hijunoさんのクチコミ(46ページ)全1,181件
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140年ぶりに復活した「申餅(さるもち)」やぜんざい、最中も美味しいです。
投稿日 2022年09月01日
総合評価:5.0
下鴨神社の中にある休憩どころ「さるや」で食べれる「申餅(さるもち)」はかつては葵祭でで食べられたお餅です。無病息災や気を得ることを祈って食べていたそうです。
その色も「はねず色」という明け方の一瞬の空の色のことで、命が誕生する瞬間を表した色といわれているそうです。とても上品な小さなお餅でした。一緒に黒豆茶もついてきて、黒豆茶も不老長寿のお茶として潔斎期間中の神官の飲み物とされてきました。
ぜんざいや最中も小豆が程よい甘さで食べやすく、とても美味しかったです。
感染対策もされていて、お店の中も暖かくして休めますが、私達は、外の縁台に座って、外の景色を観ながら、澄んだ空気の中で休みました。- 旅行時期
- 2021年12月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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投稿日 2022年09月01日
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かつては神戸証券取引所をもとにして戦後映画劇場「神戸朝日会館」として再生されました。
投稿日 2022年08月31日
総合評価:4.5
1階のエントランス部分に入ると、大きな円柱の柱に圧倒されました。低層階の外壁は1934年築の旧神戸証券取引所の外観を復元したものだそうです。戦後は神戸朝日会館として映画館がありました。現在も季節ごとのいろんなイベントが行われています。
- 旅行時期
- 2021年10月
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投稿日 2022年08月31日
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投稿日 2022年08月31日
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江戸時代の山村にあった民家2棟が展示されています。公園の中にあります。
投稿日 2022年08月31日
総合評価:4.0
川西市の深山公園の中に展示されている民家2棟です。江戸時代のものですが、ダム建設により湖底に水没する前にこちらに移設されました。旧福田家住宅は見つかったお札から1711年に建てられたものとわかりました。旧下堂家住宅も江戸時代後期に建てられたものだそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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川西市の歴史がわかります。古代から有力者が治めていた地域の様子がわかります。
投稿日 2022年08月31日
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投稿日 2022年08月04日
総合評価:5.0
川西市郷土館は銅の精錬業を営んでいた平安家の住宅や平賀義美氏の邸宅の洋館、そして、平通画伯のアトリエを再現したものや青木・平通画伯記念館などの建物があり、見学ができます。平通画伯も青木画伯も川西市にゆかりのある画家です。
旧平安邸では一色八郎氏の箸のコレクションの展示もあり、日本やアジアのお箸のコレクションが興味深かったです。
旧平賀邸は洋館で中谷美紀さん主演の映画のロケ地にもなりました。イギリス田園風の建物はイギリスの伝統と愛らしい雰囲気にあふれていました。
ウィリアム・モリスのデザインの壁紙も部屋の雰囲気に合わせて異なり、とても素敵でした。
邸宅は別な場所よりこちらへ移築されました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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大庄屋であった三木家は柳田國男が1年過ごした場所でもあります。
投稿日 2022年08月29日
総合評価:5.0
1705年に建てられた建物で、もと大庄屋であった三木家の住宅です。
主屋をはじめ、副屋、離れ、内蔵、米蔵、酒蔵などがあります。9棟の建物があります。
大庄屋を務めた三木家は好学の家風があり、柳田國男も実家と三木家との学問の交流から
1年間こちらの家に預けられました。この三木家の大量の書物を通じての読書の体験から
柳田國男の日本民族学の基礎にもなったそうです。
広く、あちこちに風流さを感じる建物です。明治新政府への不満から明治4年に起こった播但一揆では三木家も襲撃を受け、生々しい刀傷も残っていました。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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柳田國男と実家の松岡家に関しての様々な資料が展示されています。
投稿日 2022年08月29日
柳田國男 松岡家記念館 (柳田國男生家) 神河・姫路北部(塩田)
総合評価:5.0
日本民族学を創始した柳田國男と実家の松岡家に関する貴重な資料が展示されていました。
柳田國男の兄弟も様々な分野で活躍した人々でした。松岡家の学問熱心さがうかがわれます。柳田國男の書斎机も展示されています。
生家は柳田國男が「日本一ちいさい家」と言っていたそうですが、とても簡素な生家でした。その小さな家に多くの家族が住んでいたようで、嫁姑の問題も発生したそうです。
柳田國男がこの生家で民族学を始めるきっかけになったとも話しています。
当時、庭には季節の花々が咲いて美しかったそうですが、訪れたときは、彼岸花が咲いていました。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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投稿日 2022年08月29日
