2023/11/10 - 2023/11/10
15位(同エリア74件中)
さっくんさん
さて、サウジアラビアの旅スタートです。先ず訪れたのは首都でもあるリアドです。一般的にはリャドとかリヤドと表記されますが、私の駄目なヒヤリングではリアドと少なくともリャと二文字目が小さくは感じなかったので、敢えてリアドと表記しました。アラビア語は母音が結構曖昧なので、日本語表記は人によって様々になってしまいます。
リアドは南の旧市街から北に向かって縦長に帯状に広がっており、見所が途方も無く感覚が広いので徒歩による観光は無理に近いです。信号機も殆どなく、陸橋の感覚も長いので、例え目的地が道路の対面であっても途方も無い遠回りを強いられます。
初日はリアドのみならずサウジアラビアの建国にも大きく関わる第一次サウード王国の首都だった遺跡ディルイーヤ遺跡を訪れました。
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リアドを訪れて先ず向かったのはディルイーヤと呼ばれるリアド郊外に残る遺跡です。(此方はVIP用の入り口でタクシーなどは別の場所に到着します。)
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と言ってもウーバーの兄ちゃんが私を連れて行ったのはブジャイリ・テラスと呼ばれるところ。どうやら併設されている施設の様です。
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ブジャイリ・テラスは伝統建築を模したグルメ・エリアなのですが、営業の殆どは夕刻から。それまでは無料で入場できますが写真のバーコードを読み込みサイトで無料チケットを登録する必要があります。(2023)やり方は民族衣装のお兄さんが説明してくれます。
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夕刻レストランが開業すると結構な入場料を取られますが、その分はテラス内のレストランで飲食が出来るシステムの様です。
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ディルイーヤは現在の王族サウード家が建国した第一次サウード王国の都だった場所でオスマン帝国の侵略により崩壊しました。
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王宮が集まるアル・トゥライフ地区を中心に遺跡や展示コーナーが集まり、ワジ(枯川)であるハニーファ渓谷の対岸にブジャイリ・テラスが展開しています。更にはその周辺、ブジャイリ・テラスの広大な面積の数倍の土地が目下急速に開発されており将来ショッピング・モールやホテル等が建設されると思います。
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全てが完成すると、全ての建物が伝統様式を模して建てられている事もあり第一次サウード王国の都であったディルイーヤがあった当時と変わらない規模の街並みが出来上がってしまいそうな勢いです。
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脱石油を目標にビジョン2030を掲げる若き皇太子の鶴の一声で急激に建設が進んでいる事から出来立てほやほやなのでテーマパーク感濃厚ですが、私が好きな日干し煉瓦の世界観でありチャラチャラしたものでは無いので落ち着けます。
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ブジャイリ・テラスはその名の通りテラス状になっており眺めの良い部分があります。緑集まる渓谷の向こうに建ち並ぶのが王宮が集まるアル・トゥライフ地区です。到着時は渡る事が出来ませんでした。(そここそが本当に行きたかった場所なのに…。)
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テラスからアル・トゥライフ地区を眺めます。かなり大きめの建物もあります。
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頂頭部は細く崩壊している部分もある建築群が連なっており、かなり大規模なものです。
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反対側には城壁の向こうにモスクのミナレットが聳えています。
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残念ながらメインとも言える王宮の建築は改修中の足場が組まれていました。
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恨めし気にアル・トゥライフ地区を眺めつつ…。
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テラス部分に聳えるムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブ・モスクのミナレット。昔ながらの角柱状のミナレットで予想外にサウジアラビアには角柱状のミナレットを多く感じます。
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矢根の縁のギザギザの装飾はイスラーム建築では良く見られる様式です。
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未だ修復が進んでいない部分も見受けられますが、過剰な修復をするよりある程度そのままな部分を残した方が遺跡感があると言うのは観光客の浅ましい意見でしょうか?
