2009/08/20 - 2009/08/20
2554位(同エリア6120件中)
さっくんさん
今回も大昔の旅から奈良の旅を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
奈良にきました。鹿が出迎えてくれました。
-
運慶、快慶作の余りにも有名な仁王像をスタートに奈良の散策を開始します。保存と保安の為なので仕方ないのですが、網が邪魔で上手く写せませんでした。此方は吽形口を閉じている人です。
-
此方は口をあんぐりと開けたア行じゃなかった阿形様です。私の世代だと北斗の拳の二神風雷拳の使い手、カサンドラの監獄の門番、フウガとライガを思い出してしまいます。
-
東大寺は歴史上二度消失しています。一度目は平家物語、「南都焼討」に語られる様に平清盛の命を受けた平重衡の攻撃を受けて炎上焼失してしまいました。これは平家に対抗的な態度を取った東大寺や興福寺等の寺院勢を攻撃した結果です。
仏法説話の性格の強い平家物語では、こうした仏教に対する大罪が、清盛の横暴さを示すエピソードとして挿入され、後半の平家没落劇の理由付けとなって来ます。 -
平重衡による東大寺の焼失は鎌倉時代に再建の運びとなりました。しかしそれも束の間、戦国時代に戦国時代一の悪党と名高い松永久秀により焼失してしまいました。大仏を含む東大寺は江戸時代に復興されました。
-
東大寺大仏殿を正面から眺めました。華厳宗大本山であり、開山は良弁。本尊は廬舎那仏です。
-
世界最大級の木造建築である大仏殿の中に。像高約15mの廬舎那仏が鎮座しています。世界には寝てたり、立ってたりする巨大仏様もいますが、日本人としてはやっぱり座像です。大きさ以上に大きさを感じます。
-
ガキンチョの頃は大仏様はパンチパーマをかけているとマジで思っていました。そう言えば今もパンチパーマってあるのでしょうか?最早死語?
-
アジアを旅していると、様々な仏像と対面する事になります。仏教は元々仏像を拝む習慣はありませんでした。それ以前は仏塔(ストゥーパ)が礼拝の対象でした。仏像は現パキスタンのガンダーラにアレキサンダー大王の東征の折り、この地にヘレニズム文化が伝わり、彼等が彫っていた彫像に触発され、仏像が生まれました。そして当時生まれた大乗仏教の広がりと共に、各地で仏像が彫られる事になりました。
-
ガンダーラの初期の仏像は、まるで西洋人の様な顔立ちをしていますが、年代を経る事により、インド人に近い顔立ちに変わり、仏像の体も丸みを帯びています。シルクロードを中国から中央アジアには仏画が描かれた石窟が点在しますが、敦煌では漢民族の顔立ちだった仏様が、クチャの石窟では、ウイグル族の顔立ちに変わります。
-
仏教だけじゃなく、キリスト教も、地域によっては黒人の場合もありますし、その国によって顔立ちは異なります。奈良の大仏の顔は当時の日本人の理想の顔立ちなのでしょうか?
-
大仏殿を支える柱の一つに、小さな穴が開いています。その穴を潜る事が出来たら願いが叶うと言う謂れがあります。昔修学旅行の時やりました。今でも出来るかな?
…なんとかなりました!でも、もし抜けなくなってプーさん状態になってしまったら、世界遺産の柱を傷つけないように、どうやって救出するのでしょう?
