2015/05/30 - 2015/05/30
190位(同エリア744件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1481冊
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- フォロワー151人
ノートルダム大聖堂の見学にかなりの時間を費やしてしまい、ランチの後はすぐに予約してあった「ルーベンスの家」に向かいました。行って見るとツーリストインフォメーションで午前中に予約しておいて良かったと実感します。午後2時には家の前の広場のチケット売り場は長蛇の列でした。アントワープカードがあるのでチケットの購入の必要はありませんが、並ばなければ入れない状態でした。インフォメーションで貰ったバウチャーを提示するとすぐに手首に巻くチケットを発券してくれます。荷物もここのロッカーに預けましたが、カメラは持って行くことにしました。ルーベンスの家の撮影は出来ないと聞いていたのですが、何となく予感というか…。建物の入り口で手首を見せて館内に入ります。ここで「写真撮影は出来ますか?」と尋ねると「フラッシュを使わなければ良いですよ。」カメラを持って来て良かったです。じっくり絵画を鑑賞しながら写真を撮ったら2時間くらいかかってしまいましたが、素晴らしかったです。後日アムステルダムのレンブラントの家にも行きましたが、ここの方は10倍良かったです。作品の充実度が違います。今回の旅で実はアントワープが一番良かったと思えるのは美術館と博物館が充実していたせいかもしれません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「ルーベンスの家」の前の広場にはチケット売り場とロッカーとミュージアムショップが併設された建物が建っています。チケット売り場は長蛇の列でしたからこういった施設が必要だと思いました。ここに来るには事前の予約も必要に感じました。アントワープカードを持っていてもここで受付して、手首にテープを巻いてもらう必要があります。
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アントワープ市内の1等地にある彼の邸宅とアトリエが、美術館として一般公開されています。ここは宮廷画家になって活躍したイタリア滞在時代と最初の結婚の後故郷のアントワープに戻ったルーベンスが1610年に購入した家で、1640年に亡くなるまでの生涯住み続けています。 ルーベンスが亡くなった後は邸宅は幾人かの人の手に渡り、18世紀と19世紀にアントワープ市が手に入れようと画策しますが失敗します。しかし1937年に3度目の正直で荒れ果てた邸宅を市が強引に購入することに成功し、修復作業を経て現在の美しい姿を取り戻しましたそうです。
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見学は入口からキッチンへ入り1階を時計回りに見学した後階段で2階に上がり、反時計回りでアトリエまで見学出来ます。訪問時はルーベンスのプライベートな人たちの肖像画の展示もあり非常に興味深く見学出来ました。じっくり見ると2時間くらいは必要でした。
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アレキサンダー・アドリアンセンは狩猟で獲れた鳥や魚の静物画を描くのが得意な画家でルーベンスの友人で、ルーベンスは彼の絵を2枚所有しています。 この絵では17世紀に実際に食べられていた2羽の黒雷鳥とバスケットにはカモ、カワセミとムクドリが入っています。 テーブルの端には鳥もち棒に引っかかった二ヤマウズラやカケスやアオゲラが見えます。
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ルーベンスは芸術家として最高の栄誉を得た画家でありながら、同時に外交官としても活躍をしたパワフルな人物だったようです。交友関係も広かったため、自宅にゲストを招いては華やかな日々を送ったとされます。自宅を愛したルーベンスは家の改築にも積極的だったので宮殿風の邸宅にはアトリエや彫刻コレクションを飾るバロック風の右翼を増築させました。またフランダース・イタリアルネサンス様式の中庭を臨むバロック風の柱廊は、ルーベンス本人が設計に関わったそうです
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「花、果物と野菜の花輪を着けた処女と子供」
作者のヤコブ・ヨルダーンスは歴史画家として名声を得ています。 神話や宗教的な主題の絵は彼の専門で、ルーベンスとヴァン・ダイクの亡くなった後はヨルダーンスは南部オランダで最も著名な画家でした。この絵ではトロンプルイユ石のフレームに聖母マリアと幼子イエスを描いています。そして周囲には果物と野菜と花々によって囲まれます。 花々はヨルダーンスでは無くアドリアン・バン・ユトレヒトによって描かれています。この当時絵画は分業で描かれていました。 -
アレクサンダー・アドリアンセン
「果物と魚と野菜と家禽のある静物画」
ルーベンスの持っていたもう1枚の絵です。 -
ダイニングルームも非常に豪華です。壁面は金唐革と呼ばれる型押しの高級な仕上げになっています。日本だと金唐紙と呼び、革では無くて紙製ですが同じような仕上げです。上野の岩崎弥太郎邸の壁に使われています。
