ヤマシロさんのクチコミ(115ページ)全2,337件
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投稿日 2014年11月22日
総合評価:4.0
開府当時は幅50mの人工の堀川、もっぱら波止場として使用。幕末には少し埋め立てられましたがそれでも40m程。 現在高速道路になっているあたりはみんなこのような堀川跡のようです。ただ戦後空襲による瓦礫を埋め立て命令をしたのはGHQなのです。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2014年11月22日
総合評価:4.0
レリーフのイラストは枡形御門で門番が常駐し攻防の施設があったようです。たぶん城下町というより城内だったのでしょう。 要塞の中は軍人だけの居住区のイメージがありますが、軍艦と異なり町民も生活します、落城は町民の死を意味します世界中の城郭はだいたい同じです。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2014年11月22日
総合評価:4.0
ここにに下級武士の長屋があったとは考えにくいのだが、でも小中学校は主席卒業だったという。(今風) 1896年24歳で病死しましたが作家活動僅かに14ヶ月、全集ができる量です。 この時、夏目漱石は英国留学より帰国熊本で講師、芥川龍之介は4歳。 当時文壇にあったのは森鴎外と島崎藤村でした。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2014年11月22日
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投稿日 2014年11月21日
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投稿日 2014年11月21日
総合評価:5.0
一回目は薄暮に到着、暗い恐怖をたっぷりと味わう。再度参上やはり不気味なのだ、当時のひとにとって鞍馬山なんて妖怪の棲む所だったのかもしれない。百歩譲って超能力訓練センターのような少なくとも義経公は修験道あるいは忍者のような特殊訓練を身につけていたのは確かなことだろう。
- 旅行時期
- 2014年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2014年11月21日
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投稿日 2014年11月21日
総合評価:3.5
義経の頃とは場所が違うとか、現実に存在しないとか色々ありますがこれを見るとあった方が楽しいと考えると必定で京人形風というのが心憎い演出なのであります。ともかく義経公は山伏というか忍者というか身が軽かったことは否定できないようです。でもですね、義経公が歴史に名をつらねるのは意外にも3年程。
- 旅行時期
- 2014年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2014年11月21日
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投稿日 2014年11月21日
総合評価:4.0
この門を挟み長州犯・会津藩が対峙し薩摩藩が裏切り会津藩に加勢。これが幕末の戦いの始まりになり、この時京都の街の6割以上が焼失したという。京都庶民など二条城における大政奉還どころではなかったのかもしれないし、東京遷都なんて焼け野原の京都ではできなかったのだろう。
- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:3.0
狩野派の技術訓練センターというべきところでしょう、
江戸城御殿の膨大な数の部屋や廊下を飾る襖・屏風絵を描く絵師の集団、ボスの書いた絵をトレースする画工、色を塗るペインターが活躍。ただ自己というのは全く許されなかったようです。 一見古色燦然たる過去の異物のようですが例えばアニメーションの世界ではまさにこれを踏襲しています。- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:4.0
晴海通りから3本上野寄りの道、足早に歩き去るサラリーマンの道・・・・でも中央通りに交差するあたりは外国ブランドの瀟洒な店舗が並び“宝石店で朝食”。
銀座には多くの画廊があってある種ステータスですが、よくよく見ると『宝くじ』販売店も多いようです、夢を売る街なのでしょう。- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:3.0
演舞場通りといいますが昭和通りまでの200m足らずの道でしょうか、 舞台の終演にともない観客がむかい歩く道は時事通信社(旧 東急ホテル)の脇、高速道路の間をとおり地下鉄東銀座駅に行く人の波です。経値を重ねた御婦人達が歩く様はなかなか壮観です。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:3.0
“まつや通り”歌舞伎役者か松並木の名跡かと思いきや目の前に〈まつ屋デパート〉がありました。晴海通りの一本上野寄りの通りですが、早朝より飲食店が開店していてサラリーマンの姿がちょっと和やかに感じます。さすがに朝定よりもモーニング・サービスの看板がお似合い。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:4.0
教会というと絵本にあるようなイメージが強く四角いテナントビルにあるなんてなかなかイメージが湧きませんが、これを教会として使う人にとって導入アプローチを作るのに並々ならぬ苦労があったように思いますが、
教会でない建築物にあたかも神々がやどるような安らぎを与える空間を創る・・・・ちょっと興味を持った。- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:3.5
近くに“有楽町で逢いましょう”の歌碑がありますがここにもありました。 石原裕次郎が忘却の彼方にあろうとこの歌は歌い続けられることでしょう。 一説によればデュエットで唄う必要のためにうたかたの夢がかなうとか・・・・。
裕次郎の頃の銀座とはだいぶ異なりますがこの街はまだまだ進化系。- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:4.0
このプレートの関係者が柳澤氏というのはちょっと劇的ですが歌に詠われた“銀座の柳”根付くのに苦労したかと思えば車の排気ガスやコンクリート舗装でまたまた七難八苦。でも、郊外で柳を栽培したりなんと銀座の屋上で育てたり柳を懸命に継承している人々がいます、ちょっと嬉しいですね。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2014年11月20日
総合評価:3.5
亡父は震災を京橋で経験しています。家業が筏師ということもあり木材を並べて巨大な筏を組み沖に運び余震がおさまるまで一週間過ごしたそうです。 夥しい人々がそこに避難していたそうです。神戸震災まで少々馬鹿にしていたくらいなのに親の小言と冷や酒は後で効くでした。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2014年11月19日