2024/11/04 - 2024/11/04
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kojikojiさん
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「サンタ・ルジア展望台/Miradouro de Santa Luzia」からラルゴ・ド・モリエイロ通りを下って「リスボン大聖堂/Sé de Lisboa」に向かいます。途中にあった「チコラソン/Chicoração - Boutique da Sé」というポルトガルのウールのお店に入りました。ウールのブランケットや伝統的なジャケットなどが素敵だったのですが、妻には重たかったようで何も買えず仕舞いです。「リスボン大聖堂」はリスボンカードで無料だと思っていたら2人で8ユーロと事前に調べておいたのと各所で差異があります。先程はスリに遭うというアクシデントもあったのでこれからの長い旅の無事を祈りましたがご利益はありませんでした。もっともキリスト教やユダヤ教やイスラム教などアブラハムを通じ共通の起源を持つこれらの宗教を信じていた人がどれだけ亡くなり続けるのかを見ていると救済は無い方が良いのかもしれません。大聖堂からはすぐ近くの「サント・アントニオ・デ・リシュボア教会/Igreja de Santo António de Lisboa」にも立ち寄りました。そのまま坂道を下り、バイシャ地区(Baixa de Lisboa)を再び歩いて「サンタ・ジュスタのリフト/Elevador de Santa Justa」に向かいます。夕食はこの辺りで食べようと思っていましたが、あまり食欲も無いのでコーラやビールなどを買ってホテルでカップヌードルで軽く済ませることにします。下町だけあってミニスーパーもたくさんあるので事足ります。エレベーターは人気があるのでかなり並んでいましたが、昇ったところにある「カルモ修道院/Museu Arqueológico do Carmo」にも行く予定でいます。1回乗るだけで6ユーロという値段ですが維持管理を考えれば仕方ないのかもしれません。リスボンカードがあれば無料で乗ることが出来るので、逆に乗らないとならないという気持ちが起こってきます。廃墟のようになった「カルモ修道院」では入場料が10ユーロで、チケット売り場では「あと40分くらいで閉館ですよ。」といわれます。残っているファサードから中に入ると天井の抜けた空間が広がり、残ったアーチから往時の修道院の素晴らしさが感じられます。ちょうど日が沈んだブルーモーメントの時間帯で、ライトアップされたアーチが浮かび上がり幻想的な雰囲気です。タルコフスキーの映画「ノスタルジア」のエンディングのサン・ガルガーノ修道院を思い出しました。一番奥のアプス (apse)の部分は残されており、その部分が博物館になっていました。リスボン1日目はようやく終わり、ホテルに戻って一息つきます。明け方に一度起きて、日本時間に合わせてカード会社に電話を入れ、限度額を上げてもらい5日間のカード利用の心配は無くなりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
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大聖堂の近くの「チコラソン/Chicoração」というポルトガルのウールのお店に入りました。ウールのブランケットや伝統的なジャケットなどが素敵だったのですが、妻には重たかったようで、店の女性には「4週間後に戻ったらまた来ます。」と言いましたが、その時はトランクが4つになっていてもう物を買える状態ではなくなっていました。
リスボン大聖堂 寺院・教会
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リスボンの市電でも28番はマルティン・モニス広場からプラゼレス墓地を結んでいて、地元の方の交通手段として利用されています。リスボン市内の主要な観光名所をカバーし、車両も昔ながらの物をそのまま使用しているため旅行者に人気のラインです。
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「リスボン大聖堂/Sé de Lisboa」に着きました。リスボンカードで無料だと思っていましたが1人4ユーロだということでした。事前に調べてあったのといろいろ違いがあり混乱します。
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リスボンは4世紀から司教座が置かれていましたが、西ゴート王国が滅ぼされると町はムーア人に征服され、8世紀から12世紀までイスラム教徒支配におかれます。1147年に騎馬像でも見てきたアフォンソ・エンリケス、のちの初代ポルトガル王アフォンソ1世に率いられたポルトゥカーレ伯軍と第2回十字軍参加のためリスボン港に停泊していた北ヨーロッパからの騎士たちによりリスボンは再征服されました。
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最初の建物は1147年から1310年代までに完成した後期ロマネスク様式のもので、その時にポルトガル南部からリスボンの守護聖人聖ヴィセンテ・デ・サラゴサの聖遺物がもたらされました。13世紀後半にディニス1世がゴシック様式の回廊を建て、アフォンソ4世が自分と家族のために主礼拝堂をゴシック様式のパンテオンに改造しました。
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最初の建築からリスボン大聖堂はバラ窓を備えた堂々たる主出入口である西ファサードと北側出入口と大聖堂本堂が保存されてきました。出入口はロマネスク様式の円柱建築が施されてい、本堂はかまぼこ型の天井に覆われ、その上部にトリフォリウムと呼ばれる側廊上部のアーチと高窓の間があります。西ファサードのバラ窓から光が降り注ぐ姿はとても美しいです。
