2009/07/29 - 2009/07/29
910位(同エリア2364件中)
さっくんさん
今回も大昔の旅行の記憶からです。思い返せば、私は国内旅行をずっと封印していましたが、姫路城が大規模修復工事で5年間姿が見られないと言うニュースを知ったのをきっかけに封印を解き、姫路城を見学、京都に立ち寄りました。それ以降09年、何かに捕り憑かれた様に国内を旅しまくりました。そんな姫路、京都への旅の姫路城の部分を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
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2009年、私は唐突に狂った様に日本を旅しまくりました。その発端となったのが姫路城への旅でした。確か姫路城が補修工事に入り5年間足場で覆われ外観を楽しめなくなると言うニュースを知り、見に行かなきゃと思ったのが始まりでした。
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節約の為、深夜バスで姫路に向かいました。バスはビジネスユースもある為でしょう。観光にはちょっと早過ぎる到着となりました。非常に不本意ですが、某ハンガーショップで時間を調整しました。そして遂に十数年ぶりの再会の時です。
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天守閣単体としても大規模な部類に入りますが、更に複雑な構造の連立天守閣。更にはその周囲を含めてまるっと築城当時から現存する城郭、更には美しさを兼ね備える。日本で現存する12の天守閣、いや日本に存在する全ての城郭、いやいやそれだけでは足りません。世界中の私が訪れて来た城郭、いや見ていない城郭を含めたとしても、世界で一番美しく、素晴らしい城だと私は思います。個人的感想なので反論は受け付けません。勿論素敵な城は他にもいっぱいありますが、総合点は間違いなくダントツの一位で(私の中で)
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これ程の城が、これ程の規模で現存している事はまるで奇跡だと思います。江戸幕府が始まって一国一城令。明治時代に変わってからの廃城。そして極めつけは第二次世界大戦の空爆。そして残された天守閣はたった12棟になってしまいました。
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城は殿様の暮らす場所ですから、そこを受け持つ大名の街の中心に聳えます。当然大きな街に存在します。ですからその大きな街は第二次世界大戦の時はアメリカ軍の空襲の的となりました。城は木造で空襲に弱いので、事実上戦争目的には使われなかったでしょうが、アメリカ軍にとっては立て籠られたりする危険性もあったでしょうし、シンボルを破壊する事での精神的ダメージを与える為に、格好の爆撃僕表にもされました。
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現在の東海道や山陽新幹線の主要駅の多くに城が建っていました。しかし名古屋城を始めその殆どの城が空爆で破壊されてしまいました。そんな中、姫路城もいつ空襲を受けてもおかしくない状態だったのです。しかし姫路の人々は、自分達の命も危ない状況の中、この美しい城を守る為、白鷺城の異名を持つその白さは、空爆の良い目標になってしまうだろうと考え、黒く塗り、姫路城を守り抜いたと言うのです。
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姫路城が現存できたのは奇跡だと書きましたが、全くの嘘でした。お詫びして訂正します。これが実話なら私は姫路に足を向けて寝れません。姫路の人が命を懸けて守ってくれたからこそ、世界に誇る、世界で一番美しい城が、今日にその姿を残しています。もし、此処を訪れてくれている人の中に姫路の方がいらっしゃいましたら、この場で言わせてください。
ありがとうございます! -
姫路城が現存する12の天守閣の一つと言う事は先述しました。(松本城、彦根城、犬山城、松江城、弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)その他国宝5城(松本城、彦根城、犬山城、松江城)、三名城(大坂城、名古屋城)、三大平山城(津山城、武蔵松山城)、三大連立式平山城(松山城、和歌山城)にも選出されています。
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連立天守閣は姫路城の様に大きなメインの天守閣に付随し小さな複数の小天守が廊下で繋がっているタイプの天守閣を持つ城郭です。
平山城とは小高い丘に建つ城で、城は戦国時代初期の様に、戦が各地で起こり、戦闘の為の拠点としての用途が最重要だった頃は、山の上に城を築く事が多かった(山城)ですが、戦闘が収まると、政治を行い、武威を示す為の役割が最重要になると城は街の中心の平地に築かれるのが常となりました。これを平城と呼びます。 -
平山城はその中間に位置する城と言えます。武威を示し、政治を行う場としても期待されていますが、いざ戦闘が起きた場合の防御を行い戦う為の実戦を行う事が想定された城とも言えます。姫路城は天守閣だけではなく、内堀内の広大なスペースが現存されている事から、実戦を想定した様々な防御の対策を、散策しながら楽しく学ぶ事が出来ます。
因みにこお平山城を始めて築いたのは織田信長、そう安土城です。それまで城は山の上に築いていたものを、それより低い丘の上に総石垣で築き、麓の安土の人々に魅せつけるかの様に築き、更には天皇の行幸を想定して、防衛上それまででは有り得ない真直ぐな導線を設ける等、当時としては何もかも革新的な城でした。
安土城
https://4travel.jp/travelogue/11976377 -
