2009/07/29 - 2009/07/30
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さっくんさん
今回も大昔からの旅行記です。姫路城を後にして京都に向かった旅行記です。前回、姫路城の大修復をきっかけに思い出したかの如く国内を旅した私でしたが、姫路城の次に訪れたかったのが京都でした。修学旅行以来の京都でしたが当時の私お最大の関心事は平家物語の舞台巡りでした。
私は基本旅の一日を一記事にしていますが、この内容は余りにも多くを巡っているので、姫路城を拝観後京都に向かい、大原と清水寺界隈迄で一日、翌日早朝から京都をぐるりと巡った旅だったと思います。
今回の旅行記で私の国および海外の旅行記の全てのストックを出し尽くしました。今後は新しい旅、及びクチコミのの更新となります。頻繁に旅には出れませんので間は空いてしまうかもしれませんが、勿論定期的にここを訪れますので、今後とも宜しくお願いいたします。
丁度良いタイミングで、来週から新しい旅に出ます。いつも通りイスラームをテーマにした旅ですが、イスラーム圏ではありません。そして、いつもの如く、世間を騒がしている旅先なので、少々緊張もあります。と言う訳で二週間程お休み頂きます。m(__)m
さっくん
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京都へやってきて最初先ずに向かったのは郊外も郊外、大原にある寂光院です。
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平家物語の最終話、灌頂の巻の舞台として有名な場所です。
寂光院の鐘の声、今日も暮れぬと打ち知られ…。
平家物語、灌頂の巻、最終話、女院死去の冒頭です。平家物語冒頭の祇園精舎の鐘の声と寂光院の鐘の声が絶妙に共鳴して、物語を締め括ります。本当素敵な終わり方だと思います。 -
平家物語はタイトル通り平安末期から平家の没落迄を描いた小説ですが、様々な諸本が残り、初期には源氏方の目線として描かれた形態のものも残っています。軍記として描かれたのなら、寧ろそちらの方が自然な流れだと思います。何故ならいつの時代も世界中で、歴史は勝者の目線で描かれるからです。
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しかしいつしか仏教色が作品に濃厚に投影され、琵琶法師が口伝でこの物語を語り継ぐ様になり、現在の様な敗者の目線からなる歴史小説へと姿を変えました。琵琶法師の所属する宗派、地域により様々な諸本が発生しました。これらを語り本系と呼び、一般的に平家物語と言えば、この語り本系を指します。
一方口伝で伝えられたものに、様々なエピソードを加えたものを読み本系と呼び、その代表として源平盛衰記があります。(延慶本等語り本系より古式な読み本系もある。) -
そんな諸本の中で一番一般的なものは覚一本系と呼ばれるもので、先に述べた灌頂の巻が含まれるのが大きな特徴です。灌頂の巻は、平家物語を裏から操っていた黒幕とも言える後白河法皇が、一時は平家の棟梁の妻として国の頂点に立ちながら、今では敗者となり尼となってひっそりと身を忍んで暮らす建礼門院徳子と逢う為、寂光院を訪れる事から始まります。
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この庵の中で、建礼門院徳子は平家の運命を弄んだこの権力者を前にして、どの様な想いを抱いたのでしょうか?建礼門院徳子は静かに過ぎ去った日々を回想します。過ぎ去った日々を仏教の六道に例え乍ら。
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灌頂の巻は、後白河法皇と建礼門院徳子の対談と言う形で、過ぎ去った日々を回想する内容ですが、作品としての統括を行う役割も果たしていると共に、仏教の六道の解説の世界観の解説も含んでいます。他の諸本では平家が滅んで終わってしまいますが、やはり感情の巻を読み終えてこそ、この長きに渡ったトラジェディ(悲劇)を読み終えたと言う気持ちになれると思います。
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六道とは仏教で説かれる6つの世界で、人の死後生前の行いに依り六道のいずれかの世界に生まれ変わると言う考え方です。天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つ世界観があり、いずれも苦しみや迷いを伴い、人々はこの六道から抜け出し、極楽往生する事を願いました。
建礼門院徳子は清盛の旺盛から彼の死、そして没落し壇ノ浦に至る過程を、六道のそれぞれに当てはめて語りました。 -
私が平家物語が好きな点として、人間味があると言う点が挙げられます。敦盛の件で手柄の為に敦盛を討たねばならなかった熊谷次郎直実が、自分の子供の様な敦盛を討ってしまった事を後悔し、侍を辞め仏門に入るエピソード。
滅びゆく平家の総大将宗盛は侍としては死ぬべきところで生き延びてしまい、侍としてはダメダメに描かれながらも人間性としては、当然、いや寧ろ人間味溢れる様に描かれています。 -
これが後世になると、侍社会も完成に近づき、江戸時代にもなると儒教の影響も強まり、「侍ならかくあるべし」な社会となり、方や人間味は失われてしまった様に私は感じます。例えば現在でも仕事の命令だから致し方無いとは思えど、一人の人間としては…??って思う事多々あります。
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壇ノ浦の戦いで、多くの平家の武士や女子達も、武士なら最後は自ら…と言う最期を遂げる中、総大将である宗盛は泳げたのが不幸にして泳いでしまい源氏に生け捕りにされてしまいました。
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その後宗盛は一旦鎌倉に送られ頼朝と謁見し、再び護送される途中に処刑されました。武士としてなら後腐れ無く切られるのが作法でしょうが、宗盛は最期迄抗い、そして最後に遺した言葉は
「右衛門督(実子の清宗の事)も既にかぁー!」
だったと言われます。宗盛は棟梁としてはいざ知らず、息子想いのパパだった様です。こんな恥をさらして生き抜いたのも息子がいたからこそ。例え斬られる運命だったとしても、二人一緒にと思っていたのに、生きている内に離れ離れにされるとは…。との想いだったそうです。 -
もし、自分がそんなシチュエーションに立ったのなら、侍として立派な(仕事が出来る)父親より、宗盛の様な、自分の事を大切に思ってくれる父親の方が尊敬出来ると思います。
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歴史を学んでいると、どうしても華々しい武勇ばかりが目立ちます。まるで殺戮マシーンの様に。そして男なら誰しも、誰が一番強かったかを語り合ったりするものです。でも、その陰に隠れて、その武将の人間味溢れるエピソードを知った時、たとえそれが無様な事であっても、武勇より私にとってポイント高く感じます。平家物語にはそんなエピソードが多く残されています。
