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この日はリスボンを離れて日帰り旅行でテージョ川の対岸のエヴォラ(Évora)へ日帰り旅行です。23年前にも行ったところですが、リスボンを発った天正少年使節団がローマへの道筋で立ち寄った所でもあるので妻を案内したいという気持ちと、「FIALHO」というレストランへもう一度行きたいと思ったからでした。列車の切符は往復ともOmioというアプリから予約を入れてありました。なるべく駅での切符購入などの手間は省きたいと思い、今回の移動は全て事前に予約してありました。列車もバスも簡単に予約できるのが便利でした。もちろんお昼を食べるレストランもメールを入れて予約してあります。ホテルで朝ごはんをしっかり食べて、いつものようにケーブルカーで出勤です。昨日の地下鉄のストライキはバスまで混んでしまって大変でしたが、この日はそんなことも無くスムーズにバスで「エントレカンポス駅」まで移動しました。ここで鉄道駅に入るのですが予定の列車が遅れているようで、電光掲示板の順番がどんどん入れ替わり、どの列車に乗っていいかが分かりません。結局30分ほど遅れてきた列車で間違いないことを近くにいた女子大生らしき方に尋ねて一安心です。列車が「4月25日橋」を渡る際は「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」がきれいに見えました。ガラガラの列車のまま午前10時30分に「エヴォラ駅」に到着しました。ここから旧市街の「エヴォラ大聖堂/Catedral de Évora」まではぶらぶら歩いて30分ほどでした。並木道のプラタナスの葉が落ち始め晩秋の雰囲気を感じます。大聖堂の見学はやはりここへ天正遣欧少年使節の伊東マンショ、原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンが1584年ころにここへ来たのだと思うと感慨深いものがあります。この大聖堂も屋上に上がれるのですが、足の痛い妻は下で椅子に座っていました。なんか申し訳ないことをしているような気持ちになってきます。ただこの屋上からの景色はとても美しいです。次に隣にある「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」に移ります。ポルトガルにもいくつかローマ時代の遺跡が残されていますが、東西に分かれたローマ帝国の果てまでやってきた思いがします。ここまででお昼になってしまい予約した「FIALHO」に向かいます。店の内装は昔のままで、23年前に座ったテーブルもそのままでした。その話を給仕のおじさんたちに話すととても喜んで驚いていました。ほとんどお爺さんたちなのでその時に遭っていたのかもしれません。料理は少し塩分が強めでしたが、ポルトガル料理はこのレストランが最初だったので奮発してワインも空けてゆっくりいただきました。旧市街へはローマ時代の「アグア・デ・プラタ水道橋/Aqueduto da Água de Prata」を見ながら「ロイオス教会/ Igreja dos Lóios」の見学をしました。23年前の記憶をたどりながら妻を伴った旅は終わりが見えません。

長年の夢だった妻を伴ってのポルトガル4週間の旅(15)エヴォラへの日帰り旅行で天正遣欧少年使節団を想いながら23年振りのフィアルホでランチ。

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2024/11/07 - 2024/11/07

194位(同エリア203件中)

旅行記グループ 2024ポルトガルの旅(1)

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kojikoji

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この日はリスボンを離れて日帰り旅行でテージョ川の対岸のエヴォラ(Évora)へ日帰り旅行です。23年前にも行ったところですが、リスボンを発った天正少年使節団がローマへの道筋で立ち寄った所でもあるので妻を案内したいという気持ちと、「FIALHO」というレストランへもう一度行きたいと思ったからでした。列車の切符は往復ともOmioというアプリから予約を入れてありました。なるべく駅での切符購入などの手間は省きたいと思い、今回の移動は全て事前に予約してありました。列車もバスも簡単に予約できるのが便利でした。もちろんお昼を食べるレストランもメールを入れて予約してあります。ホテルで朝ごはんをしっかり食べて、いつものようにケーブルカーで出勤です。昨日の地下鉄のストライキはバスまで混んでしまって大変でしたが、この日はそんなことも無くスムーズにバスで「エントレカンポス駅」まで移動しました。ここで鉄道駅に入るのですが予定の列車が遅れているようで、電光掲示板の順番がどんどん入れ替わり、どの列車に乗っていいかが分かりません。結局30分ほど遅れてきた列車で間違いないことを近くにいた女子大生らしき方に尋ねて一安心です。列車が「4月25日橋」を渡る際は「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」がきれいに見えました。ガラガラの列車のまま午前10時30分に「エヴォラ駅」に到着しました。ここから旧市街の「エヴォラ大聖堂/Catedral de Évora」まではぶらぶら歩いて30分ほどでした。並木道のプラタナスの葉が落ち始め晩秋の雰囲気を感じます。大聖堂の見学はやはりここへ天正遣欧少年使節の伊東マンショ、原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンが1584年ころにここへ来たのだと思うと感慨深いものがあります。この大聖堂も屋上に上がれるのですが、足の痛い妻は下で椅子に座っていました。なんか申し訳ないことをしているような気持ちになってきます。ただこの屋上からの景色はとても美しいです。次に隣にある「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」に移ります。ポルトガルにもいくつかローマ時代の遺跡が残されていますが、東西に分かれたローマ帝国の果てまでやってきた思いがします。ここまででお昼になってしまい予約した「FIALHO」に向かいます。店の内装は昔のままで、23年前に座ったテーブルもそのままでした。その話を給仕のおじさんたちに話すととても喜んで驚いていました。ほとんどお爺さんたちなのでその時に遭っていたのかもしれません。料理は少し塩分が強めでしたが、ポルトガル料理はこのレストランが最初だったので奮発してワインも空けてゆっくりいただきました。旧市街へはローマ時代の「アグア・デ・プラタ水道橋/Aqueduto da Água de Prata」を見ながら「ロイオス教会/ Igreja dos Lóios」の見学をしました。23年前の記憶をたどりながら妻を伴った旅は終わりが見えません。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
Agoda
  • 朝ご飯を食べにホテルを出ると朝日が昇ってくるタイミングでした。リスボンは「7つの丘の街」と言われていて、その中で最も高い丘が「サン・ジョルジェの丘」で、その頂上にサン・ジョルジェ城が建っています。

