2025/04/29 - 2025/04/29
173位(同エリア848件中)
さっくんさん
今回の未訪問県訪問の旅の二日目は、和歌山県と三重県です。和歌山県では和歌山城を、三重県では伊賀上野城を訪問しました。後は九州三県と四国を残し、帰宅する予定でしたが、そう簡単に終わる筈も無いのが気分屋の私の悪いところ。伊賀上野と言う戦国時代の交通の要衝、現在でも尾張、近江、摂津方面の鉄道の三叉路となっていたのが運の尽き、とある思い付きから家路とは違う方向の列車に乗る事となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
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鯛の二日目は未訪問の県、和歌山県と三重県を一気に巡ります。先ず若山代表として和歌山城を訪問します。朝ご飯は昨日鳥取で買った鳥取名物駅弁かに寿しです。朝から豪勢です(笑)
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本日はさらに豪勢に、これも鳥取で買った銘菓、因幡の白うさぎを頂きました。
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スマイル・ホテルは和歌山城沿いに建っており、残念ながら反対側の部屋だったので窓からお城は眺められませんでしたが、館内の高所から和歌山城を眺める事が可能です。テンション上がります。
因みにこれもまた私のリサーチ不足により、訪れる事が出来なかったのですが、和歌山城に隣接している市役所の展望台からは無料で高所から和歌山城を見下ろせる様です。 -
早速和歌山城を目指します。
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和歌山城は虎伏山山頂の崖を要害として建てられた梯郭式の縄張りを持つ平山城です。また、北部を流れる紀の川を天然の堀として利用しています。天守閣は層塔型三重三階の連立型天守閣。姫路城、松山城と並んで三大連立天守閣を持つ城となります。アメリカ軍による一般市民を巻き込んだ非道な無差別爆撃により焼失しました。戦中の焼失と言う事もあり、詳細なデータが残っていた為、外観復元が叶いました。
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和歌山城ならではの構造物、御橋廊下です。時代も平和になると藩主も、山の上の本丸迄行くの面倒くせぇ!と感じていたのでしょう。生活の場は二の丸に移りました。大奥のある二の丸から、大好きな能の舞台等趣味の場がある西の丸迄外から見られる事無く風雨も避けられる屋根付きの橋が設けられました。傾斜がある橋は全国的にも珍しいそうです。
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当時は殿様や付き人等限られた人しか渡れない橋でしたが、現在では誰でもわたる事が出来ます。しかしどうやら営業時間外の様で、向こう側の扉は未だ閉鎖されていました。
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半閉鎖中の御橋廊下の姿もレアなものかもしれません。
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シンと静まり返った廊下の中にいると、タイムスリップしたかの様な錯覚に陥ります。
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御橋廊下が閉鎖中で二の丸へ行けないので、城外から回り込みます。
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堀の向こうに御橋廊下、その向こうの山の頂上に連立天守閣。素敵な構図です。もし御橋廊下が開いていたら、そのまま渡って、この構図を見逃してしまったかもしれません。早起きは三文の徳です。
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9時になって各所が開きだしたので、一旦西の丸へ引き返して西の丸庭園に向かいました。
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西の丸は藩主の紀州徳川家の殿様の趣味の場であり、能舞台で能を楽しんだり、此処西の丸庭園で茶を嗜んだりしたと言います。
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西の丸庭園から眺めた御橋廊下。
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鳶魚閣が風流です。此処で殿が茶を嗜んだのでしょう。
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和歌山城の大手門です。一般的に城郭の門は防御が高い枡形門となる事が多いですが、和歌山城は普通の門、しかもそこから城内へは真っすぐな道が続きます。思わず「そんなんで大丈夫?」と思いますが、江戸時代になり大手門は岡口門から正門の座を奪っています。どんな意図があったのでしょう?
