2025/04/28 - 2025/04/28
267位(同エリア1269件中)
さっくんさん
気分次第で唐突に動くのが私の悪い癖。その癖に決断が遅いダメな奴な私。折角のGWなのに何もしないのも…とスマホの天気予報と深夜バスの時刻表をみつつ悶絶。初日は曇るけど明後日は晴れ!なら行くか!とスマホを弄っていたらタイムアウト。どうやら深夜バスの幾つかのサイトは出発数時間前に締め切ってしまうらしい(泣)
でも一旦火がついてしまうと元に戻せない私。お金は無駄に払う事になってしまいますが、奥の手に出ました。それでは未訪問県、先ずは鳥取に向かって出発です!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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深夜バスの席が時間切れで取れなかったらどうすれば良いのか?答はひとつ!新幹線で追いかけ抜かせば良いのです!なんで私はいつもこうなんでしょう?答は決まっています。馬鹿だから(笑)
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新大阪で追いつきました。捕まえました。(正確に言うと大阪発の別のバスです。)それにしても驚くのはバスの乗客の女性の多さです。大抵後方は女性専用席なのですが、もう溢れかえって前方も殆どが女性客。私としては非常に居心地が悪い(笑)いつか深夜バスは女性限定になってしまうのではないか?と心配になる程女性が多いです。確かにバス会社も女性客を狙ってサービスを強めているので、その努力も実っているのでしょう。男性としてはサービスが悪そうな便を探さないといけなくなるかも(笑)
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なんと5時前に米子に到着しました。なんと駅前のセブンイレブンは閉店していました。駅も閉まってます。鳥取に行く深夜バスの殆どは米子往きです。東京から向かうと遠回りに感じますが、バスでも列車でもこのルートが先に出ます。それだけ米子がこの地方の交通の要衝なのでしょう。仕方ないので大抵鳥取迄ローカル線にて向かいます。
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倉吉で更に乗り換えます。懐かしい気動車が待っていました。隣に停まっているのはスーパー白兎です。
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鳥取手前の末恒駅で下車しました。ローカル線と侮っていたら、通学の学生さんで大賑わいでした。大賑わいなのは良い事です。
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日本海の海岸線をひたすら歩きます。
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美しい海岸線です。トボトボ歩く事約30分。
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白兎海岸に到着しました。ですが別に泳ぎに来た訳ではありません。此処から見える小島、淤歧之島を目指してやってきました。白ウサギが流されてしまったと言う島です。見えてきました。
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此方がその淤歧之島です。確かに今は難しいけれど、干潮になればウサギも渡っていけそうです。でも、遊んでいる内に満潮になってしまい戻れなくなった。慌てた白ウサギは待っていれば良いものの、事もあろうにワニ鮫の背中に乗って気多の崎に戻ろうとして、哀れワニ鮫に皮を剥かれてしまいました。
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此処がその気多の崎です。ワニ鮫に皮を剥かれ痛がる白ウサギに八十神達が現れ、泣き面に蜂の様な嫌がらせを繰り返しますが、大国主命が現れ、正しい治療法を伝授すると白ウサギはなんと完治したのでありました。
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すると白ウサギは大国主命に八上姫が妻になる事を予言、そして大国主命と八上神は見事結ばれ、結婚したのでありました。めでたしめでたし!
…って白ウサギは実はアテンダー。ガーシーの先祖だったのかよ!
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夢もへったくれも無くなるので、やめましょう! -
と言う事で、白兎海岸はラブストーリーの発祥地として、名高く。縁結びの地として有名なのだそうです。
…そうだったんだ…解りました。僕、帰ります。 -
と言うのも勿体ないので、見るだけ見ましょう(ふてくされ気味(笑))
って言うか縁結びの神社なら、私を筆頭に、もてない男女が集まってきそうなものなのに、訪問者は何故故カップルや夫婦ばかりなのでしょう?だって既に縁を結んでいるのなら必要無いじゃありませんか?あんまり縁を求めると、今話題の人みたいになって、続々スポンサー離れてしまいますよ?