    朝ご飯を食べにホテルを出ると朝日が昇ってくるタイミングでした。リスボンは「7つの丘の街」と言われていて、その中で最も高い丘が「サン・ジョルジェの丘」で、その頂上にサン・ジョルジェ城が建っています。

  • 早々に準備をして午前7時30分にはグローリア線の乗り場にスタンバイします。

    早々に準備をして午前7時30分にはグローリア線の乗り場にスタンバイします。

  • ちょうどケーブルカーが昇ってくるタイミングでした。

    ちょうどケーブルカーが昇ってくるタイミングでした。

  • 今回の旅ではグルーリア線のケーブルカーにはお世話になりました。事故があったこともあり、在りし日の姿を旅行記にアップしておきたいと思います。

    今回の旅ではグルーリア線のケーブルカーにはお世話になりました。事故があったこともあり、在りし日の姿を旅行記にアップしておきたいと思います。

    ザ インディペンデント スイーツ&テラス ホテル

  • それにしてもたくさんの写真を撮っていたものだと思います。車内をフラットにするために前後でこれだけ高さが違います。それだけの急勾配を上下しているわけです。

    それにしてもたくさんの写真を撮っていたものだと思います。車内をフラットにするために前後でこれだけ高さが違います。それだけの急勾配を上下しているわけです。

    サン ペドロ デ アルカンタラ展望台 広場・公園

  • 妻はさっさと車内に入ってしまいました。

    妻はさっさと車内に入ってしまいました。

  • 早朝に「サン ペドロ デ アルカンタラ展望台」から下る人は少ないのかガラガラです。

    早朝に「サン ペドロ デ アルカンタラ展望台」から下る人は少ないのかガラガラです。

  • 結局時間になっても我々2人だけが乗客でした。

    結局時間になっても我々2人だけが乗客でした。

  • あっという間ですが何とも言えない振動と揺れは今でも体が覚えています。

    あっという間ですが何とも言えない振動と揺れは今でも体が覚えています。

    ケーブルカーグロリア線 その他の交通機関

  • 昨日は地下鉄がストライキだったのでバスが通勤客でめちゃくちゃ混んでいましたが、今日は嘘のように空いています。「?スタウラドーレス広場」のバス停から736番のバスに乗ります。

    昨日は地下鉄がストライキだったのでバスが通勤客でめちゃくちゃ混んでいましたが、今日は嘘のように空いています。「?スタウラドーレス広場」のバス停から736番のバスに乗ります。

  • 長い2両編成のバスはガラガラでした。このバスの乗車でリスボンカードの72時間が過ぎてしまいます。各所の入場料と市内の交通機関の利用で何とか元を取ることは出来たようです。

    長い2両編成のバスはガラガラでした。このバスの乗車でリスボンカードの72時間が過ぎてしまいます。各所の入場料と市内の交通機関の利用で何とか元を取ることは出来たようです。

  • バスがリベルダーデ大通りを北に向かうと「大戦戦没者記念碑/Monument Deads of Great War」が見えてきました。第1次世界大戦で犠牲になったポルトガル兵を追悼する記念碑です。

    バスがリベルダーデ大通りを北に向かうと「大戦戦没者記念碑/Monument Deads of Great War」が見えてきました。第1次世界大戦で犠牲になったポルトガル兵を追悼する記念碑です。

  • さらに昨日タクシーで通過した際にも見えた「マルケス・デ・ポンバル侯爵広場/Praca Marques de Pombal」です。23年前はこの先のホテルに宿泊していたこともあり、この美しい通りも何度か歩きました。夜遅くに歩いているときガラス張りのウインドウ越しに右の路地から出てくる怪しい男が見えたのでとっさに建物から離れました。ところが誰もいないので、おかしいと思って少し戻るとウインドウの中にはミラー張りの柱があって、その柱には自分が映っていました。

    さらに昨日タクシーで通過した際にも見えた「マルケス・デ・ポンバル侯爵広場/Praca Marques de Pombal」です。23年前はこの先のホテルに宿泊していたこともあり、この美しい通りも何度か歩きました。夜遅くに歩いているときガラス張りのウインドウ越しに右の路地から出てくる怪しい男が見えたのでとっさに建物から離れました。ところが誰もいないので、おかしいと思って少し戻るとウインドウの中にはミラー張りの柱があって、その柱には自分が映っていました。

    ポンバル侯爵広場 広場・公園

  • バスはスムーズに進み、「エントレカンポス駅」の前で下車して鉄道駅に向かいます。

    バスはスムーズに進み、「エントレカンポス駅」の前で下車して鉄道駅に向かいます。

    エントレカンポス駅

  • 帰りにはこの券売機でViva viagem(ヴィヴァ・ヴィアジェン)というリスボン周辺で使える公共交通ICカードを買う必要があります。チャージも可能でタッチで乗車できるので便利です。<br />

    帰りにはこの券売機でViva viagem(ヴィヴァ・ヴィアジェン)というリスボン周辺で使える公共交通ICカードを買う必要があります。チャージも可能でタッチで乗車できるので便利です。

  • どうやら列車は遅れているようで、時間を過ぎると別の列車が入線してくるのでホームから降りて掲示板を確認していました。

    どうやら列車は遅れているようで、時間を過ぎると別の列車が入線してくるのでホームから降りて掲示板を確認していました。

  • エヴォラ行きが何番線になるのか心配でしたが、結果は変更ありませんでした。

    エヴォラ行きが何番線になるのか心配でしたが、結果は変更ありませんでした。

  • 次に来る列車がエヴォラ行きのようなのでホームに上がりました。念のために近くにいた女子大生らしい方に確認しました。

    次に来る列車がエヴォラ行きのようなのでホームに上がりました。念のために近くにいた女子大生らしい方に確認しました。

  • 30分ほど遅れましたがようやくエヴォラ行きの列車がやってきました。始発駅まで行くのが面倒だったのでホテルから近いこの駅にしましたが、途中駅からの乗車は神経を使います。以前ウィーン中央駅からプラハ行きではなくミュンヘン域に乗ってしまい、慌てて南駅で降りたこともありました。

