hijunoさんのクチコミ(50ページ)全1,181件
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投稿日 2022年08月06日
総合評価:5.0
第36代孝徳天皇は乙巳の変の後、元号を大化と改め、新しい政策、政治を推し進めてきました。その後、中大兄の皇子との確執もあり、妻や皇族、群臣の多くが中大兄皇子側についたため、一人、孤独のうちに、難波の宮で亡くなったといわれています。
陵は清少納言の枕草子のなかにでてくる「うぐいすのみささぎ」ともいわれ、美しい陵です。「薄葬令」が出され、直径が32mの小さな円墳です。
「海獣葡萄鏡」も出土しています。
日本最古の竹内街道を通っていきます。竹内街道は難波と飛鳥の宮を結ぶ大切な官道でした。とても情緒があります。
陵に着いてからは、苔むした坂道を登っていきます。歩きやすい靴をお勧めします。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月06日
総合評価:5.0
聖徳太子の墓所は叡福寺の中にあります。高貴な雰囲気が漂うお墓でした。
推古天皇の摂政として、十七条憲法や冠位十二階の制などを制定し、遣隋使の派遣など、大陸の文化も採り入れ、政治の改革を行い、仏教も篤く信仰、その偉業は多くありますが、621年に亡くなりました。
こちらの墓所は円墳で、およそ、直径は50m、高さは10mの横穴式石室です。
「三骨一廟」と呼ばれるように、こちらには聖徳太子と妻の膳郎女、母親の穴穂部間人皇后の三人の棺が納められています。
近くに父親である用明天皇の御陵もあります。
「近つ飛鳥博物館」で聖徳太子の墓所について、石棺の様子などの詳しい説明がありました。博物館を先に見学して、墓所を訪れるのもお勧めです。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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推古天皇の時代に遣隋使として活躍した小野妹子の墓所と言われています。
投稿日 2022年08月06日
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投稿日 2022年08月07日
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もともとは関西学院大学のチャペルでした。赤いレンガの美しい建物です。
投稿日 2022年08月03日
総合評価:5.0
1889年にアメリカ人宣教師のランバス氏によって関西学院大学が創立されました。その後1904年にアメリカ人銀行家のブランチ氏らの寄付によりチャペルが建てられました。
関西学院大学は西宮市上野原にキャンパスは移りますが、チャペルはそのまま残りました。戦災などで被害を受けつつも修復をされ様々な用途に使われ、1993年に一粒社ヴォーリズ設計事務所により尖塔部分なども完全に復元されています。
2006年には内部をリニューアルし、「神戸文学館」として、神戸にゆかりのある文学者たちの資料などを展示しています。
外壁の赤いレンガやステンドグラス、ブドウ柄の窓ガラスなどもとても素敵です。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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灘の酒造巡りの一つです。酒造りのわかりやすい展示豊富な資料館です。
投稿日 2022年04月23日
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投稿日 2022年08月04日
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投稿日 2022年08月04日
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投稿日 2022年08月04日
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投稿日 2022年06月30日
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安藤忠雄氏設計の博物館です。上から観ると前方後円墳の形をしています。
投稿日 2022年08月02日
総合評価:5.0
安藤忠雄氏の設計の博物館です。上からみると前方後円墳の形をしているそうです。
とても斬新な建物でした。聖徳太子のお墓も近くにありますが、詳しく説明もあります。
また埴輪や石棺、そのほか多くの遺物の展示があり、修羅の大きな展示も迫力がありました。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月03日
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投稿日 2022年08月03日
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投稿日 2022年07月31日
総合評価:5.0
NPO法人アメニティ2000協会が管理運営をしています。
六甲の自然の中の山荘は1934年にヴォーリズ建築事務の設計により、関西学院大学教授の小寺敬一氏の山荘として建築されたものです。大きな窓からの明るさと、周囲の自然の美しが窓から感じられます。暖炉のそばに造られたベンチは家族が団らんの時間を過ごすためのものだそうです。キッチンなども多くの収納や動きやすい作業場や換気扇の設備など、とても実用的で暮らしやすい仕組みがあちこちにあります。
近隣には、室谷邸記念館もあり見学ができます。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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日本で最初の女帝、第33代の推古天皇は皇子の竹田皇子と葬られています。
投稿日 2022年08月02日
総合評価:4.5
敏達天皇の皇后でもあった推古天皇は日本で初めての女帝でもあり、第33代の天皇です。
甥であった聖徳太子を摂政に迎え、大陸の文化や政治制度なども採り入れながら、冠位十二階や憲法十七条などの飛鳥文化を築きました。
推古天皇陵は息子の竹田皇子と共に葬られています。こんもりとした樹々に覆われて、静かな陵でした。周りも静かな田んぼや緑に囲まれた場所です。近くには天皇陵も多く、聖徳太子のお墓、小野妹子のお墓などもあります。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年06月14日
総合評価:4.5
尼崎城のすぐ近くにあります。
阪神電鉄旧尼崎発電所です。1904年に阪神電車が走行するのにあわせて、前後に建てられたそうです。阪神電車の走行用電力の火力発電所として建設されますが1919年には稼働は停止、現在は倉庫として利用されています。レンガはイギリス製で、イギリス人の技師によって建設されたそうです。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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再建されたお城です。内部には様々な体験ができるコーナーもあります。
投稿日 2022年06月14日
総合評価:4.5
尼崎城は1617年に戸田氏鉄によって築城されたお城です。
約250年ものあいだ、大阪の西の守りとしてお城の役割を果たします。
尼崎城は戸田氏をはじめとして、代々譜代大名が藩主を務め、3氏12代が入れ替わります。
4層4階の大天守と西側の2階建て多門櫓の小天守が付属した複合式天守と呼ばれる形式のお城です。当時は甲子園球場の約3.5倍に相当するような三重の彫りを持つ広大なお城だったようです。8つの街からなる尼崎城下町で2万人近い人々が暮らす城下町になりました。1873年の廃城令により建物は一部を除き壊されてしまいます。
その後、旧ミドリ電化の安保詮氏の寄付などによって再建されました。2019年から一般公開されています。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月01日
総合評価:4.5
芦屋市三条町の会下山と呼ばれるところにある弥生時代の集落跡です。
山頂からは芦屋の市街地や大阪湾、大阪平野、生駒系山並み、神戸市東部などを見下ろせます。竪穴住居跡などから、多くの遺物が発見されています。
地元の中学生たちが発見したそうです。
このような標高の高いところでの生活は争いに備え、見張るという目的や洪水などを避ける、鉄器の製作のため、、など様々な理由が考えられます。
すぐ近くに遺物が展示されている施設、「三条文化財整理事務所」があり、そちらも一緒に見学をお勧めします。会下の山をはじめ、近隣の遺跡からの発掘されたものなどを展示していました。- 旅行時期
- 2021年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月01日
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投稿日 2022年08月01日










































































































































































