2023/11/11 - 2023/11/11
15位(同エリア74件中)
さっくんさん
リアド二日目はリアドから足を延ばして200㌔弱離れた場所に残るヘリテージ・ヴィレッジへ向いました。生憎私はペーパードライバーなので高額なのを我慢して、国際展開している現地発ツアーを申し込んだのですが、此処でトラブル発生。約束の時間にドライバーが現れず。悪い事に私のサウジのsimがデータのみだった事。simを変えると登録していたドコモメールが使えない事が加わってもう大変。simを取りかえながら国際電話をかけるも何故か発信は出来ても受信が出来ません。なので折り返しますと言われると返答を聞けず、もう一度かけると違うオペレーター。結局鬼の様な電話代になってしまいました。う~む、色々勉強になりました。
リアドへ戻り、リアド南部のマスマク城を中心とした旧市街と呼べる一帯を散策。キングダム・センターからリアドの夜景を楽しみ一日を終えました。
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上記の通り大変すったもんだはしましたが、約1時間遅れでドライバーがやってきました。色々擦ったもんだはしましたし、思いっきり電話代擦ってしまいましたが、もうドライバーが来てくれただけでそれで良しです。
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ドライバーは私にこっぴどく怒られると思っていたのでしょうか?私が笑顔で
「さあて、宜しく頼むよ!」
と言えば、何か異常に私の態度は素晴らしい、やら何やら褒め称えて痒くなります。そりゃ怒りはありますが、この場合、主催会社、手配会社、ドライバー、犯人が誰かは解りません。更に犯人は違うドライバーで彼は尻拭いとして派遣された可能性もあります。(尻拭いは経験あるから良く解ります。) -
だから彼に怒りをぶつけてしまうのは違うと思いますし、何よりこれから半日お世話になる人物と気まずいドライブはしたくありません。
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リアドを出ると車窓はあっという間に砂漠に変わります。遠くにテーブル・マウンテン状の山が連なります。
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赤味がかった美しい砂丘が迫ります。
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それにしてもやっぱり200㌔弱はちと遠過ぎます。いい加減うつらうつらした頃…
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そして遂にウシャイガー・ヘリテージ・ヴィレッジに到着しました。
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ウシャイガーはアラビアの遊牧民ベドウィンがオアシスに築いた街でマッカへの巡礼の中継地として栄えた街だったと言います。
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先ずはヘリテージ・ヴィレッジ定番の小さな博物館を見学です。
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そして内容もこうした小さな博物館あるあるではあります。
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おそらく以前此処に暮らした住民達が新市街に引っ越す時に、御先祖様が使っていたものを持ち寄って…的な感じでは無いでしょうか?
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歴史的な価値は無いものの、素朴な味があります。
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時にはレトロな日本製のミシンや電化製品を見つけたり…。どうしてこれがこんなところに!と目を見張る事もあります。
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可愛らしいジオラマもありました。
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柄が描かれた大皿も砂漠に生きる部族の文化圏では多く見る事が出来ます。
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ウシャイガーの地図でしょうか。
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これは世界共通必需品ですね。
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博物館を出て、いざ旧市街散策開始です。
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ウシャイガーは現在ヘリテージ・ビレッジとして使われている部分以外に数少ないながら未だ生活している住民もいる様です。
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さて、旧市街を歩きましょう。昨日訪れたディルイーヤと比べ赤味がかった色合いをしています。此処へ来る途中に通り過ぎた砂丘の色合いと同じです。日干し煉瓦建築の色合いは現地の地質の色合いに依存します。
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マリのサヘル地方のジェンネの街並みは、アフリカらしい赤土の色合いでしたが、それより北に500キロ、サハラ砂漠のトンブクトゥの街並みは、サハラ砂漠と同じサンドベージュそのものでした。ジェンネからトンブクトゥへ向かうダートの道が赤土からサンドベージュへ変わっていくのを眺め、目的地が近づいているのを実感しました。