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お堀です。和歌山城は海からも近く、紀の川の下流を天然の堀として、そこから水を引いているので水量は豊富です。
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和歌山城は海から眺めると虎が伏せている姿に似ている事から虎臥山と呼ばれる山の頂上に建っているので、それに因み虎が伏せている石像が安置されています。
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此方が岡口門。本来大手門だった門です。和歌山城で唯一現存する門で、その向こうに小さく天守閣を眺める事が出来ます。
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和歌山城を初めて創建したのは豊臣秀吉の命を受けた豊臣秀長、普請奉行は城造りの名人藤堂高虎が務めたと言います。しかし秀長は城主になる事無く、桑山重晴が城主となりました。関ヶ原の戦い後、浅野幸長が入城し、先程紹介した大手門の変更、天守閣の造営、土塁から石垣への変更等の手が加えられました。
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しかし、広島城主の福島正則が改易されると、浅野氏は福島家に変わり広島藩士へ加増転封し、代わって徳川家康の十男徳川頼宣が入城、徳川御三家、紀州徳川家の城となりました。
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その際頼宣は張り切り過ぎて大いに城の改修を施したのですが、余りにも大規模に改宗したので幕府から謀反を疑われる程だったと言います。
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しかし1,846年落雷により天守閣は焼失してしまいます。当時の武家諸法度により天守閣再建は禁止されていましたが、御三家と言う家格により特別な許可が下り1850年、たった4年と言う速さで再建が叶いました。
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本丸は天守閣が聳える峰とはちょっと離れた小高い部分にあります。其処に本丸御殿があった様です。本丸御殿があった丘からは美しい連立天守閣を臨む事が出来ます。
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アメリカ軍の無差別爆撃により失われた天守閣ですが、再建の際、驚くべき金額が市民から集まったと言います。資料館でVTRでも執念と言う言葉が使われていましたが、本当各地方の人々の地元に建つお城への執念の数々を見させて頂いて来ましたが、本当に驚くべき事ですし、と共に羨ましく感じます。敬意を払って、その執念、拝見させて頂きたく思います。
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美しい城郭に目を奪われ続けていましたが、石垣もまた和歌山城の見所でもあります。藤堂高虎、浅野幸長、そして徳川頼宣と三度に渡って改修が施された結果、様々な時代の、異なる建築家による石積みを堪能する事が出来ます。
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天守閣に到着しました。数少ない連立天守閣、ワクワクします。三つの小天守と大天守からなる複雑な造形は幼い頃から私の心に刺さり続けていました。いつか日本三大天守閣を訪れたい。姫路城に続いて二城目です。残すは愛媛の松山城です。
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って言うか連立式天守閣を持つ城で復元されているものを含めても上記の三つの城しか無いと思うのですが…。あったら是非教えてください。
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二之御門を潜ります。
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藩主のお気に入りだったとても美味しい蜜柑があり、江戸時代は御留味柑として他に栽培を禁止していた程でしたが、明治維新以降は自由に栽培できる様になり、特産品となったそうです。和歌山の蜜柑って有名ですものね。
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連立天守閣ならではの天守閣、小天守、櫓に囲まれた中庭を歩きます。
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城内はあくまで復元された天守閣、しかも古い時代に再建されたものなので、どうしても現代のビル感は拭えません。資料館と割り切って見学しましょう。
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和歌山城も再建されて60年を超え、補修工事の必要性が問われ、いっそ木造で復元しようかとの案が出ている様です。名古屋城や広島城等、木造による完全復元が囁かれている城が幾つかありますが、日本の昨今の経済状況で上手く行くのでしょうか?是非頑張って欲しいものです。
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階を上がれば小窓から覗く、連立天守閣ならではの複雑な構造が格好良いです。
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小天守との間から眺める和歌山市内。
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最上階から本丸御殿方面を眺めました。
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和歌山港方面です。右に乾櫓、左に二之御門櫓、中庭を見下ろせる連立天守閣ならではの光景。GWなので鯉のぼりがあがっています。
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小天守閣の鯱。
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紀の川河口を眺めました。其処にある紀湊は紀伊の国の一大拠点。御三家がこの地を収めたのは紀湊を掌握する必要性もあっての事でしょう。
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小天守の屋根を眺めます。背後の一際高い建物が市役所で、最上階のレストランからの和歌山城の展望も良い様です。
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最上階の屋内風景です。
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中庭に戻って来ました。階段を降りればニ之御門です。
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二之御門を潜り城外に脱出しました。
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此処から見上げる和歌山城の天守閣は和歌山城が紹介される時、度々目にする画角です。
