2012/11/20 - 2012/11/20
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さっくんさん
さて、再び過去旅から旅行記を紹介します。
2012年9月私はアフリカ・タンザニア沖に浮かぶ島ザンジバルを旅しました。
https://4travel.jp/travelogue/11206989
ザンジバルはアラブと貿易風を利用した海洋貿易で繋がり、アラブとアフリカの文化が融合して出来上がったスワヒリ文化の発祥の島です。アラブの香りが残るストーン・タウンの街並み、其処に残る重厚な歴史、そして美しいビーチ。フレディ・マーキューリーの古郷でもあるザンジバルを堪能しました。その中でそのアラブの国は現存する国、オマーンである事も知りました。そのオマーンと言う国はいったいどんな国なのでしょう?そう思ったら居ても立ってもいられません。二ヶ月後私はオマーンに向かいました。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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エディハド航空でオマーンの首都マスカットへやって来ました。同じ年に訪れたザンジバルとの交易で莫大な繁栄を築いた海洋交易国家です。いったいどんな国なのでしょうか?
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オマーンの首都マスカットは大きく三つの地区から成り立っています。先ず空港からマスカットの交通の要衝、内陸部のルイ地区に到着しました。そこから滞在する為にマトラ地区へ移動します。写真はスルタン・カブース・モスク。(グランドではありません。)
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マトラ地区のコルニーシュ(海岸通)にやって来ました。素敵な眺めです。
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マスカットは王宮のあるオールド・マスカット、内陸の商業地区ルイ、港湾部のマトラと大きく分けて三つの地区に分かれます。
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ルイ地区は内陸部に位置し、交通の要衝ではありますが見所には乏しいです。オールドマスカットは旧市街と言う風情では無く、王宮に伴う官庁街的な地区。滞在するなら海岸沿いに位置し、賑やかなスークもあり、風光明媚なマトラ地区が良いと思います。
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オマーンはU.A.Eやカタール等とは違い歴史の古い王国です。貿易風を利用してアフリカのタンザニア沖に浮かぶザンジバルとの香辛料貿易で繁栄しました。
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内紛によるオマーンとザンジバルの分裂、スエズ運河開通と蒸気船の出現によりオマーンの海洋交易は衰退、大戦後迄イギリスの保護領となりました。
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戦後は一時鎖国状態の時もありましたが、石油の採掘に成功し、伝統文化を守り、中東でも穏健な国家として順調に成長を続けています。UAEやカタールとは違い、伝統を守る事に重きを置いた事が日本に於ける認知度の低さに繋がっているのでしょう。
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大型船が停泊しています。何処へ向かうのでしょう?
オマーンの人々はほぼムスリムが占め、6割がイバード派残りの殆どがスンニ派と言う構成です。
イバード派は極少数派ですが歴史は古く、イスラーム創成期に遡ります。簡単にイバード派の歴史をふりかえりましょう。 -
心地良い海風を受けながらコルニーシュを散策します。
預言者ムハンマドの死後、彼の近親の者達がカリフとして入れ替わりムスリムを引率していく事となりますが(正統カリフ地代)、それはイスラームが急拡大した時代であると共に、イスラームの正統性を巡り内紛の絶えない時代でもありました。 -
中央に建つモスクがコルニーシュのアイキャッチとなっています。マトラのシンボルです。
その中でも4代アリーと、その後ウマイヤ朝を開く事となるムアーウイアの対立は、シーア派とスンニ派に分派する発端となりました。 -
何を写しているのかな?