因みにこの穴の大きさは、大仏様の鼻の孔と同じ、大きさとの事。次いくときは大仏様の鼻の穴に入りましょう。 -
東大寺からすぐ近く、大仏建立にあたり宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請さえた手向山八幡宮があります。古今和歌集で菅原道真が
「このたびは、幣もとりあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに」
と詠んでいます。 -
今でこそ穏やかな鹿ですが、江戸時代には死傷者が出る程狂暴であったにもかかわらず、神の使いなので人は手を出せず、違う意味で畏れられていた様です。インドの牛と一緒で庶民には厄介な存在だった様です。
-
現在では鹿は人に馴染み、人々に愛される存在となっています。しかし昨今インバウンドで海外から訪れる観光客の増加に伴って、招かざる客も増えた事で、トラブルに発展する事も多くなってしまった様です。しかし神の遣いの鹿は、人の良し悪しを見抜く事が出来る様です。どうぞ御成敗してください。
-
水谷橋を渡って春日大社を目指します。
-
春日大社表参道を歩きます。
-
春日大社を訪問しました。全国で1000社ある春日大社の総本山です。768年に平城京の守護と国民の繁栄を祈願して創建されました。主祭神が白馬に乗って現れたとされた事から鹿を神の使いとしています。
-
春日大社は藤原氏の氏神ですが、平家物語でも、平重盛の夢の中で搭乗します。非常に不吉な夢で、平家の悪行と今後を示唆する様な夢で、しかも重盛以外も同じ夢を見ると言う展開です。
-
奈良公園の鷺池に突き出す形に築かれた浮見堂。
-
興福寺を訪れました。アシュラマン、いや、阿修羅像で有名な寺院です。
-
興福寺もまた、東大寺と共に重衡の攻撃により焼け落ちました。しかしそれには理由があります。平家と南都の寺院は以仁王の反乱以降つと険悪になっていましたが、平清盛が、出来るだけ刺激しまいと軽装で派遣した兵を、南都の僧兵が斬首し、その首を此処猿沢池の端に並べると言う暴挙に出ました。これに激怒した清盛が、重衡を南都に派遣し報復したと言う経緯です。
-
平家物語は仏話の性格が強いので、寺院や大仏が焼失したこの事件を、平家の暴虐として描き、後半の滅亡劇への因果応報と捉えますが、当寺の寺院勢力は、政治にも密接に癒着していましたし、武力も存分に有していたので、この件ばかりは、どっちもどっちな気がします。
-
五重塔を従えた興福寺です。法相宗の大本山。本尊はアシュラマンでは無く、中金堂の釈迦如来。南都七大寺のひとつ。藤原氏の祖、藤原鎌足とその子息不比等所縁の寺院で藤原氏の氏寺です。
-
藤原冬嗣が父の内麻呂の追善の為建立した南円堂。不空羂索観音菩薩が本尊。西国三十三所の第9番札所。
-
東大寺と言い、興福寺と言い、奈良の古代仏閣はスケールの大きさを感じます。
-
正倉院です。西安からカシュガルの旅、ウズベキスタンの旅思い出すなぁ…。おっといけない09年当時はウズベキスタンと西安は訪問済みですが、蘭州からカシュガルは翌年訪れています。此処にて西安とウズベキスタンの旅を振り返り、蘭州からの旅に想いを馳せていた頃でしょう。
-
大池越しに薬師寺を眺めました。
-
薬師寺に到着です。法相宗の大本山。本尊は薬師三尊、南都七大寺のひとつ。開基は天武天皇です。
あれ?法相宗の大本山はふたつあるの?(解る人いらっしゃいましたら、教えてください。m(__)m) -
平城遷都に伴い創建された薬師寺、金堂。今昔物語の時代では僧侶であっても立ち入れない特別なお堂だったそうです。
-
薬師寺三重塔。金堂を中心に左右に聳えます。
-
薬師寺、大講堂。奈良の古寺では大講堂を持つ寺院があります。僧侶達が集まって教義について学び、議論を重ねます。チベットでもその様な施設があり、今日も活発に僧侶を目指す若者が議論に熱を出しています。
-
金堂と左右に控えた三重塔を一緒に。
格好良い! -
前面に大講堂(半身)その奥に金堂と三重塔。
-
唐招提寺は南都六宗のひとつ律宗の総本山、本尊は廬舎那仏、開基は鑑真。
-
鑑真は日本の求めに応じ、日本に仏教の真の戒律を伝える為、密告や幾度の渡航阻止、暴風、そして病と疲労による失明を乗り越え、6度目の挑戦で漸く日本に辿り着く事が出来ました。それにしても、それまでして。宗教の力を思い知らされます。
