2023/10/05 - 2023/10/05
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/10/05
この旅行記スケジュールを元に
「トプカプ宮殿」へ来たのは今回が3回目でしたが4年前の前回は「ハマム」をメインに見学して、工事中だった宝物館はほとんど見ることが出来ませんでした。ちょうど貸し出されていたダイヤモンドと短剣が戻ったタイミングだったのでそれだけはラッキーでした。同じトラピックスのトルコ15日間のツアーは2本催行されたのですが、1週間先にスタートしたもう1つのツアーでは宝物が戻っていなかったりネムル―ト山では雨が降ったりとか散々だった話が添乗員さんから伝わってきました。その前は1997年の26年前に宝物館を見て以来なのでほとんどの展示品に記憶はありませんでした。逆に明や清の時代の数千万円しそうな大皿や壺が埃を被って乱雑に置かれてあるのが印象に残っています。今回はそんな中でも記憶に残っている86カラットのスプーンダイヤモンドやエメラルドの短剣と再会することが出来ました。また以前は全く興味の無かったスルタンのカフタンという意福やその家族の服なども興味深く見ることが出来ました。前回と今回で「トプカプ宮殿」のお宝の展示されているものの多くは見ることが出来ましたが、中国陶器と日本の陶磁器を見逃したのはやっぱり残念でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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「皇室ワードローブコレクション」だけの博物館に入ってみます。以前来たときには全く見ることのなかったものですが、妻が興味深く見ているので一緒に見ているうちにその魅力に引き込まれます。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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オスマン帝国のテキスタイルアートの最高傑作といえるスルタンの衣服コレクションには15世紀後半から20世紀初頭にかけてのスルタンや諸侯の衣服が含まれています。スルタンの衣服の装飾パターンは宮廷の芸術家や宮廷で働く職人の大部分を占める宮殿の細密画家によって作成されました。スルタンの衣服はセラセルの布のほかにベルベットや隆起したデザインのチャトマベルベット、ケマハ、ベルベットパイルなどの高価なシルクで作られていました。
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スルタン・アフメト3世の時代には金糸や銀糸を大量に使用した重くて高価な布地はサテン、タフタ、ゲジ(厚く織られた絹の布)、カンフェ(薄いタフタ)、サンダル(綿と絹の混合物)、ゲレムスットの絹、セリミエ(イスタンブールのセリミエ兵舎近くの工房で作られた絹の布)などの軽くてシンプルな布地に置き換えられました。
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こういった肖像画を見ることはありましたが、彼らの着ている衣装を見るのは初めてでした。またたいていの国では古い衣装はボロボロだったり変色していて、肖像画のような美しい女性が来ていたのだろうかと思うとギャップが大きくて見なければ良かったと思うことが多々ありました。ところがこの博物館に並ぶ衣装のほとんどが非常に状態の良いもので、見ていても楽しいし魅了されるものでした。
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オスマン帝国のスルタンにとって帽子は衣装を完成させるだけでなく、重要なステータスシンボルとしても機能しました。儀式やレセプションの日にはスルタンはホラサニー、ムチェブヴェゼ、セリミー、カティビーと呼ばれる帽子を被っていました。
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オスマン帝国の帽子のもう1つの重要な部分はフェズでした。1827年にスルタン・マフムード2世はイェニチェリ軍団を廃止し、アサキール・イ・マンスール・イ・ムハンマド(ムハンマドの勝利の兵士)と呼ばれる新しい軍隊を設立する勅令を発しました。
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その後に新しい服装規制が導入され、すべての州職員と宗教学者にフェズの着用が義務付けられました。スルタン・マフムード2世のこの服装改革は彼がオスマン帝国の構造にもたらした根本的な変化を促進する手段として役立ちました。フェズの導入により他の種類のヘッドギアはステータスシンボルとしての機能を失いました。
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トプカプ博物館はトルコの織物とカフタンの世界最高のコレクションを所有しています。これは主に、スルタン・メフメット2世の時代以降のオスマン帝国の各スルタンのカフタンが伝統的に宮殿の宝物庫に保存されていたという事実によるものです。19世紀末以降スルタンのカフタンは国庫の外交官の賓客に披露され、この慣習はオスマン帝国時代後期から共和国に引き継がれました。
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テキスタイルコレクションには子供用カフタン、儀式用および日常用のカフタン、シャツやパンタロン、帽子、ポーチ、ターバンなどの王室の衣装のアイテム、キルト、シーツ、祈りの敷物、装飾的なクッションカバー、壁装材、床敷物などの家庭用布地が含まれます。
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日常着のカフタンは持ち運びに便利で、モチーフや装飾がシンプルでしたが儀式用のカフタンは貴重で人目を引くものでした。冬のカフタンは厚い布でできており、アーミン、セーブル、テン、キツネなどの毛皮がよく使われていました。
