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二日目の後半は、マキノ駅から安曇川駅へ移動し、朽木集落へと向かう。朽木は、中世、朽木氏が治めた土地で、かの織田信長が浅井氏の裏切りに遭った時、京都への敗走の途中で立ち寄った場所でもある。そして、朽木集落は、司馬遼太郎氏が『街道をゆく』で訪れた場所でもある。<br /><br />(2024.04.19投稿)

『街道をゆく』を行く・西近江【2】~朽木集落~

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2024/03/30 - 2024/03/30

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旅行記グループ 『街道をゆく』を行く

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旅猫

旅猫さん

二日目の後半は、マキノ駅から安曇川駅へ移動し、朽木集落へと向かう。朽木は、中世、朽木氏が治めた土地で、かの織田信長が浅井氏の裏切りに遭った時、京都への敗走の途中で立ち寄った場所でもある。そして、朽木集落は、司馬遼太郎氏が『街道をゆく』で訪れた場所でもある。

(2024.04.19投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.0
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • マキノ駅を12時47分に出る列車に乗り、安曇川駅へと移動。途中の近江今津駅でしばらく停まったので、30分も掛かった。安曇川駅からは、13時32分発の朽木学校前行のバスに乗車し、朽木集落へと向かう。

    マキノ駅を12時47分に出る列車に乗り、安曇川駅へと移動。途中の近江今津駅でしばらく停まったので、30分も掛かった。安曇川駅からは、13時32分発の朽木学校前行のバスに乗車し、朽木集落へと向かう。

  • バスは山間を走り、30分で野尻バス停に着いた。『街道をゆく』の中で、司馬遼太郎氏も野尻に言及している。

    バスは山間を走り、30分で野尻バス停に着いた。『街道をゆく』の中で、司馬遼太郎氏も野尻に言及している。

  • バス停から少し歩くと、朽木陣屋跡がある。地元の豪族朽木氏の館があった場所で、江戸時代には陣屋が置かれていた。遺構はほとんど残っていない。敷地内には、茅葺屋根の民家が移築保存されていた。

    バス停から少し歩くと、朽木陣屋跡がある。地元の豪族朽木氏の館があった場所で、江戸時代には陣屋が置かれていた。遺構はほとんど残っていない。敷地内には、茅葺屋根の民家が移築保存されていた。

    朽木陣屋跡 公園・植物園

  • 井戸もあったが、それは陣屋の遺構だそうである。土塁や濠も僅かに残っているらしいが、まったくわからなかった。

    井戸もあったが、それは陣屋の遺構だそうである。土塁や濠も僅かに残っているらしいが、まったくわからなかった。

  • 陣屋跡には朽木資料館が建っている。ここも閉館となるので、今回立ち寄ってみたのだ。朽木陣屋に関する展示もあったが、少々地味な資料が多かった。とは言え、資料館が閉鎖されると、それらの資料はどうなるのだろうか。茅葺屋根の民家の行く末も気になるところである。

    陣屋跡には朽木資料館が建っている。ここも閉館となるので、今回立ち寄ってみたのだ。朽木陣屋に関する展示もあったが、少々地味な資料が多かった。とは言え、資料館が閉鎖されると、それらの資料はどうなるのだろうか。茅葺屋根の民家の行く末も気になるところである。

    朽木郷土資料館 美術館・博物館

  • 陣屋跡の隣に、社があった。山神神社と言う。由緒は分からなかったが、ここで朽木にお邪魔する挨拶をした。

    陣屋跡の隣に、社があった。山神神社と言う。由緒は分からなかったが、ここで朽木にお邪魔する挨拶をした。

  • 安曇川の支流である北川を渡ると、市場と言う地区に入る。その入口近くに、瀟洒な洋風の建物があった。旧朽木郵便局で、かのヴォーリズが設計したものと云われているそうである。

    安曇川の支流である北川を渡ると、市場と言う地区に入る。その入口近くに、瀟洒な洋風の建物があった。旧朽木郵便局で、かのヴォーリズが設計したものと云われているそうである。