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モーリタニアのシンゲティではサハラ砂漠に飲み込まれつつある街並みは、まるで保護色の様にサハラ砂漠と同化していました。周囲の土を固めて築くのですから、当然と言えばそれまでですが、コンクリートや鉄筋を用い塗装を施し、全て人工の色合いに囲まれて生活する我々にとって驚きの光景でもあります。
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ウシャイガーは整備が整ったヘリテージ・ビレッジですが、整備を怠るとあっという間にこうなります。或いはワザとそれを展示しているのかもしれません。
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イチオシ
矢根の縁は白い漆喰で装飾が施されているのがお洒落です。日干し煉瓦と白い漆喰の組み合わせは、どうしてもイエメンの街並みを思い出してしまいます。イエメンの街並みは私が一番好きな街並みです。
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何度も書いてますが、扉はムスリムが家屋で一番お洒落に気を配るポイントです。
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一際長いトンネルがありました。吸い込まれる様に潜っていきます。
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素敵な扉を発見しました。
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何時か何処かで歩いた様な日干し煉瓦の狭い路地を歩いていきます。
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ドライバー兼ガイドの彼が「モスクだよ!」と潜り戸を抜けます。
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イチオシ
なんて美しいミナレットでしょう!モスクの門を潜った瞬間、暫く動けませんでした。アルジェリア、ムザブの谷のミナレット、モーリタニア、シンゲッティのミナレット、マリ、トンブクトゥのミナレット…。北アフリカからサハラ砂漠に残る日干し煉瓦製の角柱状の美しいミナレットの数々…。
此処イスラームの故郷にも、こんな美しい角柱状のミナレットが残っているなんて! -
いや、ちょっと待ってください。この角柱状のミナレットこそミナレットのルーツなのでは無いでしょうか?だって此処がイスラームの故郷なのですから。現代の目線で考えるから、ミナレットは細い円柱状のものと言う先入観を持ってしまいます。では、円柱状のミナレットはどうして生まれたのでしょう?
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その答は恐らくシリア・ダマスカスのウマイヤ・モスクだと思います。砂漠に産まれ日干し煉瓦建築文化だったイスラームは、その後勢力を広げビザンティン帝国の領土を奪い、その文化を吸収する事で更なる繁栄を築きました。そんなイスラームが世襲制王朝に変わり首都として定めたのがダマスカス。そしてウマイヤ王朝はそこにあった教会をモスクに転用しました。その時イスラームは石造りの建築文化と出逢う事となりました。
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教会には鐘楼がありますが、イスラームはこれをミナレットに転用しました。鐘楼は字の如く鐘を乗せる必要がありますからある程度の広さが必要ですが、ミナレットはアッザーンを唱える人が乗れれば良いですから、建築技術が進歩すればデザイン性を求め、より細い円柱状のものへとアップデートされていったのでしょう。
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その後細い円柱状のミナレットは石材や焼成煉瓦を使えるトルコ以東のアジアや、それらを輸入出来る中東で使われる様になり、現在ではミナレットのデフォルトとも言える形状となったのでしょう。しかし石材に乏しい北アフリカからサハラ砂漠にかけてはアップデートが遅れた事で角柱状のミナレットが残り、伝統を重んじて石材を使える様になった現在でも、角柱状のミナレットが採用されるに至ったのでしょう。
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現在角柱状のミナレットが北アフリカ以西でしか余り見かけない事で、地方的なものとばっかり思っていました。まさかイスラームの故郷で出逢うとは思ってもいませんでした。
しかしよく考えればサウジアラビアも砂漠に囲まれ、石材に乏しく日干し煉瓦の文化なので、此処に角柱状のミナレットが生まれた事は当然の帰結なのかもしれません。何はともあれ実際に訪れて、自分の頭であれこれ歴史を推察するのは楽しい事です。
「そうか!わかったぞ!」
金田一少年の様に手を叩いて、ミナレットを見上げながら自分の推理を巡らせました。
(これはあくまで自分の推論です。もしミナレットの進化の歴史を詳しくご存じの方がいらっしゃいましたら、コメント頂けると嬉しいです。) -
名残惜しくて振り返れば、逆光にミナレットの頭の影法師が。
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緩やかに曲がりくねる細い道を散策します。
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街並みに、所々にトンネル状に家屋が建ちます。イスラームの街ならずともヨーロッパの旧市街でも時折見かけます。
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多分いざ戦争となった際、此処を封鎖して防御壁として利用したものでしょう。また、建物同士の強度を上げる為にも有効だったと思われます。
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トンネルを見つけると、入らずにはいられません。
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トンネルを抜けると其処は?
