2023/09/29 - 2023/09/29
103位(同エリア314件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1780冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,494,658アクセス
- フォロワー171人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
ツアー4日目はイタリアの南部、プーリア州のバーリに入港してアルベロベッロへ半日ツアーに参加します。バーリへ来るのはこれが4回目ですが、思い出に残っているのは最初に来た1991年の秋のことです。当時1年ほど別の会社に出向していて、自分の会社へ戻る前に2カ月ほど休みをもらってオーストリアからイタリアとスイスを旅していました。シチリアへ渡る前のイタリアの旅も終わろうとしていた頃です。バーリの港からドゥブロブニクへ渡ってもいいかなと考えていたのですが、安宿の人たちに「絶対行ったら駄目だ!帰ってこれないぞ。」と脅かされました。安宿を泊まり歩いていてテレビも見ず、新聞も読まない旅で知らなかったのですが、1991年はユーゴスラビアから相次いでクロアチアやスロベニアが独立を宣言した年でした。1991年10月1日にドゥブロヴニクにユーゴスラビア人民軍 (JNA) が攻撃を開始し、避難民がフェリーのマストまで鈴なりに乗ってバーリへ逃れ、スタジアムは難民でいっぱいだと知りました。バーリにいたのは9月18日から22日までの4日間でしたがそんな時代でした。港に着いたスプレンディダはなかなか着岸しないようで、後で聞いた話ですが港内をぐるぐる回転していたそうです。船を降りると待っているバスに乗り込んでアルベロベッロまで1時間ちょっとしたバス旅になります。ここでは船会社のツアーバスに混載だったので、旅行会社に頼まなくても良かった気もします。アルベロベッロへ行くのは2回目になりますが、バリ駅からローカルの2両編成の列車に乗って、窓を全開にして走ったことが思い出されます。ディーゼルの臭いと車窓に延々と続く古いオリーブ畑の風景が記憶に残っています。アルベロベッロが近づくにつれて畑やオリーブ畑の合間に朽ち果てたトゥルッリを見ると興奮したことを思い出します。今回はバスでの移動ですが、似たような風景を見つけると若かったころの旅の気持ちに戻れる気がします。アルベロベッロでの滞在は2時間ほどで、ツアーバスの英語ガイドさんとは別れて、添乗員さんの案内で散策を開始します。20分ほど歩くとトゥルッリの2つの集落の間のメインストリートに到着し、ここで1時間弱の自由行動になります。32年前は訪れる人の姿もほとんどなく、メインストリートの周り以外の町並みはかなりあれている雰囲気でしたが、白い石灰やペンキで美しくリストアされている町並みには驚きました。アジア人など見掛けないのか小さい子供に「チノ(中国人)?」なんて聞かれて、「ジャポネーゼ。」と言ったら分かんないみたいな顔をされましたっけ。妻は念願のアルベロベッロに来れたことに嬉々としていますが、こちらは半分は過去の旅の思い出に浸っているようなところもありました。自由時間の後半はプーリア特産のお土産を買っているうちに集合時間になってしまいます。バスの駐車場からバーリに向かって戻り、お昼には船に戻ることが出来ました。乗船してそのまま5階のレストランでアラカルトのランチを注文しているとちょうど添乗員さんが来られたので一緒に食事しました。昼過ぎには出港してアドリア海を北上してイタリアの東の果てのトリエステに向かいます。夕食まで時間が出来たので今回初めてのカジノに行って2時間ほどルーレットを楽しみました。夕食の時間の前まで遊んで300ユーロほど勝てました。これでイスタンブールに戻るまで楽しめるぞと思っていたのですが、この後体調が悪くなってこれが最後になってしまいました。夕食をみなさんといただいて長い1日が終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
まだ表が真っ暗な午前6時過ぎに14階のビュッフェレストラン「ボラボラ」で朝ご飯です。最後尾の席が空いていることが多いようです。このような早朝はどこもガラガラですが。
-
部屋が乾燥しているので朝は異常に喉が渇いています。妻のトラベルウォッチの湿度計が55%と表示されているのを真に受けましたが絶対違うので部屋の加湿を考えます。すでに同じツアーの何名か調子の悪い人が出てきたようです。
-
14階のレストランからは表のデッキに出られるので日の出を眺めてみることにします。さすがにこの時間は表の「モビーダ・バー(Movida Bar)」も開いていません。
-
東の方角の空はぼんやりと赤く染まり、水平線も曖昧になっています。
-