  • 近くで、旧朽木村のマンホールを見つけた。村の樹であった杉の葉と、村の花であった百合を意匠としていた。

    近くで、旧朽木村のマンホールを見つけた。村の樹であった杉の葉と、村の花であった百合を意匠としていた。

  • 市場地区は、かつて若狭と京の都を結んでいた鯖街道の朽木宿があった場所である。現在でも、宿場町の姿を伝える建物が残されている。

    市場地区は、かつて若狭と京の都を結んでいた鯖街道の朽木宿があった場所である。現在でも、宿場町の姿を伝える建物が残されている。

  • 宿場の中心に鎮座していたのが蛭子神社。町の守り神として、『えべっさん』と呼ばれて親しまれていたそうである。

    宿場の中心に鎮座していたのが蛭子神社。町の守り神として、『えべっさん』と呼ばれて親しまれていたそうである。

  • かつては大いに栄えた朽木宿であるが、鉄道が琵琶湖畔を通るようになると、物や人の流れが変わり、今では静かな集落となっている。

    かつては大いに栄えた朽木宿であるが、鉄道が琵琶湖畔を通るようになると、物や人の流れが変わり、今では静かな集落となっている。

  • 歩いていると、弁柄色の門のある大きな町屋が見えて来た。熊瀬家住宅である。朽木宿には、かつて多くの商家などが立ち並んでいたそうだが、その中でも、藩の御用商人であったのが熊瀬家だそうだ。

    歩いていると、弁柄色の門のある大きな町屋が見えて来た。熊瀬家住宅である。朽木宿には、かつて多くの商家などが立ち並んでいたそうだが、その中でも、藩の御用商人であったのが熊瀬家だそうだ。

  • かなり立派な建物で、弁柄色の千本格子がとても美しかった。

    かなり立派な建物で、弁柄色の千本格子がとても美しかった。

  • 町並みの中に、似つかわしくない煉瓦造りの小さな煙突のようなものがあった。何でも、集落の西側の山腹から湧く水を、各家庭に分配するための分水塔だそうだ。水仲間と呼ばれる組織が管理しているそうだ。

    町並みの中に、似つかわしくない煉瓦造りの小さな煙突のようなものがあった。何でも、集落の西側の山腹から湧く水を、各家庭に分配するための分水塔だそうだ。水仲間と呼ばれる組織が管理しているそうだ。

  • 道の脇には水路が流れている。江戸時代に整備されたものらしく、水路に降りる場所もあり『川戸』と呼ばれているようだ。洗い物などをする場所らしい。水路は、防火や冬の除雪などのために設けられたそうだ。

    道の脇には水路が流れている。江戸時代に整備されたものらしく、水路に降りる場所もあり『川戸』と呼ばれているようだ。洗い物などをする場所らしい。水路は、防火や冬の除雪などのために設けられたそうだ。

  • 街道が鉤の手に曲がる角に、三階建ての洒落た建物があった。丸八百貨店と言う個人商店で、昭和8(1933)に建てられた木造の洋風建築だそうだ。

    街道が鉤の手に曲がる角に、三階建ての洒落た建物があった。丸八百貨店と言う個人商店で、昭和8(1933)に建てられた木造の洋風建築だそうだ。

    丸八百貨店 グルメ・レストラン

    休憩にちょうどいい by 旅猫さん
  • 現在は廃業しているが、市に委託された企業により、喫茶などとして利用されていた。せっかくなので、喫茶を利用することにした。この日は気温が高かったので、アイスコーヒーとチーズケーキのセットをいただいた。チーズケーキも美味しかったが、皿などの図柄がとても洒落ていた。

    現在は廃業しているが、市に委託された企業により、喫茶などとして利用されていた。せっかくなので、喫茶を利用することにした。この日は気温が高かったので、アイスコーヒーとチーズケーキのセットをいただいた。チーズケーキも美味しかったが、皿などの図柄がとても洒落ていた。

