2023/11/13 - 2023/11/13
9位(同エリア29件中)
さっくんさん
皆様にご報告があります。先日挙げたこの記事ですが、私の認識不足から、ミカート・ドゥ・アル・フライファの補足としてWikipediaから写真を転用してしまった事を指摘を受けていたのですが、対応が遅れてしまい削除と言う結果となってしまいました。つきましては、折角興味を抱き見に来てください皆様、「いいね」をつけてくださった皆様、そしてコメントを残してくださった方大変申し訳ございません。と言う訳で急遽作り直した次第ですが、オリジナルが失われてしまったので若干違ってしまった部分もあるかと思いますが、ご理解頂ければ幸いです。
遂に訪れた今回の旅の核心であり、イスラームの核心とも言える街、アル・マディーナを散策します。散策には外資系の観光バス。ホップオン・ホップオフ・バスを利用しました。このバスは観光用と言うより巡礼者さんの利便を図る為のものと言う側面が強いバスで、出発すると預言者のモスクの各ゲートを周ってから郊外の見所やショッピング・モールを結んでいます。観光客が訪れるだろう史跡は多くはありません。またモスクは入場不可の外観観光となる為、効率優先で旅をするならこの街は0泊で観光も可能でしょう。ゆっくり回っても1泊あれば日本人の旅のペースなら十分でしょう。しかし私は思い入れタップリでこの街に訪れたので、二泊して尚、もっと聖地気分に浸っていたいと思う程でした。
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気が張っていたのでしょう。目覚ましもかけずに夜明け前に起きてしまいました。
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特別な一日が始まろうとしています。空が漆黒から蒼へと変わっていきます。
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蒼が薄くなって。
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東の空に赤味が指しました。
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イチオシ
空全体が一瞬、恥じらうが如く紅く染まります。
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ミナレットのライトアップもラストスパートです。
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脇を眺めれば巨大な日傘も始動しました。
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開き切りました。夜明けの巡礼者の受け入れ態勢も万端です。
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イチオシ
私も動き出すべく朝食を摂りに向かいます。此方も大変楽しみにしていました。ホテルの最上階、一回り高層から預言者のモスクを眺める事が出来ます。
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五つ星レストランの朝食で腹をいっぱいに満たし、星の付け様の無い預言者のモスクの絶景で心を満たしました。
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そして時も満ちました。さあ、特別な一日の始まりです。いってらっしゃい!自分!いざ核心ヘ!
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アル・マディーナの郊外の見所散策はホップオン・ホップオフ・バスで巡ります。預言者のモスクを半周して始発から乗ろうと思っていましたが、ホテルから近い2番乗り場アル・バキー墓地にバスが丁度停まっていたので其処から乗車しました。
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バスは巡礼者のニーズが高い事から始発の1番乗り場から4番乗り場迄は預言者のモスクの各ゲートを周遊します。道路事情からかかなり迂回を繰り返しながらゲート間を結ぶので、場所が解れば4番乗り場のアル・サラーム・ゲートから乗車すれば直に郊外に向かえます。
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車窓からアル・ガマーマ・モスクが見えてきました。預言者ムハンマドがイードの祈りを行った、最初期のモスクです。
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アル・ガマーマ・モスクは3番乗り場アル・マナカ・スクエアからすぐ傍です。
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ホップオン・ホップオフ・バスは全部で12駅。その内1~4番は預言者のモスクの各ゲート。5,8~10の4駅が名所旧跡。6,7,12はショッピング・モール及び繁華街、11番は現在欠番(2023)なので観光的には4駅。二人以上なら上手く使えばウーバーの方が待ち時間も無く安くつく可能性もありますが、アル・マディーナに1泊するなら、昼は史跡巡り、夜はライトアップと買い物と何度でも使えると言う強みがあります。
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此方が運航スケジュール(2023)尚夏季には運航スケジュールが変わり、昼休みがあるので注意してください。
