hijunoさんのクチコミ(49ページ)全1,181件
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投稿日 2022年08月04日
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投稿日 2022年08月14日
総合評価:5.0
仙洞御所の中には大きな池が二つあり、そのひとつ南池は一面に平たい石を敷き詰めた洲浜があります。その石は1817年に京都所司代だった小田原藩主大久保忠真が献上したものです。小田原領内の現在の湯河原から運ばれた石には一升石という名もあります。石と米一升を引き替えたためです。2千俵を運んだといわれています。楕円形の石はおよそ11万1千個あるそうですが、それらを京都まで運んだ労力も偲ばれます。
- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月14日
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投稿日 2022年06月30日
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投稿日 2022年08月13日
総合評価:5.0
赤穂城跡の大手門のすぐ近くにあるお店です。レストランとお土産物屋さんにわかれていました。店内には忠臣蔵に関する展示があちこちに。義士たちは討ち入りの前にお蕎麦を食べたともいわれていますが、それもあってのネーミングでしょうか。メニューの「討ち入り蕎麦」を頼みましたが、お蕎麦のゆで加減、麺つゆもとても美味しかったです。塩味のお饅頭もついています。
店内も清潔で感染対策がされていました。お城のお堀を観ながら食事ができたのも良かったです。帰りには赤穂の塩にちなんだお土産を買いました。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
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投稿日 2022年08月13日
総合評価:5.0
江戸時代のはじめに加賀前田家の家老 今枝近義によって現在の地に再建されました。
本来は七條塩小路にあった時宗のお寺でした。再興にあたっては、詩仙堂で有名な石川丈山、狩野探幽、黄檗宗の開祖の隠元、朱子学者の木下順庵などの著名な文化人たちの協力がありました。書院からの池泉鑑賞庭園の眺めは素晴らしく、ゆっくりと鑑賞できます。
境内には300体の石仏があります。京都市の工事により発掘された石仏群で、供養されています。- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月13日
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投稿日 2022年08月13日
総合評価:5.0
蓮花寺の拝観のあと、訪れました。相良親王が主祭神です。藤原種継暗殺連座の罪にとわれ亡くなった相良親王の霊をなぐさめるために創建されたといわれる神社です。
神社は樹々にかこまれた参道をのぼり、静かな中にあります。
パワースポットとしても知られています。
小野妹子などの一族を祀る小野神社があり、妹子の子、小野毛人(おののえみし)の墓誌が
崇道神社の背後の山の石室より発見されました。国宝です。- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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赤穂義士ゆかりの品々の展示があり、別館にも浅野家、大石家、森家に関する展示があります。
投稿日 2022年08月13日
総合評価:5.0
赤穂大石神社の境内にあります。資料館のお隣の別館、木像館とともに貴重な資料が展示されていました。資料館では大石内蔵助がデザインしたといわれる盃がとてもお洒落でした。
呼子鳴笛や采配など大石内蔵助ゆかりの品々がありました。義士たちが身に着けていたものも展示されています。大石内蔵助の息子の主税の力強い字が印象的です。
お隣の別館には浅野家、大石家、森家に関しての品々が展示されています。浅野内匠頭夫人瑶泉院使用の和時計や大石内蔵助夫人りくさんの使用していた品々もありました。浅野内匠頭が使用していたお箸の細やかな装飾がみごとでした。
木像館では、浅野内匠頭はじめ、義士、萱野三平を含め49体の像が奉安されています。
それぞれの特徴があり、リアルな印象でした。
大石邸長屋門、庭園の見学もできます。浅野内匠頭の凶報がもたらされた長屋門があります。邸宅は焼失して現存しませんが、当時をしのぶことができます。庭園にはお大石内蔵助が好んだ枝垂れ桜や夫人の大石りく像がありました。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月13日
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投稿日 2022年08月11日
総合評価:5.0
浅野家の菩提寺として1645年に建立されました。