カシュガルだったり、ダマスカスだったり、ガルダイアだったとしても不思議ありません。皆イスラームの建築基準の元築かれた日干し煉瓦の街並みですから。 -
東は中国から西はサハラ砂漠の果て迄、古き時代に良く建築文化が行き渡ったものです。そしてその途方も無い距離を全て旅してしまった旅人がいた事にも驚愕します。その男の名はイブン・バトゥータ。マルコ・ポーロが単純なシルクロード往復だったのに比べ、バトゥータの旅はアフリカから中国に至る迄くまなく旅をしている事です。
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イスラームは日本同様屋内では靴を脱ぐ文化です。
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此方は多分女性や家族向けのプライバシー重視のスペース。
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度々イスラームの女性の扱いは女性蔑視と誤解されます。一部の原理主義者が正に女性蔑視を行っているので尚更です。しかし本来は女性保護の観点からそうなったものであり、一夫多妻制も昔戦乱により未亡人が国に溢れ、そんな女性を救済する為生まれたものです。
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巨大な井戸がありました。砂漠の中のオアシスの地下水脈から汲み出す井戸。正に生命線です。
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リアドから200㌔、辺り一面見渡す限りの砂漠が広がり、川は愚か水に繋がるものは一切見かけませんでした。そんな中で地下水脈が地表に近い部分、そこに形成された僅かなオアシス。それこそがリアドでありウシャイガーと言う事なのでしょう。
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日干し煉瓦の砂の色、ナツメヤシの緑、空の青、このコントラストがたまらなく素敵なオアシスの街。
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往きはヨイヨイ、帰りも長い。ウシャイガー、とても素敵な日干し煉瓦の街でした。只一般の旅人にお勧めできるか?と言うとリアドとの距離に対し村の規模が小さい事。そしてそれに対する価格を鑑みると、一人での参加となると割高感があると感じます。レンタカーで向かうのが理想的かと思いますが、ヘリテージ・ビレッジと言う性格から開業の有無をしっかり把握してから向かう必要があると思います。素敵な村ではあるので、今後アクセスが容易になる事を願います。
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再びリアドへ戻ってきました。リアドの発祥地でもある現在のリアドの南部アル・サファー広場を訪れました。
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此方がリアド発祥の中心、マスマク城です。前回訪れたディルイーヤで興った第一次サウード王国でしたがオスマン帝国の襲撃で崩壊、その後一旦は復活するも内紛からクウェートに亡命しましたが、アブドゥルアジズがこの城を急襲し陥落させた事で、現在のサウジアラビアの歴史が始まりました。
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マスマク城の外観は、ドバイ博物館となっているアル・ファヒディ砦とそっくりです。アラブの砦建築の様式なのでしょう。
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城内のマップ。思った以上の部屋数でした。
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リアドを掌握したサウード家がサウジアラビア中に勢力を広げていく歴史が表されていました。
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当時の旧市街の地図。
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階段は、ちょっと登るのが恐い造りです。
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城が使われていた時代の写真が展示されていました。タイムマシンに乗って行ってみたい!
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当時、城壁に囲まれたリアド旧市街のジオラマ。
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マスマク城のジオラマ。
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此方も当時のモノクロ写真です。
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中庭から城の尖塔を見上げました。ウシャイガーでも見られたギザギザ状の屋根の縁の装飾がありました
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中庭に出ました。
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マスマク城の中央にも井戸が設置されていました。
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マスマク城にてサウジアラビア誕生の歴史を学びました。
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マスマク城、現代の大国サウジアラビアの規模から考えると余りにも小さ城ではあります。でも、どんな大きな出来事も小さなものから始まるものです。もし、あの時アブドゥルアジズが奇襲に成功していなかったら、イギリスの舌は三枚では無く二枚で済んだかもしれません。現在のサウジアラビアは無く、アラビアのロレンスが共に戦ったハーシム家がアラビアを統治しヨルダン・ハシミテ王国がアラビア半島を有していたかもしれません。この小さな城がアラビア半島の運命を大きく変えたのです。
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マスマク城の脇にはスークが拡がるのですが、私の訪れた時間では未だ早く殆どの店が閉まっていました。夕方以降じゃないと賑やかにはならない様です。
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マスマク城からスークを抜けたところに、一面バリケードに覆われた一画がありました。塀の隙間から覗いてみれば、マスマク城と同じトーンで統一された伝統様式を模した建物が沢山建てられていました。ディルイーヤと同様、リアドの旧市街でも大規模な伝統建築を再現した空間が出来上がるのでしょう。
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どれくらいの工期か解りませんが、完成後に訪れたなら、まるっきり違った風景が広がっているでしょう。
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アル・サファー広場のシンボルの時計塔です。
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アル・サファー広場は国の祭事にも使われる広場だそうです。
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イマーム・トゥルキー・ビン・アブドゥッラー・グランド・モスク。
グランド・モスクと言えば街の中心となるモスクですが、リアドは巨大な街なので、地域毎にグランド・モスクが建てられています。 -
シンプルなデザインですが美しいモスクです。
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アル・サファー広場から国立博物館に向かう途中見つけた食堂に入りました。看板さえ無い店ですが人気店だったのでしょうか?入店した時は店員さんが賄いを食べていたのですが、あれよあれよとお客さんでいっぱいになってしまいました。
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頼んだのはサウジアラビア人の国民食とも言えるカブサです。写真だと解り辛いですが、兎に角デカいです。鶏肉も半身、食べ応えタップリです。御飯も超大盛で食べきれません。
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キングダム・センター界隈のギラギラしている界隈と違って、ちょっと疲れた様な脇道。そんなリアドの散策も出来て楽しいです。
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小さなモスクの前はフェンスで覆われ、中には球を追いかけるサッカー少年達が…なんで?