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豪華な部屋が続きますが、その当時の調度品が置かれているので非常にリアルに感じます。
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ルーベンスがひょこり現れても不思議ではない感覚になります。入場制限があるので比較的空いた状態でゆっくり見学できるのも良いです。
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アートルームと呼ばれる部屋にはルーベンスの作品や調度品が置かれています。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「アントワープのイエズス会教会のコーニス装飾」
このスケッチはイエズス会士教会のために作られる39人の天井絵のうちの1人のためのグリザイユ(モノクロ)のスケッチです。 -
天井画は1621年までに完成しましたが1718年に焼失してしまいます。 幸いにも習作は残されたという事です。右側の絵はアッシジのサンタ・キアーラです。「ブラザー・サン・シスター・ムーン」という古い映画を思い出します。
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バッカスの彫像。
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「セネカの胸像」
ルーベンスが1608年にイタリアからアントワープに戻ったとき、彼はローマの哲学者セネカの大理石胸像を持っていました。セネカによって説かれる自制的な理想によると、知恵と忍耐と自制と落ち着きは、運命の残虐性に耐えるために必要な道徳的な性質と説かれます。 セネカは特に16世紀と17世紀に人気があり、ルーベンスと彼の友人に大きな影響を与えます。 -
彫刻のコレクションがギリシャ神殿風のニッチ(壁龕)に置かれてあります。
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扉1つとってもため息が出そうな美しさです。
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窓も1枚ガラスではなく、ステンドグラスのように鉛で組まれた非常に凝った造りになっています。
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イチオシ
ここから2階の見学に移ります。最初の部屋はマスター・ベッドルームです。
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フランス・スナイデス
「ウサギとブドウとロブスターのある静物画」
スナイデルスはアントワープで生まれ、ピーテル・ブリューゲル(子)の弟子であったことが記録されています。次いでアンソニー・ヴァン・ダイクの最初の師であるヘンドリック・ファン・バーレンから教授を受け、ヴァン・ダイクの友人でもあった静物画を得意とした画家です。 -
スナイデスは最初は花や果物などの静物を描いていましたが、後に動物を描くようになり、最初期の専門の動物画家になったそうです。彼はルーベンスの遺言執行人の1人でもありました。
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ルーベンスの小さな作品が並んでいます。
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キャビネット
1640年オークと黒檀製ですがこれは素晴らしいものでした。扉の内側と引出しの表にはルーベンスによって描かれた神話の場面で覆われています。 -
ほとんどはローマの詩人オービットに由来するもので、ギリシア神話の狩人メレアグロスとアタランテーの物語です。キャビネットの天蓋の絵はカリュドーンのイノシシの狩りにおける2人の活躍を描いています。表の扉ではメレアグロスはアタランテーにイノシシの皮を与えます。
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このキャビネットの買い手はルーベンスの絵画まで手に入れることが出来た訳です。
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午前中に観たノートルダム大聖堂の巨大な祭壇画だけでは無く、このような小さな作品も手掛けていたと知り勉強になりました。
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続く部屋は小さなベットルームで暖炉の脇に天蓋付のベットが置かれています。
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マシュー・ファン・デン・バーグ
「死の床の子供」
瀕死の子供たちの肖像画は17世紀の肖像画法で最も感動的な主題の1つでした。
当時は高い乳児死亡率だったので両親は子供の人生で肖像を描く機会が無く、その場合は子供の死後の肖像を残すほかに選択肢はなかったのでしょう。この肖像の男の子は左手が花を掴み、右手では悪魔から守ってくれる月桂樹の枝を持っています。 ルーベンス自身も12才の娘セレーナを失っています。 -