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伝え遅れましたが、寂光院は天台宗の尼寺。本尊は地蔵菩薩会期は聖徳太子(Wikipediaさん本当??)だそうです。
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大原の自然環境もとても素敵でした。平家物語の最終章、建礼門院徳子がひっそりと余生を隠れ住んだ庵が、高層ビルに取り囲まれていたなら、ちょっと哀しいです。彼女が最期の時を過ごした大原は未だ当時の姿を今に残している気がしました。
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大原まで足を延ばしたのですから三千院も参拝しておきましょう。
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三千院は天台宗ので本尊は薬師如来。8世紀最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源を持ち、度重なる移転の末1871年に現在の地に移ったと言われています。
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当時JRの広告で三千院が取り上げられており、そんな経緯で京都に疎い私も記憶に留めていました。なる程美しい庭園です。
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日本の庭園の素晴らしいところは、ただ美しいに有らず、そこに作者の哲学が秘められているところです。この庭園はどう読み解いたら宜しいのでしょうか?
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三千院は天台宗の五箇室門跡のうちのひとつに数えられます。因みに他の四跡は妙法院門跡、青蓮院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡となります。
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広大な敷地には聚碧園、有清園と言う二つの池泉回遊式庭園があります。
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三千院の歴史の源とも言える簡素なお堂、往生極楽院。
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京都中心部まで戻り、東山慈照寺、通称銀閣寺を訪れました。臨済宗相国寺派の寺院です。
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1487年室町幕府の8代将軍足利義政が将軍職退任後、東山に山荘(東山殿)を造営したのが始まりです。
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最初に訪れた寂光院が平安時代末、此処銀閣が室町幕府と言う様に、京都には様々な時代の史跡が残っていますが、世界的に見ても非常に珍しい事であり、とても貴重な事なのです。
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時代が変わり、政権が変わると、世界では民族の変遷や宗教の変遷が加わる事もあり、変遷の為の戦乱や、その後の破壊活動も加わり、敗北した側の文化は徹底的に破壊される事が多かった事から、歴史的な街と言えど、ある特定の時期の史跡が集中して残される場合が多いのです。
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私がざっと振り返って見ても、様々な時代の史跡が混在する歴史的な街は数少ないです。イスラームの史跡で言うと、カイロが思い浮かびます。カイロは近隣のギザにピラミッドと言う誰もが知る有名なエジプト文明の史跡が残りますが、カイロはファティマ朝、イブン・トゥルーン朝、マムルーク朝、オスマン朝等様々な時代の建築が残り、イスラーム建築の博物館の様な街です。
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南禅寺。臨済宗南禅寺派の大本山です。
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平安神宮迄歩いてきました。京都は犬も歩けば歴史に当る状態ですね。細かく観察しようとすると一生あっても足りないでしょう。
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平安神宮は明治28年、遷都1100年を記念して建てられた新しい神社なのだそうです。道理で周囲の神社仏閣と雰囲気がだいぶ違います。
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広いし、大きいし、格好も良いのですが、やっぱり風情と言う点では周囲の寺社仏閣より劣ります。
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京都をちょっと歩いただけで感じますが、いったい京都には何件の寺社仏閣があるのでしょう?その街の面積分の宗教施設の数?即ち宗教施設密度なんてデータがあったら京都は世界のベストテンに入れるのではないかな?ミャンマーのバガン遺跡の仏塔の数も半端無かったですが、京都も勝るとも劣らない数がありそうです。(神社が800寺社が1700と言う数字をネットで見つけました。)
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さて、平家物語は源平合戦時代を巧みに描いた歴史小説だと思いますが、勿論欠けている部分も当然あります。特に何故清盛はこれだけの成功を遂げたのか?そして源氏は何故こんなに落ちぶれてしまったのか?そして両者の確執とは?勿論描かれているには描かれているのですが、余りに短兵急で感情移入する迄には至らない様な気がします。
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これに対する私の推測は、平家物語の世界観に突入する前に保元・平治の乱と言う親子が敵味方に別れて戦った様な狂気じみた紛争が続いたのですが、この二つの戦いを通じての勝者こそ平清盛であり、敗者が源頼朝の父源義朝でした。
この二つの戦いは保元物語と平治物語と平家物語に先行して琵琶法師が語っており、平家物語を解く琵琶法師としては、商売上先行する二つの物語と被る事を避けたのでは無いかと思うのです。琵琶法師同志としては、互いの領分を侵す事になってしまいますし、聴衆としても被る物語は退屈してしまうでしょう。
