糸満・ひめゆり旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《2023.June》三年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その四~78回目の慰霊の日編~<br /><br />旅先でのいつものパターン、空調が効いた部屋で目覚める。昨日程の疲れを感じないのが幸いだった。そして8:00前にノックがある。朝食ができたことのお知らせだ。着替えて隣のゆんたくルームへと向かう。いつもと変わらぬ朝食はりゅうかくご自慢のもの。コロナ禍で集客が減った際に+αでトロピカルフルーツ朝食なるものが考案&提供され始めたようだ。まあそこまでしなくても十分なので、スタンダード朝食を美味しく頂いた。<br /><br />程良くお腹も膨れたので部屋に戻る。荷物をまとめながら、時間が決まっている本日の行事だけを再確認しておく。4年ぶりとなったゲストハウスりゅうかく、大きく変わった訳ではないが敷地内を散歩してみた。そしてチェックアウト時刻になり3日目の行程を出発させる。こちらでの挨拶はいつも決まっている。また来年!という言葉だけだ。それに加えて感謝の念を込めた挨拶をして出発した。<br /><br />旅三日目にして最高の天気を迎えた沖縄の地、どうやら近々梅雨明けするようだ。宿を出て暫く走ったところに駐車場がある。トイレや足洗い場等があることからサーファーのためのもののようだが、私の場合ここでナビセット等を行う場所として利用している。宿前で行うといらぬ心配をさせてしまうからというのが理由である。今回も奥武島の海をカメラに収めた後に行うことにした。旅行貯金のために2局の郵便局に立ち寄った後に沖縄県営平和祈念公園のシャトルバスのバス停がある糸満市観光農園迄行き平和祈念公園を往復する。糸満市観光農園からはヌヌマチガマ入壕の待ち合わせである南の駅やえせに向かうが、隣接する具志頭郵便局に立ち寄って旅行貯金をする。壕探索をした後はサンエー西原シティ店でお土産を購入し、どこかで給油を済ませた後、追悼式後夜祭を行う平和祈念公園を経て本日の宿であるみん宿ヤポネシアに向かうというルートである。勿論机上のもの故実際のルートとは異なることは承知済み。こんなことを頭の中で考えてナビに入力する。ここまでの所要時間30分。時間が勿体ないので出発する。<br /><br />奥武島を後にして国道507号線を走って行く。国道沿いにある宜次簡易郵便局に立ち寄って本日最初の旅行貯金をする。再び国道507号線に戻り、市道県道と走り東風平郵便局に到着し、2局目の旅行貯金をする。東風平郵便局は記録上訪問履歴はあるのだが、局舎の印象が違うために局員氏に聞いたところやはり移設したとのこと。以前は局舎前の道路に路駐したのだが、現在は駐車場完備の局舎になっていた。<br /><br />ここで午前中のフリータイムは終了し糸満市観光農園へと向かう。指定管理者制度で揉めていたようだが、今のところうちなーファームとしてリニューアルオープンし、現在に至っている。ただシャトルバスの運行箇所としては糸満市観光農園のままであり、ナビ検索ではたまに表示されないこともあると言われている。<br /><br />兎にも角にも急いでバスへと向かうが乗る寸前に12時の時報が流れる。沖縄では6月23日12:00から1分間黙祷を捧げる事になっているため、それに従い私も立ち止まって黙祷をする。会場のように時間のコールはされないのでそこは自分の勘に従った。<br /><br />バスに乗り込み平和祈念公園を目指す。慰霊の日には日中公園駐車場には許可車両しか入ることはできないために、車を置いてシャトルバスに乗換えて会場入りすることとなる。バスが動き出して暫くすると平和祈念公園の人混みが見えて来る。この辺りは過去にも見ているので下車後追悼式会場に直行する。<br /><br />例年と同じく祭壇前にあるテント下には入らずに外野の立ち位置から追悼式を見守るのだが、4年前とはなんとなく違う雰囲気を醸し出していることに気付く。いつもならばテントのまわりに外野が集まり、式典をこの目で見ることが出来た。しかし今年に限ってはテントのまわり付近は原則立ち入ることができなくなっており、式を見るには持ち物チェックを済ませてテント下に入ることが必要となっていた。昨年の安倍元首相の狙撃事件、そして岸田総理に対する襲撃事件等穏やかでない事件が続いたことがVIPの警護を厳しくせざるを得なかったことが、その理由であることは理解できる。しかしこの沖縄戦全戦没者追悼式というものは、あくまで沖縄戦に於ける戦没者の慰霊を目的として行われていることは言うまでもないことである。しかし今年の様子を見る限り来賓主体のイベントの如く展開がされている。新聞にもテレビニュースでも知ることができる沖縄で行われ、全国に向けて発信されるべく式典がこれではどの様に読者・視聴者の目に映ったことも想像できよう。少なくとも来賓すら見ることが出来ずにマイクで機械的に流される音声を聞くだけであれば、屋内で非公開にして行えば良いだけのことである。敢えて言うならば沖縄県知事玉城デニー氏も平和宣言を読み上げている際に違和感を感じなかったかと疑問に思えてならない。<br /><br />私は戦没者遺族の一人として祖父が亡くなった場所であるこの沖縄にこの日訪れることが自分自身の慰霊だと考えている。そのため毎年批判している“政治的にこの場を使う”ことは、本来の主賓である戦没者の御霊を冒涜することにしかならないと考えている。同様の意見を持つ方々も増えてきており、追悼式を台無しにするような抗議行動を、この日にすることに対し場違いだとか非常識なものと言われはじめてからは減ってきたと思っていた。しかし今年の会場設営は明らかに主賓に対する配慮そのものだったとしか思えない。警備にあたる全国から集められた警察官だが、要人警護とは名ばかりで主賓が車で移動する際の交通整理である。自分が思うように歩けないことに対し、警備の警察官に喰ってかかる者も居たようだが、理由を説明しながら謝っている若い彼らを見て可哀想にも思えた。と同時に主賓の乗った車を通すのにここ迄でしなければならないのかと思った警官も居ただろう。少なくとも“当たり前”のことをしているのであれば“詫びる”ことなどしなかったと私には見えた。<br /><br />別にここ迄でしなければ襲撃される首相ならば、来年以降は本人の参加は必要ない。電報の代読で事が足りるし、税金の無駄遣いにもならない。