2024/11/07 - 2024/11/07
195位(同エリア203件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1858冊
- クチコミ1217件
- Q&A回答73件
- 3,677,259アクセス
- フォロワー174人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
「ロイオス教会/ Igreja dos Lóios」の後は並びにある「カダヴァル公爵邸/Palacio dos Duques de Cadaval」と「フレイ・マヌエル・ド・セナクロ美術館/Museu frei Manuel do Cenaculo」の見学をします。この辺りは見学者も少なく、入り口も分かりにくかったです。「フレイ・マヌエル・ド・セナクロ美術館」は1915年に設立され、宗教美術やローマの彫刻、アズレージョタイルやアレンテージョ地方の先史時代の遺物など豊富なコレクションを所蔵し、15世紀から16世紀のポルトガルの巨匠たちの絵画や中世の宗教彫刻コレクションは見ごたえがありました。今回の旅で行く先々で博物館や美術館に数多く行きましたが、どこも空いているのでじっくり見学が出来て良かったです。リスボンのほんの一部の観光地以外はオーバーツーリズムは感じられないほどでした。エヴォラは昼のワインも効いてエヴォラ大学などの見学は割愛しました。以前はよく見掛けた黒いマントを羽織った大学生の姿が無かったからかもしれません。代わりに近くにある「ポサーダ コンベント デ エヴォラ/Pousada Convento Évora」で休憩することにしました。今回の旅ではポルトガルではポサーダ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラではパラドールに宿泊するのもテーマの1つでした。ホテルはガラガラでスタッフの姿も見えないほどでしたが、我々が入るとバーのスタッフも出てきたのでビールを注文しました。おつまみまで出てきたのでちょっと高いのかと思いましたが、2人で8ユーロと信じられない安さでした。帰りの列車の時間もあるのでここで1時間ほどゆっくりしましたがその間にホテル内の写真も撮ることが出来ました。夕暮れの中を「エヴォラ駅」まで歩き、折り返しの列車でリスボンに戻りました。帰りも同じ「エントレカンポス駅」で降りて、スーパーでビールなどを仕入れてバスでホテルに戻りました。朝のバスでリスボンカードの期限の72時間が過ぎてしまったので駅でViva viagemの黄色いカードを買ってチャージしておき、バスとケーブルカーはこれで乗りました。ホテルに戻って買ってきたビールなどで軽く夕食を摂ってホテルに預ける荷物と明日からの2泊3日の旅用の荷物を分けると夜中になってしまいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
「カダヴァル公爵邸/Palacio dos Duques de Cadaval」の入り口が分かりにくくパティオの脇の階段を上がって城壁をぐるりと回って入場します。ここも入場料は1人4ユーロでした。
ロイオス教会 寺院・教会
-
カダヴァル公爵家はポルトガルで最も強力なブラガンサ家の分家であり、第4王朝が誕生した家系です。この宮殿は創設以来カサ・カダヴァルに属しており、マナーハウスとロイオス教会から成り、ムデハル、ゴシック、マヌエル様式の見事な融合を呈しています。
カダヴァル公爵邸 城・宮殿
-
「カダヴァル公爵家の紋章」
18世紀に造られた木彫に金箔を施したものです。 -
「カダヴァル公爵家の紋章の入った騎兵用の馬具」
これはリスボンの「装飾芸術美術館」で学んだ馬に掛けるものだと分かります。 -
驚いたのがこのイヴ・サンローランが1970年から毎年制作していた深淵の挨拶用の「LOVEポスター」です。
-
彼は親しい友人や顧客、家族に送るためにポスターやポストカードを作っていました。
-
何故これに魅かれたのかというと、モロッコのツアーに行った際にマラケシュで行った「マジョレル庭園(Jardin Majorelle)」を思い出したからです。
マジョレル庭園:https://4travel.jp/travelogue/11896644 -
「マジョレル庭園」は1966年に初めてモロッコに到着したイヴ・サンローランとパートナーのピエール・ベルジェはホテル開発業者の手による破壊から守るためにこの庭園を購入しました。
-
その庭園にはミュージアムショップがあり、底にはこの毎年のデザインの絵葉書が売っていてデザインの美しいものを10枚ほど選んで買ってきました。モロッコで買ったおしゃれな雑貨はすべてここで買ったと言ってもいいくらいです。
-