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ブジャイリ・テラスとアル・トゥライフ地区を隔てるハニーファ渓谷。
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ブジャイリ・テラスは日中は喫茶店程度の営業で多くの建物は閉店しているので雰囲気を楽しむだけです。
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と言うかサウジアラビア自体が日中は殆ど店が開いていません。スーク等も夕刻あたりから開店する店が多いです。
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夕刻から開店するレストランはミシュランの星付き店等高級志向の様です。
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本日はイスラームの休日金曜日である事から店舗は営業していなくても結構人出があり、皆思い思いの時間を寛いでいました。
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イスラーム建築は質素ですが、その分扉にお洒落心を使います。
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一旦ブジャイリ・テラスの敷地を出ると隣接する場所に発掘そのままの状態の遺跡の展示がありました。
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此方の方が遺跡好きにはグッとくる光景です。
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但し石の遺跡と違って日干し煉瓦の建築はメンテナンスが非常に重要で、定期的にメンテナンスを行わないと崩壊し大自然に戻ってしまいます。日干し煉瓦文化だったアッバース朝の建築の保存状態が壊滅的なのも,この事が大きく影響していると思われます。
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隣接する広大な敷地には次々と建設が進んでいます。これらの建設も伝統を様式を模した外観が施され、宿泊施設やショッピング・モールとして使われるものと思われます。
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その先には永遠と続く城壁が残されていました。
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モスクは遺跡では無く、しっかり現役のものでした。
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再びオアシスを通ってブジャイリ・テラスに戻ります。
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壁面から突き出している棒は雨を排出する樋です。アフリカのマリやモーリタニアとまるで同じ方式でその両国では現役で活躍しています。此処から西アフリカまで建築技術が伝わったかと想像すると驚きと感動を覚えます。
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さて店も閉まっていますし、店が開いても高級そうだしリアドへ戻ろうかと一応係員さんにアル・トゥライフ地区へは今日はいけない事を確かめると、なんと14時からオープンすると言うではありませんか!聞いてみるものです。
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未だ未だ未完成の物件ですし工事の進捗等の影響で営業時間や営業範囲が頻繁に変更になる上、今日は金曜日。ネットで掴む情報も様々で正直行ってみたところ勝負な部分があります。本日は運が良かったと言う事でしょう。
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蛇が纏わりついている様な照明の配線。
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イチオシ
もう一度ブジャイリ・テラスからアル・トゥライフ地区を眺めました。
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ズームアップしました。もうすぐ行けます。
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余った時間は大好きなイブン・バトゥータの著作を読んで過ごしましょう。
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14時になったのでアル・トゥライフ地区へ向います。皆も待っていたのでしょう。次々とアル・トゥライフ地区に吸い込まれていきます。
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頂頭部の崩壊し尖った部分に遺跡感を感じますが、通路などは手摺等も含めてしっかりと整備されています。
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崩壊した部分も、それまでの状態を保つのでは無く、崩壊した形のまま塗り固めてそれ以上の崩壊を防いでいるのが解ります。日干し煉瓦の建物では重要な事です。
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逆光に浮かび上がった遺跡のシェイプが好き。