そのアリーが一時期ムアーウイアと停戦しますが、アリーの部下の武断派がそれを由とせず離反しました。彼等は、ハワリージュ派と呼ばれましたが、やがて6つの派閥に細分化されました。その中の穏健派の一派がイバード派と言う事になります。 -
魚河岸を訪れました。
続いてアラビア半島の地図を見ましょう。当時のアラビア半島の中心と言えるマッカを含むヒジャーズ地方から、現オマーンの首都マスカットヘ目指そうとすれば、広大な砂漠を渡った先にアラビア海目前に岩山の山脈が立ちはだかります。当時は現UAEの海岸線辺りから大きく迂回して海岸線を東に進むしかありませんでした。 -
モスクのミナレットと遠くにマトラ・フォートの見張り塔。
現在は漸くサウジアラビアから直接オマーンへと続く道が開通したそうですが、今も尚行き来する人は少ないと聞きます。こうして広大な砂漠と山脈により、アラビア半島内陸部とマスカット周辺は地理的に分断されていました。これは少数派として迫害を受けていたイバード派にとっても、オマーン国にとっても、重要な地理的要因となった事でしょう。 -
スークの入り口です。日が暮れたら訪れましょう。
しかしながら、アラビア海と山脈に挟まれた平地は僅かで、しかも灼熱の渇いた大地。国の繁栄を求めるには彼等の進むべき道は海だけでした。こうして彼等は貿易風に乗って東アフリカに進出。ザンジバルを取得し、スパイスの貿易により海洋国家として発展を遂げる事になるのです。 -
マトラ・フォートの下を通り過ぎます。
その経緯は、遥か昔、蛮族の侵入により、人の暮しに適さないラグーナに逃げ延びたベネト人が、ラグーナでは農業も牧畜もままならなかった為、海洋交易に生き延びる手段を求めたが故に、世界屈指の海洋国家、ヴェネツィアへと成長していった、その歴史を彷彿させます。如何せん、背水の陣で生きる術を見出した民族の力強さを痛感します。
ヴェネツィア発祥地、トルッチェロ島の旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11409370 -
マトラが遠くなっていきます。
さて、イバード派ですが、アラビア半島を抜け出して各地に散らばった人々も数多くいました。私の旅行記の中でも取り扱った筈…と思い読み返して驚きました。それは、つい最近、22年に訪れたアルジェリアのムザブの谷に暮す人々でした。 -
海岸線を進みます。
故郷アラビア半島から遥か西方のマグレブの大地。他宗派が多く暮す海沿いから離れたサハラ砂漠の入口のムザブの谷に厳しい戒律の下、他部族と隔絶して暮すイバード派の人々が暮す街を訪ねました。
ムザブの谷の旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11780026 -
荒々しい地形になってきました。
オマーンに暮すイバード派の人々は、ムザブの人々程の戒律の厳しさは感じませんが、伝統を重んじ、キッチリと民族衣装で身を固め、穏健派と言われる所以が理解出来る雰囲気を醸し出していました。 -
目前には紺碧のアラビア海。
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もう振り返ってもマトラが見えなくなりました。
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岩山が海に落ち込む光景を眺めつつ散歩を続けます。
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磯釣りしたら大物かかりそうだなぁ!
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素敵な岩場の海岸線です。積丹とか思い出すなぁ。
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遠くに小さく街が見えます。あそこ迄行ったら先ず水分補給です!
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オールド・マスカットが見えてきました。
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岬の先の断崖絶壁の上に見張り塔が建っています。
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オールド・マスカットの城門を潜ります。
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また城門がありました。オマーン国立博物館でもあるそうです。
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またまた城門がありました。
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漸く見えてまいりました。オールド・マスカットの王宮です。
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オールド・マスカットに建つ王宮アラム・パレス。
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両側に迫る岩山には砦、アル・ミラニ・フォートが築かれていました。
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スルタン・カブース宮殿。空の青と砂色一色の世界に純白が真に映えます。
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マスカット・ゲートを出ました。博物館にもなっている様です。
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帰りは内陸の山道を歩いてマトラに戻ります。振り返ればオールド・マスカットの街並みが。
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オールド・マスカットが遠ざかっていきます。
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マトラが見えてきました。
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禿げ山が夕陽に照らされています。
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マスカットに夕陽が沈みます。
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モスクのシルエットが影絵の様です。
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イルカが二匹絡む銅像と夕陽。
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暮れなずむマトラのコルニーシュを散策します。
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海辺に建つ東屋?のライティングもお洒落です。
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マトラのアイキャッチのモスクのドームもライトアップが始まりました。
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すっかり日も暮れてまいりました。波の音が穏やかに響きます。
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マトラの街もすっかり夜景です。
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マトラ・スークに入ります。
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入り口こそ狭いですが、中は枝分かれして、結構広そうです。
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一定間隔で広場状のスペースがあり、まるで蟻の巣状にスークが拡がっています。
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奥へ分け入っていきます。
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再び分岐です。どちらに進みましょう?
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ちゃんとマーキングしておかないと出口に戻れなくなりそうです。
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途中にも小さな門がありました。未だ未だ奥深いです。
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さらに奥へと探検しました。
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アラジンのランプです。ハクション大魔王思い出します。
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あ!やっと探していたもの見つけました!右手上の方の水色のモスクの形をしたと目覚まし時計です。セットした時間になんとアッザーンが流れるんです!
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結局違うゲートから出てしまいました。
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マトラの夜も更けてきました。ホテルへ戻りましょう。
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夕食はパキスタン系の移民さんのお店でカレーです。アラブ人はふんだんに香辛料を使いますが、実は日本人同様辛さは苦手です。決して香辛料=辛さでは無いのです。でも、パキスタン人は辛いの大好きです。でもパキスタンのままアラブで料理するとアラブ人は食べられないので、だいぶマイルドにしてサーブされます。日本人には助かりますが、パキスタン人からしてみると、「こんなのカレーじゃない!」らしいです。因みに私は「では本気でかかってこい!」本場の辛さも大丈夫です。
お腹いっぱいになったら買ったばかりのアッザーンが流れる目覚まし時計をセットして、おやすみなさい!
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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