モザンピークのアーチストのゴンザロ・マブンダの作品です。内戦で使用された銃や弾薬などの武器を回収し、それらを買いたいと再構成して彫刻やマスクを制作しています。
-
ゴンサロ・マブンダによる「無垢なる王座」です。これも弾丸やかなり大きな薬きょうで構成されています。
-
「ブルキナファソの現代的な仮面」
ブルキナファソに住むブワ族かモシ族の「サン・マスク(太陽の仮面)」で、農業の豊作祈願や収穫祭で使われます。 -
「ブルキナファソの現代仮面」
自転車のハンドルが角のように伸びているのが面白いです。 -
サンローランのポスターにも驚きましたが、この版画にもびっくりです。これは乾隆51年の1786年に宮廷画家であった伊蘭泰(イランタイ)によって制作された「円明園西洋楼銅版画二十枚」のうちの10枚が展示されていました。
-
その中の1枚は円明園の長春園北側に建つ海晏堂を描いたものです。この北京にあった洋館は咸豊6年の1856年に勃発したアロー戦争(第2次アヘン戦争)に際して、北京までフランスとイギリス連合軍が侵入し、フランス軍が金目のものを全て略奪したのちにイギリス軍が「捕虜が虐待されたことに対する復讐」として徹底的に破壊し、円明園は廃墟となりました。
-
問題は噴水の周りに並ぶ「円明園十二生肖獣首銅像」で十二支の像はその後流転していきます。ジャッキー・チェンの映画「ライジング・ドラゴン」はこの像がキーとなってストーリーが進みます。
-
17世紀のポルトガルのバロック様式のテーブルです。ストレッチャーと呼ばれる横木の彫刻はこの時代のポルトガルやイギリスの家具に見られるジャコ日アン様式です。ねじられた脚はバーリーシュガーツイストと呼ばれるスタイルです。バロックという言葉もポルトガル語で、歪んだ真珠という意味でした。たくさんの蝶が描かれた一対の蓋つきの中国風の壺と壁面の虎の絵の組み合わせが面白いです。
-
美しい装飾が施された聖書台です。部屋のど真ん中に据えられて、ロープなども無いので触れる距離です。
-
この館にはほとんどキャプションも無いのでどのような美術品かは自分の知識が無いと楽しめません。バイクはアフリカ系のアート作品だと思いますが、それ以上は分からず、壁の絵画もこの館に関わる人物たちなのだと思いますが…。
-
「勝利の聖母」17世紀
幼子イエスを抱いたマリアが守護や平安、勝利の象徴として表現されます。マリアが伸ばす手の中には幼子イエスの像があったのかもしれません。 -
「ルイ・ヴィトン」
1821年から1892年に購入されたカダヴァル公爵家の旅行鞄です。 -
「フレイ・マヌエル・ド・セナクロ美術館/Museu frei Manuel do Cenaculo」の見学に移ります。こちらは1人6ユーロでした。
-
「アフォンソ司教の記念碑」
1540年頃のルネサンス様式のセノタフ(空墓)で、ニコラ・シャンテレーヌによって造られました。エヴォラ司教アフォンソ・デ・ポルトガル派ポルトガル王ジョアン1世の孫でした。 -
「聖母子像」
二コラウ・ド・シャンテリーヌによって造られた大理石の聖母子像で、エヴォラのソルテリャ伯爵宮殿にあったものです。 -
「エヴォラ市の紋章」
エヴォラのヴェロ・ペソ家にあった14世紀の石板です。子のレリーフはポルトガルの英雄であるジェラルド・セム・バヴォールの伝説(恐れしらずのジェラルド)に基づきます。1165年にポルトガル王アフォンソ1世の軍がトルヒーリョ、エヴォラ、カセレスを落とした際に先んじて奇襲で町を混乱させていました。手口は夜に梯子で市壁を侵入し、従者たちも市壁から町に入れると叫びながら市内を突進して出会う者全てを殺して回りました。エヴォラ奇襲には伝説があり、見回りをしていたモーロ人の女性を歌で気を引いて、油断して町の塔に上らせた所で女性と父親を殺して仲間を呼んで陥落させたといいます。 -
「受胎告知」
ルイ・ピレスの墓の大理石彫刻で、エヴォラに聖フランチェスコ教会にあった15世紀の素朴なゴシック彫刻です。大天使ガブリエルの顔が天使らしくないのと、トイレットペーパーみたいなスクロールにはガブリエルがマリアに告げたラテン語の言葉「Ave Maria, gratia plena(アヴェ・マリア、恵みに満ちた方)」が読み取れます。 -
「フェルナン・ゴンザルヴェス・コゴミニョの石棺」
フェルナン・ゴンサルヴェス・コゴミニョの墓は1364年に建てられました。これは大きな大理石の石棺で、側面には十二使徒の薄浮彫が施されており、その像は植物のモチーフで装飾された部分に埋め込まれ、二重のコルナーテで区切られています。 -
これは14世紀彫刻の最も優れた例の1つで、両端にはコゴミーニョ家の紋章とセケイロスの紋章、花の十字架が刻まれています。石棺の両面には16世紀に追加された文字が刻印されたフリーズがあり、家族とフェルナン・ゴンサルヴェス・コゴミーニョの役割に関する敬称の銘文が刻まれています。
