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司馬良太郎氏の『街道をゆく』を愛読している。何度も読んでいるうちに、実際に氏が訪れた場所を歩いてみたくなった。そこで、まず手始めに、記念すべき最初の訪問場所である西近江を旅してみることにした。旅は4月を予定していたが、高島市にある三つの資料館が3月末で閉鎖されると知り、急遽日程を前倒しすることにした。当日、朝から強い風が吹き荒れ、予定より1本早い列車で出発。しかし、乗車した列車は上野駅止まりとなり、何とか辿り着いた東京駅も、新幹線が大幅に遅れていて混乱していた。<br /><br />(2024.04.14投稿)

『街道をゆく』を行く・西近江【1】~在原集落~

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2024/03/29 - 2024/03/30

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旅猫

旅猫さん

司馬良太郎氏の『街道をゆく』を愛読している。何度も読んでいるうちに、実際に氏が訪れた場所を歩いてみたくなった。そこで、まず手始めに、記念すべき最初の訪問場所である西近江を旅してみることにした。旅は4月を予定していたが、高島市にある三つの資料館が3月末で閉鎖されると知り、急遽日程を前倒しすることにした。当日、朝から強い風が吹き荒れ、予定より1本早い列車で出発。しかし、乗車した列車は上野駅止まりとなり、何とか辿り着いた東京駅も、新幹線が大幅に遅れていて混乱していた。

(2024.04.14投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.0
グルメ
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 遅れを逆算し、乗る予定であった列車に近い時間に出る『のぞみ355』の自由席を何とか確保。11時54分発だが、25分ほど遅れて発車。結局、京都駅には24分遅れで着いた。元々、京都駅では20分ほどの乗り換え時間を確保していたので、予定の列車に間に合った。14時45分発の湖西線の新快速列車は、海のように広い琵琶湖を車窓に観ながら走って行く。

    遅れを逆算し、乗る予定であった列車に近い時間に出る『のぞみ355』の自由席を何とか確保。11時54分発だが、25分ほど遅れて発車。結局、京都駅には24分遅れで着いた。元々、京都駅では20分ほどの乗り換え時間を確保していたので、予定の列車に間に合った。14時45分発の湖西線の新快速列車は、海のように広い琵琶湖を車窓に観ながら走って行く。

  • 10時半まで所用があったため、家を出たのは11時前であった。そのため、近江高島駅に着いたのは、15時半前であった。

    10時半まで所用があったため、家を出たのは11時前であった。そのため、近江高島駅に着いたのは、15時半前であった。

  • この日は、時間も無いので、明後日には閉館となる、高島歴史民俗資料館を訪ねることにする。駅前から、15時35分発のコミュニティバスに乗車し、最寄りの宿鴨バス停に向かう。バスはのんびりと走り、20分足らずで到着した。

    この日は、時間も無いので、明後日には閉館となる、高島歴史民俗資料館を訪ねることにする。駅前から、15時35分発のコミュニティバスに乗車し、最寄りの宿鴨バス停に向かう。バスはのんびりと走り、20分足らずで到着した。

  • 資料館は、バス停から5分足らずの所にあった。中へ入ると、昔ながらの街の資料館と言った感じである。高島の地で生まれたとされる継体天皇に関する展示などもあり、なかなか興味深いものがあった。

    資料館は、バス停から5分足らずの所にあった。中へ入ると、昔ながらの街の資料館と言った感じである。高島の地で生まれたとされる継体天皇に関する展示などもあり、なかなか興味深いものがあった。

    高島歴史民俗資料館 美術館・博物館

  • 資料館から、長閑な道を歩き、出鴨バス停へと向かう。高島には、継体天皇胞衣塚や畿内型の家型石棺が発掘された鴨稲荷塚古墳、三尾神社旧跡などがあるので、いつかまた、訪れてみたいものである。

    資料館から、長閑な道を歩き、出鴨バス停へと向かう。高島には、継体天皇胞衣塚や畿内型の家型石棺が発掘された鴨稲荷塚古墳、三尾神社旧跡などがあるので、いつかまた、訪れてみたいものである。