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王宮には王の他複数の王子の宮殿跡が残り、それが合わさってアル・トゥライフ地区を形成しています。
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さて、此処ディルイーヤが第一次サウード王国の首都、即ちサウジアラビアの原点とも言える地です。ではサウジアラビアがどんな歴史を辿ってきたかを簡単に紹介したいと思います。
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18世紀半ば、首長ムハンマド・イブン・サウードがワッハーブ派(イスラームの純粋な原理を守る事を主張する派閥)と結びつき出来上がったのが別名ワッハーブ王国とも呼ばれる第一次サウード王国です。しかしこの王国の巨大化を脅威に感じたオスマン帝国の指示によるエジプト総督ムハンマド・アリーにより討伐され1818年一旦王国は滅亡、一旦再建するも内紛等から長く続く事無くサウード家は現在のクゥエートに亡命しました。
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1902年サウード家のアブドゥルアジズはリアドを奇襲して奪回し勢力を回復しました。そしてその頃、世界を見渡せば第一次世界大戦。これまでアラビア半島に大きな影響力を及ぼしていたオスマン帝国の旗色が悪くなると中東の勢力図は大きく変わる事となります。
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イチオシ
ドイツ、オスマン帝国を中心とする枢軸国を牽制する為イギリスはオスマン帝国に支配されていたヒジャーズ地方の太守ハーシム家を独立を認める事をチラつかせ軍事支援しオスマン帝国に反乱を起こさせました。一方イギリスはユダヤ人にも同様な約束を結び、これが今日のパレスティナ問題の根本ともなっています。
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所謂イギリスの二枚舌外交と言われる事件がこれに当ります。そしてイギリスがハーシム家に送り込んだ軍事指導者こそ有名なアラビアのロレンスになります。しかしイギリスは二枚舌どころか三枚舌外交を行っていたのです。
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それこそが先に話したリアドを奪還したサウード家です。サウード家とハーシム家は反目し合いながらも独立欲しさにイギリスに協力しました。結果第一世界大戦は終焉を迎え、オスマン帝国も滅亡しました。と…目的は果たしたものの彼等の約束である独立はどうなってしまうのでしょう?
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此処ではパレスティナ問題は置いておくとして問題はサウード家とハーシム家の問題です。どちらもイギリスから独立をちらつかされイギリスに協力しました。此処でもパレスティナ問題同様イギリスは無責任な行動を取りました。結果両家はアラビアの覇権を巡って争いとなり、ロレンスの派遣されたハーシム家は敗北してしまいました。
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アラビアのロレンスの視点でこの歴史を見てみましょう。彼は圧政に苦しむアラブの人々を率い独立を目指してハーシム家の人々と共に戦いました。しかし戦い終わると自国のイギリスの政策によりパレスティナはユダヤ人の国に奪われてしまいました。それどころか共に戦ったハーシム家は同じくイギリスから支援を受けて強化されたサウード家の攻撃を受けて敗北してしまいました。その時ロレンスは何を想ったでしょう?イギリスの三枚舌外交はアラビアの人々を翻弄した事は勿論、ロレンスの運命も弄びました。
でも、御安心ください。アラビア半島の覇権争いには敗れてしまったハーシム家ですが、今日では彼等の子孫がヨルダン・ハシミテ王国として立派な国を運営しています。 -
サウード家の視点から見れば、リアド奪還の不安定な状態からイギリスの支援を受けた事で追い風を受けた状態になれたと言えるかもしれません。
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更にこの戦いに大きく貢献したのは第一次サウード王国建国の時からの付き合いであるアッハーブ派の勢力の活躍が大きかったそうです。その事からイスラームでも厳格な姿勢が今後のサウジアラビアの政治に強く反映される事となりました。
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その後サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアを国名とし、豊富な石油の埋蔵量を背景に、幾度かの政変を伴いながら今に至ります。
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歴史のifを考えるのは楽しいひと時でもありますが、もし第一次世界大戦が起こらなかったら、イギリスの無責任な外交が無かったらアラビア半島の情勢も現在では大きく変わっていた事でしょう。
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何分にもマッカとアル・マディーナと言うイスラームにとって第一と第二の重要な聖地(アル・ハラマイン)を抱えていると言う事はサウジアラビアにとって一番重要なファクターとなっている事は間違いないでしょう。簡単に厳格な姿勢を崩す訳にはいかないのです。
