amaroさんのクチコミ(3ページ)全3,108件
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投稿日 2023年03月28日
総合評価:3.0
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わった後に出かけた鎌倉。そこで、北条義時が祀られていた法華堂の跡を見に行きました。といっても、発掘調査が終わって埋め戻されて、単なる小さな広場。堂が建っていた場所が示されているだけです。ここが義時の墳墓堂があったことが確認されたのは2005年ごろで、比較的新しい発見のようです。実は尾根を挟んで20~30メートル離れた場所に源頼朝の法華堂跡がありました。実際に別々だったのか、ちょと不思議な感じでした。
- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年03月28日
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投稿日 2023年03月28日
総合評価:3.0
鎌倉宮の少し裏手に源頼朝が義経や奥州平泉の藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建立した永福寺の跡がありました。鎌倉は何度も来ていますが、この種の発掘調査地がそのまま残されているのは初めて見ました。やや広めの敷地に池があり、本堂の両側に阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並ぶ形に発掘跡が示されていました。1450年に焼失、その後は廃寺になっていました。不思議なのは、土地が狭い鎌倉で、この種の平地ならその後にさまざまな重要な建物が建っていたはず。そうならなかったとしたら、何か縁起が悪いことでも起きていたんですかねえ。単なる発掘調査地なので、面白いかといえば、つまんないかな。
- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
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投稿日 2023年01月20日
総合評価:3.0
NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人で中村獅童が演じた梶原景時ゆかりの地を探しに神奈川県の寒川町に出かけました。現在の一之宮天満宮が館の跡とされています。ところが、周辺道路からは旗竿のようなものが見えるのですが、周囲には車を駐車させるような場所が皆無でグルグル回っても近づけません。あとすぐなのに、と思っていると、ちょっとした造成地があって、そこに停車すると、そばに「梶原氏一族郎党(七士)の墓」がありました。家臣達が弔って造ったという説がある一方で、外に逃げていた家臣が、復権を求めて鎌倉に戻ったものの認められず、この地で自害した跡という悲しい説もあるようです。
- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年01月20日
総合評価:3.0
源頼朝と北条政子が結ばれた場所と言われる熱海の伊豆山神社をお参りしました。いつもは海岸線を熱海に向かいますが、こんな山の上に神社があるとは全く知らず。周辺にもマンションや住宅が建ち並び、熱海って海沿いだけじゃないのね、あらためて驚きました。バス停前の駐車場に車を停め、石段を上がります。200段以上はあるでしょうか。石段途中の祠を見ながらのんびり登っていくと、本殿へと到着しました。実は登りに沿った形でバスが通れる道があり、本殿の位置にも駐車場がありました。山の中腹にあるしては結構なスペースがあり、池もあり、また、伊豆の海がとてもきれいに見えました。頼朝と政子のことから縁結びの神様と慕われているようです。本殿は標高170メートルの位置にありますが、本宮にも行けるそうでこちらは392メートル。また、海沿いからもずっと参道が続いているそうです。ところで、2021年に発生した大規模な崖崩れは、神社のほんの目と鼻の先。神社が尾根とすれば、谷筋で起きた悲劇でした
- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年01月20日
総合評価:3.0
大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行で紹介された鎌倉市の覚園寺を訪れました。北条義時が建てた大倉薬師堂の跡にできたお寺で北条家代々に崇拝されたお寺だそうです。鶴岡八幡宮の裏手、鎌倉宮の鳥居前の道をどんどん登っていくと、突き当たりのような場所に門がありました。くぐると広い境内が見え、小さな本堂があり、お参りして帰ろうと思ったところ、正月につき入場料無料と掲示されています。何だろうと思って、お寺の人に聞くと、この先の薬師堂こそが本堂で、いま詣ったのは愛染堂と言われました。再び、少しの坂を登ると、藁葺き屋根の雰囲気がある立派な本堂が見えてきました。この先、写真ダメの掲示もあります。入ると、正面にご本尊の薬師如来、左右に木造十二神将立像が並びます。どちらも室町時代に造られた重要文化財ですが、かつては義時が運慶に作らせた十二神将立像があったようです。寺の敷地は谷筋にあり、周囲は森。さらに奥にも森が広がっていましたが、ロープが張られ行けないようになってました。もう少し早く秋口に来れば、紅葉はそうとう美しそう。鎌倉には鶴岡八幡宮や建長寺など五山、大仏に長谷寺とたくさんのスポットがあるけど、こちらも、負けてはいないなと感じました。
- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年01月20日
総合評価:3.0
大河ドラマ鎌倉殿の13人に刺激され、11年ぶりに鎌倉の鶴岡八幡宮裏手を散策しました。最初に訪れたのが鎌倉宮。観光コースにも入っていない地味な神社ですが、何せ駐車場があるのが魅力です。かつての訪問では鎌倉幕府とはあまり関係のない神社で、興味もなかった印象がありましたが、あらためて由来を読んでみると、祀られている護良親王は後醍醐天皇の息子。建武の中興の際、征夷大将軍にもなった人物でした。足利尊氏に幽閉され28歳で死亡。明治維新後、明治天皇が創建したそうです。神社自体の歴史という点では、あまり興味をひきませんが、天皇家の人がどんな将軍だったのか興味はあります。
- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年12月23日
総合評価:3.0
日本一地価が高い東京の銀座4丁目交差点。すぐそばにある銀座コアビルに出かけました。5階にある両替所で20年ぐらい前に購入したドル建てのトラベラーズチェックを円に換えるためでした。入り口にきれいなクリスマスツリー。エスカレーターで上がっていくと、各階、女性向けファッションのお店が並んでいます。とはいうものの、5階までただの1人も上り下りのエスカレーターに乗っている姿を見かけませんでした。お店が撤退したスペースも結構あります。平日月曜の午後5時前。このビルが面している銀座中央通りは、コロナ禍からかなりの回復ぶりをみせ、それなりの人通りはありましたけどね。
調べてみると、すでに半世紀以上が経過しているようです。銀座一帯は、相変わらずかなりのビルが閉まっていたり、解体され新築工事中。こちらのビルもそろそろ、使命を終えた感じなのかもしれません。それにしても、こんな地価の高い場所で空きスペースとは。どこかもったいない気がします。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2022年12月23日
総合評価:3.0
源頼朝挙兵の際、北条氏と並んで中心的な役割を果たした三浦義澄の墓所が横須賀市にあります。三浦市の居城があった衣笠城からそう遠くない場所で、近くには父親の義明の墓がある満昌寺があります。残念ながら、お寺や集団墓地などがあるわけではなく、民家の裏手に墓があり、通路から入れるようになっていました。いつごろからあるのか、若干不明ですが、よく残ったなあという感じです。山裾に作られていますが、鎌倉時代のこの地域での墓作りを想像させてくれます。今は静かな住宅街だけど、どんな光景だったんでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年12月23日
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投稿日 2022年12月23日
総合評価:3.0
神奈川県の三浦半島一帯には、北条氏と並び、鎌倉幕府の主要な存在だった三浦氏ゆかりのお寺などがあります。その一つが源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した満昌寺です。三浦義明は頼朝挙兵の際に頼朝側についた武士。横須賀市の衣笠城に立てこもり平家方に討たれました。その孫が大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目を集めた三浦義村でした。お寺の本堂はそれほど古いものではないようです。見どころは本堂背後の御霊神社にある国の重要文化財「三浦大介義明坐像」。こちらは予約が必要です。その裏には三浦義明の廟所といわれる廟所がありました。鎌倉時代末期の五輪塔、宝篋印塔、板碑があります。
- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年12月22日
総合評価:3.0
彼岸花が有名な伊勢原市の日向薬師から少し登っていくと、日向川沿いにあまり規模が大きくない割には三重の塔があるお寺がありました。江戸時代、「駆け込み寺」といい、殺人と放火以外の犯人はこの寺に逃げ込めば助けられたという浄発願寺でした。開山の天台宗の木食弾誓上人に徳川家康が帰依。膨大な土地が寄進され、威容を誇ったようです。明治に入り、寛永寺の末寺だったこともあって、明治政府との風当たりが強く、急速に勢力を失い、1938年には土砂災害で現在地に移転したとのこと。後になって、浮世絵師歌川国経の供養塔があることを知りました。
- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年12月22日
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:3.0
東京駅からばんばん成田行きのバスが出ているせいか名前をあまり聞かなくなったTCAtキャット近くにあるエスペリアイン日本橋箱崎に1泊しました。新しいホテルとは知っていましたが、全般的に綺麗でこぢんまりした造りでした。フロントでカードキーをもらい部屋に入ると、やはりというか、ベッドでギリギリ。壁沿いのテーブル前に座るのはかなり窮屈でした。
