ポポポさんのクチコミ(7ページ)全680件
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投稿日 2018年09月19日
総合評価:5.0
「暴れん坊将軍」のオープニングなど多くの時代劇の映画やテレビで放映されている定番の場所。
正面には「はの門」と天守を望み、右側には鉄砲や矢狭間のある「はの門南方土塀」がある空間は写真スポットとして素晴らしい場所だと思います。
但し、観光客を入れずに写真を撮るのは至難の業なのでどこかで妥協が必要かもしれません。
ここは、これぞ城郭という雰囲気を十二分感じさせてくれる場所です。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2018年09月19日
総合評価:4.5
大天守南面の下にある広場です。池田輝政が姫路城を改築した時、ここに御殿が建てられ周囲は櫓と長局で囲まれていました。
池田氏の後に入封した本多忠政は三の丸に御殿を建てたので、備前丸の御殿は使われなくなり取り壊されました。
残された長局は明治の失火で焼失してしまったので、現在のような広場になりました。
現在は広場ですが大天守の下にあることから天守閣の写真を撮る絶好のスポットになっており、多くの観光客がカメラを向けていました。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2018年09月18日
総合評価:4.5
菱の門は姫路城の表玄関に相応しい格調高く立派な櫓門です。櫓門の片側だけを石垣の上に乗せた安土桃山様式の城門で、城内最大の門だそうです。
一番印象的だったのは白漆喰で塗り込められているので眩しいほどに美しい事でした。
姫路城は大・小連立の天守の姿が美しいのですが、この櫓門は防御用の実践的な櫓門ながら天守に負けない美しい門でした。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2018年09月18日
総合評価:3.5
姫路城の上山里丸にある井戸は、播州皿屋敷の物語でお菊さんが殺害され放り込まれた井戸として有名ですが、実はこの井戸はフィクションです。
大正元年に姫路城が一般公開された時に創作された話で、「お菊の井戸」は姫路城にあるこの井戸ではありません。
「姥ケ石、切腹丸、お菊の井戸」は姫路城の三大フィクションです。
物語では青山鉄山の家臣町坪弾四郎がお菊を殺害し古井戸に放り込みましたが、殺害現場は弾四郎の屋敷で放り込んだ古井戸は弾四郎の屋敷の古井戸だそうです。
客寄せのために創作された話がいつの間にか巷に流布し、本当の話になり替わったようです。
それが分かっていても自然に覗き込んでしまうのがこの井戸です。井戸自体は大きく深いので籠城用に作られたものでしょう。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年09月07日
総合評価:5.0
ガイドの説明によると綿花栽培や取引で財を成したロシア商人の邸宅だそうです。
華麗な王宮の装飾に魅せられて自分の邸宅に王宮と同じく華麗な装飾を施したそうです。
建物は元々広くて現在の建物は元の建物の1/4の広さしか無く、3/4は焼失しました。
建物はコの字型で中央の居間は確かに王宮を彷彿させるような素晴らしい装飾の部屋でした。
この博物館で充実しているにはスザニで、逸品と呼ばれるような上質な作品が展示されています。その他種々の工芸品が展示されていますが、なにより素晴らしかったのは建物そのものでした。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2018年09月07日
総合評価:2.5
ウルゲンチ空港と同じく空港の敷地に入るところで保安検査、さらに建物の入口で2回目の保安検査、さらに建物の中で再び保安検査と手荷物検査。都合4回の保安検査にはうんざりしました。
しかし一番参ったのはとにかく時間がかかること。チェックインも出国審査も遅々として進みません。
入国時にスタンプを押された税関申告書は目を通すことも無く受け取ってくれたのに、それ以外はダラダラして時間ばかりかかりました。
結局空港敷地に着いてから出国審査完了まで2時間もかかりました。
なお、空港内では写真撮影禁ですのでご注意下さい。- 旅行時期
- 2017年10月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 施設の充実度:
- 2.5
-
投稿日 2018年09月07日
総合評価:3.0
現在広場にはティムールの銅像がありますが、この場所は歴史の変遷とともに度々名称や置かれている銅像が変りました。
最初はトルキスタン総督府初代総督のカウフマンの銅像が建てられ、革命後のソ連スターリン時代にはスターリンの銅像が建てられスターリング広場と呼ばれました。