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勿論膨大な石油の埋蔵量も大きなファクターのひとつです。石油が無いイエメンが、それ故政情が安定せず、そこから現在の状況に陥っている事を鑑みれば、マッカとアル・マディーナを抱えるサウジアラビアが同じ状況だったとしたら、イスラーム界の現在は大変な事となっていたかもしれません。
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しかしそんな石油の埋蔵量もいつの日か枯渇する時が訪れるでしょう。そんな時を見越してサウジアラビアもまた若い世代が台頭し、脱石油を目指して変わろうとしています。
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ムハンマド皇太子が進めるサウジアラビア・ヴィジョン2030もそのひとつで、インバウンドの拡充です。一環として、それまで閉鎖的だった観光ビザを大きく開放して、日本も開放されました。
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そんなこんなでサウジアラビアの各都市では観光資源を中心に至る所で工事中。まるで緊急国家改造を進めている様な状態でした。リアドではその目玉となるのが此処ディルイーヤと言う訳です。
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勿論改革は観光事業だけに留まりません。以前は女性が社会で活動できる事は大きく制限されてきたサウジアラビアですが、現在では一見西洋諸国と変わらないくらい女性が社会に進出していて驚かされました。
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先ずは空港の入国審査から女性でしたし、ホテルのフロント業務から店舗の店員等活躍している業務は多岐に渡り、勿論車も運転しています。
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是迄のサウジアラビアの情勢の先入観があったので驚きました。
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さて、話題をサウジアラビアの歴史からディルイーヤに戻しましょう。
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アル・トゥライフ地区は商業施設メインのブジャイリ・テラスとは違い遺跡メインとなり世界遺産ともなっています。
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現在では数カ所がギャラリーとして使用されていますが、使われていない建物も多いので、今後資料館等に使われるのではと思います。
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休憩所として使用される場所と思います。
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イスラームは砂漠に生まれ、砂漠を始めとした乾燥帯を中心に拡がりました。
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砂漠には建材として必要な石材も木材も乏しいです。
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必然的に建材は土を多様する必要がありました。
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イチオシ
アラビア半島を始め中央アジア、北アフリカからサハラ砂漠にかけてその影響が顕著です。
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ですからイスラームの旧市街を歩くと言う事はある意味日干し煉瓦の街並みを歩く事と言っても過言では無いかもしれません。
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日干し煉瓦造りの家は強度の問題からも大きな窓は作り辛いですが、その窓の少なさはイスラームのプライバシーを守る教義ともリンクしています。
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質実剛健はイスラームの教義ではありますが、窓も少なく土壁だけでは余りに寂しいので、ムスリムは扉にこだわります。中でもザンジバルやチュニジアが有名です。
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日干し煉瓦造りのモスクのミナレットは強度の問題からも角柱状に築かれる事が基本です。ですから北アフリカからサハラ砂漠に建つモスクのミナレットも大抵は角柱状です。石材による建築が可能になった現在でも尚伝統に倣い角柱状のミナレットを築く国も多いです。
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一方石材や焼成煉瓦による建築が可能になったトルコ、ペルシャからインドに及ぶ地域ではミナレットは細い円柱状に築かれる様に発展しました。現在のミナレットは此方をイメージする人の方が多いかと思います。
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こんな日干し煉瓦のサンドベージュの街並みを歩いたのは、直近では去年のアルジェリアのムサブの谷以来です。
