2023/10/03 - 2023/10/03
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/10/03
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「アクロポリスの丘」の上は人数制限をしているせいもあって比較的空いていました。ガイドさんの説明をイヤフォンガイドで聞きながら「パルテノン神殿」を時計回りに1周してフリータイムになります。以前あった考古学博物館は閉鎖されて麓に新しい「新アクロポリス博物館」としてオープンしています。今回のクルーズではアテネのツアーを途中でドロップアウトしてこの新しい博物館と「アテネ国立考古学博物館」へ行くのが大きな目的でした。フリータイムの後はせっかく登った「プロピュライア」を下った出口で再集合になります。ここで添乗員さんにお願いしてツアーから離団にさせてもらいます。妻も2回目の「アクロポリスの丘」の見学なので早々に切り上げて「新アクロポリス博物館」に向かいます。タイミングが悪かったのかチケット売り場からは長い列が出来て表まで繋がっています。これは予定通りにいかないかなと心配しましたが、20分ほど並んだだけでチケットは買うことが出来ました。新しい博物館は人気があるようで内部にも人が多かったですが、博物館自体が大きいので見学するにはストレスはありませんでした。彫像の多くは以前にも見たことがあるものが多かったですが、初めて見るものも多かったのでここへ来ることが出来て良かったと思います。最上階にはパルテノン神殿のペディメント(破風)の彫刻のレプリカも並んでいますが、そのスペースは大英博物館から返還された日にはすぐに展示できるようになっていると感じました。ギリシャは1980年代初頭にエルギン・マーブルの永久返還を初めて正式に要請しています。以来、イギリス側はこれを拒み、現在に至るまで大英博物館の所蔵品として収まっています。パルテノン神殿の彫刻については、バチカンが昨年末にバチカン美術館所蔵の一部をギリシャ正教会大主教に寄付することを発表し、事実上の返還が決まっています。文化財返還の動きはヨーロッパで徐々に広がりを見せているので近い将来ここへ納まるのかもしれないと思いました。「新アクロポリス博物館」の見学を終えて「アテネ考古学博物館」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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「パルテノン神殿」は古代ギリシア時代にアテナイ(現在のアテネ)のアクロポリスの上に建設されたアテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテナを祀る神殿です。紀元前447年に建設が始まり紀元前438年に完工しますが、装飾等は紀元前431年まで行われました。
パルテノン神殿 史跡・遺跡
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パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要なドーリア式建造物の最高峰と見なされています。装飾彫刻もギリシア美術の傑作ですが、現在はそのほとんどが博物館に収蔵されています。
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神殿は完全な新築ではなく古パルテノンと呼ばれるアテナの神殿がありましたが、紀元前480年のペルシア戦争で破壊された後に再建され、当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟、そして後のアテナイ帝国の国庫として使われました。
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オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、神殿内にはミナレットが設けられました。1687年にはオスマン帝国によって火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けます。
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1806年にはオスマン帝国の了承を得た第7代エルギン伯トマス・ブルースは神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去ります。これらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブルとして展示されています。ギリシャは1980年代初頭にエルギン・マーブルの永久返還を初めて正式に要請していますが、現時点で叶ってはいません。
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紀元前5世紀中頃にデロス同盟が成立した時にはアテナイは当時の文化的な中心を担っており、政権を掌握したペリクレスによって建築計画が立案されます。「アクロポリスの丘」に現存する「パルテノン神殿」や「プロピュライア」、「エレクテイオン」、「アテナ・ニケ神殿」はこの当時に建立されたものです。
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「パルテノン神殿」建設への支出明細が一部残っていることから、アテナイから16キロ離れたペンテリコン山から切り出した大理石が使われて、アクロポリスまでの運送に多額の経費が掛かったと記録されています。この資金の一部には紀元前454年にデロス島からアクロポリスに移されたデロス同盟の宝物があてがわれたといいます。
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破壊されたペディメント(破風)には一部の彫刻が残されています。その多くがエルギン卿によって持ち去られ、ロンドンの大英博物館で見ることが出来ます。
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見覚えのある馬の頭部が残されています。
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ロンドンの大英博物館で見たエルギン・マーブルです。元々は極彩色であったものをイギリス人の美的センスで色を削り剥がしたとNHKの番組で観た記憶があります。
