2009/08/19 - 2009/08/19
2448位(同エリア2505件中)
さっくんさん
今回はまた大昔の旅から広島の旅を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回の目的地は広島。毎度の如く新宿から深夜バスです。流石に広島までとなるときついなぁ。
-
多分江の島なのですが、何故故??多分ファイリングミス…。
-
約12時間の深夜バスの旅を終え、大きく伸びをしながら宮島フェリーに乗り込みました。宮島が島の正式名称なのでしょうか?厳島は神社のみ?
-
ワクワクします。鳥居はどちら側から見えるのでしょうか?(答:進行方向右側)
-
嗚呼見えてきましたぁ!
-
もっと、あと、もう少し!
-
鳥居の真芯に捉えました。普通の神社ならば当たり前に出来る事が、此処では船が通り過ぎるワンチャンを狙うしかありません。
-
あっと言う間に過ぎ去ってしまいました。
-
一瞬でしたが、大興奮の瞬間でした。
-
いよいよ宮島に上陸します。
-
厳島でも神の使いは鹿さんなのでしょうか?鹿さんが出迎えてくれました。
-
厳島神社と言えば、間違いなくこの大鳥居です。私の大好きな平家物語の主人公とも言える平清盛により建てられました。
-
現代のもので8代目とも9代目とも言われますが、良く平清盛の時代から、それだけの交換で済んだものだと思います。通常の経年劣化に加え、台風の数多く通る立地。やはり神の加護があってのものでしょうか?
-
厳島神社が現在に伝わる姿になったのは、平清盛の手に依ります。祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。神体は弥山です。
-
いよいよ社殿が見えてきました。本当に水に浮かんでいるかの様です。こんなこと考え、更に実行に移してしまうのは平清盛、貴方だけです。
-
宮島自体が御神体の為、御神体を人の手を加える等畏れ多き事。故に海上に建てられたとの事。昔の日本人の奥ゆかしさに感服します。
-
平安時代の寝殿造りを取り入れた景観と海の絶妙なコラボレーション。海に浮かぶ寝殿造り。そう言えば寝殿造りと言えば平等院鳳凰堂を思い出しますが、鳳凰堂の前面にも池が配置されました。海に浮かぶ寝殿は、当時の寝殿造りを造った建築家のある意味理想形だたのでは無いでしょうか?
-
客(まろうど)神社。天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命の五柱の男神を祀っています。
-
厳島神社は客神社がある東回廊、平舞台と本社拝殿がある中央部、そして能舞台がある西回廊の三つのセクションからなっています。現在は東回廊を平舞台に進んでいます。
-
厳島神社は華麗な姿とは裏腹に、見えないところで現代の人々さえ驚愕する海と共に生きる技術が採用されています。ヴェネチアの街と同じ理由で、神社の下に千本とも言われる松の杭を打ち込み地盤を固めています。回廊や舞台の床に板は、絶妙に隙間が開けられ、高波などによる浸水時に、水が抜け、社殿に浮力が働く事を防いでいます。更に神社の心臓部、本殿を荒波から守る為、本殿前部にあたる平舞台は筏の様な仕組みで、波の力を分散させます。
-
屋根の斜面が山形になる切妻造に加え両流造と言う屋根の前後方の庇を伸ばした様式で建てられ、千木と鰹木と呼ばれる神社で良く見られる様式を採用しない等、一般的な神社とは異なる建築様式で建てられている事も特徴です。
-
神社の向こうに五重塔が見えました。
-
厳島神社、中央部に到達しました。鳥居が真正面です。
-
振り返れば平舞台の向こうに本殿方面を眺めます。
-
本殿内部を眺めました。此処を清盛公が…。
-
平舞台から五重塔を眺めました。
-
本殿前に広がる平舞台の中央、一段高い高舞台があります。1176年平氏一門が千人の僧侶を呼び供養を行ったのが起源と言われています。
-
高舞台から鳥居を臨みました。
-
火焼前と呼ばれる部位から鳥居を眺めます。火焼前(ひたさき)は管弦祭での管弦船の出御と還御を行う場所です。平舞台の高舞台で舞踏が行われ、その先の火焼前から管弦船が音色を奏でる。想像するだけで風流だなぁ。
-
この管弦祭も平清盛発祥です。京の都で催していた管弦遊びが元となっている様です。今日でも旧暦6月17日、年に一度行われている様です。プレミアだろうなぁ…。
-
平舞台を離れ、西回廊に進みます。
-
西回廊には大国神社、天神社、反橋、能舞台が繋がっています。
-
厳島神社の能舞台です。これは福島正則の寄進によって造られたそうです。広島に携わった有名人物がをこぞって厳島神社を信望し、愛していたのですね。
-
西回廊から本殿、東回廊方面を眺めました。
-
神社を離れ、距離を置いて厳島神社を遠望しました。
-
鳥居が凛と海に中に聳えています。
-
海に浮かぶ回廊部を眺めます。実際にこんな建築が存在する事は現代をもってしても信じられない気持ちです。
-
上に見るは豊国神社。なんと厳島にも豊国神社がありました。祭神は豊臣秀吉と加藤清正。当然明治時代になってからの事です。そして五重塔。五重塔はストゥーパ、即ち仏教由来の建築ですから、細かい事を申せば神社には不要な建築です。古くは寺院があって、仏像は他の寺院に移転されたそうです。日本人の宗教観から言えば、折角の素晴らしい建築ですから、残していてオッケーだと思います。
-
厳島神社を離れ、弥山に登る為ロープウェイ乗り場を目指します。
-
宮島ロープウェイに乗りました。
-
どんな景色が待っているのでしょう?