    30分ほど遅れましたがようやくエヴォラ行きの列車がやってきました。始発駅まで行くのが面倒だったのでホテルから近いこの駅にしましたが、途中駅からの乗車は神経を使います。以前ウィーン中央駅からプラハ行きではなくミュンヘン域に乗ってしまい、慌てて南駅で降りたこともありました。

  • 空いていた車内で一息つく頃に列車は「4月25日橋」を通過しました。窓からは一昨日行ったベレン地区の風景が見えてきました。

    空いていた車内で一息つく頃に列車は「4月25日橋」を通過しました。窓からは一昨日行ったベレン地区の風景が見えてきました。

  • 「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」がきれいに見え、その向こうには大西洋が広がっていると思うと、いつかはリスボンへ船で来てみたいと思います。

    「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」がきれいに見え、その向こうには大西洋が広がっていると思うと、いつかはリスボンへ船で来てみたいと思います。

  • 「4月25日橋」は上段が6車線の道路で、下段が複線の鉄道となっているいるのでずっと支柱が連続しています。何枚か撮った写真の中で1枚だけ「クリスト=レイ像」が写せました。

    「4月25日橋」は上段が6車線の道路で、下段が複線の鉄道となっているいるのでずっと支柱が連続しています。何枚か撮った写真の中で1枚だけ「クリスト=レイ像」が写せました。

  • 1時間30分ほど経った午前10時30分ころにエヴォラ駅に到着しました。この駅が終着駅です。

    1時間30分ほど経った午前10時30分ころにエヴォラ駅に到着しました。この駅が終着駅です。

    エヴォラ駅

  • 終点で降りた人の数はわずかで、駅前はあっという間に誰もいなくなってしまいました。

    終点で降りた人の数はわずかで、駅前はあっという間に誰もいなくなってしまいました。

  • グーグルマップを頼りにプラタナス並木をぶらぶらと歩きました。葉の色も変わり始めて季節が晩秋になりつつあることを感じます。「GNR:国家共和国警備隊」という軍事警察の施設があり、通りを馬が行ったり来たりしていました。

    グーグルマップを頼りにプラタナス並木をぶらぶらと歩きました。葉の色も変わり始めて季節が晩秋になりつつあることを感じます。「GNR:国家共和国警備隊」という軍事警察の施設があり、通りを馬が行ったり来たりしていました。

  • 通学路の看板はだいぶくたびれていますが、走っている子供に注意するというよりも女の子が誘拐されているように見えてしまいます。

    通学路の看板はだいぶくたびれていますが、走っている子供に注意するというよりも女の子が誘拐されているように見えてしまいます。

  • 旧市街が近づいてくると坂道になってきます。町の成り立ちを考えても防御の事を考えて高台に街を作るのは当たり前のことでした。

    旧市街が近づいてくると坂道になってきます。町の成り立ちを考えても防御の事を考えて高台に街を作るのは当たり前のことでした。

  • 坂道を半分ほど登ったところに「慈悲の教会」がありました。欧米人の団体が来ていたのでついて中に入ってみましたが、巡礼の団体だったみたいで観光地といった感じでした。

    坂道を半分ほど登ったところに「慈悲の教会」がありました。欧米人の団体が来ていたのでついて中に入ってみましたが、巡礼の団体だったみたいで観光地といった感じでした。

    エヴォラ歴史地区 旧市街・古い町並み

  • 旧市街の中心地に近づくとお土産物屋も増えてきます。店先にはコルク樫の樹皮が売られていました。ポルトガルは世界最大のコルク生産国で、世界生産量の約5割から6割を占め、世界のコルク樫林面積の約4分の1を保有する中核産地です。地中海性気候で夏は高温乾燥、冬は温暖で適度な降雨という条件がコルク樫の生育に非常に適しているようです。コルク採取は木を伐採せずに樹皮を周期的にはぐ方式で行われます。

    旧市街の中心地に近づくとお土産物屋も増えてきます。店先にはコルク樫の樹皮が売られていました。ポルトガルは世界最大のコルク生産国で、世界生産量の約5割から6割を占め、世界のコルク樫林面積の約4分の1を保有する中核産地です。地中海性気候で夏は高温乾燥、冬は温暖で適度な降雨という条件がコルク樫の生育に非常に適しているようです。コルク採取は木を伐採せずに樹皮を周期的にはぐ方式で行われます。

  • 「エヴォラ大聖堂 (カテドラル)/Evora Cathedral」への最後の坂道を歩きます。

    「エヴォラ大聖堂 (カテドラル)/Evora Cathedral」への最後の坂道を歩きます。

  • 大聖堂の建設は1186年に着工し1204年に献堂されたこの花崗岩の大聖堂が完成したのは1250年になってからでした。ロマネスク様式からゴシック様式への移行が特徴で、3つの壮麗な身廊が特徴です。

    大聖堂の建設は1186年に着工し1204年に献堂されたこの花崗岩の大聖堂が完成したのは1250年になってからでした。ロマネスク様式からゴシック様式への移行が特徴で、3つの壮麗な身廊が特徴です。

    エヴォラ大聖堂 (カテドラル) 寺院・教会

  • ポータルの両脇には14世紀の使徒の優れた彫刻があり、そのうち10体はマスター・ペロの作品とされています。マスター・ペロは中世の彫刻家として際立っていて、その作品は「独自の芸術的個性を持つ」ものでした。彼の多くの作品はコインブラの工房で制作され、ポルトガルにおけるゴシック彫刻の復興に非常に重要な役割を果たしました。

