2023/10/02 - 2023/10/02
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kojikojiさん
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終日クルーズの翌朝は朝焼けの中にギリシャのカタコロンの港に入港します。この港はオリンピア遺跡への入り口となるところですが、今回の旅で唯一来たことのない場所がオリンピア遺跡でした。トリエステを出港してから体調が気がかりでしたが、先日の終日航海日が挟まっていたおかげで元気に遺跡見学も出来そうです。朝食を済ませた後にクルーズ船主催のオプショナルツアーのバスに添乗員さんと共に乗り込みます。港からは1時間ほどの移動ですが、朝霧が立ち込めて幻想的な車窓の景色を楽しめました。遺跡に入った後は英語ガイドの女性と我々11名を含めた40人ほどで遺跡を巡ります。名前の通り古代オリンピックが開催されたことで有名な遺跡ですし、4年に一度の近代オリンピックでもヘラ神殿において凹面鏡を用いて太陽から採火されています。フィロンによる世界の七不思議の1つであるゼウス像が存在したことでも知られるゼウス神殿もここにあります。七不思議の中では「ギザの大ピラミッド」「エフェソスのアルテミス神殿」「ロドス島の巨像」に続き、「オリンピアのゼウス像」の4つの場所に行ったことになります。現存しているのはギザのピラミッドだけですが、痕跡は無くてもその場所に立つと歴史の中に身を置いたような気持ちになれます。古代のオリンピックの第1回大会が行われたのは、紀元前776年でした。4年に一度の夏至の後の満月の日より5日間かけて行われていました。参加基準は厳しかったようで刑罰経験のないポリス市民の男子で、10ヶ月の訓練後にオリンピアで一ヶ月の合同練習で認定されたもののみが参加できたようです。短距離走、レスリング、5種競技、戦車、競馬など種目は多い時で21種目ありました。女性や子供や奴隷は入れないにもかかわらず、観客は20万人もいたといわれ、優勝者にはオリーブの冠が与えられ、詩人や彫刻家たちは作品を通して参加者を支えていました。遺跡はかなり広大でゼウス神殿やヘラ神殿、競技場を巡ると2時間弱の時間がかかりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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夜明け前に部屋のバルコニーに出てみると東の空が赤く染まっています。今日も天気は良さそうですし、体長も良いのでいい観光になりそうです。
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部屋のモニターでもペロポネソス半島の西側のカタコロンに到着したことを表しています。
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今回のクルーズで唯一訪れたことが無いのがオリンピア遺跡でした。もちろんカタコロンの港に来るのも初めてです。
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早朝のカタコロンは朝霧が立ち込めて幻想的な雰囲気です。
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力強そうなタグボートがやってきました。
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船を横移動させる推進装置、「サイドスラスター」を装備した船なのでタグボートが側面から押すというような光景は見ることが出来ませんでした。
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体長はずいぶんよくなりましたが、いつものような食欲はありません。妻が14階のレストランから持ってきてくれたもので軽くお腹を満たしました。
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オリンピア遺跡へはスプレンディダ主催のツアーに参加します。16番のバスの名前が呼ばれるまで集合場所に待機します。
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2日振りに船を降りました。日本近海のフェリーなどでは下船しても体が揺れる軽い下船病を感じることがありますが、ダイヤモンド・プリンセス叱りスプレンディダのような巨大なクルーズ船ではそんなことはありませんでした。
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バスの中が涼しいといけないので一応ジャンバーを用意しました。帰りのバスの座席を確保するためにもバスの中に置いておくものも必要です。
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オリンピア遺跡にはほとんどの乗客が向かうようで下船口はとても混雑しています。
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16番の先にもまだ何十台もバスが停車しています。
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ほぼ満席の状態で出発します。下船口からそのままバスに乗れてしまうのでらくちんです。今回のクルーズでは旅行会社に8万円で寄港地5か所のツアーを申し込みました。今までなら船会社のツアーと比較していましたが、我ながらズボラになったと思います。
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スプレンディダの船首を初めて見ました。シャープなシルエットの美しい船だと思います。
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添乗員さんも言っていましたが、他のクルーズ船と比べても美しいシルエットです。この船は2009年にイタリアの女優ソフィア・ローレンによって命名されています。
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カタコロンの港を出ると約1時間かけてオリンピア遺跡に向かいます。
