2009/08/30 - 2009/08/30
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さっくんさん
前回、彦根から名古屋に向けて、まるで城のある駅各駅停車的な感覚で旅を続けました。江戸時代から、城下町の中心として城がたてられました。と言うか城を中心に城下町が拡がったのですから、現在も城がある駅は、特急が停まる様な駅になる筈です。
今回はその続編、尾張名古屋から駿府城迄の旅と小田原城を紹介します。
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二日目は名古屋城からスタートです。
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名古屋城は徳川御三家筆頭の尾張徳川家の居城として君臨した城です。第二次世界大戦でアメリカの空襲で焼失しました。第二次世界大戦前まで天守閣が存在した事で、写真、図面等ハッキリしたデータが残っていた事で、外観はほぼ確実に復元する事が出来ました。連結式層塔型5層5階の天守閣です。
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流石御三家筆頭の居城。非常に大きく、且つ堂々とした城郭です。江戸城の天守閣もこんな佇まいだったのでしょうか?
名古屋城は層塔型天守閣なので、幾つも付けられている破風は構造上必要なものでは無く装飾の為のものです。(逆に望楼型天守閣では、入母屋造りの建築の上に望楼を乗せる構造上、必ず入母屋造りの破風が入る事となります。) -
名古屋城は時につまらない城とも言われます。姫路城の様な迷路の様な仕掛けも無く、只々でかいだけだからです。しかしそれには理由があります。名古屋城は家康が天下統一過程に築かれた城で、当時の戦法に合わせて造られたからです。時代によって縄張りも変わるのです。
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登城開始です。なんと石垣の外にエレベーターが!名古屋城では、完全木造による史実通りの復元の構想がありますが、エレベーター等バリアフリーの問題が障壁の一つになっています。勿論史実の正しさを求めるにはエレベーターなんてあり得ないと思いますが、これまであったものが無くなれば、障害のある方や高齢者を除け者にしているかの様に捉えられてしまいます。難しい問題です。
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名古屋城と言えば、金の鯱です。
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天守閣から名古屋の街を眺めます。
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この記事を書いていて漸く気付いたのですが、先に書いた木造復元に先立って25年現在、天守閣には登れなくなってしまっている様です。長く頓挫しているので、部分的にも拝観出来る様、検討している様ですが、どうなるのでしょう?出来れば一日も早く解決出来ると良いですね。
私が訪れた09年は、本丸御殿の復元が始まった年でした。今は完成しているので、本丸御殿を見る為にも、再訪したいと思います。 -
乗り越えるべき障壁は、数多いでしょうが、これだけの規模の城郭が木造復元された事は例が無く、ファンとしてはゾクゾクします。是非私が生きているうちに…。
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次逢う時は木造になって…ネ!
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岡崎城を訪れました。岡崎城は徳川家康の出身地です。現在は望楼型の復興天守閣が再建されています。
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家康は幼少期は今川義元に政略的な人質となりました。その後も織田信長、豊臣秀吉に臣従しますが、人質生活で培った忍耐精神が、それを乗り越える力となった事でしょう。
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桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、漸く徳川家康は独立が叶います。独立が叶うと家康は浜松城に本拠地を移します。
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こうした地方で再建された城は、大抵歴史博物館になっていますが、それぞれ趣向を凝らして様々なイベントを開催しています。中でも大河ドラマに取り上げられると、入場客も鰻登りになります。徳川家康は主役として取り上げられる事も多いですし、脇役としても多く登場する事から、岡崎城も脚光が浴びる回数も多いのでは無いでしょうか?
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テレビを見なくなって久しいので、テレビの事は解りませんが、今現在大河ドラマはどれだけ影響あるのでしょうか?昨今のフジテレビの醜態も含めて、業界も時代の変わり目が訪れている様です。
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ただ、家康を思い切り前面に出すと、本来家康が岡崎城にいた頃は天守閣は建っておらず、石垣すら無かったので、ドラマで若き家康が岡崎城の天守閣のシーンが出てきたら…それはツッコミどころです。
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銅像は…岡崎城なら、少年の徳川家康であって欲しかった。
昔、少年徳川家康ってアニメがあって、主題歌迄覚えています。知ってる人いるかな?
