2023/09/26 - 2023/09/26
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kojikojiさん
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午前8時を過ぎたところで観光が始まりました。お土産物屋の脇の坂道を登ると「ヒッポドローム」に出ます。ここへ来るのは2002年以来のことです。旅をスタートしたイスタンブールはまだ夏の気配が残っていましたが、1か月後に帰ってきたらどっぷりと秋になっていました。また、イフタールという断食明けの食事を食べる仮設の飲食店などの建設が始まったタイミングでしたが、戻ってくるとその夜になるとたくさんの人で賑わっていました。「ヒッポドローム」は「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」の西隣りにあり、ビザンティン帝国時代に競馬や戦車競走が行われた競技場でした。競技場の広さは長さ450メートルで幅130メートルあります。現在は縮小されていますが、マルマラ大学の建物の奥までが競技場だったそうです。12の門があって10万人の観客を収容できたといいます。ここで行われた戦車競技はとりわけ人気の高いもので、そうした娯楽を市民に提供することは「パンとサーカス」の言葉のとおり、当時の皇帝の大切な役割の1つでした。ガイドさんは「切石積みのオベリスク」の説明からスタートします。この記念碑は競馬場が築かれてから500年も後のもので、「切石積みのオベリスク」と呼ばれるようになったのはコンスタンティヌス7世によって修復とさらなる装飾が施された10世紀以降のことです。オスマン帝国による征服後には競馬場が完全に使われなくなり、施設の修理も行われなくなりましたが、記念柱はイェニチェリのお気に入りの場所として訓練や登はん競争に使われました。次に見えてくるのが青銅製のねじれたモニュメント「蛇の柱」です。紀元前479年にペルシャとの戦いに勝利した記念にギリシャで造られたもので、イスタンブールに運ばれたのは324年頃です。イスタンブールにあるモニュメンや記念碑としては最古のものとされています。ねじれた青銅製の柱は3つの蛇がからまっているモニュメントで、頭部には3つの蛇の頭がついていました。古代より蛇は害虫から都市を守るとされ、大切なシンボルだったようです。3つの蛇の頭のうち2つは紛失し、残りの1つはイスタンブール国立考古学博物館に展示されていました。アヤソフィアに最も近い位置に建てられているのがローマ帝国皇帝テオドシウスがエジプトのカルナック神殿から運び込んだ「オベリスク」です。紀元前15世紀に完成したものを570年ごろにこの地へ運ばれましたが、運送中に下部の7メートルほどが破損したために大理石の台座が設けられています。3つを見学していると「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」の見学が始まったので内部に入ることになります。ここへ来るのは4回目か5回目ですが、妻と一緒に来た4年前は修復工事中で巨大なドームは塞がれていました。今回巨大で美しいドームを見せることが出来て良かったと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
午前8時を過ぎたところでようやくイスタンブールの観光が始まりました。お土産物屋の脇の道を登ります。
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途中には伝統的な家屋を利用した「ホテル サルタンヒル」がありました。イスタンブールにはもう一度来たいと思っているので、瀟洒な邸宅ホテルには目が止まってしまいます。
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坂を登り切った「Dinner colorful」というレストランはイフタールという断食明けの食事を食べる仮設の飲食店を思い出させます。
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「ヒッポドローム」は「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」の西隣りにあり、ビザンティン帝国時代に競馬や戦車競走が行われた競技場でした。競技場の広さは長さ450メートルで幅130メートルあります。
コンスタンティヌス7世のオベリスク モニュメント・記念碑
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「切石積みのオベリスク」の表面は元来は青銅で覆われていたようですが、現在は切り石がむき出しとなっています。これは13世紀初頭のヴェネチア商人の侵入(第4回十字軍)の際に貨幣鋳造のために削り取ったためとも言われています。
ヒッポドローム 史跡・遺跡
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野良犬が寝そべっている場所には「蛇の柱」があります。ギリシャがペルシアを打ち負かしたペルシア戦争(紀元前500年から紀元前449年)において、ギリシャ軍が決定的な勝利を収めたのが紀元前479年のプラタイアの戦いでした。その勝利を記念してギリシャ内陸部のデルフォイのアポロン神殿に建てられていた記念碑です。その記念碑は4世紀ごろのコンスタンティヌス帝の時代にこの地に運び込まれたとされます。
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532年の1月にこの競技場で歴史的な事件が起こります。対立する戦車競技の応援団の喧嘩がもととなり、それまで鬱積していた市民の不満が爆発し、周囲の建物への放火や略奪、ひいては皇帝を引きずり下ろそうとする大暴動へと発展します。この時に市民が合い言葉にしたのが「ニカ(勝利)」という言葉でした。そのためにこの事件は「ニカの乱」と呼ばれています。
蛇の柱 モニュメント・記念碑
