2024/11/06 - 2024/11/06
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/11/06
この旅行記スケジュールを元に
リスボン3日目は美術館巡りの1日で、その最初は「グルベンキアン美術館/Museu Calouste Gulbenkian」です。アルメニア人の石油王カルースト・グルベンキアンが世界各国より個人で集めた6,000点ほどの美術品を所有している美術館で、グルベンキアンの死後の1969年にグルベンキアン財団によってオープンしました。彼のモットーは 「1番いいものだけ」だったと言うだけあり世界的に有名な美術品がたくさん収蔵されています。この美術館にも23年前に訪れていて、そのクオリティの高さはよく覚えていました。古代エジプトからローマ、イスラムの陶器とガラス器、中国陶磁器のコレクション、西洋絵画や彫刻の銘品など個人的に好きな分野が多いのも魅力的です。さらに特出すべきはルネ・ラリックのジュエリーのコレクションで、初めて見たときの衝撃はいまだに覚えています。2009年に東京の「国立新美術館、で「生誕150年 ルネ・ラリック ― 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」という展覧会があり、グルペルギアンからもいくつかの作品が貸し出されていました。その展覧会を観に行った妻のここでの再会を楽しみにしていました。あまりに好きなジャンルばかりなので、1つ目の旅行記は古代エジプト、ギリシャ、ローマ、ペルシャの陶器とガラス器と中国陶磁器とし、2つ目の旅行記は西洋絵画と彫刻、3つ目でラリックのジュエリーについて書き留めておこうと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
14世紀の象牙製祭壇画は主にキリスト教礼拝のための「小さな持ち運び式祭壇」や「折りたたみ祭壇」として作られました。素材の白くなめらかな質感が聖なる世界を表すものとして重視されました
グルベンキアン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「聖母戴冠と磔刑を描いた二連祭壇画」1365年から1380年
主な制作地はフランス(特にパリ)やドイツなど西ヨーロッパで、貴族や聖職者が個人の祈りの場で用いたり、教会の小さな礼拝堂に据えられました。 -
「聖母戴冠と磔刑を描いた二連祭壇画」1365年から1380年
祭壇画の形は二連のディプティク(三連のトリプティク)などが多く、開くと中央に聖母子像やキリスト伝、受胎告知などの場面が細密に彫られています。 -
「キリストの生涯と受難を描いた二連祭壇画」1350年から1371年
象牙祭壇画の多くは浅い浮き彫りで、柔らかい衣のひだや穏やかな表情が特徴です。
ゴシック彫刻の流行に合わせて細身で優雅な聖母子像や、複数の場面をパネル状に区切った構成が好まれました。 -
「キリストの生涯と受難の場面を描いた二連祭壇画」1300年から1320年
右下の泉保マリアがイエスに乳を与える場面の養父ヨセフのチラ見が何とも言えませんでした。 -
「キリストの磔刑と受難を描いた聖櫃」1300年から1310年
ケルンで造られた聖櫃です。造られた時代や地域によって造りが違うのが面白いです。 -
「聖カタリナの胸像」1435年頃
ロジャー・ファン・デル・ウェイデン
カタリナは両親に向かって名声、富、容姿と知性で自分を超える男でなければ結婚しないと宣言しました。カタリナの母は秘密裏にキリスト教に改宗しており、娘を隠者の元へ送り出します。その隠者はカタリナに「その方(キリスト)の美は太陽の輝きよりも勝り、知性は万物を治める。富は世界の隅々にまで広がっている」と説きます。幻視をした彼女は洗礼を受け、キリスト教徒となりました。彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによってキリストと婚約させられたという「神秘の結婚」で知られています。 -
「聖ヨセフの胸像」1435年頃
ロジャー・ファン・デル・ウェイデン
新約聖書に登場するマリアの夫でイエスの養父で、職業は大工であったとされます。いつも老人の姿でえがかれる気の毒な人です。ウェイデンはベルギーのワロン地方で生まれた画家です。フランドルの絵画をメインに求め、ベルギーとオランダの美術館を巡ったら3週間かかってしまった旅があります。それでも「クレラー・ミュラー美術館」にたどり着けず、数年後に再訪することになりました。 -
「キリストの洗礼」1490年
フランチェスコ・フランチャ
ボローニャ出身の画家で金細工師、メダル意匠家で市の貨幣鋳造所の所長でもありました。 -
「若い女性の肖像」1490年
ドメニコ・ギルランダイオ
ギルランダイオは若き日のミケランジェロが最初に師事した画家としても知られています。 -
「聖なる会話、またはエジプトへの逃避途中の休憩」1496年
チーマ・ダ・コネリアーノ
ヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニの最も有能な後継者の1人で、アントネロ・ダ・メッシーナの影響も受けており、美しい風景と洗練されたディテール、彫刻のような人物、静謐で瞑想的な雰囲気を特徴としていmasu. -