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一応厄除けではありませんが、トラブルがこれで終わり無事に帰国できるように祈りを捧げましたが全く役に立ちませんでした。もっともキリスト教やユダヤ教やイスラム教などアブラハムを通じ共通の起源を持つ宗教を信じていた人がどれだけ亡くなり続けるのかを見ていると美術と建築と音楽に興味はとどめた方が良いと思います。
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アフォンソ4世とジョアン1世の治世の間にゴシック様式で建てられた回廊と輝く礼拝堂は聖ヴィンセントの聖遺物の献身を中心とした巡礼教会へと大聖堂を変貌させました。
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その廊下は尖ったヴォールトで覆われており、9つの礼拝堂「聖霊」「フランサの聖母」「聖アンナ」「聖マリア・マジョール」「聖イルデフォンセ」「聖コスマスと聖ダミアン」「敬虔の聖母」「聖セバスチャン」「聖ヴィンセント」が並んでいます。
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「聖コスマスと聖ダミアン礼拝堂」です。ここには2つ石棺が安置されています。
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アフォンソ4世に仕えた貴族ロポ・フェルナンデス・パチェコの棺は剣を手に持ち、足元には愛犬が座っています。ポルトガルを旅していると各地の教会で美しく彫刻された石棺を見る機会が多いです。
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ロポ・フェルナンデス・パチェコの妻のマリア・デ・ビラロボスの棺です。時祷書(礼拝や祈りの手引書)を読んで、やはり足元には小さな犬が寝転んでいます。
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バラ窓の下のテラスに出ることが出来て28番のトラムに乗り込む観光客の姿が見えました。今回これにも乗りましたが、終点から乗って座りながら町を眺めるのが良かったです。
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妻と旅行するとほとんど傘を差すことはなく、今回の旅でもこの時くらいで、よっぽど運の無い日だったようです。
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この辺りから眺める「リスボン大聖堂」が一番美しい姿だと思います。
ラルゴ ダ セー通り 散歩・街歩き
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しばらく待って28番のトラムと一緒の写真も撮っておきます。
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すぐ近くの「サント・アントニオ・デ・リシュボア教会/Igreja de Santo António de Lisboa」にも立ち寄りました。パドヴァの聖アントニオに捧げられた教会として知られ、言い伝えによると教会はかつて聖アントニオが生まれた場所に建てられたということです。
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聖アントニオはフェルナンド・デ・ブルホエスという名前で、1195年に富裕な一家の子として生まれ、フェルナンドが生まれて家族がかつて住んでいたこの場所は15世紀に小さな礼拝堂となります。1730年にジョアン5世治下で教会は建て直されますが、1755年のリスボン地震で教会の建物は破壊されて主礼拝堂のみが残り、建築家マテウス・ヴィセンテ・デ・オリヴェイラによるバロック=ロココ様式設計で1767年以降に再建されました。
サント アントニオ教会 寺院・教会
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1991年に初めてパドヴァへ行ったのはジョットの「スクロヴェーニ礼拝堂」を観に行くためでした。その後に立ち寄った「サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂」で聖アントニオについて学びました。その当時は子供の頃に観た「ブラザー・サン シスター・ムーン」という映画から聖フランチェスコに興味があり、聖アントニオについても興味が広がりました。
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その「聖アントニオ聖堂」前の「サント広場」に設置されているドナテッロのヴェネツィア共和国に仕えた傭兵隊長エラスモ・ダ・ナルニを描いた「ガッタメラータ騎馬像」にも感動し、その後ドナテッロの沼にハマり、何十年とイタリアの沼にもハマったままです。
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23年前に沈んだポルトガルの沼からも這い出すことが出来ずに今回は妻を連れての長旅になりました。
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雨上がりのしっとりとした町の中を走る古いトラムは絵になります。路線によっては新しい車両が導入されていますが、これは快適な乗車が楽しめます。
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バイシャ地区(Baixa de Lisboa)を再び歩いて「サンタ・ジュスタのリフト/Elevador de Santa Justa」まで戻ってきました。下から上に昇るルートが人気のようで、長い列が出来ていました。
サンタ ジュスタのエレベーター アクティビティ・乗り物体験
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列に並んでいるのでいろいろなアングルから写真を撮ることが出来ました。
