2023/10/03 - 2023/10/03
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kojikojiさん
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2023/10/03
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夜明け前に目が覚めてTVモニターで現在地を確認するとピレウスの港が近いことが分かりました。これで5回目のアテネです。妻とは2回目で前回のクルーズでは午前7時にピレウスの港に着いて、2人で地下鉄に乗って早朝のアテネの市場などを見ながらアクロポリスへ向かいました。今回は旅行会社のツアーに申し込んでいるのでらくちんな観光です。体調もあまりよくないので、ツアーに申し込んでおいて良かったと感じます。アテネの観光はクルーズプラネット者のチャーターした小型バスで市内へと向かいます。今年からアクロポリスが予約制になり、指定された時間が午前11時だということで、先に市内をバスで観光してからアクロポリスに向かうことになります。これは予定外のことで、当初の予定のアクロポリスの見学が終わった後はツアーをドロップアウトして博物館を2カ所巡るつもりでした。少し時間が押されましたが何とかなりそうです。オーバーツーリズムで大混雑のアクロポリスに着くと現地ガイドさんが待っていてくれて、脇から入ることが出来たので何とか入場できましたが、過去には時間が過ぎてしまって入れなかったこともあるそうです。人数制限はされていますが、長蛇の列で階段を上がり、4度目か5度目のパルテノン神殿と再会することが出来ました。初めてのアテネでは空港からのバスに乗ってアテネ市内の通りの先にパルテノン神殿が見えたときは感動しましたが、さすがに5回目のアテネではそんな感激は味わえませんでした。1時間ほどの見学をした後は添乗員さんにお話ししてここでツアーから離団します。以前はアクロポリスの丘の上にあった考古学博物館が新しく「新アクロポリス博物館」となっているのでそこの見学に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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前の晩は晩御飯も食べずに早くから寝てしまったので夜明け前に目が覚めてしまいました。表は真っ暗ですが、なんとなくアテネが近いことを感じます。
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部屋のモニターで確認してみるとピレウスの港が近いことが分かります。
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アテネはこれで5回目ですが、妻とは22年前のクルーズではロードス島の後にピレウス港に寄港していました。その時もこんな夜明け時の入港でした。
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妻とのクルーズ以外にもロイヤルオリンピッククルーズの4泊5日のエーゲ海クルーズでもこの港を利用していますし、サロニコス湾の3島めぐりのエルメス号もピレウス発着でした。
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2回目のアテネではブリティッシュエアーでロンドン経由で深夜にアテネの空港に到着し、バスでシンタグマ広場まで出て予約していたホテルに夜明け前にチェックインしようとしました。残念ながらチェックインは出来なかったので荷物を預けて真っ暗な道を通って「アクロポリスの丘」の前の「フィロパポスの丘」に登りました。アクロポリスの丘に当たる朝日を眺めてもまだ時間があったので、地下鉄に乗ってピレウスまでやってきました。
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そのまま朝1番のフェリーでエギーナ島に渡り、海岸で昼寝をしたり釣りをしたり、お昼には港にある炭焼きの店でエビとハマグリとタコを焼いてもらいレッィーナという松脂臭い白ワインを飲んだ懐かしい思い出のある港でもあります。
ピレウス港 船系
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中国主導の経済圏構想「一帯一路」の中、中国沿岸部からインド洋・紅海・地中海を経て欧州に至る海上ネットワーク整備プロジェクトは「21世紀・海上シルクロード構想」と呼ばれ、中国海運最大手の中国遠洋運輸がギリシャを代表する国際港湾であるピレウス港の運営事業会社を傘下に収めています。
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スプレンディダの入港と入れ違いに巨大な高速船がどこかの島を目指して出港していきます。このタイプのフェリーにはマルタ島からシチリアのポッツアーロまでの往復を乗ったことがありますが、ものすごい速さに驚いたことがあります。
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「リカヴィトスの丘」までがきれいに見えました。これは高さのあるクルーズ船に乗っての入港だったからだと思います。
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アテネのクルーズ船ターミナルはABCの3カ所があり、今回は地下鉄駅から一番遠いターミナルBでした。ただターミナルBといってもタクシーの運転手などには通じないのでE12(イプシロン12)と言わないとだめだと教わりました。
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「HELLENIC SEAWAYS」のニッソス・ロードスは192.5メートルのフェリーです。このところ落ち着いていた地中海のフェリー旅をまた始めたくなってきます。