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カフタンは袖が長く前が開いているアロベのような衣服で、他の衣服の上に着用されました。カフタンの布はトルコ起源のもので、ブルサ織られたものが縫製のためにイスタンブールに送られました。スルタンが亡くなると彼の服はラベルが貼られ、宝物庫に大切に保管されました。これは湿気から保護するために毎年春に取り出して虫干しされたという事実とともに、これらの壮大な衣服が今日驚くほどよく保存されているという結果になりました。
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15世紀の小さな粗雑な模様は16世紀に発展し、デザインは17世紀にピークに達しました。これらの世紀に最も頻繁に使用されたモチーフは、チューリップやカーネーション、ヒヤシンスやザクロや鹿でした。
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ほとんどのカフタンは地元産の布で作られていますがコレクションにはイラン、イタリア、スペインのものも含まれています。オスマン帝国の宮殿が海外から布を注文したという記録があります。また「トルコの布」、特にケマハと呼ばれる錦織が教皇の祭服に使われていたことも分かっています。このような布はオスマントルコに注文され、ヨーロッパで織られて十字架やその他の適切なモチーフで刺繍されました。
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衣装コレクションの最も重要な部分を構成するこれらの高級衣服は、これらの名前で保管されている各スルタンの死後に個別にラベル付けされているため、各カフタンが誰に属していたかがわかります。したがって、スルタン・メフメット征服王の時代の15世紀から20世紀のスルタン・メフメット5世の時代まで、そのほとんどをさかのぼることができます。スルタン・マフムート2世の時代にスルタンが採用した西洋の服装は、その後に伝統的なカフタンとヨーロッパ風の服装の両方が保存されていきます。
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カフタンの特定の細部の形を除けば何世紀にもわたってほとんど変化しなかったことは、皇帝のコレクションからも分かります。スルタンはフルスカートのカフタンに硬い黄身の上着を着ており、前身頃は長袖で袖は無地の絹で裏打ちされていました。儀式用のカフタンはより装飾的で堂々とした外観で裾は長く、しばしば床を引きずり、細長い袖は裾の後ろに引きずり込まれていました。これらは儀式中に別々に取り付けられることもありました。冬のカフタンは、セーブル、アーミンリス、キツネ、マーティンで裏打ちされたり、綿でキルティングされたりして、夏の服と簡単に区別できます。
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皇帝の衣装の特にカフタンは、重い煙派という錦織で、無地でダブルパイルまたはキャットマベルベットである傾向があります。ケムハに分類される錦とは別に銀糸と金糸で細工された絹の錦には他にもいくつかの種類があります。
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「ベスト」16世紀から17世紀のシルクと綿の生地が使われています。
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「タリスマニックシャツ」は16世紀の綿織物で、金箔をふんだんに使いアラビア文字で埋め尽くされたシャツです。カフタン以外にも見たこともない衣類が並んでいます。
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「タリスマニックシャツ」
タリスマニックはお守りという意味があるので、このシャツを着たことにより悪い物から三尾守という考えがあったのだと思います。 -
全身に経文を書かれながら耳に書くのを忘れられた「耳なし芳一」の物語を思い出したのは今年の初めに門司と唐戸から壇之浦を旅したからかもしれません。
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広大な領土を誇ったオスマントルコですが、スルタンの心の内側を少し垣間見見たような気になりました。
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子供用のカフタンにたどり着きました。シルクと綿で織られた生地で縫製された16世紀から17世紀のもので、オスマン2世が来ていたものです。革製のサンダルも可愛らしいです。とても300年前のものには見えません。
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マフムード1世のローブは18世紀に造られたシルクと綿で作られています。
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スルタンの帽子の飾りも豪華です。4年前の旅で行ったサフランボルで入った宝飾屋さんではスルタンの皇妃の帽子の飾りをデザインしたターキッシュ・ルビーの付いたネックレスを妻にプレゼントしたのに着けているのを見たことがありません。もう1つのビザンチンデザインのネックレスも…。今回のクルーズで使わなかったらいつ使うつもりでしょう。
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2階へ上がる階段の踊り場には美しいイズニックタイルがパネルにして飾ってありました。「ブルーモスク」などでは離れた場所からしか眺められませんが、近くで見るとさらに見事なものです。
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お祈り用の絨毯にもあるミブラーフのデザインのようです。偶像崇拝が禁止されているイスラム教なのでモチーフは草花に限定されています。
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タイル装飾の歴史は古く、955年頃のカラハン朝の建築物にも使用されています。その後のオスマン帝国時代の15世紀から17世紀にかけて最盛期を迎え、さかんに生産されました。