その後フルシュチョフ時代にはカール・マルクスの銅像に建て替えられ、独立後はティムールの銅像に建て替えられました。それと同時にこの広場はティムール広場と呼ばれるようになりました。
広場の周囲は緑に溢れ木陰にはベンチがあるので、夏でも涼むことができます。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2018年09月04日
総合評価:3.0
ヒヴァ観光の表玄関といわれているウルゲンチにある空港です。タシケントに向かう飛行機便を利用しました。
国内便の小さな飛行場なので建物は小さく中には何もありません。ウズベキスタンの空港なので中は写真撮影禁止です。驚いたことに空港敷地に入る所でまず保安検査がありました。空港はフェンスに囲まれていて一般の人は敷地内に入れません。そのため送迎はフェンスの所で行われていました。
空港入口の所でスーツケースの保安検査があり、空港建物のなかでさらに2回保安検査、最後に手荷物検査があり何と4回も保安検査がありました。
最後の検査が手荷物検査なので液体物はそれまでに処分すれば良かったです。
現地の人は平気で割込みしてきますので、割り込ませないように前の人との間隔を狭めておく必要があります。
それから空港内の担当官の表情はブスっとしており態度は高圧的で事務的です。全く微笑まないし笑いません。町中で見かけるウズベキスタンの人々の表情と全く違うので面喰いました。
空港職員は特権階級のような態度で、ソ連時代の対応がまだ抜けきらないようです。- 旅行時期
- 2017年10月
- 施設の充実度:
- 3.0
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投稿日 2018年09月04日
総合評価:5.0
ヤッカサライにあるムスリム共同墓地の一番奥の一画にあります。ウズベキスタンに移送されタシケントで強制労働に従事してお亡くなりになった79名の日本人抑留者の方々が埋葬されています。
ナボイ劇場建設時に亡くなられた2名の方もこの墓地に埋葬されています。
墓地内には中山恭子特命全権大使(現参議院議員)のご尽力で日本から持ち込まれ植樹された桜の木(ウズベキスタンの桜)がありました。春になれば美しい花を咲かせ、79名の方々の心を慰めていることでしょう。
この墓地は現在の墓守さんのお爺様が近くの病院で亡くなった日本人抑留者を埋葬して以来、ここに日本人が埋葬されるようになりました。そしてこの墓地は子から孫へと墓守が引き継がれ3代に渡って守って来られました。現在はお孫さんが墓守をされています。
ソ連時代は墓地は国内に2か所と限られ更地にするよう指令が出ていましたが、ウズベキスタンの人々はその指令を無視して墓石は置けないまでも墓地を荒らさずに守ってくれました。
ここに墓地ができたのはソ連時代の1990年5月、日ソ親善協会福島県支部(現福島県ウズベキスタン文化経済交流協会)の並々ならぬご尽力によって「永遠の平和と友好不戦の誓い」が設置され墓地が整備されました。
1995年にはウズベキスタン内13カ所の墓地の土が持ち寄られて日本人合同の鎮魂碑が建てられてました。そして今も現地の墓守さんやボランティアの皆さんの手で掃き清められ守られています。
この墓地はウズベキスタンの皆様やウズベキスタン政府、福島県交流協会や元抑留者・遺族の方々などのご尽力によってできた墓地です。また植えられた桜には多くの日本人の方々の思いがこもっています。
ここでは深い感動と感謝に包まれました。墓地を守って下さった墓守さんやウズベキスタンの方々には深く感謝申し上げます。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2018年09月02日
総合評価:5.0
ナヴォイ劇場はタシケントにある客席1400を有する3階建てのビザンチン風建築の大劇場です。ソ連時代は4大劇場のうちの一つでした。
この劇場は敗戦後強制的にソ連に抑留されタシケントに移送されてきた475名の日本人捕虜が現地のウズべキスタン人と協力しながら建てた劇場です。
厳しい自然環境と過酷な労働、不十分な食事のなか日本人の誇りを忘れず律儀に黙々と作業に従事した結果僅か2年で劇場は完成しました。
その後1966年4月26日、タシケントを直下型の大地震が襲いました。78000棟の建物が倒壊しタシケントは瓦礫の町と化しましたが、ナヴォイ劇場は凛として立ち続けていたそうです。この話は瞬く間に中央アジアを駆け巡り「日本人は優秀でまじめだ。日本人が建てたから倒れなかったんだ。」という話が広まりました。