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負け惜しみ言っていないでサッサといきましょう! -
鳥居を潜ると、次の鳥居迄参道の両脇に可愛らしいウサギさんの像が建ち並んでいます。
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大国主命夫婦とアテンダーの白ウサギの砂像です。
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だからその言い方およしなさい! -
ハイ、アテンダー。基、白ウサギの像です。周囲には縁と赤く描かれた白い小石が無数に置かれており、それを参拝者が願いをかけながらウサギの像に乗せていく様です。
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写真には残していないけれど、神社の絵馬に書き残された人々の文字を追えば、切々とした想いが籠められていて、ホロリときます。YouTubeで流れる芸能人のゴシップは、どれも目を覆いたくなるものばかりですが、同じ色恋沙汰であると言うのに、どうしてこうも違うのでしょう。どうか絵馬の想いが通じると良いですね。
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此方が白兎神社本殿です。可愛らしいサイズの神社ですが日本でも数多くの人が知る神話の舞台となった神社です。
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出雲にある出雲大社と言い、此処鳥取に残る白兎神社。日本の創世記を彩る由緒の数々が、山陰地方に残る事はとても興味深い事です。
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神社の構造については全く無知なので、詳しい事は解りませんが、奥に建つ建物が拝殿で我々がお祈りをする場所であり、写真前方の小さく、一際高い位置に建つ建物が神様が祀られている本殿なのだと思います。
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拝殿と本殿は階段で結ばれています。
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良い旅と縁があります様に…!
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参道の白ウサギさんが本当に可愛いです。アテンダーとか呼んでごめんなさい。
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社務所は9時から開きます。9時を過ぎると参拝者も多くなります。ウサギさんと戯れたいなら9時前に訪問する事をお勧めします。
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私の旅では珍しく、日本創世記の神話の舞台から旅が始まりました。
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続いて訪れたのは鳥取と言えば鳥取砂丘です。先ず展望台から砂丘を眺めました。大きな砂丘の上に蟻んこの様に人が集まっています。最初は一見して「え?これだけ?」って印象でした。それは私がモロッコ、チュニジア、モーリタニア等サハラ砂漠を数多く訪ね、360度砂丘と言う風景を見て来たからでしょう。日本国内としては驚くべき砂量です。
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砂丘に向かう前に鳥取砂丘、砂の美術館に向かいました。
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展示場に向かう道にも小技が効いています。
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巨大なホールには巨大な砂像が展示されています。1~2年周期で作品はテーマによって変わります。勿体無い事に展示が終わると砂像は壊されてしまいます。だからこそ、貴重な展示でもあると言えます。
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そして今回のテーマは「日本」!こうじゃなくちゃ!洋物とか全く求めていませんから!日本人なら和です!だからこそ来たのです!
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鑑賞して思いましたが、是非日本全国民に鑑賞して頂きたい!万博なんてどうでも良いからこっち来なさい!(笑)いや、私は歓迎しませんが、インバウンドの人々にも是非見て貰いたい!