イチオシ
17世紀にはベッドが暖炉に近い家のメインルームに置かれることは珍しくなかったそうです。別々の部屋の独立したベッドは裕福な人々の贅沢でした。 カーテンは寝台を寒さから保護するのに役立ちそうです。 当時のベッドは現代の標準サイズと比べると著しく小さいです。理由は人々は半座位で眠ったからで、これは消化を促すと考えられたからです。
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「リネンプレス機」
17世紀当時リネンプレス機は女性の持参金の大部分を占めるほどのステータスシンボルと考えられました。主婦で最も重要な仕事の1つはリネンをきちんと整理整頓することでした。リネンのキャビネットとリネンプレスはどんな家の室内でも一番良い場所を占有しました。 リネンは通常は洗濯されて外で漂白され、乾燥した後は柔らかい羊毛の布で覆われた台の上でアイロンをかけられます。 最後に慎重にたたまれたリネンは重いプレス機で折り目を付けられます。 -
リネン用のキャビネットです。昭和の時代でいう三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)みたいなものだったのでしょうか。
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ヤン・ブリューゲル(父)
「御馳走を食べる猿たち」
同じ時期の画家ノコラース・ファン・フェーレンダールも同じような猿の寓意を何枚か描いています。 -
衣装を着たサルたちが食卓の周りでハチャメチャに動き回っています。見るからに貴族階級の人々の風習を寓意しています。
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ヤン・ブリューゲルは他の画家との共同制作が多く、その場合は背景を受け持つことが多かったようです。特に友人でもあったルーベンスとの共同制作が知られています。そんな関係からこの作品がここにあるのでしょう。
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小さい作品ですが猿の嬉々とした姿が印象に残りました。
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ファミリールームにはルーベンスハウスが新しく取得した作品が飾られていました。
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「頭部の習作」
ひとつはキャンバスに油彩で描かれたもので、ロンドンのコレクターの元に長く置かれていた作品です。 -
「悲しみの聖母」
こちらは木パネルに油彩で描かれ、イタリアのコレクターが持っていた作品です。 -
個人的にはこれもルーベンスなのだろうかと思ってしまいます。
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アンソニー・ヴァン・ダイク
「オランジェ家の王子、ウィレム3世の肖像」
ウィレム2世は3年後にオランジェ家の主権を有する皇太子(1647年から死ぬまでオランダ連合州の最高行政官 )をヴァン・ダイクに描かせています。彼のただ1人の子供はイングランドとアイルランド王のウィリアム2世として統治し続けます。 -
ここの内装も階下の部屋に引けを取らず立派な造りです。それぞれの部屋の暖炉を見るとアントワープの冬は厳しいのだろうなという事が感じられます。
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個人的にはこのキャビネットが一番気に入りました。
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窓の鎧戸も非常に凝った造りです。これも防犯の役目と防寒の役目があるのでしょう。
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階段室を抜けるとエキシビジョンスペースで、ルーベンスのプライベートな肖像画が集められています。最初の妻イサベラと後妻のヘレナ、娘のクララ・セレナやニコラースとアルベルトといった子供たちに加え、兄弟や義理の姉妹、そしてイタリア旅行時と晩年の自画像が展覧されます。これらの肖像画や自画像は、ルーベンスが存命中に手元に置いておいたもので、画家の死後に再び一堂に会し一般に公開されるのは初めてだそうです。
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それが実際に絵が描かれて家族が暮らした「ルーベンスの家」が会場であることは、作品を通してルーベンスの人生に触れられる貴重な機会です。出展される50点の油絵及び素描はウィーンのリヒテンシュタイン美術館、パリのルーブル美術館、イギリスの大英博物館、イタリアのウフィツィ美術館、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館、イギリス女王エリザベス2世のコレクションなど世界に名だたるコレクションから集められています。
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ジェイコブ・バン・ユトレヒト