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15世紀から16世紀にかけては、イズニックタイルの歴史では第一期とされています。このころは、緑や青、紺などを貴重としており、美しくもシンプルな色合いが採用されていました。16世紀半ば以降のイズニックタイルには、赤などの鮮やかな色も増えており、現在の色彩豊かな形へと変遷していきます。
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スルタンが巻いているいるのはターバンで、この刺繍されたタッケいう帽子を最初に被ってからその上にターバンを巻いていったのでしょう。18世紀のスルタンのセリム3世のものです。
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19世紀のオスマン帝国の軍服でフロッグコートとパンツ一式です。スルタンのアブドゥルメシドの持ち物でした。
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これだけ巨大な2フロアの空間が美しい衣装で埋め尽くされています。その全てが新しいガラスケースに収納されています。
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五色用のローブは18世紀から19世紀のスルタンバヤズィットの息子カルクドが着用していました。
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左と中央は18世紀後半のスルタンアブドゥルハミド1世の娘サリハ・スルタンのもので、女性用のローブです。
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子供用のフロックコートは19世紀後半のもので、ウールとシルクの混紡と禁止で作られています。ズボンとマントも同じ時代のものです。
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左のチャシュクと呼ばれるパンツは17世紀のものでシルクと綿の混紡と革で作られています。カフタンはスルタン・ムハド5世の息子のスルタン・洗えディンのものです。
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こんなパンツはここでしか見ることが出来ないのではないでしょうか。サルエルパンツとか80年代に流行ったハーレムパンツのことなど思い出してしまいます。
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子供用のカフタンは可愛らしいですが、生地もし盾も大人用と変わりません。60年近く前に父が香港へ行った帰りに子供用のチャイナ服を買ってきてくれてその服が大好きだったことを思い出しました。
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草間彌生のデザインのようなカフタンは16世紀の綿とシルクの混紡も生地です。
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セーブルの毛皮が見事です。まだ体験したことはありませんが、イスタンブールも「トプカプ宮殿」も寒かったのだろうなと思います。
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メストと呼ばれる革製のシューズの置き方が、履いていた人の人格を表すようで面白かったです。
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華やかな装飾を施した象牙製の化粧箱で、七宝の上に宝石を埋め込んだ美しいメダル状飾りがついています。構造は2層に分かれていて、上段には瑪瑙、オパール、金、七宝などで装飾された5つの小さな化粧品入れ用のスペースで、下段はロウソク立てとロウソク用鋏入れになっています。
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皇帝の母はハレムの最高位で、「母后」と呼ばれました。女性皇族に最初にスルタンの敬称がついたのは10代皇帝スレイマン1世の生母ハフサからでした。それまでは皇帝の母も「ハトゥン(Hatun)」とよばれそれほど権威はなかったようです。オスマントルコのハレムや中国歴代の後宮、江戸時代の日本の大奥も現代になってもテレビドラマになるほどの勢力争いや陰謀が渦巻いていたのでしょうか。
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意外に面白かった服飾博物館でした。博物館はまだまだあるので先を急がなければなりません。
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博物館を出る度に中庭に出るのでクールダウンしながら空いていそうな次の博物館を目指します。ほとんど内部が失われてウロになった木にはまだたくさんの葉が残っています。ほとんど樹皮だけのように見えますが、その生命力に驚きました。
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16世紀のスルタン・セリム1世の剣と引き出しタイプのカギ付きの箱です。どちらもスルタンの持ち物と思わせる風格があります。
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16世紀のスレイマン大帝の剣のコレクションです。下に置かれたのは象牙で造られたベルトです。ベルトには金とルビーとトルコ石で装飾が施されていて豪華です。
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壁に並べられたものはゴールド・アミュレットで魔除けのお守です。下にごろごろ置かれたのは巨大な漬物石のようなエメラルドやガーネットやルビー、トパーズやサファイヤやダイヤモンドです。博物館で良かったと思います。
