2023/10/05 - 2023/10/06
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/10/05
この旅行記スケジュールを元に
最後に見た聖遺物の数々も素晴らしかったです。3時間じっくり見学できたのは良いのですが、頭の中が飽和状態でまた熱が出そうでした。「グランドバザール」で買ったハマムタオルを持って写真を撮りながらの見学はしんどかったですが大満足で「トプカプ宮殿」の見学を終えることが出来ました。とはいえ宮殿のすぐ近くにある「考古学博物館」を見てしまうと収蔵品が頭の中に浮かんできます。今回時間があれば行きたかった「地下宮殿」にも行くことが出来なかったのは残念でした。「トプカプ宮殿」を出てバスに向かいながら、やっぱりイスタンブールにはもう1度来なければならないなと思いました。その際は「ペラ・パレス」に1週間くらい泊ってと夢が膨らんできます。午後7時前にバスに乗って「バレンス水道橋」を通過すると1時間ほどでイスタンブール空港に着いてしまいます。イスタンブールから成田までの座席は席と鼻水がひどいこともあり、船の中からネットで座席を予約してありました。いつもであれば窓側の席が好きなのですが、3人掛けで通路側の人に迷惑をかけるのも嫌だったので中央の3人掛けのシートで、最後尾の席を予約しました。ターキッシュエアーラインは事前の座席指定が1人30ドルと有料でしたが、リクライニング出来て、気兼ねなくギャレーに行くことも出来るので気持ちが楽になりました。実際気分的に楽だったせいかゆっくり寝ることが出来ました。イスタンブールの空港では出発まで4時間ほどあり、無料のwi-fiをつないでネットの確認をしましたが1時間しか利用できないのが難点でした。さらに免税店の値段の高さには驚き、お菓子の1つも買えませんでした。回転寿司でラーメンを食べてビールを飲んだら8,000円くらいになりそれだけで具合が悪くなりそうです。ツアーの4組のご夫婦の奥さんと添乗員さんでラインのグループを作って帰国してからも連絡を取り合っています。楽しい12日間のクルーズ旅は無事に終わりました。本当は無事では無かったのですが。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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博物館の見学も最後の聖遺物館を残すだけとなりました。夕方になって見学者の数もだいぶ減ってきたように思います。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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内部の小食も素晴らしいのですが、並んでいる聖遺物のキャプションを読んでいるとびっくりです。とても全部を観て周れないので、お宝を見逃しているかもしれません。ここに入るのは多分初めてのことだと思います。
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はじめ見たときは香木かと思いました。キャプションを読むとサウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿の柱の一部だということが分かりました。スルタン・アハメッド1世の治世の1613年ごろに改修中の神殿の天井材の木片です。カアバはほぼ立方体をしており、最も長い辺が約12メートル、最も短い辺が約10メートルです。本体は花崗岩や玄武岩から作られた石を積み上げて出来ており、キスワと呼ばれる幕で覆われています。南東角には黒石と呼ばれる石がはめ込まれており、ムスリムはこれを目印にしてタワーフ(カアバ神殿を反時計方向に7周回ること)を行います。カアバの内部は大理石で覆われ、3本の柱が屋根を支えているのでその一部だということです。
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様々な時代のカギとそのケースが並んでいます。
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スルタン・ムラド4世は1638年にフィンガットを奪還するために遠征をおこない、カアバ神殿のカギを持ち帰りました。
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黄金に輝く美しいドーム天井と4面の壁を埋め尽くすイズニックタイルにも目が行ってしまいます。聖遺物を展示するには良い環境だと思いますが、見学者は他に目が行ってしまいます。
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「預言者モーセの杖」紀元前13世紀
神の杖とも呼ばれるモーセの杖は、モーセが使用した杖として聖書とコーランに記載されています。出エジプト記によれば杖を使って岩から水を生成し、蛇に姿を変え、また元に戻るといわれます。 -
紅海では海を2つに割ってエジプトから脱出する場面は子供の頃にチャールトン・ヘストンとユル・ブリンナーの映画「十戒」で見てびっくりした記憶があります。モーセの杖が彼の兄弟アロンが使用したものと同じであるかどうかはいまだに議論されています。個人的にギュスターヴ・モローが好きなので、モロー美術館で見た絵画が思い出されてしまいます。
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是もまたすごいものが展示されています。「洗礼者ヨハネの頭蓋骨の一部と腕の骨」です。3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に洗礼者ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの命により斬首されたという記述があります。