なので、これから初めて源平合戦の世界を楽しもうとする方には、出来る事なら保元物語と平治物語を読み進めてから、平家物語に入っていただけると、平家、源氏それぞれの境遇を良く理解し、感情移入した状態で、平家物語の世界観に浸れると思います。そして平家物語の世界観は灌頂の巻(覚一本系)で綺麗に完結しますが、残された源義経のその後は義経記を加えて読めば尚理想的だと思います。
更に沼に嵌った方には平家物語は様々な諸本があり、読み比べるのも本当に面白いです。 -
知恩院です。浄土宗の総本山です。本尊は法然上人像及び阿弥陀如来。開山は法然です。
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八坂神社にやってきました。祇園祭の起源ともなった神社ですが、平家物語の舞台としても登場します。
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残念ながら写真を忘れてしまいましたが、此処に忠盛燈篭と呼ばれる燈篭が残されています。白河法皇が祇園女御に会う為、護衛の平忠盛と共にここを通りかかった際、鬼の様なものを見つけ、法皇は忠盛に討ち取る様に命じました。
忠盛は鬼を討ち取ると、実は祇園の僧侶で、彼の着用していた服装故鬼と見違えた事が判明しました。
このエピソードは平忠盛の冷静さを表現し、この時までは天皇方と平家の安定した関係を示唆しており、その後の清盛の横暴さと後白河法皇との関係の悪化の落差を強調するエピソードとなっていると思います。 -
花見小路にやってきました。舞妓さんに逢えるかな?そんな淡い気持ちで、…。
そして来た事を後悔しました。 -
舞妓さんに逢いたい。その気持ちは良く解ります。だって自分も同じですから。でも、自転車に乗って追いかけ回したり、行く手を阻んでカメラを向けたり、もうやりたい放題です。
震える右手の握り拳を必死で左手で押さえつけました。 -
チベットで五体投地と言う独特のスタイルで祈りを捧げる人々を、覆いかぶさる様に撮影していた観光客。ミャンマーで喜捨を求めて練り歩く少年僧の前に立ちはだかり撮影する観光客。アジアの至るところで見かけた差別的で胸糞悪くなるアジア人を人とも思っていない様な行動の数々
体の自由が効かない衣装を纏った舞妓さんが、体格の大きく異なる外国人に取り囲まれる事で、どれだけ恐怖を感じる事か…。 -
報道は兎角インバウンドの良い面しか伝えませんが、国も諸機関も、こうした不敬に当たる行為には毅然且つ厳格に対処して欲しいと切に思います。このままでは胸糞悪過ぎて、国内の旅行者は減る要因になるでしょう。既に私は躊躇してしまっています。この歳になって暴力沙汰で捕まりたくは無いですから。
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辰巳大明神・京都御所より辰巳(南東)の方向にある事から、南東の方向を守る神様として辰巳大明神なのだそうです。祇園の土地柄芸事の上達の御利益があるとか。祇園のお稲荷さんと呼ばれている様ですが、御祭神は狸とはこれ如何に?どっちやねん?蕎麦やうどんも狸とキツネ、関東と関西じゃごっちゃになるから、まぁ…人を化かすもの、狸もキツネも神様も…余り変わりは無いのかも?
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祇園の街を歩きます。祇園の花街等の茶屋は一言さんお断り。それは日本人なら暗黙の了解ですが、外国人には解る訳はありません。其処迄は仕方ないのですが、あの人達は自分達が都合悪くなると、すぐ差別だ何だと騒ぎ出すからタチが悪い。どっちがどれだけ差別してるんだよと思いますが、常に自分を棚に上げる人々ですから…。
テレビ、芸能、政治等、どんどん外圧かけて変えてくれと思う一方、人々の文化、それに関しては決して外圧には屈していけないと思います。 -
風情のある街並みです。でもこうした詫び錆びって外国人にどう良さを伝えたらよいのでしょう。例えば日本の寺社は日本人なら、長い年月を経た経年劣化さえ美しさと捉えますが、他の仏教国では、古くなったら美しく塗り替えてピカピカにする事こそ信心と考えられているそうです。
敬虔な仏教国のミャンマーでは仏様の背後の後光はネオンで表現されています。向こうでは現代技術も積極的に取り入れます。日本の御寺では絶対受け入れられないと思いますが…。 -
鴨川にでました。京都の長い歴史をずっと眺めて来ただろう川です。四条、五条河原は歓楽地となり出雲阿国等多くの芸人が集まり、祇園が発展するきっかけとなりました。でも、残念ながら鴨川と言えどシーワールドはありません。(東京に暮らしていると、鴨川と聞くと鴨川シーワールドがある千葉県鴨川が頭に浮かびます。)
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一方、三条、六条河原は刑場であり、石田三成を筆頭に関が原西軍の武将は六条河原、石川五右衛門は三条河原で処刑されたそうです。また先に述べた歓楽街の上下に沿う様に刑場があったのは偶然ではありません。古来処刑と言うものは見せしめの要素も多分に含まれていたからです。つまり偶然どころか必然でさえあったとも言えるのです。
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祇園の由緒ある街並みが、刑場に挟まれた河原の歓楽街から始まったとは驚きでした。
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建仁寺の入り口です。臨済宗建仁寺派の大本山。本尊は釈迦如来。開基は源頼家、開山は栄西。京都五山の第三位のお寺です。入場したのか諦めたのか?今となっては不明ですが、中には私の大好きな風神雷神の屏風があったのに…。
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修学旅行の甘い様な苦い様な記憶が甦って来ました。もうすぐ清水寺です。
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本当風情ある街並みです。しかし修学旅行当時のクソガキの私にその価値が解る訳もありません。
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三年坂です。産寧坂とも書き、安産を祈願しての命名だそうですが、転ぶと三年で死ぬと言うショッキングな噂が先行する坂でもあります。当然当時の修学旅行で訪れた私達はオカルトな噂に熱狂です。
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修学旅行時は、どうせロクな事しかしでかさない我々を、先生方も良く承知で、三年坂は出入り禁止にされていましたが、行くなと言われりゃ行ってしまうのも子供の常です。ショッキングな噂もあるなら猶更です。先生の目を掻い潜った猛者共が転ばせてやろうと取っ組み合いをして、これも先を読んでいた先生方に取っ捕まりこっ酷く怒られたのは言うまでもありません。
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そして宿に入れば部屋には八つ橋が用意されていました。しかし乱入者がいたのか、どうも人数分足りません。結局八つ橋を巡って早速取っ組み合いが始まりました。再び先生にこっぴどく怒られたのは言うまでもありません。鼻血交じりのチョッピリ塩味の八つ橋となりました。