-
ロープウェイは二段構えで、乗り継いで山頂へ向かう本格的なものでした。
-
いつだって、行き当たりばったりで事前準備が足りない私。ロープウェイがあったのも現地で初めて知って、絶景目当てに飛び乗ってしまいましたが、どうやら弥山言って霊験あらたかな山岳信仰の場と言うでは、ありませんか!しかも厳島神社の御神体でもあったのです。
-
ロープウェイを降りれば、これぞ瀬戸内とイメージ通りの姿が!思わず息を飲みました。
-
あれは悪霊島でしょうか?あの島は獄門島でしょうか?私の大好きな金田一シリーズは、こんな美しい舞台で描かれていたのですね。
(実際に舞台としてイメージされた島は、かなり離れた場所に位置します。) -
御神体の山からの景色を堪能しました。
-
エテ公がいました。私は申年だからでしょうか?猿に無性にライバル意識を感じてしまいます。このいけ好かない奴が!メッ!
-
弥山の開基は弘法大師。唐から帰国した弘法大師が霊地を探している時、山の姿が須弥山に似ている事から弥山と名付け、御堂を建てて100日間求聞持の修法を行った場所が弥山本堂です。本尊は虚空蔵菩薩で脇に不動明王と毘沙門天が控えます。
-
霊火堂。弘法大師が修法を行った際の霊火が今も「消えずの火」として燃え続けていると言われます。この火にかけられている大茶釜で沸かした霊水を飲むと万病に効くと言われ、その場で茶を頂く事が出来ます。確かに病気してません。ありがとうございます。
-
如何にも霊験のありそうな自然石のトンネルを潜ります。
-
再び、瀬戸内の美しい風景を拝めました。最高の御利益です。
-
ロープウェイで下山し紅葉谷公園を訪れました。
-
その名の通り紅葉で有名な公園の様ですが、シーズンには厳島も絡めて手の施しようのない混雑だろうから私には無理です。今でも十分綺麗です。
-
弥山から降りてくると、厳島神社は干潮の時刻となっていました。
-
干潮になると鳥居まで歩いて近づけます。
-
後ろ髪を引かれながら宮島を後にします。島自体が神域であり、海を守る厳島神社、そしてその御神体である弥山も素晴らし過ぎる島でした。歴史と自然美、どちらも楽しめる素晴らしい場所でした。
-
平家所縁の神社であり、清盛が今の姿に厳島神社を創りましたが、平家物語では物語の主軸である京都から遠く離れている事から、厳島御行の事実が述べられる程度に留まっています。
-
往時は船で鳥居を潜ったと言われます。現在も管楽船は鳥居を潜るのでしょうか?
-
その時が近づいてきました。カメラを構える腕に力が入ります。
-
カウントダウン!
-
ビンゴ!鳥居と神社が合わさりました!