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ヨーロッパで見掛けるこのタイプの観光案内看板を久しぶりに見た気がします。2019年にトルコを旅して以来、4年ぶりのヨーロッパです。
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コロナ禍の間に国内の旅で出会った年配の方は「コロナの3年間は我々の年代にとってもは命とりなのよ。」と海外へ出かけられないことを呪っていましたが、我々も同じようなものです。残りの人生でどこまで旅が続けられるのか。
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入り口に置かれた古代オリンピックの案内板にはドイツ語では古代ギリシャの詩人ピンダールの勝利の頌歌の一部、英語では馬術競技の勝者シラク―サのヘロンへのサー・リチャード・フランシス・バートン訳などが綴られています。
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早朝だというのにすでにスプレンディダからやってきた15台分のバスの観光客が入場しています。
オリンピア遺跡 史跡・遺跡
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競技場辺りと入り口を結ぶ馬車もありました。
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紀元2世紀の旅行家のパウサニアスによるとオリンピアには全部で70以上の神殿があり、宝物庫、祭壇、彫像、その他多くの神々に捧げられた建造物もありました。テメノスの境界内に密集していたデルフィとは対照的にオリンピアは競技に捧げられました。
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古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼり、伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが「争いをやめ競技会を復活せよ。」と言うアポロンの啓示を受けた事に由来すると伝えられています。
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これがゼウスへの奉納競技の始まりで、その後1000年以上に渡り293回に渡って行われましたが、西暦394年にローマ帝国皇帝テオドシウス1世の異教神殿破壊令により廃止されました。
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「パレストラ」
オリンピア競技は5日間にかけて行われました。競技者は事前認定を受けるため「ギムナシオン」かここ「パレストラ」での合同練習が義務付けられていました。どちらもヘレニズム時代の建物が残されています。 -
競技は4年に一度の夏至の後の満月の日より5日間かけて行われていました。参加基準は厳しく、刑罰経験のないポリス市民の男子で10ヶ月の訓練後、さらにオリンピアで1ヶ月の合同練習で認定されたもののみが参加できたました。
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16号車の英語ガイドさんが説明した内容を添乗員さんが同時通訳してイヤフォンガイドのマイクで伝えてくれます。
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競技の種類としては短距離走、レスリング、5種競技、戦車、競馬など種目は多い時で21種目ありました。女性や子供や奴隷は入れないにもかかわらず、観客は20万人もいたといわれています。優勝者にはオリーブの冠が与えられ、詩人や彫刻家たちは作品を通して参加者を支えていました。
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古代ギリシャでは均整のとれた体は精神や知性の完璧を表すと考えられていたため、鍛え抜かれた体を晒すことは恥ではなく、市民の権利とみなされていました。また、古代五輪には女性が競技に参加することはもちろん、観戦すらも認められませんでした。男装して参加しようとした女性がいたため、選手だけでなくコーチも全裸で参加するようになったといわれます。
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遺跡の中にはそれぞれの建物の周辺に建築当時の予想図を描いた案内板があるので、それを見ながら残された列柱を見ないと全体像が想像できません。
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「フィリピオン」
紀元前338年にマケドニア王フィリッポス2世が全ギリシアを統一した記念として建てられたもので、ゼウス大祭のときの迎賓館として主に使われました。オリンピックの優勝者はここに招かれ食事をしたと伝わっています。フィリッポス2世は通称アレクサンドロス大王の父親です。 -
「ゼウスの神殿」
ゼウス神殿の再建はドイツの考古学研究所により、2004年のアテネオリンピックに向けて行われました。さらに神殿のおピスト度も巣の修復は2011年から2012年にかけて行われています。 -
ゼウス神殿は紀元前456年に完成したエリスのリボンが造った長さ64メートル×幅28メートルの神殿です。ドリス式の巨大な円柱が正面と背面にそれぞれ6本、側面に13本づつ建てられています。6世紀に起きた地震により破壊されたままの姿で残されています。
ゼウス神殿跡 史跡・遺跡
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唯一1本だけ修復された柱で全体像をイメージするしかありません。柱の太さからも巨大な建造物であったであろうことが想像できます。
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「レオニデオン(宿泊所)」
オリンピア遺跡で最大といわれる75メートル×81メートルの長方形の宿泊施設跡で、ナクソス島のレオニダスの寄付によって紀元前4世紀に建てられました。 -
