興味が湧く飛行場ですね。
はじめまして温泉旅人さん、今晩は。
鶉野飛行場の旅行記、興味深く拝見しました。鶉野飛行場は第二次世界大戦時海軍航空隊の飛行場との事ですが防空壕や爆弾庫、対空機銃座などがまだ当時のまま残っている飛行場が残っているとは知りませんでした。
私の県内にも海軍航空隊の飛行場がありますが現在は航空自衛隊の基地になっているため容易には中に入れません。そういう意味においても貴重な飛行場だと思います。
飛行場内には格納庫を彷彿させる資料館が再建され、中に2機の航空機があるんですね。
私も見てみたいです。ところで1機を九七式戦闘機と書かれていますがこれは間違いで、正しくは九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)です。主に雷撃機として真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦を経て南太平洋海戦まで海軍の主力雷撃機として使用されました。
もう1機は終戦末期に活躍した海軍の局地戦闘機ですね。零戦とともに名機と謳われた戦闘機です。
でも不思議に感じたのが紫電改は松山の343航空隊、通称剣部隊に集中配備されていたのでこの飛行場には無かったはずだという事です。
疑問に思ったので調べてみました。このレプリカの機体番号は343-23でした。この機体番号は343航空隊に実際に存在し搭乗員は笠井智一上飛曹、彼の出身は兵庫県丹波笹山市でした。
兵庫県の出身パイロットが紫電改のエースだったので加西市の有志達が紫電改のプレミアを作らせて鶉野飛行場に展示したという訳です。
これで納得がいきましたが稼働できる飛行機だとより盛り上がったでしょうね。
現在稼働可能な太平洋戦争時のオリジナルの航空機は日本には1機もありません。航空自衛隊浜松基地にある零戦は稼働可能ですが、わずかに飛行機の尾輪が後世造られものなので完全なオリジナルではないそうです。
40年前なら完全にオリジナルで飛行可能な戦闘機が京都嵐山にありました。
その戦闘機は陸軍四式戦疾風です。その飛行機は嵐山美術館という場所にあって、その美術館を運営するさる会社の社長自らがアメリカのコレクターから大枚をはたいて購入した稼働可能な戦闘機でした。
展示されていた場所が屋根付きの屋外で、警備員がいない状態下で操縦席に乗り込み自由で操縦桿が握れましたから、悪意のあるコレクターたちから部品を盗まれて稼働できなくなったそうです。社長の死後は後継者が美術館を引き継がなかったので多くは人手に渡り、動かない疾風も点々と所在を変え現在は鹿屋の航空自衛隊基地内にあるそうです。むろん今も稼働できない状態です。
疾風には戦後後日談があります。米軍が稼働可能で状態の良い疾風2機を本国に送ってアメリカのP-51ムスタングと模擬戦闘を行わせて機体性能の調査を行いました。
ガソリンはアメリカの航空ハイオクガソリンを使用しました。その結果全ての項目で疾風が勝ち、日本軍機の優秀さが証明されました。
P-51ムスタングとヘルダイバーは当時のアメリカ軍が世界一の戦闘機と豪語していた機体です。それに日本機が勝ったのですから軍部はもちろん航空技術陣も驚愕したそうです。
戦時中の日本の航空用ガソリンは質が悪く、飛行機の持つ性能の半分くらいしか能力が発揮できなかったことが戦後アメリカによって分かったのでした。
零戦ももっと性能が発揮できた戦闘機だったそうです。
このことにより日本の航空技術者に底知れぬ恐怖を抱いたためGHQは今後一切日本では航空機の生産を行ってはいけないとの厳しい措置を講じたのでした。
そのため現在まで国産の飛行機はYS11のみです。今も日本の空で飛んでいるのは外国製の飛行機だけです。
長くなりましたが何かのお役に立てれば幸いです。
ポポポ
Re: 興味が湧く飛行場ですね。
ポポポさん
はじめまして。
ご指摘ありがとうございます。
軍用機には全くの浅学で、パンフレットも有料のものだけだったので
おぼろげな記憶だけで記載していました。
周りにも軍用機好きがいるのですが
こちらにはあまり興味を唆られていなかったということも鑑み
とても行きにくい立地を考えると
年数回のイベント時ではないとおすすめは出来ないかと思います。
記述された機体性能調査については
館内でも述べられていましたね。