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アル・マディーナに建てられているモスクは、殆どが純白です。
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四つのゲートを周り終えると漸くバスは北へとひた走ります。
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ホテルから預言者のモスク越しの中央に眺めていたウフド山が、目前に迫ってきました。
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5番乗り場ウフド・バトルフィールドに到着しました。
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此方が運航表です。11番は工事中の為欠番。停車しません。
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預言者ムハンマドはマッカにて、天使ジブリールによってアッラーの言葉を預かって以来、イスラームをマッカの人々に説きましたが、それは実る事無く逆にマッカを追放されてしまいました。
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622年、ムハンマドはアル・マディーナに移り(ヒジュラ)此処を拠点に聖地奪還を目指しました。最初こそマッカを目指す隊商を襲う様なゲリラ的な活動が主体でしたが、みるみる内に勢力を増やし、624年バドルの戦いで圧倒的な不利を覆してマッカ軍を破り大きな名声を手に入れました。
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それに焦ったマッカ軍は625年、早目に預言者ムハンマド軍を潰すべく三千の兵を率いてアル・マディーナに攻め込みました。対する預言者ムハンマド軍は僅か700。しかし士気は高く預言者ムハンマド軍優勢のまま戦いは進みました。
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しかし、勝を急いだ預言者ムハンマド軍は、預言者ムハンマドの陣から動いてはいけないと言う命令を忘れ逃走する敵兵を追撃してしまいました。その隙を敵の騎馬兵に本陣を突かれた事で預言者ムハンマド軍は壊滅的な被害を被り、結果大敗を喰らってしまいました。
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イチオシ
預言者ムハンマドの生死を掴め無かった事により、マッカ軍は深追いする事無く引き上げましたが、預言者ムハンマドは叔父を失い、預言者ムハンマド本人も負傷しました。中でも多くの若者が命を落とした事は重大な事でした。結果働き頭を失った未亡人が街に溢れました。そんな未亡人を救う為、預言者ムハンマドは富裕層に重婚を認め、未亡人が路頭に迷うのを防ごうとしました。イスラームの一夫多妻制はこの時生まれました。
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此処にウフドの戦いの戦死者が眠っています。
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ムスリム達が登る小高い丘に登って、ウフドの戦跡に建つサイード ・アルシュハダ・モスクを見下ろしました。。
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ふり返って預言者のモスク方面を眺めます。
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ウフドの戦いで手痛い大敗を喫した預言者ムハンマド軍でしたが、預言者ムハンマドの指示には従うべきだった。皆で団結すべきだった…と教訓となった戦いでもありました。そしてその教訓が、この先訪れるトレンチ・バトルフィールドに繋がっていきます。
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ウフドの戦跡では多くのウズベキスタンから巡礼ツアーで訪れたおじいちゃん、おばあちゃんに出逢いました。世界中のムスリム達が集まる聖地だから、まるで是迄訪れたイスラームの国々の人々とまるで同窓会を開いている様な感じになって胸が熱くなりました。
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アル・マディーナの幹線道路がハイウェイの様な構造故か、バスは大きく郊外迄迂回して次の目的地を目指します。
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向こうに見える荒々しい岩山まばらに生える木々の緑、そして其処に映える純白のモスク。東側は中国のゴビ砂漠から、西はサハラ砂漠の向こう迄。イスラームを旅して共通する風景です。
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8番乗り場ギブラタイン・モスクに到着しました。この駅には表示板が無く、モスクの駐車場の開いている場所に停車するので、再乗車するのに場所を把握しておきましょう。まぁバスは目立つので駐車場にいる限り見逃す事は無いでしょう。