    ポータルの両脇には14世紀の使徒の優れた彫刻があり、そのうち10体はマスター・ペロの作品とされています。マスター・ペロは中世の彫刻家として際立っていて、その作品は「独自の芸術的個性を持つ」ものでした。彼の多くの作品はコインブラの工房で制作され、ポルトガルにおけるゴシック彫刻の復興に非常に重要な役割を果たしました。

  • 5人の使途の先頭に立つのは聖ペテロです。ペテロのアトリビュートはイエスから授けられた2本の天国への鍵です。左手にその鍵が見えています。

    5人の使途の先頭に立つのは聖ペテロです。ペテロのアトリビュートはイエスから授けられた2本の天国への鍵です。左手にその鍵が見えています。

  • 聖ペテロに対峙するのは聖パウロで、一般的なアトリビュートは本と剣です。黒髪でひげを生やし、髪の毛が少し薄い特徴があります。本は確認できますが右手が欠損しているので剣を持っていたかは分かりません。

    聖ペテロに対峙するのは聖パウロで、一般的なアトリビュートは本と剣です。黒髪でひげを生やし、髪の毛が少し薄い特徴があります。本は確認できますが右手が欠損しているので剣を持っていたかは分かりません。

  • その背後にも5人の使途が建ち、全部で十二使徒になります。聖ペテロと聖パウロに2体の時代が違うようなので、残りの10体がペロの制作しものなのかもしれません。

    その背後にも5人の使途が建ち、全部で十二使徒になります。聖ペテロと聖パウロに2体の時代が違うようなので、残りの10体がペロの制作しものなのかもしれません。

  • 大聖堂への入場料は1人4.5ユーロでした。ルートは階段を登っての屋根の上の見学ですが、妻は足が痛いので下のベンチに座って待っていました。足の痛いのは分かりながらこんな長い旅行を計画して申し訳ない気持ちになってきます。

    大聖堂への入場料は1人4.5ユーロでした。ルートは階段を登っての屋根の上の見学ですが、妻は足が痛いので下のベンチに座って待っていました。足の痛いのは分かりながらこんな長い旅行を計画して申し訳ない気持ちになってきます。

  • ポカポカ陽気の晴天で良かったと思います。雨が降っていたらとても歩けるような場所ではないと思います。切妻屋根の上を歩いていると実感できるのでちょっと怖い気もします。外観の最も象徴的な建築部分はドームであり、ディニス王の治世に建てられた身廊のランタン塔です。

    ポカポカ陽気の晴天で良かったと思います。雨が降っていたらとても歩けるような場所ではないと思います。切妻屋根の上を歩いていると実感できるのでちょっと怖い気もします。外観の最も象徴的な建築部分はドームであり、ディニス王の治世に建てられた身廊のランタン塔です。

  • 中世の中央のドームはイベリア半島で最も有名なものの1つです。中央のドームは6つの小さな塔に囲まれており、それぞれが主ドームと同じ形状をしています。

    中世の中央のドームはイベリア半島で最も有名なものの1つです。中央のドームは6つの小さな塔に囲まれており、それぞれが主ドームと同じ形状をしています。

  • テージョ川の対岸であるアレン・テージョは穀物生産と豊かな土壌から、ポルトガルでは「パンのバスケット」として知られる地域です。ほんの一部である主要都市を除くと農業と牧畜業と木材業が主な産業のようです。

    テージョ川の対岸であるアレン・テージョは穀物生産と豊かな土壌から、ポルトガルでは「パンのバスケット」として知られる地域です。ほんの一部である主要都市を除くと農業と牧畜業と木材業が主な産業のようです。

  • 併設される回廊の中には美しい庭園が見えます。この回脳の四隅には1325年頃から、福音書記者の像が設置されているようです。

    併設される回廊の中には美しい庭園が見えます。この回脳の四隅には1325年頃から、福音書記者の像が設置されているようです。

  • 大聖堂の正面は中世の2つの塔に挟まれており、南側の塔は大聖堂の鐘楼であり、その鐘は何世紀にもわたりエヴォラに時間の経過を告げてきました。外観の最も象徴的な建築部分はドームであり、ディニス王の治世に建てられた身廊のランタン塔で

    大聖堂の正面は中世の2つの塔に挟まれており、南側の塔は大聖堂の鐘楼であり、その鐘は何世紀にもわたりエヴォラに時間の経過を告げてきました。外観の最も象徴的な建築部分はドームであり、ディニス王の治世に建てられた身廊のランタン塔で

  • 屋根の上からは隣接する「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」の姿も見えます。

    屋根の上からは隣接する「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」の姿も見えます。

  • 再び階段を降りて妻と合流して回廊の見学に移ります。回廊はペドロ司教の命令で建てられた美しいゴシック様式の例で、様々な装飾のバラ窓が飾られています。

    再び階段を降りて妻と合流して回廊の見学に移ります。回廊はペドロ司教の命令で建てられた美しいゴシック様式の例で、様々な装飾のバラ窓が飾られています。

  • 先ほど登った重たい屋根を支えるための持ち出し梁がたくさん見えます。

    先ほど登った重たい屋根を支えるための持ち出し梁がたくさん見えます。

  • 回廊に接するド・ペドロ司教の葬祭礼拝堂の中央にはゴシック様式の墓が残されています。

    回廊に接するド・ペドロ司教の葬祭礼拝堂の中央にはゴシック様式の墓が残されています。

  • 4人の福音書家のうちののヨハネです。足の下には彼のアトリビュートである鷲の姿があります。他の隅には獅子の上に立つマルコや雄牛の上に立つルカ、天使とルカの像もありました。

    4人の福音書家のうちののヨハネです。足の下には彼のアトリビュートである鷲の姿があります。他の隅には獅子の上に立つマルコや雄牛の上に立つルカ、天使とルカの像もありました。

  • この大聖堂には約440年前に日本人少年たちも訪れています。「天正遣欧少年使節」の13歳から14歳の4人の少年たちは1582年2月20日に長崎を出発し、ローマを目指しました。

