旅猫さんへのコメント一覧全3,916件
-
朽木
旅猫さん こんばんは。
朽木にも行かれたのですね。
子供の頃、大原から福井県へ抜ける時に車で通った事があると思うのですが、
『遠い所』というイメージを持っていました。
現在は、まさに鯖街道として鯖寿司の有名店が点在している『所』として
インプットしています(^-^;
その『鯖街道』を取り上げたブラタモリの番組を観ていて
興聖寺(旧秀隣寺庭園)を知りました。
朽木宿は当時の風情が残っているようですね。
鯖街道の もう少し福井寄りに、若狭熊川宿があり
こちらの方が観光地として賑わっています。
賑わうと言っても静かな集落ですが、お土産屋さんや
観光客が食べるレストランも整っています。
交通の便と宿泊施設に苦労されたと思うのですが、
『びわ湖ブルワリー』が思ったよりも良かったようですね。
確かに『エビマヨ』が美味しそうです(*^-^*)
ポテ
RE: 朽木
ポテさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
朽木は、京都からでも遠い場所なのですね。
鯖寿司が有名と走りませんでした。
一軒も目に入らなかった。
そう言えば、ブラタモリで『旧秀隣寺庭園』もやっていましたね。
朽木は宿場町の風情が僅かですが残っていました。
熊川宿とは比べ物にもなりませんが。
でも、綺麗に整備されてないし、普通に人が暮らす町並みなので、かえって趣があります。
西近江は、宿が本当に少ないですね。
交通も不便ですし。
『びわ湖ブルワリー』は、思ったよりも良かったです。
麦酒が瓶で出て来るのは残念ですが。
それと、立地が少々悪いです。
旅猫2024年04月23日09時39分 返信する -
行ってみたい所。
旅猫さん、今日は。
私の家系は細川家の家臣だったので、一度、朽木に行ってみたいと思ってました。
足利義晴の時代は、細川家の家督相続争いが激しく、京都に上洛できない状態でした。
細川高国のライバル細川晴元(だったかな)が擁立した足利義維が堺で「公方」を名乗り対立していた時代。
此の庭園が有る寺は、元々城郭建築の土台の上に乗てる形ですね。
義晴の父、義澄も京から近江に落ちのびてる。
戦国期の将軍は哀れ・・・・。
最近、地方の中小の街では、宿泊施設が無いか、自家用車が無いと到達困難な場合が多いのが残念ですね。
私の故郷でも、町中には無くなり、山の中には小規模な宿泊施設が有るみたいですけど、自家用車が無いと行けない。
墨水。 -
在原集落
旅猫さん こんにちは。
今回はまたシブい場所へ行かれたのですね。
茅葺の家は ほとんど残っていないのですね。
歴史に興味が無い人も、食に興味のある人は時々この集落を訪れます。
『在原の業平園』というジビエと蕎麦が食べられるお店があって
時々 関西中心の(特に京滋)グルメブログに出ます(^^)
簡単には行けない所なのですが、気になっています。
この店以外で、滋賀県は冬の期間だけ営業する蕎麦屋さんが
特に湖北に多く、美味しいと評判です。
でも、知人から美味しいと教えてもらったお店を
たまたま4トラの方が旅行記で出されていて、不合格のコメントだったので
お蕎麦の美味しい所に住んでおられる方には 合格の粋には達していないかも
(^-^; ←お蕎麦に関しては、関西人の美味しいは 当てにならない(´艸`*)
メタセコイア並木や菅浦の湖岸集落・針江 生水の郷など
湖西地方にも行ってみたい所がたくさんあります。
共同トイレの宿が多く、交通も不便。
大動脈の湖西線は、雪や強風ですぐ停まるのがネックです。
京都では何の問題もない天気なのに、雪や強風で学校を休む友人が
普通にいました(^-^;
同じ鉄道でも、東海道本線では そういう問題はあまりありません。
だからこそ、風情ある町並みが今でも残っているのですね(*^-^*)
ポテ
RE: 在原集落
ポテさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
訪れてみて、驚くほど観光とは無縁の場所でした。
残念ながら、茅葺屋根の集落は、火災で失われていましたし。
『在原の業平園』、ありました。
時間的に営業前でしたが。
結構名の知れた店なのですね。
マキノ駅前に支店がありました。
蕎麦と言えば、やはり信州か山形、そして北海道ですね。
私も、西日本で気に入った蕎麦屋は、今のところ、ほとんど無いです(^^;
実は、うどんも秋田の稲庭うどんが好きです。
菅浦の湖岸集落は、行く予定で計画済みですが、延期中です。
湖西は、宿がいまひとつですよね。
今回泊ったホテルも、部屋は悪くないのですが、廊下の臭いが気になりました。
温泉では無くても良いので、居心地の良い宿が欲しいところです。
今回、予約制の乗合タクシーも使いましたが、電話をした時、湖西線がすぐに止まるので、間違いなく天気が良いと分かってから連絡してくださいと。
こんなの、初めてでした(笑)