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清水寺にやってきました。京都は多くの学生の修学旅行の場となっていますし、その殆どが清水寺を訪れるので、訪れた事が無い人の方が珍しいのかもしれません。
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法相宗の寺院で鞍馬寺や広隆寺と共に平安京以前から京都に歴史を持つ数少ない寺院のひとつだそうです。
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清水寺と言えば清水の舞台ですが、世界的に見ても珍しい建築では無いかと思います。更に木造である事も貴重な事です。日本版空中庭園と呼んでも良いのでは無いでしょうか?
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同等のものかは解りませんが義経記には舞台の記載があるので11~12世紀には舞台の原型となった建築があったと思われます。
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江戸時代には実際に飛び降りる事が流行ったと言うから驚きです。元禄7年から元治元年迄未遂を含め235件死亡者は34名。生存率は85・4%だそうです。データが残されている事が驚きですが、結構生存率が高いのも驚きです。でも生存率ですから…五体満足だったかは疑わしいので真似はなさらない様に。
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そんな清水寺ですが、長い歴史の京都でも筆頭クラスに歴史の長い清水寺ですから、平家物語の中でも語られています。題名は清水寺炎上と言う物騒なタイトルの巻です。当時はネットなどございませんので、物理的に燃えたのでしょう。
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当初、このタイトルを見た時「清盛、やりやがったな!」と思いましたがさに有らず、比叡山延暦寺の僧兵がライバルである興福寺の末寺である清水寺を焼き討ちした事件が描かれています。どうやら後白河法皇と二条天皇の対立と言う構図も絡んでいる
様です。 -
物語では清盛が後白河法皇の行動を疑い、子の重盛がそれを諫めるシーンが出てきます。後白河法皇は、実際警戒すべき人物ですが、物語は天皇方と清盛の関係が悪化している事を示唆し、悪党の清盛と良く出来た子の重盛と言う構図を浮き彫りにします。
また後白河法皇はこの件に関し何故平家を追討する噂がたったかを訝しがります。すると西行法師が、平家が身分不相応に繫栄しているので、天が人をして言わしめている。と答えたと書かれます。これは物語の進行する方向を指し示していると言って良いでしょう。 -
この様に平家物語は様々な歴史上のエピソードを挿入しながらも、それぞれテーマに沿って様々な脚色があり、また登場人物のキャラクター設定も明確にして、エンターティメント性を高めていると思います。それにしても平家と源氏、そして世論を巧みに操る平家物語の黒幕、後白河法皇のラスボス感は本当半端無いです。
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おバカな思い出を回想しながら、成長して覚えた平家物語の世界観を被せ乍ら、良い散策が出来ました。
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鴨川ではありません。宇治川です。宇治川までやってきてしまいました。平家物語では「宇治川先陣」の舞台となります。木曽義仲は平家追討令の下、京都を攻め平家の追討には成功しましたが人望が無く、追い詰められた義仲は遂には後白河法皇を幽閉してしまいます。対して法皇は鎌倉の源頼朝に救援を要請。頼朝は異母弟の範頼と義経に大軍を任せ、派兵。宇治川で義仲と範頼、義経軍が激突する事となるのです。平家物語が大きく動く巻でもあります。
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宇治と言えばハエでは無くて、何が何でも平等院鳳凰堂です。十円玉をピーンとはじいて表が出たら、其処に描かれているのが鳳凰堂です。日本建築の中で私が好きなトップ3には間違いなく入ります。本当格好良い。
そんな鳳凰堂も平家物語に登場します。源頼政と言う武将がいました。彼は源氏でありながら平清盛に仕えていました。でも彼は決して裏切り者ではありません。平家物語内では平家と源氏は二つに分かれて戦っていますが、それ以前の保元・平治のの乱に於いては、それぞれの立場に分かれ、源氏や平家の父子が敵味方に分かれて戦っています。 -
そんな清盛方にいた頼政ですが、遂に我慢の限界を迎える時がきました。後続の以仁王を担いで平家にクーデターを企てたのです。しかしこのクーデターは失敗に終わり、頼政は此処平等院鳳凰堂で最期を迎えました。
このエピソードは実際起こった以仁王の乱をベースに往時の清盛の権力の強さを表現しつつも、忠臣として仕えていた頼政までもが裏切る事により、これ以降巻き起こる源氏の平家討伐を予見する役割を持っていると言えるでしょう。 -
二条城を訪れました。言わずもがな、江戸時代の徳川幕府の京都での城です。幕末では徳川慶喜の居城となり、大政奉還も此処で行われました。正に徳川幕府の始まりと終わりを見届けた歴史上重要な城です。
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私は大政奉還は、一般的に思われている以上に、日本の歴史にとってとても重要なターニングポイントであったと思います。
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欧州の植民地支配には必勝パターンがあります。ターゲットの国を分断させるのです。分断していなければ、一つの民族に一方的に有利な条件で条約を結んだり、ありとあらゆる手段でターゲットの国の民族同士が仲違いする様な政策を取ります。
ターゲットの国が分断してしまえば、作戦は成功したも同然です。片側に味方を装って軍事協力し、武器を与え、彼等の力を使いターゲットの国の国力を削いでいきます。その民族がターゲットの国で勝利を収めれば、もうその民族はコントロール下、植民地化の完成です。 -
現在行われているウクライナ紛争も、全く同じ構図である事が解ります。親ロシア、親NATOと国が二つに割れている状態をまんまと利用されたに等しいです。ロシアとの紛争で疲弊し、軍事援助が無ければ戦闘続行が不可能な状況に於いて、アメリカ・トランプから代償としてレアアースを含めた鉱山資源の利権を譲渡する様恐喝されています。譲渡しなければ、軍事援助はしない。即ちロシアに降伏しろと言う事です。
結局小国は大国の暴力に抗えず、一度攻め込まれたら最後、何もかも奪われるしか無いのでしょうか?