https://youtu.be/e3SteTTbvJQ?si=lhM1N5DIbGP2vMYg -
続いて訪れたのは浜松城です。望楼型三重四階で再建された模擬天守閣です。
望楼型天守閣とは古式の天守閣で、入母屋造りの建物の上に望楼を乗っけた構造の天守閣です。つまり写真左の破風は入母屋造りの建物の破風で必要不可欠な破風であり、右側の破風は装飾のものです。 -
徳川家康が一時居城とした城ですが、家康の居城時代は石垣や瓦葺きの建物は無かったそうです。江戸時代には徳川譜代大名の居城とされ、浜松城主は徳川幕府の重鎮に登り詰める人物が多かった事から出世城と呼ばれる様になったそうです。
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浜松城の天守からの浜松市内の眺めです。
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若かりし頃の家康公の銅像が建てられていました。
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掛川城を訪れました。複合式望楼型三重四階の平山城で再建された天守閣ではあるものの、現状非常に珍しい木造による復元天守閣となっています。
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木造にての復元天守は白河小峰城の天守閣が最初なのですが、白河城の場合法の隙をついての建造であった事から、正式に認可された城としては掛川城が初と言われています。
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山内一豊が関わっている為、高知城の天守閣に非常に似ていると思います。
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山内一豊は大河ドラマ「功名が辻」で取り上げられたので、放送当時はこの城も注目されたと思います。
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織田原征伐による豊臣秀吉の天下統一。それと共に徳川家康は関東に入封されました。そしてその家康を監視する役割で、東海道、中山道等の交通の要衝に秀吉は配下の武将を配置しました。その一連で掛川に山内一豊が配置されました。
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しかしながら一豊は関ヶ原の戦いには東軍として参加、戦後高知へ転封されました。
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この姿を見てしまうと、どうしても高知城を訪れたくなります。と言うか未だ四国には足跡をつけてさえいません。四国には四つも現存の天守閣が残されています。その中でも高知城は御殿も現存で残っているので是非訪れたいと思っています。
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功名が辻はどんな大河ドラマだったのでしょう?テレビを持っていないので、当然見ていませんが、実際彼が築城した城を訪れると、少々興味が出て来ます。
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さて、この冠木門を潜れば天守閣です。
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さて、攻城開始です!
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掛川城から掛川市内を眺めました。
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姫路城を訪れたばっかりに、子供の時以来久し振りに、思い立ったら吉日で急ぎ足で城巡りの旅を続けたので全くの知識不足、準備不足。列車に揺られながら、進行方向の駅に城がある事を知るや、途中下車の旅でしたが、掛川城もそんな列車に揺られながら掛川に城がある事を気付くていたらくでした。
子供の頃は未だ掛川城の天守閣は復元されていませんでした。(←言い訳) -
しかし、実際訪れて木造復元と言う事もあり、見応えたっぷりの城でした。私は此処掛川城と白河小峰城を訪れましたが、他に白石城、新発田城、大洲城が木造復元されています。
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昨今の城郭の復元は、御殿の復元に力を入れている城郭が多いです。此処掛川城も木造で御殿が復元されています。
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御殿から天守閣を眺めました。
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木造による復元天守だけあって、内部も存分に城気分を味わえます。
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素晴らしい復元天守でした。これからも木造復元天守が増えると良いなと思います。
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この旅最後に訪れたのは、静岡の駿府城跡。家康関連の城跡を幾つも見てきましたが、此処駿府城が彼の最期の城となりました。
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駿府城は輪郭式平城で、現在は天守閣はありませんが、当時は連立式の五重七階層塔型の天守閣が建っていたそうです。一説によると江戸城以上の大きさを誇る天守閣だったと言います。
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将軍を子の秀忠に譲り、大御所となって駿府城に隠居した家康。だのに、いくら何でも将軍の城よりでかい城って、やり過ぎじゃあ~りませんか!と思ったら、西から攻めて来るだろう敵に、家康の威光を見せつけて、息子が将軍職を務める江戸には絶対行かせないぞ!と言う親心だったと言うのです。
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近江の国、琵琶湖湖畔の街彦根から、城巡りをしながら静岡まで旅しました。そこは信長、秀吉、家康が活躍した舞台。たった二日間では到底回り切れるものでは無く、三成ゆかりの佐和山城跡、関が原合戦跡、まだまだ見落としてしまった見所は数知れず、また必ずやおとずれなければならない地だと思います。
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今回の旅とは別日ですが、同じ東海道線上と言う事で、最後に小田原城を紹介したく思います。
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後北条家の拠点として君臨した城で、豊臣秀吉の北条攻めの舞台となりました。
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小田原城は複合式層塔型三重四階に建てられた復興天守閣です。因みに復興された天守閣は後北条氏のものでは無く、江戸時代に入って近世城郭へと作り変えられたものです。つまり後北条氏の頃は天守閣や石垣も無い城郭です。しかしながら、武田信玄や上杉謙信の侵攻も跳ね返している事から、難攻不落お城であったのは確実です。が、故に豊臣の侵攻に対して、再び籠城戦を選んでしまったが故に滅亡の道を辿りました。もし、服従の道を北条氏が選んでいたのなら、豊臣幕府の五大老に加えられてもおかしくない地位は与えられていた事でしょうし、徳川家康の関東入りも無かった事になります。
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当時の豊臣オールスターズが、この城を取り囲みました。天下統一を目前にした豊臣秀吉は各国の大名に参加を指示、それにどう応じるかにより、大名の今後の動向を探りました。其処での様々なエピソードも様々語り継がれていて面白いです。
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豊臣方は小田原城攻めにあたって、北条氏の多くの支城を堕としながら進軍しましたが、最後に堕とした八王子城では、北条家を恐怖に陥れる為、城主の北条氏照不在で、殆どい戦闘員しかいなかった八王子城の人々を虐殺に近い形で殲滅しました。
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この八王子城で虐殺された生首が晒された事で、小田原城を守っていた将兵達の戦意は大きく落ちたとの事です。そして小田原城が落城し、豊臣秀吉は天下統一を達成する事になります。
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歴史の大きなターニングポイントとなった城でもあると思います。もしこの城の落城が無かったら、家康の関東入りが無かったら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。即ち、今の東京も無かったかもしれないのです。
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日本の歴史のターニングポイントとして、また小田原評定と言う日本の悪しき伝統の由来となってしまった小田原城を見学しました。
最後迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
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