  • 丸八百貨店の前を流れる水路は、山の方から流れている。地図を見ると、水車がある様なので、行ってみることにする。

    丸八百貨店の前を流れる水路は、山の方から流れている。地図を見ると、水車がある様なので、行ってみることにする。

  • 山裾まで来ると、確かに水車はあったが、もう使われていないようだ。かつては、水車小屋の裏手から滝のように水が湧き出していたそうである。この裏手に、水に苦労していた集落の問題を解消するため、明治から大正に掛けて造られた明護隧道があるそうだが、すっかり忘れてしまった。

    山裾まで来ると、確かに水車はあったが、もう使われていないようだ。かつては、水車小屋の裏手から滝のように水が湧き出していたそうである。この裏手に、水に苦労していた集落の問題を解消するため、明治から大正に掛けて造られた明護隧道があるそうだが、すっかり忘れてしまった。

  • 集落を抜け、しばらく歩くと、志子淵神社と言う社があった。安曇川流域では、古くから林業が盛んで、伐採した木を筏で運んだそうである。そのため、川仕事に従事する人たちの間で、川の魔物から守ってくれるというシコブチ神が信仰され、多くの社が建てられたそうだ。

    集落を抜け、しばらく歩くと、志子淵神社と言う社があった。安曇川流域では、古くから林業が盛んで、伐採した木を筏で運んだそうである。そのため、川仕事に従事する人たちの間で、川の魔物から守ってくれるというシコブチ神が信仰され、多くの社が建てられたそうだ。

  • さらに先へ進むと、右手に興聖寺と言う寺があった。そこは、今回の旅で訪れたい場所のひとつである。境内の入口まで来ると、苔生した石垣と杉が、とても趣のある風景を醸し出していた。

    さらに先へ進むと、右手に興聖寺と言う寺があった。そこは、今回の旅で訪れたい場所のひとつである。境内の入口まで来ると、苔生した石垣と杉が、とても趣のある風景を醸し出していた。

  • 境内へ入ると、寺の方に声を掛けられた。本堂内を案内していただき、貴重な話も聴かせていただいた。御本尊はかなり古いものらしいが、詳しくは分からないようだ。須弥壇の上まで上がり、間近で拝観することが出来ると言う。須弥壇の上に登るのは初めてであったが、少々緊張した。

    境内へ入ると、寺の方に声を掛けられた。本堂内を案内していただき、貴重な話も聴かせていただいた。御本尊はかなり古いものらしいが、詳しくは分からないようだ。須弥壇の上まで上がり、間近で拝観することが出来ると言う。須弥壇の上に登るのは初めてであったが、少々緊張した。

  • そして、この寺に来た最大の理由が、庭に残されている旧秀隣寺庭園である。その庭は、京の都を追われ朽木谷に隠れた室町幕府12代将軍である足利義晴を慰めるため、管領細川高国らにより造営された庭園の跡である。石組が見事な庭園で、司馬遼太郎氏も訪れているが、当時は叢だったそうだ。かの重森三玲氏も気に入られたそうである。

    そして、この寺に来た最大の理由が、庭に残されている旧秀隣寺庭園である。その庭は、京の都を追われ朽木谷に隠れた室町幕府12代将軍である足利義晴を慰めるため、管領細川高国らにより造営された庭園の跡である。石組が見事な庭園で、司馬遼太郎氏も訪れているが、当時は叢だったそうだ。かの重森三玲氏も気に入られたそうである。

    興聖寺(旧秀隣寺庭園) 公園・植物園

  • 訊けば、石組は作庭当時のままだそうである。また、傍らに立つ大きな杉の樹も、当時から立つものだそうだ。庭も杉も、足利義晴が眺めていたものだと思うと、感慨深いものがある。信長も、敗走中でなければ、立ち寄りたかったかもしれない。

    訊けば、石組は作庭当時のままだそうである。また、傍らに立つ大きな杉の樹も、当時から立つものだそうだ。庭も杉も、足利義晴が眺めていたものだと思うと、感慨深いものがある。信長も、敗走中でなければ、立ち寄りたかったかもしれない。