旅猫2024年04月19日20時42分 返信する -
旅猫流「街道をゆく」
旅猫さま
こんばんは。
桜の花がなかなか咲かない、と思っていたらもう、初夏の装いですね。
この夏が、去年の酷暑の様にならないといいのですが・・・
司馬良太郎氏の「街道をゆく」の最初の訪問場所は西近江だったのですね。
2年ほど前に、久しぶりに近江路を訪れて以来、近江熱が再来、
今年秋もまた再訪しようと宿を予約済み、もしかしたら来年の桜の時期に
変更するかもしれないけど・・・
秋の坂本も良かったし、春の彦根も素晴らしい・・・
在原集落へは、駅から乗り合いタクシーで20分以上山間に入った場所、
かなり辺鄙な場所にあるのですね。
そんなところに在原業平ゆかりの地があるとは・・・
茅葺屋根の集落、火事で焼け落ちる前は情緒豊かな集落だったのでしょうね。
残念ながら、今は、「茅葺屋根風」の民家になってしまったのですね。
hot choco
RE: 旅猫流「街道をゆく」
hot chocoさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
もう新緑を通り越して夏ですね。
結局、職場近くの桜が咲いているのを通りすがりに観ただけで、花見は出来ませんでした。
それでは寂しいので、急遽、盛岡へ行くことにしました。
『街道をゆく』で最初に司馬氏が訪れることにしたのは、西近江でした。
古代、朝鮮からの渡来人が多く住んでいた土地ですね。
日本人の生い立ちには避けては通れない場所です。
在原集落は、隠れ里のような場所です。
かなりの高台にあり、バスの通る谷間へ下るのは一苦労でした。
実際に在原業平のような貴族が暮らしたとは思えませんね。
残念ながら火災で失われた茅葺屋根の里ですが、風情はそこそこありました。
旅猫2024年04月19日20時20分 返信する -
湖西。。
旅猫さん、こんにちは。
本稿に登場するかやぶき集落、素晴らしいですね。日本の山里の原風景といった感じで…。ココは私も、是非とも訪ねてみたいと思いました。
また、街道をゆく「近江」の本編で、安曇人が積む石垣の項があったかと思いますが、その辺もじっくり見てみたいですね。湖西線の沿線は、一般受けはしないのでしょうが、延暦寺を抜きにして考えても、見どころがたくさん隠れているような気がしてます。呼び方を忘れてしまいましたが、家の中に琵琶湖の水を引き込んで、洗い場にしているお宅もこの辺にはあるんですよね。それも見てみたいです。。
あるき虫RE: 湖西。。
あるき虫さん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
在原集落は、日本の山里らしい風景が広がっていました。
かつては、茅葺の民家が十数軒もあり、とても素晴らしい景色だったそうです。
惜しくも火災に遭って失われましたが、それでも、2,3軒残っています。
ただ、かなり痛みが激しく、近い将来すべて無くなってしまうことでしょう。
今回訪れた北小松には、水路の石積みがありました。
漁港周辺や湖岸の景色もなかなか良かったです。
安曇川自体は車窓からしか望めませんでしたが、いつかもう一度訪れたいと思います。
海津より北や余呉湖周辺、坂本なども歩いてみ体もです。
地味な西近江ですが、じっくり歩けば色々見所がありますね。
旅猫2024年04月16日20時27分 返信する -
街道をゆく
旅猫さん、こんにちは。
在原集落、シブい土地ですね。昔のテレビの新日本紀行に出てくるような雰囲気…火事で多くの建物が失われたそうですが、それでも尚、貴重な風景です。ただ、だいぶ老朽化している感があって、これからが心配ではありますが。
そして、今回のタイトルですが、私は以前から旅猫さんの旅行記に「街道をゆく」の雰囲気を感じ取っていました(大洲の旅行記とか)。だから、やっぱり(!)と感じています。旅猫さんの旅行記は「街道をゆく」の世界に影響を受けながらも、司馬氏の紀行文ともまた違う、独自の感じ方や見方が感じられます。これからも楽しみにしています。
DecoRE: 街道をゆく
Decoさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
在原集落は、かなり地味な場所でした。
かつては、茅葺の里と呼ばれ多くの人が訪れたようですが。大火により焼失後は、静か
な里に戻っています。
そのおかげが、日本の里らしい風情を感じました。
ただ、茅葺の民家がほとんど無くなってしまい、残っているものも、修復されずに屋根がかなり傷んでいました。
これから、どんどん屋根が新しいものに変わってしまいそうです。
「街道をゆく」は大好きで何度も読み返しています。
歴史とその土地の風物を感じながらの旅は楽しいものです。
旅行記から、「街道をゆく」を感じてもらい、とても嬉しく思います。
旅猫2024年04月16日20時14分 返信する -
在原集落!