-
蓋の上部の像は中世の騎士をしっかりと描き、長いローブにしっかりとしたバックルをつけ、装飾された戦剣ロ持ち、足元には忠誠を象徴するグレイハウンド犬の彫刻もあります。
-
「聖ドミニコ修道院の聖三位一体」
この場合の3つは「別々の3人の神」ではなく「位格が3つ、しかし本質は1つの神」という考え方です。日本語では通常「三位一体」や「聖三位一体」と呼ばれます。教会では祈りや礼拝の中で「父と子と聖霊のみ名によって」などと唱えることで、この三位一体の神を表しています。 -
「聖バルトロマイ」
聖バルトロマイは十二使徒の1人で活きたまま皮を剥がれて殉教したと言われます。そのためアトリビュートとしてはぎとられた自分の皮を手に持っていたりしますが、左手は欠損しています。足元には彼が調伏した悪魔が描かれています。 -
「聖カタリナ」
石灰岩に彫られて彩色された聖カタリナの像で16世紀に作られました。右手には彼女のアトリビュートである剣を持ち、左手の部分は欠損していますが車輪があったはずです。彼女は車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられましたが、カタリナが車輪に触れるとひとりでに壊れてしまったため、彼女は斬首刑にされた。 -
「ドン・ホセ・デ・メロの紋章」
大司教の紋章は描かれた大理石のプレートで、盾の上にガレロと呼ぶ大司教の帽子と左右にはタッセルが配されたデザインになっています。 -
「騒動」
アントニオ・テイシェイラ・ロペスはポルト美術アカデミーで学び、さらにパリのエコール・デ・ボザールで研鑽を積みました。1910年の「Bulha(騒動)」はシェイクスピアの作品中のセリフを想起させることを意図しているようです。 -
「ベルナルディン・リベイロ」
この彫刻は1891年にアントニオ・アルベルト・ヌネスによって造られました。ポルトガルのルネサンス期の詩人で作家のベルナルディン・リベイロは楽器を持って足を組んだ姿で描かれています。 -
「花の間の鳩」
ジョセファ・ガルシア・サエス・グレノ作品で、花とその中で巣篭る鳩の姿が描かれています。 -
「お針子たちの作業場」
スペインの画家マヌエル・ガルシア・ヒスパレートによって1878年頃に描かれました。 -
「風景」
ポルトのアントニオ・カルヴァ―リョ・デ・シルバが1884年に描いた作品で、タイトルの「Paisagem」とはポルトガル語で風景や風景を表す言葉ですが、ニュアンスとしては単に「見えるもの」だけでなく、そこにある空気感や雰囲気、見る人が感じる印象まで含んだ言葉です。 -
「マサマの噴水」
シルヴァ・ポルトに描かれた作品で、噴水の傍で男性が馬に水を飲ませ、水瓶を持つ女性が描かれています。 -
「泉から戻る」
アントニオ・コスタ・モタの作品で、泉まで水汲みに行った女性が水壺を頭の上に乗せて帰ってきた姿を描いています。頭の上に荷物を載せて運ぶ習慣は世界中に見られますが、その多くが女性の仕事のようです。 -
非常に美しい美術館ですが、ここも我々2人だけが見学しているだけで他に人の姿はありません。かなりマイナーな収蔵品も多いですが、最後には素晴らしい祭壇画を見ることが出来ます。
-
「ロザリオの聖母と聖ドミ二コ、シエナの聖カタリナ」
エヴォラのパラ磯修道院にあった17世紀のアズレージョタイルパネルです。聖ドミニコはドミニコ会の創設者で、カタリナはドミニコ会第三会の在俗修道女でした。 -
「エヴォラ大司教D・ジョゼ・デ・メロの紋章を描いたアズレージョタイル」
中央に紋章を配置して、その周囲は幾何学模様のアラベスクやアカンサス模様で埋め尽くされています。キリスト教徒イスラム教の融合を感じる作品です。 -
「アッシジの聖フランチェスコへの聖母マリアの出現」
18世紀のリスボンで造られたアズレージョタイルです。 -
-
「聖クリストフォロス」
1530年頃に描かれたポルトガルで活躍したフランドル派のカルロス兄弟の作品です。クリストフォロスは「キリストを背負うもの」という意味があり、もともとレプロブスという名前のローマ人でした。ある日、小さな男の子が川を渡りたいとレプロブスに言い、彼があまりに小さかったので引き受けたレプロブスでしたが、川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、レプロブスは倒れそうになりました。あまりの重さに男の子がただものでないことに気づいたレプロブスは名前をたずねました。男の子は自らがイエス・キリストであると明かしました。イエスは全世界の人々の罪を背負っているため重かったのです。川を渡りきったところでイエスはレプロブスを祝福し、今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストフォロス」と名乗るよう命じました。旅人の守護聖人でもあるので、手を合わせましたが、次の災難は翌日に迫っていました。 -