「サラ・アンドリースド・へシックスの肖像」1626年
フランス・ハルス
オランダ絵画の黄金時代を代表する画家の1人で、レンブラントよりやや年長ながらほぼ同時代に活躍しています。笑っている人物画を多く描いたことから笑いの画家とも呼ばれています。代表作の「陽気な酒飲み」「微笑む騎士」などが頭に浮かんできます。 -
フランス・ハルスの描く女性の肖像画の肌の透明感や年月を経た肌の皺、特に手の甲の皺などの質感は写真では表しきれないモデルの人生まで描き切っているように思えます。久し振りにフランドル絵画を見る機会を得て、その当時は酔狂と思われたベルギーとオランダの美術館を巡った旅をしておいて良かったと思います。
ベルギーとオランダの旅:https://4travel.jp/travelogue_group/19859 -
「男性の肖像」1620年
アントン・ヴァン・ダイク
バロック期のフランドル出身の画家で、イングランドの上流階級を描いた肖像画でよく知られています。肖像画以外にも歴史画、宗教画、神話画などにも優れた才能を見せています。 -
ヴァン・ダイクは1627年にイタリアから帰国し、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍しました。イングランドは美術の面では長らく不毛の地であり、生粋のイングランド人による絵画の展開は18世紀のホガースの登場を待たねばなりませんでした。それ以前のイングランド絵画史はホルバイン、ヴァン・ダイクなどの外国人画家が席巻しており、ヴァン・ダイクの華麗な肖像画はその死後150年以上にわたってイングランド絵画に大きな影響を与え続けました。
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「杖を持った老人」1645年
レンブラント・ファン・レイン
大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意としたバロック絵画を代表する画家の1人でした。「光の画家」「光の魔術師」の異名を持ち、油彩だけでなくエッチングや複合技法による銅版画やデッサンでも多くの作品を残しました。 -
若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活における度重なる不幸と浪費癖による金銭的苦難に喘ぎましたが、生前に高い評価を受けオランダには比類すべき画家がいないとさえ考えられていました。妻とアムステルダムの「レンブラントの家」にも行ったことが思い出されます。
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「パリス・アテナ」1657年
レンブラント・ファン・レイン
アテナは全身に黒い甲冑をまとい、頭に赤い羽毛で飾られたギリシャ風の兜を被っています。兜からは長い巻き毛が肩に落ち、首には赤いマントを巻き、左手に大きな丸盾、手袋をはめた右手に槍を持っています。 -
レンブラントは女神アテナを描いていることを示すため、アテナに特徴的なアトリビュートを与えています。丸盾には怪物メドゥーサの首を備えていることからアテナの持ち物である神盾アイギスと分かります。また兜の上にはアテナの象徴であるフクロウの像が飾られています。ロシア皇帝エカチェリーナ2世に売却されたこの絵画はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に移され、1930年にソ連の産業貿易省を通じてこの作品を入手しました。
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「エジプトへの逃避」1630年
ピーテル・パウル・ルーベンス
題材は東方の三博士の訪問の後すぐに養父ヨセフの夢に天使が現れ、付近で生まれた全ての幼児をヘロデ大王が殺害しようとしているのでマリアと幼いイエスを連れてエジプトへ逃げるように告げ、ヨセフはそれに従った場面です。 -
ルーベンスはアントワープで大規模な工房を経営し、作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていました。また画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者で美術品収集家でもあり、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けています。
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「ケンタウロスの恋」1635年
ピーテル・パウル・ルーベンス
ルーベンスの家は現在もアントワープにあり、現在は博物館として公開しています。
ルーベンスの家:https://4travel.jp/travelogue/11025220 -
元々はフレミッシュ・ルネサンス様式の家でしたが数年の歳月をかけてイタリア風の家に改築されました。中庭とフランドル・イタリアルネサンス様式の外庭の間にあるバロック様式の柱廊のデザインはルーベンス自身が手がけました。ルーベンスはこの家を住居兼アトリエとして使用し、1640年5月に亡くなるまでのおよそ29年間この家に家族とともに住んでいました。