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ピレウス入港を楽しんだ後は14階のレストランで早めに朝食を摂ることにします。最後尾の窓際はお気に入りの席で、この後もこの席で食事することが多かったです。
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クルーズでの寄港地もここアテネとトルコのクシャダシを残すだけとなりました。
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アテネの観光はクルーズプラネット社の手配した小型バスになるので、参加者が集まったところで出発します。
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ピレウスでは一応入国手続きのようなセキュリティーを通過しました。
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アテネは土地勘もあるので自分たちで行動しても良かったのですが、ターミナルからピレウス駅まで離れているのでツアーに参加して途中でドロップアウトすることにしていました。実際2人ともあまり体調が良くなかったのでツアーに参加して良かったです。
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船会社主催のツアーバス以外にも2階建てのホップオンホップオフバスも運航していました。これは全く情報が無かったのですが、知っていればこれを利用しても良かったかもしれません。
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我々のツアーバスはまっすぐアテネ市内には向かわず、ミクロマリーナなどの小さな入り江のある半島をぐるりと回り、朝の渋滞を避けてアテネ市内に向かいます。沖合いには懐かしいエギーナ島も浮かんでいます。
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海岸線には小さなギリシャ正教の祠があります。これはギリシャ国内でもキプロス島でもよく見掛けましたが、現地のガイドさんに道祖神のようなものだと教わりました。ただその場所で事故などで亡くなった人のために残された遺族が建てたものも多いようです。
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この辺りで一番大きな「ゼア湾」を通過しました。現地のガイドさんから「日曜はダメよ」という映画について説明がありました。名前くらいは知っていましたが、公開が1961年と自分の生まれた年なので詳しいことは知りませんでした。
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ギリシャのピレウスに住む娼婦イリヤとギリシャ研究者でギリシャの全てをこよなく愛するアメリカ人旅行者ホーマーとの物語で、舞踊・音楽・言語などのギリシャ文化に観衆が穏やかに浸れるものとなっているそうです。また、主題歌「日曜はダメよ」とブズーキによるテーマ音楽は1960年代を代表するヒット曲でした。さすがにこの曲は知っています。https://www.youtube.com/watch?v=8OgD4Keg_Ks
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ギリシャらしい音楽というと1964年の映画「その男ゾルバ」もギリシャを何度も旅していて聞いた音楽です。
https://www.youtube.com/watch?v=UbrJmb4rEzI -
「平和友好スタジアム(SEF)」はギリシャ政府が所有する屋内スタジアムで、ギリシャで唯一のオリンピック規格の30x60メートルのアイスリンクとしてゼロから建設されたスタジアムでもあります。通常はオリンピアコスバスケットボールチームの本拠地となっています。
平和友好スタジアム スタジアム・スポーツ観戦
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バスがアテネに近づくと左から「リカヴィトスの丘」「アクロポリスの丘」「フィロパポスの丘」がきれいに並んで見えました。
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「スタディオ・ヨルギオス・カライスカキス」はサッカー競技施設で、オリンピアコスFCの本拠地です。施設の名称、ギリシャ独立戦争の英雄であるゲオルギオス・カライスカキスがこの地で重傷を負ったという話に因んで付けられました。
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アリストテレス・ソクラテス・オナシスは「20世紀最大の海運王」と呼ばれた大富豪で、オリンピック航空も彼が設立しています。マリア・カラスとは9年ほど関係しながら結婚はせず、1968年には暗殺されたアメリカ大統領のジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと結婚し、世界的に話題になったのは子供の頃の記憶として残っています。この建物は「オナシス心臓外科センター」で、ロンドンを拠点とする病院の建築家ルウェリン・デイヴィスによって設計され、オナシスによってアテネ市に寄付されています。
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アテネ市内に入ると朝のラッシュ時間に当たり、バスはなかなか先へ進めません。
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前方に「ゼウス神殿」の柱が見えてきました。