「キリスト降誕」
ポルトガルで活躍したフランドル派のカルロス修道士の工房の作品です。旧約聖書イザヤ書にある「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知る」という言葉がメシア到来の象徴として解釈され、素朴で力の弱いロバ、労働に使われる牛は「貧しさ」「へりくだり」「小さき者に寄り添うキリスト」の象徴として受け止められました。 -
「聖顔を運ぶ天使たち」
ポルトガルで活躍したフランドル派のカルロス修道士の工房の作品です。
聖顔とはキリスト教の特にカトリックで「イエス・キリストの顔が奇跡的に布などに写し取られた像」およびそれへの信心を指す言葉です。代表例はヴェロニカの布やトリノの聖骸布に由来する聖顔像で、受難を黙想する対象とされます。 -
ヴェロニカは十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身の身につけていたヴェールを差し出しました。キリストは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女へ返しました。するとヴェールにはキリストの顔が浮かび上がっていたといいます。
-
「聖ビンセントと聖セバスチャン」
1530年頃に描かれたポルトガルで活躍したフランドル派のカルロス兄弟の作品です。聖ビンセントはリスボンの守護聖人で、聖セバスチャンはディオクレティアヌスの親衛隊の長でしたが、キリスト教徒出ることから公邸に裏切り者とされ、全身を矢で射られることになります。「聖セバスチャン」というと三島由紀夫の性的アイデンティティについて考えてしまいます。 -
「聖バルトロマイと聖アントニウスの間の聖母子像」
アルバロ・ピレス・デ・エヴォラにより1430年頃に描かれました。上部には受胎告知の場面も描かれ、左に立つのが聖バルトロメで、右側が聖アントニウスです。画家は名前の通りエヴォラ出身ですが、イタリアのトスカーナで活躍し、ゴシックスタイルの影響絵御受けた繊細な装飾と金彩の背景が特徴的です。 -
「冬の風景」
ヘンドリック・アヴェルカンプによって1620年に描かれました。マヌエル・ド・セラクロ大司教のコレクションです。 -
オランダ派の画家の作品なので、氷上でスケートを楽しむ風景はフランドル地方のようです。大好きなピーテル・ブリューゲルの作品も思い出させます。
-
「錬金術師」
マヌエル・ド・セラクロ大司教のコレクションで、作者は不明ですがフランドル派の作品のようです。錬金術はヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展しました。万物は四元素から構成されていると考えたアリストテレスら古代ギリシアの哲学者の物質観は、中世アラビアの錬金術に多大な影響をもたらします。。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパで盛んに研究されるようになっていきます。 -
「レンブラントの肖像」
レンブラントの周辺の画家の手によるもののようです。フランドルの画家に傾注して3週間ほどかけてベルギーとオランダの美術館巡りは今となってはかけがえのない旅でした。 -
「男性の肖像」
オランダ派のアブラハム・デ・フリースが1631年に描いた作品です。マヌエル・ド・セラクロ大司教はポルトガルのフランシスコ会司教であり、エヴォラ大司教も務めました。 -
「版画のあるトロンプ・ルイユ」
作者不詳ですが、これもマヌエル・ド・セラクロ大司教のコレクションです。画中には版画、楽譜、アニュス・デイ、聖アントニウスのメダルが読み取れます。トロンプ・ルイユとはフランス語でだまし絵の事です。 -
「ヘラクレイトス、デモクリトス、ルーベンスの肖像」
17世紀フランドル派の作品でこれも大司教のコレクションです。泣く哲学者ヘラクレイトス、笑う哲学者はデモクリトスで、怒ったような顔の画家ピーテル・パウル・ルーベンスです。このような対照的な気質を持つ2人の哲学者を描くスタイルはバロック期の美術でよく見られます。 -
「農民の婚礼」
ピーテル・ブリューゲル(子)の作品です。こんなポルトガルの地で見るとは思いませんでした。フランドルの画家ピーテル・ブリューゲルが1568年頃に描いた絵画ですが、息子の時代に同じ構図の絵を何枚か描かれています。 -
婚宴の主役は花婿と花嫁ですが、ブリューゲルは、宴会の主役をはっきりとは描いていません。この作品ではテーブルの右手前で客のために給仕をしている男性が花婿であるとされ、当時は花嫁に限って被り物をしなかったため、正面の長い髪の女性が花嫁であるとされます。