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「エレーヌ・フールマンの肖像」1630年
ピーテル・パウル・ルーベンス
最初の妻イザベラが死去した4年後の1630年に当時53歳だったルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと再婚しました。エレーヌをモデルとした肉感的な女性像を「ヴィーナスの饗宴」「三美神」「パリスの審判」など、以降のルーベンスの作品に多く見ることができます。 -
ルーベンスの晩年の作品は官能性と活力に満ちていますが、それは若いエレーヌと結婚した影響であると言われています。エレーヌ・フールマンはその美しさを讃えられましたが、とりわけスペイン領ネーデルラント総督は彼女を「間違いなくここで最も美しい女性」と述べ、ルーベンスの友人である詩人ヤン・ガスパール・ゲヴァルティウスは「トロイアのヘレネをはるかに凌ぐ、アントウェルペンのヘレネ」と賞賛したといいます。
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「孔雀と狩猟の獲物」1708年
ヤン・バプティスト・ウィニックス
若いころにオランダで修行したあとイタリアに渡り、ローマ周辺で活動しました。
ここで古代遺跡やローマ風景に触れたことが後の「廃墟と風景、動物を組み合わせた作品」のスタイルにつながったとされています。 -
孔雀は生を謳歌するような姿で描かれ、白鳥は無残にも逆さまに足を吊られた姿で描かれています。中世ヨーロッパでは白鳥は庶民ではなく王侯貴族や大富豪だけが口にできるきわめて特別なごちそうでした。ヨーロッパ中世では孔雀は豪華な宴会料理として使われた記録があり、羽を飾り直した孔雀料理が「権力の象徴」「非日常の料理」として語られています。この孔雀も幸せではないようです。
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「キューピッドと三美神」1738年
フランソワ・ブーシェ
ブーシェはロココを代表する画家で、上流社会の肖像画や神話画などを描きました。多作家として知られ、生涯に千枚以上の絵画、百枚以上の版画、約一万枚の素描を制作し、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台装飾の仕事をこなしました。 -
キューピッドがいることから「パリスの審判」に登場する美しさを競うヘラ、アテナ、アプロディーテの3人のようです。それぞれ権勢、知恵、美貌を象徴し、キューピッドはアフロディーテの子供とされます。
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彫刻やタペストリーにも素晴らしい物か数多くありますが、全部見ていたらこの日の予定はこなせなくなるので素通りするだけとしました。妻はすでにどこかへ行ってしまっています。
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「信仰」1465年から1470年
アンドレア・デッラ・ロッビア
ルネサンス期イタリアのセラミックスの彫刻家で、当時の釉薬を使う美術家の中でも最も有名な人物です。彼の作品を初めて見たフィレンツェの「捨て子養育院」のための幼児のメダリオンと屋内エントランスの上にある「受胎告知」には感銘を受けました。息子のジョバンニ・デッラ・ロッビアの「受胎告知」は真っ白な作品で、ロンドンのV&A博物館で感動しました。 -
円形の浮彫り(メダイヨン)の周りにはオレンジ、レモン、ブドウ、アーティチョークで埋められています。彩色の美しさと透明の釉薬の美しさが際立った作品です。
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「物乞いにマントを分け与える聖マルティヌス」1531年
作者は不明で、パリ郊外のロワール渓谷の石灰岩が使われています。若き聖マルティヌスはフランスのローマ兵士でした。ある凍えるほど寒い日に彼は物乞いに出会いました。マルティヌスは軍用マントを半分に切り、物乞いと分け合いました。その夜にマントの半分をまとったキリストが幻に現れ、若い兵士の親切と慈愛を称賛しました。 -
殉教をせずに列聖された初めての人物で、 ヨーロッパ初の聖人でもあります。マルティヌスが持っていたほうの半分は、「聖マルティヌスのマント」として、フランク王国の歴代国王の礼拝堂に保管されました。フランクの王朝「カペー朝」という名は、マントを意味する「cape」にちなんでいます。
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「サテュロスとバッカンテ」1834年
ジャン=ジャック・プラディエ
プラディエの育った時代のスイスはフランス革命の後1798年にフランス共和国軍の侵略を受け、1803年までヘルヴェティア共和国が作られていました。時計職人の徒弟として働いていましたが、美術の才能のある奨学生に兄とともに選ばれ、1807年に兄のいるパリに移り、彫刻家、フランソワ=フレデリック・ルモの工房で修行しました。 -