  • 16時21分発のバスは、定刻にやって来た。乗客は、私だけであった。このバスに乗り、終点の安曇川駅へと向かった。

    16時21分発のバスは、定刻にやって来た。乗客は、私だけであった。このバスに乗り、終点の安曇川駅へと向かった。

  • 列車の遅れの影響で、まだ昼食を食べていなかったので、安曇川駅で食事処を探したが、店はほとんど無かった。仕方が無いので、近くにあったコンビニで食べ物を買い込み、駅の長椅子で食事とした。駅近くで見つけたマンホールは、旧安曇川町のもので、特産の扇が描かれていた。

    列車の遅れの影響で、まだ昼食を食べていなかったので、安曇川駅で食事処を探したが、店はほとんど無かった。仕方が無いので、近くにあったコンビニで食べ物を買い込み、駅の長椅子で食事とした。駅近くで見つけたマンホールは、旧安曇川町のもので、特産の扇が描かれていた。

  • 17時23分発の列車で、今宵の宿がある近江今津駅へと向かう。安曇川については、司馬氏も多く言及しているように、古代安曇族に関係がある土地と思われる。近江聖人と称えられた中江藤樹に関する史跡などもあるので、いつかゆっくり歩いてみたいものである。

    17時23分発の列車で、今宵の宿がある近江今津駅へと向かう。安曇川については、司馬氏も多く言及しているように、古代安曇族に関係がある土地と思われる。近江聖人と称えられた中江藤樹に関する史跡などもあるので、いつかゆっくり歩いてみたいものである。

  • 宿は、今津駅のすぐ目の前にあった。年季の入った建物で、少々館内の臭いが気になったが、部屋自体は小奇麗であった。

    宿は、今津駅のすぐ目の前にあった。年季の入った建物で、少々館内の臭いが気になったが、部屋自体は小奇麗であった。

    ホテル可以登 宿・ホテル

  • 荷物を置き、早々に夕飯を食べるために外に出たが、今津の街にも店は少なく、気になった店も地元の人たちで満席であった。諦めて宿へ戻る途中、裏道に小奇麗な焼鳥屋があったので覗いてみると、ガラガラであったので入ることにした。とりあえず、近江高島の地酒である『萩乃露 純米吟醸』をいただいた。

    荷物を置き、早々に夕飯を食べるために外に出たが、今津の街にも店は少なく、気になった店も地元の人たちで満席であった。諦めて宿へ戻る途中、裏道に小奇麗な焼鳥屋があったので覗いてみると、ガラガラであったので入ることにした。とりあえず、近江高島の地酒である『萩乃露 純米吟醸』をいただいた。

  • 看板である焼き鳥を食べてみる。注文したのは、ねぎ間とせせり、そしてつくねである。炭火焼きで美味しかったが、やや小ぶりであった。

    看板である焼き鳥を食べてみる。注文したのは、ねぎ間とせせり、そしてつくねである。炭火焼きで美味しかったが、やや小ぶりであった。

  • いつしか、ガラガラであった店も、地元の人が集まりだし、カウンター以外はほとんど満席となった。こちらは、追加でたこの唐揚げを注文。この『えそら』と言う店、悪くはなかった。

    いつしか、ガラガラであった店も、地元の人が集まりだし、カウンター以外はほとんど満席となった。こちらは、追加でたこの唐揚げを注文。この『えそら』と言う店、悪くはなかった。