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和歌山は御三家紀伊徳川家が納めた城下町です。それはいったい和歌山の人々にどの様な影響を与えたのでしょうか?街にはそれぞれ気質というものがあります。私には解りませんが、以前大阪の友人と神戸の友人が、地元を巡って口喧嘩していました。それぞれ譲れないものがあるのだと思います。城下町は数多くあれど、御三家の城下町は日本に三つだけです。もしかしてプライドが高かったり?もし和歌山の人がいらっしゃいましたら和歌山市の人々の気質を教えて頂けると嬉しいです。
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期待はしていましたが、期待以上に美しい城でした。天気に恵まれたのも良かったです。白い建築は青空あってのものです。曇りだと空の白さに同化してしまい、全く絵にならなくなってしまいます。
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下城は登城とは違い新裏坂を下ります。此方からだと二の丸方面に直接出れます。
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二の丸庭園を見下ろします。
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御橋廊下迄戻って来ました。
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御橋廊下から見上げる天守閣。
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今度は両側の扉が開いていました。両側の窓も開けられ、これなら快適に渡れます。
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御橋廊下の小窓から天守閣へお別れの挨拶をしました。
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西の丸の駐車場付近に和歌山歴史観があります。中ではVTRで和歌山城の歴史を解り易く解説してくれます。お城の入場券と共通になっているので是非訪れて欲しい施設です。
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和歌山へは南海電鉄を利用しましたが、目指す伊賀上野へはJRを利用しました。和歌山駅に到着です。
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先ずは阪和線に乗って大阪、天王寺駅へ。
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天王寺駅から大和路線に乗り換えます。大和路線は奈良を含みますからインバウンド人も多く紛れます。でもそうせ奈良で全員降りるでしょう。
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大和路線の終点加茂駅でローカル線に乗り込みます。まさかの1両編成。実はこれまで乗車した大和路線は、関西本線の一部です。関西本線は三つのパートから成っています。大和路線とも呼ばれる大阪から加茂に至る電化区間。奈良を含むので通勤以外にも観光需要があります。反対側の名古屋から亀山のパートも名古屋への通勤需要があるので双方とも電化され長編成の電車が運行されています。一方真ん中の加茂から亀山に至る部分は電化もされず、ローカル線扱いで気動車が走ります。
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高速バスの利便性も解りますが、こうして乗り換え、乗り換え、ローカル線に揺られていると、旅をしている実感が沸いてきます。
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忍者が乗換案内をしてくれるでござる。
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何故か複数編成でやってきた地方ローカル私鉄伊賀鉄道に乗り換えます。
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遂に最寄り駅上野市に到着でござる。
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なんと!列車迄忍者でござる!でもあの目つき、何処かで見た事あるでござる!
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到着!到着!さて早速駅舎の写真を!と見上げれば?
「忍者市駅」
?駅間違えちゃったかな?下を見れば小さく上野市駅と…。
公式の駅名を忍者市駅とは…。
「そんなんでええんか~い!」
と思わず突っ込まずにはいられません。 -
駅前には忍者に紛れてメーテルと哲郎の姿が!どうやら松本零士さんが伊賀鉄道の忍者列車のデザインを手掛けており、それ以来の伊賀市との関係が続いている様です。ですからあの列車の目つきに見覚えがあったのです。
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小腹が抄いたのでたこ焼きを頂きました。一口食べて
「アチイ!」
そしてジュワ~ッと。この感覚、関東では味わえないよなぁ…。この感覚だけでも関西に来た甲斐があると言うものです。 -
俳聖殿の門を潜ります。
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俳聖殿です。松尾芭蕉の生誕300年を記念して建てられた聖堂と言います。なんと松尾芭蕉の生まれが伊賀市だったとは初めて知りました。私の故郷から左程離れていない場所で暮らして其処から旅立ったのは知っていましたが…。
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実は伊賀上野城の最大の見せ所は石垣にあると言えます。城造りの名人藤堂高虎が築いた高石垣が中でも有名です。木々に囲まれ中々見えなかったので急な崖をそろりそろりと駆け降りて、堀の畔から鑑賞しました。もう少し歩けばちゃんと見れるところあったので、危ない思いまでして堀の畔迄降りてはいけません。
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此方がその高石垣です。藤堂高虎の石垣の特徴はド真っすぐなところにあると思います。おもいっきりエッジの効いた石垣の角が、ド真っすぐに堀から聳えています。同じく城造りの名人の加藤清正が築いた熊本城の、芸術的に弧を描く石垣とは対照的な造りです。
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清々しく感じる程の直線っぷりです。藤堂高虎と言えば幾人もの大名の元に仕えた事でも有名ですが、どの大名にも重用されていたので、優秀な人物だったのでしょう。一定の分野が飛び抜けている訳ではありませんが、戦わせても良し、城造りも上手く、調略にも長けている。戦国武将のオールラウンダーだった様な気もします。
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石垣の上にチョコンと隠れる様に天守閣が聳えています。そんなに照れる事無いんだよ!