-
「ピエタ」
18世紀に造られた木彫に彩色を施したものです。 -
ピエタとはイタリア語で慈悲や哀れみを表す言葉です。十字架から降ろされたイエス・キリストの遺体を膝の上に抱いた悲しみの聖母を表します。足元の髑髏はキリストが磔刑されたゴルゴダの丘のゴルゴダがアラム語に由来する言葉で、「頭がい骨」「されこうべ」という意味だからです。
-
キリスト降誕の場面を天蓋付きのボックス状に作ってあります。人物や動物は観なテラコッタ製で、彩色が施されています。背景は鏡張りで貝殻やドライフラワーも使われています。
-
18世紀頃に作られたバロック様式の作品で、民族的なものと宗教的なものが同じ崇高なリズムの中に混ざり合ったような魅力を感じます。ポルトガルにはもっと素朴なテラコッタの人形があるのでこの先の道中でも探していました。そして旅の終わりのナザレで見つけることが出来ました。
-
「磔刑に処されたキリスト」
18世紀にマデイラ島で造られた木彫です。コロナ禍の前からカナリア諸島のクルーズを気に留めていたのですが、ずっと後回しになっていました。マデイラワインも美味しいので早く行かなければと考えています。 -
「アフォンソ王子と黒い従者」
ホセ・デ・アヴェラル・レベロにより1650年頃に描かれました。アフォンソ王子は後のアフォンソ6世になる人物です。 -
「書斎の聖ヒエロニムス」
作者不明ですが、カラヴァッジョの絵画をモデルにしたものだと分かります。 -
「魚、エビ、ラムの脚に句を描いた静物画」
バルタザール・ゴメス・フィゲイラによって1640年に描かれました。 -
「子羊と狩猟動物のある静物画」
バルタザール・ゴメス・フィゲイラによって1640年に描かれました。一瞬セビリアで見たスルバランの作品かと思いました。 -
バルタサール・ゴメス・フィゲイラはオビドスの比較的裕福な職人の家に生まれ、軍人となってアンダルシアに派遣され、セビリアで画家を親類に持つ娘と知り合い結婚しました。セビリアではフランシスコ・エレーラやフランシスコ・デ・スルバラン、フアン・デル・カスティーリョといった画家たちと付き合い絵を学んでいます。
-
1644年にはセビリアで修行を続けていた娘のジョゼファ・デ・オビドスも父親と働くようになり、娘のジョゼファ・デ・オビドスと同じようにスペインで「ボデゴン(厨房画)」と呼ばれるジャンルの静物画も描き、父娘の作品はこの美術館に展示されています。
-
「神の子羊」
ジョセファ・デ・アヤラ・エ・カブレラは娘のジョゼファ・デ・オビドスのことです。 -
両親がポルトガルに移った後もフランシスコ・エレーラの工房に残って絵を学び、14歳になった時に「コインブラの修道院」で祭壇画を制作する父親のもとに移り、助手として働きました。23歳になった1653年にまでに家族とオビドスに移り、1653年にコインブラの聖人像を版画で出版して有名になりました。
-
「トロイの炎上」
ディエゴ・ペレイラが1650年頃に描いたものです。燃えさかる都市と大きな黒い馬を見るとトロイだとすぐに分かります。 -
3回目のトルコの旅ではようやくトロイに行くことが出来ました。ミルフィーユのように南宋にも重なった遺跡にトロイの物語を想像することは出来ませんでしたが、遺跡の入り口にあった大きな木製の木馬に入るとホメロスの描いたイーリアスの世界に浸ることが出来ました。
-
「聖家族と聖人たちが描かれた携帯用祭壇画」
二枚折りの板に宗教的な図像を描いた「ディプティコン(二連祭壇画)」がローマ帝政期の記念品から転用され、中世以降には内側に聖像を描いた携帯用祭壇画として広く使われるようになります。 -
聖母マリアは幼子イエスと押さない洗礼者ヨハネを抱き寄せています。ヨハネはこんな子供の頃からラクダの毛皮を着ていたと思うと不憫になります。
-
「聖ルチア」と「聖カタリナ」
キリ スト教絵画において、殉教者はシュロ(ナツメヤシ)の 葉を手にした姿で描かれます。 シュロは古代ギリシアにおいて、戦勝記念の凱旋行進の 時に飾られる植物だったため「勝利の象徴」とされてき ました。 そしてキリスト教絵画では「死への勝利」とし て殉教者と結びつけて考えられるようになりました。さらに聖ルチアはアトリビュートの目玉を盆に乗せ、聖カタリナは斬首を意味する剣を持っています。 -
「聖母子と洗礼者ヨハネ」
1590年頃に描かれたもので、エヴォラのパライソ修道院に伝わるものです。 -
「受胎告知のタイルパネル」
フランシスコ・二クロソによるマヨルカや木のタイルです。「アヴェ・マリア(Ave Maria)」の文字とガブリエルのリボンには「Ave Maria, gratia plena…」の一部が読み取れ、「アヴェ・マリア、グラツィア・プレーナ」だと分かります。 -