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ペディメントの傾斜に沿って彫像の高さが高くなっていく様を見て、これが「パルテノン神殿」に嵌め込まれていたのだと実感しました。
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破風の高さでは分かりませんが馬のいななきまで聞こえてきそうなほどの完成された彫刻です。
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破風や軒下のフリーズもわずかながら残されています。これも数多くが大英博物館に収蔵されています。
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パルテノン・フリーズの多くは大英博物館とパリのルーブル美術館にも収蔵されています。
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パルテノン・フリーズが無くても大英博物館には展示できないものが数多くあるのですから返還しても良いのではないかと個人的には思います。
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神殿の列柱の「エンタシス」は上に向かうにつれ大きくなる円柱のわずかな膨らみを指し、「パルテノン神殿」の膨らみはわずかです。円柱が立つ基壇は他のギリシャ神殿と同様に中央部がほんの少し上に凸の放物線状の形をなしています。これは雨水を排水する意図が盛り込まれていますが、人間の目の錯覚を補正する意味もあります。また円柱上部内側へわずかに傾いて立てられ、これも目の錯覚を補正する働きがあります。
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20年前は無かった正面の足場は補修工事のためだと思われますが、排気ガス等で変色してしまった大理石の清掃のためのものなのかもしれません。
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「エレクテイオン」は以前は建物の近くまで行けた記憶がありますが、現在は近づくことは出来ません。紀元前5世紀末に完成したイオニア式建築の代表作で、かつてはアテナの女神像が安置されていました。敷地の地盤に3メートルに及ぶ高低差があり、多くの聖蹟と神格の祭祀所を1つの建物にまとめたことなどから、複雑な構造をしています。
エレクティオン 史跡・遺跡
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北側には円柱を持つ別の大きなポーチがあり、南側には有名な「少女の玄関 」があります。6体の少女の姿の柱像(カリアティード)があり、最も細い部分は首の部分で、彫像でありながら玄関の屋根の重さを支えるように設計されています。
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残念ながらここに並んでいるカリアティードは全てレプリカで、すべて博物館に収蔵されています。以前はこの丘の上あった「アクロポリス博物館」は2009年に「新アクロポリス博物館」として丘の下にオープンしています。ここには5体のカリアティードが展示してあったので、同じように収蔵されているはずです。
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レプリカといえどその完成度は高くほとんど見分けることが出来ないのではないかと思います。
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以前の「アクロポリス博物館」に展示してあったころのカリアティード5体です。
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一番状態のよいであろう1体は大英博物館に展示してありました。
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初めて来た30年近く前は右側の列柱の基壇に腰掛けて休憩した記憶があります。その頃は閑散としていた記憶もあるので、時代とともに増えた観光客のために規制されることも多くなったのだと感じます。
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この丘の上から眺める「リカヴィトスの丘」が一番美しいと思います。ギャl国向こうから眺める「アクロポリスの丘」も美しかったです。
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ギリシャ国旗のある展望台からはプラーカ地区や周辺の遺跡や神殿が眺められますが、とても混雑しているので向かいませんでした。
キモンの南壁 建造物
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「ディオニュソス劇場」を上から覗いてみます。石造りの劇場は紀元前325年に建設され、14,000人から17,000人の観客を収容可能だったそうです。紀元61年にローマ皇帝のネロが修理させたという記録があり、ローマ風に再設計され復元されたものが現在も建っています。ネロは紀元67年に行われた第211回のオリンピアの大祭で本来は体育種目だけだった競技に音楽部門も加えさせ、戦車レースではリタイアしたにも関わらず優勝し、1808個の栄冠を勝ち取ったといわれます。
ディオニソス劇場 劇場・ホール・ショー
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「新アクロポリス博物館」の近代的な建物もここから見ることが出来ました。憲兵隊兵舎の大きな区画を利用してはいますが、考古学上貴重な遺跡の上に建てることとそのデザインで論争が起こり、2004年のオリンピックに間に合わなかったといわれます。また博物館からの眺めのために手前にあった新古典主義とアール・デコ様式の建物を歴史的建造物のリストから外して撤去したそうです。その建物には有名な音楽家のヴァンゲリスも住んでいたそうで、ギリシャ政府による「建築上のテロリズム」だと非難したそうです。