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ヘロデは兄弟の妻だったヘロデアとの結婚を洗礼者ヨハネから非難されたため、ヨハネを捕らえた。母ヘロデアにそそのかされたサロメが、大皿に載せた洗礼者ヨハネの首がほしいと継父のヘロデに頼んだところ、彼はサロメの願いを聞き入れ、ヨハネを斬首したと言われます。これは数多くの絵画の題材となっています。モローは同じような構図を何枚も描いています。
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処刑後に洗礼者ヨハネの遺体は現在のパレスチナにあるセバスティアに埋葬されたと伝えられています。しかしヨハネの頭部は数世紀の間に何度も発見と埋葬が繰り返され、この地方を転々としたので、いつ、どこで、どのように埋葬されたかは定かでないようです。
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中世にはテンプル騎士団や十字軍、敬けんな信者たちが洗礼者ヨハネの頭部を保有していると主張し、頭部が同時に複数存在することになります。今日でも少なくとも4つの有名な宗教施設がその真正性を主張しています。シリアのダマスカスにあるウマイヤ・モスク、ミュンヘンにあるレジデンツ博物館、ローマのカトリック大聖堂サン・シルベストロ・イン・カピテ、フランスのアミアン大聖堂がそれにあたります。そしてここにも頭蓋骨の一尾が装飾を施されて展示してあります。
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「預言者ムハンマドの足跡」
イスラム教の教義によるとムハンマドは預言者であり、アダム、アブラハム、モーセ、イエス、その他の預言者の一神教の教えを説き、確認するために遣わされたとされます。40歳の時にムハンマドは洞窟の中でガブリエルの訪問を受け、神からの最初の啓示を受けたと報告しています。613年にムハンマドはこれらの啓示を公に説き始め「神は一つである」こと、神への完全な「服従」(イスラーム)が正しい生き方ディーンであること、そしてムハンマドはイスラム教の他の預言者と同様に神の預言者であり、神の使者であることを宣言します。 -
聖遺物の博物館の中では女性は髪を隠さなければなりません。スカーフは入り口で貸してもらうことが出来ます。トルコはアタチュルク大統領の製作で政教分離を進めたイスラム国家なので、これについては比較的寛容です。イスラムの教えでは神は貞節な女性たちに「目を伏せ、プライベートな部分を守り、(魅惑させないよう)飾らず」と説いています。
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イスラムの国によっては差異があり、マレーシアのクアラルンプールのマスジット・ヌガラ(国立モスク)の見学ではここまでしないと中に入ることは出来ません。これも良い経験で、羨ましくも思えます。
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「ハンカチ」
19世紀のオスマン時代のもので、中央には神の統一宣言ケリメ・イ・テブヒドが書かれ、四隅には4人のカリフの名前が書かれています。 -
これは版木による印刷で、横には版木も置かれてありました。
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「預言者ダビデの剣」
紀元前10世紀のもので、剣のシンボルはゴリアテに対する預言者ダビデの戦いを表しています。さらに預言者ダビデ、ソロモン、モーセ、ヨシュア、ゼカリヤ、洗礼者ヨハネ、イエス、ムハンマドの名前が刻まれています。これはオスマン帝国のスルタンが券を用いた儀式で使われました。 -
新たなドーム空間の下で聖遺物を見学していきます。
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博物館とは思えない空間です。ここではクルアーン(コーラン)が読み上げられているのですが、夕方遅い時間なので聖職者の方はいらっしぃませんでした。
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アラム(フィニアル)と呼ばれる旗棹が立てられ、「ムハンマドの聖旗」の入った箱が置かれています。この旗は、1593年のオーストリア・ハプスブルク家との戦いで初めて使用され、1594年のハンガリーでの戦争でも使用されました。メフメト3世が旗を掲げ1596年のエゲル包囲戦に勝利した後、旗はオスマン帝国軍の勝利のシンボルとなりました。この旗は軍隊を鼓舞し勝利を確実にするために時折戦闘に持ち込まれました。旗はスルタンによって箱から取り出され、旗棹に取り付けられました。それを聖遺物の間から玉座の間に運ぶ間、役人は「アッラーフ・アクバル!」と叫びました。この後に旗は玉座の間からフェリシティの門に運ばれ、そこに置かれました。
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「預言者ムハンマドの足跡」
ムハンマドが昇天の際にエルサレムの岩のドームに残した足跡を1879年になってスルタン・アブドゥルハミド2世の命により純金でかたどられました。 -
金がふんだんに使われていても不思議な聖遺物には興味がなさそうです。
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ムハンマドの聖遺物は数多く残されていて遺髪などもありました。
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ムハンマドのサンダルというものも数多く残されているようです。現在でもアテネのプラーカで作って売っているような革製のグリークサンダルに似ていると思いました。
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ウフドの戦いで失われたムハンマドの歯を入れた豪華な黄金の箱はスルタン・メフメト4世によって造られました。