本当に素敵な神社でした。平家物語が大好きなので猶更でした。世界に又と無い建造物を堪能しました。御神体の山から瀬戸内の絶景を眺めました。大満足です。 -
新幹線に乗って岩国迄足を延ばしました。
-
錦帯橋が美しいアーチを川面に映しています。
-
5連の美しいアーチは全長193・3m全幅5m、世界的にも珍しい木造アーチ橋です。
日本三大名橋(錦帯橋、日本橋マジかよ?長崎の眼鏡橋)日本三奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋、富山県愛本橋、長野県木曾の桟、徳島県かずら橋何故か5つあります。) -
世界遺産を目指している様ですが、木造によるアーチ橋は珍しいとの事なので、もしかしたら叶うかもしれません。世界には橋が世界遺産になっている事例もあります。ボスニア・ヘルツェゴヴィナには橋の世界遺産が二つありますが、歴史的価値は勿論、紛争による破壊と言う負の世界遺産の要素も含まれています。
-
将来の世界遺産の橋を渡りましょう。
-
錦川のせせらぎも美しいです。折角の美しい橋も、下に流れる川が汚くては絵になりません。その点は全く心配無用です。東京の川とは違うなぁ。癒されます。
-
岩国城は複合式望楼型四重六階の復興天守ですが模擬天守とされる場合もあります。
復興天守は史実には天守閣があった事、場所が判明しているが、詳細が解らず、推測で再建された天守閣を指し、一方模擬天守は天守閣が無かった城に再建された天守閣、天守閣が存在したか不明の城に再建された天守閣、史実とは違った場所に建てられた天守閣、ほぼ推測或いは築城年代とは様式がかけ離れた形式で建てられた等、史実と大きな乖離がある天守閣を指します。
また、詳細なデータ通り再建された天守閣を復元天守閣と呼び、そのうち木造で復元されたものと、コンクリート造で外観復元に留まるものと二つに分類できます。 -
岩国城は吉川広家によって建てられた山城で、上階が下階より張り出す独特のスタイルが特徴的な桃山南蛮造りの天守閣です。非常に珍し意匠で、他に小倉城がありますが、共に現存天守閣ではありません。
-
それにしても独特の風情を持った天守閣です。
-
岩国城の天守閣からの眺めです。山城だけに絶景です。
-
錦帯橋の美しい姿もバッチリ眺められました。
-
美しい錦帯橋に、美しい和服姿の女性。日本人で良かったなぁと思う瞬間。和傘だったら満点だったのになぁ。(←贅沢言うな!)
-
再び広島に引き返してきました。訪れるは広島城です。
-
表御門を潜ります。城内には広島護国神社も入っています。広島カープの必勝を祈願する神社でもあるそうです。スポーツの地元愛は熱いものがありますね。
-
アメリカが投下した原爆で倒壊しました。しかし詳細なデータが残された事より外観復元された復元天守、服連結式望楼型五重五階の輪郭式平城です。
-
広島城は毛利輝元が築城し、江戸時代になると福島正則が入城し改築しました。しかし、その後の改築が武家諸法度に違反したとされ転封され、以後浅野家の居城となりました。
-
広島城天守閣から広島市街を眺めます。何処の街とも代わり映えの無い、立派な都会の姿ですが、世界の何処の国も体験した事の無い、世界最悪の人道破壊兵器、長崎と共に原爆を乗り越えて復興した街です。途端の苦しみを乗り越えた街の姿です。
-
以前私は広島のお好み焼きを広島風と風をつけてしまった事で広島のお友達を大激怒させてしまった事があります。勿論私の落ち度ですが、悪意は全く無かったですし、何も食べ物の事で…とも、思っていました。しかし広島のお好み焼きのルーツが、原爆で食料が全く無かった広島の人々を救ったのがお好み焼きだった事を知り、如何に広島の人がお好み焼きに寄せる気持ちが強いかを知りました。
こんな逸話を聞くと、広島のお好み焼きを気軽に食べられなくなってしまいそうです。勿論悪い意味じゃなくて、食べる前には原爆で亡くなった人々に一礼してから食べなきゃいけなく感じました。 -
ただ、お好み焼きを巡って、大阪の人と広島の人が喧嘩して、死者が出るに至った事件があったそうです。熱くなるのはごもっともですが、命まで奪ってしまってはいけません。
-
一時広島城城主となった福島正則は、加藤清正と共に賤ケ岳の七本槍に数えられた猛将で、清正とも親交が深かった武将です。即ち豊臣秀吉子飼いの武将で忠誠心も人一倍強かったのですが、朝鮮出兵の件で石田三成と険悪な関係となり、加藤清正と共に石田三成を襲撃する事件を起こします。
その時仲介してくれた徳川家康と親交を深め、三成憎しの想いもあった事から関ヶ原の合戦直前の小山会議では、先頭を切って家康の味方に付く事を宣言しました。 -