午前7時にバーリの港に入港するので、周囲に船の姿が多くなってきました。この港に入港するのは2001年にドゥブロブニクを夜に発ったヤドロリニアのフェリーでこれくらいの時間に入港したのと、2003年にドゥブロブニクを立ったクルーズ船がテクニカルストップで寄港して以来のことです。
-
この日は船主催のシュアエクスカーションのツアーバスに混載なので、参加する人は添乗員さんと一緒に5階のシアターに集合しました。英語とフランス語混載のバス3号車の名前が呼ばれると下船口に向かいます。
-
表の堤防に出るとスプレンディダの前半分がはみ出ているのが分かりました。ホーサーと呼ばれる係留用のロープには白いラットガードが嵌められています。
船 船系
-
我々の乗る3号車は英語とフランス語の根菜の2階建てバスでほぼ満席でした。添乗員さんから受け取ったチケットをガイドさんに渡して半券を受け取ります。英語ガイドの女性は新潟県に留学したことがあり、日本語を話せました。「マルちゃんと呼んでください。」と言っていましたが、そんな雰囲気の子でした。
-
「ヴェントゥーリス・フェリー(Ventouris Ferries)」はバーリとアルバニアのドゥラス、バーリとギリシャのイグメニッツアを結ぶ航路を持っています。
-
30年前に地中海をフェリーで旅しようとすると日本ではほとんど情報がありませんでした。その当時の「地球の歩き方」の地図はお粗末な簡単なもので、さらに間違った情報も多くて何度も無駄な時間を使いました。フェリーの情報は皆無で、「トーマスクック時刻表」の巻末に簡単なルートが書かれているだけでした。
-
ネットも無かった時代に勘を頼りに港近くの旅行会社に飛び込んで、翌日や数日後の船を予約して良く旅をしたものだと思います。20年くらい前からネットでチケットが買えるようになり、海外から郵送されてきたチケットが嬉しかったことを覚えています。
-
それでも港のどこへ行けばよいのかわからず、その当時はミシュランのネットの地図を拡大して貼り合わせて使っていました。グーグルマップの出現は旅の仕方を全く違うものに変えてしまったと思います。それまで当たり前だった現地での旅行者同士の情報交換は皆無になりました。
-
こんな立派なフェリーターミナルも以前はありませんでした。国際航路のフェリーでも小屋みたいなところでパスポートコントロールしていました。
-
港を出ると旧市街の「ノルマンノ・スヴェヴォ城」の城壁に沿ってバスは走ります。この地を支配していた西ローマ帝国亡き後、紀元後5世紀にプーリアへやってきた東ローマ帝国は海沿いに要塞を築きます。その後の12世紀のノルマン時代にプーリア公爵で後にシチリア王となるルッジェーロ2世が、元々あった東ローマ帝国の要塞の上に城を築きます。
ルンゴマーレ アウグスト インペラトーレ通り 散歩・街歩き
-
ルッジェーロ2世の孫のフェデリーコ2世はシチリア・ナポリ王国の王であり、数々の領土を手に入れ、イタリアにおいては当時ローマ教皇と勢力を二分した人物で、13世紀にこの地を手に入れ、残された城壁や塔の骨組みを再利用して改修を行いました。15世紀になるとアラゴン王家のフェルディナンド1世がこの城とともにバーリの街をミラノ公爵のスフォルツァ家に譲渡してと紆余曲折とした歴史が続きます。
-
旧市街の曲がりくねった迷路のような街並みは新市街に出た途端に碁盤の目のような格子状の区画に変わります。初めてバーリに着いたときは駅周辺の安宿がすべて満室で、新市街の中にある高級ホテルに1泊だけ泊まる羽目になったことが思い出されます。
-
FSバーリ駅の近くの高架を通過しました。アルベロベッロへ行く鉄道は「スド・エスト鉄道(Ferrovie del Sud Est)」という国鉄とは別会社です。
バーリ駅 (国鉄) 駅
-
バーリの町を出ると車窓の風景はオリーブ畑に変わります。大地主がいた時代の邸宅のような建物がいくつも見えてきます。南イタリアでもベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「1900年」のような時代があったのだろうなと思います。
-
廃屋になってしまったこの邸宅にはどんな歴史があったのでしょう。
-
「スド・エスト鉄道」でアルベロベッロへ向かう途中の車窓はこのようなオリーブの古木の畑の中を通り抜けるというものでした。プーリア州は年間150,000 トンのオリーブオイルが生産され、これはイタリアのオリーブオイルの約半分に相当します。
-
オリーブ以外にもブドウやチェリー、モモなどの果物の栽培も盛んな土地です。ネットが架かっているのはそんな果樹だと説明がありました。
-
朝霧がとてもきれいでした。32年前の旅では夜明け前のバーリ駅を出る列車でナポリに戻ったのですが、列車の後方である東側からだんだんと明るくなってきます。やはりこのような霧の朝で、疾走する列車のスピードと夜が明けるスピードがほぼ同じなのが霧を見ていて分かりました。
-