この劇場は日本人の誇りです。捕虜という立場にありながら「後の世に笑われるような建築物にはしたくない。さすが日本人達の建築したものは出来が違うと言われるものにしたい。」と一切手抜きをせず誇りと意地をかけて建てられた劇場です。正面入り口アーチ部分の柱や天井の装飾などは素晴らしいものでした。内部を写した写真によると天井や客席、舞台周辺などは豪華な装飾で飾られており素晴らしいです。
この劇場は奥行きのある大劇場ですが、実物を目にすると2年で完成したのが奇跡のように思えました。
劇場左側の外壁にはカリモフ大統領が文言を「捕虜」から「日本国民」に変え、作り直させたプレートもありました。
日本人の誇りを感じる劇場ですので、ここは是非訪れて頂きたい場所です。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月18日
総合評価:4.0
パフラヴァン・マフムード通りにある霊廟です。
この霊廟はパフラヴァン・マフマドと言うヒヴァの庇護者で哲学者、詩人にして毛皮商人そして武道の名手が埋葬されている霊廟です。
ツアーのため中には入れず外観のみ観光しました。霊廟にしては入口門は小さく狭い印象でした。
一番良かったのはターコイズブルーのドームです。このドームはイチャラ・カンで一番目立つドームだったと思います。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月18日
総合評価:4.0
ヒヴァで一番高くて青いタイルがリング状に装飾されたミナレット。アクシェイフ・ババの見張り台からも一番目立つのがこの塔でした。
このミナレットの全景が美しい形で見れるのがパフラヴァン・マフムード通りだと思います。
ツアーのためミナレットに上る時間はありませんでしたが、外観のみでも美しい塔でした。
メドレセはイスラム建築としては珍しくシンメトリーではなく、これがこのメドレセの特徴です。なお、内部は工芸博物館になっているそうです。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月18日
総合評価:5.0
ヒヴァで最も素晴らしい景観はアクシェイフババの見張り台からの景色だと思いますが、町中で最も絵になる場所はパフラヴァーン・マフムード通りの景観です。
西門から東門に抜ける目ぬき通りから一筋中に入った通りなので人通りが割と少なく、古の都の風情を満喫できるので私的には一押しの場所です。
この通の左側にはパフラヴァン・マフマド廟が面しており、正面にはイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット、右にはシェルガジ・ハン・メドレセがあり、道はタイルで舗装され美しい景観が維持されていました。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月17日
総合評価:4.5
東門近くにクフナ・アルクに匹敵する物として建てられて宮殿です。
19世紀に建てられた新しい宮殿なので青い装飾タイルによるアラベスク模様が見事でした。
宮殿の各部屋の壁は色の濃淡が付けられたところもあり、アラベスク模様の緻密さと相まって格段に優れた装飾を見ることができました。もう素晴らしいとしか表現の仕様がありません。イスラムの細密技術や恐るべしです。
宮殿には謁見の間や宴会の場、ハーレムなどがありました。ハーレムを見たのはこの宮殿が初めてだったのですが、思ったよりも部屋が狭いのに驚きました。
ハーレムならではのドロドロスした出来事もあったそうです。
この宮殿の特徴は他に来客者を応接するためのユルタが謁見の間にもあった事です。
このユルタ、来客者のためのユルタかと思っていたら、実はハン自らが使用するユルタでした。
ハンは宮殿の中の執務室は窮屈なので、リラックスできるユルタが殊の外お気に入りのようだったそうです。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2018年08月17日
総合評価:5.0
213本もの木の柱が立ち並ぶ大変珍しいモスクです。
ジュマ・モスクとは「金曜モスク」のこと。イスラム教では金曜日が休日に当たるのでこの日に多くの人が礼拝に訪れます。
そのためのモスクとして10世紀に建てられましたが2度の火災で焼失しました。現在のモスクは18世紀に建てられた物です。堂内には創建当時の10世紀の柱が一本残っています。
柱の表面には一本毎に異なる彫刻がされていますが、10世紀の柱にも僅かながら創建当時の彫刻が残っていました。
モスクの天井も柱も木製です。堂内には緑の中庭もありミフラーブさえなければとてもイスラムのモスクとは思えません。そんな温かみのあるモスクに心を奪われてました。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2018年08月17日
総合評価:4.5
イチャンカラ郊外にある夏の離宮(クブラ・トザ・ボグ宮殿)にあるレストランです。