首相自身が追悼式に対し、心から参列したいという気持ちがなければ、建前で参加もして欲しくはない。追悼の気持ちなくして政治的理由で参加することは、戦没者は勿論のこと、参列している心ある方に対し失礼極まりないことを行っている・・・それ位の自覚は総理大臣ならばあって当然である。まぁ公私混同を良くする方なので仕方がないのだが。<br /><br />文句を言ってもはじまらないので、式典テントから離れてぶらぶらする。閉式のアナウンスが流れてからテント下へと戻り、お焼香をさせてもらう。そして平和の礎を歩き、祖父の名前を探して手を合わせてから人の集まる平和の灯火に向かう。暑い日ゆえに多くの子供達が水遊びをしている景色は、本当に78年前にこの地が戦場になったのかと自問自答するような姿に私には見えた。<br /><br />平和の礎石板には慰霊の日を示すべく沢山の花々が添えられている。この風景は風化させてはならない・・・いつもそう思う景色であった。そして全学徒之碑、ぬちどぅ宝の碑を見つつ島守の塔に向かう。沖縄戦に於いて沖縄県職員の犠牲者を祀っている慰霊碑だ。沖縄県最後の官選知事島田叡氏や沖繩県警本部長荒井退造氏も祀られている。県職員戦没者追悼式は、戦没者追悼式の後に行われるように組まれている。私が訪れた際もまだ始まってはいなかった。そして隣の栃木の塔に向かう。私の祖父は栃木県出身なので、こちらに祀られている。母方の親戚で沖縄に来ているという話は聞いてはいない。そうすれば定期的に訪れている者は私だけとなる。平和の礎同様に手を合わせ、しがない孫がやって来ましたよと声をかける。<br /><br />これで慰霊の日に於ける私の任務は完了したので、車へと戻ることにする。シャトルバスは利用客数に応じてバスの便数が違うようで、糸満市観光農園行きは最も少ない。30分ほど待ってバスに乗車することができ、糸満市観光農園へとたどり着いた。<br /><br />予定ではヌヌマチガマの入壕体験の待ち合わせ場所が15:00に南の駅やえせとなっている。10分程で到着出来るので急いで向かおうとすると電話がなる。八重瀬自然遊学センターの松永さんからだ。どうやら集合場所を変えたいとのこと。元々申し込んだコース名が“白梅学徒の足跡を辿る”というものであるために八重瀬公園からのスタートの方が効率が良いことは想像がつく。とはいえ戦跡巡り初心者だといきなり南の駅やえせから八重瀬公園にと言われてもわからないのではとちょっと笑ってしまった。<br /><br />本来八重瀬公園に直行すれば到着は早くなるが、無計画な旅ゆえに一旦南の駅やえせへと向かう。目指すは具志頭郵便局、今回の旅最後となる旅行貯金をする。ちゃっちゃと済ませ一路八重瀬公園に向かう。迷うことなく到着したが肝心の松永さんが見当たらない。電話をかけてみるとトイレに行かれていたようだ。<br /><br />ガイドは松永光男さん。勿論初対面だが筋金入りの平和ガイドとして有名な方なので名前は知っている。その旨を話したら珍しいのか話が盛り上がる。八重瀬公園の白梅の壕、富盛の石獅子と既訪の場所を巡る。石獅子から陸自の八重瀬分屯地方面を眺めた景色の中に新たな軍の拠点が見つかったらしく、近々遺構を掘るらしい。新しい発見と共に兵士の遺骨が見つかることを願うばかりである。そして次に訪れた場所がヌヌマチガマになる。ガラピ壕と繋がり、戦時中は沖繩陸軍病院八重瀬分院が設けられた場所であるが、修学旅行その他の入壕体験時に於けるトラブルが地権者との間に頻発し、八重瀬町が平成27(2015)年にヌヌマチガマ入口を整備した際に“指定管理者”を制定、NPO法人自然体験学校という北海道の団体に制定したという経緯があった。基本団体向けとした戦跡巡りの主催となったことから個人では行くことが不可能になったと思っていた。八重瀬町が指定管理者を制定する前からヌヌマチガマを平和学習の場所として利用していた既存のガイド団体が反発。ヌヌマチガマを平和学習の体験コースとして利用しない旨を八重瀬町に抗議したということがあった。ゴタゴタがあったという新聞記事を読んだために、私自身は個人入壕は叶わないと思っていた。しかし偶々じゃらんでヌヌマチガマ入壕体験に個人参加ができることを知り申し込んだ。確かに窓口は例のNPO法人だったが、ガイドの松永さんはまた別の所属。おまけに入壕希望日は6月23日の慰霊の日とくれば期待をしていなかった部分もある。その辺りは大人の事情が影響したのかわからないが、ともかく流れは良い方向に行ったと考えられるであろう。<br /><br />入壕するが入口の鍵を開けて入って行く。鉄骨の補強が目に入るが戦跡として残し、利用していく考えであろう。水の流れがあるガマは長靴出ないと無理である。しかし地面が乾くことがないために滑りやすく足元には注意が必要だ。壕内には地上と繋がっているあなもあり、暗闇だけとは言えないようだ。ヌヌマチガマは後で訪れるガラピ壕と繋がっている。その途中に白梅学徒手術の壕というものもあるが、こちらは出土品を棚に並べて陳列していたことが問題になり、ヌヌマチガマの延長という場所として現在では利用されている。確かに病院壕として利用されただけあって広さはある。しかし特徴といわれると“これ”という物はなく、使われていた史実を確認しながら進むという感じであった。<br /><br />ヌヌマチガマを出るとすぐ近くのメーダスンダガマに向かう。こちらは住民・兵士が混在して利用した洞窟であるそうだが、詳細は不明のようだ。しかし轟の壕のように入口がぽっかりと口を開けている形であるために、壕の奥に居なければ銃弾の標的になってしまいそうな様相を呈しているように感じた。<br /><br />ガマを出て車に戻り、最終目的地のガラピ壕へと向かう。以前何かで入壕によるトラブルで壕内には入れないようなことが書かれていたがそうでもないようだ。元々この場所はお墓として使われていた場所らしく、風葬された遺骨が今でも残っている。沖縄戦に於いて亀甲墓を利用した壕が軍に利用されていたことは周知の事実である。ガラピ壕はヌヌマチガマへと繋がっているが、その途中に落盤などがあり現在では行くことができなくなっているようだ。ただガラピ壕自体に高さがあるために、容易く発掘作業ができる訳ではないらしい。松永さん曰く壕入口の上の方にある“隙間”にも戦時中の遺骨や品々が残っているのでは?という考えを示しておられた。ただ下から上ることは地形から不可能であるために、上からロープで下りるしかないな~とも言われていた。