「聖ヒエロニムス、聖アントニウス、聖ディオニシウス」
ディオゴ・デ・コンドレイラス -
左側は荒野で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだヒエロニムスが胸を石で叩いて懺悔している姿が描かれています。
-
中央では聖アントニウスの読む本の上に裸の女性が描かれているのだとしたら誘惑の場面だと思われます。
-
右側の聖ディオニシウスは一般的に聖ドニと呼ばれ、パリのノートルダム大聖堂のファサードにも同じ云うに自らの首を持った形で描かれています。伝説によるとディオニュシウスは斬首後に地に落ちた自分の頭を拾い上げ、祈りを捧げながら6キロ北に歩いたと言われます。
-
「洗礼者ヨハネ」
ディオゴ・デ・コンドレイラスの描く神の子羊を抱く洗礼者ヨハネです。 -
後ろではヨハネがイエスに洗礼をしている姿が描かれています。「洗礼の地」とされる場所はヨルダン川の東岸に位置するベタニアというところです。
-
「キリスト降誕」
生まれたばかりの幼子イエスと聖母マリアと聖ヨセフを描いた伝統的な消え椅子と降誕の構図です。養父ヨセフの驚いたような両手のゼスチャーは何を意味するのでしょう。 -
「神殿奉献」
マリアは律法で定められた産後の清めの期間を終えた後、モーセの律法に従って長子であるイエスをエルサレムの神殿に捧げに行きます。そこで救い主を待ち望んでいたシメオンと女預言者アンナに会い、幼子の将来についての予言を聞きます。彼らは救い主の誕生を民衆に語ります。 -
「磔刑」
グレゴリオ・ロペス
十字架刑はその残忍性のためローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていた最も重い刑罰でした。ユダヤ人の父母の下に生まれたナザレのイエスが当時のユダヤ教のあり方を批判してユダヤ社会を脅かしたために排除される際にローマ帝国の権威を借りて処刑されたため、この刑が適用されたと考えられます。ローマ帝国の滅亡した現在はアメリカ合衆国がその役目を担っているようです。 -
「桜の聖母の三連祭壇画」
中央には色鮮やかな聖母子が描かれ、左には聖アントニオが描かれ、右には聖ヤコブが描かれています。9世紀にヤコブの遺体とされるものが遥か遠くスペインの現在の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の地で奇跡的に発見されたとされます。聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」となります。今回の旅ではここまで来たに向かい再びリスボンへ戻るルートを計画しています。 -
ここからはエヴォラ大聖堂の祭壇画の展示室になります。フランドル派の画家ヘラルト・ダヴィトの工房の作品とされています。
-
「最後の晩餐」
イエスの膝の上で寝てしまったヨハネと、一番手前の黄色いガウンの男は左手に重そうな革袋を隠しているのでユダだということが分かります。
「キリストの投獄」
イエスの周りにいる人物がネタニヤフやクシュナーに見えてきます。 -
「ピラトの前のキリスト」
ユダヤ総督をつとめたピラトの前にイエスが立っています。背後には柱に括りつけられて鞭打ちされるイエスの姿も見えます。
「十字架からの降架」
磔刑の後に十字架から降ろされるイエスの姿が描かれています。 -
「復活」
キリスト教においては十字架につけられたイエス・キリストが、眠っている者の初穂として死人の中から復活したことが信仰されています。
「キリストの昇天」
キリストが死んで3日目に復活し、40日目に天に昇ったことをあらわします。絵画の構図上、穂座から下だけを描いているのが面白いです。 -
ヘラルト・ダヴィトの工房の作品はまだまだ続きます。エヴォラ大聖堂の主礼拝堂の絵画のストーリーは左下から右に移って、一番右から上に上がり、再び左に進み、最上段に上がって右に進みます。そして最後の13番目が中央の大きな絵画になります。
-
左下から
①黄金の扉の前でヨアキムとアンナの出会い
②聖母の誕生
⑦東方三博士の礼拝
⑧キリストの割礼
⑨神殿奉献
⑩エジプトへの逃避 -
左下から
③聖母の神殿奉献
④マリアとヨセフの結婚
⑤受胎告知
⑥キリストの降誕
⑪博士たちとイエス
⑫聖母の死 -
⑬聖母の栄光
実にフランドル派らしい素晴らしい祭壇画でした。ここへ来る前にベルギーとオランダの美術館のマスターピースを数多く見ておいて良かったと思います。 -
ここまでで疲れてしまったので「ロイオス教会」の修道院の部分にあたる「ポサーダ コンベント デ エヴォラ/Pousada Convento Évora」に入って休憩することにします。
-
