2024/11/06 - 2024/11/06
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/11/06
この旅行記スケジュールを元に
「国立アズレージョ博物館/Museu Nacional do Azulejo」の近くのバス停からバスに乗って「サンタ・アポロ―ニャ駅/Santa Apolónia」まで移動しました。そこから再び坂道を登って「サンタ・エングラシア教会/Ig, de Santa Engracia」を見学しました。その後にこの「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会/Igreja ou Mosteiro de São Vicente de Fora」を見学しましたが、写真の枚数からこちらの教会の旅行記を先にします。この教会は1582年に始まり、アフォンソ・エンリケスが聖ヴィンセントの祈願のもとに原始的な神殿の建設を命じた場所に建てられました。この聖人は1173年にリスボンの守護聖人に宣言され、その遺物はアルガルヴェから城壁外の教会へ移されました。教会と修道院はペドロ2世とジョアン5世の時代、17世紀の芸術的な装飾が見事に施されており、芸術が豊かだった時代として知られています。バロック時代の10万枚以上のタイルを含むバロックタイルの断片、ラ・フォンテーヌの寓話、17世紀から18世紀末にかけての著名な絵画が収められています。この教会にも23年前に来ていますが、どうしてももう一度見たいものがありました。1908年にカルロス1世とその後継者であるポルトガル王立ルイス・フィリペが、共和派とポルトガル・カルボナリアの一部によって暗殺された「1908年の王殺し」という時間がありました。彼らの棺はこの教会に納められ、その傍らには妻であり母親であるアメリー・ド・オルレアンがベールを被った姿で立っています。その姿をもう一度見たかったのです。そして夕暮れ時の美しい時間帯に屋上にも出ることが出来ました。屋上へは大理石の階段で出るのですが、23年前この階段の上から下まで数メートル落ちたことがありました。今回は注意して無事に見学を終えることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
「サンタ・エングラシア教会/Ig, de Santa Engracia」を見学した後に丘の上をまた歩いて「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会/Igreja ou Mosteiro de São Vicente de Fora」に到着しました。
サンタ エングラシア教会 寺院・教会
-
建設は1590年に建築家兼技師のフィリッポ・テルツィによって始まり、スペイン人建築家フアン・デ・エレーラの設計によるものでした。ポルトガルの建築家バルタサール・アルヴァレスはローママニエリスムの博識な知識を持ち込みました。こうしてポルトガルで新しい建築様式が生まれ、後の宗教建築の模範となりました。 新しい教会は1627年に完成しました。
サン ヴィセンテ デ フォーラ教会 寺院・教会
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ここは入場料が9ユーロでリスボンカードは使えませんでした。まずはエントランスホールから見学が始まりますが、ここはもっとも高貴な賓客が迎えられる場所でした。ジョアン5世の治世にこの部屋はアズレージョタイルや絵画、床の大理石の象嵌などの改宗が行われ20世紀には礼拝堂となりました。
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木部はブラジリアン・ローズウッド(紫檀)で作られ、この柱は多色大理石の象嵌細工が施されています。柱にはジョアン4世とその妻ドン・ルイ―ザ・グスマンの紋章、聖アウグスティヌス正則修道会のシンボルの1つであるハートが表現されています。元々は教会の主礼拝堂のジョアン4世の墓を取り囲んでいました。
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「洗礼者ヨハネとマルタ騎士団」フランチェスコ・ソリメーラ
近衛は洗礼者聖ヨハネが女性像で寓意的に描かれたマルタ騎士団にマントと武器を与えている様子を描いています。ヨハネは同時に海上のガレー船の進路を示し、マルタ島の防衛を励ましているようです。 -
「マラケシュ殉教者の聖遺物箱」
この箱には1578年のアルカサル・キビールの戦いの後にマラケシュ王宮に投獄された7人の若い宣教師の遺骨が納められています。彼らはキリスト教の教えを秘密裏に実践したために死刑判決を受けました。ローマカトリック教会の殉教者認定を待つ間にフェリペ1世は遺骨を返還し、この箱に納めるように要請しました。蓋には殉教の場面が描かれています。 -
夕方の穏やかな太陽光線が部屋の中に差し込んで床の大理石に反射してとても神々しい雰囲気を感じました。この時間にこの教会を訪れる人の菅谷はほとんどありませんでした。
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「受胎告知/レジーナ・チェリ」