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たった数十秒のために30分ほど並んでようやく順番が来ました。
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エレベーターの籠の中は昔と変わらない木製の内装のままでした。
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インテリアはクラシックでもクレジットカードのタッチで乗ることも出来ます。
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あっという間に到着しました。上から下へ降りる人の姿はほとんどありませんでした。
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サンタ・ジュスタのリフトを設計したのはフランス系でポルト生まれのエンジニア、ラウル・メスニエル・デ・ポンサルドで、建設は1900年に始まり1902年に竣工しました。
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リフトは高さ45メートルあり、ポルトガルではこの建築様式の典型です。金属構造はジュングエイラにある会社で組み立てられ、どの階も異なるパターンのゴシック・リヴァイヴァル建築様式で装飾されています。最上階はらせん階段で上がれますが閉鎖されていました。
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2つのエレベーター・ブースがありどちらも内装は木製で1台におよそ24人が乗れます。
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エレベーターからは横に延びるブリッジがあり、橋を渡った先には「カルモ修道院/Museu Arqueológico do Carmo」が見えています。
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「カルモ修道院」は入場料が1人5ユーロでした。リスボンカードを持っていても無料にならないところも多いです。特にあまり有名ではないところは割引だったり、割引すらないところもあります。
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「カルモ考古学博物館」は1389年にヌーノ・アルヴァレス・ペレイラによって創建されたサンタ・マリア・ド・カルモ修道院の旧教会の遺跡にあります。建物は1755年のリスボン地震で甚大な被害を受け、宗教的・芸術的な所蔵品のほとんどが破壊されるまでリスボンで最も美しいゴシック様式の教会の1つでした。
カルモ教会 寺院・教会
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1756年に再建工事が始まりましたがポルトガルの修道会が廃止された1834年に工事は完全に中断され、身廊と翼廊は屋根のないまま、礼拝堂は未完成のまま残されました。西側と南側の入口、そして後陣など14世紀から15世紀にかけての建物のオリジナルの特徴の一部は保存されています。
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アプス (apse)と呼ばれる後陣は切り出したままの岩肌が印象的で、そのエリアが博物館になっています。
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「トーガを着た男性像」
ドウロ川の河口で発見された素朴な像です。トーガは古代ローマ人が着ていた服で、ポルトの街を流れるドウロ川の南岸ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区がローマ時代にカーレ港(ポルトゥス・カーレ)と呼ばれ、北岸のポルトとカーレが一緒になってポルトガルという国名の発祥となって行きます。 -
「アルフォンソ・エンリケス王と思われる胸像」
アルカソヴァの聖ミカエルの古い礼拝堂で発見されたものです。アフォンソ1世はポルトガル王国を建国したブルゴーニュ王朝の初代ポルトガル王で、「エンリケの子」を意味するアフォンソ・エンリケス(Afonso Henriques)の名前でも呼ばれます。 -
後陣は元々の建築的な形状から5つの部屋に分けられ、それぞれ「もっとも辺境に住んでいた人々に捧げられた有史前の展示物」「ポルトガルの古代ローマ時代からムーア人が支配した時代」「ヌーノ・アルバレス・べレイラの墓と重要な中世の彫刻」というテーマがありました。
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「フェルディナンド1世の石棺」
サンタレンの聖フランチェスコ修道院にあった14世紀の石棺です。第9代ポルトガル国王で、ポルトガル国王ペドロ1世と2度目の王妃コンスタンサ・マヌエルの子で「美男王」とも呼ばれました。この面にはポルトガルとマヌエル家の紋章が刻まれています。 -
側面にはアッシジの聖フランチェスコの生涯と奇跡が描かれています。ポルトガルはアフリカ沿岸からインド洋、東アジアへと航路を開き、各地に拠点を築きました。これと結びついてカトリック宣教も広がり、特にイエズス会とフランチェスコ会など托鉢修道会がアジアでの布教に関わるようになります。
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「フランチェスコ会(聖フランチェスコ)」と「聖フランシスコ・ザビエル(イエズス会)」が名前で混同されやすい点には注意が必要で、日本史でよく出てくるザビエルはイエズス会士です。
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「ゴンサロ・デ・ソウザ修道士の墓」
トマールのキリスト修道院にあった15世紀の石棺です。トマールには23年前にも1度行っていますが、今回はホテルに一泊してゆっくり訪ねるます。 -