中央には円形の水盤があり、広場がありましたが、ローマ時代には屋外プールとして使用されていました。
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「フェイディアスの仕事場」
1955~年から958年にかけて発掘された遺跡群の中でも最も状態のよい遺跡です。唐草模様の柱は特に見応えがあります。ここでゼウスの巨像が造られました。ゼウスの神殿の内部と全く同じ造りで同一方向を向いています。 -
神殿と同じ状態を作ることによって、巨像のバランスや装飾効果、照明方法までを計算していたと考えられています。また、フェイディアスはアテネで生まれた大彫刻家だった人物です。
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フェイディアスの死因については諸説ありアクロポリスの「アテナ・パルテノス」の材料を着服したという理由で投獄され、紀元前438年以後にアテネで死んだとも、オリンピアでゼウス像を制作した後十数年して同地で死んだとも伝えられはっきりしていません。
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妻も初めてのオリンピアなので興味深く見学しています。この後のアテネのアクロポリスもエフェソス遺跡も過去に何度も言っているので、今回は唯一新鮮な遺跡見学でもあります。
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この先何年かしたらこの神殿が蘇ることはあるのでしょうか。調査しながらのしゅうづくなのでバルセロナのサグラダファミリアのようなスピード感は出せないのでしょうね。
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「フィリピオン」の3本の柱を見るとデルフィのアテナ・ブロナイアの神域で見た3本残された柱を思い出します。
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「ヘラ神殿」
紀元前600年頃に建造された最古のドリス式の神殿の1つで、初めはゼウスと共に祀られていました。それぞれの柱の形や太さが違っていることから、破壊と再建を繰り返した様子を見ることができます。太くずんぐりした柱の形はエジプトやオリエント建築を思わせます。ヘラ神殿跡 史跡・遺跡
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ギリシャ神話は古代ギリシャより語り伝えられる伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語で、古代ギリシア市民の教養であり、さらに古代地中海世界の共通知識でもありました。
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ギリシャ神話はローマ神話の体系化と発展を促進し、プラトーンなど古代ギリシャの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の1つとなりました。
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西洋絵画や彫刻を美術館で見る際にこれらの物語や登場人物の持ち物などのアトリビュートを知っておくと、それらの意味がよく伝わり豊かな気分になれます。
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個人的にはギュスターヴ・モローの絵画が好きで、パリの「モロー美術館」で観てきた数々の絵画がこの旅の途中でも思い出されました。
モロー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624901 -
「ニンファイオン」
西暦2世紀にヘロデス・アティカスとその妻のレギラによって寄進された噴水です。壁龕(ニッチ)にはヘロデス・アティカスをはじめ、アントニヌス・ピウス、ハドリアヌス帝、マルクス・アウレリウス帝とその家族の像が飾られていました。 -
ニッチの彫刻や王氏の彫刻はこの後に行く考古学博物館に飾られていました。
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「ヘラの祭壇」
ここだけガイドさんと観光客の姿が集中していてなかなか近づくことが出来ません。 -
ここでオリンピックの聖火の採火が行われます。この式典は1936年のベルリン・オリンピックから制定されており、現代オリンピックの正式なスタートを意味します。
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何度もテレビ中継で観たことがありますが、こんな狭い場所だったのかと驚きもありました。案内板が無かったら全く気が付かないで通り過ぎてしまうような場所です。
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「先史時代の建物」
ギリシャ時代の地面よりさらに低い場所に紀元前2150年から2100年頃の遺跡が埋まっています。これらは1908年に発見されました。 -
ヘラディック3期後期のアプシダルハウスからは数多くの遺物が発見され、それらは現在のクロアチアのだるま四阿海岸のセティーナ文明との繋がりもあるようです。
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「メトローン」
紀元前4世紀のドリア式の神殿で、長さ20.27メートル×10.62メートルの長方形に6本×11本の柱が建てられています。この新でっは神々の母であるレア又はキベレに捧げられました。 -
ローマ時代にはここは寺院として使われ、ローマ皇帝を讃える崇拝の場所とされ、地下にはローマ皇帝の彫像が飾られました。
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悠久の歴史をほんの1時間少しで感じ取るには無理があります。もう少しゆっくり見学したいところです。
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「ゼーンの基地」