一般的な城は、現在では本丸付近しか残されていない場合が多く、城を見学へ行くと、すぐさま天守閣に登るなんて場合も多いですが、姫路城では天守閣に辿り着く迄の道程もワクワクと学びの連続です。
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姫路城の起源は1436年赤松貞範の築城とする説が有力です。勿論全く今の姿には及ばない城です。現在の基本となる城に変わったのは関ヶ原の戦いの後、この城に入った池田輝政による拡張時だと言われます。
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姫路城は、とても素晴らしい城なのは言うまでも無いのですが、一点だけ腑に落ちぬところがあります。此処でチケットを見せて、パンフレットを頂いたのですが、周りの人々はちゃんと日本語のパンフレット貰っていたのに、私だけ英語でした。
海外に言っても、マレーシアかインドネシア人と言われるのが大抵なのですが、同胞の日本人に迄…(涙)
テリマカシー!(ありがとう・マレー語)(笑) -
天守閣へ向かう道中、西の丸に化粧櫓と呼ばれる櫓が残っています。其処にはある有名な女性が暮らしていました。豊臣秀頼との政略結婚として徳川家から嫁いだ千姫です。
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千姫は政略結婚とは言え、秀頼とは仲睦まじく暮らしていたと言いますが、何分運命には逆らえません。助命を乞うものも通る筈も無く、大坂城は落城し、夫も淀殿も自害し豊臣家は滅びました。
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千姫こそ生き延びましたが、夫を実の父に殺され未亡人となった彼女は出家するつもりだったと言います。しかし未だ未だ彼女は若いです。彼女が出家したくとも周りがそれを許しません。それは決して彼女の為では無く、政略結婚の駒として利用価値があるからです。
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しかし、千姫が江戸に帰還する際に付き添った本多忠刻に恋心を抱いたそうです。朝廷筋との政略結婚や、もっと武功のある者との結婚を求める声も多かった中、彼女の運命を不憫に思った家康が千姫の気持ちを汲んで、本多忠刻との結婚を認めたと言います。政略結婚が殆どだった当時として、なんと恋愛結婚だったのです。
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そんな本多忠刻が姫路城に入った事で、千姫は姫路城で暮らす事になったのです。彼女にとって一番幸せだった時間だったのでは無いでしょうか?
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しかし、幸せは長く長く事は無く、夫忠刻は31歳にして病死、その後も家族の多くが立て続けに亡くなる不幸に見舞われます。城は弟が継ぐ事となり居場所のなくなった千姫は再び江戸に戻る事となり、姫路城を後にします。
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千姫は江戸に戻ると出家し尼となります。まだまだ30の若さです。しかし家光との仲は良く、徳川家の重鎮としてある程度の発言権を持っていたと言います。
しかし秀頼の死のすぐ後に、当時としては大変珍しい恋愛結婚をした事で彼女はゴシップに悩まされる事となってしまいます。ネットなんて無い時代にさえ、人々の有名人への恋沙汰は格好の話題となったのです。 -
本多家の夫や家族が相次いで亡くなったのは、秀頼の祟りだと噂され、江戸に戻って尼となった後でさえ、秀頼と死別した直後に恋愛結婚をした事から、夜な夜な男を誘い込んでは、遊び終わった男を殺していると言うトンデモ説がまことしやかに語られたりした様です。
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また千姫に関わる有名な事件として、千姫事件が有名です。大坂夏の陣にて落城する大坂城から千姫を救出した坂崎直盛が千姫に惚れてしまい、千姫が本多忠刻へ嫁ぐ時、千姫を強奪する計画を立て、未遂に終わると言う事件です。
これには千姫を助けた人物に千姫を与えると言う取り決めがあり、それを千姫の申し出とは言え、取り決めを反故にされた形となった直盛がキレたからと言う説もありますが、いずれにせよ、そんな事をしたらお家断絶になってもおかしくない事であり、先に述べた様な噂がたったり、武士を強奪に走らせたり、千姫が絶世の美女だった事は間違いない事実でしょう。 -
さて、天守閣を目指します。その道中には迫りくる敵を狙い撃つ銃眼や、石垣を這い上がってくる敵を石や熱湯を落として防ぐ仕掛け等、世界中の城に施された鉄板の仕掛けを見る事が出来ますが、それだけではありません。
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天守閣を目指している筈なのに、天守閣から離れるかの様に曲りくねる天守閣への導線。遠近法迄採用し、敵の距離感を迷わす城壁等、迫りよる敵を心理的に追い詰める工夫が随所に観察できます。ゆめゆめ歩きスマホ等して通り過ぎないでください。攻め方になったつもりで天守閣へ向かいましょう。
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漸く天守閣が近づいてきました。日本の城の天守閣は構造により幾つかの種類に分ける事が出来ます。姫路城は望望楼型の天守閣に分けられ、更に連立式天守閣のグループに入ります。
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望楼型とは初期に多く用いられた城郭の建築様式で、入母屋造りの建物に、望楼(物見台)を乗っけた様な構造の城で、城の2~3階に入母屋造り特有の大きな三角屋根が出来るのが特徴です。姫路城はこの望楼型に属します。