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ムハンマドという名前は、アラビア語で「称賛に値する」と解すことができます。ムハンマドはキリスト教における救世主イエスとは異なり、信仰の対象ではありませんが、イスラム教を創始した最後の預言者として尊敬されており、「ムハンマド」の名はイスラム教徒の最も典型的な名前となっています。
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「ムハンマドのサンダル」
イスラーム教の主流派で多数派であるスンナ派に対して、少数派とされているシーア派のなかの主流派の位置を占める宗派がイマーム派です。十二イマーム派は第4代カリフのアリーとその子孫だけをムハンマドの後継者、ウンマ(信者の共同体)の指導者(イマーム)として認めます。アリーはムハンマドの従兄弟であり、またその娘ファーティマの夫であったので、その子孫にのみムハンマドの血統が受け継がれているとし、その他のカリフの指導性を認めません。 -
「預言者のサンダルケース」
1872年に作られたケースの中にはこれらは我々の師セイイディル・ミュルセリンサララフ・アレイヒ・ヴェ・サラームの祝福です。と刻まれ、外側には「おおムハンマド、1289年のウンマのペルテヴヌヤルのために取成しを」と書かれてあります。 -
「預言者ムハンマドの髭のケース」
16世紀後半から17世紀の初頭にオスマン帝国で造られました。 -
ケースの中のガラス瓶の中には預言者ムハンマドの髭と墓から採取された土が納められています。
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「預言者ムハンマドの墓の修復の際に集められた粉塵」
こうなると何でが聖遺物になってしまいそうです。イスラム教の聖遺物を見る機会は今まであまりありませんでしたが、キリスト教などは同じような遺物が多いのは需要と供給から偽物を作り上げる技も確立されていったのではないでしょうか。 -
カリフ・アリの7世紀の剣には10世紀になって柄と鞘に碑文が刻まれています。そこには「アリ以外に英雄は無く、この剣以外に剣はない」と書かれています。7世紀のカリフ・ウスマーンの剣には15世紀になって柄と鞘が設えられています。
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見学を終えて表に出るともう夕方の陽射しに代わっていました。いよいよ今回の旅も終わりを迎えます。
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あれほど溢れていた観光客の姿もほとんどなくなりました。「挨拶の門(バービュッセーラム)」の前でも誰もいない写真を撮れました。お土産物屋さんで再集合して、全員でバスに向かいます。
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トプカプ宮殿は二重の城壁に囲まれていて、ブルーモスク側にある総門が「皇帝の門」です。15世紀にメーメット3世がこの町を征服してから建てられたものです。この門の手前の右手に見えるのが「アーメッド3世の泉」という、イスタンブールで一番美しい泉です。
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1728年に建造されたこの噴水はオスマン帝国が君臨し、イスタンブールがコンスタンティノープルと呼ばれていたときからこの都市の集いの場となりました。美しい彫刻で装飾されたトルコ・ロココ様式の建造物にはファサードが4面あり、それぞれに飲料用の噴水があります。
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お迎えに来たバスに乗って後は空港へ向かうだけとなりました。
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「ヴァレンス水道橋」を越えて黒海近くにある空港へ向かいます。30年近く前のイスタンブールの空港はマルマラ海沿いにありました。そこから空港バスに乗ってタキシム広場へ行く途中で見えた「ヴァレンス水道橋」はこれから始まるイスタンブールの旅を期待してワクワクしましたが、今日はこれを越えると旅が終わる気がしました。
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ガラタ橋では陽が落ちてもまだ釣りをしている人がたくさんいます。
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1時間ほどで空港に到着しました。22年前の旅でバスで隣り合わせになった若者にソニーの「ディスクマン」を見せたら「トルコは20年経ってもこんな機会は作れないよ。」と言っていたけど、この空港を見ると「もう日本ではこんな空港は作れないよ。」と思います。
アタテュルク国際空港 (IST) 空港
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アタテュルク国際空港、サビハ・ギョクチェン国際空港に次いで3番目の国際空港として建設され、2018年にオープンした空港は、最終的に6本の滑走路が設けられる予定で、全施設が完成すると世界最大の国際空港になります。
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ツアーの方々はもう先を急いでいます。見納めの外観の写真を撮っておきます。
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ISUZUのバスだけど左ハンドルなのだと気が付きました。以前トルコのバスの運転手さんたちから「日本の三菱のバスは壊れないけど座席の上の荷物入れは狭いし、トランクも狭いからダメだ。」と言われたことがありました。確かにこのバスのトランクは狭くて荷物置きも狭かったです。