大天使ガブリエルの手元からマリアの方へ流れるフィラクテリーという巻物にはラテン語でマリアへのメッセージが記されています。マリアの前に置かれた書物は告知の瞬間に祈りや瞑想をしていたことを示唆しています。レジーナ・チェリ(天の皇后)はガブリエルがマリアへ喜びを促す「喜びへの招待」として解釈されます。 -
「立法者で預言者のモーセ」
モーセの十戒とは旧約聖書の出エジプト記20章などに記された、唯一の神への礼拝と隣人愛を中心とする10の戒律であり、「ほかの神を持たない」「偶像を作らない」「殺さない」「姦淫しない」など、人間の基本的な道徳と神との契約を示す規範です。モーセの杖は神がモーセに与えた奇跡を行うためのもので、ナイル川を血に変える、紅海を分けるなど神の力の象徴として用いられた道具です。 -
「聖書に登場する最初の預言者エリア」
預言者エリヤはバアル礼拝が盛んになったイスラエルで神の言葉を告げたために命を狙われ、ヨルダン川の東にある「ケリト川」のほとりに身を隠します。そこでの生活を支えたのが「カラス」です。 -
聖書の記述ではエリヤは昼は川の水を飲み、朝と夕方にはカラスがパンと肉を運んできて、彼はそれを食べて生き延びたとされています。このため、カラスは「神が遣わす養いの象徴」として語られることがあります。
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「イエスの神殿奉献」グレゴリオ・ロペス
ユダヤの律法では男の子の初子が生まれてから40日目に母の清めと子どもの奉献のために神殿に行き、いけにえをささげることが定められていました。ヨセフとマリアはこの律法に従って、誕生から40日目に幼子イエスをエルサレム神殿に連れて行き神にささげました。これがいわゆる「イエスの神殿奉献」の場面です。 -
「アッシジの聖フランチェスコ」
パドヴァの聖アントニオはポルトガルのリスボン出身で、フランシスコ会の重要な聖人としてイタリアのアッシジの聖フランチェスコと深く関係し、ポルトガルでも大変親しまれています。 -
「聖アントニオ」
今回の旅では改めてこの2人とポルトガルの関係を知ることになりました。木鋪も30歳の時のイタリア旅行ではパドヴァにもアッシジにも行くことが出来ました。自分が会社を辞めてまでフリーランスになっていろいろな国を旅するようになったきっかえの旅でした。 -
上段の3人の女性は聖アポロニア、聖ウルスラ、聖マルガリータで、下段には聖ルチア、聖カタリナ、聖バルバラです。6人はそれぞれ殉教に関わるアトリビュートを手に持っています。聖アポロニアは布教しないように歯を抜かれたのでやっとこを持ち、聖ウルスラは矢で射られるので矢を持ち、聖マルガリータはドラゴンの姿をした悪魔に飲み込まれました。聖ルチアは目を刳り抜かれたので目を持ち、聖カタリナは斬首されたので剣を持ち、聖バルバラは実の父に斬首されます。
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建築的には非常に簡素な回廊はポルトガル王フェリペ1世の依頼によりファン・エれ^ラハ設計した初期計画に基づき17世紀に建設されました。
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1737年に壁面は65枚のタイルパネルで覆われました。これらはヴァレンティン・デ・アルメイダの工房で作られました。描かれているのは世俗的なもので、狩猟、釣り、風景、ダンス、伝統的なゲームなどフランス貴族の日常が描かれています。
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この修道院はオリジナルの場所に最も多くのバロック様式のタイルが残っている世界有数の建築物の1つです。コレクションには222枚のパネルが残され、使われたタイルは10万枚に及びます。
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隣接する古いアウグスティヌス修道院は身廊から16世紀の古い回廊の遺構を保存しています。また18世紀のタイルパネルでも際立っており、入口の第1回廊の隣にはマヌエル・ドス・サントスによる「アフォンソ・エンリケスによるリスボンとサンタレンへの攻撃」の場面が描かれています。
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回廊の周囲には田園風景を描いたタイルパネルがあり、花の模様や天使たちに囲まれて「ラ・フォンテーヌの寓話」が描かれています。17世紀フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌが書いた動物たちを主役にした教訓詩集で、ルイ14世の王太子に人生の教訓を学ばせる目的で作られたと言われ、フランスでは学校教育でも必ず触れる古典になっています。
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礼拝堂の祭壇の上にはジョアキン・マチャード・デ・カストロによるバロック様式のバルダッキーノがあり、両脇には等身大の木彫像が配置されています。
