2024/11/09 - 2024/11/09
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kojikojiさん
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妻を連れて来たかった「ペーナ宮殿/Palácio Nacional da Pena」を見学した後は巡回バスで登ってきた坂道を1停留所戻って「ムーア人の要塞/The Moorish Castle」に向かいます。ここも23年前に来ていますが、城壁を一周する時間が無かったので、今回は歩くつもりで時間も取っています。まずはエントランスから城砦までがかなり離れているので、妻はここだけで十分に満足してしまったようです。入場した後はテラスのあるカフェを見つけて、もう城壁を歩く気など無さそうです。足の調子の事もあるので無理もさせられないので1人で周ることにしましたがすぐにこれが正解だったなと思いました。細く急な階段が続くので歩かせるには無理でしたが、見渡せる風景はとても美しく、眼下の森の中にはたくさんの宮殿や邸宅が見えます。王宮の少し先には宿泊したホテルの巨大な庭園も見えました。そしてその奥には大西洋が広がっています。半周ほど進むと今度は見学してきたばかりの「ペーナ宮殿」が逆光ですがきれいに見えます。改めて天気の良い日の見学で良かったと思いましたが、今回の旅ではリスボン到着の翌日に半日雨が降ったくらいで天気には恵まれました。城壁を一周した後は妻と合流して一休みして、バスに乗ってシントラに戻ります。巡回バスは一方通行なのでここまでは混んでいたバスも次の「ペーナ宮殿」でほとんどの人が降りてしまうのですぐに座れました。ただ、その後は終点まで乗降はほとんど無いので、1つ停留所を戻ったのは正解です。お腹も空いたのでお昼は昨晩と同じく「大福楼」で焼きそばと野菜炒めと白ご飯にしました。旅はまだ1/4にも達していませんが、リスボン周辺は見どころが多いので飛ばし過ぎました。午後の宮殿巡りはまだまだ続きます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
「ペーナ宮殿/Palácio Nacional da Pena」の見学を終えて巡回バスに乗って来た道を1つ停留所を戻ります。
ペーナ宮殿 城・宮殿
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バス停の近くには昔は無かったインフォメーションとチケット売り場の建物がありました。
ムーアの城跡 城・宮殿
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バス停から「ムーア人の要塞The Moorish Castle」までは森の中をかなり歩くことになります。
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「ロマンチックな廃墟」と呼ばれる遊歩道を進むと「第2の城壁」があります。
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最初の城壁を越えてもしばらく森の中の遊歩道は続きます。
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遊歩道から見えたのは「モンテ・セレーノ宮殿/Palais Monte Sereno」です。ネオ・ゴシック様式とアール・デコの影響をを感じる外観が森の中に映えます。1920年代に建築家のノルテ・ジュニオールによって設計された城館は実際にはマナーハウスとして使われたようです。20世紀の建物なのでコンクリート構造ですが、不規則なモジュールで構成された中世の城のように見えます。
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晩秋にかけてのポルトガルの旅はそれだけでサウダーデという言葉が浮かんでくるようでした。
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道端にあった穴は穀物や豆類を貯蔵るるためのサイロです。サイロの使用は先史時代から記録されていて、アラブ人によってアル=アンダロスに広く導入されました。
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アル=アンダルス(Al-Ándalus)はアラビア語によるイベリア半島の名称であり、711年の征服以降は半島内のイスラム支配地域を意味するようになりました。
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第1の城壁の手前には大きな墓がありました。墓というよりも見張り台のように見えてしまいます。この墓の左にはフェルディナンド2世が建てた教会があり、その工事中に周囲にあった墓が破損してしまいます。そのために発掘された遺骨を納めるためにこの墓が建てられました。
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墓石には三日月と十字架が刻まれ、碑文には「人が集めたものは髪だけが区別できる」と書かれています。キリスト教徒の遺骨かイスラム教徒の遺骨化は区別できないことを暗示しています。
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城壁は考古学的な調査により4つの建築段階が特定されています。第1段階は花崗岩のブロックが岩盤の上に直接置かれ、12世紀後半に造られました。第2段階は構造物の崩壊を中世の技術を使って修復されています。第3段階はフェルディナンド2世による19世紀の修復で、第4段階は20世紀以降のものです。