いずれにせよ私には到底無理なことである。発掘作業が進めばまた新聞記事として載るだろうし、それで内容がわかれば良いや~と思った他力本願の私であった。<br /><br />約2時間で以上のコースを回ってきた。あくまでwebに載せてあるものは一般的なものであり、希望があればアレンジしてもらえるとのこと。来年迄にその類の情報を纏めることができたならまたガイドをお願いしようかと思う。松永さんとはここで別れ、私自身は近くの〝具志頭運動公園〟に立ち寄って一息つく。しばらく佇んだ後ガラピ壕の全体像をカメラに収めることを忘れたことに気付き一旦戻ることにした。夏至の頃の沖縄故に陽はまだ高いものの山陰となるガラピ壕をアナログカメラで撮影することは困難であった。仕方がないので車へと戻り、壕入口と記されていた場所へと戻る。〝ガラピ壕の入壕者へ注意〟と記された看板は、平成13(‘2001)年3月1日付で当時の具志頭村長が掲示したもののようだ。ただ風雨に晒されており、入壕についての一部文面と、壕内の見取図はほぼ見えないものとなっている。この辺りがもしかすると何か背景にあり、手続きを取らなければ入壕ができない理由になっているのではと思ってしまう。文面は以前に記録されていたものがあったので書き起こせたが、残念ながら見取り図はそうはいかなかった…。<br /><br />そろそろ良い時間になったために出発する。目指すは西原町のサンエー西原シティ店である。ニチリウグループということで、関西圏でも平和堂では同じ商品を扱っていたりすることから身近に感じることもあり、いつも利用させて貰っている。あくまでスーパーマーケットであるために、お土産の類でも品揃えがいいうえに安く買えるものもあるからだ。しかし今年に至っては〝紅芋〟が不作で、沖縄といえばの〝紅芋タルト〟が各社工場からの入荷が止まっているそうだ。そのためにどこの店に行っても〝品切れ〟と〝入荷未定〟の記載があり、諦めざるを得ない状況であった。その他にも色々と商品はあるために、適当に見繕ってお土産はすべて仕入れることができた。<br /><br />買い物を済ませて車へと戻る。国道329・507号線と繋いで走り、途中JA系列のガソリンスタンド東風平SSにて給油する。ひと目盛減ったために立ち寄ったのだが8.92L、ちょっと恥ずかしい量だった。フルサービスのこちらのSSでも156円/Lであった。沖縄でレンタカーを借りた際に、減ったら給油する習慣をつけた方が良い理由である。<br /><br />給油を済ませ再び国道507号線を南下する。南の駅やえせでトイレ休憩を入れようとしたらまさかのクローズド。運営管理会社の判断のようだが、道の駅のようにも利用できないのもちょっと困る。<br /><br />仕方がないので車に戻り、国道331号線を糸満方面に向かって走って行く。与座の交差点を通過したところでの左手に夜空を照らしているサーチライトを見つけたので、その光源へと向かうことにした。別に初めて訪れた訳ではなく、沖縄県平和祈念財団のイベントとして沖縄戦全戦没者追悼式の前後の夜に行われているイベントである。純白無垢の“平和の光の柱”を空に向けて照射するというものだが、地元での評価はイマイチらしい。確かに最初の頃は“知らなかった”が故に目新しいさもあったが、天気が良くて高い位置に雲がある体で行われているために、天気が悪く雲が立ち込めている状況下では何をやっているのか良くわからないものだった。幸い今晩は天気が良くそれなりのものは見られたようだ。せっかく立ち寄ったので“光の柱”とライトアップされた平和祈念堂をカメラに収めて出発する。<br /><br />平和祈念公園駐車場を出て那覇方面に向かうこと数分で大度交差点に至る。そこを右折すると間もなく本日の宿であるみん宿ヤポネシアに到着する。後で聞いた話では8回目の宿泊になるらしい。まあ回数泊まっているので勝手はわかっている。本日の同宿者は子連れのご夫婦。まだ子供は小学生喰らいであろう。この時期は単身者の宿泊が多いので珍しいといえば珍しい。<br /><br />チェックインして早々だが夕食を頂く。基本無農薬栽培の野菜、その他のものからつくられたお料理。材料のほろ苦さはあるが、この時期だと食欲が減退していても食べられるからありがたい。今日の寝床は真ん中の部屋、二段ベッドの洋室だ。この部屋は窓がないため天気が良いと室温が上がってしまう欠点はあるが、一旦エアコンで室温を下げると後は扇風機を回せば寝るのには丁度良い温度になるから良い。界隈の民宿やペンションでは、エアコンを有料化していることを悪く言うところもあるようだが、それは実際を知らないからであろう。エアコン無料であっても外気温の影響を受けやすい部屋の場合は、陽が出てからの室温調整をし直さなければならないために、起き上がって温度調整をしなければならないところもある。そういった点ではこちらの方が快適だと思うところもある。場数を踏んでいれば意外となんとかなるものであると私は思っている。<br /><br />夕食後3年間の話をする。娘さんを内地の高校に入れたということは、それまでを知っている私にとっては疑問に思ったことであった。ただ帰って来ているし~!と思って見ていたのだが、呼び戻す理由もあったらしい。兎にも角にも受験生。今年は民泊の受入も断ったらしい。受験をした先輩としては“気長にやれば大丈夫さ~!”とは言ったもののうちらの受験生の時代とは違うことをふと思い、恥ずかしくなってしまった私であった。<br /><br />色々と話をしていると時間はすぐに経ってしまうもので、消灯時間の23:00を迎える。明日は土曜日のため旅行貯金もできない。ということは自分が立ち寄り地候補として挙げている場所を巡るのみとなる。守るべき点は16:00のレンタカー返車と18:00のフライト、その2点である。一応スマホナビには候補地の入力は済ませた。後は宿を出発する時刻とそれぞれの場所に滞在する時間である。レンタカー営業所から最も離れた場所は宜野湾市となる。最終給油をして返車では1時間強だろうと読み、今日のところは寝ることにする。6月の沖縄訪問は今年で6回目となるが、これだけ余裕を持てた行程は初めてではないかと思う。なるようにしかならないし無理をしてもできないことはできないと思えるようになったのはやはり“慣れ”だろうと改めて思う。室温のコントロールが上手く行って眠りに就くzzz。そうしていよいよ今回の旅最終日を迎えることとなる。<br /><br />  《続く》