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ギブラタインのタインは英語でツイン。ギブラとはミフラーブ。ミフラーブは礼拝する方角を示す窪みを呼びます。即ちギブラタインとは二つのギブラを意味します。イスラームは当初アル・クドゥス(エルサレム)のアル・ハラム・アル・シャリーフ(神殿の丘)現岩のドームがある方角に向かい礼拝をしていましたが、アッラーのお告げにより現在のマッカの方角に礼拝する様になりました。最初期に建てられたこのモスクにはアル・クドゥスとマッカの二方向のギブラを持つ珍しいモスクとなっています。(現在ではアル・クドゥス方面は閉鎖されているそうです。)
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このモスクをミナレットを前に構図を撮りたかったのですが、現在モスク周辺は建設ラッシュで構図を決めるのに四苦八苦してしまいました。
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モスクの天辺の黒色は、汚れではありません。模様でもありません。それは鳩の群なのです。ドームの天辺は鳩のお気に入りスポットの様です。
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現在アル・マディーナは例によって至る所で建設ラッシュです。しかし聖地である事から、リアドやジェッダの様に観光に関するものでは無く、道路等のインフラ整備が中心です。この道路工事がホップオン・ホップオフ・バスのルートに影響するとバスの運行に大きく影響が及ぶので注意が必要です。
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9番バス乗り場トレンチ・バトルフィールドで下車します。グーグルで調べると同じ場所にセブン・モスクスと表示されるので混乱する方もいるかもしれません。結論から言うとどちらも正解です。只歴史的重要性としてはトレンチ・バトルフィールドの方が重要です。何故なら塹壕の戦いと言うイスラーム成立に重要な戦いがこの地に起こり、その戦勝を記念して7つのモスクが建てられたからです。
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トレンチ・バトルフィールドは塹壕の戦いの舞台となった場所です。625年に勝利を治めたマッカ軍は627年、預言者ムハンマドのトドメを指すべく一万の軍勢を率いて再びアル・マディーナに攻め込みました。迎え撃つ預言者ムハンマドと彼の軍は先の教訓を生かし、この地に塹壕を張り巡らし徹底した防衛線を張りました。
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今度は預言者ムハンマドの軍勢は勝手に動く事無く必死に圧倒的な敵軍をかわし続けました。当時一騎打ちが通常の戦闘だったアラブに於いて、攻城戦と言う概念は乏しく、攻め込んだマッカ軍は塹壕の攻略に戸惑い、持久戦による厭戦の機運が高まり、三週間後には撤退せざる得ない状況に陥りました。こうして預言者ムハンマドの軍勢は圧倒的なマッカ軍を撃退し、逆に圧倒的な軍勢で攻め込みながら退却したマッカ軍は大きく権威を失墜しました。
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以降マッカ軍はアル・マディーナに攻め込む余力無く、逆に預言者ムハンマドの軍勢は日に日に力を増し、630年、遂に預言者ムハンマドは1万人の軍勢を率いてマッカに進軍。マッカ軍はこれに抵抗出来ず無血開城、聖地奪還を果たしたのでした。此処トレンチ・バトルフィールドは彼等が攻勢に転じたターニング・ポイントとなった地です。と言う訳で7つのモスクが記念として建てられました。その中心となるのが一番大きな白亜のモスク、アルファス・モスクです。
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アルファス・モスクの周囲を取り囲む様に5つの小さなモスクが残ります。モスクと言うよりお堂と呼んだ方が解りやすいかと思います。それぞれのお堂には、5人の重要人物の名が冠されています。
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先ずは第一にこの戦いのMVP、塹壕を築いたサルマン・アルファルシ・モスクです。続いて初代カリフの名を冠したアブー・バクル・モスク。そして二代目カリフウマル・イブン・ハッターブ・モスク。4つ目は4代目カリフ、アリー・ビン・アビ・タリブ・モスク。最後の一つが預言者ムハンマドの娘として4代目カリフ、アリーの妻、ファティマ・アル・ザーラ・モスクです。
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因みに何故セブン・モスクスなのに6つしかモスクが無いかと言えば、先に紹介したギブラタイン・モスクを含めてセブン・モスクスと呼ぶと言う説もあります。
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因みに気づいてしまった大きな謎があります。預言者のモスクのアル・マナカ・スクエア周辺には一代、二代、四代目カリフの名を冠したモスクがありましたが、三代目カリフであるウスマンの名を冠したモスクを見つける事が出来ませんでした。これは私が見つけられなかっただけかもしれません。しかし此処セブン・モスクスでも三代目ウスマンの名を冠したモスクはありませんでした。此処は数が決まった中でいない訳ですから見逃しではありません。どうしてウスマンがいないのでしょう?