  • 興聖寺を拝観し、来た道を戻る。かなり寂れてはいるが、街道筋の風情を残す道である。車はバイパスを走るので、静かであるのも良い。

    興聖寺を拝観し、来た道を戻る。かなり寂れてはいるが、街道筋の風情を残す道である。車はバイパスを走るので、静かであるのも良い。

  • 往きに場所を確認しておいた中学校前バス停に着いた。安曇川駅行の江若交通バスは、ここが始発である。乗り込んだ16時35分発のバスは、乗客3名を乗せて出発した。

    往きに場所を確認しておいた中学校前バス停に着いた。安曇川駅行の江若交通バスは、ここが始発である。乗り込んだ16時35分発のバスは、乗客3名を乗せて出発した。

  • 終点の安曇川駅で降り、17時23分発の湖西線に乗り、近江今津駅へと戻った。今回の旅では、宿の確保が難しく、同じ宿に二泊するしかなかったのだ。宿に荷物を置き、気になっていた『びわ湖ブルワリー』へ向かうことにする。歩き始めてすぐ、旧今津街のマンホールを見つけた。描かれているのは、街の鳥である『雲雀』と、街の花である『座禅草』であった。

    終点の安曇川駅で降り、17時23分発の湖西線に乗り、近江今津駅へと戻った。今回の旅では、宿の確保が難しく、同じ宿に二泊するしかなかったのだ。宿に荷物を置き、気になっていた『びわ湖ブルワリー』へ向かうことにする。歩き始めてすぐ、旧今津街のマンホールを見つけた。描かれているのは、街の鳥である『雲雀』と、街の花である『座禅草』であった。

  • 人気の無い住宅街を15分ほど歩くと、ようやく『びわ湖ブルワリー』が見えて来た。こんな住宅街の先に醸造所があるのだろうかと少々不安であったが、着いてみれば、かなり立派な建物であった。

    人気の無い住宅街を15分ほど歩くと、ようやく『びわ湖ブルワリー』が見えて来た。こんな住宅街の先に醸造所があるのだろうかと少々不安であったが、着いてみれば、かなり立派な建物であった。

    びわ湖ブルワリー グルメ・レストラン

    住宅街の先にあるブルワリー by 旅猫さん
  • まずは、『ペールエール』と、麦酒と言えばソーセージと言うことで、盛り合わせを注文した。ただ、残念なことに、ここの麦酒は小瓶での提供であった。味は悪くない。

    まずは、『ペールエール』と、麦酒と言えばソーセージと言うことで、盛り合わせを注文した。ただ、残念なことに、ここの麦酒は小瓶での提供であった。味は悪くない。

  • 続いて、『ヴァイツェン』を呑んでみる。しかし、これはらしくない味わいであった。地元安曇川産のアドベリーを使った『アドベリー』にすればよかったと後悔する。つまみは、『エビマヨ』とした。その『エビマヨ』が、思いがけず美味しかった。

    続いて、『ヴァイツェン』を呑んでみる。しかし、これはらしくない味わいであった。地元安曇川産のアドベリーを使った『アドベリー』にすればよかったと後悔する。つまみは、『エビマヨ』とした。その『エビマヨ』が、思いがけず美味しかった。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • hot chocolateさん 2024/05/07 01:20:25
    街道を行く
    旅猫さま

    こんばんは。
    朽木集落という名は聞いたことがありますが、未踏の地です。
    この数年、近江路を辿りたくて、訪問していますが、
    坂本、大津、石山と、東近江の彦根、長浜、近江八幡と東近江が多いですね。
    今年の秋も計画していますが、西近江に行くにはレンタカーかな。

    丸八百貨店の喫茶の食器が素敵ですね。
    こんな素敵な食器でお茶が出てきたら、お茶の味もさぞかし美味しいでしょうね。
    お料理も、食器や雰囲気も大切だと思います。

    「エビマヨ」が美味しそうです。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/05/07 22:46:30
    RE: 街道を行く
    hot chocoさん、こんばんは。