  • 翌朝、8時10分発の列車に乗り、マキノ駅へと向かう。土曜日とは言え、下り列車なので空いているかと思ったが、結構混み合っていた。

    翌朝、8時10分発の列車に乗り、マキノ駅へと向かう。土曜日とは言え、下り列車なので空いているかと思ったが、結構混み合っていた。

  • マキノ駅からは、8時26分発の乗り合いタクシーを利用し、在原集落へ向かう。20分以上山間に入った場所に、目指す在原集落はあった。

    マキノ駅からは、8時26分発の乗り合いタクシーを利用し、在原集落へ向かう。20分以上山間に入った場所に、目指す在原集落はあった。

  • 在原集落へ来たのは、茅葺の里と呼ばれる集落であることと、かの在原業平所縁の地であることからだ。歩き始めてまず目に付いたのは、茅葺屋根が崩れた廃屋であった。

    在原集落へ来たのは、茅葺の里と呼ばれる集落であることと、かの在原業平所縁の地であることからだ。歩き始めてまず目に付いたのは、茅葺屋根が崩れた廃屋であった。

  • 裏道へ入ると、そこかしこに蕗の薹が生えていた。

    裏道へ入ると、そこかしこに蕗の薹が生えていた。

  • その先に、茅葺屋根の民家が立っていた。まだ雪囲いが設けられたままである。ただ、茅葺がかなり傷んでいて、人も住んでいないようであった。

    その先に、茅葺屋根の民家が立っていた。まだ雪囲いが設けられたままである。ただ、茅葺がかなり傷んでいて、人も住んでいないようであった。

  • 裏道から、集落の中心へと歩く。そこにも、立派な茅葺屋根の民家があった。こちらは、現役で住居として使われているようである。

    裏道から、集落の中心へと歩く。そこにも、立派な茅葺屋根の民家があった。こちらは、現役で住居として使われているようである。

  • 屋根の上部には、屋号らしきものが付けられている。

    屋根の上部には、屋号らしきものが付けられている。

  • その民家の先には、かつては茅葺であった民家や木造瓦屋根の民家が立ち並び、なかなかの風情である。しかし、以前写真で観た茅葺の集落は、すでに姿を消していた。何でも、2013年に大火があり、多くの茅葺屋根の民家が焼失してしまったそうである。

    その民家の先には、かつては茅葺であった民家や木造瓦屋根の民家が立ち並び、なかなかの風情である。しかし、以前写真で観た茅葺の集落は、すでに姿を消していた。何でも、2013年に大火があり、多くの茅葺屋根の民家が焼失してしまったそうである。

  • 集落を貫く道に戻り、少し周囲を歩いてみる。それにしても、もう少し前に訪れていれば、『かやぶきの里』の名に相応しい景色を観ることが出来たであろう。

    集落を貫く道に戻り、少し周囲を歩いてみる。それにしても、もう少し前に訪れていれば、『かやぶきの里』の名に相応しい景色を観ることが出来たであろう。

  • 集落の外れに、日吉神社が鎮座していた。訪れた土地で神社に参拝するのは、その土地にお邪魔することの挨拶のためである。多くの社が明治以降祭神が変わってしまったため、祭神にはあまり興味が無く、その土地の神様も居ると考えてのことである。

    集落の外れに、日吉神社が鎮座していた。訪れた土地で神社に参拝するのは、その土地にお邪魔することの挨拶のためである。多くの社が明治以降祭神が変わってしまったため、祭神にはあまり興味が無く、その土地の神様も居ると考えてのことである。

  • 日吉神社の隣に、正法院と言う寺があった。山門はあったが、本堂などは無い。山門へと続くかつての参道の脇には、立派な石積みがあった。

    日吉神社の隣に、正法院と言う寺があった。山門はあったが、本堂などは無い。山門へと続くかつての参道の脇には、立派な石積みがあった。

  • 道を戻り、再び集落の中を横切る。途中、小さな川を渡った。そこから集落の方を眺めると、茅葺屋根風の瓦屋根の民家が見えた。立ち寄ってみると、『山猫亭』とある。調べてみると喫茶であったが、今は営業していないようであった。

    道を戻り、再び集落の中を横切る。途中、小さな川を渡った。そこから集落の方を眺めると、茅葺屋根風の瓦屋根の民家が見えた。立ち寄ってみると、『山猫亭』とある。調べてみると喫茶であったが、今は営業していないようであった。