《2023.June》4年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その四~78回目の慰霊の日編~

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2023/06/23 - 2023/06/23

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《2023.June》三年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その四~78回目の慰霊の日編~

旅先でのいつものパターン、空調が効いた部屋で目覚める。昨日程の疲れを感じないのが幸いだった。そして8:00前にノックがある。朝食ができたことのお知らせだ。着替えて隣のゆんたくルームへと向かう。いつもと変わらぬ朝食はりゅうかくご自慢のもの。コロナ禍で集客が減った際に+αでトロピカルフルーツ朝食なるものが考案&提供され始めたようだ。まあそこまでしなくても十分なので、スタンダード朝食を美味しく頂いた。

程良くお腹も膨れたので部屋に戻る。荷物をまとめながら、時間が決まっている本日の行事だけを再確認しておく。4年ぶりとなったゲストハウスりゅうかく、大きく変わった訳ではないが敷地内を散歩してみた。そしてチェックアウト時刻になり3日目の行程を出発させる。こちらでの挨拶はいつも決まっている。また来年!という言葉だけだ。それに加えて感謝の念を込めた挨拶をして出発した。

旅三日目にして最高の天気を迎えた沖縄の地、どうやら近々梅雨明けするようだ。宿を出て暫く走ったところに駐車場がある。トイレや足洗い場等があることからサーファーのためのもののようだが、私の場合ここでナビセット等を行う場所として利用している。宿前で行うといらぬ心配をさせてしまうからというのが理由である。今回も奥武島の海をカメラに収めた後に行うことにした。旅行貯金のために2局の郵便局に立ち寄った後に沖縄県営平和祈念公園のシャトルバスのバス停がある糸満市観光農園迄行き平和祈念公園を往復する。糸満市観光農園からはヌヌマチガマ入壕の待ち合わせである南の駅やえせに向かうが、隣接する具志頭郵便局に立ち寄って旅行貯金をする。壕探索をした後はサンエー西原シティ店でお土産を購入し、どこかで給油を済ませた後、追悼式後夜祭を行う平和祈念公園を経て本日の宿であるみん宿ヤポネシアに向かうというルートである。勿論机上のもの故実際のルートとは異なることは承知済み。こんなことを頭の中で考えてナビに入力する。ここまでの所要時間30分。時間が勿体ないので出発する。