こんな方便は通る筈は無く、この記事をアップする頃にはもっとマシな方向に向かっていると願いますが、トランプの言った言葉は決して忘れてはいけません。あれがトランプと言う人間の人間性だと言う事を。
奴は早々ウクライナ紛争を終わらせて、対中国の政策を取ると明言しました。もし米中で紛争が起これば、必ずや日本は巻き込まれます。トランプは間違いなく日本に戦わせ、金を払わせ、後はアジアで何とかしろ!絶対そう言うに違いありません。現にウクライナ紛争はヨーロッパで何とかしろと言っています。
即ちアメリカは騒動だけは起こし、美味しい利権だけは頂くけれど、後始末はしませんと言う事です。日本は翌々アメリカとの付き合い方を考えた方が良いと思います。 -
おっと暴走してしまいました。話題を元に戻します。私が言いたかった事は、欧米はこれまで植民支配を行う時に、ターゲットの国が二分している状態を巧みに利用して植民地化してきたと言う事です。
つまり憎しみ合う同士が、相手を憎むばかり、背後に漁夫の利を狙う巨大な第三か国が迫っている事に目が眩んでしまうのを巧みに利用したのです。 -
日本も幕末に全くそんな状態に陥っていました。必死に立て直そうとする徳川幕府と、打倒を目指す薩長同盟。そんな薩摩にイギリスが忍び寄り同盟を果たします。同名とは名ばかりで、先に述べた通り薩摩に武器を売り捲り…と言う算段だったのは間違いありません。そして幕府には同じくフランスが近寄りました。
計画が上手く行けばイギリスとフランスが日本を二分割して美味しい所はチューチュー。なんて事になっていたに違いありません。 -
日本人は漢字やひらがな、カタカナを失い、関西人は
「ウープス、ウープス、オーマイガー!」
とか英語を話し、関東以北は
「ケツ臭せぇ?」(Qu'est-ce que c'st?)=what is this?
とフランス語喋ってる。そんな最悪なシチュエーションもあったと言う事です。因みに鼻を摘まみながら発音するとフランス語っぽくなる(笑)フランスに旅してWhat is this?と聞きたかったら、鼻を摘まみながら「ケツ臭っせぇ」と言いましょう(笑) -
では、どうして日本はその危機を回避できたのでしょう。それが大政奉還だと私は考えています。当時日本は内戦状態でした。更に戦いを続けようとする動きも強かったです。しかし「そんな場合じゃない!」と強く思った、本当の日本の将来を想った政治家達が当時はいました。勝海舟や坂本龍馬です。そんな彼等は背後に迫る脅威に気付いていました。
そしてそんな彼等が動き、徳川慶喜がそれに応じ、大政奉還が叶いました。日本が短期間でひとつに戻れた事で、分断政策で植民地化を進めてきたイギリスやフランスは梯子を外された結果となり、寸でのところで危険を回避できたのです。 -
日本が回避出来た理由として、それを目指した政治家達の努力があった事は間違いないとして、日本独特の特殊性も感じました。日本はこれまで様々な幕府が誕生しましたが、その上には必ず天皇と言う存在がありました。徳川幕府は政権を元ある場所に返すだけと言う構図があった事です。
これが他国だと、民族が違ったり、宗教が違ったり、政権を返す返さないでは済まず、奪うか奪われるかになってしまう為、周囲に危険が迫っていたとしても最後迄奪い合いを続けた結果、その国を狙う国の思うがままになってしまうのです。
更に、それより昔戦国末期から江戸時代創世記において、幕府による前田家取り潰しの画策として、前田家に対する数々の挑発行為。前田家の家老達、そして利家の家督を継いだ利家迄、徳川との決戦に向かう流れの中、自分の身を犠牲にして迄戦を放棄させた前田松の存在があったからこそ加賀百万石が明治まで存続し得たのです。
どちらにせよ、国が二分してしまっている状態はとても危険な状態である事を忘れない事。そんな状況に陥った時、それを好機に捉えている国の存在を知る事、挑発に乗らない事は勿論、親切を装って近づいてくる者にも最大の用心を払う事。「争いあってはならぬのです。」それは相手の思う壺に嵌ると言う事です。国の事でも身近な事でも…。と私は思います。 -
金閣寺を訪れました。09年当時でさえ向かったバスは外国人だらけ、これでは日中は地元の人が乗車出来ない程。当時(今も?)は最寄りの金閣寺前のバスの直前に「金閣寺入り口」と言う非常に紛らわしいバス停が。外国人観光客が戸惑っていたので、正しい方を教えてあげたら、あろう事か「いや、私が思うに…。」とか議論持ちかけられ辟易しました。
「何なんだよ、コイツラ…(苦笑)」 -
やっぱり美しい金閣寺。
でも本当の名前は鹿苑寺です。開基は足利義満で、彼の法号「鹿苑院殿」に因んで鹿苑寺です。臨済宗相国寺派の寺院です。 -
金閣寺は外国人にはgolden templeと表記されるのかと思ったら、the temple of the golden pavilionらしいです。解りやすいとは思いますが、アジアの何処にでもありそうな命名で、有難さが半減してしまっている様な気がします。ニックネームをつけるのは旅人に任せるとして、正式名称Rokuon-ji(temple)で良いんじゃないかと思います。
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海外旅行でも、英語で書かれた簡易的な呼び方じゃなく、現地の人の呼び方で接したいと考える自分がいます。特にチベットのラサを訪れた時、現地の人の前では絶対大昭寺とは言いませんでした。大昭寺は中国の呼び方です。現地の人からしてみたら、唇を嚙みたくなる故障だと思います。私はラサではずっとジョカンと呼ぶ様に意識していました。
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でも、青い目をした外国人に「hokuzan rokuon zenji何処ですか?」と聞かれたら、こっちの方が「はぁ~?」となってしまうかもしれません。