サテュロスはギリシャ神話に登場する半人半獣の精霊で、上半身は人間、下半身はヤギという姿で描かれることが多く、森や自然、そして酒や享楽と結びついた存在とされています。バッカンテはローマ神話の酒神バッカスに仕える女信者たちの呼び名で、ギリシャ神話で言えばディオニュソスに仕えるマイナスやバッカイと同じイメージで、酩酊や熱狂的な祭りや音楽と踊りの場面で登場します。サテュロスたちと一緒に酒神の一行としても描かれます。
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「狂気の愛」1872年
ジャン・バティスト・カルポー
カルポーは1844年にエコール・デ・ボザールに入学し、1854年にローマ賞を受賞し、インスピレーションを求めてローマに移り、ミケランジェロ、ドナテッロ、ヴェロッキオの作品を研究しました。 -
この作品は元々パリの「オペラガルニエ」の正面を飾るために製作された群像彫刻「ダンス」の一部でした。カルポーは経済的な負担を補うためにこのキューピッドを独立した彫刻として造り直しました。幼いプット「愛」が手にした小さい人形「狂気」を振りかざし、愛が持つ奔放さや危うさを表現しています。
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「洋梨型水注」
清乾隆年代の青磁とフランスのブロンズを融合させた作品です。18世紀ロココ様式のブロンズ(オルモル)を中国のセラドンに融合させるスタイルは18世紀半ばに流行しました。ドラゴンやグリフィンなどのモチーフが流動的で優美な曲線で表現されています。 -
「ディアナ」1780年
ジャン・アントワーヌ・ウードン
ウードンはヴェルサイユに生まれ、1761年にローマ賞を受賞してローマに行きますが、古代ローマやルネサンス美術の影響はまったく受けなかったようです。 -
ディアナはローマ神話に登場する狩猟と貞節と月の女神で、ユピテルとラートナの娘で、アポロンの妹とする説があります。銀の弓を手にするのが特徴で、牡鹿と一緒に表現することが多いですがここにはその姿はありません。
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「ウェスタの巫女トゥッチアのヘルマ像」1818
アントニオ・カノーヴァ
ヘルマ像とは元々は台座の上に置かれた男性の頭部で、街道沿いの距離を示す道標として用いられました17世紀にはこの形態が庭園彫刻に広く用いられるようになります。カノーヴァは単に古典の形態の再利用にとどまらず新たな要素を付け加えました。男性の頭部を女性に置き換え、支柱を取り除き、全体を繊細に彫刻されたマントで覆いました。 -
これが本来のヘルマ像です。これはトルコのアンタルヤの「アンタルヤ考古学博物館」に展示されているものです。
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「キルブーフ、セーヌ川の河口」1833年
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー
セーヌ川河口の村キルブーフとこの地特有の巨大な潮の波マスカレの驚異的な動きを描写しています。 -
ターナーは好んで黄色だったようで現存している彼の絵具箱では色の大半が黄色系統の色で占められているそうです。逆に嫌いな色は緑色で、緑を極力使わないよう苦心しました。ターナーは知人に対して「木を描かずに済めばありがたい」と語っています。また別の知人からヤシの木を黄色く描いているところを注意された時には、激しく動揺したそうです。
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「輸送船の難破」1810年
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー
激しい嵐の中で荒れ狂う波に翻弄され、沈没する輸送船と、そこから逃れようとする人々を描いています。 -
ターナーは「崇高」という概念を追求し、自然の圧倒的な力と人間の無力さをダイナミックな筆致と光の表現で描きました。
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「オランダの風車」1871年
シャルル・フランソワ・ドービニー
自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、セーヌ川やオワーズ川に浮かべて舟の上から制作することもあったそうで、このアトリエ舟での制作手法は後にモネに受け継がれました。妻と旅したキンデルダイクでこんな風景の中をボートで巡ったことが思い出されます。 -
「フローラ」1873年
ジャン・バティスト・カルボー
建築家ルフエルの依頼でルーブル宮殿のフローラ館のために制作されたフローラの勝利をテーマにした高浮彫りに触発され、「春」と名付けた像を制作します。新しい「フローラ」はしゃがみ込み、髪を花で飾り、唇を微笑ませています。 -
「キューピッドとプシュケ」1894年
オーギュスト・ロダン