-
鑑真さんのお墓参りに向かいます。此処にいると言う事は故郷に帰れなかったのですね…。遥々日本までありがとうございます。
-
往時の中国の僧侶は、国禁を破って迄天竺迄経典を入手の為に旅を続けた玄奘三蔵と言い、5度の挫折をものともせず日本まで戒律を伝えに来てくれた鑑真と言い、気骨溢れる僧侶がいたのです。安らかに眠って下さい。日本の為に人生を尽くして下さりありがとうございます。
-
538年、日本に仏教が伝わりましたが、その際に伝わった戒律は不完全なものでした。当時出家した僧は税を免じられていましたが、それを良い事に税を逃れる為だけに僧侶となって何もしない糞坊主ばかりになってしまいました。そんな訳で命懸けで鑑真さんに来日して貰った訳です。
そんな戒律を受ける為に結界が整った場所が戒壇で、此処で受戒を受ける事で出家者が正式な僧侶として認められます。 -
郡山城を。訪れました
-
豊臣秀長が居城とした城です。天守閣の再建はありませんが、櫓や門等が再建されています。
-
無理やり天守閣を作らなかった事は正解だと私は思います。
-
豊臣秀長は、温和な性格で信頼の高い武将であり、秀吉にも物を申せる立場にあり、秀吉の信頼も篤かった様です。しかし、残念ながら秀長は此処郡山城にて早世してしまいます。彼が長生きしていたら、歴史は変わっていたかもしれないと言われています。
今年26年の大河ドラマでは吉岡里穂さんを妻役に秀長の物語が進行中です。さぞ天国で秀長も鼻の下を長く伸ばしている事でしょう。羨ましすぎです。
-
豊臣秀長の死後4年、今度は秀吉から関白の座を譲られた豊臣秀次が謀反の疑いをかけられ切腹させられ、一族郎党京都三条河原にて無惨に処刑されました。この事件がきっかけで豊臣政権は大きく揺らぎます。そしてそれから3年、豊臣秀吉も亡くなる事になります。
-
1591年豊臣秀長死去、1595年豊臣秀次切腹、1598年豊臣秀吉死去、1599年前田利家死去、1600年関ヶ原の合戦…。次々と逝去した豊臣の血筋と豊臣の重鎮。そして関ヶ原の戦い…只の偶然でしょうか?そう思ってしまう私は只の陰謀論者でしょうか?
-
同年代の武将達が天下統一を目指し戦っていたのですから、当時の平均年齢を鑑みても、同時期に次々ととは言え、不思議な事では無かったのかもしれません。しかし、豊臣秀長の暗殺説も語られていますし、秀次の切腹に至っては謎が多く残されたままです。彼等が亡くなって、明らかに得をする人間が傍にいる訳ですから、余計そう考えてしまうのかもしれません。
-
それにしても豊臣秀長は調べれば調べる程、良い噂しか出てこない、珍しいタイプの武将です。統治能力も戦った様で、各地の領地経営で才覚を発揮しています。此処奈良も寺社仏閣が多く、経営するのが難しい地でしたが、大きな揉め事も無く慕われていた領主だった様です。
-
そんな彼が病に倒れた時は、寺社仏閣の人々も、病の治癒を祈願して多くの人が祈りを捧げたと言います。彼は秀吉の朝鮮出兵に対しても採算諫めていた様です。年老いて横暴になってしまった秀吉に、物申せる数少ない人物でした。
-
彼は武勇で名を馳せたタイプではありませんし、秀次の様にショッキングな最期を遂げた訳でも無いので、数少ない豊臣血縁の武将ながら知名度がイマイチでは、ありますが、非常に重要なポジションにいた優秀な武将と言えるでしょう。
-
城郭も何処と無く地味ですし…。
-
決して派手では無くとも解る人には解る。豊臣秀長も郡山城も、そんな人であり城なのかもしれません。格好良いなあ。肖りたい。
大河ドラマでは吉岡里帆さんを妻に迎えており…そっちの方こそ肖りたい(笑) -
奈良最後に訪れたのは柿食えば鐘がなるお寺。そう法隆寺です。
-
中門に控える日本最古の金剛力士像、吽形様。
-
って事はこっちが阿形様。因みにどちらがツッコミでしょうか?
-
法隆寺は聖徳宗の総本山、本尊は釈迦如来、創建当時は斑鳩寺と呼ばれていました。開基は聖徳太子と推古天皇です。
-
阿形様と吽形様のおうち、法隆寺中門。
-
日本最古の塔である法隆寺の五重塔。最古であるに関わらず、超ハイテクな免震構造が組み込まれてます。そうじゃなかったら今建ってないよなぁ。古い時代の建築技術に舌を巻きます。(英語の発音上手くなるかな?)