旅人さんは調べる時は徹底的に調べるので、半端な知識では、旅人さんの方が圧倒的に知識を持っていて恥ずかしくなる事も多いです。でも、其処迄調べ上げて、敬意を持って、臨んでくれるなら、こっちもウエルカム。かかって来やがれ!なんですけどね。楽しみにしてます。 -
龍安寺を訪れました。臨済宗妙心寺派の寺院で開基は細川勝元で、石庭で有名です。修学旅行時は、どうせお前等が行っても解る訳ないと事で却下された様な記憶が…。確かに事ある毎に取っ組み合いばかりしていたクソガキに禅の境地等解る訳も無い。
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いや、ご立派な学者様でもこの石庭については解らない事だらけの様で、誰がどの様な哲学の下、どの様な意味を込めてこの石庭を作ったかは判明していないと言います。解るのは高度な計算の下、この石庭が造られたと言う事実でしょうか?そしてどの方角から眺めても全ての石を一度に眺める事は出来ないと言う事です。
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無論出鱈目に石をならべただけでは、そうなる筈はありません。では作者はどの様な意志の下この様な配列を施したのでしょうか?私は種明かしをしなかった事も作者の意志だったかの様に思えます。
悩む事、考える事、其処に哲学が産まれます。
私が何処かで耳に入れ、なる程と思った推測は、全てを見ると言う事は完成を意味し、完成とは滅びの始まりである。との考え方から、決して完成させない様にすべてを見せぬ様に設計されていると言う説です。
貴方はどう読み解きますか? -
仁和寺にやってきました。真言宗御室派の総本山。本尊は阿弥陀如来。開基は宇多天皇で、皇室と関係の深い寺院です。
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平安時代初期に建てられたお寺ですから、やはり平家物語にも登場します。平経正都落ちです。
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経正は幼い頃、稚児として仕えた仁和時に嘗て賜った琵琶「青山」を返上しにやってくると言うエピソードです。
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私は平家物語を軍記としてでは無く、ヒューマンドラマとして読み解いています。確かに壇ノ浦の合戦を始め、様々な戦いが描かれますが、それは物語の主題ではありません。寧ろ、清盛が繁栄を良い事に行った悪行の数々故に、盛者必衰の理の中、時代に翻弄されながらも、一族が手を取り合いながら苦境を生き、そして散っていく群像劇こそが主題だと思っています。
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それ故清盛はかなり悪に振って著述する作者ですが、落ちてゆく平家の各々には暖かい筆で、その哀愁を描いています。都落ちせねばならない経正に仁和寺の面々は涙で見送ります。その後経正は一の谷で討ち取られる事になります。
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経正は平家物語の中でも脇役にあたるメンバーだと思います。父は清盛の弟経盛、笛の名手だったと言います。経正が琵琶の名手、弟の敦盛は父譲りの笛の名手ですから、音楽一家だったのです。
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エピソードとしては圧倒的に弟の敦盛の方が有名ですね。彼もただ笛を忘れて取りに戻ったばっかりに命を落とします。そんな如何にも貴族上がりの少年ですが、熊谷直美と対峙した時の毅然としたアッパレな返答は、直美の心を貫きます。
なんとか助けたい直美でしたが、味方が雲霞の様に現れる中、切らざる得ない状態に。しかし我が子と同じ年齢の立派な敵将を討ってしまった後悔に、彼は侍である事を辞め、仏門に入る事を選びます。 -
このエピソードは現在のみならず、戦国武将達にも愛され、中でも織田信長が桶狭間の戦い直前に舞ったと言われる幸若舞の演目「敦盛」は余りにも有名で、且つ多くの人の心に刺さったに違いありません。
「人間、五十年 化天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」 -
余りにこのフレーズが好きで、私自身長く細くより、短くとは言わないけれど濃厚な人生で在りたいと思っていたので、このフレーズを事ある毎に語っていたので、50も半ばを過ぎた今、久し振りに会う揃いも揃って口の悪い友人に(類友とも言う)
「50になる前に逝く筈だったのではないか?」足はちゃんとついているか?」
と弄られ捲りです。しかし、先日健康診断で腫瘍が発見され、私の予見は満更でも無かったのかも?と思いました。運の良い事に、早期の段階で経過観察と言う判断ですが、気が気ではないのも事実です。 -
抹茶を頂きました。茶会と言うと私にとって忘れられない戦国時代のエピソードがあります。
大谷刑部吉継が茶会で茶を嗜んだ時、持病であった、らい病により、顔から膿が溢れ茶に落ちてしまったそうです。その後回された茶を飲む者は誰もいませんでしたが、親友であった石田三成だけは、何も無かったが如く、その茶を飲み干したと言います。 -
病は患った人しか解り得ない苦しみがあります。肉体的には勿論の事、心理的にも多大なダメージを被ります。それが目で見て解るものなら尚更の事です。その時受けた目線、言動は患者にとって一生忘れる事の出来ない傷跡になるでしょう。しかし、その時与えられた温情も一生の宝となるでしょう。
大谷刑部が西軍に与したきっかけが、このエピソードだけだとは思いません。しかしこのエピソードが本当なら、大きな動機となったとしても、驚きには価しないと思います。 -
大谷刑部は当初東軍に参加する予定でしたが、途中石田三成を訪ね、再三彼を諌め説得したものの、彼の決意が硬い事を知り、そんな彼と運命を共にする決断をします。