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1765年にオルガン職人ジョアン・フォンタネス・デ・マケイラによって製作された歴史的なオルガンです。これは18世紀のポルトガルのオルガナリアの中でも最も優れた、かつ最大の例の1つです。
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バロック様式の美しい祭壇(レタブロ)です。カトリシズムはポルトガルの歴史、習慣、伝統に深く根付いており、教会建築はその象徴です。
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美しい戴冠の聖母を見ているとスペインのセビリアで買ったマカレナの聖母やベルギーのブルージュで買った悲しみの聖母を思い出します。
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同じデザインの祭壇にはイエスの姿があります。手前には幼子イエスを抱く養父ヨセフの姿があります。これまで絵画や彫刻で数多くのヨセフを見てきましたが、過去で一番カッコいい姿です。
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「聖心のイエス・キリスト」
胸の中央には燃える心臓である聖心(サクレ・クール)が描かれています。これは人類に対するイエスの愛の象徴です。片手を胸の聖心に添え、片方の手を差し伸べる祝福の姿です。受難を象徴する赤いローブを纏っています。 -
聖具室(サクリスティア)の中も美しい装飾で覆われています。天井には18世紀に油彩で描かれた見事な天井画があります。両サイドの木製のチェストはブラジル産のジャカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)です。
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天井の中央にはイタリア人画家のヴィンチェンツォ・バッカレッリによって「神の子羊(アグヌス・デイ)」が描かれ、周囲をアウグスチヌス会やリスボン市を象徴する寓意的な装飾が彩っています。
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壁面の装飾は壁一面がピンク、緑、白の大理石を使いモザイク装飾(マーブル・インレイ)で埋め尽くされていて豪華絢爛な印象を与えます。
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イタリアのバロック様式の教会でもここまで大理石を象嵌して壁面を埋め尽くすのだろうかと思ってしまいます。
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この部屋だけで1時間くらい過ごせそうです。呆れた妻はもうどこかへ行ってしまいました。
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「バルハヴァンの子供たちの礼拝堂」にある墓碑です。ジョアン5世にはバルハヴァンの子供たちと呼ばれる3人の庶子がいましたが、パンテオンへの埋葬が許可されなかったためにこの礼拝堂が永眠の地になりました。
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18世紀のイタリア・バロック様式の彫刻が施され、上部には王冠、中央には髑髏(スカル)と交差した骨のモチーフが配置されています。
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ここには後に認知されたアントニオ王子とジョゼ王子の遺体が安置されています。
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「バルハヴァンの子供たちの礼拝堂」の祭壇は非常にシンプルなものです。かなり傷みも激しく聖母マリア以外のニッチの像は失われてしまっています。彼らの母親はここへ埋葬されることはなかったのでしょう。
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ようやく妻を見つけました。「ブラサンガ王室霊廟」はこの修道院で一番再訪したかった場所です。第4王朝の創始者であるジョアン4世はこの修道院を家族の遺体を安置する場所として選びました。ジョアン4世の墓は当初主礼拝堂の聖櫃の下にありましたが、現在は霊廟の入り口にあります。
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ジョアン4世の墓が入り口右側にありました。この豪華な大理石の墓は息子のペドロ2世の命により建築家ジョアン・ヌネス・ティノコの酔って設計され1671年に完成しました。土台を支えるのはポルトガル王室の象徴である6体の翼のあるどらごん(セルぺス)です。ジョアン4世は60年に渡るスペインの支配からポルトガルの独立を回復したブラサンガ朝の創始者で「再興王」と呼ばれました。