  • 在原の集落には、茅葺屋根風の民家がいくつもあった。茅葺屋根は手入れが大変なので、人出が減った集落では、建物の構造はそのままにして、瓦屋根に葺き替えるようになったのだろう。

    在原の集落には、茅葺屋根風の民家がいくつもあった。茅葺屋根は手入れが大変なので、人出が減った集落では、建物の構造はそのままにして、瓦屋根に葺き替えるようになったのだろう。

  • バス停まで来ると、その裏手に立派な蔵が見えた。この集落の庄屋の蔵であったものだろう。手前の小さな畑では、畑仕事に精を出す人がいた。

    バス停まで来ると、その裏手に立派な蔵が見えた。この集落の庄屋の蔵であったものだろう。手前の小さな畑では、畑仕事に精を出す人がいた。

  • さらに歩いて行くと、集落の外れに出た。そこから先は山の裾まで田圃が広がっている。その一角に、数本の墓標が立っていた。在原集落から出征し、戦死した方たちのもので、集落の方を向いて立っていた。

    さらに歩いて行くと、集落の外れに出た。そこから先は山の裾まで田圃が広がっている。その一角に、数本の墓標が立っていた。在原集落から出征し、戦死した方たちのもので、集落の方を向いて立っていた。

  • 田圃の中を少し登ってみる。かなり広い田圃であったが、使われていない田圃が多く。過疎化や米離れが影響しているのだろう。

    田圃の中を少し登ってみる。かなり広い田圃であったが、使われていない田圃が多く。過疎化や米離れが影響しているのだろう。

  • 登って来たのは、在原業平の墓と伝わる塔を観るためである。伝説では、晩年、この地に隠遁していたそうである。森の中を登って行くと、小さな五輪塔のようなものが置かれていた。かの在原業平の墓とは思えないものである。在原と言う集落の名は、在原氏の荘園だった名残かもしれない。

    登って来たのは、在原業平の墓と伝わる塔を観るためである。伝説では、晩年、この地に隠遁していたそうである。森の中を登って行くと、小さな五輪塔のようなものが置かれていた。かの在原業平の墓とは思えないものである。在原と言う集落の名は、在原氏の荘園だった名残かもしれない。

  • 道へ戻り、在原口バス停へと向かう。集落内にある在原バス停からは、4時間半も乗合タクシーが来ないので、集落の麓を通る路線バスに乗るためである。道は途中からどんどんと下って行く。道の脇には、小さな滝が幾筋かあった。

    道へ戻り、在原口バス停へと向かう。集落内にある在原バス停からは、4時間半も乗合タクシーが来ないので、集落の麓を通る路線バスに乗るためである。道は途中からどんどんと下って行く。道の脇には、小さな滝が幾筋かあった。

  • 結局、40分ほど掛かってバス停に着いた。しばらく待つと、10時42分発のバスがやって来た。乗り込むと、乗客は私だけであった。

    結局、40分ほど掛かってバス停に着いた。しばらく待つと、10時42分発のバスがやって来た。乗り込むと、乗客は私だけであった。

  • 20分余りで、マキノ駅の一つ先の中学校前バス停に着いた。ここまで来たのは、やはり今月末で閉館となるマキノ資料館に立ち寄るためである。バス停から脇道に入ると、青空の下、田圃が広がっていた。雲雀が囀り、とても長閑である。

    20分余りで、マキノ駅の一つ先の中学校前バス停に着いた。ここまで来たのは、やはり今月末で閉館となるマキノ資料館に立ち寄るためである。バス停から脇道に入ると、青空の下、田圃が広がっていた。雲雀が囀り、とても長閑である。

  • マキノ資料館は、バス停から5分ほどの所にあった。中に入ると、すぐに篭が目に入った。竹製ではなく、楓などの樹を薄く削ったものを編んで拵えたものだそうだ。『小原かご』と呼ばれるもので、今となっては、作れる人もほとんどいないそうである。