そうして迎えた関ヶ原にて、続々と裏切りが発生する中、彼は最後迄三成の為に戦い続け、大谷刑部が討たれ、大谷隊が壊滅すると西軍は総崩れとなりました。 -
自分がどんな不利に立たされ様と、決して失ってはならない事、曲げてはいけない事、あると思います。決して簡単な事では無いけれど、そんな自分でありたいと思いました。良いお茶を頂きました。
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嵐山鉄道に乗りました。地方の方が湘南を訪れたら、必ず江ノ電に乗りたくなる様に、京都に来たなら必ず乗りたくなるのが嵐山鉄道です。
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清凉寺(嵯峨釈迦堂)浄土宗の寺院で本尊は釈迦如来。開基はちょう然。開山は盛算。
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嵯峨野の祇王寺を訪れました。此処も平家物語に因む寺院となります。真言宗大覚寺派の尼寺です。
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祇王は平家物語内で語られるエピソードのひとつです。祇王は平清盛に寵愛を受けた白拍子でした。しかし彼女より若い仏御前が現れると、その座を奪われ屋敷を追われてしまいます。
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行き場を失った祇王は母と妹と共に往生院にて尼となりました。その後、自分だっていつかは同じ運命だと悟った仏御前も祇王と運命を共にし、共に尼となったと語られます。
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往生院は中世以降廃れてしまい、明治時代には廃寺となってしまいましたが、地頭だった大覚寺の下、尼寺として再興され、所縁となった祇王の名を取って祇王寺となりました。
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祇王のエピソードは平家物語を一貫して貫く、諸行無常、盛者必衰と言うテーマの下描かれたエピソードの代表格です。平家物語と言うと平家だけの話と受け止められがちですが、前半は木曽義仲、後半は源義経と言う源氏側ではあったものの、頼朝の詮議を受け散っていった武将達にも多くスポットライトを当てています。
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お寺には祇王に勝るとも劣らない、気品と美しさを兼ね備えた猫様がいらっしゃいました。
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横から眺めても、微動だにする事無く。
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凛と張り詰めた境内の中、何を想い、何を見つめるのか?
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でも決して正面からは写ってくれない。ツンデレ猫様でした。
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安らかに…。
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京都でも有名な風景のひとつの竹林を歩きました。
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運が良かったのか人が少なくて本当に良かったです。私が見た動画ではまるで原宿の表参道の様で、そんな状態だったら秒で退散しようと思っていました。
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野宮神社を訪れました。決して飲み屋神社ではありません。私は未読なのですが源氏物語所縁の神社だそうです。そして縁結びの神様でもあるそうです。余計私には縁遠い神様です。(苦笑)クヌギの木の皮を剥かずそのまま利用した黒木の鳥居は、保存管理の難しさや、原木の入手困難さから、日本で現存する唯一、と言う事は世界で唯一の貴重な鳥居です。
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野宮神社の見所の一つ、絨毯苔の庭園です。
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天龍寺を訪れました。臨済宗天竜寺派の大本山であり開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石、本尊は釈迦三尊です。
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室町幕府は当初、建武の新政に足利尊氏が反旗を翻した為、南朝と北朝に分かれましたが、建武の新政を行った後醍醐天皇が吉野で崩御し、南北朝時代は終わりを遂げました。
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そんな折り、禅僧夢窓疎石が対立していた後醍醐天皇の崩御に際し、その菩提を弔う為寺院との建立を尊氏に勧め、天龍寺が建立されたと聞きます。国を二つに分ける程対立していた相手を弔うと言う行為は、和を貴ぶ日本の良いエピソードに感じます。
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天龍寺と言えば八方睨みの竜が有名です。360度何処から見ても睨まれている様に見えるからそう呼ばれているそうです。技法的には円形の絵図の中心に目が描かれているから、そう見えるのだとか。気のせい、気のせい。きっと見た人の心になにがしかの罪悪心が在るからですよ、きっと…えっと…あ!