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エメラルドの緑色はイスラム教で天国を表わす神聖な色とされていました。そのためスルタンが好んだ宝石はエメラルドや金鉱石、かんらん石や翡翠などの緑色の石と言われています。この部屋で一番大きなエメラルドの重量は15キロほどです。
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宝石がちりばめられた17世紀から18世紀のベルトや髭剃り用のナイフと砥石までが美術品です。
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スルタン・マフムードの名前の入った19世紀の理容道具一式です。
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MSCクルーズのマグカップを記念に買ってきましたが、ここに並ぶカップの豪華さには圧倒されます。12月はクルスマスマーケット巡りでグリューワインのカップがまた増えそうです。
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初めはスルタンの妃の持ち物かと思いましたが、男性用のものだと知ると余計に見入ってしまいます。
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クルアーン(コーラン)を保護するカバーですが、その豪華さに驚きます。
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「17世紀の宝飾団扇」
オスマンの宮廷生活で欠かせないものに団扇がありました。女性とっては重要な装飾品でもあり、美しい装飾がなされた団扇が好まれました。 -
ピルケースや矢立やコンパクトのような普段使いの身の回りの品も1つ1つが素晴らしい美術品です。
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「スプーンダイヤモンド」
この86カラットのダイヤモンドは美しいペアシェイプをしており、重量は17.2グラムと非常に大きくて重たいです。これがどのようにして「トプカプ宮殿」の帝国宝物庫に収まったのかは謎に包まれています。 -
スルタン・メフメット4世もスプーンダイヤモンドを所持していたという証拠もありますが、実際には金でセットされており、サイズははるかに小さく10グラムから12グラムでした。
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上段はスルタン・アフメット1世が預言者ムハンマドの墓のために造らせました。中央のダイヤモンドは52カラットの大きさがあります。下段左はシラフダール・ムスタファ・パシャが預言者ムハンマドの墓のために造らせたダイヤモンドです。右側はセブ・シラグ(夜の光)という名前の付いたダイヤモンドで18世紀に造られました。
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イスタンブルを征服した征服王メフメット2世のキョシュク(庭園内の小さな邸宅)の噴水です。ここからの眺めはすばらしく、右手にマルマラ海、左手にボスフォラス海峡ウィ見渡せます。征服王でなくとも世界を手にした気分になれます。
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テラスからはボスポラス海峡越しにアジアサイドのイスタンブールの町が見渡せます。この眺めもそろそろ見納めだと思うと寂しくなります。
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「18世紀のターバン飾り」
ソルグチと呼ばれるターバン飾りはスルタンをはじめ身分の高い男女が頭衣につけた装飾品で、豪華な宝石で飾られたものがいくついくつも並んでいます。スルタン用のソルグチは特別豪華で、上段お飾りの特大のエメラルドの大きさは262カラットあります。 -
16世紀の蒙古人の支配者の王座はペルシャからの贈り物としてこの宮殿に来たものとされています。
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その天井から吊られたエメラルドの「玉座用吊るし飾り」は2019年に国立新美術館で開催された「トルコ至宝展」で目玉となっていたものです。
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「トプカプのエメラルド入り短剣」
1740年代に作られたこの美しい湾曲した短剣は、35センチの金の鞘に収められています。柄に3つの大きなコロンビア産エメラルドがあしらわれたこの短剣は、トプカプ宮殿博物館の最大の見どころの1つです。この短剣は他の多くの貴重品とともに、スルタン・マフムード1世から当時のイランのシャー(王)であるナーディル・シャーへの贈り物となる予定でした。しかし1747年に贈り物が届く前に暗殺され、その後に短剣はトプカプ宮殿に戻されました。 -
巨大なエメラルド3個が柄一杯に飾られ、鞘には大小様々なダイヤモンド、中央部には籠に盛られた果物のエナメル七宝細密画が飾られています。柄頭のエメラルドの付いた蓋の下には当時でも珍しい小型のロンドン製の巻き時計がはめこまれています。
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「金のゆりかご」
オスマンの宮廷では王子が誕生するとスルタンと母后と大宰相から3つのゆりかごが贈られる習慣があり、儀式とともにハーレムにゆりかごが届けられました。このゆりかごは木製で、鮮やかな金箔に覆われ、ダイヤやルビーやエメラルドなどの宝石がふんだんに使われた非常に豪華なものです。手前にはフランス製の黄金のカップとガラガラが置かれてあります。 -
手前に並んだゴールド・アミュレットは魔除けのお守りでエスから、数多くの人が男の子の誕生を祝ったのだと思います。