    この大聖堂には約440年前に日本人少年たちも訪れています。「天正遣欧少年使節」の13歳から14歳の4人の少年たちは1582年2月20日に長崎を出発し、ローマを目指しました。

  • 2年後の1584年8月11日にリスボンに到着しましたが、その当時は生存率50%ともいわれた大航海時代の船旅を4人そろって乗り越え、ローマへ向かう途中の1584年9月8日にエヴォラに到着しました。街の人たちは東の果てから来た少年たちを新約聖書に出てくる「東方の三博士」になぞって「マギ」と呼んで歓待したそうです。

    2年後の1584年8月11日にリスボンに到着しましたが、その当時は生存率50%ともいわれた大航海時代の船旅を4人そろって乗り越え、ローマへ向かう途中の1584年9月8日にエヴォラに到着しました。街の人たちは東の果てから来た少年たちを新約聖書に出てくる「東方の三博士」になぞって「マギ」と呼んで歓待したそうです。

  • 23年前もここへ来て伊東マンショ、原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンの4人へ想いを馳せました。ヨーロッパの新しい知識を身につけて1590年に帰国した4人でしたが、すでに日本では伴天連追放令が出され、禁教の時代に入り、その後の4人の人生には困難が待ち受けていました。

    23年前もここへ来て伊東マンショ、原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンの4人へ想いを馳せました。ヨーロッパの新しい知識を身につけて1590年に帰国した4人でしたが、すでに日本では伴天連追放令が出され、禁教の時代に入り、その後の4人の人生には困難が待ち受けていました。

  • 伊東マンショはマカオへ留学し司祭に叙されますが、弾圧が厳しさを増す中に布教活動を行いながら1612年に病死します。原マルチノはマカオに追放されて1629年に亡くなります。中浦ジュリアンは国内で20年もの間宣教活動を行いましたが捕らえられ、1633年に長崎において殉教します。千々石ミゲルは帰国から10年後に棄教したと伝えられます。

    伊東マンショはマカオへ留学し司祭に叙されますが、弾圧が厳しさを増す中に布教活動を行いながら1612年に病死します。原マルチノはマカオに追放されて1629年に亡くなります。中浦ジュリアンは国内で20年もの間宣教活動を行いましたが捕らえられ、1633年に長崎において殉教します。千々石ミゲルは帰国から10年後に棄教したと伝えられます。

  • 主礼拝堂のオリジナルの彩色されたフランドル祭壇画の13枚のパネルはこの後に行く美術館で見ることができました。この祭壇画は1500年頃にベルギーのブルージュの工房にアフォンソ・デ・ポルトガル司教によって依頼されました。

    主礼拝堂のオリジナルの彩色されたフランドル祭壇画の13枚のパネルはこの後に行く美術館で見ることができました。この祭壇画は1500年頃にベルギーのブルージュの工房にアフォンソ・デ・ポルトガル司教によって依頼されました。

  • 18世紀の祭壇と大理石の内陣は、マフラ修道院の建築家であるJ.F.ルートヴィヒ、通称ルドヴィツェによって制作されました。祭壇にはローマでアゴスティーノ・マスッチによって制作された大聖堂の守護聖人である聖母被昇天の絵画も見えます。

    18世紀の祭壇と大理石の内陣は、マフラ修道院の建築家であるJ.F.ルートヴィヒ、通称ルドヴィツェによって制作されました。祭壇にはローマでアゴスティーノ・マスッチによって制作された大聖堂の守護聖人である聖母被昇天の絵画も見えます。

  • この内陣にはポルトガル国内のエストレモスやシントラ、イタリアのカッラーラ産の白、緑、ピンクの大理石が組み合わされています。マヌエル・ディアスによる美しい十字架「キリストの父」も見ることが出来ます。

    この内陣にはポルトガル国内のエストレモスやシントラ、イタリアのカッラーラ産の白、緑、ピンクの大理石が組み合わされています。マヌエル・ディアスによる美しい十字架「キリストの父」も見ることが出来ます。

  • 左手にある祭壇は非常に珍しい身ごもった聖母像が納められています。一般的には「懐妊の聖母」や「期待の聖母」と呼ばれます。

    左手にある祭壇は非常に珍しい身ごもった聖母像が納められています。一般的には「懐妊の聖母」や「期待の聖母」と呼ばれます。

  • 13世紀から14世紀の石造彫刻に彩色が施されています。マリアがイエスを身ごもってお腹が大きい姿はキリスト教美術において非常に珍しいものです。ポルトガル語では「Senhora do O」と呼ばれますがこの”O”はクリスマスの1週間前に唱えられる「O(おお)」で始まる交唱(アンティフォナ)の習慣に由来しています。

    13世紀から14世紀の石造彫刻に彩色が施されています。マリアがイエスを身ごもってお腹が大きい姿はキリスト教美術において非常に珍しいものです。ポルトガル語では「Senhora do O」と呼ばれますがこの”O”はクリスマスの1週間前に唱えられる「O(おお)」で始まる交唱(アンティフォナ)の習慣に由来しています。

  • イタリアの巨匠パスコアル・カエターノ・オルドヴィーニによるパイプオルガンは、天正遣欧少年使節の伊東マンショと千々石ミゲルが弾いたと伝わります。

    イタリアの巨匠パスコアル・カエターノ・オルドヴィーニによるパイプオルガンは、天正遣欧少年使節の伊東マンショと千々石ミゲルが弾いたと伝わります。

  • シンガポールからマレー半島を北上するという酔狂な旅をした際に立ち寄ったマラッカでは数日滞在した「マジェスティック・ホテル」の近くにあった「聖フランシス・ザビエル教会」にはザビエルとヤジロウの像がありました。天正少年使節団以外にも歴史上は忘れ去られた人々がいたのだろうなと思いました。