    朽木は、結構名が知れているのですが、それでも地味な場所です。
    多くの人は、わざわざ訪れることはないと思います。

    彦根、長浜、近江八幡は、十数年前に訪れています。
    坂本、大津、石山界隈は、未踏です。
    一度計画したのですが、上手く休みが取れず。。。
    西近江は、交通が不便なので、車が便利です。
    あと、宿は良い所が無いので、雄琴温泉か大津辺りに取るしかないと思います。

    丸八百貨店の喫茶の食器には驚きました。
    まさか、あのような洒落た食器に出会えるとは思ってもいなかったので。
    ケーキが倍くらい美味しく感じました(笑)

    びわ湖ブルワリーは、怖いくらいに静かな住宅街の先にあります。
    なかなか綺麗な店内で、料理も悪くはなかったです。
    特に『エビマヨ』は、大きくてプリプリしていました。

    正直、かなり地味な西近江ですが、安曇川などもう一度訪れたい場所でした。
    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2024/04/21 22:41:09
    朽木
    旅猫さん こんばんは。

    朽木にも行かれたのですね。
    子供の頃、大原から福井県へ抜ける時に車で通った事があると思うのですが、
    『遠い所』というイメージを持っていました。
    現在は、まさに鯖街道として鯖寿司の有名店が点在している『所』として
    インプットしています(^-^;

    その『鯖街道』を取り上げたブラタモリの番組を観ていて
    興聖寺(旧秀隣寺庭園)を知りました。
    朽木宿は当時の風情が残っているようですね。
    鯖街道の もう少し福井寄りに、若狭熊川宿があり
    こちらの方が観光地として賑わっています。
    賑わうと言っても静かな集落ですが、お土産屋さんや
    観光客が食べるレストランも整っています。

    交通の便と宿泊施設に苦労されたと思うのですが、
    『びわ湖ブルワリー』が思ったよりも良かったようですね。
    確かに『エビマヨ』が美味しそうです(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/23 09:39:06
    RE: 朽木
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    朽木は、京都からでも遠い場所なのですね。
    鯖寿司が有名と走りませんでした。
    一軒も目に入らなかった。

    そう言えば、ブラタモリで『旧秀隣寺庭園』もやっていましたね。
    朽木は宿場町の風情が僅かですが残っていました。
    熊川宿とは比べ物にもなりませんが。
    でも、綺麗に整備されてないし、普通に人が暮らす町並みなので、かえって趣があります。

    西近江は、宿が本当に少ないですね。
    交通も不便ですし。
    『びわ湖ブルワリー』は、思ったよりも良かったです。
    麦酒が瓶で出て来るのは残念ですが。
    それと、立地が少々悪いです。

    旅猫
  • 墨水さん 2024/04/21 18:40:37
    行ってみたい所。
    旅猫さん、今日は。
    私の家系は細川家の家臣だったので、一度、朽木に行ってみたいと思ってました。
    足利義晴の時代は、細川家の家督相続争いが激しく、京都に上洛できない状態でした。
    細川高国のライバル細川晴元(だったかな)が擁立した足利義維が堺で「公方」を名乗り対立していた時代。
    此の庭園が有る寺は、元々城郭建築の土台の上に乗てる形ですね。
    義晴の父、義澄も京から近江に落ちのびてる。
    戦国期の将軍は哀れ・・・・。
    最近、地方の中小の街では、宿泊施設が無いか、自家用車が無いと到達困難な場合が多いのが残念ですね。
    私の故郷でも、町中には無くなり、山の中には小規模な宿泊施設が有るみたいですけど、自家用車が無いと行けない。
    墨水。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/23 09:33:19
    RE: 行ってみたい所。
    墨水さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    ご先祖様は、細川氏の家臣だったのですね!
    うちは、諏訪神官家の傍流だったみたいです。
    細川家は、足利氏と共に表舞台に上がり、結局、幕末まで生き抜いた名門ですね。

    西近江は宿があまりにも少なく、ある意味旅がし難い場所です。
    人が多く訪れるのは、春の海津大崎と白鬚神社くらいかと。
    交通も不便で、自家用車が無いと不便な土地ですね。

    旅猫

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