    マキノ資料館は、バス停から5分ほどの所にあった。中に入ると、すぐに篭が目に入った。竹製ではなく、楓などの樹を薄く削ったものを編んで拵えたものだそうだ。『小原かご』と呼ばれるもので、今となっては、作れる人もほとんどいないそうである。

    マキノ資料館 美術館・博物館

  • 資料館を観た後、マキノ駅へと向かう。バスが来るまで1時間以上あるので、また歩くことにする。途中、蒲公英が道端に咲いていた。

    資料館を観た後、マキノ駅へと向かう。バスが来るまで1時間以上あるので、また歩くことにする。途中、蒲公英が道端に咲いていた。

  • 駅の近くで、旧マキノ町のマンホールを見つけた。描かれているのは、街の鳥である『ウグイス』と、街の樹である『モミジ』、そして『ウインドサーフィン』。『ウインドサーフィン』は、夏の琵琶湖で楽しまれているそうだ。

    駅の近くで、旧マキノ町のマンホールを見つけた。描かれているのは、街の鳥である『ウグイス』と、街の樹である『モミジ』、そして『ウインドサーフィン』。『ウインドサーフィン』は、夏の琵琶湖で楽しまれているそうだ。

  • 駅に着いたが、列車は1時間ほど来ない。ちょうど昼時なので、お昼を食べることにする。駅から続く道沿いにあった和食の店は満席で、その先にあった『トルネードカフェ』と言う店が空いていたので、そこに入る。定食などがあったので、ハンバーグ定食を注文した。久しぶりにハンバーグを食べたが、とても美味しかった。

    駅に着いたが、列車は1時間ほど来ない。ちょうど昼時なので、お昼を食べることにする。駅から続く道沿いにあった和食の店は満席で、その先にあった『トルネードカフェ』と言う店が空いていたので、そこに入る。定食などがあったので、ハンバーグ定食を注文した。久しぶりにハンバーグを食べたが、とても美味しかった。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • ポテのお散歩さん 2024/04/17 15:01:23
    在原集落
    旅猫さん こんにちは。

    今回はまたシブい場所へ行かれたのですね。
    茅葺の家は ほとんど残っていないのですね。
    歴史に興味が無い人も、食に興味のある人は時々この集落を訪れます。

    『在原の業平園』というジビエと蕎麦が食べられるお店があって
    時々 関西中心の(特に京滋)グルメブログに出ます(^^)
    簡単には行けない所なのですが、気になっています。

    この店以外で、滋賀県は冬の期間だけ営業する蕎麦屋さんが
    特に湖北に多く、美味しいと評判です。
    でも、知人から美味しいと教えてもらったお店を
    たまたま4トラの方が旅行記で出されていて、不合格のコメントだったので
    お蕎麦の美味しい所に住んでおられる方には 合格の粋には達していないかも
    (^-^; ←お蕎麦に関しては、関西人の美味しいは 当てにならない(´艸`*)

    メタセコイア並木や菅浦の湖岸集落・針江 生水の郷など
    湖西地方にも行ってみたい所がたくさんあります。
    共同トイレの宿が多く、交通も不便。
    大動脈の湖西線は、雪や強風ですぐ停まるのがネックです。
    京都では何の問題もない天気なのに、雪や強風で学校を休む友人が
    普通にいました(^-^;
    同じ鉄道でも、東海道本線では そういう問題はあまりありません。
    だからこそ、風情ある町並みが今でも残っているのですね(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/19 20:42:51
    RE: 在原集落
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    訪れてみて、驚くほど観光とは無縁の場所でした。
    残念ながら、茅葺屋根の集落は、火災で失われていましたし。

    『在原の業平園』、ありました。
    時間的に営業前でしたが。
    結構名の知れた店なのですね。
    マキノ駅前に支店がありました。

    蕎麦と言えば、やはり信州か山形、そして北海道ですね。
    私も、西日本で気に入った蕎麦屋は、今のところ、ほとんど無いです(^^;
    実は、うどんも秋田の稲庭うどんが好きです。