残念ながら駅に停車している間に夜はどんどん先へ行ってしまい、追いつくことは出来ませんでした。ナポリ駅にはもう1つ面白い話があって、乗っていた列車の到着駅はナポリ・ピアッツア・ガリバルディ駅でした。てっきりナポリ・セントラル駅だと思っていたので、そのピアッツア・ガリバルディ駅を地図で探しても見つかりません。
-
ヨーロッパの場合1つの都市にいくつも駅があるのは当たり前なので、先の旅の都合もあるのでセントラル駅までどうやって移動するかを心配していました。通りがかった車掌さんに尋ねると笑いながら指を上に立てて、「チェントラーレ」下を指さして「ピアッツア・ガリバルディ」と教えてくれました。地上駅がセントラルで、地下の地下鉄に乗り入れている駅がピアッツア・ガリバルディ駅でした。
-
「スド・エスト鉄道(Ferrovie del Sud Est)」の単線の踏切を通過しました。バーリからはアルベロベッロ以外にもレッチェやマテーラにも足を延ばしたので、この線路の上を走ったことがあるなと思いました。
-
そのうちにオリーブの木の間にトゥルッロのとんがり屋根が見え始めるとアルベロベッロが近いことを感じさせます。
-
延々と続くオリーブの木々にプーリア州の農業の力強さを感じます。
-
馬を放牧しているのかと思いましたが、耳が長いのでロバだということが分かりました。2022年にポーランドの映画監督イエジー・スコリモフスキが驢馬を主人公にしたロードムービー「EO イーオー」を撮り、カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞を受賞しています。今年5月に公開されていますが見逃しているのを思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=gFcTHfeipM0 -
途中幾つかの小さな町を通り抜けながらも1時間30分ほどでアルベロベッロの町外れの「アルベロベッロ体育館(Palazzetto dello Sport di Alberobello)」脇の駐車場に到着しました。ここにはトイレがあるので行っておかないと町中で困ることになります。有料ですが。
-
ツアーのガイドさんはインデペンデンツァ通りをまっすぐに進んでいきますが、我々ツアーは途中でドロップして右の道に入り、アイア・ピッコラ地区(Rione Aja Piccola)のトゥルッロの集落(トゥルッリ)に向かいます。
バスターミナル バス系
-
本当は昔のままの素朴なトゥルッロを見てみたい気がしますが、ほとんど残っていないのではないでしょうか。バスの車窓からも新しく造ったものがホテルになっていたり、観光資源として使われているのが分かりました。世界遺産に登録されたのが1996年で、最初に行ったのは1991年なので、その当時は南イタリアの風変わりな石造りの集落といった感じでした。
-
1991年当時にこの辺りを歩いた時の写真です。観光客など1人もいなく、集落の人も表には見掛けない昼下がりでした。この辺りは特に観光地化もされていないようで、舗装道路もめちゃくちゃでした。
-
3歳くらいの妹を連れた女の子に「チノ?」と声を掛けられました。「違うよ、ジャポネーゼ。」といったらその違いが分からなかったのか不思議そうな顔をして去っていきました。その時の女の子も32年経てば40歳くらいになっていることでしょう。
-
奇麗になったトゥルッリの集落にびっくりしたのと、観光客が増えたことにも驚きます。バーリの港には大型クルーズ船が2隻停泊しているので数千人の人がここを目指しているからかもしれません。
-
新しくなった入り口のサッシュ扉に32年の時の流れを感じます。
-
先の尖った円錐型ドームの屋根とまっ白な外壁が印象的なトゥルッロは、主に石灰岩で出来ています。トゥルッロのあるこの地域は地下に石灰岩層が広がっていて、石灰岩はいろいろな厚さに切り出して、建築材として使うことができます。
-
この石灰岩を約60センチ×40センチ、厚さ30センチに切り出した切石を積み重ねて、トゥルッロの基本的な構造は造られます。壊すことを前提に造られているために石と石の間をつなぎ合わせるようなモルタルは使いません。
-
トゥルッロの厚い壁には外側も内側も白い石灰が塗られています。この白くて厚い壁は紫外線を防ぎ外気をしめ出して家を保温する役割をもっています。一方で厚い壁は外からの光を取り込みにくく、暑さを避けるために入り口や窓は小さく、数も少ない少ない造りになっています。
-
円錐の屋根のてっぺんまできれいに切り石を積み重ねてあるため、家の内部から屋根部分を見上げると、石灰岩の切石がぐるりと円い輪のように連続している様子が見えます。
-
アルベロベッロでトゥルッロが集中しているのは、アイア・ピッコラ地区(Rione Aja Piccola)とモンティ地区(Rione Monti)で、現在歩いているアイア・ピッコラ地区は高台の住宅街といった風情です。