新アクロポリス博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「ゼウス神殿」は紀元前6世紀のアテナイの時代に建設が始まりましたが、古代の世界で最大級であった神殿を完成させることは出来ませんでした。神殿の完成は2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスにより成し遂げられ、ローマ帝国期を通じて建てられた神殿の中でこの神殿は最大のものとなりました。425年に東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世はキリスト教以外のローマ神やギリシャ神を祀った「ゼウス神殿」を否定し、5世紀から6世紀にかけて神殿は破壊され、石材は周辺のキリスト教の聖堂の建築に再利用されました。
ゼウス神殿 建造物
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朝一番で見学した「パナシナイコ・スタジアム」も森に囲まれた中に見ることが出来ました。以前の姿を思い出そうにも全く記憶に残っていません。
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「フィロパポスの丘」もこれが見納めです。頂上の記念碑はアテネに住んでいたフィロパポス王子にちなんで名付けられ、彼は街に多大な貢献をしたためアテネの多くの住民に愛されていました。彼が亡くなったときに記念碑が造られました。
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ソクラテスは賢人と呼ばれていた政治家や詩人達など様々な人を次々に訪ね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を検証するため対話を行ないました。その結果は彼らの無知に対する無自覚ぶりと、無知を自覚している自分の優越性、神託の正しさを確信し、決意と使命感を持ってその活動にのめり込みます。ソクラテスが賢者であるという評判が広まる一方で、無知を指摘された人々やその関係者からは憎まれ、数多くの敵を作ることとなります。
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このためソクラテスは「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられ死刑を宣告されます。ソクラテスが入れ垂れていた牢獄もこの「フィロパポスの丘」に残されています。
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初めてここへ来て約30年の修復の進捗を見ていると自分の残りの人生で「パルテノン神殿」の姿はこれ以上変わらないように思えます。仮にエルギン・マーブルやパルテノン・フリーズが返還されてもここに戻されることはありません。ここまで来るのはこれが最後だろうなと感じます。
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「アテナ・ニケ神殿」はかなり修復が進んでいるように思えました。色の白い大理石は新しくペンテリコン山から運ばれたものが使われています。
アテナ ニケ神殿 史跡・遺跡
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丘の上を一周して「プロピュライア」まで戻ってきました。次から次に観光客が登ってくるのが見えます。既に添乗員さんに伝えてツアーからはドロップアウトしているので先を急ぐことにします。
前門 (プロピュライア) 建造物
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ここがこれだけ混んでいるということはすでに下山した人が次の立ち寄り先として「新アクロポリス博物館」に向かっているのは想像できます。このままでは考古学博物館までたどり着けないかもしれないという考えが頭に浮かんできます。
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「プロピュライア」も以前に来たときはここまで修復されていなかったのではないだろうかと感じます。一周してきて遺跡を見る目にも余裕が出来てきました。
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ここでも新しく修復されたペンテリコン山の大理石が真っ白です。そう考えると建設当時は白亜の建築物が居並び、さらにそこへ極彩色のペイントがなされていたと思うとどんな美しさだったのでしょうか。
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最後に巨大な門の左右を見渡しておきます。
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「アテナ・ニケ神殿」にも以前は近くまで行けたと思うのですが、人の姿はありません。先日はオリンピアで有名なニケ像を見てきて、明日はエフェソスでニケのレリーフと再会することが出来ます。
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人混みを避けるように階段を下っていきます。
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最後に振り返って「アクロポリスの丘」とお別れです。
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「プーレ門」を潜ったところで添乗員さんと再会しました。我々を見つけると手を差し出したので小銭を渡そうと思いポケットに手を入れました。添乗員さんもフリータイムにはこんなアルバイトをしているのかと思いましたが、ここが再集合場所でした。
ブーレの門 建造物
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未練はないと思いながら振り返ってはカメラのシャッターを押してしまいます。
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日差しの強い通りを歩いていると横を軽やかに馬車が通っていきます。いつか金持ちになったら乗ってみたいと思いながら30年以上の年月が過ぎています。
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来る時と同じ通りを歩いていますが、往路ではこの景色に気が付きませんでした。
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日影を見つけて少し休憩します。10月初旬のアテネはまだまだ汗ばみそうな暑さでした。