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イチオシ
ウスマンは嫌われている?駄目カリフだった?そんな筈は無いと思います。三代目カリフ、ウスマンは語学力に富んでおり、彼の時代にクルアンが編纂されました。オスマン帝国の初代スルタン、オスマン1世のオスマンもアラビア語名のウスマンに因んでいる筈なのです。そんなカリフが何故アル・マディーナでは無かった様な扱いなのでしょう?解る方いらっしゃいましたら是非教えてください。
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トレンチ・バトルフィールドを後にします。ふり返れば山の頂上にも、何やら構造物が建っています。
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アル・マディーナは四方を岩山に囲まれ、こじんまりとした大きさの街です。
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10番乗り場クバー・モスクで最後の途中下車をします。
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クバー・モスクは預言者ムハンマドがアル・マディーナに移住した(ヒジュラ)622年、彼が移り住んだこの街のクバー村に彼自らが礎石を置いたうえで築かれた最初のモスクです。
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アル・マディーナに訪れた巡礼者が預言者のモスク参拝後、次に訪れるモスクが此処だと言われます。そんな事もありモスクの周囲にはガイドさんが巡礼者さん達に熱弁を奮う光景を見受けました。
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規模はアル・マディーナで預言者のモスクに次ぐもので、均整の取れた美しいモスクでした。因みに集まっている鳩の数も預言者のモスクの鳩の数も預言者のモスクに次ぐ様に感じました。
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10番乗り場でホップオン・ホップオフ・バスのルートを外れ、ウーバーを使って郊外に出かけました。もうアル・マディーナを覆う外周の岩山に程近い場所です。
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私が訪れた目的は此処、ミカート・ドゥ・アル・フライファ(ミカート・モスク)です。ムスリムはjマッカへの巡礼の際、イフラームと呼ばれる特殊な服装に着替えます。日本に例えれば四国88か所のお遍路さんが巡礼服に着替え、様々な制約を受けながら巡礼する様な感じです。その巡礼服に着替え、巡礼モードに入る場所をミカートと呼びます。イフラームに入った男性はホテルのバスタオルを盗んで肩にかけている様な姿なので簡単に見分けられます。預言者のモスク付近、ハラマイン鉄道の乗客でも多く見受けました。
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そんな訳で、モスクからはバスタオルを羽織った様なイフラームに入った男性が出入りしていますが、当然非ムスリムの私が入場出来る訳ではありません。ミナレット・マニアの私はこのミカートのミナレットに非常に興味を持ったのです。角柱状のミナレットの外側に螺旋階段が設けられており、上部は円柱状となり、螺旋階段がその頂上まで到達しています。
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この外側に螺旋階段を持つミナレットは非常に珍しいタイプのミナレットであると共に非常に由緒あるミナレットでもあります。その原型はイラクのサーマッラーに残るアッバース朝時に築かれたモスクのミナレットにあります。此方は根元から円柱状に築かれ、上部へ登る程細くなるデザインで、古代バビロニアのジグラットをモデルにしたと言われています。
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此方はカタール・ドーハのシェイク・アブドゥラ・ビン・ザイード・アル・アムード・イスラーム文化センター。近代建築ですが、此方はほぼほぼサーマッラーのミナレットをモチーフに建てられたものであると言えます。
(対応旅行記)
https://4travel.jp/travelogue/11271241 -
歴史的建築で言うとエジプト・カイロに残るトゥルーン朝時代に建てられたイブン・トゥルーン・モスクが有名です。小振りながら円柱状のミナレットの外側に纏わりつく様に螺旋階段が設けられています。登る事も可能で、天辺からはカイロ旧市街を見渡す事が出来ます。
(対応旅行記)
https://4travel.jp/travelogue/11784668 -
このミカートでは下方が角柱状、上方は円柱状で外部に螺旋階段を持つ非常に珍しいタイプのミナレット。勿論私が初めてお目にかかるタイプのミナレットでした。
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ウーバーを利用して工事中で欠番中のヒジャーズ鉄道駅に向かいました。ウーバーの車内には、なんと浦和レッズのグッズが飾られていました。思わず
「東京の近くのチームだよ!」
と私が言うと、なんと
「レッズは東京じゃない!埼玉のチームだ!」
と、叱られてしまいました。サウジアラビアのレッズ・ファンも熱い面々が揃っている様です。
それにしても埼玉県民の方々、紛らわしい発言、どうかお許しください。 -
ヒジャーズ鉄道はオスマン帝国がアラビア半島を支配していた時にシリアのダマスカスから此処アル・マディーナ迄走っていました。オスマン帝国もムスリムの国ですから、マッカへの巡礼の為もあったでしょうが、それ以上にアラビア半島支配を強固にする為の戦略も多分に含まれていた事でしょう。現にアラビアのロレンスがヒジャーズ鉄道を襲うシーンは有名です。
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現在はリノベーション中で中の見学は出来ませんが、覗いてみれば奥の方に機関車が停まっていました。あれに乗ってダマスカス迄行きたいなぁ!