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そう思える程、一つ一つの作品が、簡潔にかつ美しく仕上がっており、館内を一周すると神話の時代から現代迄日本の歴史を良く理解出来る仕組みになっているのです。本当に良く出来ていると舌を巻きました。
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飛鳥から奈良時代の彫刻です。法隆寺等名だたる建築物が建造されました。日本建築の素晴らしさは、その外観の美しさもさることながら、その耐久性にあると思います。数多くの地震や台風等の自然災害に苦しめられてきたからこそ、そこから培ってきた耐久性。その象徴が法隆寺と言えるでしょう。昨今の新鋭建築家はその日本の培ってきた耐久性=信頼性を忘れたかの様な作品を残しているのが非常に残念です。
もう一度書きます。日本の建築が世界に誇れるものは美しさではありません。耐久性=安全性=信頼です。それは決して失わないで欲しい。 -
続いて平安時代です。私の大好きな平家物語の時代の幕開けです。鎧のデザインにも注目です。
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展示場の中央には奈良の大仏が鎮座しています。
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展示場の奥のスペースを一望しました。その上部中央には富士山が彫られています。
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此方は元寇を表現しています。世界を震撼させたモンゴル帝国、それを打ち破った鎌倉武士達。
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鉄砲伝来の図です。嗚呼室町時代が殆どスルーされちゃってる。(確かに室町時代を一目で解る絵にすると言うのは難しいかも。)
内戦中の国(戦国時代)に武器(火縄銃)を与えたり、キリスト教を宣教する。それは欧州の伝統的な植民地化の手法です。しかし、そろそろ鉄砲足りなくなったかな?と再びやってくると、日本の戦国武士は、自ら火縄銃を作っていました。しかもヨーロッパより性能が良い銃を。ならばキリスト教は?と言えば魂胆を見抜かれて布教は禁止されちゃいました。チーン、残念でした!戦国武将&徳川幕府グッジョブです! -
戦国時代と織田信長です。みんな大好きな時代到来です!
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江戸時代が到来しました。犬がいると言う事は生類憐みの令でしょうか?現在も動物愛護がいき過ぎて、世田谷住まいの犬は、間違いなく私より良いもの食べてます。
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三勤交代じゃなくて参勤交代でしょう。私が以前勤めていた会社のジンクスで、結婚すると地方に飛ばされるなんて囁かれていました。江戸時代の武士も現在のリーマンも大変です。
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此方は江戸時代の庶民の街並みですね。時代劇もめっきり減ってしまい、テレビが更にいらなさを感じる様になりました。
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平等院鳳凰堂です。センス良いなぁ。私が日本の建築で美しいと思う建築の三本指に必ず入る建物です。
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館内を見渡します。皆、思い思いに楽しんでいます。それは良いのですが、とあるインバウンドの人がポーズを変えながら色々写真を撮っています。我々は優しいので皆待っていたのですが、撮影を終えたら何も言わずに次の場所でまた…。他人の事を考えると言う知能が発達していないのかな?これだからなぁ…。たったちょっと、目くばせだけであっても意志は通じます。そんな事もできないのならGo Home!
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黒船来航です。捕鯨の為の寄港地を求めて日本に外圧を加えました。その連中が日本の捕鯨にケチをつけるとは掌返しも良いところです。脂しかとらずに後は海に捨てていた彼等とは違い、日本人は鯨から頂いたものは隅から隅まで使っています。彼等の文化破壊の圧力に耳を貸す必要はありません。
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日本の自然動物の展示です。中央を務めるのは神の遣いである鹿さんです。奈良の鹿は日本人と中国人の区別がつくそうです。鹿さんに議員になって貰いましょうか?
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日本の絵画のコーナーです。新しいパスポートにも北斎の富嶽三十六景が採用されました。
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日本の歴史の概略は誰でも大抵知っている事実ですが、映像とかでは無くこれだけの規模で一気見させて頂けると大迫力で伝わってくるパワーを感じました。ヲタク的な思考で「解ってるから良いや…」的に捉えていました実物を目の前にすると、そんな浅はかな思考は木っ端微塵に吹き飛びました。遠いところからわざわざ来た甲斐がありました。
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此方は日本の文学。清少納言でしょうか?紫式部でしょうか?このコーナーは圧倒的女性上位です。おい、太宰、何処へいった?
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此方は文明開化です。欧米に追い付け追い越せ、その勢いはアッパレでしたが帝国主義と言う悪しき文化まで模倣してしまったのが運の尽きでした。
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その結果が此方です。上部には原爆ドームも彫られています。第二次世界大戦。この戦争で日本は多くを失いました。それにしても無関係な一般人を無差別に…。人じゃないよね…。
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そして現代の日本。戦争で全てを失った日本が此処まで成功できたのは、決して奇跡では無く、当時の日本の人々の奮闘、その国民性に尽きると思います。政治家なんてその上に座布団敷いて胡坐掻いていた様なもの。国民の我慢強さ、秩序やルールを重んじるところ、日本人は世界一の国民だとまでは言わないけれど、こうした部分では間違いなく世界一。それは世界90カ国を旅していて痛感してます。やっぱ日本は好きです。大好きです。日本に生まれて良かった!ありがとう!