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ようやく「新アクロポリス博物館」に着きました。表のキャノピーまで長蛇の列が何本もあり気分的に凹みます。一番右側がチケット売り場の列だったので20分ほど並んで1人11?をクレジットカードで支払います。日本語のパンフレットもありました。
新アクロポリス博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館の1階にある最初の展示スペースには、アクロポリスの斜面からの発掘品が展示されています。 岩山の地形と歴史を表すこの斜面には、大小の聖域、劇場や音楽堂があり、さらに斜面を下ると民家がありました。
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ギャラリーの2階に向かった傾斜した床は古代の人がアクロポリスの岩を登るときにたどったであろう道を反映しています。
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紀元1世紀から3世紀に造られたニケのテラコッタはアクロポリスの南側斜面にあった建物のペディメントを飾ったものと思われます。
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紀元1世紀頃に造られた火鉢です。素焼きの肌といいお煎茶のお点前で使う風呂と全く同じデザインだと思いました。
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紀元前150年から86年頃に造られた香炉の蓋です。本体は失われていますが、精巧な蓋の造形に魅了されます。縁に回された女性の顔や仮面は型押ししたものをろくろで成形されたものに貼り付けていることが分かります。
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古代ギリシャでは礼拝は寺院だけではなく家の中に置かれた祠の前でも行われ、宗教的な象徴の像などが家の中に置かれることがありました。発掘される中にはそれら髪を描いた香炉や小像、小さな祭壇やランプなどが発見されています。
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紀元前350年頃のプロクロスの家にあったメンサと呼ばれる犠牲用のテーブルです。レリーフの題材は個人の嘆きと別れ、死後の世界での哲学者との出会いが描かれています。
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ニンフとパーンの聖域という題名の紀元前2世紀頃のレリーフです。竪琴を持ったアポロン、ケリュケイオンの杖を持ったへルメス、そして3人のニンフが祭壇の周りで踊っています。パーンがシュリンクスと呼ばれるフルートのような楽器を演奏しています。ケリュケイオンは「聖なる力を伝える者が携える呪力を持った杖」とされるヘルメスの持ち物です。パーンはは羊飼いと羊の群れを監視する神で、サテュロスと同じく四足獣のような臀部と脚部、山羊のような角をもつ牧神です。
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パーンはドリュオプスの娘、あるいはニュムペーとヘルメスの間に生まれましたが、山羊の脚、頭に2本の角を生やすという奇妙な姿をしていたため、母親は幼いパーンを置き去りにして逃げてしまいます。ヘルメスはパーンを野兎の皮でくるんで神々のもとへ運ぶと神々はみな喜びました。なかでも特に喜んだのはディオニュソスでした。そして「全ての神々を喜ばす」として、そこから名前を得たといわれます。
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アフロディーテの聖域というタイトルのレリーフはワインカップと香炉を持ったエロスの行列が彫られています。アプロディーテは愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱です。美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれています。アフロディーテは炎と鍛冶の神ヘーパイストスの妻とされますが、戦いの神アレスと情を交わしてエロスを生んだといわれます。
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スロープの途中から振り返ると2階には「エレクテイオン」に並んでいたカリアティードが5体並んでいるのが見えました。
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ここで見返して安心してしまったのか近くまで行ってみるのを忘れてしまいました。
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「アスクレピオスへの献身」は岩の上に腰掛けるアスクレピオスの横には娘のハイジエラと男性が立っています。アスクレピオスはギリシャ神話に登場する名医で医神です。優れた医術の技で死者すら蘇らせて後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在とされます。WHO(世界保健機関)のマークにある杖は「アスクレピオスの杖」が由来になっています。
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「アスクレピオスへの捧げ物が置かれた柱」
不思議な印象を受けますが、プラクシアという人物が医神アスクレピオスへ妻の眼が治ったことへの感謝の奉納とされるものです。岩のほかの部分にも同じような人体の一部が奉納されていたのだと思います。 -
「アスクレピオスへの献身」
女神デメテルと娘のペルセポネ、アスクレピオスのもとへ著名な医師団が歓迎を受けています。彼らの名前はポリュクラテスの息子テオドリテス、エピククラテスの息子ソストラトス、ディエコスの息子エフェコス、ムニシテウスの息子ムニシテウスと書かれてあります。 -
「アスクレピオスへの賛辞」
アスクレピオスと娘のヒュギエイアは石を積んだ荷車がひっくり返ったところを救い、御者のアンティメドンから感謝を受ける場面です。 -