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ヒジャーズ鉄道駅の脇にはオスマン帝国が築いたアンバリヤ・モスクが残っています。多く語らなくともオスマン帝国独特の鉛筆状のミナレットが制作者の名を雄弁に語っています。
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ヒジャーズ鉄道駅から預言者のモスクが見えました。私的には徒歩圏内です。
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犬も歩けば棒に当ります。何やら由緒ありそうな小さなモスクを見つけたので調べてみればウマル・イブン・ハッターブ・モスク。二代目カリフの名を冠したモスクでした。
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アル・マナカ・スクエアに戻って来ました。
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一旦ホテルへ戻って一服しました。余りの眺めの良さに部屋から出難くなってしまいますが、もう一度散策に出かけましょう。
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預言者のモスクは勿論の事、多くのモスクはムスリム限定の場合が多いです。此等の事からイスラームは排他的と捉える人もいるかもしれません。しかし、これには理由があります。
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教会や寺院、神社は常時聖なる場所ですが、モスクはマッカに向かい礼拝を行う場所に過ぎないので、礼拝が終われば別の役割を果たします。それはムスリム達にとって安全な場所としての機能です。綺麗に磨かれた中庭は子連れの母親にとっては公園として機能しますし、オッサンにとっては昼寝の場所です。オバサン方にとっては世間話に花を咲かせる場所かもしれません。
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でもそれは、平穏が保たれてからこそ成り立つ事であって、何処の誰とも知れぬ異教徒がふらついていたり、観光客が物珍しそうにカメラをバシバシ写していたら寛いでいたり出来なくなってしまうでしょう。
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例えば空港のラウンジで寛いだ時間を過ごせるのも、其処が一定の人々に限定された場所だからこそです。其処に入る資格の無いバックパッカーの私がラウンジに突入して写真をバシバシ写していたら、出ていってください!となるでしょう。でも、別にラウンジを利用している旅人さんが排他的となる訳では無い様に、ムスリムが排他的な思いで異教徒を排除している訳では無いのです。
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イチオシ
も、勿論私も預言者のモスクを目前にして、入りたい想いは人一倍です。是迄この街はムスリム・オンリーだったので、モスクの入場時にチェックがある訳ではありません。私の身なりなら、間違い無く入場出来るでしょう。でも、だけど、大好きだからこそ、其処はしっかり手順を踏んで、ルールに従っていたいと思うのです。
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こんな性格だから、婚期を逃してしまうのでしょう(笑)でも結婚したら、大好きな一人旅が出来なくなってしまいます。それは死んだも同然です。人一倍不器用なんです。
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いつか必ず戻ってきます。その時は正々堂々此処に入れる立場となって…。
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預言者のモスクの南東の角、ホップオン・ホップオフ・バスの2番バス停アル・バキー墓地の角を曲がった時、それまで固く閉ざされていた墓地の入口が開いていました。これなら遠目に墓地を眺められるかもしれません。入口に近づいた、それが間違いでした。
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あれよあれよと参拝の大行列に巻き込まれて後戻り出来なくなってしまいました。一方方向の強い流れに逆行する事は思わぬ事故に繋がりかねません。
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周囲は全てムスリムさんだけ、そして定間隔に迷彩服姿の警官さん?それとも軍人さん?兎に角預言者のモスク以上の警戒体制です。
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それにはこの墓地で起こった近世の事件が要因となっていると思われます。
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イチオシ
現在預言者のモスクを管轄にしているのは当然サウジアラビアですが、サウジアラビアはスンニ派の中でも厳格なワッハーブ派を信仰しています。ワッハーブ派は墓地の装飾さえ嫌った事で、それまで高貴な墓に施されていたクッパと呼ばれる廟を尽く破壊してしまいました。
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それに激しく反発したのはシーア派を信仰するイランでした。シーア派はカリフの後継争いに4代目カリフのアリーの血筋こそ正統だと称えて、世襲制の王朝を開いたウマイヤ家と反発し分派しました。
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預言者ムハンマドの慣行、即ちスンニこそ最重要と考えるスンニ派と比べ、シーア派は血筋を重要視しました。そんなイスラーム初期の人物が多く眠るこの墓地の廟が破壊されたのですから、シーア派が怒るのも無理は無いかもしれません。