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「アクロポリスの丘」の上に建つ「パルテノン神殿」も懐かしい姿を見せてくれました。初めてギリシャに来たときは通りの先に見える神殿を見ておもわず「おおっ!」と声を上げるほど感動しましたが、5回目となると懐かしさを感じます。
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「リカヴィトスの丘」はロンドンからの便で前の席に座っていた焼津の女性2人とプラーカで偶然再会し、アテネにいる数日間一緒に旅したことがありました。その時に一緒に登ったのがこの丘でした。
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「アクロポリスの丘」は今年になってから事前予約制になり、午前11時にならないと入れないので、先に周辺の観光をすることになりました。アテネに最後に来たのは2003年のことで、アテネオリンピックの前の年でした。なのでこの「パナシナイコ・スタジアム」に来るのは初めてでした。
パナティナイコ スタジアム スタジアム・スポーツ観戦
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紀元前6世紀からパナテナイア祭の競技場として使われていた場所に1896年の第1回近代オリンピックのため、ギリシャ王室の支援のもとに富豪イェオルギオス・アヴェロフや建築家アタナシオス・メタクサスが総大理石に再改築しましたた。第1回大会では開会式や男子マラソンのゴール地点に使われ、2004年の第28回大会では男女マラソンのゴール地点やアーチェリーの会場に使われました。
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中にも入ることは出来ないので10分ほどの写真撮影だけの観光です。元々の予定では「アクロポリスの丘」の後の見学だったので来るつもりはなかったのですが順番が変わったことにより来ることが出来ました。
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この日は韓国の選手のイベントがあったようで、太極旗がたくさんたなびいていました。中にも入れないので10分ほどの写真撮影のためのストップでした。
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「ドロメアス(Dromeas)」と呼ばれる像の工事は1988年に始まり、1994年に完成しました。元の名前は「Xenos」(見知らぬ人)でしたがギリシャ語で「ランナー」を意味するドロメアスという名前になりました。このユニークな作品はギリシャの彫刻家コスタス・ヴァロツォスの手によります。最初の設置場所はオモニア広場でしたが、現在の設置場所はヴァシリシス・ソフィアス通りのヒルトンスクエアです。高速で走る男性のぼやけた動きを表現しています。
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通りの先に「リカヴィトスの丘」の見えるこの辺りはアテネの中でも高級住宅街になっています。
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「戦争博物館」の前も通過しました。ちょうど社会科見学の子供たちが来ているようです。ギリシャの歴史は戦争の歴史といっても良いほどで、古代ギリシャ、アレクサンドロス大王、ビザンチン時代、1821年のオスマン帝国に対するギリシャ独立戦争、バルカン戦争時代のマケドニア紛争、第1次と第2次世界大戦、1974年のキプロス分断、そして1950年から1955年に韓国で戦ったギリシャ遠征旅団の歴史まで続きます。
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個人的には独立戦争や第1次世界大戦後の1923年のギリシャとトルコの住民交換は両国を細かく旅していて興味を持ったことでした。住民の信仰に基づきトルコ領内のギリシャ正教徒と、ギリシャ領内のイスラム教徒を交換したもので、トルコ領内に居住する正教徒は「ギリシャ人」と看做されてギリシャへ追放され、ギリシャ領内に居住するイスラム教徒は「トルコ人」と看做されてトルコ領内に追放されました。
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キプロス島も1度は南側のキプロス共和国を10日ほどかけて巡り、2度目はトルコのメルスィンの港から夜行フェリーに乗ってファマグスタからギルネまで北キプロス・トルコ共和国を旅しました。その中で感じたキプロス分断についても興味を持ちました。現在もグリーン・ラインが残されていますが、近年はその行き来がだいぶ緩和されたように思います。
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「アテネアカデミー」の建物はギリシャで最も美しい建築物の1つであり、ま、世界で最も美しい新古典主義の建築物とも称されています。建物の左右には高さ23.25メートルの柱が設置されており、柱上にはアポロンと女神アテナの彫像が配され、その下には古代ギリシャの哲学者ソクラテスとプラトンの像がたたずんでいます。
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渋滞のためにバスがノロノロ進むお陰で奇跡的にバスの中から完璧なアングルで写真が撮れました。
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1885年に竣工したこの建物はデンマークの建築家セオフィロス・ハンセンによるもので、彼のインスピレーションの源はアクロポリスのモニュメントに見られるような5世紀の古代ギリシャの古典建築でした。
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アテネアカデミーは1926年の設立で、科学や文学、美術分野の発展と振興をはじめ、科学的調査及び研究を目的とした研究機関として活動を続けています。柵j必オリンピアの考古学博物館で見たニケの像もこのような柱の上に立っていたとガイドブックに書かれていたので、こんな感じだったのでしょう。