ペリクレスのオデオンから出土したフクロウです。元々はオデオンの座席の支柱でした。女神アテナはフクロウを自己の聖なる動物として持っていていました。詩人ホメロスは女神を「グラウコーピス(輝く瞳を持った者)」と呼びますが、梟(グラウクス)と関連付け、「梟の貌を持った者」というような解釈も行われていたようです。
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踊り子のレリーフはゼウスとテミスの娘で季節を表すホーラーが描かれていると思われます。ホーラーは3人いるので1枚は失われているようです。
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テミスはギリシャ神話の法と掟の女神で、ウラノス(天)とガイア(大地)の娘でタイタン族の神でした。オリンポス神の戦いの後で敗れたタイタンは主要な神の地位を失いますが、地位を維持した神はテミスだけです。
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ゼウスは2番目の妻としてテミスを娶り、2人のあいだにはエウノミアー(秩序)、ディケー(正義)、エイレネー(平和)の三女神が生まれます。今まさに風が吹いているような流れるキトンと呼ばれる服のひだが見事に表現されています。
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演劇用のマスクのレリーフはおそらくディオニソス劇場の舞台装飾に由来するものと思われます。
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「パッポシノレスとディオニソス」
演劇用の仮面を手にした若いディオニソスは彼の家庭教師である年老いたパッポシノレスの肩に座っています。 -
「ヘトカンペドスのペディメント」
居列な色彩を残した3つのグループで構成されています。中央では2頭のライオンが雄牛を貪っています。左側ではヘラクレスが阪神半漁の海の怪物トリトンと戦っています。右側では人間の胴体と蛇の下半身を持つ3つの体を持つデーモンが水と火と空気の3つの要素のシンボルを持っています。 -
苦悩に満ちた雄牛の断末魔の表情やディティールの細かさに目が止まってしまいます。
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下半身が蛇と絡み合った3人の髭を生やした男性の姿からなる翼のある怪物は水を表す波、火には稲妻、空気には鳥という自然の3つの要素のシンボルを握りしめています。地面を這う蛇の体は第4の要素である土を象徴しています。この怪物の正体は不明のままで、海神ネレウスだと言う人もいれば、ガイア(大地)とタルタロスの息子テュポーンだと考える人もいます。
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筋肉質のヘラクレスの体躯もリアルですが、トリトンの胴体のウロコの表現も素晴らしいデザインです。トリトンというと子供の頃に見たテレビアニメの「海のトリトン」の印象が強いのですが、ギリシャ神話とは全く違う物語でした。ヘラクレスがトリトンと組み合い格闘する場面は、古代ギリシア美術の黒絵式陶器の定番モチーフの1つでもあります。
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1888年に「プロピュライア」の東で発見されました。2枚の交差する銅板によって作成され、リング中央の十字の中心に立っているゴルゴン(メデューサ)の姿があります。
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神話上の怪物は大きく開いた目、閉じた眉毛、大きな口を持ち、そこからイノシシの舌と牙が突き出ています。翼は刻印された溝で表現され、彼女の衣服は菱形で飾られています。この銅板はペディメントを飾ったか、木製の円盤に置かれて、「古い神殿」の前身であるアテナ・ポリアスの小さなレンガ造りの神殿の中央のアクロテリオンに飾られたと考えられています。
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「へカトンペドスの雄ライオンのペディメント、」
おそらく寺院のペディメント(破風)に置かれた像と考えられています。雄ライオンが公私を貪り食う様子が描かれていますが、雄のたてがみと雌の乳が同時に表現されています。へカトンペドスは「ウルパルテノン神殿」としても知られ、アルカイック時代に石灰岩で建てられ、現在の「パルテノン神殿」の位置に置かれたアテネのアクロポリスにある古代ギリシャの神殿でした。 -
「へカトンペドスの屋根のゴルゴン」
ゴルゴン(メデューサ)の頭部と胴体の断片の身が残されています。大きく開いた目、閉じた眉毛、大きな口を持ち、そこからイノシシの舌と牙など特徴がすべて揃っています。さらに腰のベルトも蛇なので必要なアトリビュートはすべてあります。寺院の屋根を飾る中央のアクロテリオンのものと考えられています。 -
2階の展示室まで上がってきました。外部の壁は全てがガラス張りになっているので外光が差し込んで、並んでいる彫像がきれいに見える工夫がなされています。
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「スフィンクス」
これは「パルテノン神殿」の東にあるあったスフィンクスの奉納像で、下半身が欠けてしまっています。悪魔のような姿は頭を左に向けて後ろ足で座っています。彼女の大きな目はアーモンド型で、眉毛はアーチ型で唇は「アルカイックスマイル」として知られる当時の特徴的な笑顔を形成しています。幅広の帯が長い髪をかき集め、後ろにひっ詰めて耳が露出しています。翼は後方に折りたたまれており、周囲に切り欠きがあります。当初は赤と黒の色で飾られていた痕跡が見られます。このスフィンクスは元々は高い柱の上に設置されていたと思われます。 -
「子牛を運ぶ人」は1864年に「旧アクロポリス博物館」の建設工事中に発見され、足のある台座は1887年に同じ場所で発見されました。髭を生やした男が女神アテナへの捧げ物である子牛を肩に担いでいる様子が描かれています。肩を覆う薄いヒメーションを身に着けていますが体の前部は露出しています。おそらく彼のヒマティオンは彼の肉体と容易に区別できるように、もともと描かれていたようです。頭にはバンドで長い髪を留め、彼の顔は元々別の素材で作られた眼が失われているにもかかわらず表情は豊かなままです。彼の唇はよく知られた「アルカイックスマイル」をたたえています。