    菅浦の湖岸集落は、行く予定で計画済みですが、延期中です。
    湖西は、宿がいまひとつですよね。
    今回泊ったホテルも、部屋は悪くないのですが、廊下の臭いが気になりました。
    温泉では無くても良いので、居心地の良い宿が欲しいところです。

    今回、予約制の乗合タクシーも使いましたが、電話をした時、湖西線がすぐに止まるので、間違いなく天気が良いと分かってから連絡してくださいと。
    こんなの、初めてでした(笑)

    旅猫
  • hot chocolateさん 2024/04/17 00:56:49
    旅猫流「街道をゆく」
    旅猫さま

    こんばんは。
    桜の花がなかなか咲かない、と思っていたらもう、初夏の装いですね。
    この夏が、去年の酷暑の様にならないといいのですが・・・

    司馬良太郎氏の「街道をゆく」の最初の訪問場所は西近江だったのですね。
    2年ほど前に、久しぶりに近江路を訪れて以来、近江熱が再来、
    今年秋もまた再訪しようと宿を予約済み、もしかしたら来年の桜の時期に
    変更するかもしれないけど・・・
    秋の坂本も良かったし、春の彦根も素晴らしい・・・

    在原集落へは、駅から乗り合いタクシーで20分以上山間に入った場所、
    かなり辺鄙な場所にあるのですね。
    そんなところに在原業平ゆかりの地があるとは・・・
    茅葺屋根の集落、火事で焼け落ちる前は情緒豊かな集落だったのでしょうね。
    残念ながら、今は、「茅葺屋根風」の民家になってしまったのですね。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/19 20:20:47
    RE: 旅猫流「街道をゆく」
    hot chocoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    もう新緑を通り越して夏ですね。
    結局、職場近くの桜が咲いているのを通りすがりに観ただけで、花見は出来ませんでした。
    それでは寂しいので、急遽、盛岡へ行くことにしました。

    『街道をゆく』で最初に司馬氏が訪れることにしたのは、西近江でした。
    古代、朝鮮からの渡来人が多く住んでいた土地ですね。
    日本人の生い立ちには避けては通れない場所です。

    在原集落は、隠れ里のような場所です。
    かなりの高台にあり、バスの通る谷間へ下るのは一苦労でした。
    実際に在原業平のような貴族が暮らしたとは思えませんね。
    残念ながら火災で失われた茅葺屋根の里ですが、風情はそこそこありました。

    旅猫
  • あるき虫さん 2024/04/15 19:48:53
    湖西。。
    旅猫さん、こんにちは。

    本稿に登場するかやぶき集落、素晴らしいですね。日本の山里の原風景といった感じで…。ココは私も、是非とも訪ねてみたいと思いました。

    また、街道をゆく「近江」の本編で、安曇人が積む石垣の項があったかと思いますが、その辺もじっくり見てみたいですね。湖西線の沿線は、一般受けはしないのでしょうが、延暦寺を抜きにして考えても、見どころがたくさん隠れているような気がしてます。呼び方を忘れてしまいましたが、家の中に琵琶湖の水を引き込んで、洗い場にしているお宅もこの辺にはあるんですよね。それも見てみたいです。。

    あるき虫

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/16 20:27:18
    RE: 湖西。。
    あるき虫さん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    在原集落は、日本の山里らしい風景が広がっていました。
    かつては、茅葺の民家が十数軒もあり、とても素晴らしい景色だったそうです。
    惜しくも火災に遭って失われましたが、それでも、2,3軒残っています。
    ただ、かなり痛みが激しく、近い将来すべて無くなってしまうことでしょう。

    今回訪れた北小松には、水路の石積みがありました。
    漁港周辺や湖岸の景色もなかなか良かったです。
    安曇川自体は車窓からしか望めませんでしたが、いつかもう一度訪れたいと思います。
    海津より北や余呉湖周辺、坂本なども歩いてみ体もです。

    地味な西近江ですが、じっくり歩けば色々見所がありますね。
    旅猫
  • Decoさん 2024/04/15 09:27:39
    街道をゆく
    旅猫さん、こんにちは。