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イスラームと言うテーマを持って旅を続けていると、遠く、大きく異なる地域ながらイスラームと言う部分で、何処も何処かで繋がっています。遠く、異なる文化に触れて、余りの異なる部分に驚き、繋がりを見つけて安堵を覚える。この二つの相反する要素の組み合わせこそ、良い旅を構成するのに欠かせない要素だと思います。
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イスラームと聞くと先入観から、日本と全く異なる、西洋的価値観からかけ離れた全く異なる価値観を持つ文化圏だと思われがちです。しかしながら実際触れてみると、日本人同様靴を脱いで家で過ごしたり、日本人にも親近感が持てる習慣があります。
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日本では馴染みの薄いアラビア語ですが、そんなアラビア語で日本人にも馴染みがあるアラビア語にインシャッラーと言う言葉があります。アラビア語には何かと「ラー」のフレーズが出てきますが「ラー」は神(アッラー)を表します。インシャッラーの場合は「神がお望みならば~」と訳される事が多いです。
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但しその「神」の部分だけが強調され訳される翻訳は、アラブ人が日常的に使うインシャッラーの使い道とは逸脱しており、はっきり言うとセンスの無い翻訳だと私は感じます。
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イチオシ
「インシャッラー」は「未来の事は人間には解らない。神のみぞ知る事」と言う解釈から生まれた言葉ですが其処から翻って現在では日常会話としてずっとカジュアルに使われるフレーズとなっています。受動的に使われる場合、受けかねる依頼を受けた時、断るのは憚られるけど、断りたい時、その意思が無い時に使われます。例えば買い物中に店主にしつこく言い寄られた時
「明日また来ます。インシャッラー。」
(私が来るか来ないかは神のみぞ知ります。=きっと来ません。)
と、こんな感じで使われる事が多いです。欧米の様にイエス・ノーの白黒をはっきりさせる文化と違い、直接的否定を嫌う日本の文化に近い文化だと思いませんか? -
アラブ人は家族を大切にし、子供も多く持ちます。そんな彼等と話していると良く私の家族を尋ねられます。残念ながら私は独り身なのでそれを話すと
「何故なんだ?寂しくないのか?どうしてだ?」
ととても驚かれ質問されます。そんな時は苦笑いしながら
「で、出来れば私も家族を持ちたいとは思っていますが…。インシャッラー」
と答えます。答えかねる、若しくは答えたくない質問を「察してください」と言う意味で使われる場合もあります。 -
また能動的に「インシャッラー」を使う場合もあります。アルジェリアでお世話になったガイドさんとお別れの時、ガイドさんは私に「See you again」と定番のお別れのフレーズの後に「インシャッラー」を加えました。
「また逢いましょう!」とは言っても、相手がどう感じているか解らない。それを望んでもそれが可能か解らない。可能であったとしても、それは相手にとって負担になってしまうかもしれない。だから「また逢いましょう」の後に「神が望むならば」を意味する「インシャッラー」を加える事で、たとえそれが叶わなかったとしても、未来は神のみぞ知る事だから、それは貴方の責任ではありません。」と言うニュアンスで彼女は「See you again」の後に「インシャッラー」を加えたのです。
この様に相手に何かを求めた時に、結果は問いませんと言う相手に負担をかけさせない心遣いの言葉として「インシャッラー」が使われる場合もあります。この時ばかりは私は「どうか神様が望んでくれたら良いな」と思わずにいられませんでした。 -
欧米文化では、国が民主主義を押し売りして他国の主権をボコボコにしたり、昨今民間でも、ポリコレ、捕鯨問題、環境問題、ヴィーガン等々、自分が信じる思想を正義と言う武器を振り回して他人に押し付ける様な連中が蔓延っています。正直「うっせーや!」とちゃぶ台ひっくり返してやりたくなります(笑)
そんな中、人に押し付けない「インシャッラー」のフレーズが私はとても好きなんです。 -
この様に「ラー」がつくばっかりに宗教的な意味合いばかり浮き彫りにしてしまうと大きく異なる文化の特別なフレーズに受け止めがちですが、彼等の使う「インシャッラー」をしっかり理解すれば、「察してください」と言う意味合いだったり、相手に押し付けたくない気遣いだったり、日本人にも理解しやすい、または便利に感じる素敵なフレーズでもあるのです。
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「ラー」がつく言葉として「インシャッラー」と共に良く耳にする言葉に「アルハムドリッラー」があります。この頃はだいぶ良くなりましたが以前は本来の意味である「全ての賞賛は神にこそあり」的な翻訳が多くて困惑していていました。これは日常的には「お陰様で~」と言う意味合いで使われるフレーズです。
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日本人も「お陰様で」と言う言葉は何かと使うと思います。治療を受けているお医者様に「お陰様で」と主語がハッキリしている場合もありますが、普通「お元気ですか?」と尋ねられ、主語は無く「お陰様で」と答えると思います。「アルハムドリッラー」は正にそんな使われ方をしています。そう言えば英語でその様な主語無しの感謝を表す言葉ってありましたっけ?何はともあれ「アルハムドリッラー」は「お陰様で」と言う日本語と共通する謙虚に感謝を表すフレーズとして私の好きなアラビア語のひとつです。