奥武島を後にして国道507号線を走って行く。国道沿いにある宜次簡易郵便局に立ち寄って本日最初の旅行貯金をする。再び国道507号線に戻り、市道県道と走り東風平郵便局に到着し、2局目の旅行貯金をする。東風平郵便局は記録上訪問履歴はあるのだが、局舎の印象が違うために局員氏に聞いたところやはり移設したとのこと。以前は局舎前の道路に路駐したのだが、現在は駐車場完備の局舎になっていた。

ここで午前中のフリータイムは終了し糸満市観光農園へと向かう。指定管理者制度で揉めていたようだが、今のところうちなーファームとしてリニューアルオープンし、現在に至っている。ただシャトルバスの運行箇所としては糸満市観光農園のままであり、ナビ検索ではたまに表示されないこともあると言われている。

兎にも角にも急いでバスへと向かうが乗る寸前に12時の時報が流れる。沖縄では6月23日12:00から1分間黙祷を捧げる事になっているため、それに従い私も立ち止まって黙祷をする。会場のように時間のコールはされないのでそこは自分の勘に従った。

バスに乗り込み平和祈念公園を目指す。慰霊の日には日中公園駐車場には許可車両しか入ることはできないために、車を置いてシャトルバスに乗換えて会場入りすることとなる。バスが動き出して暫くすると平和祈念公園の人混みが見えて来る。この辺りは過去にも見ているので下車後追悼式会場に直行する。

例年と同じく祭壇前にあるテント下には入らずに外野の立ち位置から追悼式を見守るのだが、4年前とはなんとなく違う雰囲気を醸し出していることに気付く。いつもならばテントのまわりに外野が集まり、式典をこの目で見ることが出来た。しかし今年に限ってはテントのまわり付近は原則立ち入ることができなくなっており、式を見るには持ち物チェックを済ませてテント下に入ることが必要となっていた。昨年の安倍元首相の狙撃事件、そして岸田総理に対する襲撃事件等穏やかでない事件が続いたことがVIPの警護を厳しくせざるを得なかったことが、その理由であることは理解できる。しかしこの沖縄戦全戦没者追悼式というものは、あくまで沖縄戦に於ける戦没者の慰霊を目的として行われていることは言うまでもないことである。しかし今年の様子を見る限り来賓主体のイベントの如く展開がされている。新聞にもテレビニュースでも知ることができる沖縄で行われ、全国に向けて発信されるべく式典がこれではどの様に読者・視聴者の目に映ったことも想像できよう。少なくとも来賓すら見ることが出来ずにマイクで機械的に流される音声を聞くだけであれば、屋内で非公開にして行えば良いだけのことである。敢えて言うならば沖縄県知事玉城デニー氏も平和宣言を読み上げている際に違和感を感じなかったかと疑問に思えてならない。

私は戦没者遺族の一人として祖父が亡くなった場所であるこの沖縄にこの日訪れることが自分自身の慰霊だと考えている。そのため毎年批判している“政治的にこの場を使う”ことは、本来の主賓である戦没者の御霊を冒涜することにしかならないと考えている。同様の意見を持つ方々も増えてきており、追悼式を台無しにするような抗議行動を、この日にすることに対し場違いだとか非常識なものと言われはじめてからは減ってきたと思っていた。しかし今年の会場設営は明らかに主賓に対する配慮そのものだったとしか思えない。警備にあたる全国から集められた警察官だが、要人警護とは名ばかりで主賓が車で移動する際の交通整理である。自分が思うように歩けないことに対し、警備の警察官に喰ってかかる者も居たようだが、理由を説明しながら謝っている若い彼らを見て可哀想にも思えた。と同時に主賓の乗った車を通すのにここ迄でしなければならないのかと思った警官も居ただろう。少なくとも“当たり前”のことをしているのであれば“詫びる”ことなどしなかったと私には見えた。

別にここ迄でしなければ襲撃される首相ならば、来年以降は本人の参加は必要ない。電報の代読で事が足りるし、税金の無駄遣いにもならない。首相自身が追悼式に対し、心から参列したいという気持ちがなければ、建前で参加もして欲しくはない。追悼の気持ちなくして政治的理由で参加することは、戦没者は勿論のこと、参列している心ある方に対し失礼極まりないことを行っている・・・それ位の自覚は総理大臣ならばあって当然である。まぁ公私混同を良くする方なので仕方がないのだが。

文句を言ってもはじまらないので、式典テントから離れてぶらぶらする。閉式のアナウンスが流れてからテント下へと戻り、お焼香をさせてもらう。そして平和の礎を歩き、祖父の名前を探して手を合わせてから人の集まる平和の灯火に向かう。暑い日ゆえに多くの子供達が水遊びをしている景色は、本当に78年前にこの地が戦場になったのかと自問自答するような姿に私には見えた。