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そして最後は出雲大社。そして原点に還る…と言う事でしょうか。
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いやいや最後はコイツでした。拝観料ありがとうございました!ってか(笑)
何はともあれ短い間で日本の通史を感じ、考えさせてくれる、素晴らしい展示でした。 -
日本人はマストに見て欲しい美術館でした。期限付きの展示なので、どうか見逃さないで欲しい!
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砂の美術館で日本を堪能した後は、いざ鳥取砂丘に凸します。
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展望台からの眺めでは、「これだけか…」と思ってしまいましたが、砂丘を目前にするとやっぱりデカいです。俄然ワクワクしてきました。
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砂丘越しに日本海が眺められます。日本は島国なので美しい海岸線は数多いですが、砂丘が海に落ち込む風景は世界的にも限られるのでは無いかと思います。モーリタニアではサハラ砂漠がそのまま大西洋へと落ち込みますが、結構感動した風景でした。(2018年の最期の夕陽を其処で眺めました。)
モーリタニア
https://4travel.jp/travelogue/11489811 -
物凄い人々が一定の場所を目指しています。其処は砂丘の一番高い所。世界で一番人口密度が高い砂丘(笑)
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雪山でもトレースと言う技術がある様ですが砂丘も一緒です。多くの人が歩いた跡の方が圧倒的に歩きやすいです。踏み固められていない場所を歩くとズボズボ足が沈んで体力を持っていかれます。
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イスラームの旅を追い求めていて、一番印象的な光景はやっぱり砂漠かなぁ。イスラームは砂漠で産まれた文化なので、現在も砂漠及び乾燥帯で多く信者達が暮らします。当然砂漠や乾燥帯を旅する事となり、そんな風景を数多く見てきました。だから何となく心が落ち着きます。
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砂丘と言えば当然駱駝乗りのアトラクションがありました。二瘤駱駝だったので、サハラ砂漠から来たものでは無く、中国のシルクロードからやってきた駱駝でしょう。二瘤駱駝は毛が多く寒冷地に適しているタイプなので、日本の冬も大丈夫です。瘤の間に鞍を置けるので、乗りやすさも二瘤が勝っていいるかもしれませんが、一瘤駱駝のあの独特の荒々しさも好きです。
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いやぁ登り切りました!いやぁ絶景かな?写真では解り辛いですが、砂丘と海岸線結構落差があるんです。
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砂丘は一番高い場所を中心に左右になだらかなスロープが尾根の様に続いています。
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尾根に沿って昇り降り。これだけ人が歩くから、元の姿は解りませんが、砂漠の砂質によって尾根のエッジの鋭さは変わります。例えば中国の鳴沙山等の砂は柔らかなエッジを描きますが、サハラ砂漠は細かいのか非常に鋭いエッジを築きます。だから風紋もエッジが効いているし、これを写真に撮ると非常に映えるんです。
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海岸線に降りられないか、降下ポイントを見極めています。滑り降りれば砂砂になりますが降りる事は出来ますが、登って帰って来れれるかが最大の問題です。
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降りてきました。でも、降りて来ちゃうと何処かの海岸線と変わらないかもしれません(笑)それはモーリタニアだって同じですが…。