    在原集落、シブい土地ですね。昔のテレビの新日本紀行に出てくるような雰囲気…火事で多くの建物が失われたそうですが、それでも尚、貴重な風景です。ただ、だいぶ老朽化している感があって、これからが心配ではありますが。

    そして、今回のタイトルですが、私は以前から旅猫さんの旅行記に「街道をゆく」の雰囲気を感じ取っていました(大洲の旅行記とか)。だから、やっぱり(!)と感じています。旅猫さんの旅行記は「街道をゆく」の世界に影響を受けながらも、司馬氏の紀行文ともまた違う、独自の感じ方や見方が感じられます。これからも楽しみにしています。
                                 Deco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/16 20:14:15
    RE: 街道をゆく
    Decoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    在原集落は、かなり地味な場所でした。
    かつては、茅葺の里と呼ばれ多くの人が訪れたようですが。大火により焼失後は、静か
    な里に戻っています。
    そのおかげが、日本の里らしい風情を感じました。
    ただ、茅葺の民家がほとんど無くなってしまい、残っているものも、修復されずに屋根がかなり傷んでいました。
    これから、どんどん屋根が新しいものに変わってしまいそうです。

    「街道をゆく」は大好きで何度も読み返しています。
    歴史とその土地の風物を感じながらの旅は楽しいものです。
    旅行記から、「街道をゆく」を感じてもらい、とても嬉しく思います。

    旅猫
  • 前日光さん 2024/04/14 15:37:57
    在原集落!
    こんにちは、旅猫さん、お久しぶりです(^_^;)
    2月末から今まで、通称「ぎっくり腰」に見舞われ、今でも腰が痛くて
    なかなか旅に出られません。
    (そうは言っても、3月31日から4月2日にかけて、どうしても津山の鶴山公園の千本桜が見たくて、ホテルの窓から桜を眺めるだけの旅に出ましたが( ̄▽ ̄;)

    業平の墓は、奈良県の天河神社の近くと、京都の大原辺りと、この西近江にあると、どこかに書いてありました。
    旅猫さんは、その最もアクセス困難なところに行かれたようですね。
    私は天河神社近くには行ったので、京都の北部に行ってみたいと思っているところです。
    司馬さんの「街道を行く」は、私も大好きで、旅の行き先が司馬さんの足跡を辿っていることが多いです。
    特に「製鉄」に関するところがそうで、津山に行くことが多いのも、鉄の道を辿って行くと、どうしてもあの辺りに行きつくのです。

    継体天皇は、福井の「岡太神社」にも「継体天皇潜龍の地」という碑がありました。
    高島や福井は、継体天皇に関連した場所なのですね。
    味わい深い旅猫さんのシブい旅、ますますシブさに磨きがかかってきていますね(^_-)-☆


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/04/16 20:06:04
    RE: 在原集落!
    前日光さん、こんばんは。
    こちらこそ、ご無沙汰しています。


    通称「ぎっくり腰」で旅はお預けでしたか。。。
    お大事にしてください。
    業平は貴族なので、京の都かやはり奈良辺りですよね。
    今回訪れた在原集落は、在原と言う名の通り、在原氏所縁の地かもしれません。
    あの時代だと、だぶん、荘園があったのでしょう。
    その縁で、業平の供養塔が造られたのかもしれません。
    それがいつしか墓と云われるようになったものかと。
    それにしても、不便な所でした。

    前日光さんも「街道を行く」がお好きでしたか。
    製鉄関係の部分も一度読んでいますが、あの界隈もかなり不便なので未踏です。
    津山はやはり桜の季節が綺麗そうですね。
    来年あたり行きたいところですが、4月から忙しい部署に異動となり、休みが取れません。。。

    継体天皇は、近江高島で生まれたと云われています。
    越前は、勢力を整えるために下向した場所とも。
    歴史は、思いを馳せるだけで楽しいですね。

    旅猫

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