-
このような建築が残された理由はこの辺りを治めた領主が自身の主君であるナポリ国王に支払う税金を少なく済ますためと言われています。領主は国王の徴税人の訪問を知ると、領民に課税対象である家屋を取り壊させ、納税額が少なくなるようにしていたというのです。これは17世紀の記録にも残されているそうです。
-
ただトゥルッロに似た建物はアルベロベッロ以外にも地中海沿岸のいくつかの地域に見られます。トゥルッロはこの地域独自のものではなく、他の地域の影響を受けて今のような住居形式になったと考えられています。
-
ギリシアの古代文明が栄えたクレタ島から伝わったとする説が有力で、トゥルッロの語源はギリシア語で「ドームの形を持つ円形の建物」を表す「トロス」であるとされています。
-
領主のこうした自分勝手な理由で家がたびたび壊されるという苦難を味わってきた人々は、18世紀末にナポリ王国の直轄地になることを求め、領主のくびきから逃れることができました。その頃からトゥルッロは造られなくなったようです。
-
トゥルッロの簡易な構造と節税とを関連させる話としては、漆喰で塗装された屋根のある家が課税対象であったため、徴税人が来る際に住民が屋根を取り壊したという話も伝えられているようです。
-
無料と書かれてありますがこんな小さなイチジクでも食べられるのでしょうか?
-
また年賀状用の写真が出来ました。
-
アイア・ピッコラ地区のプレビシト広場に着きました。アルベロベッロでは毎年9月に街の守護聖人「コズマ」と「ダミアーノ」の日である9月26日を中心に前後4日間に大宗教祭を行います。「サンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノ教会」までは足を延ばす時間は無さそうです。
アルベロベッロのトゥルッリ 旧市街・古い町並み
-
27日の午前中と28日の午後には2人の聖人像を担いだ信者の行列が街中を練り歩き、祭りはピークに達します。特に28日は信者が手にするキャンドルの光と通りを飾るイルミネーションが日暮れと共に鮮やかさを増し、見事な光の競演となるそうです。この日は29日なので前の晩に祭りは終わってたわけです。ヨーロッパの国でよく見かけるものですね。選挙用の顔写真が交通標識のピクトに貼られています。
-
「サンタ・ルチア教会」の脇の展望台からモンティ地区(Rione Monti)を眺めてみます。ここからの眺めは32年前と大きく変わっていません。
-
ここから眺めるトゥルッリは壮観です。ただ、歩いている観光客の多さは尋常ではありません。ここでもオーバーツーリズムの時代を感じます。
-
初めて来た妻にとっては長年の夢がかなったことでしょう。
-
トゥルッロの先端部の飾りはピナクルと呼ばれます。当初のピナクルの役目は石を積み上げて最後に屋根の頂点を塞ぐために置く石でした。18世紀末にナポリ王国の直轄地になる前の領主の時代、租税を免れるためにこのピナクルを抜いて屋根を壊したとされます。
-
時の経過とともに装飾要素が濃くなり、トゥルッロを建てた職人のマークへと変化していきます。広告の役目もありますし、家主が変わっても屋根を修理をする際に誰に頼めばよいかが一目瞭然ということです。このピナクルの種類は16種類もあるそうです。
-
展望台の脇の階段を下りて反対側のモンティ地区(Rione Monti)に向かいます。
-
階段の途中には農家のトゥルッロがあり、無料で見学できるようですが先を急ぎます。
-
2023年7月22日から30日まで「アルベロベッロ・ライトフェスティバル」が開催され「アトリエ YokYok 」が設計し制作した「ツリーダム(Treedam)」というオブジェがまだ残されていました。このインスタレーションは2024年まで置かれているということです。ここで1時間ほどの自由時間になります。
-
メインストリートのモンテ・サン・ミケーレ通りを添乗員さんと一緒にぶらぶらと坂道を上がってみます。以前来たときもこの道は歩いていますが、閑散とした印象でした。
-
英語とイタリア語で「私はおもちゃではありません。邪魔しないでください。」と書かれてあります。
-
とても混雑した通りでしたが、一瞬人が途切れるタイミングで写真を撮りました。
-
このマークは聖母マリアの射抜かれたハートを意味しています。「マリアの七つの悲しみ」はカトリック教会の信心業の中でも普及しているもので、聖母マリアが悲しみにくれて涙を流し、7つの矢や剣で心臓を貫かれた姿で表されます。聖母マリアの7つの悲しみとは、聖母マリアの人生において起こった7つの出来事を指しています。
-
ここでも添乗員さんに写真を撮っていただきました。
-
先端部のピナクルや家の構造の説明はしましたが、石灰で描かれたシンボルにもたくさんの意味があります。
-