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日本海の波が打ち寄せます。やっぱり海は良いなぁ。
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此処は海水浴は出来るのでしょうか?でも近くにホテルも無さそうだし、砂砂になっちゃいそうですね。いや、もう靴の中砂砂です靴下は脱いでおくべきでした。靴下が砂風船みたいになっています(笑)でも天候が悪かったせいか、湿度があるせいか、砂の質によるものか、サハラ砂漠程凶悪ではありません。サハラの砂は渇いていて、キメが細かく、風が強いと一発でカメラを破壊します。長丁場サハラを旅すると、必ずカメラが病院送りになります(泣)
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やっぱり往きはヨイヨイ帰りは汗だくでした。余りに暑くて上着を腰に巻いて登ったのですが、私がそんな事をすると案の定の結果が待っている事になります。そんな事とは露知らず、砂漠遊びに夢中になった満足感と共に砂丘を後にする私でした。
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奮発して海鮮丼を食べてしまいました。その日に獲れた12種の海鮮が入っている様です。美味しさに我を忘れてしまったのか、私は大失態を犯してしまいました。砂丘を登っていて暑くなり、上着を腰に巻いて歩いていたのですが、何処かで落としてしまった様です。砂なので音がしないのと砂との格闘で気が付かなかった様です。それで今度は海鮮丼の美味しさに惑わされて気付く事無く…。
結局バスに乗ろうとして発覚したものの、バスの本数の少なさもあり諦めました。とは言えTシャツ一丁では夜や早朝は未だ寒いです。不幸中の幸い次の目的地の乗り換えで大阪に立ち寄るので其処で新しいのを買いましょう。本当オッチョコチョイです。 -
鳥取最後の訪問地、鳥取城を訪れました。私は城好きですが、ミーハーなお子ちゃまクラスなので、城好きと言うよりは天守閣好きと言うべきかもしれません。言い訳を言えば建築物の建築美が好きなので、石垣や縄張りより、近世城郭の建築美が好きなのです。鳥取城は残念ながら建築物は現存していません。果たして楽しむ事が出来るでしょうか?
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鳥取城は戦国時代、山名氏、武田氏、尼子氏、毛利氏の争奪戦の舞台となり、織田信長の中国攻めでは豊臣秀吉の凄惨な兵糧攻め、俗に言う「秀吉の飢え殺し」の舞台となった事で有名です。江戸時代は鳥取藩池田氏の居城となり、近代城郭に整備されましたが、戦国時、江戸期に何度も城主の改築が施された事から「城郭の博物館」と呼ばれたそうですが、解る人には解りますが、私レベルでは指摘された部分に「なる程!」と感動できる程度です。
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仁風閣は鳥取藩池田氏が別邸及び皇族の宿泊地として建設したフレンチルネッサンス様式で建てられた洋館です。窓から池泉回遊式庭園である宝隆院庭園を一望できます。明治時代は文明開化で洋式建築が流行したのが解りますが、弘前でも感じますが、池泉回遊式と言う和式の庭園と洋館は全くアンバランスなものですし、城の敷地内に洋館を築くのは…全くセンスを感じません。ごめんなさい。
25年4月現在、リニューアル中で洋館、池泉回遊式庭園共に入場出来ませんでした。 -
西坂下御門を潜ります。
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此処からが本格的な城郭部と言えるでしょう。鳥取城は梯郭式の城郭です。梯子郭式とは何某かの自然地形を要害として本丸を築き、本丸を囲う様に二の丸、三の丸と言う形で縄張りを張っていく城郭です。鳥取城は片面に急峻な崖があり、その崖を要害にし(縄張りも張れないが、攻められる事も無い場所)他の部分を本丸を囲う様に縄張りを張っています。
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こんな街中でマジですか!?