「バルテマイ・ルーベンスとバーバラ・アレントの肖像」
ルーベンスの父方の祖父母の結婚式の時の肖像画です。バルテマイ・ルーベンスは、アラビアゴムの2つのかたまりを持っています。アラビアゴムにはデトックス効果があり、当時は薬剤師が扱っていました。彼は薬剤師でアラビアゴムで名声を得ます。 -
バーバラ・アレントは裕福な家族から嫁ぎました。右手には2本のスミレを持ち、左手にはロザリオを持っていますが、これは純正と信心を象徴します。 肖像の裏に1530の年号と合わせた紋章が描かれてあります。ルーベンスの父である彼らの1人の息子ジャン・ルーベンスは弁護士と治安判事になります。
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アンソニー・ヴァン・ダイク
「イザベラ・ブラントの肖像」
ルーベンスの最初の妻であるイザベラ・ブラントの肖像画を弟子のヴァン・ダイクが描いています。 -
アントワープのノートルダム大聖堂の主祭壇画の「聖母被昇天」の画中の赤い衣の女性はイザベラの顔そのものです。この祭壇画が出来上がった時に妻イザベラが亡くなっています。
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「エレーナ・フールマンの肖像」
この魅力的な若い女性は最初の妻イザベラが亡くなった4年後に再婚した後妻です。当時ルーベンスは53歳で彼女は16歳だったそうです。2人の間には5人の子供たちがいましたが、下の子どもはルーベンスが亡くなった時にまだ8か月でした。 ルーベンスの死後裕福な貴族との再婚の後に家族はブリュッセルへ引っ越しました。光の具合で正面から写真が撮れませんでした。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス
「クララ・セリーナ・ルーベンス 1616」 -
イチオシ
5歳の頃の長女クララ・セレーナを描いたこの作品はヨーロッパ絵画史上で最も魅力的な子どもの肖像画と言われています。17世紀は子どもが大人の付属物としてではなく、1人の人間として描かれるようになった時代でもあります。不幸にもこの肖像画の制作から7年後にクララ・セレーナは12歳で短い生涯を終えます。4歳の姪の姿と重なって、キャプションを読んでいたら胸に詰まされました。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「クララ・セリーナ・ルーベンス」 -
イチオシ
少し大きくなったクララ・セレーナの肖像画です。5歳の頃の健康そうな姿と比べてしまうと生気が感じられないような気がします。亡くなる少し前の肖像でしょう。
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ピーテル・パウル・ルーバンス
「ピーテル・パウル・ルーベンスの家族」 -
クララ・セレナやニコラースやアルベルトの姿が描かれています。ルーベンスには5人の子供がいました。
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ピーテル・パウル・ルーベンス(スタジオ)
「エレーナ・フールマンの肖像」 -
ルーベンスの2人目の妻ですが、当時も現在もフランドル地方は夫婦別姓なので結婚後もエレーヌ・フールマンを名乗ったそうです。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「スザンナ・フールマンの肖像」
スザンナはルーベンスの2番目の妻の姉です。 -
イチオシ
黒インクにチョークで簡単に彩色されただけですが、非常に生き生きとした表情です。
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「ルーベンスの自画像」
北オランダ同時代のレンブラントと比較すると、ルーベンスは数枚の自画像しか描いていません。 レンブラントはおよそ40枚の自画像を残していますが、 ルーベンスの自画像と認められるものは4枚だけです。 -
イチオシ
ルーベンスは常に自信に満ちた紳士としてこの自画像を描いています。その他の3つの自画像は注文されてルーベンスによって描かれたか贈り物だったようです。 ルーベンス53歳の自画像で、自分と同い年なのでちょっと複雑な気持ちになります。
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今回の展示では4点しかない自画像のうちの3点が並んでいますから驚きです。
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この展示会に偶然とは言え来ることが出来て本当にラッキーでした。
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フランス・ドゥケンヌニー
「眠るサトュロス」
金メッキした銅とラピスラズリ -
ローマの詩人ウェルギリウス(ヴァージル)によって語られる物語を具現化しています。ウェルギリウスはダンテの神曲で地獄の案内人としても出てきます。
左の場面では酔っぱらったシレーノスの姿があります。(酒の神ディオニソスの養父) -
シレーノスと彼のロバは陽気なサテュロス(半人半獣の自然の精霊)とプット(翼の生えた裸の幼児)の群れによって悩まされています。シレーノスはロバの耳を持ち、サテュロスは彼の孫でもあります。メッキされた金とラピスラズリの濃い青色が美しいです。