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騒動のあまりの大きさにユスティニアヌス帝はすべてを捨てて逃げ出そうとします。しかし皇妃テオドラの「帝衣こそが最高の死装束」との言葉に思いとどまったといいます。アヤ・ソフィアもこの時の火災で焼失し、現在の建物はこの騒乱の後に市民の気持ちをおさめるために、ユスティニアヌス帝が帝国の威信をかけて再建したものです。
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暴動は軍隊により鎮圧され、その時に「ヒッポドローム」では3万人の市民が殺され、そのまま埋められました。現在も地下には数多くの人骨が眠っていると考えられています。その当時の「ヒッポドローム」の地面は「蛇の柱」の台座の高さになります。
テオドシウス1世のオベリスク モニュメント・記念碑
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このオベリスクは4世紀に「ヒッポドローム」を拡張し改修したテオドシウス帝がエジプトから運ばせたものです。そのため「テオドシウスのオベリスク」とも呼ばれています。もとは古代エジプトの首都テーベ(現在のルクソール)のカルナック神殿にあり、紀元前1500年頃にトトメス3世が建てました。
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4面にはトトメス3世の偉業を称える象形文字が見られ、最高部には神アモンとファラオが手を握りあっています。7メートルほどが運搬中に欠損したために基盤が水平でなく、389年に造られた大理石の基盤上に4本の青銅の柱で支えられるように据え付けられています。
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描かれている内容は、ホルス名「力強き雄牛、テーベの輝き」、二女神名「天に於ける太陽神ラーの如く、永続する王位」、黄金のホルス名「雄々しく、力強く、神聖なるもの」、ネスウ・ビティ名「ラーの出現は確固なり、ラー神に選ばれし者」とあります。以前に撮影した「カルナック神殿」の東端にあるトトメス3世祝祭殿の碑文と同じ内容でした。
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花崗岩製のオベリスクは現在の高さは約20メートルしかありません。ガイドさんによると下の方が運搬中に割れてしまったためで、もとは30メートルほどもあったそうです。
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オベリスクの下には高さ約2.4メートルの大理石製の台座が取り付けられてます。こちらは4世紀のテオドシウス帝の時代のものです。競技を観戦する皇帝と皇太子の姿などが刻まれています。
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テオドシウス1世はコンスタンティヌス1世以来、初めてコンスタンティノポリスに常住した皇帝といわれます。わずか4ヶ月でしたが東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝でした。
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「ヒッポドローム」をじっくり見学したのは初めてだったかもしれません。広場の端のトラムの通る通りには「Pudding Shop Lale Restaurant」があり、何度も通ったのですが。
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「ヒッポドローム」の見学が終わると「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」の見学に移ります。
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ゲートに吊るされた鉄の鎖は中国や日本でいう「下馬碑」のような意味合いで、物理的に馬を降りないとここを通過できない仕組みです。スルタンだけが乗馬したまま通過することが出来ましたが、それでも頭は下げなければならなかったそうです。スルタンでも神の前では頭を下げるということです。
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「スルタンアフメット・モスク」は、オスマン帝国第14代スルタン(皇帝)のアフメット1世が造らせたモスクで、7年をかけ1616年に完成しました。アフメット1世は13歳で即位した若きスルタンで、「スルタンアフメット・モスク」の建築を命じたのはわずか19歳のときでした。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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先に建てられた「アヤ・ソフィア」や「スレイマニエ・モスク」を越えるモスクを造りたいというスルタンの願望が込められています。設計は建築家ミマール・スィナンの弟子であるアフメット・アーによるもので、モスクの北側にはアフメット1世の霊廟もあります。
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イスラム教では清潔であることを大事にしています。ウドゥとは礼拝前に体の一部を清めることで、祈りの前にモスクの洗い場で手→口→鼻→顔→腕→髪→耳→足 の順に各3回ずつ水で洗います。
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ガイドさんの家では家に帰ると玄関で靴を脱ぐのと一緒に靴下も脱いで新しいものに替えないと奥さんに怒られるそうです。ウドゥは体の一部を清めることを指しますが、全身を清めるグスルというものもあります。性交した後の礼拝では必ず全身を清めなければならないそうで、家にシャワーが無い時代にはハマムで清めたそうです。そうすると毎日のようにハマムに行く男性は精力的だと思われ、それを揶揄する歌もあるそうです。ガイドさんはその歌を1人で歌いながら笑っていました。