こうした建築物が現存しない城郭を楽しむには、縄張りの張り方を観察出来る様になる事が近道だと思います。この縄張りの違いを見極めるようになると、グッと楽しみが増えてきます。しかし中にはもう自然の木々や雑草に埋もれて素人には何が何だか解らない城郭も多いのですが(解る人には超面白いらしいのですが汗)不幸中の幸い、鳥取城は石垣がしっかり残っているので、私の様な入門者にとって、入りやすい城と言えるかもしれません。 -
綺麗に整備された石垣を登っていきます。
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素人には単なる石垣ですが、その積み方にも様々あり、解ってくると石垣の観察も楽しいのです。石垣の積み方は継ぎ目が一直線になる布積みと不規則な乱積みに分かれます。更に石の加工法として自然石を使う野面積み、石を加工して隙間を減らす打込接ぎ、隙間を完全に無くす切込接ぎがあります。また特殊な積み方として亀甲積み、算木積み等、様々な石垣の積み方があります。
更には石垣の角度にも作った人により大きく違い、例えば城造りの巨匠として有名な加藤清正と藤堂高虎の石垣は素人目でも十分その違いが解ります。熊本城の芸術的な曲線を描く加藤流の石垣と、藤堂高虎のド直線状の高石垣は両横綱と言う違い様です。 -
様々な武将が違う年代に手を加えた鳥取城は、様々な年代の、様々な武将の築いた石垣を堪能出来る城でもある様です。但しその違いが解るならばですが…。
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二の丸に到達しました。思わずアニメ「あの日見た花の名を僕達はまだ知らない」の名シーンを思い出してしまいました。でも此処は秩父では無いし、秩父は城ではありません。でも木の柵もそこから眺める風景が、似ているのです。グーグルレンズも間違えるかも?思わずポッポ何処に行ったんだ?と探してしまいました。(すみません。ニッチな話題で…。)
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でも、こうして自分の街を見下ろせる場所がある街って素敵ですよね。絶対誰もがデートで訪れるに違いない。その街に暮らす人々にとって、デートで訪れたり、親友と夢を語り合ったり、甘酸っぱい思い出がいっぱい詰まってる場所になるんだろうなって思います。
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どうしても天守閣や建築が残されていると、その建築ばかりに目が行ってしまい、その情報量に押されて石垣を見落としてしまいます。石垣の違いを学ぶには、鳥取城は格好の教科書なのかもしれません。
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三重櫓跡です。相当立派な三重櫓があったそうです。そう言えば前回訪れた高田城も天守閣では無く三重櫓でした。どうやらこれには江戸幕府の規制が絡んでいる様です。櫓を作るなら三重迄とかルールがあったのでしょう。天守閣を下手に造ると幕府に睨まれる。なら櫓と言う名目にして、その限度の三重の建物で、限度いっぱい豪勢な建築を造ろう!こんな感じで各地で豪勢な三重櫓が建てられる事になったのでしょう。
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見下ろせば鳥取城の大名庭園、宝隆院庭園。入場出来なかったので空中から失礼します。
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天球丸方面を眺めました。説明するサイトには天球丸を本丸としていたものもあり、位置的にも二の丸に付随していたので、私も天球丸を本丸と混同してしまいましたが、実は背後に聳える久松山の山頂に本丸跡がある様です。登山口に登山口としか書かれておらず、熊注意の看板にも威圧され、登る事を辞めてしまいました。毎度の事ながらリサーチ不足です。
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しかし、多分そのどちらも正解だったのです。戦後期の山城時代、即ちこの城を巡り争奪戦が行われ秀吉が兵糧攻めを行った戦国期の本丸は久松山の山頂に本丸が存在し、江戸期になって現在の天球丸に降りて来た。だから鳥取城は戦国期の山城と江戸期の平山城を一度で楽しめる、故に城郭の博物館と呼ばれているのでしょう。即ち、山登りをスルーした私はその半分しか楽しめなかったと言う事です。グスン。
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そして鳥取城と言えばこの石垣です。巻き石垣と呼ばれるそうです。これがあるので天球丸だと思っていたのですが、実は全く関係なく、天球丸と言うのは此処で暮らしたお姫様の名前だそうです。う~ん紛らわしい。
