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今回から再び遠い記憶からの旅、国内編です。長野へは珍しく友人との旅となったので、内容はアッサリ目となります。

長野

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2010/08/20 - 2010/08/20

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さっくん

さっくんさん

今回から再び遠い記憶からの旅、国内編です。長野へは珍しく友人との旅となったので、内容はアッサリ目となります。

  • 信越へ向かいます。新幹線化して初めてとなります。

    信越へ向かいます。新幹線化して初めてとなります。

  • 軽井沢を訪れました。

    軽井沢を訪れました。

  • 軽井沢は群馬県と長野県の県境にあります。

    軽井沢は群馬県と長野県の県境にあります。

  • マジですか?

    マジですか?

  • 穏やかな湖畔で、のんびりと過ごしました。軽井沢はジョンとヨーコが訪れた地でもありましたね。

    穏やかな湖畔で、のんびりと過ごしました。軽井沢はジョンとヨーコが訪れた地でもありましたね。

  • 軽井沢を後にします。

    軽井沢を後にします。

  • 新幹線に乗って長野に移動します。

    新幹線に乗って長野に移動します。

  • 長野と言えば、先ず向かう先は善光寺です。無宗派の単立仏教寺院で、天台宗と浄土宗が運営を担っています。本尊は日本最古と言われる一光三尊阿弥陀如来。

    長野と言えば、先ず向かう先は善光寺です。無宗派の単立仏教寺院で、天台宗と浄土宗が運営を担っています。本尊は日本最古と言われる一光三尊阿弥陀如来。

  • 平家物語に善光寺の火災の記述がある事からも、日本でもかなり古い時代から著名な寺院だったのは確実です。

    平家物語に善光寺の火災の記述がある事からも、日本でもかなり古い時代から著名な寺院だったのは確実です。

  • 戦国時代には、この地で五度戦った上杉謙信と武田信玄の間で善光寺如来の争奪戦が行われ、善光寺如来は各地を流転する羽目に陥りました。武田信玄が甲府に持ち込んだ時、それを収める為建てられたのが甲斐善光寺と言われています。

    戦国時代には、この地で五度戦った上杉謙信と武田信玄の間で善光寺如来の争奪戦が行われ、善光寺如来は各地を流転する羽目に陥りました。武田信玄が甲府に持ち込んだ時、それを収める為建てられたのが甲斐善光寺と言われています。

  • 善光寺の仁王像。

    善光寺の仁王像。

  • 長野と言えば、川中島を忘れてはいけません。武田信玄と上杉謙信が5度に渡って戦いました。

    長野と言えば、川中島を忘れてはいけません。武田信玄と上杉謙信が5度に渡って戦いました。

  • 地元の歴史家のボランティアさんでしょうか?観光客を前に川中島の決戦の歴史を解りやすく、面白く、熱弁して頂けました。こうした地元の方々の熱意は、本当嬉しいと思います。いつまでも元気で、歴史を伝えていて欲しいです。

    地元の歴史家のボランティアさんでしょうか?観光客を前に川中島の決戦の歴史を解りやすく、面白く、熱弁して頂けました。こうした地元の方々の熱意は、本当嬉しいと思います。いつまでも元気で、歴史を伝えていて欲しいです。

  • 八幡社旧社殿。山本勘助が千曲川に沿って海津城を築く時、水除け八幡としえ勧請した社だそうです。

    八幡社旧社殿。山本勘助が千曲川に沿って海津城を築く時、水除け八幡としえ勧請した社だそうです。

  • 長野市街の展望です。ネットでさんざん検索しましたが、同じ画角から写したと思われる写真は発見できたものの場所が特定できず。誰か知っている方いたら教えてください。

    長野市街の展望です。ネットでさんざん検索しましたが、同じ画角から写したと思われる写真は発見できたものの場所が特定できず。誰か知っている方いたら教えてください。

  • 上田城を訪れました。

    上田城を訪れました。

  • 現在残されている建物は、江戸時代に再建築城されたものだそうですが、やはり上田城と言えば真田家です。

    現在残されている建物は、江戸時代に再建築城されたものだそうですが、やはり上田城と言えば真田家です。

  • 長野と言う山に囲まれた立地がそうさせたのでしょうか?権謀術数に長け、ゲリラ戦をやらせたら多分日本一。真田の戦法にはそんなイメージがつき纏います。

    長野と言う山に囲まれた立地がそうさせたのでしょうか?権謀術数に長け、ゲリラ戦をやらせたら多分日本一。真田の戦法にはそんなイメージがつき纏います。

  • 此処から眺める平原に、天下を目前にした徳川秀忠の大群が雲霞の如く押し寄せた。そこらの弱小城主なら、早速講和の準備をしただろうに、散々蹴散らした上、足止めし、関ヶ原の戦いに遅参させたのだから、真田軍アッパレです。肖りたい!

