の政治家でもトップクラスでしょう。
もっとも日清日露の両戦争での勝利が軍国日本を造ったと思うと切ないですが。
高橋是清さんのお宅はさもありなんという風情と格式ですね。
今の前農林水産大臣のような庶民の苦労も全く分かっていない農政族議員に爪の垢を差し上げたい偉人のお宅、さすがです!
それにしてもこの江戸東京たてもの園、ずいぶんと建物が多いのですね!
ビックリしましたーー。
norisa
RE: 高橋是清
norisaさん おはようございます。
実はパソコンが壊れまして、返信できずにおりました。遅れて申し訳ありません。酷使のせいか、安物のせいか、あるいは愛情が足りないせいか、
どうにもなりませんでした。
タブレットから返信しかけましたが、あまりにまどろっこしいのに閉口してやめました。
再起動も試みましたが、むなしく、そこでパソコンを開けて、掃除機で埃を取り除き、部品の刺しなおしをしたところ一時的には回復したようです。マシンといえども愛情は通じるのでしょうか?(笑)。
旅行記を書いていて、ためになることと言ったら、知らなかったことが理解できることもひとつにはありますね。
高橋是清の邸宅が総栂普請だと知り、高級な建築に用いられるということを知りました。総ヒノキ普請が最高と思っておりましたが、意外でした。
高橋是清のことは東京新聞の小説で知りましたが、アメリカ人に騙されて
奴隷の契約を知らぬ間にさせられてひどい目に遭ったなど、ジョン万次郎とは真逆の人格のアメリカ人に遭遇したのですね。
江戸東京たてもの園にはいろんな種類のたてものがありますが、その維持管理は大変だと思います。気軽に見学できるのがありがたいですね。
norisaさんも機会がありましたらどうぞお出かけください。
pedaru2025年05月28日04時43分 返信する -
なつかしの銭湯
「田舎のバス」知っている0.2%の一人です。
知っている、あるいは使っていたモノがいっぱい出てきます。こういうモノが晴れて展示の対象になるということは、私たちそのものがもはや古き良き時代の忘れ物ということです。
ナンマイダブ。
こういう土間も見たことあります。
我が家は農家ではなかったのですが、どうして知っているのだろう。
一時期親戚のおばさんの家に預けられていたことがあります。あそこがこんなだったかもしれません。東京のすぐ近くでした。
板の間のお勝手も、なにやら記憶の底に揺らめいています。もうちょっとで鮮明に思い出しそうです。
漆塗りの豪華な箱。担ぐための棹を通す金具がないので、嫁入りようの長持ではないみたい。だいいちこんなでかいもの、担げますかね。
見たことありません。こういうものが必要なお金もちは近くにいなかった。
立派な銭湯ですね。
もっと貧弱な銭湯なら行ったことがあります。
ご幼少のみぎりは、祖母に連れられて女湯に入っていました。こんなりっぱなベビーベッドがあったかな。
奥の出入り口から三助さんが堂々と女湯に入ってきて、おばさんたちの背中を流していました。
三助というのは、銭湯の従業員でも最も格上の職種だったそうです。
だれもなんにも言いませんでした。
みなさんそういうものだと思っていたみたい。
間の仕切りはもうちょっと高かったかもしれませんが、多少のぞいたところで問題なかったのかもしれません。
のどかな時代でした。
銭湯ではどうして風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むのでしょう。
記憶にあるのです。
中庭もこんなあつらえだったような気がします。
RE: なつかしの銭湯
しにあの旅人さん おはようございます。
昔のことを話すと、どうしてこんなに楽しいのでしょう?チコちゃんに訊いてみたいですね。
銭湯がきっかけで、しにあさんの記憶の糸口が開いてきましたね。
「田舎のバス」これはヒット曲でした。 懐かしいですね。
農家の土間は、母の実家が農家でしたので良く知っています。文字通り土の土間ですが、コンクリート並みの堅さになっていて、どんな物理現象か理解できませんが、必ず表面が五十円玉くらいのつぶつぶ状になっていたのです。
実家は中二階の部屋があって誰も入らないところに黒く煤けた長持ちがありました。祖母か母の嫁入り道具の一つだと思いますが、中に何が入っているのか、怖くて開けられませんでした。ちょうどミイラが入るのにちょうどいい大きさでした(笑)。
いつのまにか三助さんは絶滅したようですが、当時、えーっ?いいのー?と思うくらいの時代錯誤の風習でしたね。私は見たことありませんが、投書などによると、三助が入ってくるとぞっとする、というご婦人の意見があったのを記憶しています。
ご婦人の裸体に囲まれて、男が背中を流す光景があったとは、昭和という時代も歴史の時代でしたね。
pedaru
2025年05月21日05時42分 返信する -
銭湯
ねもさん、こんにちは。
銭湯、どんどん無くなっていますね。
上野桜木にあった銭湯も、いつの間にかギャラリーになっていました。
あと、気に入っていた函館の大正湯も、2022年に閉業してしまい。。。
寂しいですね。
旅先では、古い民家を観るのが好きで、色々と観ていますが。
考えてみれば、多くは保存されているもの。
人が住んでいる建物は、どんどん数を減らしています。
時代の流れでしょうが、最近の建物は、時を経ても味は出て来ないと思います。
東京タワーとスカイツリーも、東京タワーは文化財として残りそうですが、スカイツリーは古くなれば取り壊されるでしょう。
旅猫RE: 銭湯
旅猫さん おはようございます。
東京にしばらく住んでいましたが、昔のことですので、下町はお風呂のある家が少なくて、いやある家を知りませんでした。そこで、仕事が終わると近所の銭湯に行ったものです。
一緒に行った同僚は銭湯で働いている女の子が好きで、かならず牛乳をかって、きゅっと音を立て蓋をあけてもらっていました。
田舎でも大体は子宝湯のような立派な造りで、銭湯が地域の娯楽施設だったようです。
先日実家で法事があり、昔の町の写真を見ましたが、家は整然と並び、
江戸時代からの箱火の見やぐらもあって、美しい街でしたが、今見ると
取り壊したまま、跡地は駐車場になっていました。
pedaru
2025年05月21日05時10分 返信する -
お勉強になりました!ありがとうございます。また行ってみます。
pedaruさん
こんにちは!