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彫像の台座には右から左に刻まれた碑文があり、この像がパロスの息子ロンボスによって奉納されたことが読み取れます。
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「スフィンクス」
これはアクロポリスにある神話上の生き物の最古の奉納彫刻です。翼は1882年から1883年にかけてパルテノン神殿の東側で発見され、頭部と胴体は1883年に「旧アクロポリス博物館」の南西隅では屈されました。彼女の足の大部分は失われています。スフィンクスは後ろ足で座り、まっすぐ前を見つめています。彼女の大きな目はアーモンド型で眉毛はアーチ型、唇は「アルカイックスマイル」として知られる当時の特徴的な笑顔を形成しています。ウェーブのかかった髪は後ろでバンドでまとめられ、背中や肩に自由にこぼれ落ちています。彼女の長い翼は後方に折りたたまれており、当初は詳細に塗装されていました。 -
「コーレの像」
短いマントを左右対称に着ていますが、そのドレープの美しさに見とれてしまいます。 -
「ヘラクレス・ペディメントの神格化(神格化)」
ヘラクレスの神格化(または神格化)を描いており、ゼウスと彼の妻ヘラという2人の主神によるオリンポス山への歓迎を描いています。主人公は、有名なライオンの皮、ネメアで殺した恐ろしい動物の頭と毛皮、そして赤いペンキの痕跡が残る短いキトンを身に着けています。主人公に続く人物は、青いキトンと赤い動物の皮をまとったヘルメスまたはアイリスという2人の神々の使者のうちの1人でなければなりません。ヘラクレスの前にある保存状態の悪い人物は、彼の守護神であるアテナかもしれません。場面の中央では、ゼウスが赤いクッションの上に座っています。玉座の背もたれには赤と青のダイヤモンドが刻まれ、サンダルと足台は赤く塗られています。ゼウスの隣にはヘラが座っています。首元に蛇行模様のついた青いキトンと、赤と青の四角いロゼットで縁に飾られた赤いヒマティオンを身に着けている。ペディメントの左側には、青い蛇行で飾られたキトンとヒマティオンを身にまとった髭を生やした男が近づいてくる。 -
「ヒドラのペディメント」
ヘラクレスは9つの蛇の頭を持つ伝説の怪物レルネのヒドラと戦い、戦車で待っている甥のイライオスに助けられ、ヒドラは右にいるカニに助けられています。 -
「オリーブのペディメント」
ペディメントの彫刻の断片が再組み立てされて復元されました。元々はアルカイック時代のアクロポリスにある「オイケマタ」と呼ばれる小さな建物のペディメントを飾っていたと思われます。破片は1888年にパルテノン神殿の東側で発見されました。
ペディメントの中央には、傾斜した屋根の小さな建物のファサードが描かれています。建物の入り口には、赤いキトンと青いヒマティオンの長い服を着た女性が立っています。彼女の頭の上には、おそらくステファン、または水瓶を支えるための布のクッションである円形の物体があります。左から青いキトンと赤いヒマチオンを着た男性が近づき、右側から蛇行模様の長いキトンを着た女性が歩いているように見える。3人目の人物は、おそらく女性で、さらに左側の壁の隣に立っており、その上には、ペディメントの名前の由来となったオリーブの木の像が刻まれている。このシーンは、赤と青の葉で飾られた蛇行とサイマのモールディングを備えたバンドで飾られています。 -
この謎めいた光景は長い間様々に解釈されてきました。女神アテナの聖域への儀式的な行列を描いたという説もあれば、トロイロスが噴水の近くで死んだトロイロスのエピソードを描いたと考える説もあります。また、これはアクロポリスでケクロプスの娘であるパンドロソスの聖域の前での光景を描いたものだと考える人もいます。
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「コーレの像」
コーレはキトンと両肩に対照的にかかる長いローブを着ています。欠損部分からも分かるように胴体はペンテリス産の大理石、腕はパロス産の大理石で造られています。 -
「コーレの像」
他の像と異なり左腕を前に突き出しています。紀元前500年頃にパロス産の大理石で造られています。 -
「ペルシャまたはスキタイの騎手の像」
この像は1886年に「エレクテイオン」の近くで発見されました。騎手は黄色の輪郭に緑、赤、青の葉のようなモチーフで飾られた短いキトンを着ています。タイトフィットのパンツには大きさが下向きに向かって小さくなるカラフルなダイヤモンド柄があしらわれ、生地の弾力性を表現しています。足元には赤いブーツを履いていて靴紐を固定するための青銅のピンが今でも見られます。左太ももに開けられた穴からわかるように彼は弓の名手であり、かつては矢筒(矢袋)を取り付けるのに使われていました。馬の前髪の穴は馬の毛の固定されたブロンズの房を差し込むためにも使用され、たてがみの外観をさらに印象的にしました。 -
この像の慣習的な名前である「ペルシャ人」または「スキタイ人」の騎手は、東洋起源のデザインの服装によるものです。アテネでは紀元前6世紀の中ごろには数百騎のスキタイの弓兵が住んでいました。彼らは傭兵として雇われ、基本的には警察官として治安を維持していました。この騎馬像は紀元前490年のマラトンの戦いに勝利したアテナイの将軍ミルティアデスの像であるという仮説が立てられています。
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騎手のズボンにはアルルカンのようなデザインの菱形のパターンが施されています。黄土色と緑のマラカイト、赤茶のヘタマイト、エジプシャンブルーが使われていました。ここに並ぶ像は全て造られた当時は極彩色であったと考えられています。
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「ヘカトンペドンの馬」
4棟並んでいた中央の2頭です。4頭の馬の前部は、おそらくヘカトンペドンのメトープの装飾によるものと思われる。真ん中の馬は向かい合っていますが、側面の馬は外側を向いています。彼らの体は、メトープ上に配置できるように垂直に切断されています。馬の頭と胸骨の手綱は浮き彫りにされ、馬具は異なる素材で作られており、口にはめられています。色とりどりの痕跡が残っており、右側の馬のたてがみは黒い塗料で覆われています。 -
「ペプロスを着たコーレの像」」