    此処から眺める平原に、天下を目前にした徳川秀忠の大群が雲霞の如く押し寄せた。そこらの弱小城主なら、早速講和の準備をしただろうに、散々蹴散らした上、足止めし、関ヶ原の戦いに遅参させたのだから、真田軍アッパレです。肖りたい!

  • 夏の風物詩、蜻蛉…なんか儚さを感じます。

    夏の風物詩、蜻蛉…なんか儚さを感じます。

  • 真田と言えばやっぱりこの人真田幸村ですよねぇ。父も兄も格好良いんですけどねぇ。

    真田と言えばやっぱりこの人真田幸村ですよねぇ。父も兄も格好良いんですけどねぇ。

  • メロンバーを頂きます。クールダウンです。

    メロンバーを頂きます。クールダウンです。

  • 真田家は関ヶ原の戦いを父と息子(弟)が息子(兄)と東西に分かれて戦いました。これも、どちらが勝っても真田家が存続する為の戦国ならではの非情の決断だった訳ですが、兄信之の必死の助命嘆願により父、昌幸と弟幸村は助かりました。権謀術数に長けた一族ですから、父と幸村は本心で行動し、兄の才覚を信じ、関が原を戦ったのでは無いでしょうか?

    真田家は関ヶ原の戦いを父と息子(弟)が息子(兄)と東西に分かれて戦いました。これも、どちらが勝っても真田家が存続する為の戦国ならではの非情の決断だった訳ですが、兄信之の必死の助命嘆願により父、昌幸と弟幸村は助かりました。権謀術数に長けた一族ですから、父と幸村は本心で行動し、兄の才覚を信じ、関が原を戦ったのでは無いでしょうか?

  • 勿論幸村が最期迄見せ続けた男気も素晴らしい。真田は格好良い逸話が詰まっています。

    勿論幸村が最期迄見せ続けた男気も素晴らしい。真田は格好良い逸話が詰まっています。

  • 海津城跡を訪れました。川中島の戦い当時、武田方の最前線となった城跡です。

    海津城跡を訪れました。川中島の戦い当時、武田方の最前線となった城跡です。

  • 別名松代城とも言います。これは江戸時代に入ってからの名称変更で、やがて真田家が松代藩に転封。以後明治まで真田家の居城として存在しました。

    別名松代城とも言います。これは江戸時代に入ってからの名称変更で、やがて真田家が松代藩に転封。以後明治まで真田家の居城として存在しました。

  • 真田邸を訪れました。戦国を生き抜いた真田家の子孫が統治した松代藩の邸宅です。六文銭の旗印が眩しいです。

    真田邸を訪れました。戦国を生き抜いた真田家の子孫が統治した松代藩の邸宅です。六文銭の旗印が眩しいです。

  • 地獄の沙汰も六文銭。六文銭とは三途の川を渡る運賃。真田家は戦場での死を恐れない「不惜身命」の覚悟を示す為、旗印に六文銭を掲げました。

    地獄の沙汰も六文銭。六文銭とは三途の川を渡る運賃。真田家は戦場での死を恐れない「不惜身命」の覚悟を示す為、旗印に六文銭を掲げました。

  • 妻女山の探訪台から川中島古戦場を眺めました。展望台周辺は第4次川中島の合戦時、上杉謙信方が陣を張った場所と言われています。

    妻女山の探訪台から川中島古戦場を眺めました。展望台周辺は第4次川中島の合戦時、上杉謙信方が陣を張った場所と言われています。

  • 兵どもが夢の跡を眺めました。<br /><br />最期迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。

    兵どもが夢の跡を眺めました。

    最期迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。

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