ただし、こちらで優れているのは、バス、トイレが別になっていること。バスタブもまずまずの大きさと深さがあり、洗い場も広め。このクラスのホテルでもできることだから、大手の中高級ホテルも見習ってほしいです。もっとも、極端に小さい冷蔵庫など犠牲になっているところもありますけどね。最寄りは水天宮前駅ですが人形町駅でもあまり遠く感じませんでした。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 10,000円未満
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:3.0
壬申の乱(672年)で敗れ、逃れた地で崩じた大友皇子の墓があるという石雲寺。最終的にはこのお寺に供養塔があることが分かったのですが、当初、道路沿いの案内に従って、雑草だらけの歩きにくい山道を通って、大友皇子の陵墓を探したのです。たどり着くと寂しい供養党風のもの。そちらがレプリカだったのです。天皇家の墓がこんな場所?という疑問は残るけど。で、創建は718年、大友皇子の菩提を弔って。室町時代には曹洞宗のお寺として再建されたようです。山奥の小さな寺だけど、壬申の乱なんて言葉が出てきたら、びっくりですよね。
- 旅行時期
- 2022年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年11月23日
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投稿日 2022年11月22日
総合評価:3.0
NHK大河鎌倉殿の13人で、主役の北条義時の盟友として描かれる三浦義村。その墓が三浦市の金田漁港近くのちょっとした高台にありました。金田漁港は朝市で結構、にぎわう場所ですが、道路沿いに「三浦義村の墓」という掲示。でも、それを覆い隠すように市会議員殿のポスター。ちょっとひんしゅくものです。急な階段を上がっていくと、雑木林を切りいたような場所にお墓がありました。当時のものではなく、再建です。というのも、この場所には三浦義村が開基の福寿寺塔頭の南向院がありましたが、関東大震災で倒壊、墓も崖崩れで海中に落ちて壊れていたのです。朝市以外、それほどの観光地ではないところですが、墓の見物にぽつぽつと観光客が訪れているのは大河ドラマの効果でしょうねえ。ちなみに金田漁港にそれなりの大きさの駐車場があり、マイカーでもそれほど困らない感じです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年11月22日
総合評価:3.0
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で人気になった和田義盛ゆかりの寺がふだん、よく出かける横須賀市の秋谷にあると知り、早速出かけてきました。秋谷といえばビーチが有名だけど、お寺は少し山沿いに登ったところあり、数台ぐらい駐められる駐車場もありました。入り口の階段に和田義盛と書かれたのぼり旗が掲げられています。だけど、残念ながら境内にはそれ以外の説明はなく、地元のお寺という雰囲気でした。本堂も新しい感じです。
この寺は侍所別当の和田義盛が巴御前の菩提寺として1199年に建立。最初は海沿いにありましたが、1499年に現在の地に移転したとのこと。帰り際、駐車場入り口付近に説明書きが掲示されていましたが、駐車できる場所ではなく、写真を撮っただけでした。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年11月22日
総合評価:3.0
美味しいマグロが食べられる三浦市の三崎地区。ふだん、漁港近くのマグロ専門食堂や直売施設のうらりに出かけることが多いのですが、すぐそばの高台に鎌倉殿の13人でおなじみの和田義盛が建立したという光念寺がありました。この寺の注目は筌龍弁財天。源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、和田義盛もともに真鶴から安房へと船で落ち延びた際、流れてきた筌(うけ)という漁具に飢えを助けら、義盛はこの筌が後に龍となって昇天していく夢をみたことから、筌龍弁財天と名づけて、光念寺を創建して祀ったと伝えられているとか。入り口横に小さなお堂のあり、そちらが筌龍弁財天でした。お寺の本堂にも参りましたが、今風のお寺でした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年11月22日
総合評価:3.0
今まで行ってない紅葉狩り先を探していて、南足柄市の最乗寺を見つけました。標高が少し高めで平地に比べ紅葉も早めかなと思って出かけました。巨木が連なる杉林を通り、駐車場から境内に着くと、立派な書院、本堂がどーんと目の前に。中庭を取り囲むように伽藍が並び、なかなかの風情です。想像を超える立派さでした。1394年建立の曹洞宗のお寺で、深い杉林はいかにも天狗が出てきそうな雰囲気です。本堂の前を過ぎると、奥の院に向かう坂道がありました。かなりきつめの階段が連続。最期の階段は216段もありました。かなり厳しいルートですが、決して登れないことはない感じ。たどり着いて奥の院の裏手を見ると、階段ではない、山道が整備されており、帰りはそちらを通りました。
肝心の紅葉ですが、杉ばかりで雑木がないためか、色づきは見られず。境内に紅葉はあるけど、真っ赤に埋め尽くすというほどではありませんでした。紅葉の名所ってことじゃなさそうです。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)