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中規模のモスクがありました。地図が正確ならこの先に、国立博物館とムラッパ宮殿がある筈です。
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国立博物館へ向います。
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砂漠の薔薇が出迎えてくれました。
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博物館は原始時代から始まり、順路順にイスラーム以前から近代迄のサウジアラビアを知る事が出来ます。
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岩絵です。
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太古の人の装飾品。
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石板に刻まれたアラビア文字。
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コーランだったと思います。
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此方もアラビア語の石板です。アラビア語には複数の書体があるので一見違った言語に見えます。
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イスラームの扉。
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日干し煉瓦の街並みのジオラマです。
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国立博物館にもリアドの模型がありました。マスマク城のものよりお洒落に見えるのは気のせいでしょうか?
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嗚呼これはなんだったっけ?博物館は余りにも情報量が多くて、読み進める慣れない英語で頭がパンクしてしまいます。
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細かな刺繍によるカリグラフィが縫い込まれた布。
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マッカのカーバ神殿。
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そして最後は明日訪れるべく預言者のモスク。
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この国立博物館、外観はとてもシンプルなのですが、曲線の使い方とか、光の使い方がとても素敵で見惚れてしまいました。
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イチオシ
緩い曲線と淡い照明のコラボレーション。
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水も巧みに利用されています。
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博物館の対面にはムラッパ歴史宮殿があります。
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アブドゥルアジズ王が1938年から1953年迄暮らした公邸です。
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外国の元首や高官を数多く此処で迎えたと言います。サウジアラビアは巨大な産油国です。どんな密談が此処で行われていたのでしょう?
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サウジアラビアの王の公邸としては素朴な造りに感じます。
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此処でアブドゥルアジズのエピソードをひとつ紹介します。交易から生まれたイスラームでは窃盗は他の社会よりずっと重罪意識を持っていますが、中でも厳格な派閥のワッハーブ派のアブドゥルアジズ率いるサウジアラビアは当時重度の窃盗犯は手首を切られてしまいました。
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それをアメリカの政治家が余りにも残酷だとアブドゥルアジズを諫めたそうです。それに対しアブドゥルアジズは
「罪を償わせる為に何年も牢屋に入れるのと、戒めの為に手首を斬り釈放するのと、どちらが個人の自由を尊重しているのか?」
と答え刑法を改める事は無かったと言います。 -
現在のアメリカでは貧困層の弱者救済の為、10万円以内の窃盗は重罪にしないと言うとんでもない勘違いな法律を作ってしまったばかりに、10万円なら盗んでも良いと受け止められてしまい、窃盗はやがて組織的になり、やがて強盗になり、銃社会なので店員はそれを見て見ぬふりしか出来なくなり、店は経営出来なくなり閉店。街は空き家だらけ。空き家が多くなると当然治安は悪化。そんな場所危ないので人が集まらないのでホテルも閉店、最早街は負のスパイラルでゴーストタウン化と笑えない状況の様なのです。まぁ報道なんて大袈裟なものなので実際はどうなのか解りませんが、火の無い処に火は立たないでしょう。
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ブロークン・ウインドウと言う画期的な理論を提唱した学者のいた筈のアメリカがどうしてこんな事になってしまっているのでしょう?手首を斬るのが良いとは言いませんが、ならぬものはならぬのです。犯罪に対する罪の意識を強く植え付け、犯罪は小さなうちから徹底的に潰す事が肝心だと思うのです。優しさは人の為ならずです。アメリカは他国の事に干渉する予算や時間があるなら自国の内情をもっと憂わなければなりません。