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フェルナンド2世は愛する妻のマリア2世女王の死後、1854年に王室霊廟を旧食堂に移設するように命じました。現在の霊廟は1933年に建築家ラウル・リノによって設計されたものです。
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「ブラサンガ王室霊廟」の奥には2つの墓が並び、白いベールの人物像が立っています。23年前にこれを見たときは1人だったこともありびっくりしました。本当に人が立っているのだと思ったほどです。
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「1908年の王殺し」については前の旅行記でも書きましたが、ポルトガル及びアルガルヴェスのカルロス1世とその後継者であるポルトガル王立ルイス・フィリペが共和派とポルトガル・カルボナリアの一部によって暗殺された事件のことです。この出来事は1908年2月1日にリスボンのプラサ・ド・コメルシオで起こりました。
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ポルトガル語で「神のもとに、祖国のために亡くなった国王カルロス1世と王太子ルイス・フェリペがここに眠る」とあります。
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こちらには「神のもとに眠る、国王カルロス1世と王太子ルイス・フェリペ、祖国のために死した者たち」と書かれています。
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2人の死を悲しむこの女性は王妃で王太子の母であるアメリア・ド・オルレアンです。1886年に彼女が初めてD・カルロス(後のカルロス1世)に会ったとき、彼女は愛想の良い雰囲気を持つ若者に好意を持ちました。美しい金髪の巻き毛に縁取られた顔は、まだ子供時代に近い顔立ちでした。政略結婚にもかかわらず、2人はお互いに恋に落ちたようです。
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1908年の王殺しは彼女を深い嫌悪感に陥れ、その状態から完全には立ち直ることはありませんでした。その後、シントラの「ペナ宮殿」に隠退したが、君主制制度が衰退した時期に幼い息子マヌエル2世をあらゆる手段で支援しました。
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ポルトガル共和国成立後の1910年10月5日にアメリアはポルトガル王室の他のメンバーと共に亡命の道を歩み、最後はフランスのヴェルサイユに住んでいました。1951年10月25日にアメリア王妃はヴェルサイユの自宅で86歳で亡くなりました。彼女の最後の言葉の中に「私はとても苦しんでいます!神は私と共にあります。さようなら。ポルトガルへ連れて行ってください!」という言葉がありました。最後の王妃の遺体はフリゲート艦「バルトロメウ・ディアス」によって夫と子供たちのもとへ移されました。
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「聖アントニオ礼拝堂」
かつては聖ウルスラと11,000人の処女に捧げられた礼拝堂はリスボンで生まれたせいアントニオの修道院に変わりました。建築家カルロス・マルディンとアレイショ・ロドリゲスが担当しました。 -
祭壇の彫刻は幼子イエスを抱く聖アントニオで、彼の無くなったイタリアのパドヴァ出身の彫刻家ジョアン・アントニオ・ベリーニ作と伝えられています。フランチェスコ会の伝統的な衣装にトンスラという頭髪を剃った姿です。長髪が男性の象徴とされていた中世初期にトンスラは俗世と決別した聖職者のアイデンティティの一部として普及していました。
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2階にはいろいろな博物館がありますが、時間も無くなってきたので「ラ・フォンテーヌ寓話」のアズレージョタイルだけを見ることにします。ジャン・ド・ラ・フォンテーヌはイソップ寓話を基にした寓話詩で知られます。北風と太陽、金のタマゴを産むめんどりなど子供の頃にもいろいろ読んだ記憶があります。「すべての道はローマへ通ず」や「火中の栗を拾う」なども彼の言葉です。
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「森ときこり」
木こりが斧の柄を折ってしまい、新しい柄を造るために枝を切らせてほしいと木々に頼みます。彼は残りの森はそのままにしておくと約束しました。純真な森の木々は男の願いを聞き入れました。邪悪な男は直った斧で森の木々を切り倒しました。得た利益は恩人に不利に働くということです。 -
妻は結婚する前に会社を辞めてしまいました。父親は結婚もせずにそこそこの歳になった娘は地元に帰ってきて自分たちのの世話をしてくれるものだと思いました。東京から帰ってきた娘は「お父さん、あたし結婚する。」というと「この裏切り者!」と言われました。古今東西に多様な話はどこにでも転がっています。