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異国の神を扱う言葉だと異質な言葉として扱ってしまえば奇異な言葉としてしか思えない言葉も、日本の文化に置き換えて捉えれば不思議な程共通点が見えてきます。そのフレーズの意味するルーチンは反って欧米より日本人が持つルーチンに近いとさえ感じます。
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と、こう書いても言葉だけでは理解は出来ても実感は出来ない事に思います。実際に現地に赴き現地の人々と触れ合ってこそそれを実感できるものだと思います。今まで壁の向こうに見ていた、感じていた不思議な習慣が、実際触れ合って共感出来る習慣に変わる。その劇的な変化を楽しむ事も旅の醍醐味だと私は思っています。だからこそ食わず嫌いな方面こそ素敵な旅になる可能性があると思うのです。
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実は私のイスラームをテーマとした旅も、そんな食わず嫌いの場所を旅してみる事から始まりました。
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9・11の同時多発テロ事件を皮切りに西側諸国では、メディアが垂れ流すプロバガンダを鵜のみにする民衆を中心に反イスラームの風潮が広がりました。そんな中これまでバックパックを背負って世界を旅していたにも関わらず、不思議とイスラーム圏に縁が無かった私は考えました。旅人として自分自身の目で、体験で、イスラーム圏を旅して見て、本当にイスラームが悪なのか?答をみつけようじゃないか?と。
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その答こそが言うまでも無い、私の旅行記となっています。
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ディルイーヤ遺跡を一周してきました。思った以上に規模があって散策し甲斐がありました。
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この王宮の遺跡部分を中心として、営業を始めたブジャイリ・テラス、そして現在急激な勢いで拡張されている伝統様式で統一されるだろうショッピングモールやホテル群。全てが完成したらさぞかし壮観だろうなぁと思います。
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もしディルイーヤのプロジェクトが完成したら、旅人は現在の様にリアドに宿泊してディルイーヤに訪れるのでは無く、ディルイーヤに滞在してリアドへ出かけるのが主流にさえなるかもしれません。
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また、ディルイーヤを観光してとても面白い企画だなと感じました。世界中にあるどの遺跡でも良いですが例えばアンコールワットでもピラミッドでも構いません。その遺跡の周辺地域を全てその遺跡の時代の世界観の建築に統一してしまい、そこにホテルやレストラン、ショッピングモールを作る様な企画です。
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遺跡は一級品で歴史浪漫に浸れても、遺跡から出た瞬間に走り回る車や高層ビルの存在に一瞬にして現実世界に引き戻されるより、遺跡を堪能した後も同様の世界観の中に浸れたなら理想的だと思います。
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最期に再びブジャイリ・テラスに登ってアル・トゥライフ地区を振り返りました。この企画が完成したどんな日干し煉瓦の街並みが再現されるのでしょう。再訪する日が楽しみになりました。
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ウーバーを使ってリアド市内へ戻り、いくつか存在するグランド・モスクのひとつ、アル・ラジ・グランド・モスクを訪れました。
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非ムスリム用に見学ツアーがある様で看板も掲げられていましたが、残念ながら不在だった様で知り合い?関係者?の様なオジサンが代わりに案内してくれました。サウジアラビアでは(以外でも特別なモスクを除いては)モスクは信者以外の入室は禁止されているので基本的に立ち入るべきではありません。
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例え入れたとしても、例え一信者が「入ってよいよ!」と言ったとしても、モスクの中に保守的な信者がいた場合、厄介な事になりかねません。だからこうした見学ツアーがあるモスク等は非ムスリムが安心して見学出来る貴重なモスクと言えます。
と言うか、入ってはいけない場所に、見つからなかったから、咎められなかったから入ってしまうと言うのは私的には軽蔑すべき行為です。見つからなかったら店の品物盗んでも良いですか?一緒です。 -
モスクを出て、この巨大なモスクの外観の写真を撮りたかったのですが、大き過ぎて入りません。前面には何車線も合わさった巨大な道路があり向こう側には渡れません。(渡ろうとしたらどれだけ遠回りをすれば良いのでしょう?)