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オリンピアの破風のアポロン像は弓を持っていたようですが、ここでは竪琴を持っています。アポロンの逸話は数多いのですが個人的には「アポロンとダフネ」の話が好きです。ある時にエロス(キューピッド)の持つ小さな弓を馬鹿にしたことから、エロスはアポロンへの仕返しに、黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)でアポロンを撃ち、鉛の矢(愛情を拒絶させる矢)でダプネを射ました。このためアポロンはダプネに愛情を抱きましたが、ダプネはアポロンの愛を拒絶してオリーブの木になってしまいます。「カッサンドラ」の話も面白く、アポロンはカッサンドラの美貌に懸想して求愛します。自分の愛を受け入れれば「予言能力」を授けるとカッサンドラを誘惑します。カッサンドラはそれを受け入れ「予言能力」を手に入れますが、その瞬間「アポロンに弄ばれたあげく捨てられる自分の運命」を予言してしまいます。
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「アテネ大学」は1837年に創設された東地中海地域において最も歴史ある大学で、オソン1世の支持のもと創設されたため当初はオソン大学と呼ばれました。1841年にデンマークの建築家テオフィル・ハンセンの設計により、パネピスティミウ通り沿いにこの建物が建てられました。
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「ギリシャ国立図書館」もデンマークの建築家テオフィル・ハンセンの設計の1つで、「アテネアカデミー」や「アテネ大学」とともに、新古典主義建築の有名な三部作を構成しています。国立図書館の際立った特徴はシンプルで明確な古代のドーリア様式の柱のデザインです。
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「アテネ国立歴史博物館」は1875年から1932年までギリシャ国会議事堂だったスタディウ通りにある旧国会議事堂の建物を利用しています。1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノポリス占領から第2次世界大戦までの歴史的資料を所蔵しており、特にギリシア革命とその後の近代ギリシア国家の成立期の収蔵品が多いようです。
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博物館の前には馬に乗ったギリシャ独立戦争の英雄コロコトロニスの銅像が置かれています。これはギリシャの彫刻家ラザロス・ソコスの作品です。
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この通りの先へ進むとプラーカ地区に行きつきますが、途中にはフォリフォリのショップがあり、妻が買い物をしたのを覚えています。それとアテネに来る度に買い物していた古い版画や古地図を売っているアンティーク屋がありました。今回は立ち寄る時間はありませんが、一緒に写真を撮らせてもらったおばあさんももう亡くなっていると思いました。もう20年も前の話です。
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「アレキサンドロス大王の騎馬像」は2019年に設置されました。アレクサンドロスが愛馬ブケファロスにまたがっているこの像は、アレクサンドロスが戦士や征服者ではなく、10代の頃の姿で描かれているという点でユニークです。1993年に彫刻家ヤニス・パパスによって制作されましたが、主に政治的な理由から設置されることが無かったようです。
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「メリナ・メルクーリ記念碑」の前でバスを降りてここから歩いて「アクロポリスの丘」に向かうようです。メリナ・メルクーリはピレウス港からバスで通過した辺りが舞台となった「日曜はダメよ」の主人公である娼婦イリヤの役で有名です。1981年から1989年にかけてのアンドレアス・パパンドレウ内閣において文化大臣を務めています。
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通りの反対側には「ハドリアヌスの凱旋門」が見えますが、時間が無いので見に行くことは出来ません。この門は巡察旅行でアテナイを訪れ多数の公共建築物等の再建に力を注いだローマ皇帝ハドリアヌスの功績を称えるためのもので、門の両面には碑文が刻まれており、片側にはアテナイの伝説的な王テセウスを称える文、もう片側にはハドリアヌスを称える文が彫られています。
ハドリアヌスの凱旋門 史跡・遺跡
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ここでも薬局に立ち寄ったのでカタコロンで買った咳止めのシロップ薬をもう1瓶買い求めました。昨日買ったもので事は足りますが、1本はお土産にしようと思いました。コロナの検査薬も1箱1.5?だったので一応2箱買い求めておきます。
ディオニソス劇場 劇場・ホール・ショー
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地元のガイドさんは入場時間に遅れそうなのでヤキモキしながら先へ進みます。過去には時間に遅れて入場出来なかったこともあったそうです。
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西側の入口となる「プロピュライア」とそのすぐ南隣の「アテナ・ニケ神殿」が見えてきたので入り口はすぐです。
