2009/08/28 - 2009/08/28
609位(同エリア1419件中)
さっくんさん
今回もう、遠い記憶からの旅の紹介です。
旅系YouTuberとして人気が高かったバッパショウタさんが、6月のウイグルの旅行動画を最後に更新が途絶え、先日、待望の更新が為されたものの、余りに不可解な内容に、様々な疑惑を呼んでいます。
彼はいつも多くの問題を抱えた地域を旅し、視聴者に、ものの捉え方の多様性を呼びかける為、常に様々な捉え方を提示し、中立な立場から解説する動画は、多くの気づきを頂きました。そんな彼が何某かに巻き込まれた事は確実ですし、それが何かは推測に易い事で、胸が痛みます。いつの日か、以前の様な気付きある動画を拝見出来ればと願っています。
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会津を訪れました。なんと途中アクシデントがあり代替えバスを利用して到着しました。
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会津若松城は層塔型五重五階の復元天守閣です。
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歴代城主は、蘆名氏、伊達政宗、蒲生氏、上杉景勝、会津松平家等錚々たるメンバーが揃い部みますが、それより何より白虎隊のイメージが一番強い城郭です。
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白虎隊の戦いは、平たく見てしまえば反政府軍となってしまいますが、参加した(参加させられた)戦闘員が未成年でもあった事から、悲劇として描かれる事が多いです。
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会津戦争が終了した後も薩長への遺恨は残り、背南戦争時は会津藩士やその親族が、西郷隆盛への恨みを晴らす為征討軍に志願するものも多かったと言います。
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それ以降も薩長と会津の犬猿の仲は続いている様で、なんと現在もしこりが残っている人もいる様で、今日でも、互いの出身が薩長と会津だった場合、親の猛反対で結婚が叶わなかったカップルさえいるそうです。
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なんと山口県出身の故安倍総理が会津若松を訪問した際、
「先輩が御迷惑をかけたことをおわびしなければならない。」
と語ったのだそうです。 -
そう言えば忠臣蔵の話に端を発して、赤穂浪士の地元の人と、吉良上野介の出身地の人は仲が悪いとも聞いた事があります。私は東京の下町出身なので、故郷と言う意識が希薄なのですが、地方の人々の熱い故郷の想い(時に暴走する程)を羨ましく感じる事があります。(でも、喧嘩にならない程にね!)
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天守閣から会津若松の街並みを眺めました。
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今回は弾丸の旅で、もう一か所訪れたい城があるので、城のみの散策で引き返してしまいますが、猪苗代湖や飯森山、そして温泉など見所も沢山ある街なので、いつか再訪できる日を楽しみにしています。
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茶室麟閣。千利休の子、少庵が匿われていた際に建てられたと伝わる茶室。
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当時のこの城の城主蒲生氏郷が豊臣秀吉から千利休が切腹を命じられた際、利休の子孫と茶道が絶えてしまう事を悲しみ、徳川家康と共同して助命を乞い、此処に匿われ、茶道の復興に務めました。
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戊辰戦争で会津藩が敗北し、建物が取り壊される時、貴重な茶室が失われるのを惜しみ、茶人が自宅に移築、平成二年に市制90周年を記念して、茶室を後世に残す為、再び元の場に戻されたそうです。
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私が訪れてから二年後の2011年、会津若松城の瓦が、歴史的な赤瓦に葺き替えられたそうです。赤瓦は寒冷地用に鉄分を多く含ませた材料を混ぜて焼き上げる為、赤みが加わるのだそうです。またひとつ、訪れる理由が出来ました。
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白河迄引き返し、白川小峰城を訪問しました。
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東北では珍しい総石垣づくりの城で、盛岡城、会津若松城と共に東北三名城に数えられています。平山城で発掘調査や図面、古写真に基づく木造による復元天守となっています。
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古写真があると言う事は、比較的近世までその姿を保持していた城郭だった事が想像出来ます。こうした幸運から数少ない信憑性の高い復元天守閣となれたのですが、更に木造と言うところが他の復元天守よりポイントの高いところです。つまり内部まで当時を再現できているのです。
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どうして今まで木造の復元天守が無かったのか?どうして小峰城は木造で復元できたのか?それは消防法が改訂されたからです。それ以前は例え、図面などが揃っていたとしても、消防法に依り木造での復元は不可能だったのです。
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それと共に現在では歴史との整合性も厳格化され、嘗ての様な観光誘致目的で乱立された模擬天守は建てられなくなりました。白河小峰城は、そうした改定が為された後の新世代の復元天守閣だと言えます。
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小峰城は城郭としては、小規模なものですが、だからこそ木造で復元が叶ったとも言えるでしょう。名古屋城も、木造で再建が検討されている様ですが、エレベーターが無くなると、障害者が登城出来なくなるとの反対意見や、有事の時の耐震、防火、そして何より予算。大きな城となると、立ちはだかる問題も大きく聳えます。
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しかし、この城の建造には、法の隙間を突いて建てられた模様で、公式に認定された木造による復元天守は掛川城が初と記録されています。記録に残らないのは残念な事ですが、この城が突破口となって木造復元の機運が高まったとも言えます。私はそういう点も評価したいと思います。
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木造による復元天守なので、外観は勿論の事、内部も当寺の姿を彷彿させます。これが従来のコンクリート製の復元天守決定的に違うところです。
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こんなものまで復元されています。果たして実際に撃ち抜かれた木片が残っていたのでしょうか?それとも、戦時は内部迄弾が着弾した事を示す為、弾痕を復元したのでしょうか?
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やっぱり、木造だと、城の中にいるんだなぁと言う実感が犇々と伝わってきます。
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最上階から白河市内を眺めました。
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天守閣と言うよりは大き目の櫓と言った風情の城郭ですが、木造による復元天守閣なので、途中下車して訪れた甲斐がありました。
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さて、先に城内にあった弾痕の真偽を語っていましたが、判明したので追記します。この城の木造による復元にあたり、戊辰戦争の激戦地となった松波稲荷山の杉を使って修復したのですが、その杉に当った弾痕だとの事です。
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ですので、実際当時の天守閣に打ち込まれたものではありません。しかしこの城も戊辰戦争で焼失しており、周囲の山にも弾痕が残る程銃撃戦が行われた事を示すものとして、貴重な展示であり、粋な演出だと思いました。
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一日で東北地方福島の二つの美しい城を巡る事が出来ました。どちらも戊辰戦争を経験した城です。再び日本でこんな悲劇が繰り返されない様に、歴史を学ぶ場として後世に伝えたい、残したいお城です。また一度訪れてはいる城ですが、お城もどんどんアップデートされている様です。新しく復元がかなったもの、史実に沿って瓦が変更されていたり、久々に調べて見れば、再訪を動機づけるアップロードが行われている様です。皆さまも是非一度訪れた事がある思い出の城のホームページをチェックしてみてください。次の旅先になったりして?
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是非東北、特に福島を訪れたなら、白河で小峰城を訪ねてください。
最期ごらんになって下さりありがとうございます。
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