-
法隆寺の七不思議は有名な話です。
1法隆寺には蜘蛛が巣を作らない
2三波代門前の鯛の形をした石より先は水没しない。
3五重塔の先に鎌がかけられている。
4西院伽藍にある謎の伏蔵
5法隆寺のカエルには片目が無い。
6夢殿の礼盤の下が汗をかく。
7雨だれが通常穴を開けてしまう地面の石に穴が開かない。
1,5,7,は「そうじゃない」事が確認されているとか。不思議は不思議に留めておきましょうよ。大人じゃ無いなぁ…(笑) -
法隆寺の五重塔と金堂を合わせて写しました。金堂は西院伽藍最古の建築で、入母屋造りの屋根を持ちます。薬師如来像や釈迦三尊像等様々なお宝が眠っています。
-
夢殿です。聖徳太子を追慕して建立された法隆寺東院の中心的建造物です。救世観音を本尊に、創建と再興に携わった行信、道詮の銅像も安置します。
-
東京で暮らしていると、中々関西までは足が延ばせず、歴史散策と言えば京都に足を延ばしてしまいがちですが、奈良の寺社仏閣は京都とは全く様式が異なり、時代が違うだけで、これだけ変化があるのかと改めて驚いた次第です。やっぱり実際訪れる事は大切な事です。折角此処まで来たのですから、大阪に立ち寄って帰宅しようと思います。
-
奈良の帰りに大阪に立ち寄りました。大阪と言えば大阪城に向かいました。大阪を訪ねるのは初めて、全くのおのぼりさんです。いざチケットを買おうと長蛇の列に並びました。
「流石大阪城、と~っても大人気でチケット買うのも長蛇の列!それにしても女性が多いなぁ。まぁ歴女とか歴史が好きな女性が増えた様なので…。歴史ファンなんて一昔前はムサイオッサンばっかりだったのに(←自分の事)」 -
なぁんて考えながら列に並び、金額を確かめると〇〇〇〇円と、なんか桁が違います。混雑する脇から目線をずらすとS席とかA席とか???アリーナ???え???なんか違う!
-
翌々見ればこの長蛇の列は大阪城じゃなくて、大阪城ホール。紛らわしいんじゃ~い!そしてこの長蛇の女性の列は福山雅治さんのコンサート。女性が多いのも納得です。失礼しました~!
顔を真っ赤にして退散です。 -
大坂城はまるでキメラの様な模擬復興天守閣と言えます。大坂の陣の後、徳川秀忠が築いた徳川家の大坂城の石垣の上に、豊臣家時代の大坂城を文献等を参考に、復興した天守閣となります。しかし三代目にあたる現在の復興天守閣が歴史上一番長い間存在する大坂城となり、有形文化財となり、大阪の人からも愛される大阪のシンボルとなっています。
-
建築当時では豊臣家の石垣は埋没しており、其処から復興する事は現実的では無かったと思いますし、大阪人では無くとも」、大阪に復興天守を建てるのなら、豊臣家のものを建てるのが筋と言うものだと思います。
-
そんな中、25年4月に豊臣方が築いた石垣を展示する石垣館がオープンするとの事です。万博よりずっと刺激的なニュースです。
-
大坂城は豊臣が建てた天守閣は連結式望楼型、徳川家が築いたものは独立型層塔型。そして現行の城は独立式望楼型で建てられています。
-
迫力満点です。流石大坂の城。
-
私の大坂城のイメージは豊臣秀吉の城と言うよりは淀殿の城と言うイメージが強いです。淀は豊臣氏を滅ぼした張本人として悪女として描かれる事も多かったですが、本当にそれだけでしょうか?