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事実敬虔なイスラームの国々では窃盗に対する罪の意識が強い事から殆ど窃盗に気を付ける必要がありません。日本を歩いているのと同じ感覚で歩けます。窃盗が少ないと言う事は強盗も少ないと言う事です。大きな犯罪を無くす為には先ず小さな犯罪から。正にブロークン・ウインドウ理論です。海外旅行で旅人が一番被害を受ける犯罪が窃盗です。その窃盗の心配が無いと言う事がどれだけストレスフリーな旅を私に与えてくれるか?今となっては非イスラームの国へ赴く時は、窃盗が恐くて腹巻やらチェーンやらで完全武装しないと旅出来ない自分がいます(笑)
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元々宗教的に窃盗に対する罪意識が深く、直近まで残酷な刑罰もあったサウジアラビアを始めとした敬虔なイスラーム圏では、旅人が海外で一番被害に逢う確率の多い窃盗の被害に逢う確率が低い国々です。チキンな私はヨーロッパを旅する時はお金をしまえる腹巻に、財布には仰々しいチェーンをつけフル装備で挑みますが、イスラーム圏を旅する時は、日本と同様の感覚で旅をしています。
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闇夜にライトアップで浮かび上がるサンドベージュも素敵です。
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国立博物館とムラッパ歴史宮殿で更にアラビア半島とサウジアラビアの歴史を学びました。現代のサウジアラビアはマッカとアル・マディーナと言うイスラームの二聖都(ハラマイン)を保護する責任を担うと共にその権力と権威を有するイスラームにとって重要な国であり、経済では豊富な石油による外貨獲得と共に、石油が枯渇する未来を見越して、若き皇太子の指導の下目下観光産業の促進が国中で進んでいます。この旅でひとつでも多く感じ取って帰国できればと思います。
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教会迄戻ってきました。此処から夜景を眺めるべくキングダムセンターへ向いますが、とても徒歩では無理なのでまたまたウーバーを使います。この旅で初めてウーバーを使いましたが、海外でタクシーを利用するのに毎回、毎回値段交渉して、降りる際にまた揉めて…と言うあるあるな疲れる展開を考えると、余りにスムーズで使い過ぎてしまいそうで怖い位です。ただ現在リアドでは鋭意地下鉄を建設中なので、今後はウーバー使い過ぎ問題も緩和されるかもしれません。
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本日の観光、最期を締め括る為キングダム・センターを訪れました。一歩踏み入れれば低層は広大なショッピング・モールとなっています。
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グッチを始めカルティエ等誰もが知る有名ブランドがズラリと入っています。
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広大なショッピングモールです。サウジアラビアにはこうしたトップレベルのモールから、カジュアルなショッピングモール迄様々なモールが各地にあります。サウジアラビアは車社会なので、アメリカの様に車でモールに出かけて日常品から特別なお買い物迄済ませると言うスタイルの様です。
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スカイブリッジ(展望台)の入り口はちょっと見つけつらい地味なところにありました。
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スカイブリッジに到着しました。栓抜き状のビルの栓をあてる部分が展望台となっています。
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ドデカい二つのメインストリートに挟まれ長く伸びる一帯、これがリアドのメインとなる一帯です。
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イチオシ
キングダムセンター。から昨日訪れたアル・ファイサル・センター方面を眺めました。アル・ファイサル・センターからはキングダムセンターが目立っていましたが、キングダムセンターからはアル・ファイサル・センターは景色に溶け込んでしまって何処にあるのか解り辛いです。
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アップしました。中央に漸く昨日登ったアル・ファイサル・センターが見えました。
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ビルのライティングに合わせて展望台の照明の色も変わります。
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真下からキングダムセンターを仰ぎ見ました。
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次々とライトアップの色が変わっていきます。
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たった二日間ですが巨大な街リアドをウーバー等を駆使して観光しました。ディルイーヤや旧市街の開発は未だ未だ始まったばかり、地下鉄も目下建設中。観光はこれからが益々楽しみが増えていくでしょう。リアドではサウジアラビア建国の歴史を学ぶ事が出来ました。然しながらアラビアに於けるイスラームの歴史として俯瞰すれば、ほんの近代史に過ぎません。明日は。、明日こそはその核心であるアル・マディーナを目指します。果たして今夜は眠れるでしょうか?
最期までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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