プリミティブなシンボルは左上から下に「十字に3つの世界が1つになる樹木」「ヘブライの7本用の燭台」「現世と冥界から神に高める祈り」、「世界を表す円にイエスのイニシャルのIとHが組み込まれた印」「世界から神に向けた祈り」「輝く十字」を表します。
-
キリスト教のシンボルも6つ紹介されています。同じように左上から「ラテン語のキリストのモノグラム」「輝くホスチア(聖体のパン)とジーザスを表すIHS」「太陽のシンボルキリスト」、「聖母マリアの射抜かれた心」「三位一体を象徴するクローバーと恩恵を受ける花瓶」「宇宙を表す2つの点と十字架」です。
-
魔術のシンボルも6つ紹介されています。左上から「土星のシンボル」「三位一体を表す三叉の矛」「世界を表す円の上にキリストを表すIとH」、「水星のシンボル」「木製のシンボル」「神を表す十字を刻んだオメガ」です。
-
それ以外にも数多くのシンボルがあり、これは「十字と普遍的信仰で満たされた世界の土台」を表します。
-
こちらは「月のシンボル」
-
シンボルの種類は44種類にも及ぶようで、解説の無いものもあります。
-
キリストを表す「太陽のシンボル」
-
1991年当時モンテ・サン・ミケーレ通りを登り切った左側には「パドヴァの聖アントニオ教会(Church of Saint Anthony of Padua)」とその手前には小さな博物館がありました。その博物館は「ホテル・サン・アントニオ(Casa Albergo Sant'Antonio)」という高級ホテルになっていました。この当時は観光客は少なかったですし、アルベロベッロは宿泊する観光地といったイメージもありませんでした。
サンタントニオ教会 寺院・教会
-
「パドヴァの聖アントニオ教会(Church of Saint Anthony of Padua)」は20世紀前半に住んでいた司祭アントニオ・リポリスの努力によって1926年に建てられました。その当時プロテスタントが影響力を増していたので、モンティ地区にカトリック教会を建てたかったようで、。司祭はトゥルッロに住む貧しい人々が彼らの家に似た教会に行くことができるようにしたいと考えました。
-
教会のメインドームの高さは18メートルあり、祭壇画はプーリア出身の有名な芸術家アドルフォ・ロロによるフレスコ画が描かれ、中央には木製の十字架と磔刑のイエスの姿があります。実映えるとガブリエルであろう大天使と足元の聖母マリアと洗礼者ヨハネ、その横のアダムとイブ、左下の聖人がパドヴァの聖アントニウスとアッシジの聖フランチェスコであろうことは分かりましたが…。
-
教会の前の通りはモンテ・ペルティカ通りと名前が変わりそこには5つのドームを持つトゥルッリがあります。そのいくつかは住宅でいくつかはお土産物屋になっています。
アルベロベッロ旧市街 散歩・街歩き
-
1991年の写真と比べても植栽が増えたくらいでほとんど変わりがありません。驚いたのは描かれたシンボルもそのまま同じだということです。
-
このお店はアリアさんというおばあさんが経営しているお土産物屋で、アルベロベッロと白川郷が姉妹都市になったときに現地まで行ったという有名なおばあさんです。
-
見るだけと言いながら日本人を見つけては同じような話をしているのだと思います。話を聞いているだけであればとても楽しいおばあさんです。
-
これが手織りで草木染でと言われてしまうと…。これは機械織でなければ数多く織れないだろうし、そもそも近くに工場があるとも思えません。イタリア全土のお土産物屋で木製のピノキオを見たことがありますが、インドネシアのバリ島のウブドの北にあるライステラスへ行く通りにはそのピノキオを小さい物から等身大のものまで作っている工場がありました。しかも25ユーロなんて。同じようなものが近くで10ユーロで売っていましたがそれでも高い。
-
残り時間を考えるとそろそろ集合場所に向かわないとなりません。
-
下り坂を歩きながらお土産を何か探さなければという思いも湧いてきます。ここへ来る途中で添乗員さんが紹介してくれた日本人の女性のお店に向かうことにします。
-
家の中を見せてくださるということだったので、日本語であれば買い物も時短できそうです。
陽子の店 専門店
-
日本人女性らしい家の中のディスプレイがきれいだと思います。
-
若い頃旅したヨーロッパの安宿はフロントにこんな風にカギが掛かっていたと懐かしく思い出しました。夜間はフロントが閉まってしまうので、入り口のカギまで持たされるホテルもありました。その入り口のカギを持っていくのを忘れて大変な目に合いそうになったことは何度もあります。
-
ご主人が家の床下にある井戸を見せてくれました。その後は屋上へ案内されます。
-
ここからの眺めはとても良かったです。アルベロベッロのトゥルッリの写真を撮るにはベストポイントかもしれません。
-