-
淀殿の母は織田信長の妹、お市の方と浅井長政の間に生まれました。お市の方と浅井長政は三人の女の子が出来ました。淀殿は長女、次女初(後の京極高次正室)、三女は江(後の徳川秀忠継室)
-
彼女は人生で三度の落城を経験しています。最初の落城で兄に父を殺されました。続いて母が嫁いだ柴田勝家の北庄城に暮らしますが、それも束の間、豊臣秀吉との戦争となり、義父と母を失いました。そして義父と母を殺した秀吉の側室にされました。
-
しかしその秀吉の子を儲ける事で運命は激変しました。秀頼は、その容姿から秀吉との子では無いのではないか?との説もあります。であったとしても私的に彼女を責める事は出来ません。どちらにせよ、彼女にとっては、この子さえいれば、私の身は安全だと、もう落城の恐ろしさを味わう事は無いと思ったに違いありません。
-
しかし運命はとても残酷でした。徳川家康によりジワリジワリと豊臣の力は奪われ追い詰められていきます。徳川家には三女の江が。仲裁には次女の初が…。これだけでも何と言う残酷な…。人一倍落城の恐ろしさ、惨めさを知っている彼女が、大坂城に拘り、籠り、決して大坂城を出なかった事を私は責める事なんか出来ないと思います。
-
淀殿は燃える大坂城で何を想っていたのでしょう?もしかすると母、お市の方の最期を考えていたのではないでしょうか?二度目の落城で、お市の方は、救援にきた武士に三人の娘を預けると、制止を振り切って敗将となった夫柴田勝家と運命を共にする運命を選びました。
-
お市の方の時の様に子供だけでも助けれれば良かったのでしょうが、あの夏の陣の状況では、例え城を出れたとしても秀頼が生き延びれた選択肢は無きに等しく、せめて虚偽は解らぬものの母と共に果てた方が武士として最善の方法だったのかもしれません。
-
戦国時代、男たちの戦いに隠れて、運命に翻弄された女性達は数多くいたに違いありません。何度も大波に飲まれそうになりながら、必死に生きようと試みた彼女達、そして淀殿に、合掌。
-
大坂の城を堪能しました。数奇な運命を辿った淀殿に想いを馳せました。真田幸村を始め、戦国武将達の散り際の城だったとも言えるかもしれません。正に兵どもの夢の跡。堪能させて頂きました。
-
夜の道頓堀を楽しみます。道頓堀は初めて。龍が如くで知っているだけです。おっかない人が襲ってこないかな?眼帯姿の変なおじさんいないかな?
-
道頓堀を楽しませて頂きました。って本場のたこ焼きを楽しんだだけですが…。
最期迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
日本の旅
-
全部、京都のせいだ!
2009/07/29~
京都市
-
姫路城
2009/07/29~
姫路
-
日光
2009/08/04~
日光
-
松本城
2009/08/06~
松本
-
江戸城
2009/08/09~
東京駅・大手町・日本橋
-
鎌倉・江の島
2009/08/13~
鎌倉
-
広島
2009/08/19~
宮島・厳島神社
-
奈良
2009/08/20~
奈良市
-
熊本城
2009/08/24~
熊本市
-
福山城と岡山城
2009/08/25~
岡山
-
会津
2009/08/28~
会津若松
-
彦根城から浜松城
2009/08/29~
滋賀
-
名古屋城から浜松城
2009/08/30~
名古屋
-
松江城・備中松山城
2009/09/05~
松江・松江しんじ湖温泉
-
長野
2010/08/20~
長野・篠ノ井
-
甲斐
2010/09/05~
甲府・湯村
-
鶴見川
2011/08/08~
神奈川
-
日原鍾乳洞
2013/08/01~
奥多摩
-
奥多摩
2013/08/07~
奥多摩
-
高尾
2013/09/01~
高尾・八王子
-
聖地巡礼 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
2013/09/10~
秩父
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(事前準備編その1福井丸岡城)
2025/03/22~
永平寺・丸岡
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(事前準備編2金沢)
2025/03/22~
金沢
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(観劇に感激編)
2025/03/23~
和倉温泉
-
現存12天守閣巡り8城目、弘前城
2025/03/26~
弘前
-
雨晴海岸にて自分への誕生祝と今年の運試し 北陸の旅 完結編
2025/04/05~
氷見
-
未訪問県、訪問の旅の筈が…鳥取編
2025/04/28~
鳥取市
-
未訪問県訪問の旅の筈が…和歌山城、伊賀上野城編
2025/04/29~
和歌山市
-
未訪問県訪問の旅の筈が…佐和山城そして関ケ原編
2025/04/30~
彦根
-
未訪問県訪問の旅の筈が…彦根城、安土城編
2025/05/01~
近江八幡・安土
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
奈良市(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 日本の旅
0
80