宮殿入り口の左右の棟の各部屋が客室です。客室の天井には豪華なジャンデリアが取り付けられおり、室内の装飾は見事でした。
料理はコース料理のみとのこと。我々はツアーで利用したのでツアー用のコースだろうと思いますが、出された料理はどれも美味しかったです。
円卓の上には果物、ナン、数種の野菜サラダ、豆料理などが並べてありました。スープの後に出されたメイン料理シュビト・オシュが気に入りました。
シュビト・オシュはウズベキスタンで初めて食した麺料理です。香草を練り込んだ麺の上に具を載せた料理でしたが、これはホレズム地方の伝統料理だそうです。
これはイケました。機会があれば食してみてください。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
-
投稿日 2018年08月17日
総合評価:4.0
イチャン・カラの郊外にあるハンの夏の離宮です。
宮殿の周囲や中庭には木々がたくさん茂っていて、砂漠では珍しく緑に溢れた宮殿でした。
宮殿は現在レストランとして使用されており、宮殿入り口の左右の建物がレストランの客室になっていました。
この宮殿は観光地として訪れた訳では無く、元々ツアーの夕食会場として訪問しました。
客室内部の装飾は見事です。宮殿左右の棟では内部の装飾がそれぞれ異なっていて、左棟の室内の方が若干明るくて華やかな印象を受けました。
各室にはシャンデリアが取り付けられていて、輝くような美しい光を放っていました。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月11日
総合評価:5.0
トプラクカラ遺跡は紀元前1世紀から紀元5世紀に栄えた古代ホラズム王国の都城跡で最盛期は紀元2世紀でした。かつてはここは広い都で王国の首都でした。
現在遺跡として残っているのはかつての都の北西部分ですが、これは都のほんの一部に過ぎません。
北西の端には宮殿、中央には政庁跡、その右隣りがゾロアスター教の寺院、寺院の下(南側)には塔の跡、政庁の南側には四角に区分けされた住民の居住地が残り、北から北東にかけては城壁跡が残ってます。
遺跡の南にある高所からは遺跡の全体を眺めることができますので、古代の都の姿を想像するのもいいかもしれません。
都を取り巻く広大な城壁跡はグーグル地図の航空写真で確認できますが、都の規模から古代ホラズム王国が強大な力を持っていたことが推測できます。
遺跡跡からは多数の木簡が発掘されたそうですが、残念ながらいまだ文字が解読されておらず王国の全容はいまだ未知のままです。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2018年08月11日
総合評価:4.5
アヤズカラ遺跡は紀元前4世紀から紀元4世紀の間に建てられた古代ホラズム王国の3つの城塞や宮殿で構成される遺跡です。
このうち現存するのは2つの城塞跡です。このうち1つの城塞は高い山の上にあり、もう1つの城塞は低い小山の上に建てられていて、さらに低い小山の山裾には古代ホラズム王国の宮殿跡(カラ)があります。
このうち一般的にアヤズカラ遺跡と呼ばれているのはユルタキャンンプの向側にある山上の城塞跡です。ここはユルタキャンプから歩いて行くことができ、眼下には小山の城塞が望めます。
ただこれらのカラ(都城跡)は文献によって建築年代、使用用途、種類などの記述が異なっています。
現地ガイドの説明によると山上の遺跡は未完成の建物で住民が居住した痕跡が無く、発掘調査でも居住した痕跡を示す出土品が出て来なかったそうです。
つまりこの遺跡は何のために造られて、どうして未完成に終わったのか謎だらけのカラ(都城跡)なのです。
さて、これら3つのカラが見れる場所があります。そこは低い小山の山裾の近くですが、雄大な景色が見れる場所なのでお勧めです。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2018年08月04日
総合評価:5.0
ヒヴァの町で内側の城壁に囲まれた内城をイチャン・カラと呼んでいます。
イチャン・カラには宮殿やモスク、メドレセやミナレットなどの建物や街並みが当時のまま残っています。
内城が無傷で残っているのは中央アジアでここだけなので、イチャン・カラは博物館都市として世界遺産に登録されています。
イチャン・カラには車が入れないため観光は徒歩ですが、東西を結ぶメインストリート沿いに観光施設が集まっているため苦にはなりませんでした。
小さな町ですが昔の町にタイムスリップしたかのような錯覚を起こさせる魅力的な町でした。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1日
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0