    シンガポールからマレー半島を北上するという酔狂な旅をした際に立ち寄ったマラッカでは数日滞在した「マジェスティック・ホテル」の近くにあった「聖フランシス・ザビエル教会」にはザビエルとヤジロウの像がありました。天正少年使節団以外にも歴史上は忘れ去られた人々がいたのだろうなと思いました。

  • 大聖堂を出た後は「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」に向かいました。エヴォラはこの神殿以外にも水道橋をなどが残っています。この神殿はローマ都市のアクロポリスの最高地点に位置しており、もともとはフォーラムと呼ばれる都市複合施設の一部であったと思われます。

    大聖堂を出た後は「エヴォラのローマ神殿/Templo Romano de Évora」に向かいました。エヴォラはこの神殿以外にも水道橋をなどが残っています。この神殿はローマ都市のアクロポリスの最高地点に位置しており、もともとはフォーラムと呼ばれる都市複合施設の一部であったと思われます。

    ディアナ神殿 城・宮殿

  • 神殿はローマ時代の宗教建築の一例で長方形をしており、柱は六柱式と四柱式で配置されています。建物の建設に用いられたモデルは紀元2世紀のトラヤヌス皇帝やハドリアヌス皇帝の神殿設置に用いられたものと同じようです。ギリシャ・ローマ様式やコリント式の溝のある柱はイベリア半島全体で最も保存状態の良い建物の1つとされており、ポルトガルでも唯一無二の例だそうです。

    神殿はローマ時代の宗教建築の一例で長方形をしており、柱は六柱式と四柱式で配置されています。建物の建設に用いられたモデルは紀元2世紀のトラヤヌス皇帝やハドリアヌス皇帝の神殿設置に用いられたものと同じようです。ギリシャ・ローマ様式やコリント式の溝のある柱はイベリア半島全体で最も保存状態の良い建物の1つとされており、ポルトガルでも唯一無二の例だそうです。

  • 最高点にあるローマ神殿と同じレベルには町の給水タンクがありました。プレートを見ると1931年に造られたもののようです。この後に水道橋を見に行くのですが、こちらが先になりました。

    最高点にあるローマ神殿と同じレベルには町の給水タンクがありました。プレートを見ると1931年に造られたもののようです。この後に水道橋を見に行くのですが、こちらが先になりました。

  • 駅から最高点まで登った後は町の反対側に向かって坂を下ります。お昼を食べた後はまた坂を登らなければならないので妻のご機嫌は斜めです。さらにリスポンとはまた違った石畳が歩きにくいです。

    駅から最高点まで登った後は町の反対側に向かって坂を下ります。お昼を食べた後はまた坂を登らなければならないので妻のご機嫌は斜めです。さらにリスポンとはまた違った石畳が歩きにくいです。

  • 目指していたのはこの看板のレストラン「FIALHO」です。店はこの細い路地の先にあります。

    目指していたのはこの看板のレストラン「FIALHO」です。店はこの細い路地の先にあります。

    フィアーリョ 地元の料理

  • この店には23年前の旅でも来たことがあり、予約も無しに1人で食事をした思い出があります。

    この店には23年前の旅でも来たことがあり、予約も無しに1人で食事をした思い出があります。

  • このタイルプレートはポルトガルの観光功労メダルで、金銀銅の3種類があり、これは銀メダルです。中央の羅針盤のようなエンブレムはポルトガル語で風のバラと呼ばれるものです。

    このタイルプレートはポルトガルの観光功労メダルで、金銀銅の3種類があり、これは銀メダルです。中央の羅針盤のようなエンブレムはポルトガル語で風のバラと呼ばれるものです。

  • このプレートは23年前にもあり、写真を撮った記憶があります。開店時間に合わせた午後0時30分に予約を入れてありました。

    このプレートは23年前にもあり、写真を撮った記憶があります。開店時間に合わせた午後0時30分に予約を入れてありました。

  • 入口から入ると細いテーブル席があり、我々はその奥の大きな部屋の席に案内されました。

    入口から入ると細いテーブル席があり、我々はその奥の大きな部屋の席に案内されました。

  • まだお客さんが誰もいないので店内の写真を撮らせてもらいました。もちろん給仕のおじいさんたちに断りを入れて、「23年振りに来たんだよ。」というと驚いた後に喜んでくれました。

    まだお客さんが誰もいないので店内の写真を撮らせてもらいました。もちろん給仕のおじいさんたちに断りを入れて、「23年振りに来たんだよ。」というと驚いた後に喜んでくれました。

  • テーブルの上にはCouvert(クーベル)と呼ばれるフランス語由来の料理が並んでいます。ポルトガルのレストランでも「クーベル」と呼ばれ、パンやオリーブ、チーズ、パテなどあらかじめテーブルに出される有料の前菜です。

    テーブルの上にはCouvert(クーベル)と呼ばれるフランス語由来の料理が並んでいます。ポルトガルのレストランでも「クーベル」と呼ばれ、パンやオリーブ、チーズ、パテなどあらかじめテーブルに出される有料の前菜です。

  • 今回の旅ではちゃんとしたポルトガル料理を食べるのはここが初めてだったので片っ端に食べることにします。まずは「タコサラダ」ですが、2人とも大好きなのでフォークが止まりません。

    今回の旅ではちゃんとしたポルトガル料理を食べるのはここが初めてだったので片っ端に食べることにします。まずは「タコサラダ」ですが、2人とも大好きなのでフォークが止まりません。

  • 「ポルトガルの生ハム」は塩味も抑えられていてとても美味しいです。

    「ポルトガルの生ハム」は塩味も抑えられていてとても美味しいです。

  • こちらはポルトガル語でエンパアダと呼ばれる「ウズラのパイ包み」です。サクサクのパイ生地の中にしっかり味付けされたフィリングが詰まっています。

    こちらはポルトガル語でエンパアダと呼ばれる「ウズラのパイ包み」です。サクサクのパイ生地の中にしっかり味付けされたフィリングが詰まっています。

  • ポルトガルの「Monte de Vinha」のヤギのチーズです。片偉丈夫を蓋のように取り外してトロトロの中身をスポーンですくってパンに付けていただきます。これはめちゃくちゃ美味しいです。