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午後8時前に空港に到着してもTK198便は日付が変わった午前2時20分発です。ここで6時間過ごさなければなりません。
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帰りの便の座席はスプレンディダでダーダネルス海峡を通過している頃にネットでチェックインしてありました。座席の選択の余地はあまりなかったのですが、中央の3人掛けの一番後ろの席を押さえてありました。相変わらず席と鼻水がひどいのでトイレとギャレーに近い席で、隣の席の人にストレスを感じない咳が良いと思いました。ただ、1人30ドルという追加料金がかかりました。
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「グランドバザール」の中の「Sandal Bedesteni」という昔の隊商宿だった建物に入っている「ヌスレット・ギョクチェ(Nusret Gokce)」という店のシェフの店が空港に出店するようです。肉に塩をふりかける動作が独特でその姿がSNSを通じて世界的に話題となったのがこの「塩振りおじさん」です。
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BOTTEGA VENETAの手がける世界初のカフェは大阪の梅田にあったはずですが、ここにもおしゃれな店がありました。リタイアする前だったらもっと写真を撮ったり詳しく見る癖があったのですが、リタイアしてしまったらそんな必要もなく自由な気分になりました。
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この空港は無料のwi-fiがあるのですが、1時間しか使えないという中途半端なサービスです。その手続きには設置されている機械でレシートを受け取らなければ繋がらないという面倒なものでした。
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昔担当して造ったことのあるお店がたくさん並んでいます。
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後は妻がふらふら迷い込まないように注意していればいいだけです。
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ここは要注意店舗です。このあいだも「指輪をお磨きします~。」と預けている間にブレスレットを買うことになってしまいました。
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体調はあまり良くないので食欲もあまりなかったのですが、体力維持のために「yoi sushi」に入ってみることにします。この店は4年前にもありました。
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一応寿司は回転していますが、オーダーすると出来立てを持ってきてくれます。生ビールが喉に沁みます。
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うどんのような麵でしたが鶏のから揚げを入れた味噌ラーメンを食べたら日本食が恋しくなりました。
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空港の免税店で友人へのお土産にロクムなどのターキッシュ・ディライトを買おうと思っていたのですが、その高いことにびっくりです。バラマキ土産のようなお菓子のパッケージが1個20ユーロとかします。とてもではないけど買えませんでした。
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定刻に離陸して黒海上空を旋回します。その先のルートを見るとロシアに撃墜されるのではないかと心配になります。
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深夜のご飯はチキンor ビーフでした。ビーフはこのようなキョフテでした。キョフテは中東や南アジアで広く見られるミートボールやミートローフ等の肉料理です。インゲン豆の1品と野菜サラダとチョコレートムース。国際線でお酒を飲まなかったのは初めてかもしれません。コーラの炭酸が喉に優しいです。
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妻はトマトソースのペンネのようなスートパスタです。
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飛行時間の半分くらいを過ぎた辺りでシートテレビの画面にウランバートルの文字が現れました。今回の旅の次はモンゴルの旅が待っています。
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朝ごはんは2人とも洋食のメニューにしました。そして定刻より少し早い時間に成田空港に着きました。荷物が出てくるのを待つ間に奥さん連中と添乗員さんでラインのグループを作っていました。おじさんたちは蚊帳の外です。皆さんとお別れしてバスに乗って家路を急ぎます。
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帰宅した翌日に春の台湾旅行でたくさんいただいてきた(訪台の前日に規制が終わって空港でばらまいていました。)検査キットで調べてみると見事に「陽性」でした。鼻をかんでいる妻の顔が「妖精」のようにかわいく見えました。数日で「陰性」になり症状も酷くはなりませんでしたが、後遺症なのか食欲が湧かず、1カ月で6キロほど体重が落ちて血圧も下がって結果的には良かったです。今回ご一緒した添乗員さん、ツアーの皆さんお世話になりました。またどこかの旅でお会いしたいものです。
成田国際空港 空港
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