「カルモの聖母子」
16世紀のリスボンのサンタ・マリア・ド・カルモ教会に納められていた聖母子像です。1年前にジュネーブのアンティークショップで美しい聖母子像を見つけて金額も聴いたのですが、あまりに高くて手が出なかったことを思い出します。 -
「オーストリアのマリア・アナ女王の墓」
聖ヨハネ・ネポムク修道院に収められた石棺を木製で再建されたものです。大理石の肌合いが良く再現されていてびっくりです。石棺の形はウィーンの「カプツィーナー納骨堂」を思い出させます。 -
神聖ローマ皇帝レオポルト1世と皇后エレオノーレ・マグダレーネの娘として生まれた。ポルトガルではマリア・アナ・デ・アウストリアと呼ばれます。1742年に卒中を起こし体の一部に麻痺が残った王の代わり国務を司り、1750年にジョアンが亡くなると王太子ジョゼに受け継ぎました。1754年の死後に遺体はリスボンに葬られますが、心臓はウィーンに運ばれて皇室の納骨堂に納められた。ハプスブルグ家おそるべしです。
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「キリストの受難」
15世紀のイングランドのノッティンガム工房で作られたアラバスターの彫刻は、ユダの接吻、キリストの捕縛、キリストの鞭打ち、キリストの埋葬、キリストの復活の場面が描かれています。 -
「聖ヌノ・アルヴァレス・ペレイラの像」
ペレイラは14世紀から15世紀にかけて活躍したポルトガルの将軍で、後に聖人になった人物です。ポルトガルの独立を守った英雄として知られ、この「カルモ教会」の設立にも関わりました。 -
「アルコバサのジョアン4世木像」
1580年以後のポルトガルはスペイン・ハプスブルク家の王の下でスペインと同君連合となましたが、スペインからの独立の気運が高まっていきます。革命の企てにジョアンは一度躊躇しますが妻ルイサ・デ・グスマンに「奉仕して一生を終わるより、統治して死ぬ方がましでしょう」と励まされて首謀者となり、ブラガンサ朝の初代ポルトガル王となると「再興王」と呼ばれました。 -
閉館間近の博物館にはもう人の姿はありません。この廃墟となった修道院を眺めるとイタリアの「サン・ガルガーノ修道院」を思い出しました。アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア(Nostalghia)」を思い出します。カンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス騎馬像での焼身自殺のシーンと共にエンディングの修道院跡のシーンも忘れられません。
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30年以上前にアエロフロートの機内で知り合ったフリーのジャーナリストの方がいて、その方からタルコフスキーやベルトリッチの映画についていろいろ教わったことがありました。ローマで一緒に食事をした後もずっと年賀状と旅先からの葉書の連絡は取り合っていました。当時で50代の方でしたが、この年の年賀状を最後に宛先不明で戻ってきてしまいました。まめに長文の葉書をくださる方だったので、亡くなったのではないかと思いますが知る術もありません。
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閉館と同時に「カルモ修道院」を出ました。この奥にあの廃墟の空間があるとは思えない立派なファサードです。
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ポルトガル史における2つの大きな出来事を記念する「カルモ広場」の遺跡はリスボンの大部分を壊滅させた1755年の大地震を今に伝えています。「カルモ修道院」の一部は共和国民警備隊の司令部となりました。ここは1974年のカーネーション革命で最も重要な事件の1つが起きた場所でした。1974年4月25日に48年間政権を握っていた首相マルチェロ・カエターノがこの本部に避難しました。広場には革命を率いた軍隊の一隊と何千人もの市民が集まりました。司令部は最終的にサルゲイロ・マイア大尉の指揮のもとで成功裏に制圧されました。
カルモ広場 広場・公園
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「サン・ロッケ教会」まで戻ってくるとホテルももうすぐです。本当は最初に来る予定の教会でしたが、最初のリスボン滞在中にはスケジュールが押してしまい来ることが出来ませんでした。
サン ロケ教会 寺院・教会
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教会近くの「ラルゴ・トリンダーデ・コエーリョ広場」にある「アントニオ・ヴィエイラ神父の像」は17世紀のポルトガルのイエズス会司祭であり、哲学者で作家でもあったヴィエイラ神父を称えるものです。彼は影響力のある説教とブラジルの先住民の権利擁護で知られています。
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ケーブルカーの運行時間は決まっているので、運転手が戻るまで横引きのシャッターで乗り口は閉まっています。いつも近くのカフェに向かっていく運転手の方の姿が思い出されます。
ケーブルカーグロリア線 その他の交通機関
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スリに遭った本人はいたって元気で、盗られたプラダのポーチを数カ月前にプレゼントしたこっちの方が凹んでいます。さらに明け方に起きて日本時間に合わせてクレジットカード会社に電話して限度額を上げてもらいました。こんなことで4週間旅が出来るのか心配になります。
ザ インディペンデント スイーツ&テラス ホテル
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2024ポルトガルの旅(1)
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