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イスラム圏の国には何度か行っているのでスカーフなどの準備は万端です。
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マレーシアのクアラルンプールではここまでしなければならなかったことを考えるとトルコのイスラム教は規制が緩やかだと思います。これもケマル・アタチュルクによるトルコ共和国の政教分離政策のおかげなのだと思います。
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靴を脱いだ場所に足を置いてはいけないので、赤いマットの上で靴を脱いで、その足は水色のシートの所へ着地しなければなりません。
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4年前の15日間のトルコ周遊のツアーの最終日に見学に来ましたが、その際はこのドームには足場が掛けられ、低い天井面に天井ドームのデザインが描かれていました。
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キブラは聖地メッカの方角を示すもので、その方角を表すミフラーブというアーチ型の窪みに向かって礼拝します。ミフラーブはモスク内の正面に設けられています。
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ミフラーブの横にある説教壇はミンバルと呼ばれ、階段状になっています。金曜の集団礼拝時にイスラムの指導者のイマームはここで説教を行います。カイロの「ムハンマド・アリ・モスク」で聴いたアザーンがカッコよかったのを思い出します。
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直径27.5メートルの大ドームを中心に4つの副ドームと30の小ドームから成り立つ空間に圧倒されます。ブルーのサークルや帯がある部分が大ドームの中央で、神のいる天を現している装飾がなされています。
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ブルーの帯の上には金色のアラビア文字で神の言葉の威厳を伝える文字が書かれ、色鮮やかな植物の模様は生命力を伝える象徴として表現されているそうです。
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イスラム教にとっての書は最高位の芸術ともいわれ、緻密で完璧な装飾はオスマン朝建築の傑作として高い評価を得ています。
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残念ながらアラビア文字は全く読めないので美術的な美しさしか感じることは出来ません。2002年にトルコを旅した時にカッパドキアのギョレメでアンティークのガラス製のペンダントをいただいたことがありました。そこにはアラビア語が書かれてあり、「アッラーが君の旅の無事を守ってくれるよ。」と言われました。その友人とは4年前に17年ぶりに再会することが出来ました。
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スク内のドームには260余りもの窓があり、どの窓にもステンドグラスの装飾が施されています。そこから差し込む虹色の太陽光線が、内部の美しさを際立たせます。
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イスラム教の建築なのでキリスト教教会のような人物を描くデザインはありません。
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その多くが幾何学模様と植物をモチーフにしたデザインのようです。元々はヴェネツィアの総督からスルタンにステンドグラスが贈られたようですが、ここに据えられているものは新しいものに変わっています。
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技法は本来のイスラムのステンドグラスに見られる漆喰で繋ぎ合わせたものではなく、西洋で見られる鉛で繋ぎ合わせたもののようです。
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イズニックタイルに目が行きがちな「スルタンアフメット・モスク」ですが、ステンドグラスのデザインも素晴らしいと思いました。
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壁面の多くは21,043枚の青を主体としたイズニックタイルで覆われています。イズニックでは14世紀頃から陶器やタイルの生産が盛んになりました。イズニックの陶器は原材料となる土にさらに白い土を塗り、下絵を施した後に透明の釉薬を塗って焼き上げられます。タイルには50種以上の異なるチューリップ模様がデザインされているそうです。
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中国の染付の文化の影響を受け、白地を活かしたコバルトブルーで下絵が描かれるようになり、さらに時代が進んで15世紀になるとターコイズブルーや緑、赤といった複数の色が下絵に用いられるようになりました。最盛期を迎えたのは16世紀のスレイマン大帝の時代で、この頃のオスマン建築にはイズニック製のタイルがたくさん使用されていますが、原料の枯渇により17世紀後半より現在は製造されていません。