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少し前まで桜の美しい季節ですが、毛藤の花の季節なのですね。
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何気無い風景ですが、緑深い低山に囲まれたひっそりとした落ち着いた風情が良かったです。流石忍びの里です。
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伊賀上野城の縄張りは梯郭式で張られています。高石垣に守られた部分を要害として、その他の部分を曲輪で囲っているので梯郭式だと思います。ただ、伊賀上野城はある意味未完成の縄張りなので、築城者、藤堂高虎の想定通りに作られていたのなら変わってくる可能性があります。
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高石垣を覗き込みます。高所恐怖症なので心臓を掴まれた様な気持ちになります。
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それにしても美しい石垣です。
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伊賀上野城の天守閣は現在は三重三階の層塔型天守閣です。現在はと書いたのは、本来藤堂高虎時代には五層五階の層塔型天守閣だったからです。つまり史実とは全く違う形で再建された模擬天守閣と言う事になります。
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どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?先に訪れた和歌山城は第二次世界大戦で焼失した事から詳細なデータが残されていました。一方伊賀上野城は江戸時代早期に倒壊しています。和歌山城は県が音頭を取り再建されましたが、伊賀上野城は一議員とその協力者により再建されました。幾らお金持ちとは言え個人の財力では限界があります。しゃーねぇーから集まった金で出来るところ作っちまうべ!と言ったかどうかは解りませんが、結果三重三階の天守閣となってしまった訳です。天国の高虎の溜息が聞こえてきそうです。
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そんな訳で、五重五階の天守閣の為の天守台に三重三階の天守閣を築いてしまったのですから、Lサイズの人がSサイズの服を着てしまったかのような不釣り合いな部分も良く見ると解ります。更に歴史的天守台に現代建築を築くと言う事は、多かれ少なかれ元となる天守台を破壊しなければならないので、史跡破壊にも繋がります。
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とは言え天守閣の有る無しで訪問客は天地の差が出ます。私も三重県を訪れる際、どの城にしようか悩んだ時、真っ先に目についたのがこの城の天守閣の姿でした。また、駅舎を見ても解る通り、伊賀市は全面的に忍者の街を打ち出し町興しをしています。忍者の街にはお城があった方が断然良いでしょう。(歴史的には伊賀忍者と伊賀上野城は何らリンクしませんが。)こうしたメリットも考慮すれば、一方的に模擬天守閣を叩くのは間違っていると思います。
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ただ、何度も書きますが、模擬天守閣である事はしっかりHPやパンフレットに明記して欲しいと思います。それはライトユーザーが、この城こそ史実だと誤認してしまう可能性があるからです。城内は歴史資料館になっています。その資料館が模擬の歴史を伝えては本末転倒です。藤堂高虎にも失礼です。
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さて、では伊賀上野城の歴史を追ってみようと思います。伊賀上野城に本格的な築城を施したのは豊臣秀吉の命で筒井定次です。伊賀上野は今でこそ地方色が強いですが、戦国当時は彦根と並び交通の要衝でした。豊臣秀吉にとって伊賀上野城は大阪に攻め込むかもしれない徳川家康の侵攻から守る、東方の出城と言う役割がありました。
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た伊賀ー君が出迎えてくれました。
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藤堂高虎の兜が展示されています。こんなんで戦えたのかぁ?
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さて、時は流れて関が原合戦後、定次は東軍に加わったのですが、その後改易されしまい、その後この城に入城したのは家康の信頼が篤い藤堂高虎です。理由はひとつ。高虎の築城技術の高さを買われたのです。早速高虎は先程見た高石垣を始め城の整備を始めます。ではどうして家康は高虎を招聘して迄伊賀上野城の整備を進めたのでしょう?