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そんな案内板を読みながら城壁の中へと進みます。この城は8世紀から9世紀にかけてイスラム教徒イベリア半島の時代に建設され、主に農業地帯の中心地として住民を守るために必要とされていました。
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妻は「ペーナ宮殿」から歩きっぱなしなので、もう城壁を歩くのを諦めて城内にあったカフェのテラス席で座って待つことにしました。まだ旅は1/4を過ぎたところなので無理はさせられません。
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1031年にコルドバがアルモラヴィド朝に奪われた後、バダホス王はキリスト教王との同盟を得るためにイベリア半島のいくつかの領土をレオンとカスティーリャのアルフォンソ6世に譲渡することを選びました。
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シントラもその中に含まれていましたが、この移譲は治安をもたらさなかったために城は侵攻してきたアルモラヴィド朝に奪われました。
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1147年にアフォンソ・エンリケスに忠誠を誓う軍勢によるリスボン征服後、この城は自発的にキリスト教勢力に降伏しました。アフォンソ・エンリケスは城の警備を30人の住民に託し、1154年に君主が署名したフォラルと呼ばれる「憲章」で特権を与えました。この憲章は入植者が城に居住し、地域の安全と発展を保証する仕組みとして行うことを示唆していました。
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12世紀後半には城壁内に建てられた礼拝堂が教区の本拠地となりました。その後、ポルトガル王サンチョ1世の主導で改築と建設が行われました。
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「アルカソヴァ」と呼ばれる城の天主に登ると眼下には昨日見学してきた「シントラ王宮」の建物がきれいに見えました。
シントラの王宮 城・宮殿
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その右手には塔を構えた「シントラ市庁舎」の建物があります。
シントラの文化的景観 史跡・遺跡
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そしてその奥には宿泊している「「カーサ ホルシュタイン キンタ ジ サオ セバスチアオ」の屋敷と庭園が見えます。今朝プールサイドから見上げた山の上の城壁に立っていると思うと感慨深いものがあります。
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1375年にポルトガル王フェルナンド1世は城の再建を命じました。1383年までに城は堅固に要塞化されていましたが、住民がますます城を離れてシントラ村へ移るにつれてその軍事的重要性は徐々に低下していきました。
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15世紀初頭には礼拝堂は宗教活動の中心として使われていましたが、1493年までに放棄され、その後教区内の小さなユダヤ人コミュニティに利用されました。16世紀にはサン・ペドロ教区が城から村の新しい教区教会へ移されました。城内の建物を占拠し利用していたユダヤ人はポルトガル王マヌエル1世によって追放され、城は放棄されます。
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1755年のリスボン地震は礼拝堂に大きな被害をもたらし、1838年までに城はすでに廃墟となっており、1840年にポルトガル王フェルナンド2世が城の保存を命じます。彼は壁を補強、隅々や手入れの行き届いた空間を作り、礼拝堂の保存を行いました。
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この城はシントラ山脈の頂上に位置し、シントラのパノラマビューを望み、晴れた日にはマフラやエリセイラも見ることが出来るようです。
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足元の森の中にはたくさんのヴィラが点在しています。こちらは「シャレー・レロジロ/Chalet Relogio」で、イタリア人建築家のルイージ・マニーニとポルトガル人のジョゼ・ルイス・モンテイロによって設計された19世紀末のロマン主義建築です。
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近くには「ビエステール宮殿/Palacio Biester」も見えています。こちらもポルトガル人建築家のジョゼ・ルイス・モンテイロによって設計された歴史的な邸宅で、ネオ・ゴシック様式とロマン主義が融合しています。ここは2022年より一般公開されているようです。
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赤いスパニッシュ瓦の建物は「ヴィラ・サセッティ/Vila Sassetti」で、地元のホテル経営者であったビクトル・カルロス・サセッティの夢を実現するために建てられました。イタリアのロンバルディア地方の城とポルトガルの伝統やムーア様式を融合させたロマン主義復活のデザインが特徴です。
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ひときわ大きい宮殿は昨日見学した「レイガイラ宮殿/Quinta da Regaleira」です。このアングルで宮殿を見ることが出来るのはこの城からだけでしょう。