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4年前の旅では古い書物にメヴラヴィー教団のセマーゼンの絵を描き込んだものをコンヤで買い求め、帰ってから額装したら素晴らしかったので、同じようなものがないか探してみましたが、イスタンブールでは質の高いものは見つかりませんでした。
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ガイドさんの説明の後に10分ほど自由時間になったので、じっくりデザインを見てみます。クルアーンの詩は最高の書道家とみなされていたセイイッド・カシム・グバリによって書かれたものです。
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1つ1つのデザインも素晴らしいですが、大きな壁面になった時の完成度の高さには圧倒されてしまいます。改めてイスタンブールだけ1週間ほど旅して見たくなります。
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以前はチューリップ柄の絨毯だったと思いますが、現在はシンプルなオレンジのものに変わっていました。これらの絨毯も定期的に摩耗すると寄付によって交換されます。
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パンフレットを置いている場所の係りのお姉さんは猫を見つけると仕事をやめて捕まえに行ってしまいました。
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数知れないランプの中にはこのような球体がいくつも吊られています。
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これはダチョウの卵で、この臭いは虫よけになり蜘蛛も巣を張らないそうです。
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ようやく妻に「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」の全容を見せることが出来ました。
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前回も今回も定番の観光スポットだけの見学だったのでもう一度妻を連れてこないとならないなと感じます。少し奮発して新しくなった「ペラ・パレス」にも泊まってみたいです。
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内部の見学が終わると外観の説明などはありませんでした。ミナレットには3段になった鍾乳石装飾を備えたバルコニーが設けられています。
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集合時間まで2分ほどあったので駆け足で中庭に入ってみます。
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四方を回廊で囲まれた美しい空間が広がっています。
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回廊の1つ1つが小さなドームを持っています。床も壁の柱も大理石で造られた贅沢な空間です。
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反対側まで行っても空く全体を写真に納めたかったのですが、そこまで行っている時間はありません。
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集合した後に外観の写真を撮って、「アヤ・ソフィア」に向かいます。「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」には6基のミナレットがありますが、実はこのミナレットには言い伝えが残されています。
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「アルトゥン(黄金)のミナレットを建てよ」と命じたアフメト1世の言葉を、建築家が「アルトゥ(6)」と聞き間違えたために、6本のミナレットが建ったというものです。当時6本のミナレットは最高位である聖地メッカのカーバ神殿にしかなかったため、新たにメッカに7本目となるミナレットを寄贈し、自らの謙虚さとイスラムへの信仰心の深さを示したと伝えられています。
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モスクに変わってしまった「アヤ・ソフィア」を見学するのはこれが初めてですが、事前の情報では2階へは上がれなくなっているということです。
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広場で添乗員さんがシミットを買って分けてくださいました。今回は10人のツアーなのでこんなことも可能ですが、人数が多かったら出来ないでしょうね。懐かしい味がしました。
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ギリシャはトルコに征服されていたこともあり仲が悪いと言われますが、その割には食べるものは共通するものが多いです。トルコのシミットはギリシャではクルーリと名前が変わるだけですし、お酒のラクもギリシャではウゾという名前になります。料理の共通性はあまりに多くて表し切れません。
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「アヤ・ソフィア」の近くまで来てビックリです。入り口に向かって長蛇の列になっていました。入場規制をしているようで30分ほど待たされることになりました。イスタンブールもオーバーツーリズムの波に呑み込まれているようです。
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