しかしその後徳川家康は豊臣家滅亡に動き出します。大坂の陣では福島正則は江戸に留められ動けませんでした。親友であり、共に東軍へ参加した加藤清正は、東軍に属しながら、なんとか秀頼を守ろうと言う覚悟が見られましたが、正則は「こんな筈じゃなかった!」と愚痴をこぼし清正に諫められる事もあったと言います。
-
戦国を生き抜いた豊臣きっての猛将、嘗ての誇りは江戸幕府の平和な時代が訪れると危険視されるレッテルにしかなりません。広島城の城主になった福島正則でしたが、城の改築等、様々な件で幕府から指摘を受け減俸され川中島に転封され、その地で亡くなりました。一方覚悟の上東軍に従った加藤清正も彼の死後、徳川秀忠の代で改易されてしまいました。
-
関ヶ原の合戦で相次いだ東軍への裏切り。そんな武将達の末路は、最初から申告していた脇坂安治以外は悲惨なものです。一度裏切ったものは繰り返す。疑われても仕方ありません。徳川家康はそうした武将を好まなかったのだと思います。
三成憎さに、一番の役割である秀頼の保護を捨てて家康に近づいた福島、加藤両家は、使うだけ使われ、結局徳川二代でその姿を消す事になりました。 -
それを証拠に東西に分かれて戦った石田三成。彼はコミュ障だったかもしれませんが、ルールに厳しく、忠義の士でした。本当は家康が一番部下に欲しかったタイプなのかも知れません。家康は三成を裁かねばなりませんでしたが、本来一族郎党殺されてもおかしくない出来事であるにも関らず、家康は三成の一族を裁く事はありませんでした。三成の一族は縁の合った津軽氏が保護し、三成の次女の血統は三代将軍家光の側室にさえなっています。
此処から学べる事は、人生で一番大切な事は、何が何でも貫くべきだと言う事だと思います。後半生を後悔に生きぬ様に。 -
原爆ドームを訪れました。その後平和祈念資料館へ行きました。本当は行きたく無かったです。いつも旅する時は、過剰に感情移入して旅する私。閲覧した後、どうなるか想像出来たから…。でも、日本人として義務だと思います。
-
で、案の定の結果に…。
号泣してしまいました。出口を守る警備員さんと目が合ってしまいましたが、どうする事も出来ず…。
でも警備員さん、優しく大きく頷いてくれました。
泣いて良いんだよ。って目で。 -
広島の何が凄いのかと言えば、これだけ酷い仕打ちを受けたのにも関わらず、日本はそれを実行した国を恨まず、核兵器そのものを否定したと言う事です。紛争は今も世界の何処かで永続的に続いていますが、やられたらやり返すの永遠の繰り返しです。「テロとの戦い」なぁんて綺麗事政治家は口にしますが、結局は同じ事。低次元の報復合戦に過ぎません。
日本は他の国がおいそれと出来ない芸当をやってのけました。誇りに思う選択です。私は今谷アメリカは許せないけど…。 -
幼い頃、母に戦争当時の話をされました。母本人の話だとしたら母が幼い頃の話の筈です。当時は母は韓国に疎開していたそうです。しかし戦争が終わり、母は家族と共に帰国しました。その時それまで仲良く遊んでいた筈の現地の子供達から石を投げられてり、罵倒されたりして、とても哀しい想いをしたとの事でした。
-
その話を聞いて、瞬間湯沸かし器の私は「韓国人に仇を討ってやる!」と憤りました。母は
「やっぱり、そう言うと思った。だから私はこの話をしたの。」
そう話した母の表情は、日頃見た事も無い、哀しい様な、怒った様な、何とも言えない表情をしていました。 -
「私はさっくんに、そんな考え方の人間に育って欲しくない。韓国人が悪かった訳じゃない。日本人だって悪い訳じゃない。戦争が、戦争が悪であり、決して繰り返してはいけない事なの。国や人を悪く言うのでは無く、戦争を憎みなさい。」
-
当時この言葉の意味をどれだけ理解したかは、解りません。今もそれを実行出来ているかも解りません。
只、世界を旅する様になってから、噛みしめる様に実感しています。平和の大切さ。戦争の無意味さ。だからこそ広島の選択した答は貴重且つ重要な意味を為すものなのだと思います。 -
そして、広島が説得力を持ち、平和を世界に発信できるのは、大戦後日本が頑なに平和を守り通しているからです。例えばユダヤ人が、アンネの日記だのアウシュビッツの悲劇だの声高に叫んだとしても、最早パレスティナでのあの様な行為の後では、何の効力も持ちません。
「貴方だって似た様な事やってますよね?」
はい、論破です(笑) -
では、どうしたら戦争を回避する事が出来るのでしょう?憲法9条ですか?あてにしてはいけません。政治家なんていつの時代だって嘘つきです。我々一般市民に出来る事なんて少ないかもしれません。でも出来ない訳ではありません。民主主義の国家がが戦争を起こそうとする時、いやそうじゃない国だとしても、先ずは国民の支持を受けて…と言う大義名分を欲するからです。