ゼーンはゼウスの複数形でここには16体のゼウス像が並べられていました。これらは不正行為を行ったスポーツ選手に課せられる罰として設けられました。 -
碑文には選手の名前と違反した内容、そしてどのような罰則を受けたかが記載されていました。これは「スタジアム」へ向かう途中にあり、競技者全員への警告でもありました。
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いよいよ「スタジアム」に入ります。アーチが1つだけ残されています。
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「スタジアム」
紀元前4世紀ごろに作られ、トラックは幅が30メートル×長さは192メートルで、初期は北にあるクロニオンの丘の斜面までが観客席となっていました。ローマ期には南にも観客席が造られ、最大4.5万人を収容していたといわれます。科学的に興味深い事実として、走る距離が約200メートルを超えると、それ以下の距離よりも最高速度を落とさないと人間の身体が耐えられないことが知られており、近現代の陸上競技の成績もそうなっているそうです。古代オリンピック競技場 (スタジアム) 史跡・遺跡
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スタジアムという言葉は古代ギリシアの「競技場」を意味したギリシャ語「スタディオン」に由来します。日本語に直訳すれば「(人々が)立つ(所)」であり、観客席を「スタンド」と呼ぶのもこれに由来しています。
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誰もが考えていることは一緒のようです。
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敷石には方形の穴が穿たれています。この穴を利用して何かが立てられていたのだと思います。
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折角なのでスタート地点まで歩いてみます。同じような大理石の敷石が置かれてありました。
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一応ゴール地点に駆け込んだポーズをとっていますが、妻が走る姿はこの40年見たことがありません。多分トイレ以外に急いだこともないと思います。
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スタジアムには競技大会(ヘラノディカエ)の審判用の台エクセドラ以外に観客席は無く、このような斜面に腰を掛けただけだったそうです。何万人もの男性が素っ裸で座っている姿を想像すると…。
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観客席だった斜面を登ってみると1カ所しか残っていないアーチが連続してトンネルのようだったことがよく分かります。
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折角なので同じルートで「スタジアム」を出ます。
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「宝物庫」
「スタジアム」を出た右手には「宝物庫」が並んでいたようです。紀元前5世紀から6世紀の頃にギリシャの都市国家だった南イタリアとマグナ・グラエシアと呼ばれたシチリア島の植民地から寄贈された小型の神殿のような建物でした。 -
同じような「宝物庫」はデルフィの神域への参道にいくつも立っていたことを思い出します。
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破壊されている12個の建物のうち特定されているのはシキョン、セリノウス、メタポンティオン、メガラ、ジェラの5か所だけのようです。
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「フィリピオン」の3本の柱まで戻ってきました。これだけでも美しさを感じるので、円形の建物が再現されたらどれほど美しいのだろうと思います。
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「宝庫」
ポリスや植民地がゼウス神に捧げた奉納品の宝庫です。ゼウス祭りの時は各使節団の宿泊施設となっていました。 -
「プリタニオン」
この建物はローマ時代に何度か修復されました。これは女神ヘレティアに捧げる成果が灯される場所であり、祭壇で行われる犠牲を捧げる場でもありました。 -
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「ギムナシオン」
120メートル×220メートルの長方形の建物で、中庭が柱廊で囲まれていました。ここでは徒競走や槍投げm円盤投げなどの練習が出来ました。 -
子のオリンピア遺跡がオリンピック競技のための総合施設だということがよく分かりました。ここで数カ月練習するための施設のすべてが整えられています。
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「クロニオン・テルマエ」
ヘレニズム時代の大規模な入浴施設にローマ時代になってから美しいモザイクなどが設けられています。 -
この時代の入浴施設の完成度は非常に高く、これはどこの都市に行っても同じような造りになっていたため、旅人はどこででもストレスなく入浴が出来たそうです。これまでいくつもの遺跡を見てきましたが、水廻りの高度な設計と施工には驚かされます。
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遺跡の出口にはエリア全体の案内図がありました。1時間ほどの駆け足の見学でしたが、もっと詳しく調べてくれば良かったと思いました。
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遺跡の後は近くにある考古学博物館に移り、この遺跡で発掘された数々の美術品に驚かされることになります。
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