江戸東京たてもの園の旅行記を楽しく拝読しました。面白かったです。知識が乏しく、小平市にも「江戸東京たてもの園」があるのか?と思いながら、読んでみると、あれ?ここ行ったことがあるかな?と記憶の断片が。
しばし、、少しづつ、もう容量のほとんどない脳みその記憶領域をたどりながら、思い出し始めました。確かに行ったことがある!
実は息子の家が武蔵小金井にあるので、息子孫たちと一緒に「江戸東京たてもの園」へ、南側(武蔵小金井側から)から行きました。そう!美しい素晴らしい文化財のテーマパークです。
行ったけど、(孫の面倒を観ながら<=明らかに言い訳)の訪問なので、記憶があいまい。pedaruさんの旅行記の写真の説明で、改めて、ふむふむ、なるほど、こんなに貴重な重要な意味のある建物ばっかりだったのですねえ~~。と、お勉強になりました!ありがとうございます。また行ってみます。
pedaruさん、ありがとうございます。
TKRE: お勉強になりました!ありがとうございます。また行ってみます。
TKさん おはようございます。
世界中を旅されているTKさんから「ありがとうごさいます」と言われるなんて、光栄な反面、恥ずかしい気持ちです。
もうこんな旅行と言えないものまでネタ不足のため持ち出して手軽に投稿いたしました。この手の旅行記は解説はコピペ、で済ましていますので
どうしてもつまらなく思われます。自分の意見をといえば自然、昔の思い出になってしまいます。そして、また書いてしまった、年寄りの昔話、自慢が書いてないか?同じこと書いてないか?これだけはチェック事項です(笑)
褒められたのを励みに、嫌いな勉強に励みたいと思います。ありがとうございました。
pedaru
2025年05月20日05時30分 返信する -
見所多し
pedaruさん おはようございます。
江戸東京たてもの園
見どころ多い建物達ですね。
桜も咲いて時期はバッチリ。
破風が立派だったり皆お金持ちのおウチばかり。
保存されるのだから当たり前ですね。
気になったのは銭湯の
「婦人洗髪料 10円」
女性が髪を洗うのに別料金ですか。
そう言えば、祖母は1ヶ月に一度
パーマ屋さんで髪を洗ってもらい
椿油でコテコテに固めていました。癖っ毛だったので今みたいな性能のいいドライヤーなどなかったし。日本髪が結えなくて苦労したようです、そんなことを思い出しました。
フィーコRE: 見所多し
フィーコさん こんにちは
女性の洗髪料の決まりは今はないのですか?今どき銭湯も珍しいので
「ないのですか?」と聞かれても困ると思いますが・・
女性の髪は長い物、と決まっていましたから、女性だけがお金をとられたのでしょうね。日本髪時代の決まりだったのでしょう?
そういえばオードリーヘップバーンが人気の時、ヘップバーンカットというのが流行って皆短くしていましたが、それでも女性は洗髪料をはらっていたようです。(私の記憶です)
日本髪といえば、土曜日に実家で法事があり、家にあった枕が話題にのぼりました。塗りものの木の箱の上に、ちくわを太くしたような枕がついている、日本髪には必須のいわゆる箱枕があったという話です。その他、矢立もあったよね、写真では日露戦争に行った祖父の軍服の姿がありました。
建物園で昔の物を見たので、古い物の話題になりました。
そうそう、古い物の代表はpedaruそのものだと気付きました。
pedaru2025年05月19日11時41分 返信する