遠くに「サンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノ教会(Basilica di Santi Medici Cosma e Damiano)」が見えました。アルベロベッロの町を守る2人の守護聖人コズマとダミアーノ(3世紀に活躍した双子の医者)の像と聖遺物が保管されています。この教会の新古典主義様式のファサードをデザインしたのは地元の建築家アントニオ・クッリで、彼の名を冠したクッリ広場に面しています。前日までのお祭りはこの教会の聖人のためのものでした。
-
最初に立ち寄った「サンタ・ルチア教会」の鐘楼とその左側に写真を撮った展望台が見えます。
-
この屋上からは今まで見てこなかったシンボルを見つけることが出来ました。「聖母マリアの射抜かれた心」ですが、上に十字架が乗っています。
-
「木星のシンボル」
-
「輝くホスチアにIHS」
-
茅葺き屋根のようにつながった屋根の曲線が白川郷と姉妹都市になった理由ではないかと感じます。
-
南イタリアを旅しているとよく見かける雄鶏の形をした煙突の煙抜きです。風が吹くと回転することにより煙抜きが風下側になるため煙突を通って風が家の中に吹き込まない仕組みになっています。
-
屋上から下る階段にはHUTTIのトマト缶詰の空き缶を使った鉢カバーが可愛らしいです。時間が無いのでこの店でお土産を見繕って購入しました。ちょっと高い印象はありましたが、他で探している時間もありません。日本人相手の店にしては2ユーロ切手しか置いていないのにはがっがり。4ユーロ分切手を貼ってと言いましたが、実際は2.2ユーロのようです。
-
買い物も済んだので近くの陶器屋さんも覗いてみました。手描き陶器はプーリア州内の有名な陶器の町グロッタリエ産のものでしょうか。何も調べてこなかったので買いませんでしたが、ハンガリーの質の良い陶器に比べるとめちゃくちゃ高いです。
-
それでもこのムーア人のオブジェは欲しかったです。このモチーフ「Testa di Moro」はシチリアの陶器ですね。昔、シチリアのパレルモにとても美しい少女が暮らしていました。ある日1人の若いムーア人の男性が通りかかります。ムーア人は少女に一目惚れし、ためらうことなく少女に自分の愛を告げます。2人は愛し合いますが、このムーア人は彼女を置いて自分の妻と子供の待つ国へ帰ってしまいます。再びムーア人がシチリアへ戻ると、少女はある夜にムーア人が眠りに落ちるのを待ち、眠っているムーア人の首を切り落としてしまいます。これでもう国へ帰ることは出来ません。この首をバルコニーに置いてバジルを植えると良く育ちました。それが評判になってこのデザインの鉢カバーが出来ました。札幌でも売れるかもしれません。
-
これはバラの蕾を模った「プーモ(Pumo)」と呼ばれるプーリア州の幸運をもたらすもので、家のバルコニーに飾られているのをよく見かけました。これはグロッタリエで造られたものだと思います。
-
きれいに鉢植えの並べられた自転車が置かれてありました。ちょうど花も満開で、白い壁に映えます。
-
この写真は地元で自転車屋さんを営んでいる友人にLineで送りました。
-
0.2ユーロの切手を探している時間も無いので4ユーロ文の切手を貼って投函しました。これまでの分もあるので4枚。はがき1枚送るのに700円くらいかかってしまいました。2.2ユーロでも360円ですから、そろそろ両親あての絵葉書もやめてもいいかなと心が折れそうになります。
-
10分ほど集合時間があったので少し歩いてみることにします。
-
これでアルベロベッロのトゥルッリの町並みも見納めです。32年振りに来たけど約2時間の滞在でした。
-
帰りは車の多いインデペンデンツァ通りをそのまままっすぐ駐車場に向かいます。オリーブの古木も見納めです。
-
古いまま放置されたトゥルッロは絵になります。
-
ユッカ・アロイフォリア(千寿蘭)にきれいな白い花が咲き、トゥルッロに映えています。イタリアの植物ではなくメキシコとかジャマイカ原産の植物ですが。
-
時間ぴったりにバスが駐車場に入ってきて、往路と同じ座席に座ります。遅れている人もいるようでしたが、全員揃ったのかバスはすぐに出発しました。
バスターミナル バス系
-
帰りの車窓からも古いトゥルッロを見つけることが出来ました。
-
朽ちてゆく美しさも感じますが、再生され長く使われていくことを願います。
-
そしてまた延々と続くオリーブの木々。
-
小石の混ざった土地にどれだけの労力が払われたのでしょうか。この後プーリア州は大雨と雹でオリーブに大きな被害があったと知りました。
-
アルベロベッロとバーリが50キロの距離だと初めて知りました。
-
「スド・エスト鉄道(Ferrovie del Sud Est)」の列車を32年振りに見ることが出来ました。新しい赤い3両編成です。昔はFSの古い車両を譲り受けたような2両編成でした。冷房も無く扇風機の回る中窓を全開にした覚えがあります。
-
32年ぶりのアルベロベッロとしても楽しかったですが、妻が来たがっていた願いが叶えられた方が大きかったと思います。
-