    ポルトガルの「Monte de Vinha」のヤギのチーズです。片偉丈夫を蓋のように取り外してトロトロの中身をスポーンですくってパンに付けていただきます。これはめちゃくちゃ美味しいです。

  • 給仕のおじいさんが上部を刳り抜いてくれました。

    給仕のおじいさんが上部を刳り抜いてくれました。

  • 小麦の産地のパン・アレンテージャノはシンプルですがとても美味しいです。

    小麦の産地のパン・アレンテージャノはシンプルですがとても美味しいです。

  • スパークリングの水と白ワインをボトルで注文して美味しくいただきます。

    スパークリングの水と白ワインをボトルで注文して美味しくいただきます。

  • 白ワインは「キンタ・ド・パラル・スペリオール2021」です。地元のワインを選んでもらいましたが、すっきりして飲みやすかったです。

    白ワインは「キンタ・ド・パラル・スペリオール2021」です。地元のワインを選んでもらいましたが、すっきりして飲みやすかったです。

  • 23年振りに再訪したレストランの料理に大満足です。1人ではスープと1プレートの注文しかできなかった記憶があります。

    23年振りに再訪したレストランの料理に大満足です。1人ではスープと1プレートの注文しかできなかった記憶があります。

  • 本日のスープはカルド・ヴェルデ、野菜のスープですが具材はほぼ原形をとどめていません。

    本日のスープはカルド・ヴェルデ、野菜のスープですが具材はほぼ原形をとどめていません。

  • 妻のメインは海老とハタのリゾットですが、かなり量が多いので最後はちょっとお手伝いしました。

    妻のメインは海老とハタのリゾットですが、かなり量が多いので最後はちょっとお手伝いしました。

  • こちらはどうしても食べたかった「豚とアサリのアレンテージョ」です。アサリと豚肉を炒めるというはっすは日本にはありませんが、アサリの出汁がよく合います。

    こちらはどうしても食べたかった「豚とアサリのアレンテージョ」です。アサリと豚肉を炒めるというはっすは日本にはありませんが、アサリの出汁がよく合います。

  • ここまでの数日間はポルトガル時間に遭わなかったり調子がよくなかったりでホテルでカップ麺を食べたりしていましたが、この後は呆れるほどいろいろなものを食べ続けました。

    ここまでの数日間はポルトガル時間に遭わなかったり調子がよくなかったりでホテルでカップ麺を食べたりしていましたが、この後は呆れるほどいろいろなものを食べ続けました。

  • セリカ・カ・アメイジャというプラムの塩漬けが添えられたケーキです。ふわふわのスポンジケーキで、サンタクララの「エルヴァ修道院」で生まれたとされています。

    セリカ・カ・アメイジャというプラムの塩漬けが添えられたケーキです。ふわふわのスポンジケーキで、サンタクララの「エルヴァ修道院」で生まれたとされています。

  • フィダルゴというアレンテージョの伝統菓子で、卵黄と砂糖の濃厚なケーキです。ここでまた問題で、クレジットカードの時期の問題なのか店のカード読み取り機の問題なのか何度トライしてもカードが受け付けられません。これはこの後30回くらい同じようなことがありました。店の人とその間楽しく会話できるので良かったのですが、その後今日まで日本やその他の世界中でカードは使えているので不思議なことでした。

    フィダルゴというアレンテージョの伝統菓子で、卵黄と砂糖の濃厚なケーキです。ここでまた問題で、クレジットカードの時期の問題なのか店のカード読み取り機の問題なのか何度トライしてもカードが受け付けられません。これはこの後30回くらい同じようなことがありました。店の人とその間楽しく会話できるので良かったのですが、その後今日まで日本やその他の世界中でカードは使えているので不思議なことでした。

  • 午後は「アグア・デ・プラタ水道橋/Aqueduto da Água de Prata」の見学からスタートです。<br />

    午後は「アグア・デ・プラタ水道橋/Aqueduto da Água de Prata」の見学からスタートです。

  • エヴォラ市に水を供給することを目的としたルネサンス期の水理工学の複雑な建造物です。王室建築家フランシスコ・デ・アルルダによって設計と建設がされ、ジョアン3世の治世の1537年に開通しました。

    エヴォラ市に水を供給することを目的としたルネサンス期の水理工学の複雑な建造物です。王室建築家フランシスコ・デ・アルルダによって設計と建設がされ、ジョアン3世の治世の1537年に開通しました。

  • 町の傾斜に合わせているので場所によっては下をしゃがまないと通れないほどです。

    町の傾斜に合わせているので場所によっては下をしゃがまないと通れないほどです。

  • この高さになるとアーチにしなくてもいいような気もしますが、アーチによって強度が保たれているような気もします。

    この高さになるとアーチにしなくてもいいような気もしますが、アーチによって強度が保たれているような気もします。

  • 斜面を下るにつれて水道橋の高さは高くなり、アーチの間には家が建てられています。

    斜面を下るにつれて水道橋の高さは高くなり、アーチの間には家が建てられています。

  • 水道橋はまだまだ続いていきますが、同じアーチの連続なのと後から建てられた家が邪魔して真っすぐ進めません。前に来た時は近くの公園で人形劇をやっていて、小さな子供たちが楽しそうにしているのを見ました。その時の子供たちも30歳近くになっていると思うと年月の流れの速さを感じます。

    水道橋はまだまだ続いていきますが、同じアーチの連続なのと後から建てられた家が邪魔して真っすぐ進めません。前に来た時は近くの公園で人形劇をやっていて、小さな子供たちが楽しそうにしているのを見ました。その時の子供たちも30歳近くになっていると思うと年月の流れの速さを感じます。

  • 再び坂道を登って「エヴォラのローマ神殿」のある広場まで戻ってきました。ここには「ポサーダ コンベント デ エヴォラ/Pousada Convento Évora」もあります。このポサーダの建物はこれから入る「ロイオス教会」の修道院の部分になります。