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これはサウジアラビアとイランの反発の構図の一因とさえなりました。そんな理由もあり、多くのシーア派が参拝に訪れるだろうこの墓地は厳戒な警備体制なのでしょう。勿論政治を抜きにしてもイスラーム全体にとって最重要な墓地であり、預言者ムハンマドの娘であり、4代目カリフ、アリーの妻であるファティマも此処に眠っています。
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ピリピリとした緊張感の中、なるべく隊列を乱さない様に、列の外側に出ない様に行進を続けました。
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パキスタンで買ったパンジャピーを着用して、顎髭を蓄え、マレーシア人に一番間違われる風貌が幸いして上手く溶け込めてはいる様です。でもだからと言って猛省すべき案件には間違いありません。
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こんな事ウズベキスタン以来です。ティムール廟で、観光客がサァっと引いたのに気付かずに、参拝のムスリムさんにも気づかれる事無く、イマームの説法が始まってしまったのです。見よう身振りで緊張した時を過ごしました。
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少し落ち着きを取り戻し、周囲を確認すれば、参拝するムスリムさんもスマホを高く掲げ写真を撮っています。僭越ながら私もそれに倣わせて頂きました。
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しかしこれはどの様な事だったのでしょう?通常は閉鎖されていましたし、現在も遠く入口を見渡せば、最早其処に人影はありませんでした。ほんの一定時間に催された礼拝なのかもしれません。因みに女性は皆無でした。これも女人禁制なのか時をずらして催されるのか不明です。
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是迄ルールは遵守してと自分を戒めてきたと言うのに、とんだ大失敗であり最早人にとやかく言う資格はありませんが、もしこの様な機会に遭遇した時は、この墓地の歴史的、宗教的、政治的重要性を鑑みて、是非慎重で賢明な判断をして欲しいと思います。
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預言者のモスクのすぐ脇に位置していると言うのに関わらず、まるで異世界に紛れ込んだかの様な世界観です。浮足立った様な足取りで先に進みました。
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あれ?一際大きな墓石がありました。構造物があった様な形跡も残っています。
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特別な人物が此処に眠っているに違いありません。どなたでしょうか?
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預言者のモスクが近づいてきました。ゴールが近づいてきました。ホッと胸を撫で下ろす様な気分と、物凄いものを見てしまった時の充実感が入り混じります。いや、なるべく早く元の世界に戻らねばなりません。此処は死者の場所です。私のいるべき場所ではありません。色々な意味で…。
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俗世に生還を果たしました。この経験を記事に挙げるか悩みましたが、アル・バキー墓地の資料的重要性と私の大失敗談としてアップしました。御理解頂けると幸いです。
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アル・マディーナを目指す旅人が、先ず最初に預言者のモスクを目にするだろうウフド・ゲート迄戻って来ました。
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ふり返ればウフド山の戦跡。
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ゲート前には御当地アラブのムスリムの他各地のアジア人、アフリカ人のムスリムが結集し、イスラームの中心にいる事を実感します。
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イチオシ
そんなゲート前で私はインドネシアから巡礼の若い夫婦と知り合いました。ひとしきり会話が弾んだ後、彼は私に問いました。
「貴方はいつマッカを目指しますか?」
この街に巡礼に訪れるムスリムなら必ずやマッカを目指しますから。 -
この街に訪れて私は初めて他人に非ムスリムである事を打ち明けました。是迄ずっとイスラームをテーマに旅を続けて来た事。各地でムスリム達の親切を頂き、更にイスラームが好きになった事。残念ながら未だアラビア語が読み解けずクルアンを解読出来ぬ事。
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もし、それが叶ったならば、その時こそハッジとしてこの街、そしてマッカを目指そうと思う事。
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「待っていますよ!」
と笑顔を残し去ってゆく夫婦を見送りました。 -
ウフド山を目指す様に巡礼者の群れの中に消えていった若い夫婦を見送り振り返れば、空は青味を増してミナレットのライトアップが始まっていました。特別な一日が終わろうとしています。
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私は空が青から漆黒に変わる迄、只々モスクを見惚れていました。
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陽が沈み切ったのでもう一度ホップオン・ホップオフバスに乗車します。
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途中我がホテル、プルマン・ザムザム・アル・マディーナの近くを通りました。
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預言者のモスク周辺は小さなお店がいっぱい並びます。お土産屋、貴金属屋、飲食店…何でも揃います。