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18世紀のベルトの装飾金具も鈍い金色に輝いています。色からしても24カラットの地金に金糸金粒の河口が施され、ダイヤモンドなどの貴石やその周囲にはトルコ石が象嵌されています。多分腰痛になりそうなくらいの重さだと思います。
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16世紀後半の「儀式用宝飾水筒」と「儀式用宝飾筆箱」
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「儀式用宝飾水筒」
膨らんで平らになったポーチのようなボディと短い首を持ち、低くて円形の足にセットされています。真珠やルプースパルメット、エメラルド、ルビーで飾られた金無垢のフラスコです。 -
「儀式用宝飾筆箱」
同じデザインのルビーとエメラルドで埋め尽くされた黄金のライティングボックスです。 -
預言者ムハンマドの墓のために造られたペンダントです。一番右のエメラルドの者は19世紀のスルタン、アブドゥルメシッドのもので、その隣が18世紀のスルタン、ムスタファ3世が作らせたものです。
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亜鉛のピッチャーは16世紀のペルシャ、サファヴィー朝時代のものです。表面には金の象眼が施され、ルビーとトルコ石の装飾で埋め尽くされています。
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天井から吊られたエメラルドは18世紀に造られたメディナからもたらされたものです。ナディール・シャーからスルタン・ムハンマドから贈られた18世紀のインドで造られた玉座とオットマンです。
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16世紀イランのサファヴィー朝のシャー・イスマイルのカップとベルトと腕章です。ヤヴス・スルタン・セリムによるカルディランの戦いの戦利品です。
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18世紀の中国製の翡翠の花瓶と蓋付の碗です。色の濃さからも右側の花瓶はミャンマー産ではないかと思えました。翡翠は美しい石として、瑪瑙やその他の宝石と共に玉(ぎょく)と総称されていました。翡翠には「硬玉」(ヒスイ輝石)と「軟玉」(ネフライト)の2種類があり、化学的にも鉱物学的にも異なる物質です。18世紀の清時代以降はミャンマーから硬玉が輸入されるようになると鮮やかな緑のものが好まれるようになりました。琅玕と呼ばれる高品質の物のようです。
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白玉の花瓶には皇帝を表す五爪の龍が2匹彫り出されています。香炉の胴には「喜」の文字と吉祥を表す蝙蝠が彫られてあります。コウモリは漢字で「蝙蝠」と書きますが、これを中国読みすると発音が「変福」と同じになります。つまり「コウモリ」「福に変わる」というとても縁起の良い言葉ということです。蓋には輪が連続する花輪違いのようなデザインになっています。
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18世紀インドで造られたナイフも白玉の柄にルビーとエメラルドの花模様で覆われています。鞘にはバラのような花が浮かび上がっています。
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「置物」
18世紀後半から19世紀にインドで造られた置物はアウルタン・アブドゥラジズが王子だったころの持ち物です。東屋の中できゅっしょんお上に座って水タバコを楽しむ人物が置かれてあります。その上半身のバロックパールの形からインスピレーションを受けてデザインしたのではないでしょうか。 -
オスマン帝国では宦官はハレムを取り仕切り、陰の実力者として振舞い政治の実権を握ることもしばしばありました。イスラム諸国の特色としてはクルアーンに記載されている教義上の去勢禁止規定を回避するため、イスラム教徒以外の男性を去勢して宦官とするのが原則であり、外国人である黒人や白人の宦官が多く採用されていました。
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「黄金の魚」
20世紀にヨーロッパで造られたものです。胴体が分割されていて泳いでいるようにクネクネする物のようです。ほとんど同じようなデザインをミャンマーの銀細工で見たことがあります。明治時代の日本では甲冑職人がその技術を発揮した鍛金による自在置物の蛇などがありますが、そちらの方が技術は断然に高いです。 -
一対のローズ・ウォーター入れは七宝とダイヤモンドで覆われています。
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19世紀のインドで造られたパフューム・スタンドです。ダイヤモンドの花にルビーと真珠の実が生った木のてっぺんには青いエナメルとダイヤで装飾された香水入れが乗っています。台座の七宝のクオリティも高いです。
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ヒリヤ・アル・サアダ(預言者ムハンマドの身体的描写)とその宝石で覆われたカバーです。
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16世紀に作られたクルアーン(コーラン)の装飾本です。見事な美しい挿絵が開かれています。カバーには金の台座にルビーとエメラルドとトルコ石が嵌め込まれ、全体を埋め尽くしています。
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19世紀のフランスで造られたローズ - ウォーターと香炉は金製で花の装飾が七宝で施されています。ロココスタイルの鉢に植えられたパイナップルがリアルです。
博物館の見学は聖遺物を残すだけです。
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