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ウィリアム・シュバート・ファン・エーレンベルグ
「アントワープのイエズス教会の内陣」 -
今回の旅ではアントワープに3泊していながら拝観することは出来ませんでした。早朝に教会の前まで行き美しいバロックのファサードを見ることは出来たのですが。内陣も典型的なバロック建築のようで、この絵と実際の姿が比較できなくて残念です。ただ、1718年に落雷による火事で内部のほとんどが焼失したそうです。
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マーティンファン・クレーヴ
「聖マルティヌスの祭り」
キリスト教の聖人マルティヌスを記念する祝日の情景です。マルティヌスはガリアに最初の修道院を建てた後にトゥールの司教となりますが、修道生活を捨てずに多くの弟子を育てて布教に貢献します。 -
彼がローマの軍人としてアミアンの軍隊にいたころ、厳冬のある日に裸同然の乞食に自分のマントの半分を切って与えると、次の夜にキリストがこの半分のマントを着て夢に現れたという逸話があります。
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男たちが持つ白い旗には馬上から乞食にパントを与えるマルティヌスの姿が描かれています。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「サン・セバスチャンの殉教」
伝説によると、セバスチャンはローマの皇帝ディオクレティアヌスの近衛兵でした。皇帝はセバスチャンがキリスト教徒であるということを知ったとき、彼を木に縛りつけてコロシアムで矢で撃たせました。 -
セバスチャンは未亡人イレーヌによって看護を受けますが、ルーベンスの絵の中でそれは彼を憐れむ天使で表されています。 セバスチャンの甲冑は画面左の最前面に立っています。ルーベンスは1600年から1608年までイタリアに住んでいました。 この滞在の間に彼は古代とルネッサンス(ラファエルやミケランジェロとティチアーノ)の偉大なイタリア人画家の研究をしていたのでその影響を感じられます。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「サウルの回心」
サウロは後の使徒パウロのことです。ファリサイ派ユダヤ教徒であったサウルは、当時キリスト教徒を迫害していました。あるとき彼はダマスコへの向かう途上、突然天からの光に照らされて地に倒れます。そして「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」という声を聞きます。 -
サウルが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と答えがあります。
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サウロは立ち上がって目を開けたが、何も見えません。彼がダマスコに着くとアナニアというキリストの弟子がやってきて、キリストから遣わされたことを伝え、「目が再び見えるようになり、また聖霊で満たされるように」と彼のために祈ります。たちまちサウルの目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになり、身を起こして洗礼を受けてキリスト教徒になります。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像」 -
イチオシ
ルーベンスはアンソニー・バン・ダイクを彼の多くの見習いとアシスタントの中で最も優秀であると言います。この肖像画はルーベンスの若い同僚に対する賞賛であったと思われます。 いくつかの巧妙な芸術的なトリック(例えば半分回転するポーズと光と影の複雑な遊び)を利用して描いています。
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ヨコブ・ジョルダーノ
「ネプチューンとアンフィトリテ」 -
この絵の主役はネプチューンです。彼の横には妻アンフィトリテの姿があります。半人半魚のトリトンが最前面で法螺貝を吹いています。ネプチューンには嵐を呼んだり鎮める力があります。 画面に散らばっている雲と虹は嵐が治まったことを暗示しています。
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「市場へ向かう農民」
この絵はルーベンスの晩年の助手であったジャン・ボックフォルストとフランス・スナイデルが加わって描いています。スナイデルが多彩な植物と動物を描き、ジャン・ボックフォルストは景色を描きました。 -
17世紀の絵の世界では2人以上の画家が1つの仕事の上で共同で働くことは一般的だったそうです。とても別々の人が描いているとは思えない完成度を感じます。