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2番アル・バキー墓地駅。本日最後の礼拝で多くのムスリムで熱気が凄いです。
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アル・ガマーマ・モスクがおわす3番乗り場アル・マナカ・スクエア。
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ふり返れば預言者のモスク。
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四つのゲートを周った後は郊外に出て、先ずはウフド戦跡に建つサイード ・アルシュハダ・モスクのライトアップを眺めます。
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6番乗り場アル・ヌール・モールで下車して同名のモールを散策しました。
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モールはリヤドやジェッダにある様な高級ブランドが並び建つ様な趣向では無く、カジュアルな趣向のモールでした。スーパーも入っていて、流石預言者ムハンマドが愛したアル・マディーナ名物であるデーツの品揃えも充実しています。
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勿論フードコートもありました。サウジアラビアは気候や味覚が合うのかアメリカのジャンクフードのチェーンが数多く入っています。珈琲も良く飲むのであちらこちらにスターバックスがあります。アル・マディーナだけでも数軒入っています。でも私は意地でも食べません。飲みません。折角なので地元産のものを飲食したいから。
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聖地にダイソーがありました。
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ギブラタイン・モスクのライトアップ。
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此方は通りすがりのモスクです。
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トレンチ・バトルフィールドのアルファス・モスクのライトアップ。
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最期にクバー・モスクのライトアップを眺めつつ預言者のモスクに戻ります。
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本当はそのまま乗車して2番か3番の乗り場から下車すればホテルに近いのですが、折角なので夕食を買いつつ預言者のモスクのライトアップを眺めながらモスクを半周しつつホテルへ戻りました。
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今日一日を振り返りながら、様々な事に想いを馳せて、何度も歩いたこの道を歩きながら自分なりのイスラームの核心を歩いて導き出した結論を整理しました。
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北西の角を曲がります。モスクには入場できないので、この巨大なモスクを一定方向に何周もしました。まるで違った宗教の礼拝方法の様になってしまいました。
チベット仏教では寺院や聖体を周る場合は必ず右回りに回ります。 -
南へ進み、南西の角にはアル・マナカ・スクエアが見えてきました。此処で最後の晩餐としましょう。
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初代カリフ、アブー・バクルの名を冠したモスクです。
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アル・マナカ・スクエアで和んでいるとラスボス感満載の黒猫の大将がやってきました。気が無いふりしてお布施をよこせとオーラを出しています。勿論チュールをお布施します。食べ方もがっつく雑魚キャラと違って
「良きかな!良きかな!」
と貫禄タップリでした。 -
さて、北西のアル・マナカ・スクエアの角を曲がれば後はホテルを目指すのみ、イスラームを旅してきた私にとっての特別な一日が終わります。核心の旅を纏める時間が訪れました。これ迄ゴーダマ・ブッダ、イエス・キリストと名だたる聖人の足跡を旅しました。彼等は真に聖人らしい聖人でしたし、彼等の足跡には有難い奇跡や物語がありました。さて預言者ムハンマドの活躍したアル・マディーナを周ってみれば二つのモスクと二つの戦跡…。
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そうです。預言者ムハンマドは他の聖人とは少し違った顔を持っています。戦国武将としての顔です。預言者ムハンマドは軍を率い、戦略を練り、自ら剣を振るい戦いました。預言者ムハンマドがマッカから此処アル・マディーナに移住した、その時からイスラームの暦(ヒジュラ暦)は動き出します。
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今日見て来た通り、彼はこの街で大敗を喫し、そして大勝利を治めました。今後イスラームの隆盛を築いていく仲間達との出逢いもあったのはこの街です。聖地奪還を果たした預言者ムハンマドはその後順調にアラビア半島の隅々までイスラームを広め、後事を後継のカリフ達に委ね、この街アル・マディーナで眠りに就きました。この街には預言者ムハンマドの生き様がビッシリと根付いています。
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預言者ムハンマドの生き様、それは預言者ムハンマドの行動であり、言動であり、判断と言えます。それらをムスリムはスンニと呼びます。そのスンニを纏めたものをハディースと呼びます。即ちハディースは此処アル・マディーナで産まれたと言っても良いのでは無いでしょうか?