総合評価:4.5
1886年に建てられた役所の建物でした。福崎町の原始~古代~現代にいたるまでの歴史の資料が展示されています。生活用具や農具などの身近な民俗資料が展示されています。
館内のもと郡長室には様式の暖炉が置かれています。正面玄関のアカンサスの彫刻のされた円柱や角柱の柱の優雅な建物です。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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河童や天狗の仕掛け、リアルな妖怪の像が楽しく、子供も大人も楽しめる公園です。
投稿日 2022年08月29日
総合評価:5.0
妖怪たち満載の公園です。河童や天狗が出てくる仕掛けも面白いですが、妖怪の像のコンテストの最優秀賞作品の妖怪の像がとてもリアルです。大人も子供も楽しめる公園だと思います。リアルな妖怪たちを観ていましたら、日本には多くの妖怪の伝説が残っていることをあらためて思い出しました。子供のころから良く知っている妖怪たち、どこか懐かしいような気持にもなりました。
- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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投稿日 2022年08月28日
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投稿日 2022年04月29日
総合評価:5.0
事前の予約で見学できます。一日3回の見学時間を選べます。
スタッフの方が丁寧に説明、誘導ををしてくれます。
ヨーロッパの古いオルゴールがどれも美しかったです。
堀江光男氏が世界を周り、360ものオルゴールを収集されたそうです。
三階の建物で、1階の玄関まわりのオルゴールな撮影可能ですが、建物内部の収蔵品は撮影不可です。
三階からの説明で、当時の富裕層が楽しんだオルゴールが多く展示されていましたが、
時計などの技術の発達をしていたスイスのシリンダーオルゴールの音色も素敵でしたが、大きな窓から見渡す景色も絶景でした。そのほか、ディスク型のオルゴールの音色、エジソンの発明した蓄音機の音色なども聞かせてくれます。ディスク型のオルゴールは照明にも使われていて、とても面白かったです。自動演奏のピアノやバイオリンを使ったものなど、驚きました。三台のバイオリンを使ったものは本物もあり、そのレプリカを使った音色を聞くことができました。
個人の収集としては日本最大のオルゴールのコレクションだそうです。
玄関にあるストリートオルガンはオランダで特注されたそうで、その大きな音にびっくりします。とても可愛いオルガンでした。
定期的な演奏会も、春や秋に公開される庭園などもあるそうです。
今年の春の庭園見学は中止だそうです。- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2022年08月26日
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投稿日 2022年08月26日
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投稿日 2022年08月26日
総合評価:5.0
東大寺の大仏造営のために銅を献上したとの伝承もあります。江戸時代になると本格的に銀の鉱山として栄えました。その精錬技術も生野銀山などに伝えられています。豊臣秀吉の埋蔵金の伝説もありまます。間歩の中でも青木間歩は中を見学できます。全長はおよそ57mほどで、中は15度くらいのひんやりとした温度です。近隣には鉱山の神様を祀った金山彦神社もあります。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年07月03日
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投稿日 2022年08月02日
総合評価:4.5
江戸時代後期の遊行僧明満上人は諸国を行脚しながら仏像を作り続けています。各地に千体以上の像を残しました。猪名川町を訪れたときはすでに90歳の時で、3か月の滞在の間に33体の像を残しました。そのうち26体は現存しているそうです。木喰仏と呼ばれるその仏像の表情は柔らかく、優しく微笑んでいます。
館内の木喰仏に関する撮影は禁止されていました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月26日
総合評価:5.0
美術商であった冨田熊作が昭和7年から3年の歳月をかけて建てた民家です。冨田熊作は猪名川町の出身です。外国からの接待する目的もあり、敷地内の建物や設備にも最新の物を使い、近代的な造りでありつつ、豪農の民家を模して造られた風情のある民家です。
木材なども全国から質の良いものを集めて、一つ一つを大切に造られた家です。
富田熊作はスイスの資産家のバウワーの美術収集に寄与した人物です。本来裕福だった冨田家は強盗などに襲われるなどして衰退し、冨田熊作は12歳で働くことになり、英語や会計を独学でも勉強し、世界的な古美術商を扱う山中商会では25歳からはロンドン支店を任され、明治36年にはロンドン支店長にも就任しています。
裕福であった冨田家の再興が願いで、この静思館でも馬に乗ったまま門をくぐることができた生家をこの猪名川町に造りたかったそうです。
冨田熊作の美術に対してのセンスがあちこちに光っている民家ですが、暖房施設や水洗トイレの設備、冷蔵庫の役割施設、客人を喜ばせるための滝など、面白い工夫があちこちにありました。
スタッフの方が丁寧に説明をしてくださいました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)















































































































































