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それは先程、此処伊賀上野は彦根と並ぶ交通の要衝となっていた事が重要となります。関ヶ原の合戦後、家康がやろうとしていた事はひとつ。そう豊臣の息の根を止める事。即ち大坂城の陥落です。その拠点として伊賀上野城の整備が急務となったのです。こうして家康への警戒の役割を持って建てられた伊賀上野城は、関が原が終わるとまるでブーメランの様に豊臣を滅ぼす為の城へとその役割を変えたのです。
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しかし城の縄張りが完成する前に大坂夏の陣にて豊臣氏は滅亡。最早この城の役割は終わったどころか、江戸幕府の方針で新しい城の整備は難しくなってしまいました。そして藤堂高虎も津城を本拠地を移してしまいました。そんなこんなで冒頭に述べた未完の縄張りの城と言う事になってしまったのです。
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長い歴史を持つ城では、幾人もの城主が変わっている場合が多く、数回改修が繰り返されている事も少なくありません。その場合、天守閣やその他構造物は新しく改修されアップデートされる事が殆どですが、新造された石垣以外は古くからの石垣は流用される事が多いです。つまり、そうした歴史を持つ城では、複数の様式の石垣の違いを楽しむ事が出来ます。此処伊賀上野城も筒井定次、藤堂高虎と言う二人の武将の石垣を楽しむ事が出来ます。
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館内は勿論模擬ながら、和歌山城より新しく建てられたせいか、ビル感を和らげる努力を感じます。
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楽しい訪問となりました。ありがとうございます。
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伊賀上野、今は戦国期の様な交通の要衝とは程遠い、長閑な風景の広がる街にはなりましたが、街は忍者市として町興しに力を入れ、駅前にはちびっ子忍者達が元気に走り回っていました。この城が伊賀上野の人々の誇りとなって、多くの旅人と忍者が集まると良いなと思いました。楽しい訪問となりました。お邪魔しました。これにてドロンするでござる!
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伊賀上野散策、最後に小六坂の竹林を散策しました。三重県を訪問し、本州の未訪問県は無くなりました。本州制覇です。残すは九州三県と四国全域。遠いなぁ。
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5階に無料休憩所がある駅前のハイトピア伊賀で伊賀鉄道の時間待ちです。此処で私の悪い病気が発症しました。地図を睨みつけ考えます。このまま関西本線で名古屋に向かい帰路に就くか…。でも未だ歴史に火照った体は足りないと言っています。地図を見れば、此処から名古屋も、彦根も、距離も時間も同程度。その彦根には佐和山城と言う石田三成好きにとってマストな城が残っています。そして16年前、私は彦根を訪れながらスルーすると言う、ファンにとってあるまじき失態を残しています。この機を逃したら…。
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忍者様も言っています。
「思いのままに生きるでござる!後悔せぬ様に!」 -
ならば忍者号に乗って出陣じゃ!向かうは自宅に有らず、彦根に出撃じゃぁ~!
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そんなこんなで未訪問の県訪問の旅の今回分は完結した筈だったのですが、もう一日延泊して佐和山城リベンジへ向かうべく柘植駅で草津線に乗り換え、草津から琵琶湖線で彦根に向かいます。
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ひこにゃんが出迎えてくれました。16年前はひこにゃんの可愛さに惑わされ、彦根城に行ってしまい佐和山城をスルーしてしまいました。今回は惑わされません。
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実は彦根にはブログ時代からお世話になっている姉御が暮らしています。御主人は城のプロフェッショナル。全く知識の無い私はヘルプを頼みたいところでしたが、こんな行き当たりバッタリでは無理と言うもの。でも美味しいお店を教えて頂きました。
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近江ちゃんぽん発祥の店「をかべ」さんです。近江にちゃんぽんがあるのは初めて知りました。私が知っているちゃんぽんは某チェーン店のものだけですが、海鮮が乗っている独特のスタイルのものです。美味しいし大好きですが、ラーメンと比べると明確に別物で、そのつもりで店に向かいます。
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しかし近江ちゃんぽんはラーメン感覚で食べられるちゃんぽんに感じました。海鮮では無く肉と野菜がたんまりと入っており、スープもさっぱりしており麺もラーメン感覚で、違和感無く食べられます。一発で大好きになりました。
と言う訳で明日はやり残した想いを遂げる為、佐和山城に向かいます。
最後迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
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