この建物はムッソリーニの政権下で建てられた建築様式で、古典主義の伝統を単純化しつつ、モダニズムによせたデザインで、建築家ヴァンノーニによって設計されています。バーリにはこの時代の建築が多いとガイドさんの説明があり、また新たな興味が湧いてきます。
-
バーリ港まで戻ってきました。このブルーの美しいターミナルは20年前にも見た覚えがあります。この日はMSCスプレンディダ以外にもコスタのクルーズ船も停泊していました。
-
お土産を持ってとぼとぼと乗船口へ向かいます。朝も早かったのでお疲れのようです。
船 船系
-
乗船口は4階にあるのでそのまま5階の「ラ・レッジア(La Reggia)」でアラカルトの昼食にします。まずはキンキンに冷えた生ビールで乾杯です。そこへ添乗員さんが通りがかったのでご一緒することにします。1人での食事はつまらないですからね。
-
まずは「ムール貝とポテトのチャウダー」です。これでは何のスープか分かりませんね。
-
小さめのムール貝がどっさり入っています。ポテトもトロトロで半日観光してきた体に沁みわたります。
-
「生ハムとキウイとパイナップルのカルパッチョ」です。塩味の効いた生ハムに甘いフルーツがよく合います。
-
「チキンティッカー」は久し振りに食べたカレーのテイストなのでとても美味しかったです。もう1皿食べたいくらいでした。お昼のテーブルのウェイターさんはインドネシアの人だったのでサティによく似た味で美味しいと言ったら喜んでくれました。
-
妻は「ボロネーゼのパスタ」ということで喜んで注文したらペン円だったのでちょっとがっかりしていましたが、味は良かったです。
-
デザートは「ココナッツアイスクリーム」
-
そして「MSCサンダー」はバニラアイスに生クリーム、チョコレートをかけて殖蓮を乗せたサンデーでした。
-
部屋に戻ってsyワーを浴びていると船は出港していました。これからアドリア海を北上してトリエステに向かいます。
-
夕方に「パラグルジャ島(Palagruža)」の近くを通過しました。名前からもクロアチア領の島だと分かります。これはグーグルマップが無ければ分からないことです。
-
頂には「パラグルジャ灯台(Svjetionik Palagruža)」が見えました。夕日に染まってとてもきれいです。
-
こんな絶海の孤島でもヘリポートと宿屋が1軒、温泉が2カ所あるようです。
-
夕食までの2時間ほどカジノに行きました。クルーズカードで100ユーロ支払うとチップが100枚なので、1枚が1ユーロ160円です。1回のミニマムは5枚なので800円分はかけなければなりません。あっという間に40枚くらい減りましたが、その後はラッキーナンバーの7と14と4と5と30と36が続いてプラス分が300ユーロになりました。
-
「ベスビオスサラダ」は野菜各種にトマトと地図、バルサミコ酢が掛かっています。
-
「ムール貝の白ワイン蒸し」はトマト風味に仕上げていて、とても美味しかったです。ブリュッセルの「シェ・レオン」を思い出します。キャセロールで食べたいくらいです。
-
「カリフラワーのクリームスープ」もナツメグが効いていてとても美味しいです。
-
メインは「ミノネッテ風ポークフィレ」カリフラワーとズッキーニ、ポレンタが添えられ、濃厚なバルサミコのソースが美味しいです。お肉が柔らかかった。
-
妻はずっとリゾットを食べています。この日は「シーフードリゾット」アルデンテで美味しかったそうです。
-
デザートはいつものように「アイスクリームとシャーベット」今日も美味しくいただきました。ツアーの皆さんとはその日の観光のことなどで話が盛り上がります。
-
9月29日のハーベストムーンです。ニール・ヤングの曲を聴きながら夜空を眺めます。
-
この日も波の無い海面に月明かりが反射してきれいでした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2023MSCスプレンディダの旅
-
前の旅行記
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(7)懐かしいコルフに入港するも、アヒリオンパレス...
2023/09/28~
ケルキラ島
-
次の旅行記
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(9)トリエステ入港を楽しんだ後はオーストリア時代...
2023/09/30~
トリエステ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(1)久し振りのトルコ航空の夜便でイスタンブールへ...
2023/09/25~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(2)ヒッポドロームのオベリスクを読み解き、修復を...