    再び坂道を登って「エヴォラのローマ神殿」のある広場まで戻ってきました。ここには「ポサーダ コンベント デ エヴォラ/Pousada Convento Évora」もあります。このポサーダの建物はこれから入る「ロイオス教会」の修道院の部分になります。

  • 「ロイオス教会/Igreja dos Loios」の見学に入ります。ここの入場料は1人4ユーロでした。赤いベルベットのカーテンが下がり、中に太陽光線が入らないようにされていますが、1975年に放送された「フランダースの犬」というアニメを思い出します。

    「ロイオス教会/Igreja dos Loios」の見学に入ります。ここの入場料は1人4ユーロでした。赤いベルベットのカーテンが下がり、中に太陽光線が入らないようにされていますが、1975年に放送された「フランダースの犬」というアニメを思い出します。

  • この教会は1485年にアフォンソ5世王の従者であったロドリゴによって創設され、彼は自身の棺と家族のパンテオンをサント・エロイ修道士たちに託し、これは彼の家族に託されました。ロドリゴも中世の城の領地を修道院建設のために残し、教会は1491年に献堂されました。

    この教会は1485年にアフォンソ5世王の従者であったロドリゴによって創設され、彼は自身の棺と家族のパンテオンをサント・エロイ修道士たちに託し、これは彼の家族に託されました。ロドリゴも中世の城の領地を修道院建設のために残し、教会は1491年に献堂されました。

    ロイオス教会 寺院・教会

  • バロック様式の祭壇と壁面を埋め尽くすアズレージョタイルの組み合わせが美しいです。

    バロック様式の祭壇と壁面を埋め尽くすアズレージョタイルの組み合わせが美しいです。

  • 祭壇はアルターと呼ばれ、緻密な木彫に金箔を施したタユ・ドラダが美しいです。中央にはさらにゴールド一色の聖櫃が納められています。

    祭壇はアルターと呼ばれ、緻密な木彫に金箔を施したタユ・ドラダが美しいです。中央にはさらにゴールド一色の聖櫃が納められています。

  • 17世紀から18世紀にかけて扉壁と切妻が再建されました。側面のアズレージョタイルは創設者であり初代カダヴァル公爵の子孫であるドゥ・ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラ・デ・メロによって、リスボエタの巨匠アントニオ・デ・オリベイラ・ベルナルデスへ注文されました。

    17世紀から18世紀にかけて扉壁と切妻が再建されました。側面のアズレージョタイルは創設者であり初代カダヴァル公爵の子孫であるドゥ・ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラ・デ・メロによって、リスボエタの巨匠アントニオ・デ・オリベイラ・ベルナルデスへ注文されました。

  • 身廊の側面パネルにはロイオス会にとって重要な聖人であるローレンス・ジュスティニア―ノの生涯の7つのエピソードが描かれています。

    身廊の側面パネルにはロイオス会にとって重要な聖人であるローレンス・ジュスティニア―ノの生涯の7つのエピソードが描かれています。

  • その聖人の生涯については調べてみても詳しくは分かりませんでした。ただ、アズレージョタイルの美しさは先日行ったリスボンの「国立アズレージョ博物館」に匹敵するようなクオリティです。

    その聖人の生涯については調べてみても詳しくは分かりませんでした。ただ、アズレージョタイルの美しさは先日行ったリスボンの「国立アズレージョ博物館」に匹敵するようなクオリティです。

  • 身廊の左側には守護聖人の壇が白大理石の手すりのバルコニーで際立っています。このバルコニーは3本のしっかりとしたコーベルで支えられ、多色彫刻の天蓋が設けられています。破風にはカサ・ド・カダヴァルの紋章があります。

    身廊の左側には守護聖人の壇が白大理石の手すりのバルコニーで際立っています。このバルコニーは3本のしっかりとしたコーベルで支えられ、多色彫刻の天蓋が設けられています。破風にはカサ・ド・カダヴァルの紋章があります。

  • パネルには1711年の日付が記されており、自然で表現力豊かな人物や大きな場面など、アントニオ・デ・オリベイラ・ベルナルデスの最も壮大な作品の1つです。

    パネルには1711年の日付が記されており、自然で表現力豊かな人物や大きな場面など、アントニオ・デ・オリベイラ・ベルナルデスの最も壮大な作品の1つです。

  • リブのヴォールトで覆われた隣接する聖具室の中も見学します。

    リブのヴォールトで覆われた隣接する聖具室の中も見学します。

  • 中央にはキリストの磔刑を描いたクルチフィクス(十字架像)が描かれています。

    中央にはキリストの磔刑を描いたクルチフィクス(十字架像)が描かれています。

  • 18世紀のアズレージョ画家、アントニオ・デ・オリベイラの署名の入ったアズレージョタイルです。1754年の年号が入っているので1755年のリスボンの大地震の前円に造られたことが分かります。

    18世紀のアズレージョ画家、アントニオ・デ・オリベイラの署名の入ったアズレージョタイルです。1754年の年号が入っているので1755年のリスボンの大地震の前円に造られたことが分かります。

  • 聖ヌーノ礼拝堂は比較的新しく、カダヴァル公爵夫人が息子のドン・ヌーノ・アルバレス・ペレイラ・デ・メロを偲んで建立したものです。

    聖ヌーノ礼拝堂は比較的新しく、カダヴァル公爵夫人が息子のドン・ヌーノ・アルバレス・ペレイラ・デ・メロを偲んで建立したものです。

  • この礼拝堂の見どころは16世紀の彫刻のようです。「ロイオス教会」の後は「カダヴァル公爵邸」と「セナクロ美術館」の見学に移ります。

    この礼拝堂の見どころは16世紀の彫刻のようです。「ロイオス教会」の後は「カダヴァル公爵邸」と「セナクロ美術館」の見学に移ります。

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2024ポルトガルの旅(1)

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