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それにしてもこんな石垣は見た事ありません。勿論アートとして作った訳ではありません。天球丸の石垣が崩れそうになり、それを補強修復する為にこうした事になったそうです。先月弘前城を訪れた時、弘前城も石垣の崩壊から現存天守閣を守る為、現代機器を駆使しての石垣復旧作業中でした。江戸時代の人の石垣復旧方法によって生まれたのが、この奇妙な石垣なのです。
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鳥取城はこの天球丸が端っこに位地し、二の丸、三の丸と標高を下げながら広がっています。端っこから先は急峻な崖となり、それを要害として築かれたので鳥取城が梯郭式の縄張りと定義される所以です。
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しかし、その大切な要害である崖が、どうやら余り地盤が良くなかったらしいのです。天球丸には発掘により、現在の石垣が組まれる前に、古い石垣が内部から発見されたそうです。勿論城主もこの城の弱点を承知していた。だからこそ石垣を組み直したのでしょう。しかし、更に石垣の曲がる箇所で崩落、若しくは崩落直前の部分が発覚、それ以崩落を止める為、巻き石垣となったのでしょう。
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石垣だけ残された城郭は、城と言う構造物が無いだけに、訪問する旅人の想像力が問われます。でも城好きはその想像力が残されているところが好きなんだろうなぁと推測しました。私は…まだまだひよっ子ですが、何となく解って来た気もします。
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天球丸を離れ下城しました。振り返れば端正な石垣が連なっています。往時はその上に城郭が建ち並んでいたと想像すると、さぞかし壮観な景観だったに違いありません。
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新しく復元された、鳥取城の大手門、中の御門から出城しました。
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秀吉が兵糧攻めを選んだと言う事は、如何にこの城が難攻不落な山城だったかを表していると思います。そんな山城の部分を見落としてしまったのは痛恨です。
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今写真を見返せば…あの山の上に本丸跡があった筈。吉川経家の高笑いが聞こえた様な気がしました。
「秀吉の兵糧攻めには負けはしたが、この城はお前如きに攻略させてたまるかい!出直してこい!」
「御意に御座る。もう一度挑戦するに御座るよ!」 -
鳥取から次の未訪問県和歌山を目指します。グーグル先生で調べると揃いも揃って高速バスです。残念ながらそう言う時代なのでしょう。大坂で乗り換えなので難波のマルイで失った上着を購入出来ました。南海電鉄に乗って和歌山に移動します。
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和歌山で楽しみにしていた和歌山ラーメンの店、井出商店さんに向かいました。豚骨醤油と言う事で、横浜家系ラーメンをイメージしていましたが、細麺で、スープも豚骨醤油の濃厚な味ながらも横浜家系よりずっと上品な味でした。横浜家系はご飯と共にガッツリいきたい時にピッタリですが、和歌山ラーメンはもっと軽い感じで食べられそうです。(勿論良い意味でです!)
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和歌山ラーメンのルーツは路面電車の車庫前(現在は無く地名だけ残る)に以前繁華街があり、そこの人気ラーメン店が豚骨醤油味で名をあげ、他店も模倣する様になったそうです。当時は澄んだ豚骨醤油で、この流れを汲むのが車庫前系と言われる和歌山ラーメンです。
そんな中、繁盛店であった井出商店は混み過ぎてスープを煮詰め過ぎてしまいスープが濁ってしまった事があった総d須。しかしそれが反して人気が高まってしまい、この失敗が成功の基的ラーメンが井出系が出来る発祥となりました。
当時はそれでも少数派だった様ですが、井出系の流れを汲む店が東京で「和歌山ラーメン」の名で出店。その後テレビに取り上げられたり、横浜ラーメン博物館に出店等した事から、それまで「中華そば」と認識されていたものが「和歌山ラーメン」として認識されると共に、和歌山ラーメン=井出系のイメージが県外では強くイメージされる様になった様です。次回訪れる時はルーツでもある車庫前系も食べてみたいものです。 -
宿泊はスマイル・ホテル。和歌山城と道路を挟んですぐそばと言う事から選びました。和歌山はJRの和歌山駅、南海電鉄の和歌山市駅は結構離れているので、明日どちらから出発するか予定を決めていない私は、どっちかの駅前に泊まるより観光目的に近いところが良いと判断しました。
最後迄ご覧になって下さり、ありがとうございました。
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