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イスラームの聖典は預言者ムハンマドがマッカにて天使ジブリールを介してアッラーの言葉を預かったクルアンと、預言者ムハンマドが執った言行、即ちスンニを纏めたハディースの二つから成り立っています。
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ムスリムは迷った時の判断基準をアッラーの言葉であるクルアーンに求めますが、クルアーンは神の言葉であるが故、抽象的だったり、言及されていない事柄だった場合、その答をハディースに求めます。即ち第一の聖典がクルアンであり、第二の聖典がハディースと言う事になります。
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此処迄考えて鈍感の私も漸くピンときました。第一の聖地マッカと第二の聖地アル・マディーナ。つまり預言者ムハンマドがアッラーの言葉を預かった地と世預言者ムハンマドが最大の言行を残した地。そして第一の聖典クルアーンと第二の聖典ハディース。即ちイスラームの聖地と聖典はそれぞれ呼応した存在だと言う事です。
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良くアル・マディーナを「預言者ムハンマドが眠る街」として第二の聖地とされている。」と紹介されている事が多いかと思います。でも私は何処か違和感を感じていました。いや預言者ムハンマドが埋葬されている事も当然重要なのですが、それだけでは足りないと言うべきか、他にもっと何かあるんではなかろうかと。
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そんな疑問を抱きながらイスラームの核心たる街を歩いて私が辿り着いた確信。それこそが先に述べた事となります。即ちイスラームの第一の聖典と第二の聖典、それに呼応する其々の所縁となったマッカとアル・マディーナが第一の聖地と第二の聖地と呼ばれる様になったと言う事です。
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だからクルアンとハディース、どちらが欠けても聖典が成り立たないのと同様、マッカとアル・マディーナは対となる存在でありどちらが欠けても成立しない、イスラームにとって最重要な聖地なのです。マッカとアル・マディーナ、二つの聖地を合わせてアル・ハラマインと言う一つの言葉で呼ばれます。現在では二つの街を結ぶ高速鉄道の名称にも使われています。
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これは只のイスラーム好きの旅人の辿り着いた独りよがりな妄想に過ぎないかもしれません。若しくはムスリムなら当然解りきっていた事で、それだけか?と失笑される事かもしれません。でも丸一日、この聖地を自分自身の足で歩き、自分自身の目で眺め、足りない脳味噌を駆使して考えて、漸く導き出したこの答。そんな自分なりの謎解きも旅の醍醐味だと思うのです。
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特別な一日が終わりました。特別な一日の為に必死に予習し、そしてこの日を迎え、そして謎解きを楽しみながら、自分なりに答を導き出してスッキリした気持ちで一日を終える事が出来たと思います。そしてこれを書きながら復習も叶いました。兎に角大興奮の一日でした。
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イチオシ
部屋に戻れば眩いばかりに輝く預言者のモスクが出迎えてくれます。部屋の灯りが窓ガラスに反射しない様、最小限の照明で過ごします。
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世界中のムスリムが平和な夜を過ごせます様に
السلام عليكم -
本当に、本当に、素敵な一日を過ごせました。
ٱلْحَمْدُ لِلَّٰهِ
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