平和の礎石板には慰霊の日を示すべく沢山の花々が添えられている。この風景は風化させてはならない・・・いつもそう思う景色であった。そして全学徒之碑、ぬちどぅ宝の碑を見つつ島守の塔に向かう。沖縄戦に於いて沖縄県職員の犠牲者を祀っている慰霊碑だ。沖縄県最後の官選知事島田叡氏や沖繩県警本部長荒井退造氏も祀られている。県職員戦没者追悼式は、戦没者追悼式の後に行われるように組まれている。私が訪れた際もまだ始まってはいなかった。そして隣の栃木の塔に向かう。私の祖父は栃木県出身なので、こちらに祀られている。母方の親戚で沖縄に来ているという話は聞いてはいない。そうすれば定期的に訪れている者は私だけとなる。平和の礎同様に手を合わせ、しがない孫がやって来ましたよと声をかける。

これで慰霊の日に於ける私の任務は完了したので、車へと戻ることにする。シャトルバスは利用客数に応じてバスの便数が違うようで、糸満市観光農園行きは最も少ない。30分ほど待ってバスに乗車することができ、糸満市観光農園へとたどり着いた。

予定ではヌヌマチガマの入壕体験の待ち合わせ場所が15:00に南の駅やえせとなっている。10分程で到着出来るので急いで向かおうとすると電話がなる。八重瀬自然遊学センターの松永さんからだ。どうやら集合場所を変えたいとのこと。元々申し込んだコース名が“白梅学徒の足跡を辿る”というものであるために八重瀬公園からのスタートの方が効率が良いことは想像がつく。とはいえ戦跡巡り初心者だといきなり南の駅やえせから八重瀬公園にと言われてもわからないのではとちょっと笑ってしまった。

本来八重瀬公園に直行すれば到着は早くなるが、無計画な旅ゆえに一旦南の駅やえせへと向かう。目指すは具志頭郵便局、今回の旅最後となる旅行貯金をする。ちゃっちゃと済ませ一路八重瀬公園に向かう。迷うことなく到着したが肝心の松永さんが見当たらない。電話をかけてみるとトイレに行かれていたようだ。

ガイドは松永光男さん。勿論初対面だが筋金入りの平和ガイドとして有名な方なので名前は知っている。その旨を話したら珍しいのか話が盛り上がる。八重瀬公園の白梅の壕、富盛の石獅子と既訪の場所を巡る。石獅子から陸自の八重瀬分屯地方面を眺めた景色の中に新たな軍の拠点が見つかったらしく、近々遺構を掘るらしい。新しい発見と共に兵士の遺骨が見つかることを願うばかりである。そして次に訪れた場所がヌヌマチガマになる。ガラピ壕と繋がり、戦時中は沖繩陸軍病院八重瀬分院が設けられた場所であるが、修学旅行その他の入壕体験時に於けるトラブルが地権者との間に頻発し、八重瀬町が平成27(2015)年にヌヌマチガマ入口を整備した際に“指定管理者”を制定、NPO法人自然体験学校という北海道の団体に制定したという経緯があった。基本団体向けとした戦跡巡りの主催となったことから個人では行くことが不可能になったと思っていた。八重瀬町が指定管理者を制定する前からヌヌマチガマを平和学習の場所として利用していた既存のガイド団体が反発。ヌヌマチガマを平和学習の体験コースとして利用しない旨を八重瀬町に抗議したということがあった。ゴタゴタがあったという新聞記事を読んだために、私自身は個人入壕は叶わないと思っていた。しかし偶々じゃらんでヌヌマチガマ入壕体験に個人参加ができることを知り申し込んだ。確かに窓口は例のNPO法人だったが、ガイドの松永さんはまた別の所属。おまけに入壕希望日は6月23日の慰霊の日とくれば期待をしていなかった部分もある。その辺りは大人の事情が影響したのかわからないが、ともかく流れは良い方向に行ったと考えられるであろう。

入壕するが入口の鍵を開けて入って行く。鉄骨の補強が目に入るが戦跡として残し、利用していく考えであろう。水の流れがあるガマは長靴出ないと無理である。しかし地面が乾くことがないために滑りやすく足元には注意が必要だ。壕内には地上と繋がっているあなもあり、暗闇だけとは言えないようだ。ヌヌマチガマは後で訪れるガラピ壕と繋がっている。その途中に白梅学徒手術の壕というものもあるが、こちらは出土品を棚に並べて陳列していたことが問題になり、ヌヌマチガマの延長という場所として現在では利用されている。確かに病院壕として利用されただけあって広さはある。しかし特徴といわれると“これ”という物はなく、使われていた史実を確認しながら進むという感じであった。

ヌヌマチガマを出るとすぐ近くのメーダスンダガマに向かう。こちらは住民・兵士が混在して利用した洞窟であるそうだが、詳細は不明のようだ。しかし轟の壕のように入口がぽっかりと口を開けている形であるために、壕の奥に居なければ銃弾の標的になってしまいそうな様相を呈しているように感じた。