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入り口には長蛇の列がありましたが、アクロポリスだけの専門のガイドさんが入り口の係員に話しを付けていたので列には並ばずにそのまま中に入ることが出来ました。事前にQRコード付きのチケットは各自が受け取っていました。
アテネのアクロポリス 史跡・遺跡
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アテネには5回来ていますが、「アクロポリスの丘」に入場するのは3回目です。以前はこれほどの混雑はなかったので、ここでもオーバーツーリズムを感じます。
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「プロピュライア」への階段は登と下りが一緒なのでものすごい人の数です。アクロポリスの堂々とした入り口である「プロピュライア」はアテナイの指導者ペリクレスの指示で建設されましたが、フィディアスがペルシア戦争が終わった時にアクロポリス全体として再建する計画を立てるよう任されます。建物は建築家ムネシクルスによって設計され、建設は紀元前437年に始まり建物がまだ完成していない同432年に中断されます。
ブーレの門 建造物
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「プロピュライア」は白いペンテリック大理石と、アクセントを与えるだけのために使われた灰色のエルジニアン大理石(石灰石)で造られました。
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ペンテリック大理石はアテネの郊外にあるペンテリコン山から切り出されます。ペンテリコン山では今も最高級の大理石が採石され、神殿の修復に使われています。
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アクロポリスに入るためにはこの「プロピュライア」で規制がされました。防御構造として建設されてはいませんが、儀式上清浄ではない人々が聖域に近付くことを否定することが重要だったようです。さらに、逃亡奴隷やその他の異端者は神の保護があると主張できない聖域に入ることを認められませんでした。
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中央建物は西のドーリア式柱列と門壁の間の中央通路の両側にイオニア式柱列も使っています。このためにこの建物はドーリア式とイオニア式の柱列を同時に見ることが出来ます。
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ようやく「プロピュライア」を通過することが出来ました。登り切った達成観よりも人ごみから抜けられたことの方に喜びを感じます。
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この辺りで簡単なガイドさんからの説明がありました。後は「パルテノン神殿」を1周しながらイヤフォンガイドで簡単な説明があり、「プロピュライア」を降りた出口で再集合になります。
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多分もう「パルテノン神殿」を見にここまで登ってくることは無いと思うので記念写真を撮っておきます。
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「エレクテイオン」をバックに2人の写真を撮ってもらいます。10月にもなると翌年の年賀状の写真が気になってきます。
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「ヘロディス・アッティコス音楽堂」は西暦161年にギリシア人の元老院議員ヘロディス・アッティコスが妻のレギッラを偲んで建設した施設で、アクロポリスの南西斜面を利用して建てられています。劇場の正面は3列の列柱廊で、この部分の屋根は高価なレバノン杉で覆われていたといいます。
イロド アティコス音楽堂 劇場・ホール・ショー
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1950年代にペンテリコン山産の大理石を用いて観客席と舞台部分の改修が行われ、現在も音楽堂として使われています。
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「アクロポリスの丘」からは「フィロパポスの丘」がきれいに見渡せます。丘の上にはローマ時代の執政官カイウス・リカベトスの墓碑が見えます。以前の旅ではここでアテネの夜明けを眺めたことがあります。真っ暗なアクロポリスの丘が真っ赤に染まった姿は忘れることの出来ない光景です。
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フィルムカメラの時代なので良い写真が残っていないのが残念ですが、パルテノン神殿が最初に朝日に浮かび上がった瞬間は鳥肌が立つほど美しかったです。
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眼下には「アレオパゴス」という岩山も見えました。最初にアテネに来た際には陽が落ちた後にここからライトアップした「アクロポリスの丘」を眺めに来ました。
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その当時ここに登る人もまれでしたし、夜来る人はさらに少なかったです。これも心に残る風景の1つです。
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先ほど通ってきたピレウスの「平和友好スタジアム(SEF)」とその先に海が見えました。そろそろパルテノン神殿をじっくり見ようと思います。
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