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大部分のルーベンスの作品はこの工房で作成されました。ルーベンスはアーティストと経営者として才能を示し、弟子や同僚と2,500以上の「ルーベンスの絵」の生産にあたり彼を支えます。ルーベンスはまず小さなキャンバスの上で油彩で下絵を描きます。弟子に大きなキャンバスへのトレースを指示し、花や動物や景色などのパーツは専門の画家に描かせます。 作品におけるルーベンスの役割は仕上げをすることに限り、工房の監督や運営に時間が割かれました。産業革命は絵画工芸の方が早かったのですね。
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「食料品置場の2匹の犬」
スナイデルの大好きなテーマであった動物の絵を描くために食肉市場か倉庫で出会った犬を描いています。牛の頭を得た犬は歯をむいて近寄る犬を威嚇しています。情景の意味づけや強調はスナイデルがルーベンスから学んだものでした。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス
「アヴィラの聖テレーサの法悦」
15年前にサンチアゴ・デ・コンポステーラからマドリッドへ戻る際にアヴィラに立ち寄ったことを思い出しました。 -
そしてジャン・ロレンツォ・ベルニーニがローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会のコルナロ礼拝堂に納めた「聖テレジアの法悦」も思い出します。最後にここに立ち寄って20年以上経ちます。原作ダン・ブラウンの映画「天使と悪魔」で火事になるローマの教会がここです。
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考えていたよりも建物は素晴らしく、作品の来歴などを通してルーベンスの生涯を垣間見ることが出来て非常に勉強になりました。本を読んで知る知識より目で見る知識の方が遙かに大きいと感じました。気が付くと2時間近く見学していました。
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1993年に庭は修復されますが後期ルネッサンスのスタイルのルーベンス庭園は、珍しい作例だそうです。5月下旬のこの頃は美しく花が咲き乱れていました。
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イタリアのパラッツォの庭にいる様な錯覚に囚われます。芍薬が見事に咲いていました。
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イチオシ
ベルギーといえばこの芥子の花ですね。真っ赤では無いですがこの花を見ると「フランダースの野に」というジョン・マクレーの詩を思い出します。「フランダースの野に芥子の花がそよぐ 列また列と並ぶ十字架…。」第1次世界大戦でドイツの攻撃を受けて亡くなった兵士のために詠んだ詩です。猫祭りで有名なイーペルの町もドイツ軍に完全に破壊されましたが、翌年焼け跡一面に真っ赤な芥子に花が咲いたそうです。
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まだまだこれから芍薬が咲くようです。来た時は寒いくらいだったベルギーも2週間近くいるとだいぶ暖かくなってきました。芍薬の蕾のべたべたした感じがします。
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バロックスタイルの東屋まで設けられてあります。この建物の建築にもルーベンスはかかわったそうです。
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ようやく妻を見つけることが出来ました。後半の1時間はほとんど別行動でした。
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イチオシ
噴水は蒲の穂のデザインになっています。
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ルーベンスが1610年に建物を購入したあと、住居は彼自身のデザインによって広げられます。新しく建てられたエリアはルーベンスの芸術的な理想を表し、グレコローマンとイタリアのルネッサンスの様式を用いています。 古代の影響を受けるその豊かな装飾による建物は、当時のアントワープでは見ることが出来なかったものです。
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見応えのある美術館であり建築でした。今回の旅で訪れた数々の美術館の奥の深さに溺れそうな気分でした。まだまだ旅は途中でオランダに足も踏み入れていません。本当に自分の頭の中の限界を感じていました。
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この日はノートルダム大聖堂とルーベンスの家という2つの美術館でルーベンスを堪能しましたが、2つを1日で見学良かったと思います。アントワープで2か所の観光地を選べと言われたらこの2つでしょうね。ただ、頭の中が飽和状態なのでこの後は街歩き程度にします。
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旅行記グループ 2015 ベルギー・オランダの旅(2)
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