クインタ・ダ・レガレイラ 地元の料理
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同じく「レイガイラ宮殿」の礼拝堂も見えます。この礼拝堂から地下通路で宮殿と繋がっていると考えると上から眺めるのも面白いものです。
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「レイガイラ宮殿」は今日も混んでいるようで、アミューズメントパークのような建物にはたくさんの人が見えます。
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40年ほど前の諸星大二郎の作品に「子供の王国」というものがあり、世の中の人々が子供のままでいる「リリパティアン」という風潮に染まり、子供の姿でなければ生きづらいというサイエンスフィクションがあったのを思い出しました。この宮殿では子供よりも大人の方が塔に登ったり忙しそうです。
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さてこちらの城壁巡りは最大の難関に差し掛かります。一度大きな下りがあり、その先には急峻な階段が延々と続いています。
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その途中途中に小さな櫓があり、少し休憩することも出来ます。
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これまで数々の要塞や城にも行ってきましたが、規模と周囲の絶景を考えるとここは素晴らしいと思います。
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森の中に点在する邸宅や宮殿を眺めるだけでもここへ来た甲斐があります。
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シントラの町が森の中に包まれていることも実感できます。
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手前には鉄道駅の長い屋根が見えています。今日は夕方にリスボン方面へ移動して、途中のケルースで1泊します。
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ここまで歩いてきた城壁を一望します。しかし、せっかく登った城壁をここまで下ってしまうのは勿体ない気がします。
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目の前にはまだまだ登り階段が続いています。
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軽く1周出来ると思っていましたが、60歳を過ぎて体力の衰えを感じます。
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先ほどは円形の屋根しか見えていなかった「ヴィラ・サセッティ/Vila Sassetti」の全景を現わしてくれました。
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ようやく一番高いところまで上がってきました。
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城壁の隙間から見えたのは先ほど見学してきた「ペーナ宮殿」でした。この美しい姿を見たらここまで登ってきた苦労も吹き飛びました。
ペーナ宮殿 城・宮殿
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振り返ると城壁と櫓の向こうに大西洋が見えています。この2つの光景は妻に見せてあげたかったなと思います。
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「モンテ・セレーノ宮殿/Palais Monte Sereno」もその美しい姿を見せてくれています。この宮殿は売りに出ているようなので買いたくなってしまいます。買えませんが思うのは自由です。ここからは城壁を周らずに内側の坂道を歩いて妻を迎えに行きます。
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帰り道に気が付いたのは作業途中で打ち捨てられたくさびの跡です。岩に穴を開けた後はここに乾燥した木製のくさびを打ち込みます。そこに水を掛けると木が膨張して岩が割れます。この技術は19世紀でも一般的だったようです。
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バス停まで戻ってやって来たバスに乗ると満員でしたが、次の「ペーナ宮殿」でほとんどの人が降りてしまうので「シントラ駅」までは座って帰ることが出来ました。そしてそのまま「大福楼」に入って遅い昼食をいただきます。
シントラ駅 駅
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焼きそばと野菜炒めと白ご飯、そして冷たく冷えたビールを飲むと生き返ります。
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美味しいお昼を食べた後は最後の「モンセラーテ宮殿/Parque e Palácio de Monserrate」の見学に向かいます。
ドウトール ミゲル ボンバルダ通り 散歩・街歩き
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