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日本で初めて史跡・特別名勝に指定された曹源池庭園。
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周囲の嵐山の風景が巧みに借景として用いられています。京都にはこうした周囲の風景を借景として成り立っている名園が多いです。つまりこの美しい名園を後世に残す為には、周囲の環境も保つ必要があると言う事です。
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天龍寺は京都五山の一位と言う格式高い寺院です。因みに他の4山は二位相国寺、三位建仁寺、4位東福寺、5位、万寿寺。そして別格として南禅寺です。
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さて、天龍寺建造を進言し、曹源池庭園を築いた夢窓疎石と言う僧侶は僧であると共に商売も得意でしかも造園で名を馳せました。枯山水も彼が完成させたと言います。
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彼の作品は天龍寺の他に苔寺が挙げられますが、なんと鎌倉の瑞泉寺の庭園も彼の作品となっています。
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夢窓疎石は商才もあると書きましたが、その才能が如何無く発揮されたのが、天竜寺船貿易でした。天龍寺を造営する為に元と貿易を行い、莫大な利益を挙げました。
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そう言えば鎌倉時代には建長寺船と言って、建長寺を建てる為の貿易船がありました。現在では考えられませんが、寺院を建てる為に貿易が行われていた時代があったのですね。現在なら間違えなく燃えますね。(ネット上で)いや…現代ではクラウドファンディングって手がありますね!
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天龍寺は先に述べた通り室町時代に建てられたお寺ですから、平家物語とは何ら関係はありません。寂光院で大好きな平家物語所縁の地を訪問しておきながら、気づけば歩くうちに懐かしい場所、行ってみたかった場所等いろんな見所に引き寄せられてしまい、いつしかテーマを大きく外れてゴッチャ交ぜの旅となってしまいました。
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まだまだ京都には平家物語のゆかりの地は沢山あります。勿論それらを一日で見切れるとは思いませんが、それにしても脈拍の無い見所の詰め合わせになってしまったところは反省です。
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でも、それだけ様々な時代の様々な物件が狭い空間の中に凝縮されているとも思います。今は未だ追いかけているテーマがあるので、もう少し時間はかかりそうですが、インバウンドがもう少し落ち着いたら、ひとつひとつテーマを絞って、様々な角度から京都を、歴史を学べたらと思います。
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渡月橋を渡ります。亀山上皇が月を眺め
くまなき月の渡るに似る
と答えたのが橋の名の由来だそうです。
記事を書く為ググっていたのですが、どうやら渡っている際は振り返ってはいけないのだそうです。振り返ってしまうとカップルは別れ、授かった知恵を失ってしまうのだそうです。ちゃんと橋にかいておいてよ!京都府!だから私は…そうだったのか…納得したよ(涙) -
神泉苑を訪れました。現在は東寺真言宗の寺院で本尊は聖観音ですが、元々は平安京大内裏に接した天皇専用の禁苑でした。
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季節を問わず、どんな日照りの年にも水が枯れる事が無かった事から、雨乞いの道場となったと言われます。
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また、平家物語では無く義経記の記述となりますが、源義経が静御前を見初めた場所だと言われています。
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やっぱり京都を一日でまるっとと言うのは無謀にも程があると言うものです。伏見稲荷に到着した時は日もとっぷりと暮れた後でした。
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それでも大人気の稲荷神社なので日中なら大混雑必至なので、日が暮れた後で良かったかもしれません。
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昨今インバウンドの影響で、お呼びじゃない不良外国人も多い様です。此処伏見稲荷や他の神社の鳥居で懸垂したり、ダンスしたり…。不敬罪と言うより、切り捨て御免で良いんじゃないかな?少なくとも、その場に私がいなかった事に感謝した方が良いと思うよ。不良外人ども。二度と日本に来るな!
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そんな事を言いながら、こんな時間に参拝する私もあまり褒められたものでは無いでしょう。
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神秘的です。
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なんて思っていると、私は伏見稲荷の構造を知らなかった私は伏見稲荷の罠に嵌ってしまいました。幾ら歩いてもゴールに辿り着かないのです。流石におかしい?と思って、境内の地図を見て自分の取っていた行動に爆笑してしまいました。
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伏見稲荷の沢山の鳥居に囲まれた参拝路は頂上でループする仕組みになっていたのです。鳥居に囲まれ周囲が見れず、見れたとしても日没後の漆黒の空。ループしている事を知らない私は、頂上を何周も回っていたのです。
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さすが稲荷神社の総本山なだけあって、正にキツネにつままれた気分でした。いっぱい喰らわされました。でもお狐様。とっても素敵な体験をありがとう!
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とても濃厚な一日となりました。本来は大好きな平家物語の世界観を求め、寂光院から始めた旅だったので、平家物語にテーマを絞って旅をするべきだったですし、そうでもしなければ京都はとても一日では見切れない筈は無いのですが、始めて見れば、あっちにも行きたい!嗚呼懐かしい!あそこ行ってなった!と京都の魅力に負けてしまい、寄り道の連続、結局何でもござれのチャンポンとなってしまい、とても平家物語とタイトルにつけられない始末になってしまいました。
全部、京都(の魅力)のせいだ!
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