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仕方なく裏側に回って駐車場の奥に積まれていた瓦礫の上によじ登ってパシャリ。
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本日最後に訪れたのはアル・ファイサリア・センターです。高さは267m、キングダム・センターにお株を奪われてしまった感は高いですが、リアドで展望を楽しめる高層ビルです。
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結果論私は二つの展望台どちらも見学しましたが、どちらか一つと聞かれたらどちらを見学しますか?一般的に有名であり高さもあるのはキングダム・センターです。多くの人がキングダム・センターを選ぶと思いますが、キングダム・センターに登ってしまうとキングダム・センターの独特の形は写真に収められません。キングダム・センターの夜景は美しいですが、十年後にその写真を見た時、世界の何処の夜景かな?と解らなくなってしまうかもしれません。一方アル・ファイサリア・センターからは独特な形状のキングダム・センターを写せます。これなら十年後でも一目瞭然でしょう。
次回、キングダム・センターから夜景を眺めます。是非比較して見てください。 -
ビルの模型がありました。このビルも独特の形状をしていますが、夜景となるとあまり目立たないのです。上部の金玉はレストランとなっている様です。その金玉の真下が展望台となります。
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展望台に到着しました。思いがけず展望台はオープンスペースでした。頭上にはこのビルの特徴とも言える巨大な円球上のレストラン。周囲はガラスの柵となっており天井はありません。なので開放感があります。
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レストランとなっている球体の部分は鏡張りになっていてリアドの夜景が映ります。
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リアドは南のマスマク城を中心とした旧市街から北に向けて帯状に細長く発展を続けています。
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と言う訳で高層ビルや中心となる建物は南北に走る巨大な大通りに挟まれた帯状の部分に全て収まります。中央に聳える栓抜きの様な形の建物がキングダム・センターです。その北方には経済特区として高層ビルが建ち並ぶ一帯があります。
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イチオシ
夜景を眺めているアル・ファイサル・センターと眺めているキングダム・センターの間がリアドの中心の様な気がしました。両ビル共豪華なショッピング・モールを有していますしホテルも入ってます。勿論周辺にもショップやホテルも多くあります。またリアドの中心にあたるので何処へ向かうにしても効率的だと感じました。
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夜が更けて来て球体に映るリアドの夜景がハッキリしてきました。
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帯状に発展した左右には何処迄も低層の住宅地が拡がっています。
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北方にはリアドのシンボル、キングダムセンターのライトアップが次々と色を変えていきます。
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白から紫に。
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紫から赤へ。
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そしてイスラームの聖なる色、サウジアラビアの国旗の色、緑へと。
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リアドの夜景を楽しんだ、アル・ファイサル・センターを見上げました。
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朝はガッツリ、夜はアッサリ。私の旅の食事風景です。ホテルが朝食込みでビュッフェ形式の場合ですが(爆)
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移動を全部ウーバー任せなのも味気無いので疾走する車を華麗に交わしながらホテル迄歩きました。
次回も引き続きリアドを巡ります。最後までご覧下さりありがとうございました。
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