コーレは身に着けている衣服にちなんで「ペプロスのコーレ」と名付けられました。ペプロスは中央をベルトで固定し、肩はブロンズのピンで固定され、小さな穴で固定されていました。ペプロスの下には長いキトンを履いており、その細いひだが脚を包み込んでいます。彩色の分光分析によりベルトはかつて青と緑、キトンはブルーで首に緑の帯があったことが分かりました。ペプロスは白で中央部は縦列で区切られ、緑の背景にロゼットの帯で縁取られた赤い正方形が描かれていました。ペプロスの境界線は螺旋模様や蓮の花が交互に描かれていました。コーレの髪は長いカールで肩にかかっており、後頭部でリボンで留められています。髪の毛を覆っている赤い絵の具は下塗りの上に最終的に茶色を塗ったものです。同じ赤い色調が目と唇の虹彩を覆い、瞳孔、まぶた、眉毛はおそらく黒い絵の具で強調されていました。耳たぶの小さな穴は彼女がかつて青銅のイヤリングをしていたことを示しています。 -
「コーレの像」
コレは1886年1月に「エレクテイオン」の北西にある「コライピット」で発見されました。像は15個の破片から組み立て直されて復元されました。この像はアクロポリスで最大のコーレの像で、2つの別々の大理石に刻まれていて、それらを結合しています。彼女は長袖のキトンを着て台座に立ち、その上に短いヒマティオンを載せ、左腕の下を斜めに通り、右側はレリーフボタンで固定されています。分析によると彼女の衣服はロゼット、螺旋、蛇行、正方形、十字架、ドット、ハーフパルメットなどの精巧な絵画モチーフで豊かに装飾されていました。足元には厚底のサンダルを履き、金属製の装飾品を調整するための小さな穴が開いた浮き彫りのストラップを付けています。頭にはステファンを被っています。彼女の髪は柔らかなウェーブを描いて4本のカールが顔の両側に下がり、胸元に落ちています。彼女の髪に残された赤い色の痕跡は最終的な色合いが塗られた下塗りのようです。円形のイヤリングが耳を飾り、左手首にはおそらく元々青く塗られていたと思われるレリーフのブレスレットが飾られています。彼女の眼球はガラスで出来ていましたが、今は失われています。 -
「パルテノン神殿東側ペディメント(破風)のアテナの像」
紀元前520年頃のギザギザ線の蛇を持ったアテネの姿です。「パルテノン神殿」で蛇が飼われていたのは広く知られた史実で、女神アテを「蛇の女神」と呼ぶこともあります。 -
「エウティディコスのコーレ像」
紀元前490年から紀元前480年頃のコレ型後期のパリア大理石の彫像で、かつてはアクロポリスの奉納彫刻の中に立っていました。紀元前480年のペルシアの侵攻で破壊されてペルサーシュットで発見されました。彫刻の土台の献呈にちなんで「エウティディコスのコーレ像」と名付けられました、 碑文には「タリアルコスの息子エウティディコスが捧げた」とあります。 -
「ブロンドの少年」
若者の頭部の像はおそらくスポーツ選手のものと思われます。1887年にパンディオンの聖域にある「旧アクロポリス博物館」の建設のための発掘調査中に発見されました。現在の名前である「ブロンドの少年」は発見時に髪の毛に残っていた黄金色の残留物に由来しています。唇には赤い色の痕跡があり、目には黄色がかった痕跡も見えます。頭はわずかに右に曲がり、目は大きく見開かれ、まぶたは重く、鼻はまっすぐで、口は形が良く、下唇がより目立ちます。髪は三つ編みに分かれて頭を包み込み、ウェーブのかかったフリンジの下で額に結びます。彼の顔の厳粛でメランコリックな表情は、いわゆる「シビアスタイル」の時代の彫刻芸術の新しい認識を明らかにしています。 -
「馬の像」
1887年にエレクテイオンの東で発見された馬の像の前部。両脚の下部は現代の修復物です。馬は右に動こうと右足を軽く持ち上げて頭を同じ方向に向けています。馬は短く隆起したたてがみ、拡張した鼻孔とわずかに開いた口をしています。たてがみと目、鼻孔に赤い色の痕跡が残っています。 -
写真を撮り切れなかった分は以前に撮影したものも載せています。パルテノンギャラリーの大きさは東西南北に飾られたフリーズの大きさに準じて造られたのだと分かります。東側のメトープはオリンポスの神々が巨人と戦ったギガントマキアを主題としています。西側のメトープはアテナイ人とアマゾンの戦い、南側はラピテス族がテセウスの助けを受けて半人半獣のケンタウロスと繰り広げた戦いがモチーフとなっています。北面の主題は「トロイアの落城」です。
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「パルテノン神殿西のフリーズ(ブロック4)」
ブロック4では2人の騎手が安定した体勢で疾走している様子が描かれています。前の青年は革の胴鎧の下に短いキトンを身にまとっています。後を追う髭を生やした年配の騎手は右腕と右手の両方の位置が示すように馬のたてがみを撫でています。おそらく彼はアテナイの騎兵隊の指揮官である2人のヒッパルコスのうちの1人です。彼はエクソミスとクラミスを身に着けており、背後にはエンバデとアロペケが頭に付いており、これはトラキアの騎手の服装の一部です。馬の手綱の金具はブロンズで造られていました。 -
「パルテノン神殿西のフリーズ(ブロック9)」
馬に乗った2人の騎手が描かれています。先行する騎手はクラミーの下に短いキトンを着け、金属製の手綱を引いて馬を引き止めます。もう1人の騎手は同じような服装をしていますが頭はペタソで覆われています。両方の馬の手綱はブロンズで造られていましたが現在は失われています。 -
「パルテノン神殿西のフリーズ(ブロック10)」
2人の騎手が左側に全力疾走する様子を描いています。先行する騎手は短いキトンとタイトな胴鎧を身に着けていますが、後部の騎手は短いキトン、クラミー、アロペケを頭にかぶり、エンバデを着用しています。彼は馬のたてがみを撫でると、その馬は4つの蹄を空中に浮かべて飛んでいるように見えます。馬の手綱はかつてはブロンズ製のものが付けられていました。多くの研究者はこのレリーフは「パルテノン神殿」の彫刻と装飾に参加したファイディアスの弟子であるアゴラクリトスによって造られたと考えられています。 -
「ケクロップスとバンドロソ」
パルテノン神殿の西のペディメントの一部です。ここには一部残されたオリジナルの彫刻が置かれています。 -
それ以外のスペースには石膏製のレプリカが置かれてあります。これらはエルギン・マーブルと呼ばれ、大英博物館に収蔵されているものです。いつでも返還されたらこの場所に展示できるように準備は出来ています。
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2人とも数多くの展示品に圧倒されて少し疲れました。「アクロポリスの丘」の上の「旧アクロポリス博物館」では陳列しきれなかったものが数多く並んでいて初めて見るものも多かったです。