-
ですからあらゆる手段を使って奴等は国民に恐怖を与え、煽り、釣ろうとします。哀しい事に、人はハッピーな話題よりネガティブな話題に強く反応してしまいます。人間が未だ動物同等だった頃、周囲に潜む恐怖を早く完治してこそ生き延びてこれたDNAが刻まれているからです。そんな習性を彼等は良く知っています。恐怖を与えられると、人は防衛反応を示します。防衛反応が高まると、人は暴力に対する敷居が気付かないうちに低くなってしまいます。
-
「ウクライナで起こっている紛争は、対岸の火事ではありません。日本も無関心ではいられないのです。うかうかしていられませんよ。→防衛力をつけないといけませんから増税許してくださいね!」
こんな煽りは常套文句で、メディアを操り、あの手この手で視聴者の恐怖心を煽り、釣り上げ、声を一つに纏め、武力を貯めて、戦いに向かわせ、気づいた時には戦争が始まり、領土を守る為に、家族を失い、財産を失い、友人を失い、そして最後には全てを奪われます。それが戦争です。 -
私の大好きなアニメに「一休さん」があります。私も大の瞬間湯沸かし器。あんまりに理不尽なニュースには怒りに我を忘れてしまいそうになります。でもそんな時は一休さんを思い出しましょう。
「慌てない!慌てない!一休み!一休み!」
「このハシを渡ってはいけません!」
と言われたら、橋のど真ん中歩いて行けば良いのです。 -
煽りの記事や釣りの記事に惑わされず、国民全員が冷静に、「戦争に導きたい」サインを見逃さず、そのサインに釣られない、耳を貸さない事が大切なのだと思います。
-
原爆ドームが暮れていきます。有難い事に平和のままに。でも、平和とは余りにも壊れやすいもの。壊さない様に、傷つけない様に…。
-
とっぷりと日も暮れました。宮島に岩国に、広島城に原爆記念館。充実とした一日になりました。原爆で傷ついた広島の人々を復活に導いた広島のお好み焼きを心して食べて帰宅しようと思います。嗚呼また長いバスの旅が始まります。
最期迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
日本の旅
-
日光
2009/08/04~
日光
-
松本城
2009/08/06~
松本
-
江戸城
2009/08/09~
東京駅・大手町・日本橋
-
鎌倉・江の島
2009/08/13~
鎌倉
-
広島
2009/08/19~
宮島・厳島神社
-
熊本城
2009/08/24~
熊本市
-
福山城と岡山城
2009/08/25~
岡山
-
会津
2009/08/28~
会津若松
-
彦根城から浜松城
2009/08/29~
滋賀
-
名古屋城から浜松城
2009/08/30~
名古屋
-
松江城・備中松山城
2009/09/05~
松江・松江しんじ湖温泉
-
長野
2010/08/20~
長野・篠ノ井
-
甲斐
2010/09/05~
甲府・湯村
-
鶴見川
2011/08/08~
神奈川
-
日原鍾乳洞
2013/08/01~
奥多摩
-
奥多摩
2013/08/07~
奥多摩
-
高尾
2013/09/01~
高尾・八王子
-
聖地巡礼 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
2013/09/10~
秩父
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(事前準備編その1福井丸岡城)
2025/03/22~
永平寺・丸岡
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(事前準備編2金沢)
2025/03/22~
金沢
-
「まつとおね」から頂いたものを世界中に伝えたい!(観劇に感激編)
2025/03/23~
和倉温泉
-
現存12天守閣巡り8城目、弘前城
2025/03/26~
弘前
-
雨晴海岸にて自分への誕生祝と今年の運試し 北陸の旅 完結編
2025/04/05~
氷見
-
未訪問県、訪問の旅の筈が…鳥取編
2025/04/28~
鳥取市
-
未訪問県訪問の旅の筈が…和歌山城、伊賀上野城編
2025/04/29~
和歌山市
-
未訪問県訪問の旅の筈が…佐和山城そして関ケ原編
2025/04/30~
彦根
-
未訪問県訪問の旅の筈が…彦根城、安土城編
2025/05/01~
近江八幡・安土
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
宮島・厳島神社(広島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 日本の旅
0
100