以前は町中を歩く黒いマントを着たエヴォラ大学の学生たちが多く見られましたが、この日は1人も歩いていませんでした。なので大学を訪問するのもやめにしました。
-
ホテルの中には宿泊客はおろかレセプションにも人の姿はありません。気配を感じたのか女性スタッフが出てこられたので、何か冷たいものが飲みたいと伝えます。
ポサダ コンベント デ エヴォラ ヒストリック ホテル ホテル
-
それとホテルの中を見学したい旨を伝えると1人2ユーロということです。内部は元修道院で広いので見学させてもらうことにします。
-
ホールで1枚写真を撮った後は妻はソファの席に戻ってしまいました。
-
夕暮れの時間になったのか急にライトが灯り始めなかなかいい雰囲気です。今回の旅ではケルースの修道院のポサーダとオビドスのお城のポサーダに宿泊する予定です。エヴォラも泊まりたかったのですが、ここで1泊しても時間がロスすると思いました。ヴィアナ・デ・カステロの山の上のポサーダも以前泊まって良かったのですが、荷物を持っての移動を考えたら真っすぐサンティアゴ・デ・コンポステーラに行きたくなりました。
-
こんな空間を2人で貸し切りという贅沢です。もっともバータイムも午後3時までだったので休憩時間だったのかもしれません。
-
ビール2本におつまみもついて税サ込みで8ユーロでした。他のヨーロッパの国に比べると3割は安く旅することが出来ると思います。
-
一息ついたところでカメラを持ってポサーダの中を探検します。逆に2ユーロ支払っているので気兼ねなくどこにでも行けます。
-
レストランには行っても厨房には人の気配はしますが、ホールや回廊には誰もいません。
-
さすがに修道院だっただけあって、とても美しい建物です。
-
午前中に行ったエヴォラ大聖堂の回廊は医師だけの寒々しいものでしたが、昔はこのように漆喰で仕上げられていたのでしょうか。
-
こうやって見学していると止まっても良かったかなという気持ちになってきます。
-
エントランスホールまで戻って今度は2階へ上がってみます。
-
プールサイドにおじさんが1人いましたが、それ以外は宿泊客の姿は見えませんでした。
-
客室のある廊下もこんな雰囲気です。
-
見学も含めて1時間ほどゆっくりすることが出来ました。フロントの女性にはお礼を伝え、今回は2か所のポサーダにとまる予定なのと、次回はここへ泊りに来ますとリップサービスしておきました。
-
思いがけずにポサーダに立ち寄れました。これで妻も先の楽しみが出来たのではないかと思います。
-
そろそろエヴォラの旧市街から駅に戻ることにします。
-
こういった空は日本ではなかなか見ることは出来ないと思います。
-
城壁に見張り等があったのはこの時初めて知りました。
-
空には細い三日月が見えました。満月を2回くらい見ないと日本には帰れません。
-
ようやくエヴォラ駅が見えてきました。
-
長い1日お疲れさまでした。
-
エヴォラ駅の周りは人影がありません。列車は1時間に1本くらいしかないようです。ここが終着駅なので余計に本数が少ないわけです。
エヴォラ駅 駅
-
何十年ここに置かれた時刻表でしょう。木製の「HORARIOS」のプレートと回転式の掲示板が時代を感じさせます。ポルトガルの人は古い物を大切にするなと思います。
-
することも無いのでホームの中に入ってみます。
-
壁面にはエヴォラの風景がアズレージョタイルになっていました。朝一番で登った大聖堂の上の塔がリアルに描かれています。
-
マヌエル1世がヴァスコ・ダ・ガマをインド遠征隊の指揮官に任命した場面もありました。そのタッチが映画「オネアミスの翼」のエンディングののイラストのように思えました。思わず坂本龍一の音楽が頭の中に浮かんできます。
オネアミスの翼:https://www.youtube.com/watch?v=rxqo5bgf_rA&list=RDrxqo5bgf_rA&start_radio=1 -
少し遅れてやってきた列車は折り返しのために先頭の機関車を切り離して最後尾に連結し直します。
-
午後7時発のリスボン行きの列車はガラガラというかほとんど乗客はいませんでした。
-
「4月25日橋」を渡れば市内まではもう少しです。ライトアップした「発見のモニュメントがきれいに見えました。」
-
エントレカンポス駅で下車した後はスーパーでビールやコーラ、夕食用のパンなどを買い求めました。それと公共交通で使えるViva viagem(ヴィヴァ・ヴィアジェン)
というカードもチャージして買っておきます。エントレカンポス駅 駅
-
同じルートをバスに乗ってレスタウラド―レス広場まで戻ります。昔は路線バスは乗りこなすのが難しかったのですが、現在はチケットさえあればルートはぐ^グルマップで確認できるので安心です。
ポンバル侯爵広場 広場・公園
-