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「鷲とカササギ」
鷲とカササギが草原を横切っていました。カササギは怖がっていたので鷲はカササギを落ち着かせ、自分を楽しませてくれるように頼みました。カササギはあれこれ話し続け、鷲に密告者としての役目を申し出ます。怒った鷲は「私のキュ邸にお前の居場所はない。」といいます。それはカササギが聞きたかった言葉でした。名誉の代償は非常に高いものになることが多いからです。 -
「デモクリトスとアブデラの人々」
哲学者デモクリトスが暮らしていたアブデラの人々は彼を狂人だと思ていました。しかしくるっているのはデモクリトスではなく彼ら自身の方でした。事態は深刻化してアブデラの人々はヒポクラテスを招き、止んでいるとされるデモクリトスの聖心を回復させようとします。ヒポクラテスが到着した時デモクリトスは木陰に座り、人間の心の秘密を解き明かそうとしていました。2人は座って人間の魂について長く語り合いました。このような問題において人間は最良の判断者ではないということです。 -
「ドングリとカボチャ」
カボチャの茎がこんなに細いのは不思議だ。なぜ創造主はカボチャを樫の木に付けなかったのだろうか?なぜあんなに小さなドングリをつけたのだろう。果実はその木に合うべきだ。」そんなことを考えていた人が樫の木の木陰で横になりました。寝ている間にドングリが花に落ちてきました。目を覚まして顔に手をやると血が出ていました。「もっと重い果実が落ちていたらどうなっただろう。間違いなく神は正しかった。今その理由が分かった。」 -
「死と瀕死の男」
すでに100歳になった瀕死の男が死神に予告もなく早すぎるとと不満を漏らします。死神は「私の出現は驚きではない。お前には友人の死や病気になっている姿を観させてやっていた。それが渓谷でなければ何なのだ。」といいます。そして「多くの若者が栄光に満ちたしばしば残酷な死を迎えるのを見よ。ダヵら支社に最も近いものほどもっとも苦しい死を迎えることになる。」と伝えます。 -
こんな「ラ・フォンテーヌ」の物語が延々と続いています。じっくり読み解いていきたいところですがもう時間がありません。
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修道院内部の礼拝堂の巨大な空間を俯瞰します。かなり遅い時間になってきたので我々以外に来館者の姿もありません。この建物は16世紀後半から17世紀に建てられたマニエリスム様式で、ポルトガル国内でも重要な建造物の1つです。
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正面に見えるのは18世紀の建築家ジョアキン・マチャド・デ・カストロによるバロック様式の主祭壇です。天井は力強い半円形の筒型円蓋(バレル・ヴォールド)に覆われて重厚さが強調されています。
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最後に屋上に出てみました。妻はここまでは上がってきませんでした。
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ちょうど遊歩が大西洋に沈もうとしている時間帯です。先日行った「装飾芸術美術館
」や「サンタ・ルジア展望台」の辺りがシルエットになっています。 -
この「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会」の2本の塔の間からの眺めはとても荘厳です。
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先ほど見てきた「サンタ・エングラシア教会/Ig, de Santa Engracia」も見えるの近くに行ってみます。
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テージョ川のクルーズターミナルには「アドベンチャー・オブ・ザ・シーズ」が停泊しています。ほとんど毎日のように入れ替わって停泊しています。先ほどまで停泊していた「クラブ・メッド」の姿はありません。
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真白だった「サンタ・エングラシア教会」がどんどんと赤く染まっていきます。やはりこの順番で見学して良かったと思います。
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これでようやくこの日の長い観光の1日が終わりました。(写真の枚数の都合でこの2つの教会の旅行記は入れ替えています。)
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23年前の古の屋上へ登った際は雨はやんでいたのですが、大理石の階段はツルツルに滑り、一番上から下まで転げ落ちました。旅行前にポルトガルのピンコロが滑ると思い、クラークスのワラビーを買ったのですが何の役にも立ちませんでした。
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