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ガラス張りの窓からは外交も差し込みますが、それ以上に「アクロポリスの丘」が美しく姿を現しています。
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この建物の高さはこの絶景を眺められるように計算されているのだと感じます。
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そろそろ「パルテノン神殿」ともお別れの時間です。
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建物越しですが「リカヴィトスの丘」も見納めです。
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岩の上に座る髭を生やしたエレヒテウスと左側にはすばやく移動する女性の姿も見えます。女神アテナの神殿はアクロポリスの頂にある「パルテノン神殿」が著名で、また同じくアクロポリスに、女神は宮殿として「エレクテイオン」を備えていたとされます。エレクテウスは恐らく古代アテナイの伝説の王であるエリクトニオスの別名と考えられます・
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エレクテウスと握手を交わす女神アテナのレリーフで、紀元前397年頃に造られました。
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女神アテナと握手を交わす王勺を持った女神ヘラ。細かく見ていくときりがないのでこれくらいで博物館の見学を終えます。
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最後に「パルテノン神殿」のペディメント(破風)」の彫像の石膏像を見ておきます。現存するものは欠損しているものがほとんどですが在りし日の姿を見ることが出来ます。
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「プロピュライア(正門)」に面する西ペディメントは、アテナとポセイドンが都市の守護者たる立場を争った姿が表現されています。二柱の神は中央で対峙し、反らせたお互いの体躯を中心に対称を成しています。向かって左の女神はオリーブの枝を、右の海神は地球を打ち据える三叉の槍をそれぞれ手に持ち、チャリオットを牽く荒々しい馬と、アテナイ神話の個性を備えた軍団が従いながら、破風の鋭角な面を埋めています。
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神殿の正面に当たる東ペディメントには女神アテナがゼウスの頭部から誕生した物語を描写しています。ゴロシア神話によると激しい頭痛に悩まされたゼウスが苦痛を和らげるために火と鍛冶の神ヘーパイストスに命じて槌で頭を叩かせました。するとゼウスの頭が裂け、中から鎧兜を纏った女神アテナが飛び出しました。
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ここまで修復されることは無いでしょうが、等身大のレプリカが出来たら素晴らしいでしょうね。
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小さいサイズのレプリカでも迫力を感じました。
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屋上のテラスはレストランになっていました。時間があればここでのんびりしたいところですが、「アクロポリスの丘」の見学が午前11時と決まっていたためかなり時間を押しています。
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記念写真を数枚撮って1階まで降りる事にします。
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ミュージアムショップで少し買い物をして表に出ると同じツアーの隣の部屋のご夫婦とばったり会いました。これから博物館を見学するということなのですぐにお別れです。
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博物館の地下は遺跡で覆われています。この遺跡の下にもトロイのように何艘もの遺跡が埋まっているのかもしれません。
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下まで行っている時間は無いので1階のフロアから眺めるだけにします。
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博物館の建築はスイス出身のベルナール・チュミとギリシャ人のマイケル・フォティアドスのチームが設計者に選ばれています。チュミはパリの「ラ・ビレット公園」の設計もしています。
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パリのサン・マルタン運河を半日かけてクルーズしたことがありますが、その終点が「シテ科学産業博物館」のある「ラ・ビレット公園」でした。
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ツーリストインフォメーションに立ち寄ってアテネの地図を手に入れて、地下鉄のアクロポリ駅に向かいます。
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アテネの地下鉄に乗るのも20年振りのことですが、この駅を利用するのは初めてです。かなり駅もきれいになったのではないかと思います。昔のボロイ電車やホームも魅力はありましたが、やはりきれいな方が良いですね。
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地下鉄が地下に深いのは古い都市には良くあることです。中途半端な深さを彫ると遺跡が出てきて工事が中断されますから。
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地下鉄に乗って4駅ほど進んだオモニア広場で降りて、「アテネ考古学博物館」に向かいます。どうやらお昼を食べている時間はなさすなので、この話題は妻としないようにします。
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