グローリア線に乗ってホテルに戻り、部屋で軽く食事をした後は荷造りをしなければなりません。明日から2泊3日でシントラとロカ岬、ケルースにも1泊して再びこのホテルに戻ります。預けておくトランクと2泊分の荷物を分けなければなりません。
ケーブルカーグロリア線 その他の交通機関
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2024ポルトガルの旅(1)
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(1)マイレージ特典航空券を使ってルフトハンザ航空でフランクフ...
2024/11/03~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(2)サンペドロ・デ・アルカンタラ展望台で「消臭力!」を叫び、...
2024/11/04~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(3)最初の災難はサン・ジョルジェ城で始まり、装飾芸術美術館と...
2024/11/04~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(4)カテドラルで旅の無事を祈り、サンタ・ジュスタのリフトでカ...
2024/11/04~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(5)マヌエル様式の最高傑作のジェロニモス修道院にヴァスコ・ダ...
2024/11/05~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(6)発見のモニュメントの屋上から大航海時代のポルトガルを想う...
2024/11/05~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(7)司馬遼太郎がテージョ川の公女と讃えたベレンの塔の上からス...
2024/11/05~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(8)アルメニア人の石油王カルースト・グルベンキアンが個人で集...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(9)グルペルギアン美術館の西洋美術の「一番いいもの」を楽しむ...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(10)グルペルギアン美術館の至宝、ルネ・ラリックのジュエリー...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(11)ボルダロ・ピニェーロ美術館でラファエル・ボルダロの生涯...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(12)17世紀修道院の国立アズレージョ博物館でポルトガルのア...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(14)サンタ・エングラシア教会を参拝し、路面電車の28に乗車...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(13)サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会のブラガンサ家のポル...
2024/11/06~
リスボン
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(15)エヴォラへの日帰り旅行で天正遣欧少年使節団を想いながら...
2024/11/07~
エボラ
-
長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(16)カダヴァル公爵邸とセナクロ美術館の見学の後はポサーダで...
2024/11/07~
エボラ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
エボラ(ポルトガル) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
エボラ(ポルトガル) の人気ホテル
ポルトガルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ポルトガル最安
488円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2024ポルトガルの旅(1)
0
133