「キューピッドとプシュケ」はローマ時代の作家アプレイウスの小説「黄金のロバ」の中に出てくる有名な恋物語です。キューピッドは愛の神、プシュケは人間の王女で、その名は「魂」や「心」を意味します。プシュケはあまりに美しく、人々は愛と美の女神ヴィーナスではなく、彼女を崇拝するようになってしまいます。それに嫉妬したヴィーナスは、息子キューピッドに「プシュケを醜い怪物に恋させよ」と命じます。ところがプシュケを見たキューピッド自身が彼女に恋をしてしまい、命令を果たせなくなります。 -
神託に従いプシュケは岩山に連れて行かれますが、風の神に運ばれて不思議に豪華な宮殿で暮らし始めます。そこへ毎晩やって来る「姿を見せてくれない夫」が実はキューピッドです。姉たちに「相手は怪物に違いない」と吹き込まれたプシュケはある夜油ランプの灯りで夫の寝顔をのぞき込み、そこで初めて美しい愛の神キューピッドだと知ります。しかしその油が彼の肩に落ちて目を覚まさせてしまい、約束を破られたキューピッドは去ってしまいます。キューピッドを探すプシュケはヴィーナスのもとへ行き、無理難題の試練をいくつも課されます。最後に冥界から持ち帰った箱を開けてしまいプシュケは深い眠りに落ちますが、キューピッドが駆けつけて彼女を助け、大神ユピテルに嘆願し、プシュケを女神にして2人の結婚を認め永遠に結ばれます。
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「ドガの自画像」1863年
エドガー・ドガ -
「姉と弟」1890年
オーギュスト・ロダン
裸の少年が姉の膝の上に座り、彼女の首に腕を回して抱き着いている様子を描いています。これはロダンが「地獄の門」の製作に取り組んでいることの作品です。1890年頃ロダンは彫刻家のカミーユ・クローデルと深い関係にあり、その時期の作品には豊かな生命力や内面の感情が表現されています。 -
「永遠の青春」1884年
オーギュスト・ロダン
パリとロワール渓谷とモン・サン・ミッシェルというベタな行程を3週間かけてゆっくり旅した際はパリの小さな美術館へも足を延ばせました。「モロー美術館」と共に臣でに残るのが「ロダン美術館」でした。
ロダン美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624624 -
「アンリ・ミッシェル・レヴィの肖像」1878年
エドガー・ドガ
この作品はグルペルギアンのコレクションの中でも謎めいた作品の1つです。複雑な構図は数々の疑問を投げかけ、多様な解釈が示唆されました。第4回印象派展では「アトリエの画家」というタイトルで出品されました。 -
「カミーユ・モネの肖像」1874年
ピエール・オーギュスト・ルノワール
この肖像画はルノワールがアルジャントゥイユの喪ね一家を頻繁に訪れていた時期に描かれました。カミーユの姿は印象派の巨匠たちの作品に頻繁に登場します。 -
ルノワールは印象派的な手法を使い、室内風景でありながら戸外での絵画を思わせる雰囲気を与えています。画面全体に広がる光の拡散は全体的な新鮮さを生み出すのに役立っています。構図の大部分が曖昧に溶け込んで、実体感を失わせているようです。
-
「メロンのある静物画」1872年
クロード・モネ
この絵画が描かれたのはモネが有名な「印象、日の出」を描いたのと同じ年です。構図は古典的な伝統の中でこのジャンルに取り組んだファンタン・ラトゥールに影響を受けた可能性があります。 -
「印象、日の出」はパリへ行った際に「マルモッタン美術館」で現物を見て感銘を受け、このポルトガルの旅の翌年にはクルーズ船でル・アーブルに入港する際にその日の出を実体験しました。
-
「ヴィクトル・ユーゴーの胸像」1888年
オーギュスト・ロダン
ロダンは幼いころからユーゴ―の「ノートルダムのせむし男」や「レ・ミゼラブル」の作品を熱心に読んでいましたが、ユーゴ―本人と会ったのは胸像の制作の許可を得た1883年の事でした。 -
「サクランボを持つ少年」1858年
エドゥアール・マネ
肖像画に描かれた少年の方峰な陽気さの裏には彼の悲劇的な運命が隠されています。マネの絵筆を洗い、時折モデルを務めていたアレクサンドルは15歳の時にマネのアトリエで自殺します。この出来事はシャルル・ボードレールにも影響を与え、彼はマネに捧げた短編小説「ラ・コルド」を執筆しました。 -
「ヴィーナスの入浴」1888年
サー・エドワード・バーン・ジョーンズ
ラファエル前派と密接な関係を持つデザイナーで、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げました。同時に自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げました。 -
若い頃はあまりラファエル前派が好きではなかったのですが、ロンドンの「テート・ブリテン」でラファエル前派の数々の作品を見てからは好きになりました。最後はルネ・ラリックのジュエリーのコーナへ移ります。
グルベンキアン庭園 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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旅行記グループ 2024ポルトガルの旅(1)
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