ガマを出て車に戻り、最終目的地のガラピ壕へと向かう。以前何かで入壕によるトラブルで壕内には入れないようなことが書かれていたがそうでもないようだ。元々この場所はお墓として使われていた場所らしく、風葬された遺骨が今でも残っている。沖縄戦に於いて亀甲墓を利用した壕が軍に利用されていたことは周知の事実である。ガラピ壕はヌヌマチガマへと繋がっているが、その途中に落盤などがあり現在では行くことができなくなっているようだ。ただガラピ壕自体に高さがあるために、容易く発掘作業ができる訳ではないらしい。松永さん曰く壕入口の上の方にある“隙間”にも戦時中の遺骨や品々が残っているのでは?という考えを示しておられた。ただ下から上ることは地形から不可能であるために、上からロープで下りるしかないな~とも言われていた。いずれにせよ私には到底無理なことである。発掘作業が進めばまた新聞記事として載るだろうし、それで内容がわかれば良いや~と思った他力本願の私であった。

約2時間で以上のコースを回ってきた。あくまでwebに載せてあるものは一般的なものであり、希望があればアレンジしてもらえるとのこと。来年迄にその類の情報を纏めることができたならまたガイドをお願いしようかと思う。松永さんとはここで別れ、私自身は近くの〝具志頭運動公園〟に立ち寄って一息つく。しばらく佇んだ後ガラピ壕の全体像をカメラに収めることを忘れたことに気付き一旦戻ることにした。夏至の頃の沖縄故に陽はまだ高いものの山陰となるガラピ壕をアナログカメラで撮影することは困難であった。仕方がないので車へと戻り、壕入口と記されていた場所へと戻る。〝ガラピ壕の入壕者へ注意〟と記された看板は、平成13(‘2001)年3月1日付で当時の具志頭村長が掲示したもののようだ。ただ風雨に晒されており、入壕についての一部文面と、壕内の見取図はほぼ見えないものとなっている。この辺りがもしかすると何か背景にあり、手続きを取らなければ入壕ができない理由になっているのではと思ってしまう。文面は以前に記録されていたものがあったので書き起こせたが、残念ながら見取り図はそうはいかなかった…。

そろそろ良い時間になったために出発する。目指すは西原町のサンエー西原シティ店である。ニチリウグループということで、関西圏でも平和堂では同じ商品を扱っていたりすることから身近に感じることもあり、いつも利用させて貰っている。あくまでスーパーマーケットであるために、お土産の類でも品揃えがいいうえに安く買えるものもあるからだ。しかし今年に至っては〝紅芋〟が不作で、沖縄といえばの〝紅芋タルト〟が各社工場からの入荷が止まっているそうだ。そのためにどこの店に行っても〝品切れ〟と〝入荷未定〟の記載があり、諦めざるを得ない状況であった。その他にも色々と商品はあるために、適当に見繕ってお土産はすべて仕入れることができた。

買い物を済ませて車へと戻る。国道329・507号線と繋いで走り、途中JA系列のガソリンスタンド東風平SSにて給油する。ひと目盛減ったために立ち寄ったのだが8.92L、ちょっと恥ずかしい量だった。フルサービスのこちらのSSでも156円/Lであった。沖縄でレンタカーを借りた際に、減ったら給油する習慣をつけた方が良い理由である。

給油を済ませ再び国道507号線を南下する。南の駅やえせでトイレ休憩を入れようとしたらまさかのクローズド。運営管理会社の判断のようだが、道の駅のようにも利用できないのもちょっと困る。

仕方がないので車に戻り、国道331号線を糸満方面に向かって走って行く。与座の交差点を通過したところでの左手に夜空を照らしているサーチライトを見つけたので、その光源へと向かうことにした。別に初めて訪れた訳ではなく、沖縄県平和祈念財団のイベントとして沖縄戦全戦没者追悼式の前後の夜に行われているイベントである。純白無垢の“平和の光の柱”を空に向けて照射するというものだが、地元での評価はイマイチらしい。確かに最初の頃は“知らなかった”が故に目新しいさもあったが、天気が良くて高い位置に雲がある体で行われているために、天気が悪く雲が立ち込めている状況下では何をやっているのか良くわからないものだった。幸い今晩は天気が良くそれなりのものは見られたようだ。せっかく立ち寄ったので“光の柱”とライトアップされた平和祈念堂をカメラに収めて出発する。

平和祈念公園駐車場を出て那覇方面に向かうこと数分で大度交差点に至る。そこを右折すると間もなく本日の宿であるみん宿ヤポネシアに到着する。後で聞いた話では8回目の宿泊になるらしい。まあ回数泊まっているので勝手はわかっている。本日の同宿者は子連れのご夫婦。まだ子供は小学生喰らいであろう。この時期は単身者の宿泊が多いので珍しいといえば珍しい。

チェックインして早々だが夕食を頂く。基本無農薬栽培の野菜、その他のものからつくられたお料理。材料のほろ苦さはあるが、この時期だと食欲が減退していても食べられるからありがたい。今日の寝床は真ん中の部屋、二段ベッドの洋室だ。この部屋は窓がないため天気が良いと室温が上がってしまう欠点はあるが、一旦エアコンで室温を下げると後は扇風機を回せば寝るのには丁度良い温度になるから良い。界隈の民宿やペンションでは、エアコンを有料化していることを悪く言うところもあるようだが、それは実際を知らないからであろう。エアコン無料であっても外気温の影響を受けやすい部屋の場合は、陽が出てからの室温調整をし直さなければならないために、起き上がって温度調整をしなければならないところもある。そういった点ではこちらの方が快適だと思うところもある。場数を踏んでいれば意外となんとかなるものであると私は思っている。