境内には浅野家、森家、大石家、赤穂義士、浅野家臣のお墓もありました。
宝物館や義士木像堂もあり、貴重な資料が展示されていました。
大石内蔵助が赤穂を去る時、名残を惜しんだとされる松の樹は幹が保存されています。二代目の松も大きな立派な樹でした。1703年、義士46名が自刃した知らせを受けた町民が悲しみのあまり、寺にある鐘をつきまくり、音を失ってしまったといわれています。
そのとき「鳴らずの鐘」といわれていたそうですが、1787年に再改鋳されます。
義士とのゆかりが深いとの理由で、第二次世界大戦での金属供出も免れました。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月11日
総合評価:5.0
予約が必要でした。海外からの賓客をおもてなしするための施設として平成17年に建設されました。日本の伝統の美が堪能できます。蒔絵、西陣織、截金、庭園などあらためて
日本の伝統的技術に感動しました。説明を聞きながら、見学します。- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月11日
総合評価:5.0
開基が和気清麻呂、824年の創建の歴史のあるお寺です。国宝も多く、伝源頼朝像などがあります。紅葉の名所でもあり、西明寺の槙尾、高山寺の栂尾とあわせて神護寺の高雄で三尾と呼んでいます。山の中の静かなお寺です。坂道を登っていくため、歩きやすい靴をお勧めします。
- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年06月17日
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投稿日 2022年08月09日
総合評価:5.0
予約をして見学をしました。栄西が宋より持ち帰った茶の実が高山寺の明恵上人にもたらされ、山内で育てました。中世から栂尾のお茶を本茶とよび、他は非茶と呼ばれていました。
現在もそのお茶は茶園に息づいています。日本最古の茶園という石碑もありました。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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聖徳太子の御廟があります。近くの西方院とも深いつながりがあります。
投稿日 2022年08月09日
総合評価:5.0
聖徳太子の御廟があり、太子信仰の中核となったお寺でもあります。
境内は広く、見どころも多いお寺でした。聖徳太子の御廟は特に厳かな雰囲気がしており
美しい廟でした。太子が亡くなったあと、推古天皇が土地と建物を寄進し、お墓を守る堂を建てたのがお寺の始まりともいわれています。
近くにある西方院がありますが、お寺の山門からまっすぐに太子の御廟につながっています。太子が亡くなったあと、御廟の前に塔頭を建て、遺髪を納め、太子作の阿弥陀如来像を祀った、三人の侍女(蘇我馬子、物部守屋、小野妹子のそれぞれの娘たち)たちのお寺が現在の西方院です。叡福寺と深いつながりのあるお寺で、訪れたとき蓮の花がとても綺麗でした。- 旅行時期
- 2022年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月09日
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投稿日 2022年08月08日
総合評価:5.0
醍醐寺は874年に創建された由緒あるお寺で、上醍醐と下醍醐に至って広い境内には多くの建物があり、国宝などの文化財が豊富です。豊臣秀吉が愛した「醍醐の桜」も有名ですが、秀吉が自ら設計したといわれる庭園もみごとです。見学の予約をして、説明もしてもらいました。とてもわかりやすく、醍醐寺についての歴史などを説明してもらい、心に残りました。桜の樹は約700本があり、春にはみごとです。秋の紅葉の季節も美しいです。
広い境内には国宝の五十の塔がありますが、951年の京都府下で最も古い木造物建築です。金堂も国宝です。広い境内は見どころが沢山あり、散策がとても楽しいお寺です。開放的な雰囲気のお寺でした。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月07日
総合評価:5.0
空海の高弟 智泉が神護寺の別院として創建しました。824年~834のころと言われています。神護寺からは独立しましたが、室町時代に兵火にあい荒廃、明忍によって再興されます。江戸時代には桂昌院の寄進により本堂も再興されました。
本尊は運慶作と伝わる釈迦如来像。
自然に囲まれた静かなお寺でした。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年08月07日











































































































































