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一方、他には層塔型天守は1階から最上階まで同じ形の構造物を積み重ねる形式の天守閣で新しい形式です。構造が簡易的で高層化に適した手法です。名古屋城や松本城が層塔型に属します。只、積み重ねただけではそっけないので、飾り破風を付け装飾されるのが一般的ですが、島原城の様に全く破風を持たない層塔型天守閣を持つ城もあります。
層塔型の方が機能的ではあったでしょうが、入母屋造りの複雑なラインが良いデザインとなっており、私は古い望楼型の天守閣が好みです。 -
また、天守閣にはもう一つの分類があります。天守閣が単独で建つタイプ。小さな天守閣を脇に控えたタイプ。そして複数の小天守を組み合わせた連立式天守。姫路城は最期の連立式天守のタイプとなります。
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城は最初こそ戦う為の建造物でしたが、戦争が収まるに連れ政治の場としての要素が強くなりました。戦いが無いのなら、天守閣は望楼としてより、権威を示す建造物へと用途が変わりました。ならば天守閣は大きなものがドカーンと聳えた方が都合が良いのです。単独天守はこうした平城に多く用いられます。
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姫路城は平山城で在り、これまで城の防御態勢も見て来た通り、実戦を想定した造りになっており、それ故の連立式天守の構造だったと推測できます。大天守の周囲に3つの小天守が囲み、其々が渡り廊下で連結されており、死角の無い鉄壁の防御態勢を構築します。
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同じ連立式天守を持つ城で有名なものに和歌山城や伊予松山城が現存しますが、その中でも規模でも美しさでも姫路城が飛び抜けていると感じます。更に私の好きな望楼型天守閣なので、猶更嬉しいです。
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因みに日本には黒い城お白い城に二分されます。これは俗説として秀吉が黒を好んだので秀吉の城は黒い城、徳川の城は白い城と言う分け方をされる事が多いです。秀吉は金色を好み、黒い色は白色より金が良く映えたと言う考え方もある様です。でもそれが当てはまらない例もあり、私は俗説の部類だと感じています。
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また、黒い色は防御の為と言う推測もあります。実際第二次世界大戦時は姫路城はアメリカ軍の爆撃を避ける為黒色に塗られ、カムフラージュが施された事は先述しました。江戸時代に近づくと平和になったので、膨張色であり、威厳を与えやすい白色に変わったと言う説です。これも説得力のある説だとは思います。
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確かに黒色の城は戦国初期から中期に多く白色の城は戦国後半から江戸時代以降主流となります。上記の二つの説を否定はしませんが、私は更に材料説を推したいと思います。
初期は黒漆や柿渋等を用い、風雨に対する耐性を保つ為、材料の色により黒い城となりましたが、それ以降日本建築を悩ませた防火性を高める為、白漆喰で塗り固める手法が編み出された事から、その技術革新が日本の城を白くさせたと言う説です。勿論答は一つに留まらず、複数が嚙み合わさった結果とも言えるのではないでしょうか? -
怪談、播州皿屋敷にてお菊が身を投げたと言われる井戸です。上山里曲輪に存在し、国家老青山鉄山が細川正元毒殺の陰謀をお菊に聞かれてしまい、皿を一つ隠し、その罪をお菊に負わせたと言う内容で、ほぼ同様の内容で、東京にも番町皿屋敷が知られているほか日本各地に類型の逸話が存在します。
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江戸時代には他に四谷怪談など怪談が残されています。怪談と言えば怖い話と言うのが一般的な解釈で、そう読み解くのが通常でしょう。でもへそ曲がりな私はそうは読み解きません。
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四谷怪談や播州皿屋敷の恐ろしさのポイントは何処にあるでしょう?毒を盛られて醜く変わり果てたお岩さんの顔でしょうか?皿の数を数えるお菊の声でしょうか?いえいえ、私は愛した妻を心変わりしただけで毒を盛って殺めてしまう夫伊右衛門のおぞましき行為。罪の無いお菊を罪を被せ死に追いやった青山鉄山の醜い心こそ一番醜く恐ろしいのでは無いでしょうか?
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そんな悲劇が当時の江戸の人々の正義心に刺さり、二度とこんな惨い事件が起こらない様、忘れない様、犠牲者を敢て亡霊に変えて、人々を戒める為怪談を作ったのでは無いでしょうか?私はこれらの江戸時代の怪談を、江戸時代の町人の優しさであり、戒めであり、ヒューマニズムと読み解きました。
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後ろ髪を引かれながら姫路城を後にします。これより5年間はその姿を見れなくなるのは残念です。(もう修復は完了しました。)今度訪れる時は是非刑部姫に謁見出来ればと思います。
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最後迄ご覧になってくださり、ありがとうございました。
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