夕食後3年間の話をする。娘さんを内地の高校に入れたということは、それまでを知っている私にとっては疑問に思ったことであった。ただ帰って来ているし~!と思って見ていたのだが、呼び戻す理由もあったらしい。兎にも角にも受験生。今年は民泊の受入も断ったらしい。受験をした先輩としては“気長にやれば大丈夫さ~!”とは言ったもののうちらの受験生の時代とは違うことをふと思い、恥ずかしくなってしまった私であった。

色々と話をしていると時間はすぐに経ってしまうもので、消灯時間の23:00を迎える。明日は土曜日のため旅行貯金もできない。ということは自分が立ち寄り地候補として挙げている場所を巡るのみとなる。守るべき点は16:00のレンタカー返車と18:00のフライト、その2点である。一応スマホナビには候補地の入力は済ませた。後は宿を出発する時刻とそれぞれの場所に滞在する時間である。レンタカー営業所から最も離れた場所は宜野湾市となる。最終給油をして返車では1時間強だろうと読み、今日のところは寝ることにする。6月の沖縄訪問は今年で6回目となるが、これだけ余裕を持てた行程は初めてではないかと思う。なるようにしかならないし無理をしてもできないことはできないと思えるようになったのはやはり“慣れ”だろうと改めて思う。室温のコントロールが上手く行って眠りに就くzzz。そうしていよいよ今回の旅最終日を迎えることとなる。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス レンタカー JALグループ ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (2)

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  • たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 2023/10/08 00:44:06
    訪れる者の質でしょう。
    琉球熱さん

    こんばんは。ご無沙汰しております。実は私の場合ヌヌマチガマもガラピ壕も初めてなんですね。ヌヌマチの駐車場は再訪ですが。

    鍵の掛かった入口を見て今後来ることはないだろうと思っていましたが、コロナ禍が幸いし訪れることができました。ひと言で言えば修学旅行がほぼない状況なので、ガイド団体も仕事がないようです。管理団体の問題が解決したと思えばコロナ禍となったので。

    ご存知の通り沖縄には感染症病床が少なく、万が一コロナに罹患するとなすすべがないということが一番の理由です。そして個人客で数千円も払って戦跡巡りのガイドを頼む者もいない。そんなさなかで仕事を受けられるのは、遺骨収集等で実績がある方だけだと聞きました。ガイド団体にぶら下がっているレベルでは需要もなく、他の仕事をしなければならないそうです。

    そんな状況でしたが、本来ならば催行されない慰霊の日にヌヌマチガマに行きました。コースとしては存在するのですが、八重瀬公園の白梅学徒の壕等既に訪問済みの場所は飛ばして、ヌヌマチガマ・メーダスンガマ・ガラピ壕に時間を掛けて貰いました。そこで感じたのはガイドさんの質問に答えられる者が少ない事実でした。白梅学徒の足跡はひとりで回った時に調べた記憶が残っていたので。多分ヌヌマチガマを“まあそんなもの”と言える方々が殆どのようですね。ガイドさんも人間、今後ネタ(次の発掘場所等)教えて頂けましたので。

    でも慰霊の日に沖縄を訪れるならば“勉強が必要”という琉球熱さんの意見には賛同です。シャトルバスの待ち時間に“人が集まっていたから寄ってみた”等という会話も聞きましたから。

    今回はガイド付に加え、ヘルメット&ヘッドライト+長靴のフル装備なので怖さもなくヌヌマチガマのガマ体験をしてきました。ガラピ壕は残念ながら土に返って行くしかないようです。

    4年間のブランクを空けて慰霊の日の訪沖が叶いました。ただ追悼式には6回目にして最悪のものにしか感じませんでした。戦後80年迄は追悼式に参列しようと考えていたのですが、来年もこの調子だとどうしようかな~と考えています。

    ナビが指し示したからヌヌマチガマって悲しい以外何もありません。戦争で多くの人命が失われた場所を観光地と勘違いしている方には人間としての“失望”しかありませんので。

    たかティム。
  • 琉球熱さん 2023/10/07 17:01:11
    ガラビ壕とヌヌマチガマ
    たかティムさん、ご無沙汰!

    ガラビ壕とヌヌマチガマ、再訪したんですね
    相変わらず慰霊の日に訪沖しているというのは流石、頭が下がります
    それにしても2つのガマも様変わりしましたね
    ようやく個人でも入れるようになりましたか
    これで取りあえず表面上は手打ちかな?
    ヌヌマチガマは「整備」される前に入口まで降りたことがありますが、とても中に入れるような状況ではありませんでした
    足場が悪いというだけでなく、真っ暗でやはり恐怖心が先に立ちましたね

    ※それにしても、ひどいクチコミが掲載されてますね
     公園のことしか書かれておらず、ガマには全く触れていません
     挙句、「まぁこんなもんかな」とは・・・

    ガラビ壕も私が行った時よりさらに「密林化」が進んでいるように見えました
    あれじゃ気味が悪くて誰も行かないでしょうね
    訪問当時はそれでも見学するグループもいたようでしたが・・・

    慰霊の日の式典、どうしても政治色が付きまといます
    遺族・親族以外は参列するなら相応の勉強をしてからにしてもらいたいものですが、世間へのアピールが第一義になってしまっているのは非常に残念でもあり、腹立たしくもあります

    ---------琉球熱--------

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