2023/09/26~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(3)モスクになったアヤ・ソフィアにトルコの未来を...
2023/09/26~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(4)数々の思いを乗せてイスタンブールを出港し、深...
2023/09/26~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(5)終日航海日はレストランで3食食べて、キャビン...
2023/09/27~
チャナッカレ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(6)ケファロニア島の沖からオデュッセイアのように...
2023/09/28~
ケルキラ島
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(7)懐かしいコルフに入港するも、アヒリオンパレス...
2023/09/28~
ケルキラ島
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(8)32年ぶりのアルベロベッロへようやく妻を案内...
2023/09/29~
プーリア州
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(9)トリエステ入港を楽しんだ後はオーストリア時代...
2023/09/30~
トリエステ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(10)ミラ・マーレ城でコルフ島へ向かうオーストリ...
2023/09/30~
トリエステ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(11)文豪カフェのサン・マルコでランチを食べて、...
2023/09/30~
トリエステ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(12)終日航海日に風邪をひいて寝込みながらフレン...
2023/10/01~
トリエステ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(13)初めて来たオリンピア遺跡の競技場でとりあえ...
2023/10/02~
オリンピア
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(14)オリンピア遺跡の見学の後は考古学博物館で学...
2023/10/02~
オリンピア
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(15)夜明けのピレウス入港からアテネ市内を走り抜...
2023/10/03~
アテネ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(16)5度目のアクロポリスの混雑に驚き、念願の新...
2023/10/03~
アテネ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(17)25年ぶりのアテネ国立考古学博物館は記憶通...
2023/10/03~
アテネ
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(18)クシャダシから4度目のエフェソス遺跡を訪ね...
2023/10/04~
エフェス遺跡周辺
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(19)ダーダネルス海峡を通過してイスタンブールに...
2023/10/05~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(20)トプカプ宮殿の陶磁器博物館と武器博物館と図...
2023/10/05~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(21)トプカプ宮殿のスルタンの衣装と宝物の素晴ら...
2023/10/05~
イスタンブール
-
MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(22)トプカプ宮殿のイスラム教とキリスト教の聖遺...
2023/10/05~
イスタンブール
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
イタリア の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2023MSCスプレンディダの旅
0
136