こんにちは、旅猫さん、お久しぶりです(^_^;)
2月末から今まで、通称「ぎっくり腰」に見舞われ、今でも腰が痛くて
なかなか旅に出られません。
(そうは言っても、3月31日から4月2日にかけて、どうしても津山の鶴山公園の千本桜が見たくて、ホテルの窓から桜を眺めるだけの旅に出ましたが( ̄▽ ̄;)
業平の墓は、奈良県の天河神社の近くと、京都の大原辺りと、この西近江にあると、どこかに書いてありました。
旅猫さんは、その最もアクセス困難なところに行かれたようですね。
私は天河神社近くには行ったので、京都の北部に行ってみたいと思っているところです。
司馬さんの「街道を行く」は、私も大好きで、旅の行き先が司馬さんの足跡を辿っていることが多いです。
特に「製鉄」に関するところがそうで、津山に行くことが多いのも、鉄の道を辿って行くと、どうしてもあの辺りに行きつくのです。
継体天皇は、福井の「岡太神社」にも「継体天皇潜龍の地」という碑がありました。
高島や福井は、継体天皇に関連した場所なのですね。
味わい深い旅猫さんのシブい旅、ますますシブさに磨きがかかってきていますね(^_-)-☆
前日光RE: 在原集落!
前日光さん、こんばんは。
こちらこそ、ご無沙汰しています。
通称「ぎっくり腰」で旅はお預けでしたか。。。
お大事にしてください。
業平は貴族なので、京の都かやはり奈良辺りですよね。
今回訪れた在原集落は、在原と言う名の通り、在原氏所縁の地かもしれません。
あの時代だと、だぶん、荘園があったのでしょう。
その縁で、業平の供養塔が造られたのかもしれません。
それがいつしか墓と云われるようになったものかと。
それにしても、不便な所でした。
前日光さんも「街道を行く」がお好きでしたか。
製鉄関係の部分も一度読んでいますが、あの界隈もかなり不便なので未踏です。
津山はやはり桜の季節が綺麗そうですね。
来年あたり行きたいところですが、4月から忙しい部署に異動となり、休みが取れません。。。
継体天皇は、近江高島で生まれたと云われています。
越前は、勢力を整えるために下向した場所とも。
歴史は、思いを馳せるだけで楽しいですね。
旅猫2024年04月16日20時06分 返信する -
あけぼの
旅猫さん お久しぶりです。
あけぼので、雪景色の弘前とは、旅猫さんらしい旅情溢れる旅です。
20年近く前の年末に一度だけ乗ったように思います。田沢湖でスキーするのに⛷️(なぜ秋田新幹線じゃなくあけぼのだったかは覚えていません)
ところが季節外れの大雨であけぼのは大幅遅れ、スキー場は閉鎖💧(特急料金を返してもらったのは、このとき初めて)
仕方なく、乳頭温泉めぐりになりましたが、のんびりできて案外良かったような(笑)
寝台列車はどんどんなくなりますね。今となっては、わずかですが、あけぼのや北陸に乗っておいて良かった! -
飛騨高山
旅猫さま
こんにちは。
桜は満開となりましたが、まだまだ肌寒い日が続きますね。
飛騨高山、大好きな地で30年以上も前から、何度か行っています。
名前も忘れてしまいましたが、あるお寺のイチョウの木(だったと思う)の
下で一位一刀彫を彫っていらっしゃる白髪の方がいて、高山に行く度にその方が
木の下で彫っていらしたのが印象的でした。
上三之町は風情のある町でしたが、今は観光客も多くなって、
すっかり変わってしまったでしょうね。
久しぶりに行ってみたいものです。
金沢駅、今と違ってローカルな雰囲気ですね~。
hot chocoRE: 飛騨高山
hot chocoさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
職場近くの桜は、もう散り始め、葉もかなり出てしまいました。
今年の花見は、難しそうです。
飛騨高山がお気に入りでしたか。
私も大好きな街のひとつです。
大きな銀杏があるお寺なら、飛騨国分寺ですかね。
駅からも近いので、多分そこではないかと。
一位一刀彫とは渋いですね。
仙人のような光景を思い浮べました。
上三之町は、かなり賑やかになってしまい、アジア系の外国人で溢れています。
風情もかなり減ってしまい、かなり残念な感じです。
下二之町より北なら、まだまだ静かで風情も残っています。
当時の金沢駅は、とても鄙びた感じでした。
今は取り壊され、かの立派な鼓門のある駅舎になりました。
旅猫2024年04月10日10時46分 返信する -
飛騨の高山1970年
旅猫さん、
今晩は。
1990年の思い出の旅の写真を拝見しました。
私もセピア色の思い出と称したドイツ時代を時々載せていますが、
懐かしいことです。
飛騨の高山というと、更に20年古い1970年の9月、入社2年目で結婚し、
新婚旅行は小田原・下呂・飛騨の高山に行きました。
当時、このような古びた町に来る新婚さんはいなかったかもしれません。
小田原の最初の日は本陣という旅館、珍ずらしがられました。
何やら若い頃から古びた趣が好きであったような。
ツイ、古い話を致しました。
それではまた。
jijidaruma